ご注文はうさぎです!Re   作:新生兎丸

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1.対お姉ちゃん用決戦兵器、通称チマメ隊

 「今日はありがとね。ジンが来てくれたお陰で、なんとか乗りきれたわ」

 

 並んで皿を洗うシャロの横顔には、隠しきれない疲れが滲んでいた。

 

 今日のフルール・ド・ラパンは、まさに戦場だった。俺はたまたまラビットハウスの非番が重なり、緊急の助っ人として駆り出されたわけだが……正直、これほどハードだとは思わなかった。

 

 「それにしても、よく男用の制服なんてあったな。それにも驚いたよ」

 

 俺が袖を捲り上げたベストに視線を落とすと、シャロは少しだけ口角を上げた。

 

 「店長が『万が一の時のために』って用意してたのよ。サイズがぴったりで助かったわ。…………似合ってるし」

 

 最後の方は少しだけ声が小さくなったが、彼女はすぐに調子を取り戻して続けた。

 

 「でも、あなたって本当によく働くのね。私より無駄のない動きをしてるから、なんだか負けた気分だわ」

 

 「別に勝ち負けを競ってたわけじゃないだろ。それに、シャロだって十分すぎるくらい動いてたじゃないか」

 

 俺が励ますように言うと、彼女は「それはそうだけど……」と、まだどこか腑に落ちない様子で、濡れた皿を丁寧に拭き始めた。

 

 まったく。

 

 相変わらず、自分に対してどこまでもストイックなやつだ。

 

 「……そんな顔するなって。お陰でこっちは、シャロの仕事に対する姿勢を改めて尊敬したんだからさ」

 

 俺がそう付け加えると、シャロの手がぴたっと止まった。

 

 彼女は一瞬、目を丸くして俺の方を向いたが、すぐに視線を皿に戻した。

 

 「な、なによ急に。……尊敬だなんて、そんな大層なものじゃないわよ」

 

 「いや、本当だよ。これだけ忙しいのに、接客の笑顔も絶やさないし、気配りも細かいし。俺なんか自分のことで精一杯だったからな」

 

 「それは……仕事なんだから当たり前でしょ。妥協はしたくないの」

 

 そう言って、彼女は少しだけ誇らしげに顎を引いた。

 

 つつましい生活を送りながら、特待生として学業とバイトを両立させている彼女だ。そのプライドの高さは、彼女が積み重ねてきた努力の裏返しでもある。

 

 「ま、そういうところがシャロらしいんだけどな」

 

 俺が苦笑いしながら最後の皿をラックに置くと、シンクに溜まっていた泡を水で流した。

 ようやく一段落だ。店内からはもう客の気配はなく、夜の静寂がゆっくりと店内に満ちていく。

 

 「……ジン」

 

 不意に、シャロが小さな声で俺の名前を呼んだ。

 

 「ん?」

 

 「今日は、本当にありがとね。ここで働いてる方が様になってるんじゃない?」

 

 悪戯っぽく微笑む彼女の瞳には、先ほどまでの疲れは消え、いつもの凛とした輝きが戻っていた。

 

 「もしかして俺、スカウトされてる?」

 

 冗談めかしてそう言うと、シャロは呆れたように肩をすくめた。 

 

 「あなたをラビットハウスから引き抜いたりしたら、チノちゃんとココアになんて言われるか分かったもんじゃないわ。想像するだけで恐ろしいわよ」

 

 「はは、大袈裟だな。別に俺一人抜けたところで、あそこの戦力に大きな穴は開かないって。現にチノとリゼだけで店を回してた時期だってあるわけだし」

 

 謙遜のつもりだったが、シャロはなぜかカチンときたのか、洗ったばかりの手を止めて俺を真っ向から睨んできた。

 

 「そういうこと言ってるんじゃないわよ。……ったく、あなたみたいな朴念仁に説明しても無駄ね」

 

 「解せぬ……」 

 

 納得がいかない俺を置いて、シャロは「さっ、これでおしまい!」と強引に話を切り上げた。

 

 「後片付け終了。お店を閉めて帰りましょう」

 

 彼女はそう言い残すと、着替えのために更衣室へと消えていった。

 

 俺は独り残されたホールで、客の忘れ物がないかテーブルを一つずつ見て回る。静まり返った店内に、自分の足音だけが響く。

 

 と、その静寂を切り裂くように、更衣室の方から短い悲鳴が上がった。

 

 「ひゃああああああ!?」

 

 「――っ!?」

 

 咄嗟に駆け出す。

 

 更衣室のドアの前まで来ると、中からバタバタと何かが倒れるような音と、尋常じゃない動揺を含んだ叫び声が聞こえてきた。

 

  「シャロ!? どうした、大丈夫か!」

 

 声をかけようとした、その瞬間。

 

 勢いよくドアが開き、中から飛び出してきた影が俺の胸元に飛び込んできた。

 

 「う、うさぎ……! うさぎがあぁぁ……っ!」

 

 しがみついてきたシャロは、涙目でガタガタと震えていた。

 

 だが、それ以上に動揺したのは俺の方だ。

 

 今の彼女は着替えの真っ最中。薄い下着一枚の姿で、無防備に俺の体に抱きついている。柔らかい感触と、石鹸の香りが鼻腔を突く。 

 

 当の本人は、パニックのあまり自分が今どんな格好で、何をしているのかさえ自覚していないようだった。

 

 「シャロ、落ち着けって……!」

 

 「無理! 絶対無理! あそこに、あそこに居るのよ!」

 

 彼女が怯えきった様子で指さす先、更衣室の隅に目を向ける。

 

 そこには、小さな茶色の毛玉がちょこんと座っていた。迷い込んだのだろうか、野良の……いや、どこかの飼い主から逃げ出したような、人懐っこい目をした雑種の仔うさぎだった。

 

 うさぎは俺たちの混乱なんてどこ吹く風で、驚くほど軽快な足取りで床を蹴った。

 

 あろうことか、器用に前足で半開きの扉を押し開けると、そのまま夜の街へと消えていく。

 

 「……随分と器用なうさぎだな。っていうか、一体どこから入り込んだんだよ」

 

 客が出入りしている隙にでも、紛れ込んでいたんだろうか。

 

 嵐が去った後のような静寂がホールに広がり、俺はふうっと息を吐いて肩の力を抜いた。

 

 だが、すぐに気づく。

 腕の中に、まだ熱が残っていることに。

 

 「……あ」

 

 恐怖の対象がいなくなったことで、ようやくシャロの震えが収まり始めていた。

 

 それと同時に、彼女の意識がうさぎから現状へとスライドしていくのが分かった。

 

 俺の胸に押し当てられた柔らかな感触。

 

 露わになった白い肩と、下着越しに伝わってくる彼女の鼓動。

 

 「……え」

 

 シャロが小さく声を漏らす。

 彼女の視線が、自分を抱きとめている俺の腕、そして自分の格好へとゆっくり落ちていった。

 

 一秒。

 

 二秒。

 

 みるみるうちに、彼女の顔がおもしろいまでに真っ赤に染まっていく。

 

 「……な、な、な、な……っ!!」

 

 「あ、いや、これはシャロが自分から……」

 

 「ななな、何見てるのよこの変態ぃぃーーーっ!!」

 

 凄まじい衝撃とともに、俺の胸に渾身の裏拳が叩き込まれた。

 

 「ぐふっ………!?」

 

 悶絶する俺を置き去りにして、彼女は爆発でもしたかのような勢いで更衣室へと逃げ帰り、中からこれ以上ないほど激しくドアを閉めた。

 

 カチリ、と。

 

 わざわざ鍵までかける音が、虚しく店内に響き渡った。

 

 「…………くっ……良いパンチだ……」

 

 俺は鈍痛の走る胸を押さえながら、一人、夜のホールで天を仰いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご、ごめんなさい……」

 

 秋風が吹く帰り道、シャロが消え入りそうな声で口を開いた。

 

 さっきまでの勢いはどこへやら、今は一歩後ろを、顔を伏せながらトボトボと歩いている。

 

 「いや、まあ……災難だったな。まさか店内にうさぎが入り込んでるなんて思わないし、パニックになるのも無理はないよ」

 

 俺がなるべく平穏なトーンで慰めると、彼女は「うぅ……」と唸ってさらに肩を窄めた。あの時の感触が脳裏をよぎりそうになるのを、俺は必死に深呼吸で押し殺す。

  

 その時、シャロのポケットで軽快な着信音が鳴り響いた。

 

 彼女が戸惑いながら携帯を取り出すと、画面には『ココア』の文字。

 

 『シャロちゃーん! 助けて、テスト勉強手伝って~! 全然頭に入ってこないの!』

 

 スピーカー越しでもはっきり聞こえるほど元気な声に、シャロは思わず眉をひそめた。

 

 「ちょっと、出るなり何よまったく……。今はバイト帰りなの、少しは落ち着きなさいよ」

 

 いつもの調子で説教を始める彼女の横顔を見て、少しだけ安心する。

 

 二人の騒がしくも微笑ましい会話に耳を傾けていると、今度は俺のポケットでもバイブレーションが震え出した。

 

 「おっと……」

 

 歩きながら携帯を取り出し、画面を確認する。

 

 表示されていた名前は――『千夜』。

 

 甘味処「甘兎庵」の看板娘であり、シャロの幼馴染。

そして、こういう時に彼女から連絡が来る時は、大抵ろくでもない……いや、非常に個性的な提案が含まれていることが多い。

 

 「もしもし、千夜?」

 

 俺が電話に出ると、受話器の向こうから、おっとりとした、けれどどこか楽しげな声が聞こえてきた。

 

 『ジンくん、良かったら私のお家で勉強会しない?』

 

 耳元に届く千夜の声は、相変わらずどこか遠くを見つめているような、おっとりとした響きだった。

 

 「いや、俺が行ったところで教えられることなんて限られてるし……」

 

 『ココアちゃんが、ジンくんにどうしても来て欲しいみたいなの。ね? ココアちゃん』

 

 『ち、千夜ちゃん!? そんなこと言ってないよぉ!』

 

 電話の向こうから、慌てふためくココアの叫び声が聞こえてくる。

 

 ふと横を見ると、シャロの携帯からも全く同じ声が漏れていた。どうやらココアは今、甘兎庵にいるらしい。二つの端末から時間差で聞こえてくるココアの声に、頭が少しこんがらがってくる。

 

 「テスト勉強なら一人でやった方が集中できるだろ。それにシャロも行くなら、あいつは教え上手だし百人力じゃないか」

 

 「……いつの間にか私が行くことになってるんだけど」

 

 隣でシャロがジト目を向けてくる。だが、千夜はそんなこちらの事情などお構いなしに、さらに声を弾ませた。

 

 『そう……? 残念だわ。私も、ジンくんに来て欲しかったのだけれど……ふふっ』

 

 語尾に混じる含みのある笑い。

 

 これだ。

 この何かを企んでいる時のトーン。

 

 「モテる男は大変ね」

 

 シャロが呆れたように鼻を鳴らす。

 

 「いや、絶対俺のことを新しいメニューの試食係か何かにするつもりだって……」

 

 向こうに聞こえないよう、小声でシャロに耳打ちする。

 

 「とにかく、俺は行けない。悪いな」

 

 『分かったわ。残念。……ごめんね、ココアちゃん』

 

 『な、なんで私に謝るのぉ!? 変な誤解が生まれちゃうよぉ!』

 

 電話の向こうで繰り広げられる漫才のようなやり取りを察して、俺はそっと通話終了のボタンを押した。

 

 「……賑やかだな、あいつらは」

 

 「振り回されるこっちの身にもなってほしいわ」

 

 そう言いながらも、シャロの表情からは先ほどまでの沈んだ空気は消えていた。

 

 帰り道に、俺たちの足音だけが再び響き始める。

 

 「じゃあ、俺はここまでだ。シャロ、勉強会頑張れよ。あんま夜更かしするなよ」

 

 「……言われなくても分かってるわよ。ジンも、今日は本当に助かったわ」

 

 彼女は小さく手を振ると、甘兎庵の方へと向かって歩き出した。

 

 その背中を見送りながら、俺はふと、パニックになっていた彼女の姿を思い出し、苦笑しながら家路についた。




ここまで読んでいただきありがとうございます!

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