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死神、と一口に言ってみた時に、多くの人間にとってまず第一に脳裏に思い浮かぶだろうイメージは、きっと手に大鎌を持ち、黒尽くめのローブを羽織った、真っ白い骸骨の姿であるだろう。
ある種のパブリックイメージと言っていい、あるいはいっそ使い古されたステレオタイプでさえある『死神』のイメージだけれど、これの起源は意外なことにそう古くはない。
いやもちろん、それなりには古いのだけれど——欧州においては中世に確立された表現なわけだけれど、しかしたとえばそれこそ紀元前からさえ脈々と受け継がれるような、いわゆる『神話』の神ではない。
神話の神でもないし、聖書の神でもない。
死神は、死神でしかない。
振り返れば中世暗黒時代——その時代を暗黒、だなんて名付けられるほど、現代が光に満ちているかといえば必ずしもそうとはいえないだろうけれど、ともかく。
中世のヨーロッパでは当時——ペストが流行していた。
黒死病——日本語においてもど真ん中に『死』の文字が重々しく刻まれていることから分かるように、ペストと言う病気は致命率が非常に高い。当時の欧州ではまだ衛生観念と言うものが未発達であったこともあって、ペストは凄まじい猛威を奮い、欧州全域に夥しいほどの犠牲者を出した。
当時の欧州では、死とは天から与えられるものでも、地を歩む果てにたどり着くものでもなく、戸口の影に、毛布の隙間に、怯える生者のすぐ隣に這い寄る恐怖そのものであり——ゆえにそれには、古い神話にはない、より残酷で、無慈悲で、そして機械的なイメージが与えられた。
古い死の神が——たとえばギリシャ神話における冥界の神であるところのハーデースが、ある種の偉大さを兼ね備えた、冥界という領域の——国家的な領域の『王』であるのと比較して、中世に発達した死神のイメージ——グリム・リーパーにはそのようなバックボーンがない。
死に果て、冥府に落ち魂を管理するもの、と言うイメージであった冥界の神に比べると——死神は、正しく『死神』だ。
つまり——彼は何も与えない。
ただ『死』のみがある。
グリム・リーパーは魂を刈り取り、人を死へ追いやる。
そして、それだけだ。
刈り取った魂をどうするか。どこかへ連れて行くのか、連れて行く先というものがあるのかどうか。そんな物語さえ、彼には付随しない。
彼には——神話というものが存在しない。
つまり死神——グリム・リーパーとは、神とは名が付くものの、その性質は神とは全く異なり、より純粋で、プリミティヴな、『死』そのものの擬人化なのだ。
ゆえに。
ゆえにその姿は——骸骨として扱われる。
物言わず、意思があるのかさえもわからない、現象としての——死。
その鎌もまた、今でこそ個々人の魂を一つ一つ収穫する道具のようなイメージで想像されることが多いけれど——本来はもっと、
刈り取る『死』として、無選別に。
それこそ農作物をまとめて刈り取るそれのように——一気に。
人の魂を
そんなイメージでこそ、語られていた。
だからこそ——
「——だからこそ、そう考えてみるのならば、僕の捨て去った古里であるところの——僕の忘れ去った古巣であるところの『石凪』が持つデスサイズというものは、死神の鎌としては
殺し名七名・序列七位。
最下位にして特権階級。
生きているべきでないから殺す『死神』。
ともすれば殺し名七名の内では、かの『零崎』に次いでさえ恐れられていると言ってもいいのかもしれない、あの『石凪調査室』のデスサイズを、けれどそんな風に評してみせたのは、きっと後にも先にも、彼一人のみであることだろう。
これより語るのは、だから死神の物語ではなく、一人の人間の物語だ。
死神と死配人のハーフとして生まれつき、暗殺者の一員としても活動し、それでいながら最後には、殺人鬼として死に果てた、とある人間の物語だ。
彼の正体を語るには、いささか事情が入り込みすぎて——縁があまりにも絡み合いすぎて、一言で表せるものではないけれど。
しかしだからこそ、その名前ならば、きっと彼にとってはただ一つだった。
これから語る物語は、一人の男の物語である。
男の名は、
◆ ◆
六月某日、某所。
田舎というには発展しすぎ、都会というには密度が足らない。そんな日本のどこにでもある地方都市の、そのさらに町外れ。人気のない古びた神社の境内に、彼はいた。
痩せた、とまでは言わないけれども、しかし十分以上に引き締まった、細身のシルエット。身長は平均程度であるけれど、その体型が実寸以上に背を高く見せる。
髪は白髪。しかし、老いているというわけではない。むしろ、若い。幼い、とまでは流石にいえないし、少年、と呼ぶにはもう成長だって終わっているけれど、しかし壮年と呼ぶには、かなり早い。
青年。それも成り立てというところか。
本人の表情からして、溌剌とした、なんて表現は口が裂けても使えはしないが、しかしまだまだ人生先も長かろう、若者であることは間違いない。
少年ではないにしても。
若年ではある。
そんな彼がこの神社に訪れたのは、別に目的があったというわけではない。別にお参りに来たというわけではないし、お礼参りに来たというわけでもない。この神社とは縁もゆかりもないし、なんの神様が祀られているのかさえ知ったことではない。むしろそんな無関係具合だからこそ、逆に彼はここに来たとも言える。
つまりは、ただの観光。あるいはより正確にいうなら、興味本位の冷やかし。こんなところに神社があるんだ、へぇ、意外と大きいじゃないか、ちょっと眺めて行こうかな、くらいの軽い気持ちで、彼は神社の境内に上がり込んだ。
なんて、彼がそんなことを考えたのは、もちろん突如として胸中に湧き出した深い自省の精神ゆえにというわけでは全くなく、単純に。
境内に入り込んだ直後、背後から響いた声を聞いて——何かの罰が当たったのかと考えたからだった。
「
それは問いかけと呼ぶにはいささか断定のきらいが過ぎて、彼にとっては不愉快な第一声だった。
「……どこの誰だか
ため息を吐きながら、石凪砥石と呼ばれた彼は振り返った。
彼は。
「あいにくと、僕は石凪砥石なんて名前ではないけれど——零崎問識という名前ではあるけれど。死か死、そんな名前を名乗っていた時期もありはする。その義理で一つ、聞いておいてあげようか。僕に一体、なんの用があるんだい、とね」
言いながら、彼は首元に手をやり、ネクタイを少しだけ緩める。それは胸襟を開いて話をしようじゃないかなんて意思表示では、全くなかったのだけれど。
普段着にスーツを選んでいるのは、きっと兄の影響だった。
かつてはあの人も、麦わら帽子にノースリーブシャツなんて、ちょっとした裸の大将みたいな格好がトレードマークだったらしいけれど、どんな心境の変化があったのか、はたまた加齢が恥の概念を生んだのか、零崎問識が出会った頃には、すでにスーツがトレードマークだった。
喪服のような、というには、喪服らしいのは色くらいのもので、仕立てのいい——仕立ての良すぎるそのスーツは、一着の服のそれとしては目玉が飛び出そうになるほどの値段に相応しい、煌びやかな輝きを放っていたものだけれど、しかし問識が着ているのはそんな高級品ではなく、至って普通のスーツである。
まさかリクルートスーツというわけではないけれど、それでも庶民にだって手が届く範囲の、極々普通のスーツ。
無論、エチケットのために、もっと高級なスーツを持ってもいるけれど——成人祝いに、彼の兄から贈られはしたけれど、しかし流石に兄のように、着る宝石みたいな服を『普段着』として使う度胸はなかった。
なにせ、服は服だ。
汚れもするし、破れもする。
今だって、そうだ。
目の前の——
金がいくらあっても足りない。
「いくらあっても足りないのは、命の方ではないのかね?」
男は薄く笑って言った。服装は、いわゆるツナギ——細い体に張り付くような、タイトなシルエットのそれ。体型が浮き彫りになるその服装は、目の前の男が
「そういうきみは、頭が足りないと見えるね。僕はきみに、「なんの用があるんだい」と聞いたんだ。まずはその
「くは、頭が足りぬのはどちらかな。この状況で、お前に声をかける目的など、一つしかあるまいだろうに」
男は笑って、こきりと首を鳴らす。
「俺はお前を殺しに来たのだよ——石凪砥石」
あくまでも。
男は彼を石凪砥石と呼んで、そんな啖呵を切ってみせた。
「ふぅん……僕を殺死に、ねぇ……」
問識は言いながら、ゆったりと、体を半身に構えた。
バトルスタイルは徒手空拳。かつては、ともすれば目の前の男と『同じ』得物を使っていたこともあるけれど——それはもう、とっくの昔に手放した後のことだ。
元より借り物、である。彼の手に馴染んだ武器であるとは、言い難かった。
だからこその、素手。
あるいはかつて、たった二撃のそれに痛烈なる敗北を喫したことが記憶に残り続けて、なんてことはないけれど。
「それなら、足りないのはやっぱりきみの頭だね……というより、
呆れたように、問識は言った。
「きみ程度の実力で僕を殺そうと思うのならば——頭数が、百人ほど足りていない」
見逃死てあげるから、出直死てきなよ。
そんなことを言ったのは、零崎問識にとってしてみれば、純粋な親切心でもあった。
名前を呼び間違えられたのは業腹ではあったけれど、しかし相手があくまでも、己を『零崎問識』ではなく、『石凪砥石』として認識し、ちょっかいをかけに来たというのなら、『見逃死てあげる』余地もある。
逆ならば、それは不可能だった。どう足掻いても、問識は眼前の男を殺しただろう。その体を、その心を、その魂を、殺して殺して殺して殺し尽くしたことだろう。
だからこそ、千載一遇の好機を意図せずだろうけれども掴んだ相手に、それを活かす機会を与えてやることは、問識からすれば、純粋なる慈悲の心であった。
の、だけれど。
それを相手がどう受け取るかは、まるで別の話だ。
「笑止!」
男は怒りに眉を吊り上げ——背の得物を抜く。
得物を。
紫色の斑ら模様の、デスサイズを。
「俺を舐めるのもいい加減にしろよ、石凪砥石——! 貴様を殺すことなど、俺にとっては朝飯前の容易い
なぜなら——
「
顔を真っ赤に染めさえして、激昂する男に対し——けれど問識はかけらも動揺しない。
それどころか——
「ふむ」
なんて。
なんの気負いも衒いもなく、冷静沈着に落ち着き払って、ただ一度、頷いて見せるだけだった。
「僕には理解できないけれど、それがきみの理屈だというのなら、そう思えばいい。死か死——その理屈に則って僕を殺そうと試みるのならば、僕もまた、相応の対応をすることになる」
あいにくと。
「僕が元死神なのは事実だが——その言い方をするのならば」
僕は、
言って、彼はぶっきらぼうに続けた。
「手加減は欠片も、する気がないんだ」
期待死ないでくれよ、なんて肩を竦める。その仕草を、問識にしてみればそんな意図は含まれていなかったのだけれど——しかし挑発と捉えた男は、怒りに任せてデスサイズを振りかぶった。三日月状の、弧を描く刃が似つかわしくなくも陽光を照り返し、ギラリと鈍色の光を放つ。
その様を見て。
「問い一だ」
呟くように、彼は言った。
「きみはこれまでに三つの間違いを犯している。一つめは僕の名前を間違えたこと、二つめは一人でこの場に現れたこと。さて、三つ目はなんだろう?」
問識の問いに、男はデスサイズを振り抜きながら言う。
「そんなもの、決まっておるわ! ——貴様のような小童程度に、本気を出してしまうことよっ!」
その答えに——問識はやれやれと首を振った。
「残念、不正解だ」
振り抜かれたデスサイズは、しかし虚しくも風切り音だけを残して空を切り。
「死からば、零崎を始めると死よう」
次の瞬間、男の意識は途絶えることになる。
だからその先の出来事を、男は知り得ない。
あるいは永遠に。
永久に。
◆ ◆
「さて、おか死なこともあるものだとは思ったけれど——やっぱりか」
死体の服の胸ポケットから取り出した『名刺』を見て、問識は顎に手を当てた。
「どう死て——
男の名は——
「だが——デスサイズは本物だ」
あるいはだからこそ、男は、火猟秋之はああも容易く死に果てたのかもしれない。
ともかくとして。
いずれにせよ——
「
デスサイズが死神以外の手に渡るなんてことは——彼自身がかつて体験したような極々一部の例外を除いて——ありえない。
だからこそ、彼自身。石凪に籍を置いていた頃には、
「……少死、気になるね」
これが突発的な事故ならいいけれど。
偶発的な事件であるならいいけれど。
「あるいは
しかし、そうでないのなら。
明確に、歴然と、克明に、的確に。
意図があっての行いであるなら。
少々——厄介だ。
あるいは。
それは——厄介どころでは、すまないかもしれない。
「——と、流石にそれはない、かな。零崎は、公的には壊滅死たという扱いのままのはずだ死」
なんて言いつつも、しかし。
「死か死それでも、気にはなる」
気にはなる。
あるいは、気味が悪い。
気持ちが悪いとさえ、言っていい。
どうにも——嫌な予感がしてならない。
だからこそ。
だからこそ——ここらで一つ、してみるのだって、いいだろう。
「久々に——死てみようかな。里帰りってやつをさ」
闇口崩子に肖るわけじゃあないけどね。
なんて呟き、ネクタイを締め直し。
彼は歩き出した。
向かう先は一つ。
この場所からははるか東——なんて言うと、彼の現在地が西日本の何処かであることがバレてしまうけれど。
そのはるか東に聳える
場所——北緯三十五度二十一分三十八秒・東経百三十八度四十三分三十九秒——山梨県と静岡県の県境。
面積——約一二〇〇平方キロメートル。
体積——約一四〇〇立方キロメートル。
重量——約二・九兆トン。
標高——三七七六メートル。
日本が誇る、最高峰の霊峰。
その名を、富士山という。
(第一問——不正解)
(回答終了)
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