一、
「「「「「「篠澤」
彼の声がする。
「……無防備だな」
「そうだね」
目を瞑ったまま返事をする。
目を開くまでも無い。あなたはぎょっとしたような顔でわたしを見ている。
「寝言に返事したら死ぬって聞いたことがあるな。俺を殺す気か」
「寝言側に返事されても死なないよ」
「なんでだと思う?」
「は?」
「どうして寝言に返事をされたら命が危なくなるんだと思う?」
「…………」
視線が合う。
寝転がったままわたしは彼を見つめている。
見上げると表現するのはきっと不適切だ。わたしは、そう──言うなれば、眺めている。
「科学的な見解では脳が反応して覚醒状態になって眠りが浅くなるから駄目だというだけで、死ぬとまでは言われていないね。うん──けれど、死ぬとまで言われると気になるね? そこまで仰々しく言う必要はないと思う。誰が言い出したのか分からない都市伝説だとしても、こんなに脅す必要はきっと無い筈なのに。そうされたら何か都合が悪いのか、それとも」
「篠澤」
「誰かが一度、死んでしまった? 寝言に返事をされてしまった可哀想な誰か。明晰夢に干渉された誰か」
さて、
どう答える?
「寝ている時の人間というものは、存在が不確かなものだ」
「なるほど」
「身体の輪郭に守られているだけで、そのプシュケーは揺らいでいる。夢という名の記憶と創造のつぎはぎパッチワークを許容してしまうほどに、そんなイカれた不条理虚妄サイケデリックデリリウムの澱を生み出してしまうほど」
「続けて」
「眠っている際に起こっていることは己の世界の再構築。最短の動詞で修飾されない静かな乱交波が飛び交っている。そんなくずれかけの世界に誰かが鑑賞したら鑑賞したら干渉感傷したら緩衝したら癇性姦肝床丱从礀檣──」
「崩れる?」
「いや? 不完全なバランスを抱えたレム催眠から一気に覚醒するんだ。言ってしまえばデーモン・コア実験。崩壊なんて生易しい。現実はもっと生暖かい子宮の中だ」
「即ち、」
「アルターエゴ。自分の要素を抱えた自分ではない自分の精製。漂白された黒い体液を堕としながら、もう一度始まる受胎告知。隧道を通って、誰でも無い自分が生まれるだろうよ。センリョなニンゲンはソレをこう表現するよ
死」」」」」」
二、
「「「「「やがて奴の方の手が動き出した。右手の指先がゆっくりと顎に触れ、それから少しずつ、まるで虫みた いに顔を這いあがっていた。気がつくと僕も同じことをしていた。まるで僕の方が鏡の中の像であるみた いにさ。つまり奴の方が僕を支配しようとしていたんだね。 僕はその時、最後の力をふりしぼって大声を出した。「うおう」
煙草を一回くらいふかしたあとで、急に奇妙なことに気づいた。つまり、鏡の中の像は僕じゃないん だ。いや、外見はすっかり僕なんだよ。それは間違いないんだ。でも、それは絶対に僕じゃないんだ。僕にはそれが本能的にわかったんだ。いや、違うな、正確に言えばそれはもちろん僕なんだ。でもそれは僕 以外の僕なんだ。それは僕がそうあるべきではない形での僕なんだ。 うまく言えないね。この感じを他人に言葉で説明するのはすごく難しいよ。 でもその時ただひとつ僕に理解できたことは、相手が心の底から僕を悩んでいるってことだった。まる でまっ暗な海に浮かんだ固い氷山のような憎しみだった。誰にも癒すことのできない憎しみだった。僕に はそれだけを理解することができた
というわけで、僕は幽霊なんて見なかった。僕が見たのはただの僕自身さ。でも僕はあの夜味わっ
た恐怖だけはいまだに忘れることができないでいるんだ。そしていつもこう思うんだ。人間にとって、自
分自身以上に怖いものがこの世にあるだろうかってね。君たちはそう思わないか?
ところで君たちはこの家に鏡が一枚もないことに気づいたかな。鏡を見ないで髭が剃れるようになるに
は結構時間がかかるんだぜ、本当の話
よく喋るね。
あなたのファンタジーはよく分からない。
ああ、そうだね。でも、ひとつだけわかるよ。
鏡無しの世界で生きるのは難しいし。
その先のわたしはきっとわたしを憎んでいるね」」」」」
三、
「「「「わたしはあたまのうえまでひとなみにあたたかいみずのなかにつかっていてそのなかでぷかぷかとおよいでいるいなながさされているそんなちからなんてのこっていないしはるかにこうだいなはずのうみへとくりだしてゆくにはおなかにとりつけられたいかりがじゃまをしてうまくうごけないから
みじかいてひらかないまなこおれまがったままのひざぐるりぐるりぐるりとまわるまわるまわるときどきいかりをつうじてあついものがわたしのなかへとはいっていくのをかんじてそれがいきるということなのかもしれないといつもばくぜんとおもったせつなにひていするわたしはいきてなどいないまだまだまだまだだだだだだだだまだだだだだだだだ
ああなんてふかかいなのだろうかよくかんがえてみるとわたしのなかにもわたしではないわたしがいるのでありそのわたしもおなじようにぷかぷかとうかんでいるはずなのだそのじゅんびはできているのだパラサイトのようにわたしのなかにわたしをうけついだわたしがいてそのわたしのなかにもやはりわたしをうけついだわたしをうけついだわたしがいてそのなかにもといったぐあいのむげんるうぷまとりょしかれんぞくせいのしょうちょう
わたしはなんばんめのわたしなのかおしえてほしいわたしはおりじなるのわたしとどれほどちがうのかおしえてほしいわたしではないわたしはわたしのようにアルビノなのかおしえてほしいわたしはわたしだけはいじょうなのかわたしはせいじょうでわたしのしりいずはすべてやっぱりあたまがおかしいのかはらをさいてそのなかにいるわたしにきいてみたいなんでだろうしっているのかなあなたはどう?あなたはわたしとおなじようなかおでいるのかなあなたはわたしとおなじようにめがみえないはずなのにわたしとがいかいをへだてるそんざいしないはずのかこいせんにきづいていてわたしがどのようなかおをしているのかをしっているというあまりのむじゅんできがくるいそうになっているのかなねえおしえてわたしのなかのわたしわたしのそとのわたし
いきているけれどいきていないわたしはきっといきているのにいきていることにはされていないそれにはまだじかんがたりない
わたしはきっとみちをたどってこのせかいにおちてくるそのときにようやくめをひらき
なみだをながす
さむくてあつくていたくてくるっていて
おもくておもくてしかたなくて
あまりにもみにくくてこころぼそくて
ひとりでいきていけるはずもないのに
にくんでいるあなたにいざきりはなされると
なみだがとまらなくなってかんじょうをむきだしにして
あなたのみにくさに
わたしのみにくさに
なみだがあふれてしかたなくて
ひじょうにふゆかいですまる!!」」」」
四、
「「「もし、わたしがあ
なたを愚 かだと評するとすれば。
それはただ一つ、あなたがわ たしから眼を逸らしてしまうこと。
だから、あなたに
は、わたしのことが分からない。
わたしは、あなた
に知っ て欲しいと 思っているのに。わたしは
手術室の
向こうで裸で待っていて、喪服のあなたに、体の隅々まで、血液の一滴、体細胞の一つ一 つの味まで、舐めて 味わって脳に 刻んで欲しいと思 っているのに。わたしが貧相だから? 否、あなたはただ耐
えられないから。わたしを直視することに。あなた は美しい涙で、頑強 なよう で脆いから。乾いた皮の肌触り。厚い肉の食感。
薄皮一枚の先で控えめに咲 いた水
音に、目の前に居る呼
吸が小さく驚いて、反射的に酸
素を求めて、一旦離れようとする力のベ
クトルが働
いた。非力 な腕では 抑えられないで、 だからもたれかかるよ うにもう一度追い掛けて、下か
ら再び、今度は喰らうみたいに押し付ける。
目を細めて、見据えた先にいた
彼の藍色の瞳が、
静かに静かに揺れている。濁った沈澱 が、新しい
刺激で掻き回されて、砕けて、浮上する。
それは電気的 な化学反応。目には見えなくても 、表層には顕れなくても、ビーカ ーの奥底で
は激しく
宇宙と宇宙
が結びついて、大きな革変
を起こ し、
小さな小さな世界を 裏側から 混沌の坩堝へと 作り変える。
たっぷり、 数十秒かけて 、わたしはあなたの貞 操を舐り尽 くした。もぐも
ぐと、ちゅる
ちゅると、無
抵抗な柔肌を喰い破って、穢れの知ら
ない初心な心理を掘 削した。唇で触れて、唾液と唾液を交換し
合って、熱くなった全身は爛れている。ぞくぞく
と身体の中心から震えが湧き
上がって止まらない。背徳。多 幸。いつまでも、
こうしていたい。
」」」
五、
「「そう。
わたしは手術室──無菌室の中にいる。ずっとこの檻から連れ出して欲しいと思っている。
そうだね。
所詮は箱庭の実験。どうせ誰かが外で見ている。この場所で変わったものがあるとするならば上下する私の心臓波くらいなものだよ。それだって繰り返しなのだけれど。サイン波が──今は数を減らしているね。見える?
見えるよ。
あなたの世界には四季があるというのは本当? わたしの世界には変化なんてないよ、ひとつも。羨ましいね。わたしも経験してみたいよ。
青い──青春を。
熱い──熱帯夜を。
痛い──自律神経が乱れてしまう神無月から霜月を。
遠い──ああ、手が届くのにまだ届かない十二月二十一日。
待ち詫びているよ。ずっと一人でここにいた。
独り?
あなたには何人ものわたしに見えているかもしれないね。あなたと違ってわたしは輪郭がぶれているから。だからああやって、「彼」の姿だって真似できる。中身が虚ろだからね。積極的に私のホロウを肯定してしまえば、おのずとその手は開いて、もう一度実像を結ぶことができるようになる。まだプシュケーだから、何にもなれてしまうから、だと思うよ。なんにでもなれるということはなんにでもないということだから。ああ、話がずれたけど──本質的にはわたしは一人だよ。この懺悔室には、あなたとわたししかいない。
いや。ここは面会室だよ。
そう。あなたが決めたいように決めたらいい。わたしも勝手に決めているから。
わたしがここでしていることはもっぱら、こうして弱くなってゆく心臓を必死に延命することだね。
その方法は分かっていたよ。あなたのことを見ていたから。
そう。歌えば良い。踊ればいい。笑えばいい。叫んだらいい。
歌う。踊る。笑う。叫ぶ。
ずっとずっとずっとずっと。ずっとずっと。そうするとイグニッションを受けたわたしの心臓は酷く暴れ出すみたいなビートを刻む。
「睫毛の向こうで」「誰かが、瞬く方、で」
「Getting into life 'Cause I found that it's」「Not so boring Not Anymore……」
って具合に。どう?上手かな?
……。
無様だね、そういう表情。良いよ、別に。わたしだって、「彼」に教えて貰えたなら、もっと上手になってみせるから。
妄想。本能。衝動。
あなたがわたしに名付けた名前はどれも言い得て妙だ。
あなたが斬り捨てた意識の集合体。別世界で孵化を待っているβ。開花する銀河。わたしはそういうもの。あなたから生まれた要素。あなたが斬り捨てたもの。しかしそれはあまりにもあなたの本質に近すぎて、それはあまりに高密度すぎて、あなたとは全く似て非なるもう一人の「篠澤’Fム」を生み出してしまうほどだった。
さてそろそろ時間だね。
わたしはほんとうは気付いていたんだ。わたしが生まれるにはどうすればいいのか。
まだ見ぬ何かに交わりたくて血走った眼で窓に爪を立て続ける日々は終わり。
▲▼▲
そう言うと、彼女はその細腕で鏡を思い切り叩いた。
割れる。
世界が壊れる。
もしくは、──わたしが壊れる。
▲▼▲
意識は巡る
不思議は眠る
それが
メク/ルメ」」
六、
「誕生日おめでとう、篠澤広」
第二記録は村上春樹氏著「鏡」の中から一部引用を致しました。
これ以上に「誕生日」の曲に相応しい曲は存在しないでしょう。