◆ ◆
「え——?」
爆発は。
けれど零崎問識をも、石凪赭石をも襲うことはなく。
代わりのように。
降り注いだのは、生暖かい——血潮。
見れば。
不愉快爆弾が投げられたその場所には、片足の欠けた麗人が、
「千景殺法・五段の四——『ぐい呑み』」
ごふ——と。
血を吐きながら——彼女は、仙瓩おとふは、呟く。
「なんとか……間に合いましてございませう……」
ご無事でせうか、問識様——なんて、焼け爛れ、白濁した目で、周囲を探す。
「おとふ——さん」
震える声で、問識は呟いた。
不愉快爆弾が爆発する、その瞬間。
仙瓩おとふは、
その代償は、当然。
仙瓩おとふの命でこそ、支払われる。
体の中央が、
おそらく——腹の下に爆弾を庇ったのだろう。腹部が丸ごと吹き飛んで——体が、ほとんど真っ二つだった。
残っているのは、胸から上と、腰から下。
そんな、どうしようもなく酷い有様で——
仙瓩おとふは、最後の力を振り絞って、言う。
「問識様……どうか」
どうか、妹の仇を。
それが最後の言葉となって——仙瓩おとふは、事切れた。
「——————」
かしゃり、と。
問識の首に嵌められていた首輪が、外れ、落ちる。
からん、なんて軽い音と共に。
まるでそれが最後の礼儀であると言わんばかりに——鈍色の首輪は、地に落ちた。
問識は。
ただじっと、それを見つめていた。
「——見上げた根性だ」
自らの切り札——室内戦闘用の、威力を大幅に落としたそれであるとは言え、仮にも不愉快爆弾の名を冠する己の最高傑作を防がれた常識は、けれど怒ることも落胆することもなく、ただ真剣な眼差しで、事切れた仙瓩おとふを見つめていた。
「自らの身を盾にして、味方を守るとはな。イケてる女だ。敬意に値するぜ、仙瓩おとふ——」
噛み締めるように、彼はその名を口の中で転がして——
「なぜだろうね」
その言葉が。
血と死に満ちた八号車の中に、酷く乾いて響いた。
「あ?」
訝しむように、常識は首を傾げる。
問識はまるで、それが見えてもいないかのように、言葉を呟き続ける。
「妹の仇を——なんてさ。彼女はどう死て、それを僕に託死て死まったんだろう。僕なんかに——託死て死まったんだろう。縁もゆかりもない、ただこの
枯れたような、無表情。白く、白い。それは穢れないと言う意味のそれではなく、煤のように、色をなくした白。
彼は。佇むままに、言葉を。
「人間なんて、嫌いだよ。人間じゃない鬼だって——僕は、大嫌いなんだ。どいつもこいつも、
誰も彼も、一切の区別なく。
僕はみんなを、殺したい。
「僕にはきっと、殺意死かない。生まれた時から、そうだったんだ。殺意があって、殺意があって、殺意があって、殺意があって——殺意死かなかった。そうだね、きっとそうなんだろう。僕は獣で、化け物だ」
だから。
だから僕には。
「人の気持ちも鬼の気持ちも、わからない」
ねえ、軋識さん。
わかると思ったんだ。
零崎になれば。
あの背中と、同じになれば。
家族ってものが。
愛情ってものが。
わかると思って。
一人じゃなくなれると、そう思って。
でも——だめだ。
僕は、だめだった。
「今だって、そうだよ。僕は全くわからない。彼女が身を挺死てまで僕を救ってくれた意味は、一つだってわからない。彼女がどんな思いで妹を——妹の仇を取ることを望んだのかも、僕には全くわからない。わからないままなんだよ。同情なんて一つもできない。
愛情だって。
一つとして、理解できない。
「だからきっと僕には、それがないんだろう。感情なんてものは、
殺意が。
殺意だけが——ある。
「それが、僕という生き物なんだろう」
僕という生き物の、カタチなのだろう。
だからこそ。
だからこそ——仙瓩おとふ。
きみは安心して良い。
安心して——死ぬと良い。
「僕はきみの気持ちなんて、一つだってわからないけれど——きみの望みは間違いなく、果たされる」
だからこれから行うのは、零崎ではない。
「ただの下劣な、人殺しだ」
◆ ◆
隠し立てせずに言えば、零崎常識は零崎問識という殺人鬼を——あるいは殺人鬼ですらないのかもしれない何者かを、はっきりと下に見ていた。
より平たい表現で言えば。
舐めていた、とさえ言ってもいい。
それを、零崎常識の油断や慢心であるとは、口が裂けても言えないだろう。
零崎常識、爆弾魔。
暴力の世界に名高き『
二度の戦争を超えた、零崎一賊最強の殺人鬼。
その評判は決して、伊達ではない。
伊達ではないし、偽りでもない。
彼は真実、かつての——全盛期の零崎一賊において、『
その実力は暴力の世界のプレイヤーとして間違いなく最高位であり、あの橙色の暴力に対してさえ、最終的に敗北こそしたものの、一歩も引かない戦いを演じた実力者である。
彼がその胸中に抱く、己の強さに対する自負は間違いなく厳正なる評価であり、贔屓目もなければ見誤りもない。
だからこそ、彼が見誤ったのは、だから零崎問識だ。
己が死んだ後の——言ってしまえば
実力は無論、高いのだろう。
高いのだろうが、
その精神面は——
それが、零崎常識が、零崎問識に対して下した評価であって。
その評価だって、概ねは間違いなく正しくて。
しかし——彼が一つだけ、ただ一つだけ見誤ったのは。
出会ったその瞬間から、零崎問識が振り撒き続けている、その悍ましいまでの殺意と言うものが——
むしろ。
「——————————」
言葉はなかった。
感情はなかった。
理屈はなかった。
ただ、殺意だけが。
「な、ん、だ、てめぇは——!」
零崎常識が。
戦闘能力が向上した——わけではない。
速度が増したわけでも、力が増したわけでも、技量が増したわけでもない。
ただ、
「けっ——は!」
気炎。雄叫びを上げながら、常識は爆弾を爆発させる。
一つ二つではない。十、二十の絨毯爆撃。手加減などやめて等しい。新幹線かなえ四十四号八号車。その車内は爆炎に満たされ——しかし。
それを意にも介さず、獣が殺意を振るう。
「けはは——」
迫り来る拳。的確に、急所を狙い撃って繰り出される連続攻撃。嵐のような猛攻を必死になって捌きながら、常識は笑う。
人が変わったような——では、ないのだろう。
むしろ——きっと、人が戻ったような、と言うべきなのだ。
人が、獣に。
化け物に。
戻ったような——そんな変貌であると、言い表すべきなのだ。
零崎問識は——やめたのだろう。
己の殺意を堪えることをやめて——その全てを、ただ直向きに、常識へと向けている。
それこそが、この化け物じみた殺戮乱撃の正体で——けれど。
「けれどその程度で上回られるほど、俺が積んできた場数ってやつは安かねぇんだよ——!」
それは言ってしまえば、
殺意と言う一点において零崎常識を圧倒する問識だけれど——しかし逆に言えば、彼が縋れるのはそれだけだった。
彼には殺意だけがあって。
彼には殺意しかなかった。
だから、零崎常識が積み重ねてきた、プレイヤーとしての圧倒的な経験値が——問識の、常識はずれの殺意を
受け止めて——いなしていた。
「この俺が防戦一方ってのは、気に入らねぇ話だがよ——」
逆に言えば。
零崎常識と、零崎問識の実力は——それほどまでに隔絶していた。
旧世代においては、仮にも『最強』の言葉を冠して語られた、『戦争時代』のプレイヤーである零崎常識と——どれほど才気に溢れようとも、『戦後世代』のプレイヤーでしかない零崎問識との、経験値の違い。
経験値の違いであり、レベルの違い。
それが二人の戦いを、拮抗させていた。
「——————————」
言葉なく。
問識は拳を振るう。傷んだ手のひらをすらも構わず握り。両の拳を。
拳を振るい、爪で切り裂き、肘で抉り、膝で貫き、足で蹴飛ばし、額で叩き、全身という全身で、殺戮という殺戮を体現する。
生ける死。そう呼ぶ他にない、死殺の暴威を——けれど爆炎が、爆風が、爆裂が、爆音が、爆衝が、爆轟が、爆圧が、防ぎ、防ぎ、防ぎ、防ぎ、防ぎ、防ぎ——防ぐ。
完全なる拮抗。
あるいは、この場が新幹線の車両と言う、狭く限定された空間ではなく——より大火力の爆弾を、
ともすれば決着がさえ、すでに付いていてもおかしくなく——けれど現実、ここは走り続ける車両の内側であり、二人の怪物たちによって振るわれる破壊と暴力は、完全に釣り合っていた。
石凪のエース——時期室長筆頭候補と名高い石凪赭石をして、立ち入ることすら許されぬ、究極の闘争。
釣り合った天秤が、だから
「——————————」
「どうしたよ、クソガキくん——
けはは——と。零崎常識は、煽るように笑う。
零崎問識の殺意に、鈍りはない。
むしろ時が経つに連れて、その殺意は鋭く、酷く、禍々しく研ぎ澄まされ続け——だからこそ。
耐えきれないのは、問識の体の方だった。
零崎問識は——
「けはは——!」
零崎常識は笑う。こうなることは見抜いていた。圧倒的な殺意による、殺意に任せた全力攻撃——そんなものが、
いくら零崎問識の殺意が無限を超えていようとも——その体力は有限だ。
まして、有り余る殺意にかまけて、
精神によって肉体を超克するのは、ある意味では零崎の基本技能とも言えるそれであるけれど——それにしたって年の功。
零崎として、
わかっていないから——バテる。
力を出し切り、力尽きる。
対して、零崎常識に疲れはない。
正確には、疲れこそあるものの、
彼は場数を踏んでいる。
二度の『戦争』を、乗り越えている。
だからこそ、彼は戦い方を心得ている。
戦争は——続くものだ。
一度や二度の闘争で終わるものではなく、ただ一度きり、全力を振り絞って死線を越えれば生き残れるようなそれではない。
死線を越えた先にまた死線があり、それが那由多と積み重なった時、それは始めて戦争と呼ばれる。
長引く戦いを、二度に渡り乗り越えた彼は、だから死線を
体力の消耗を極力抑える戦い方を心得ている。
体力を消費してもパフォーマンスをピークのまま保つ術を心得ている。
零崎常識、殺人鬼。
極限死闘も百戦錬磨。
死力を尽くした戦い程度、万年続けてなお軒昂——
「——————————っ、は——!」
言葉なく。
嵐の如くに戦い続けていた問識が、始めて、
「けはは——つまんねぇな。もう限界かよ、クソガキ」
ど——と。
痛烈なる前蹴りが、問識の腹部を襲う。
それは問識が殺意を抑えることをやめて以降、始めて明確に、零崎常識が攻勢に転じた瞬間であり——ゆえに。
「『動くな』」
零崎問識が
「あ?」
ぴたり——と。
追撃を放つべく構えていた零崎常識が、動きを止める。
それは——
「身体支配、か——?」
動きを止められていない口を動かして、常識は言う。
身体支配。過去には石凪赭石の唇をも弄んだ、零崎問識の
暗示をかけるには、すでに十分過ぎるほど会話を重ねていた。常識は問識の言葉を聞きすぎていたし、だからこそ問識は、
ここぞと言う瞬間。
致命的な隙にこそ、それを差し込むために。
問識は殺意に身を任せながらも、機を待ち続けていて——
ゆえに。
「
ご——と。
拳が振り抜かれ、問識の顔面を殴打が突き抜ける。痛烈なる、激烈なる、熱烈なる衝撃が、深く、強く、問識の脳髄を揺らし——そして。
迸る——追撃の爆炎。
問識はそれを避けることもできず——
「問識くん!」
赭石の悲鳴のような絶叫が響き渡り——ぐらりと。
問識の体が、崩れ落ちる。
『——間もなく、京都、京都です——』
間の抜けたアナウンスが、場違いにも響き渡る。それは零崎常識の勝利を讃えるファンファーレのように。
「考えればわかったはずだよなぁ、クソガキくんよぉ……この俺が、
零崎常識は、死吹屍飼の能力によって蘇り——
「俺をあまり舐めるなよ、クソガキくん。『呪い名』相手の戦い方なんざ、十分以上に心得てるっつーの」
これもやはり、年の功。
零崎常識。彼は百戦錬磨の殺人鬼であり、ゆえに。
ゆえに、その能力に対しても、ある程度の対抗手段を持っており——特に、死吹の身体支配に関しては、ほとんど完全に攻略したと言っても過言ではない。
零崎問識は——間違えた。
最後に頼るべき切り札を、間違えた。
これがこそ、零崎軋識が最も危惧した展開であることを、今更ながらに悟った問識だったけれど、しかし後悔とは先に立つものではなく、すべては後の祭りでしかない。
どれほど悔いたところで間違いは覆らず——勝敗だって、覆らない。
ああ、頼まれごとは結局、果たせなかったな、なんて。
動きを止める車内。問識は最後に、そんなことを思って——
「……なんのつもりだよ、嬢ちゃん?」
問識は。
思わずその顔を上げる。
そこには——問識を庇うように、迫り来る爆弾魔へと立ちはだかる、石凪赭石の姿があって——
「問識くんには、手を出させない」
赭石は。
いつのまに、どこからどうやって取り出したのだろう、その手に、真紅のデスサイズを構えている。
「どう死て——」
「さあ、どうしてだろうね」
その背に問われて、けれど赭石は肩をすくめる。
「どうしてだろう、当てて見せてよ、問識くん」
問い四、だよ。
彼女は笑って、そう言った。
零崎問識には、わからない。
何もかもがわからない。
理解できない。
理解のしようがない。
どうして、自分を。
自分なんかを。
守ろうとする誰かが、いるのか。
いてしまうのか。
こんな自分を。
自分のような——化け物を。
救おうとする人間が、いるのか。
問識にはまるで——
「わからないよ」
わからない。
わからない。
わからないんだ——何もかも。
「けはは——あの女に敬意を表し、一度だけ言ってやるぜ、お嬢ちゃん。この俺が、俺と言う殺人鬼が、こんなことを言うってのは本来あり得ないことだってことを十分以上に加味して、よく考えてから答えてくれよ。——大人しくそこを退け、お嬢ちゃん。そうすれば今は、見逃してやる」
「嫌だね」
石凪赭石は即答した。
零崎常識は——つまらなさそうに、顔を顰める。
「そうかよ」
にこりともせずに——一撃。
爆発音が鳴り響き——石凪赭石の体が吹き飛ばされる。
そして——彼は。
零崎常識は、あっけなく。
零崎問識の元へと、たどり着いた。
「……これで終いだ」
落とされる言葉に、答える気力もなく。
問識はただ地に伏せる。
常識はその手のひらの上に、爆弾を構え、そして——
「——俺の弟を、ずいぶんといじめてくれたもんだな」
その声は。
爆音よりも高らかと、鳴り響いた。
どご、と。
内部で散々、爆発が繰り返されたからだろう。壊れた自動ドアを無理矢理にこじ開けて——一人の男が、車両内に侵入する。
同時、ごうん、と。動き始める列車。
新幹線が、加速する。
「——けはは、マジかよ」
その姿を見て——零崎常識は、引き攣るように笑った。
「トキや人識ならともかく——お前が生き残ってるとは想像もしてなかったぜ」
なあ——
『アス』、と。
彼のことを、零崎常識は、そう呼んだ。
問識は、伏せかけた瞳でその姿を目の当たりにする。
フェラガモの革靴。喪に服すような漆黒のスーツ。紳士然としたファッションに——なぜか、その背に竹刀袋を背負いつつ。
短い髪を、上品にもオールバックに撫で付けて——エメラルドの瞳。
そう、彼こそはかつて、『
「——軋識、さん……」
零崎軋識。
人は彼を、その名でこそ呼ぶ。
「よう、問識。助けに来たぜ」
なんの気負いもなく、薄く笑みを浮かべて、彼は言った。
「どうして……」
どうして、助けになんて来たんだ。
僕のことを。
こんな僕のことを。
どうして——
「ああ? んなもん決まってんだろ」
愚問とばかりに、彼は言う。
「お前のことを——」
愛してるからだよ、馬鹿野郎。
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