ご注文はうさぎです!Re 作:新生兎丸
「まさか、こんな大雨に見舞われるとはな」
「……ですね。でも、店の近くまで帰ってきた時で良かったです」
チノの部屋に上がり込んだ俺たちは、互いに手にしたタオルで濡れた髪を拭いていた。
二人で付き合い始めてから、ちょうど三ヶ月。
今日のデートは文句なしに楽しかったのだが、最後の最後でツイていないことにゲリラ豪雨の直撃を受けてしまった。すぐ目と鼻の先がラビットハウスだったのが不幸中の幸いだが、それでも二人してすっかりびしょ濡れだ。
ポタポタと髪から滴る水滴を気にしつつ、俺はチノに向かって声をかける。
「チノ、先に風呂に入ってきなよ。その間に俺も自分の部屋に戻って、着替えとか風呂の準備をしてくるからさ」
「はい。ありがとうございます、ジンさん。では、お先に失礼しますね」
素直に頷き、タオルを肩に掛け直したチノが部屋のドアへ向かって歩き出す。俺も彼女のあとに続こうとした、その時だった。
扉の手前で、チノの足がぴたりと止まった。
「チノ……?」
不思議に思って尋ねると、彼女は振り返らないまま、ぎゅっとタオルの端を握りしめた。
「今日……お父さんはご友人と食事に行っていて、ココアさんも千夜さんの家にお泊まりなんです。だから、今夜のラビットハウスには誰もいません」
「え……? ああ、そうか」
「ふ、二人っきりなので……だ、だから、その……えっと……」
背中越しでも伝わってくるほど、彼女の耳たぶがみるみる真っ赤に染まっていく。チノは意を決したようにゆっくりと振り返ると、上目遣いに俺をじっと見つめてきた。
「いっ、一緒に入りませんか……?」
外で激しく打ちつける雨の音を跳ね返すくらい、俺の心臓が大きな音を立てた
「い、一緒に!?」
思わず声が裏返り、俺は情けなく素っ頓狂な声を上げてしまった。
「そ、それは流石にマズイというか……いくら二人きりだからって、年頃の男女として色々と……!」
あからさまに動揺する俺の言葉を遮るように、チノは胸の前でぎゅっと両手を握りしめ、必死の面持ちで声を張り上げた。
「み、水着っ! 二人で水着を着て入れば問題ありません! それなら……この前プールに行った時となんら変わりありませんよね!?」
「ま、まあ、確かに水着を着てるなら露出としてはプールと同じかもしれないけど……。でも、それならまた今度、晴れた日にプールへ行けば良いんじゃないか?」
必死に理性を保とうと正論を口にする俺に対し、チノは言葉を詰まらせた。
「それは……! そうっ……ですけど……」
ぐっと視線を泳がせ、真っ赤になった顔を隠すように俯いてしまう。そして、雨音にかき消されそうなほど小さな声で、ぽつりと胸の内を明かした。
「……ほんのちょっとの時間でも、ジンさんと離れたくなくて……」
消え入りそうな声で紡がれたその一言が、俺の胸をダイレクトに撃ち抜いた。俺の彼女は、一体どこまで可愛くなれば気が済むのだろうか。
深呼吸をひとつ吐き出し、俺はあふれ出そうな愛おしさを何とか抑え込んだ。こんな顔をされたら、断れる男なんて世界中に一人もいるはずがない。
「……わかったよ。じゃあ、水着に着替えて速攻で戻ってくるから」
「……! はいっ」
パッと花が咲いたような笑顔を見せたチノに背を向け、俺は一度自分の部屋へ駆け戻った。
引き出しから夏場に使っていた海水パンツを取り出し、素早く着替える。上にシャツを羽織り、首にタオルを巻き直して脱衣所へ向かうと、そこには既に水着姿の上に大きめのバスタオルを羽織ったチノが待っていた。
お互いに視線を泳がせながら脱衣所で上着を脱ぎ、引き戸を開けて浴室へと足を踏み入れる。湯気で白く煙る空間には、たっぷりとお湯が張られていた。
自宅で水着を着て風呂に入るという奇妙な感覚と、目の前にいる可愛らしい彼女の存在感に、俺の顔もチノに負けないくらい熱くなっていく。浴槽のふちに腰を下ろし、ゆっくりと二人で湯船に体を沈めた。
「……二人で入ると、ちょっと狭いな」
「そう……ですね。でも、すごく温かいです」
足を軽く折りたたむようにして並んで座ると、チノがおずおずと距離を詰めてきた。お湯の中で、彼女の肩が俺の腕に触れる。
外では相変わらず激しい雨音が響いているけれど、湯船の中はどこまでも穏やかで、優しさに満ちていた。冷え切っていた体がじんわりと解けていくのを感じていると、チノが意を決したように俺の顔を見上げてきた。
「ジンさん……手……繋いでもいいですか?」
「……もちろん。わざわざ断ることでもないだろ。付き合ってるんだからさ」
「っ……そ、それもそうですね」
俺が手を差し出すと、チノの小さくて柔らかい指先が、お湯の中でそっと俺の手を包み込んだ。水圧越しに伝わってくるそのぬくもりが、雨の日の特別な時間を静かに満たしていった。
お湯の中で繋いだ手のぬくもりが心地よくて、俺は深く息を吐き出した。外で叩きつける激しい雨音が、まるで二人だけの小さな世界を守ってくれているかのように響いている。
「ジンさん」
湯面に小さな波紋を立てながら、チノが静かに呟いた。
「付き合い始めてから……今日でちょうど三ヶ月ですね」
「ああ、そうだな。なんだかあっという間だった気がするよ」
「……私、あの日のことを思い出していました」
チノはどこか遠くを見るような目をしながら、恥ずかしそうに頬を緩ませた。
「私から……ジンさんに好きですって告白した、あの日のことです」
「う……それを言われると、正直今でも男としてちょっと照れくさいんだけどな」
あの日の光景が鮮明に脳裏に蘇る。夕暮れ時のラビットハウスの裏手で、チノが小さな体を震わせながら、耳まで真っ赤にして胸の内を打ち明けてくれたのだった。自分から伝えるべきだったと今でも反省している俺に、チノはお湯の中で握る手に少しだけ力を込めた。
「そんなことありません。あの時、私……本当に緊張して、心臓が破裂しそうでした。でも、思い切って自分の気持ちを伝えて……本当に良かったです」
チノは上目遣いに俺をじっと見つめ、ぽつりと大切な言葉を紡ぐ。
「あの頃よりも……今のほうがずっと、ジンさんのことが大好きです」
「……チノ」
直球すぎる想いに、お湯の温かさとは比べものにならない熱が顔に集まっていくのが分かった。俺は反則級に愛おしい彼女の手を優しく握り返した。
「俺もだよ。あの時、チノが勇気を出してくれたおかげで……今、こうして隣にいられる。本当にありがとうな」
「ジンさん……」
チノは嬉しそうに目を細めると、お湯の中でそっと俺の腕に頭を預けてきた。伝わってくる彼女の体温と柔らかな髪の香りに包まれながら、雨の日の特別な夜は優しく過ぎていく。
チノは俺の腕に預けていた頭をゆっくりと起こすと、湯気で上気した顔でじっと俺の唇を見つめてきた。
「チノ……?」
「……ジンさん」
彼女はお湯の中で繋いだままの手を引いて、自分の顔を俺の顔へと引き寄せる。湯気に濡れた長いまつ毛が、微かに震えていた。
「お風呂で……水着を着て一緒に入るなんて、少し変わったデートですけど……」
言葉を区切り、チノは上目遣いのまま、少し照れくさそうに首を傾げた。
「……こういう日の仕上げって、どうするんでしたっけ?」
「仕上げ……?」
思わず問い返すと、チノは恥ずかしさを誤魔化すように俺の胸元へ額をこつんと押し当てた。
「……意地悪言わないでください。……ジンさんから、してくれないんですか?」
小さく不満そうに呟いたあと、チノはゆっくりと顔を上げ、すっと両目を閉じる。ほんの少しだけ突き出された、お湯と濡れた水滴に光る薄桃色の唇。
直球で「キスしてください」と言わないあたりが彼女らしくて、けれど破壊力は抜群だった。
俺の心臓が、本日何度目かわからない激しい鐘を鳴らす。これ以上我慢するのは、男として無理というものだ。
「……チノ」
そっと名前を呼びながら、俺は彼女の小さな顎に手を添え、優しく唇を重ねた。
雨音と湯気の満ちる小さな浴室で、お湯の温もり以上に熱い体温が、お互いの唇を通して静かに重なり合っていった。
ゆっくりと唇を離すと、チノはうっすらと目を開け、上気した顔で小さく息をついた。至近距離で見つめ合う彼女の瞳には、どこか甘えたような、けれど少しだけ拗ねたような不思議な光が宿っている。
「ジンさんは……キスも優しいですね」
指先でそっと自分の唇に触れながら、チノがぽつりと呟いた。
「『も』って……俺は普段そんなに優しいか? 自分じゃ普通にしてるつもりなんだけど」
苦笑交じりに問い返すと、チノはお湯の中で俺の腕を両手でギュッと抱きしめ、少しだけ身を乗り出してきた。
「はい。ジンさんはご自分が思っている以上に、みんなに優しいです。……たとえばココアさんにだって、普段は理不尽でそっけなく接しているように見えて、本当にココアさんが傷つくような言葉は絶対に言わないですし。なんだかんだ文句を言いながらも、無茶振りに最後まで付き合ってあげています」
「いや、あれはココアの押しが強すぎるからで……」
「それに、頭を撫でられたり抱きつかれたりするスキンシップだって、私より多いくらいです。同じ高校に通っている分、私より一緒にいて話している時間だって長いですし——」
チノはぷくっと頬を膨らませて、不満を隠そうともせずに言葉を重ねる。湯気のせいだけではない真っ赤な顔で、どこか責めるような、けれど愛おしくてたまらない視線を向けてくる。
「リゼさんやシャロさん、千夜さんに対しても、自分の貴重な時間を削ってまで困りごとを手伝おうとしてあげていますし……私の知らない間に、マヤさんやメグさんともすっかり仲良くなっています」
次々と挙げられる名前に、俺は完全にタジタジになってしまった。チノが日頃から俺の行動をそんな風に見ていたなんて、思いもしなかったのだ。自分の無意識の振る舞いをすべて把握されている照れくささと、そこに含まれたほんの少しの「焼きもち」が、たまらなく愛おしい。
「……全部、見てたんだな」
「当たり前です。ジンさんは……私の彼氏なんですから」
そう言ってチノは、俺の腕にしがみついたまま、照れ隠しのように俺の肩へ顔をうずめてきた。水着越しに伝わる体温と、雨の音に混ざる彼女の小さな息遣い。嫉妬すらもこんなに可愛らしく伝えてくれる彼女を、俺はもう一度強く抱きしめ返した。
どうか、この幸せな日々がずっと続きますように。
ここまで読んで頂きありがとうございます!
誤字脱字、不自然な箇所等ありましたら教えていただければ幸いです!
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