腹ペコ毒蟲【新版】 作:アンディライリーのうさぎ
少年には、出されていく課題がどんなに難しくなろうと、それを解いていけるすべてがそろっていた。
才能、力、そしてそれらを最大限に活かして伸ばせる精神性。
まさしく、世界に愛されて生まれてきた寵児。
「クッソつまんねぇ…」
そんな少年は、絶賛家出中だった。
本来だったら小学校に通っている時間。彼はブラブラと街をさまよっていた。
家出をしたのは単純に、一人の時間がほしかったからだ。屋敷はきっと今ごろ大騒ぎになっているだろう。何せこの少年には高額な懸賞金がかけられている。一人で外出して、万が一があるかもしれない。実際、屋敷の中には卒倒する者も現れていた。
だが、そのうえで、少年は自分の行動を咎められることを嫌う。
周囲から求められるニーズにはすべて応えているのだ。呪霊の討伐然り。
ならば、その代価というわけではないが、自分の行動は容認されて然るべきである。
──とまぁ、少年はそのように考えている。
そもそも並の連中では、齢6歳の彼を前にして、赤子の手をひねるように倒される。
家出をしたその日もまた、少年の命をねらう呪詛師たちが現れた。
ちなみに場所はゲーセンだった。平日の昼間に6歳の少年。店員は声をかけようとしたが、彼の白い髪に蒼い目をした外見や、そのオーラから近づくことができなかった。
「よっ」
少年がプレイしているゲームは格闘ゲーである。彼は的確な手さばきで、完璧かつ無駄がない手順で敵を倒していく。蒼い瞳は敵の方すら見ていない。
「つーか、分別がないよね。ふつうに
「ッ……!!」
呪詛師たちは一歩も動けずにいた。まるで体が何かに
攻撃することもできず、逃げることもできない。
ただ、少年がゲームを終えるまで待つしかない。
少年の目が、ここでようやくはじめて呪詛師たちを捕らえた。その表情には苛立ちが感じ取れる。
これは
そして────。
「んじゃ、第2ラウンドってわけで」
この勝負もまた、疑いようもなく少年の「
彼の名は五条悟。
『六眼』と御三家が一つ、五条家の相伝である『無下限術式』を持った未来の最強である。
◇◇◇
場所を移動して呪詛師を一方的にボコった五条は、店で買ったアイスクリームを食べながら、またブラブラと歩き出した。脇には本屋で買った『コロコロ』が挟んである。
五条は適当なベンチを見つけ、そこに座り漫画を読み出した。
家に将来を有望される寵児とはいえ、彼もまだ子ども。
下ネタで腹を抱えて爆笑できるお年ごろだった。
「ハァ〜…オモロ」
ソフトクリームを食べ終わった五条は、視線は漫画雑誌のままに、ジュースを買いに向かった。
自販機の前につくと、人さし指を漫画の間に挟ませ、反対の手でポケットに入っている小銭を取り出し、自販機に投入する。
飲み物は少し迷い、冒険することにした。
取り口から出てきたのは200mlのうめ味のジュース。キャップを開けて、一口飲む。
「すっっ〜〜…!!」
レモンとは違うすっぱさ。口をすぼめた彼は天上をあおぎ、飲み込んでから目を見開く。
コイツはちょいと、悟くん6歳の口には早かったらしい。残りは帰ったら使用人の誰かにあげるとして、ポケットに突っ込んだ。自分はまた新しく買ったいちごジュースを飲む。五条は感嘆の息をこぼした。
「ん?」
脳内で、原稿用紙1枚に及ぶいちごジュースの感想をつづっていた彼は、少し離れた場所で
街の景観のため植えられた木々の後ろ。ちょうど日陰になっているその部分に、呪力の動きがあった。サイズはとてつもなく小さい。蝿頭かとも思ったが、呪霊の呪力にしては少し違う。
──いや、そもそも、蝿頭程度(一般人の認識でいえば、道端に落ちている落ち葉)に彼の意識が持っていかれるわけがない。
気になった五条は、その呪力の元に近づいた。
「虫ィ? いや……」
ムカデの形こそしているが、ふつうのムカデのような赤らんだ色はなく、全身が真っ黒である。
黒い虫は蝿頭に巻きつき、その口で食らっていた。
(…呪霊と違って、肉体の組成が完全に呪力というわけじゃない。これは………血液か?)
見立てが正しければ、先ほど感じた「含んでいる」の正体が血液のはずだ。
五条は六眼で虫の呪力を観察する。少量の呪力は、かなり特徴的だった。
食われた蝿頭の呪力はこの呪力とは別に、体の中に溜められている。
(「虫を操る術式」ってのは確かか。虫に呪霊を捕食させてどうする気なんだ? ……働きバチとかアリみてぇだな。…………まさか、エサ?)
虫が動き出した。五条は周囲を見渡し、同じ呪力の虫を発見してから、先ほどの仮説を確かめるためムカデの虫を靴でつぶした。
純粋な呪力の塊でないなら、この虫は非術師にも見えるのだろう。
お化けが白いスーツをかぶってうろつくようなものだ。
「…やっぱり、血か」
白い運動靴の裏に、赤黒い液体が付着した。
地面に少量の血が広がる。呪力は霧散していった。
「さて」
気になったものをそのまま放っておくのは性分に合わない。
ソイツの力が雑魚だとしても、術式の力には興味があった。
◇◇◇
五条は別の虫を見つけ、その後を追った。
虫自体は五条に追われても気にした様子がない。ということは、術者と感覚が共有されていないのだろう。あるいは虫の数によってその精度が変わるのか。
虫自体はひとつの目的に沿って行動している。「呪霊を捕食する」という目的である。
五条は試しに、抑えていた呪力を発散させた。非術師よりも少し多い範囲で。
這っていた虫は固まると、触角を左右に動かす。
(……おっ、また動き出した)
なるほど。虫は呪霊と非術師を見分けることができるらしい。ならばと、徐々に出す呪力を多くしていくと、一定値を超えてから硬直し、完全に動かなくなった。
呪力量を抑えると、また動き出す。
(格上には文字どおり、手も足も出ないってことね。捕食できるのは蝿頭レベルだな)
大まかな力は把握できた。五条の見立てが正しいなら虫の術者は、「血液から虫を生成し、なおかつ呪力を自分のエネルギーに変えられる術式」を持つ。
「虫………虫の術式ねぇ」
目的の場所に近づく。
五条は顔を顰めた。虫の呪力は原液を薄めていたようなもので、本体の呪力はかなり禍々しい。それこそ呪霊に近い。その原因はまず間違いなく、呪霊を栄養にしているせいだろう。
ただ、単に禍々しいわけでもない。
厳かというか、眩しいというか、別の感じもする。
総合すると、酔いそうになる呪力だった。「酔う」は酔うでも、船酔いとか車酔いの方ではなく、酒の方の──まぁ、五条は酒を飲んだことは当然ないので、これは完全に感覚的な話になる。
「蒼い………目?」
そして、そこにいたのは、彼よりいくつか年上と思しき子どもだった。
顔の半分以上を前髪で隠しており、髪は耳より少し下ほどで、左右非対称の長さだった。一か所長めの束もある。美容院や床屋に行っているはずなら、まぁこうはならない髪型だ。黒い髪も遠目から見てかなり痛んでいた。
服はサイズの合っていないぶかついた長袖に短パンで、全体的にかなり細い。彼よりは間違いなく肉つきが薄い。
その服もよれよれだった。まるで何年も使いまわしているような。
背負っている
五条は『彼』を見て、あまり恵まれた家庭ではないのだろうと察した。
まぁ、それがなんだという話ではあるが。彼からすると。
「お前…一応確認するが、この虫を操っているやつで合ってる?」
五条は捕まえていた黒い虫を見せる。
向こうは息を詰まらせら後、小さく頷いた。
「フーン。コイツを戻すところ、見せてよ」
「……その前に、あなたは誰? …その、多分、呪師なんだろうけど…」
「『術師』の知識は持ってるわけね。じゃあ『術式』は?」
「……知ってる」
「術師の誰かから教えてもらった感じ?」
「………うん、そんなところ」
さくらはナナミンから教えてもらっているので、間違ってはいないだろう。合っていない可能性もあるにせよ。
昔の先生の方は教えてもらった内容をほぼ覚えていないので、彼女的にはナナミンが先生であり、辞書だった。
「そいつの名前は? 術式の力は? 高専の関係者か? もしそうでないなら──」
「ちょっ、ちょっと待って!! ど、どうしてそこまで教えなきゃいけないの!?」
「そりゃ当然。お前の先生が、呪詛師の可能性があるからだよ。ちなみに真実を語ることをおすすめしとくよ。調べりゃすぐにわかるから」
「………話さないって言ったら?」
「ちょっと、痛い目を見るかもね」
五条がそう言った瞬間、『彼』の背後から空を切る音がし、小さな物体が横切った。反応することができなかったさくらは、痛みを感じ頬を押さえる。
手のひらを見れば、血がついている。「へぇ」と言った少年の手には、いつのまにか小石が握られていた。
(物体を……動かした?)
「なるほど。虫は血液でできている。んで、帰る時は?」
「っ……!!」
『彼』は両手でケガをした頬を押さえながら後退し、五条は虫を投げる。
さくらの足もとに落ちた虫は、主人の命令を遂行するため白い足を登り、傷口の中に潜り込んだ。
六眼で視た呪霊の呪力は確かに、『彼』の呪力に混ざった。
そして、五条でも目を凝らしてギリギリわかるか否かな、本当に微細な量。不安定に放出されている呪力の量が増えた。
「呪霊…それか、呪力を摂取すると、自分の呪力が増えるわけか」
「………」
「そう睨むなよ。つーか、傷口も治るわけか。『反転術式』……じゃねぇな、多分。人が使ってるところはまだ見たことねぇけど」
「はん……?」
「……うん、その
「………そのづけづけした感じ、君、絶対に友だちいないでしょ」
「そういうお前は絶対、学校じゃいじめられっ子だろ」
「ッ……」
「おっ、図星か?」
五条は唇を震えさせる相手を見て、意地悪く口角を上げる。
彼の名誉のために言っておくと、五条はその恵まれた力もあり、お家から相当に甘やかされている。また、呪詛師に狙われている都合上、小学校にはまず行けない立ち位置である。
つまり、本来子どもが学校を通じて培われていくコミュニケーション能力が、今の段階で大きく欠如している。
それらを踏まえ、自身に呪術を教えた術者のことが言えず、明らかに呪霊要素の強い、さらに『少年』を前にして、このような思いやりもクソもない態度を取ってしまうのはいたし方のないことだった。
「………」
涙を拭った『彼』は、拳を強く握りしめる。
さくらにできることは、自分を守ること。
逃げる────のは、おそらくできない。少年の発言と、あのどこからどう見ても特殊な目を察するに、呪力が
逃げてもすぐに自分の呪力を追われて捕まる。
ならば、戦うしかなかった。
さくらは頭をまわす。逃げるなら、どうすればいいか。
(────そんなのわからないよナナミン!!!)
実践経験などゼロだ。ついでに腹が死ぬほど減っている。頭にまわす栄養が足りない。
拾ったガラスで手首を切った『彼』に、五条は「戦う意志アリ」と判断し、無下限を発動させた。
戦いはしかして、一方的なものだ。
さくらはナナミンに虫を使うように言われた。「使うって何!!?」と思いながら、噛みつかせて怯ませればよいのかと、路地裏を逃げながら五条の周囲に這わせた。
だが、やはりあの目は呪力を察知できるようで、虫の呪力に気づかれすぐに倒される。
「正直に言えば、痛い目には遭わねぇって言ってんだろ!!」
「お前になんかいうもんか!! 若白髪ッ!!!」
「白髪じゃねぇ地毛だ!! この陰気根暗!!」
追って、追われて。その追う側は、赤ん坊の這い這いを追うかのような心境で後ろを追っている。
正直、力量が違いすぎる。それこそ五条なら術式なしで、簡単にボコせてしまう。
ただ向こうと接触した時に虫に噛まれる可能性が高いため、五条は術式を使いながら追っている。彼は虫に「毒」があることも視野に入れ、動いている。
「ハァ……ッ」
さくらの体には無数の傷ができていた。飛来してくる石が腕や足に当たってできたものだ。
「…このままじゃ埒があかねぇか」
五条がそう呟いた直後、『彼』のふくらはぎに鈍痛が走った。大きめの石が当たり、『彼』は転倒する。
ふくらはぎを押さえ丸まる『彼』のすぐ正面に、五条が見下ろす形で立った。
「とっとと答えろ。後ろめたさがなけりゃ、答えられるはずだろ」
「………う」
「泣いたら俺が同情して、逃がしてくれると思うなよ」
「………」
さくらは唇を噛みしめる。まったくもってその通りだ。
だから涙は堪えなければならない。それでも、熱くなる目頭を押さえることはできなかった。
「おまえ、なんかっ……死んじまえ、クソッ…!!」
「…俺、そういう雑魚が吐く言葉、きらいなんだよね。負け惜しみとか、捨て台詞っていうの?」
術者の力は、生まれ持った術式に大きく左右される。そこに呪力量が付随し、そこからさらに才能を伸ばす力が必要となる。
見たところ、『彼』は術式に恵まれている。その術式によって、呪力量も伸ばすこともできる。
ならば欠けているのは、その力を伸ばす努力だ。
この「努力」を怠る弱者が、五条からすると一番不愉快だった。
おそらく、呪霊を捕食しているところから見ると、呪力を伸ばす努力はしている。
だが、圧倒的に呪力コントロールやフィジカルの研鑽が足りない。これでは
「強くなりてぇんだったら──」
五条の手が、『彼』の襟首をつかむ。
「中途半端に努力してんじゃねぇよ!!」
術式、そして呪力が備えられるなら、自分に足りない部分を補え。
五条がそう叫んだ次の瞬間、相手の手が振るわれた。
彼の頬を叩こうと振るわれたそれは簡単につかまれ、逆に『彼』が腹に拳を入れられてうずくまることになった。
「……チッ、もういいわ」
堕ちそうだというなら、手を差し出す。なぜなら五条は「差し伸べる」側であるから。
それに向こうも「助けてほしい」という雰囲気が滲み出ていた。そのSOSに気まぐれに、手を伸ばしてしまった節も否めない。
結局のところ、五条の手を振り払ったのは向こうだ。立ち上がった彼は、踵を返す。
「なな、みっ……」
後ろから聞こえた名前と思しきものに、五条は足を止め、振り返った。
「ななみ」────それが、この『少年』に術師の知識を与えた人間なのか。
「っ」
そこで一瞬、五条の息が詰まった。倒れた『彼』の長い前髪が地面に流れ、片目が見えた。今にも閉じそうな濡れたまぶたの奥に、紅い、血のような瞳がある。
そのままその瞳は閉じ、『彼』の体も弛緩した。どうやら気を失ったらしい。
前髪がズレてようやくわかったことだが、この『少年』の顔は五条ほどではないものの、かなり整っていた。まるで作りもののような、人形のごとき無機質な印象を受ける。
「………」
五条はそこから立ち去り、数十メートル歩いたところで立ち止まる。
それから短い髪の頭をかき、「だぁー!!」と叫んで、早足で元の場所に戻った。
「あと味が悪いんだよ!!」
放っておいても構わない。それこそ大人の呪詛師だったら、然るべきところに連絡だけして去る。
しかし、相手はランドセルを持っていた子ども。自分より年上だろうが、おじさんの短パンと違い、その背徳的な細いショタ生足をさらしても全然許される子どもなのだ。
「ランドセルを調べりゃ、身元につながるものは出てくるか」
五条は自分と『少年』が出会った場所に戻り、室外機の上に置きっぱなしだったランドセルを取りに向かった。
それを回収してから倒れている『少年』のところに戻り、その横で漁り出す。
ランドセルにはいたるところが傷だらけだ。『バーカ』と鋭いもので掘られたようなところもある。革が黒いためその文字は読みにくい。
中はボロボロの教科書やノート類の前に、テープで補強された折れた下敷き、鉛筆や消しゴムが小さなポリ袋の中に包まれて入っていた。
五条の中で、大家族もののテレビの内容が過ぎる。家が貧乏なのは確かだ。経済力の質や陰気くさい容姿、何よりこの紅い目がいじめのネタになっているのだろう。
「俺より3つ上か、コイツ。そしてこれが、学校の教科書……」
数秒ほどまじましと算数の表紙を見つめた五条は、裏返して名前を確認する。
「『さくら』? 男にしちゃあ、随分と女っぽい名前だな…」
桜の季節に生まれたから、この名前になったのかもしれない。
ノートの文字はかなり綺麗だった。
連絡帳はその日に必要な持ち物などが書いてあったが、参考になりそうな情報はなかった。
五条は出していた中身を戻し、ランドセルの手前ポケットを開いた。
この『少年』は文房具を袋に入れている割には、手紙をグチャッと入れるタイプではないらしい。
学校からのお便りを確認し、通っている学校の名前を確認した。これで概ねクリアである。
あとは家で調べさせれば、情報はすぐに出てくるだろう。
一旦コイツを持って帰るとして、呪詛師が関わっている場合は、高専に渡してしまえば問題ない。あとは向こうが適当に処理する。
どのみち、戦闘の不慣れさからして、人を殺したことはないはずだ。あったらまぁ、自業自得ということになる。
五条は自分よりひとまわり以上大きな体に腕をまわし、おんぶした。
「……軽ッ」
思った以上に軽い。普段からちゃんと食っているのかと疑いたくなる(これでも昼だけで、給食5人前は確実に食べている)。
「えっ?」
なにか────五条の背中に、柔らかいものが当たった。
固まった五条は、今日一番の隙をさらした。ぎこちない動きになった彼は、一旦背負っている体を下ろす。
横にした相手の上は、体に合っていない大きなサイズのせいで、そこだけ見ると体型がわかりにくい。
ただ、柔らかいものが当たったのは事実で。そう、それこそ男にはまずないはずの。
「………名前も『さくら』だったけど……?」
混乱していた彼は、簡単にわかる方法を取ってしまった。
悟空がパンやブルマにした方法である。
「タ……タタタ……タマがねぇ!! チンも!!!」
五条は尻もちをつき、おったまげた。