静は前々からイケすかねえと思ってたマリナの野郎から果たし状を受け取った。真っ向勝負を望む静はその身ひとつで敵地に出向くのだが、そこにはマリナが雇った無差別級格闘技の達人が待ち構えていた。
静は手練達との連戦を勝ち抜き、マリナを殺せるのか。

【注意】
・本作は二次創作です。
・書かれている出来事、人物、団体等全てフィクションです。
・原作に登場する人物の性別が変わり男性になっています。
・登場人物のセリフや地の文に下品な表現があるかもしれません。


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【登場人物】
静…日本人
マリナ…クラスメイト。静の宿敵
ウラジミル・コロネンコ…ウズベキスタン出身の最重量級格闘家。バックボーンは空道だ
死乃山(ですのやま)…元力士。怪我が原因で相撲の道が絶たれ暗黒面に堕ちた



お気に入りが無差別級デスマッチで勝ち残る日

 

「お腹がすいたっp……」

「オイ、誰かいんのか。ぶち殺すぞ、オイ。ケツかツラ見せろや、ぶち殺すぞ」

吹き抜ける風が肌を掻っ攫うような、寒い冬の日の朝だった。

土管に向かって低俗な脅し文句をかける男の脳裏にはドスの効いた口調とは裏腹な、おセンチな感傷に浸されてしまっていた。

向かいの山脈が東の空に大光輪を打ち上げ始めたとき、静の生涯を賭けたデスゲームのコングが鳴り響く。

日の出まであと数分。左胸の奥で、秒針が時を刻むように、ドクドクと音を立てながら血が流れるのを感じる。ラウンドが始まってから勝利を掴むまでの間、果たして心臓が左胸に留まってくれているかどうか。それとも、敗者として野辺に朽ち果てて永遠の眠りにつく羽目になるのか。

ハッと気づいて、静は自分が唱えたメンヘラチックなポエムを脳裏から消す。

──恐れているのか俺は…死ぬことを恐れているのか!果たし状を承った時の嬉々とした気持ちはどこに行ったのだ!

違う、と己の心の弱さを噛み殺して静は土管を殴りつけた。

今はいい。まだ争いは始まっていない。しかし戦いの中で迷うことが敗北への素晴らしい近道になることを静は知っていた。

2000年より少し前、某アメリカのバーリトゥード団体でチャンピオンになり、柔術で最高峰と名高い某アブダビの大会で2度も優勝した男がいた。その男は人類最強ともてはやされた。

事実、彼のバックボーンや実績を見れば黎明期の総合格闘技選手の中で最強といっても過言では無かった。彼のファイトスタイルはレスリングのバックボーンによる高い身体能力とテイクダウン能力、グラウンドからの打撃。これは00年代後半に確立される北欧型(打撃レスリング型)に通じる強みと共通していた。

しかしそんな偉大な男でも戦いへの恐怖という罠にハマってしまった。戦えば戦うほど傷つき痛み出す体、加えて体調不良も災いし、彼は一戦を退くことになる。

静は暴力の限りを尽くし当たりを破壊して回った。

自分の破滅的な思考を暴力を振るい、視覚、聴覚、触覚、その他あらゆる神経を暴力で染め上げ、体で脳の働きに打ち勝とうとしているのだ。

──いかん、このままでは負ける。獣になるんだ。雄になるんだ。俺は雄なんだ。アイツを、マリナをどうしても殺さなければならぬ。

 

 

静とマリナはどうしても気が合わずガッコで会う度にいざこざばかり起こしたいた。アレは気に入らぬ事がある事に静に関係があろうとなかろうとあたりちらした。

しかしマリナはどう足掻いても静に勝てなかった。

絶対の理由は体重差だった。

静はマリナの2倍以上の体重があった。フレームも大きく、肩幅は70cm近くあった。体脂肪も豊富で、男性なのに皮下脂肪がステキと声を上げたくなるくらい全身に行き渡っていた。

あらゆる格闘技や武道の組手競技が安全のため体重別で行われているように(無論、日本拳法マスターズの部等の無差別級しか存在しない競技も存在する)体重というのは選手の命を脅かすくらい強さに影響するのだ。

階級という圧倒的な壁がマリナへのビクトリーロードを阻み続けた。

ある日、静は窓ガラスの突き破られる音と己の頭部に殺到する矢尻の殺意に叩き起された。

冷や汗を浮かべて枕元に目を移すと紙を括り付けられた矢が頭のあった場所に突き刺さっていた。

矢文だった。

柄から手紙を抜き取って広げると静は言葉を失った。

 

 

〝拝啓 静殿〟

 

〝アルプス連峰大汝山(おおなんじさん)山頂にて貴様を待つ

五体と精神と命、性、全てを賭けた死闘を〟

 

〝マリナ 敬具〟

 

あの男は人のいない場所に俺を呼び出して確実に俺を殺す気なんだなと静はニヤケながら独り言した。

逃げたって良かった。静にはプライドがなかった。暴力のみを娯楽とし、他に地位も名誉も愛するものも肉欲も何も欲しがらなかった。

しかしノールールでの戦いに興味を引かれた。冬の高山地帯、過酷な環境下で自分が何処までやれるのか試してみたくなった。

獣のように生きてきた静が、人間的に己の中で目標を決め成し遂げようと行動するのは生まれてこの方初めての経験であった。

『お受けします』とだけ書いた藁半紙を保健所から掻っ攫って来た犬畜生〝血卑(ちゃっぴー)〟に噛ませてマリナの家に遣わせた。

デスマッチの血と肉の味を思い浮かべ静は発情した。

 

 

興奮が高まっていく。

振り向くとピンク色の干物みたいなのが、静の顔面に引っかかった。

「なんだこりゃ。ケツ拭きか?ダブルロールにしてくれよ」

空気の抜けたタコのおもちゃみたいなそれを投げ捨てた。ひとりでにそれは戻ってきた。風も吹いていないのに静の目前に迫って、彼の真横を抜け──背後の立山杉の大木を破壊した。

長身でぶっとい木が、奇襲を一寸のところで躱した静の頭上に迫っていた。

飛びすがって巨木の墜落から退いた時、切り株と砂煙の向こうへ、浮かび始めた朝日とそれを反射するフルフェイスのヘルメットが静の見開かれた瞳に映った。

仮面と空手着みたいな道着に薄手のオープンフィンガーグローブを付けて、残心をとる男の右手には先程のピンクの変なのがついていた。

もし、やつのパンチが命中していたら粉々に砕かれていたのは俺かもしれないと静は見覚えのあるヘルメットを被った男を凝視した。

「あんたが被っているのはスーパーセーフ…まさか空道の出身か!?」

地響きと静の着地に合わせて半透明の仮面姿の男が答えた。

「いかにも。私は着衣総合格闘技『空道』、体力指数270+、ウラジミル・コロネンコ。貴様は相当な使い手と聞き及びウズベキスタンからはるばる参った。いざ尋常に勝負」

 

・空道…格闘空手団体からリニューアルした道着と防具を着用して試合を行うアマチュア総合格闘技。頭突きや金的も認めらており、ルールの自由さと安全性のバランスを考慮した近代武道だ。

・体力指数…空道における階級制度。身長と体重を足した数で決定される。

 

男の殺意のこもった形相を人目見て、静はマリナの謀りと奴の言葉を信じた己の間抜けを思い知った。

〈こんな奴寄越してきやがって、あの男は俺を心底殺したいらしい〉

「貴様はマリナに雇われたのか」

「左様、雇われバウンサーと言ったところだ。しかし実の所は…」

ウラジミルが薄く笑った。自分と同じ狂った香りを静は感じ取った。

「強いやつと、お前と戦いたくてこの国に来た」

静が気持ち悪い笑いを浮かべた。この男、ご同様(・・・)の人間を見つけて喜んでいる。

「やろうぜ!当初の予定とは違うが俺の体が快楽を求めちまってる」

互いに構えた。

静はL字ガードに、ウラジミルはサウスポーに。

鏡にガンを付けるみたいに同時に間合いへ飛び込んだ。

連打の応酬がリーチの狭間に拳の嵐を巻き起こす。

静はお手本のようなボクシングスタイルで攻めた。独特のリズムを踏み、小刻みにフットワークを使いジャブ、ボディジャブを的確に当てていく。

しかし静はすぐに防戦一方に追い詰められた。

ウラジミルの打撃技術は段違いだったのだ。

フック連打の渦に静は飲み込まれた。

左右のフックは傍からすると一見大振りで隙だらけでしかないが対面した静が見た世界は違った。

カウンターする暇がない。独特の流線型を描く拳が死角から絶え間なくうち放たれる。パンチをした後、体を引く動作それすらも暴力の高波を引き起こすモーターになった。旧ソビエト系人種特有の強い肩から繰り出されるフック、ロシアンフックだった。

打撃を受け続けた静はたちまち仰け反って、フラフラしているところをシングルレッグからのテイクダウンを取られた。

静は胸の上で嵐でも巻き起こったのかと錯覚した。

ウラジミルが卓越した身体操作と体重移動であっという間に方向転換し、故に静は岩に下敷きにされたように動くことも出来ずに足を取られた。

アキレス腱固めが静を襲う。が、静はウラジミールの顔面を蹴飛ばして無理やり足を抜いた。

お互い立ち上がって再び構えた。

ウラジミルも顔面にかなりの殴打を浴びているはずだが効いた様子がなかった。

〈あのヘルメットがなけりゃTKOになるくらいのダメージを与えられるのだが…〉

一か八かに掛けて賭けることに決めた。

ウラジミルが間合いを詰めてきた。次で決める気だ。フックの殴打が襲いかかる。

負けじと静も距離を詰めた。顔面が当たる距離まで密着してショートワンツーをウラジミルのボディに打ちまくった。

ウラジミルは首相撲をして静を投げ飛ばそうとしたが、耐えた静が脇から襟を掴んで引っ張りあげた。

静は襟を掴んだままウラジミルを軸にグルングルンと周囲を動き回った。ウラジミルの足と重心は次第に不安定になっていった。

その隙を静は逃がさない。

ローキック並の鋭い足払いがウラジミルの脛を傷つけながら刈り飛ばした。

勢いよく地面に叩きつけられたウラジミルの顔面へ、静はサッカーボールキックでかっ飛ばし、踏みつけ、馬乗りになってパウンドパンチを浴びせた。

しかしウラジミルが下から姿勢を制御し、静はハーフマウントの状態からパンチを繰り出すことになった為威力のあるパンチを打てなかった。

が、すかさず静はスーパーセーフを掴んで膝蹴りを連打した。

するとスーパーセーフにヒビが入り始めた。

更に顔面に肘を突き立て、その肘を振り上げて12時から6時の方向に振り下ろした。

ものすごい音と共に肘が血で濡れた。ヘモグロビン臭がマスクから放出される。

──スーパーセーフ、崩壊。

ウラジミルは打撃を浴びせられながら某世界王者の技術体系を思い出して苦い顔をした。

〈道着を掴んで相手をコントロールしながら打撃に繋げる着衣総合格闘技の強みを生かした技巧…小川スペシャルか…〉

血の池溶かしたウラジミルの顔面にサッカーボールキックが飛び込む。

「これで終わりじゃ」

しかしウラジミルはむくりと立ち上がった。

静はジョルトブローをその顔面に叩き込んだ。追撃に肘打ちもだ。

それでも…ウラジミルは立っている。

血まみれで忽然と腕を振るおうとする彼に静は冷静にダッキングしながら、しかし顔には曲譜の色が浮かんでいた。

〈この男は戦うために生まれたサイボーグなのか…?〉

ウラジミルは普段通りの口調で言った。

「もしかしてスーパーセーフが無ければ俺へ打撃や痛みが通じると思っているのか?」

血まみれの面は氷のように冷たい表情をしていた。

変則的な軌道を描くフックが再び静の頭にのしかかった。

ガードを上げてこめかみを守ろうとする。

しかし、側面まで迫っていた拳が急降下し、代わってもっとずっと下から高射砲の一撃が打ち上げられた。

ハイキックだ。

防ぎきれない。パンチを想定したガードではカバーしきれなかったのだ。

ウラジミルの脛から足の甲までが鋼の刃と化し静の後頭部を引き裂いた。

頭蓋への衝撃が脳に伝わり、脳みそと脳漿が遠心分離機にかけられたみたいにシェイクされて静の意識を現世から解放した。

たくましい静の肉体が硬直して、受け身も取らずに背中から地面にダイブした。後頭部がさらにダメージを受ける。地面は腐葉土と枝くらいしかないけれど無防備を晒した静の肌は砂利や鋭利な枝に肌を裂かれて生傷を作った。

何度も痙攣した。足をビクビクと震わせた。

清々しいほどのKO(ノックアウト)だった。

「坊や…遥々異国の地に来たかいがあったぜ。終わりだ」

静の襟首を掴んだウラジミールが肘を振り下ろした。大男は沈黙し、痙攣すらしなくなって死んだ。

ウラジミルは死体を一瞥して戦場を去った。峠の山小屋にまで戻った。ロッカーに置いてきた荷物を回収し下山用の用意を整えるためだ。

ドアノブに手をかけると経年劣化のせいで凄く硬かった。ウラジミルが重いドアをこじ開けるために両手をかけたその時、背中から胸にかけてマグマでも通り抜けたような熱を感じた。

ウラジミルは胸を見た。声にならない悲鳴を上げた。真っ赤に染まった鉄の塊が胸の中央から左胸にかけて飛び出している。平べったくて先端部からなだらかな山なりの形を取っている。

スコップに間違いないとウラジミルは確信をもった。

痣だらけの顔にさっき吹き出した紅白の泡を顎に乗せた静が背後から言った。

「悔しいけど最重量級でオールラウンダーのアンタには真正面から勝てないって解ってた。こうでもしなきゃ勝てないって…」

「やるじゃないか…お前の勝ちだ」

立ったまま沈黙したウラジミルを見て力の抜けた静は薄く笑ってぶっ倒れた。

 

 

山小屋で手当を終えて静は山頂を目指す準備をしていた。マリナが刺客を一人でも差し向けた以上、新たなる追手がやってくることは目に見えていた。

〈もしかしたらすぐそばに居るかもしれない〉

その時だった。静の肌が泡立ち、彼の精神にクマと遭遇した時の緊張感に似た感触を与えた。

静はウラジミルの残したサバイバルナイフとキッチンにあった包丁をベルトに指した。

何者かの視線があると第六感が訴えかける。

「僕を殺したいんだろ!日和やがって…棒立ちしてやるからかかって来やがれ!出来たら接吻してやるぜ…濃厚なヤツをな」

我ながら安い挑発だと静は自分の言ったことに吹き出しかけた。しかし上空から時雨のごとく乱射される投擲物の数が効果アリと主張した。

「魅力的だな。おひとつ頂こう」

静は声の方へ一歩踏み出そうとして、代わりにバックステップして飛び回り、去り際に包丁を投擲しながら離れの物置の裏へ隠れた。彼の足跡には細長い銀色の輝きが続いている。静を追いかけてカーペットに突き刺さった刃物には柄がなく、遠目から見ると窓から差し込む光にも見える。

躱すのは至難の業、その全てに人かすりもせず逃げ延びた静の身のこなしの壮絶さよ。

そして、この得物──

静は2階バルコニーで仁王立ちする巨大な気配への心当たりがあった。

「柄のない刃物か。関東では以前に柄の無い刃物を用いた連続強盗事件が多発していた。勝手の悪そうな刃物を調べてみれば、実際には投擲用に改造された暗器だったそうだ。使い手は持病で引退した元力士で、指名手配を受けている。人呼んで殺人力士…」

──死乃山(デスノヤマ)

如何(いか)にも」

なんという巨体だ。奴の三角形の体格は太すぎた。

鋼の高度の筋肉の上にのった弾力ある皮下脂肪は2mを超える胸囲、すぐ下のさらに分厚く逞しいでっぷりとした腹は神域なる土俵に立ち入るとを許された者のみが身につけることを許されたマワシを男は巻いていた。

ボクシングでもムエタイでもベルトをみにつけることが出来るのは王者(チャンピオン)のだけだ。

まるで相撲の競技者になることすら、他競技の王者になる苦行に等しいと喝采するかの如き衣装、しかし紛れもない事実で、200kgを優に超える身体を支える膝の骨の強度は生まれ持っての類まれなる才能と日々の地獄の鍛錬から創造されたのだ。

肩と繋がった首との境が曖昧になった所の上にのる首は髷をゆった頭を人なでして、髪をまとめていた串をペロペロと舐めだした。舌になぶられる串のは、端に刃の光を火照らせる仕込み串だった。

力士は太い指に挟まれた串を放った。スナップを効かせて放たれた仕込み串は、静が身を隠す小屋を──ああ、なんという手首の強さか。まるでポイ捨てでもするかのように手首だけでぶっきらぼうに投げられた串は、小屋の途端の屋根を貫いて静の安全靴に踏まれていた足場を叩いた。

木版を叩く高い音が二つ重なった。

1つは死乃山の次弾。回しに巻かれた鞘から抜かれるとすぐ静の元へ飛ばされたカットラスに似た自家製の暗器の着地音。

もう1つは跳躍。静は翼を失った怪鳥の如く飛翔した。

高速で滑空しながら迫る静の眉間へ一投、力士の豪腕がカットラスを空気抵抗による摩擦熱で青白く輝く魔弾に変えた。静と接触するまでわずか0.1セコンド。ティーンエイジャーの面影を残す中性的な唯一の身体的部位に、無慈悲にも凶器が殺意を刻む。

力士の視線の向こうで無の大翼が強く羽ばたいた。迸る闘気は舞い散る白銀色の羽根にも見えた。

液体が夏空を飾った。鉄臭い汁は散開して熱で蒸発した。ヘモグロビンの色はしていなかった。

静は虚空を、ありもしない空中に浮かぶ大地を母指球で思い切り踏みしめ蹴った。それから大気の壁が静の行く手を幅もうとして、まもなく崩壊した。音速を超える鈍い音がして死乃山のいる2階バルコニー、否、山小屋の一角は哀れにも静の墜落による衝撃破に巻き込まれ粉微塵とかしクレーターを残して跡形もなく消えた。落下時に舞い散った土砂が上から降ってきて視界が朧気になり、筋肉を脈動させながら仁王立ちする静はドーム状の穴の底を見つめ茫然と顔を歪めた。呆れ果てて苦笑した。

──そんな馬鹿なことがあるか。俺の捨て身を食らって…

燃え盛るクレーターの中の力士は脂肪と筋肉の鎧を轟かせて何事もなかったか不敵に笑い、裸足で土砂を駆け上って静の方へ突っ込んできた。

静は応じて坂を昇ってくる力士の膝にサイドキックをたたきこもうとした。彼は力士が自分の急降下体当り攻撃で足にダメージを負っている事に賭けた。弱った足を無理やり動かす巨漢に膝への不意打ちを耐え忍ぶ余力が残っていないと───読みが外れていたと気づいたのは静が蹴り足を捕まれ、軸足を刈り取られ焦土に組み伏せられたそんな時だった。

静は一目散に応じて長い手足でスパイダーガードで力士の動きを制御しスイープしてすっ転がした。死乃山も流石に驚いた顔をしているが、すぐ立ち上がってパウンドフックを放とうとした静に組んでかかり、喉に向かって掌打を加えた。

なんと静が苦悶の顔をした。静のおぞましいくらい太い首に力士のゴツイ腕がかかる。

相撲における秘技、抹殺の禁じ手〝喉輪〟である。

静は手首を掴んで小手返ししようとした。しかし力士の死亡で覆われた腕は思うように曲がらず、静は怪力で無理やり投げ飛ばした。

力士は着地したと思ったらもう立ち上がって張り手を繰り出した。静もオープンハンドで目潰し(サミング)狙いで打撃した。

血で血を洗う殴打戦。静の顔面は血で塗られ、目を執拗に狙われた死乃山の目は異常に充血し瞼も酷く腫れ上がっていた。

静は血反吐を吐きつけながら叫んだ。

「そこまで優れた力を持ちながら、なぜ殺人に魅入られた!?」

両国(りょうごく)を目指し、賭けてきた青春が無駄になれば、殺人鬼風情(マンハンター)がどんなにいいかわかるまい!」

「それだけで!?人の苦しみがわからないのか!」

「なんだと!?」

途端がらりと、力士の闘気が変わった。怒りと悲しみが二重の圧力として静を四隅に追いやり、組み倒した。掌打が静の首元へ。喉輪が気道と声帯を壊しにかかる。死乃山の眼には寂寥が混じっていた。

彼が本当に掴みたかったのは小坊の血管まみれな首でも大金でもなく、国技館の横綱のまわしだった。

競技者でもない奴(おまえたち)がいっていい言葉かよ…刺し違えてもお前を殺す!」

静を屋敷の外壁に押し付けた死乃山はまわしに手を入れ、引き抜いた拳を掌外沿から静の脇腹目掛けて叩き込んだ。

力士の見開かれた目に歓喜が含まれていることは、小指から見える黒いクリップからして明らかだ。

短刀だ。

胸元に隠していた暗器で死乃山は静の肉の隙間から内蔵を狙おうとしたのだ。

だが血は流れなかった。

背後から感じる血臭を期待していた死乃山は見る見るうちに顔が青ざめた。

ナイフの柄まで腹へめり込むほど差し込んでいるのに、正面からベアハグする静の力は弱まるどころか、男体に対する抱擁が万力の如く肋骨、上腕骨をぶち壊している。内蔵を圧迫され死乃山は大きく吐血した。ナイフを握る手が弱々しく落ちた。遅れて落ちた。刀身に血痕がない。

静の筋肉と上から薄く覆う脂肪にはどんな名刀もなまくらに過ぎないのか?

投げっぱなしジャーマンで床に頭を叩きつけられた死乃山は静の体を見て絶望した。

いまさっきナイフで突き刺した静の脇腹は、服に凹んだ跡はあったものの切り裂かれた様子は無く、その陥没すら見る見るうちに膨らんで埋まってしまった。

静の腹部に巻かれた肉の赤壁は見掛け倒しどころか、はるか想像を超える難攻不落の機動要塞だったのか?

「まだだ、俺は、まだ」

静はナイフを腹部から引っこ抜くと同時に投擲した。風を弾く音が短くなると死乃山の体は痙攣し、ふくよかだった腹部をS字に蹲って、静のサッカーボールキックに首を跳ねられて間もなく沈黙した。

「ハッタリが効いたぜ。鍛えといて良かったよ」

小屋の残骸にもたれかかった静はシャツをめくって腹を顕にした。腹部には紛れもなく幾多の切り傷が付けられていた。それでも、筋肉が、日々の地道な鍛錬により鍛え上げられた腹筋の収縮と膨張が傷口が開くのを食い止め、出血を防いでいたのである。

 

 

 

巨体を踏み越えて、道の境界も曖昧な山道をしばらく、痙攣する足を頼りに登っていって1時間かけてようやく山頂にたどり着いた。

麓は深い雲の層に阻まれて見ることは出来ない。広大な雲海から、青空、そして岩肌の方に目を向けると崩れかけた城跡の中央にある御前試合場跡地に一人の男が待っていた。

裸体に褌だけ履いて座禅を組みながら、燃えたぎる薪の中で目を閉じて瞑想していた。木材を燻して強度を高めるように、刃物を火にくべて叩きあげ仕立てるように、あの男は己の体を灼熱地獄へ投じていた。

「マリナ、卑怯な真似するだけの事はあるぜ。てめぇも相応の覚悟をしているみてえだな」

マリナは紅蓮の中を立ち上がることで応じた。ナイフの古傷みたいに深く閉じられたひとみがカッと開いた。

雄叫びをあげると素足で薪を踏み荒らし炎を鎮火させた矢先、足元の細い鉄柱を蹴り上げ、手に取った。

「静よ…お前を一目見たときから殺したくて殺したくて仕方がなかった。六年間の片思い…果たさせて貰う」

それを聞いた静は吐き気でも催したような顔をした。

「格好ばかりつけやがって。てめえの化けの皮とチ〇ポの皮を剥いでやるよ」

「ククク…受け取れ!」

マリナは灰の中から鞘に収まった野太刀と小太刀を静に投げた。

静は小太刀を脇に差し、野太刀を抜いた。刀身が陽光に照らされてメラメラと煌めいた。

「細工など不要なことはしておらん。静よ、構えよ」

マリナは鉄柱を横一文字に構えた。同時に鉄柱に内蔵されたメカニズムが発動し、中心から数十センチ離れた両端から鞘らしき物が飛び出た。

握られた鉄柱から生えた刀身がギラリと輝いた。

〈両刃刀……なんて殺意に満ちたフォルムなんだ…〉

それでも男は戦う道しか残されていなかった。

けたたましい雄叫びにも似た奇声が山頂に響いた。

静は野太刀を蜻蛉に構え、雪が溶けて湿った大地を蹴とばして走った。

しかし、連戦に次ぐ連戦で痛めつけられた足がいつまで持つか…

頭頂部に叩きつけられた野太刀をマリナは半身になって受け、払って面を打った。

それをいなす静の咄嗟の判断は流石だが続く側面への打突が、彼の耳を落とした。

ヘモグロビンの香りと野獣の叫びはマリナの知覚と嗜虐心を刺激し薄ら笑いを浮かばせた。

しかし上がった口角はすぐに歪み苦痛を叫ぶスピーカーに変わった。反撃の斬撃がマリナのふくらはぎをやったのである。血と肉と骨が下界に排出された。

真剣での打ち合いに驕りや慢心を見せたものは引き裂かれるさだめにあるのだ。

「静ぁ!貴様をぐちゃぐちゃの肥溜めにしてやる」

「ケッ……」

〈汚ねえ野郎だ……上等、いくぜ!〉

果てなく憎悪を憎悪で上塗りする、汚れた英雄達の戦いは最終局面に向かう。

怒りに身を震わせたマリナは両刃をさらに激しい立ち回りでやたらめったらに切りつけた。

静も剛腕と身体操作技術を駆使し鋼鉄の刃を遺憾無く振るった。

剣の風が標高3000mを超える岩肌に吹き荒れた。2人はまるで峡谷だ。肌は剣の風で生傷が増えて身を消耗し、そんな苦労をしても2つの崖が繋がることはない。

仮にどちらかの崖が崩れ落ちて谷間が埋まったならば別だが、相手の死を求める2人の心の溝は果てしなく深く、底に溜まっても見えはしない。

マリナが繰り込みながら突きを連射した。

静は神速の体さばきでその殆どを躱した。

それでも、やはりと言うべきか、下半身にくらい続けた打撃の数々が彼の心身を蝕み、次第に動作の鮮やかさが薄れ始めた。

その隙を逃すまいと刃を打ち込むマリナの必死さはもはや滑稽だった。ばらまかれた餌にすがりつく鳩の如く、防御の上から肉を削ぎ落とそうと躍起になっていた。

「静、死ねよ!」

「……ッッ!!!??」

マリナの力任せの打突が静の左腕に叩き落とされた。骨がイカレ、断面が血をワッと吐き出し続けている。出血による死はすぐそこにあった。

〈…俺は死ぬのか〉

突然のことだった。

静の脳裏に己の死に関する現実が重くのしかかった。

途端に死を受けいれように静の頭が考えるのをやめ、体は脆弱になった精神に呼応して動かなくなった。

しかし──

それからすぐに、静の視界が真っ黒に染まり目の前の景色が両刃刀を振り上げるマリナただ一人になった。彼の振り落とす刀がコマ送りの写真のようにスローに見えた。切っ先の描く弧の滑らかさをまじまじと見ることが出来た。

体が、脳が一瞬抱いた死への許容に打ち勝った。

静の細胞が2億年前の原始生命体だった頃から記録し続けた生存本能と闘気で爆発し、逆手で握った野太刀を投げつけるようにマリナの咽喉へ突き刺さした。

この世のものとは思えないほど恐怖に染まった顔でマリナは声を絞り出した。

「馬鹿な…、お前だけには絶対に…」

死への恐怖よりも嫌う相手への敗北が怖いのか、マリナよ。

それでも勝つのは一人、勝利を掴むのはただの一人だけなのだ。

静の体が大気と一体化した。輪郭が、握り閉めた野太刀が虚空の中に溶け込んで姿を消した。

そういっても過言はない。

静を阻む空気抵抗はゼロだった。

右手だけに支えられた野太刀は刀の重さと静の手の内、体捌きに力を借りて吹き抜ける風のようにマリナの口から気管支を抜けて肺を叩き切った。

男の裸体に一の字に刻まれた鮮血のタトゥー。

マリナの体が崩壊を始めるなり、静は脇から小太刀を取り出して彼の胸から肋骨をこじ開けながら突きを見舞い、心臓を破壊した。

血を吐きながらマリナは崖から転落し、この世から下山した。

 

 

「勝ったぞ…俺は勝ったぞ!勝者は俺だ!」

不敵に笑いながら静は叫んだ。戦いの渦中ろくに吸えなくなってしまった空気を肺いっぱい吸い込んで勝利を宣言した。

どこからか騒ぎを聞きつけた山岳救助隊のヘリが静を遭難者だと勘違いして降りてきた。

静は穏やかな気分で呟いた。

ファンファーレがロータ音になってしまった、と。

レスキューに手を貸してもらいヘリに乗り込むとお向かいの席に道着姿の男と力士が照れくさそうにして座っていた。

「な〜んか俺達生き残っちゃったわ」

テへへと笑う強者たち。

こりゃヘリが飛べるかわかりませんね、と静は声を出して笑った。

 

 




最後まで読んでいただきありがとうございました。
ムキムキガチムチな静ちゃん?とマリナちゃん?の死闘は如何でしたか?
感想お待ちしています。

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