あけましておめでとうございます。
お正月記念といたしまして、本日は時間を分けて三話連続更新します。
このお話は三話更新の二話目です。
「第五問『死しての千年より生きての一日』1」をお読みで無い方は、そちらからお読みくださいませ。
◆ ◆
「そう言えばお前、名前はどうするんだ?」
零崎軋識のそんなセリフを聞いたのは果たしていつのことだったろうか。
思い返せば、彼と初めて出会ってから——出会わされてから、はや三ヶ月。
すっかり共に行動することにも慣れ、さらには彼と同じように、ドレスコードを整えて、スーツ姿で活動することにも慣れ始めた頃。
彼はそんなことを問うた。
「名前?」
と。
当時とって、十九歳。今はまだ名前のない少年は、首を傾げてそう聞いた。
まるで名前という概念を知らないかのように。
いやもちろん、そんなことはありえないのだけれど——しかし、それを半ば忘れかけていたのは事実だ。
なにせ、二人旅である。
零崎軋識と、名無しの少年。
二人は共に行動し——二人だけで、共に行動していた。
だからこそ、お互いを呼び合うのなら、代名詞で事足りた。お前、とか、あなた、とか、そんな具合で事足りた。日本語特有の主語省略文化も相まって、呼び名というものを用意する必要性が、本当に一切、存在しなかった。
だからそんな風に問われたのは、少年にとってはほとんど不意打ちのようなものであって、名前ってなんだろう? それってどんな意味があったけ? なんて惚けた言葉が脳裏に巡るのも、無理のない話だったかもしれない。
無理のない話だったかもしれないけれど。
しかしだからこそ、避けようのない話でもある。
「お前もそろそろ、独り立ちの時期だ。殺意の抑え方も……まあ、最初に比べりゃ随分上等になったしな」
だから、名前だ。
「
軋識はそんなことを問う。
気楽に。
気軽に。
気さくに。
世間話みたいに、機嫌良く。
彼は問いかけて、問識は。
「……………………」
と、黙り込んだ。
それは名前をどうするかを決めてない、とか。
独り立ちを勧められたことがショックだった、とか。
そういう意味での沈黙ではない。
名前なら——すでに決めている。
決めているというより、決められている。
三ヶ月前に会ったきりのとある少年から——彼はその名を呼ばれている。
読まれている。
だからこそ、悩む必要などなくて、それを素直に告げてしまえば良くて——しかし。
それがうまく、できなかった。
「僕は」
僕は、本当に——なんて言いかけて、それを飲み込む。
それは、言えない。
言いたくない。
言うことが——できない。
だから代わりに、控えめに問う。
「……零崎の名前を名乗っても、良いのかな」
それだって結構、
「良いんじゃねーの?」
と、軽く答えた。
むしろ、遅すぎるくらいじゃないか、なんておまけまで付け加えて。
「お前はもう十分以上に一人前だよ」
俺から離れてもやっていけるだろうと思うくらいにはな——なんて、軋識は微笑む。
「そう」
そう、か。
自分はもう、一人前、か。
軋識には——そう見えているのか。
ならば。
ならばそう、振る舞おう。
彼が期待するのなら。
期待してくれるのなら。
僕は。
僕の名は——
「零崎問識」
これからは、そう名乗ろうと思う。
誰でもなかった少年は——その時。
零崎問識と、名を変えた。
「零崎問識——か」
顎に手を当てて、軋識はその名を、舌の上で転がす。
輝く、エメラルドの瞳。
それが少年を見定めて——
「良い名前だ」
軋識は、そう頷いた。
「……自分で考えたわけじゃないけどね」
「ん、そうなのか。ってことは、あいつが……?」
なんて首を傾げる軋識だったけれど、すぐに気を取り直して咳払いをする。
「誰が考えたにせよ、良い名前だってのは覆らない。零崎問識——問いを識る。お前にはぴったりな名前だ」
案外、あいつもその辺りを気にしたのかもな——なんて独り言を口にしつつも、軋識は続ける。
「生きるってのは、問いかけの連続だ。
軋識は、まっすぐな眼差しで問識の目を見つめた。
「零崎ってのは、人殺しの集まりだ。俺たちは殺人鬼で、ヒトデナシの鬼だ。だがそれでも、生きている。その内側に死を抱えながら、生き続ける。だからこそ、俺たちは己自身に問うことになる。いずれ死ぬとして、
「零崎問識——お前もいつか、その問いを識る日が来るだろう。お前がどんな答えを出すのか。期待してるぜ——最新の弟」
弟、と。
零崎軋識に、そう呼びかけられて。
問識は、生まれて初めて——一人じゃなくなったような気がした。
それはきっと、どうしようもないほどに錯覚だ。
錯誤だ。
錯綜で、錯迷で、錯謬だ。
そんなことはわかっている。
わかっていて、それでも。
それでもと、問識はそう思った。
(いつか僕も、死ぬ日が来る)
ならば。
それならば、僕は。
(僕はこの人のために——死にたいと思う)
その決意は、誰にも知られざるもので、けれどだからこそ、誰でもなかった少年の——零崎問識となった少年の心に深く、強く、刻まれる。
刻まれ続ける。
そう、それはそれよりずっと後の、遠い未来にさえ——
◆ ◆
千景殺法・五段の四——『ぐい呑み』。
仙瓩おとふが最後に扱ったその技は、殺法とは名がついてはいるものの、しかし人を殺す法ではなかった。
それは人を殺す法ではなく——
己の身を盾にして——
さながら呑み込むように——呑み干すように。
己一人の内側に、その破壊と殺戮を呑み下す。
それこそが、仙瓩おとふが最後に放った技、『ぐい呑み』の真骨頂であり——それを最も間近で見ていたのは、零崎問識だった。
見取り稽古——と言うにはあまりに足りないが、しかし一度見たのならば——その模倣くらいは、できる。
落第でも。
出来損ないでも。
真似ることくらいは、できる。
それこそ——彼女が見せてくれたように。
極大の殺意と共に、赤色の手榴弾が投げられた瞬間、問識の体は動き出していた。
限界を超えて。
それまでは立ち上がることは愚か、指先一つ動かすことさえ不可能に思っていたのに——どうしてだろう。
あまりに軽く体が動いて——問識はそれに感謝した。
己の体が動くことに。
己の体が使えることに。
己の体が役立つことに。
深く感謝を捧げながら、問識は投げられた爆弾に、飛びつくように覆い被さり。
己の体を盾にして——軋識を守ろうとした。
「さようなら、軋識さん」
小さく呟いて——けれど。
その顔は、笑顔に満ちている。
そう、それは零崎問識の本懐だ。
死ぬのなら、家族のために。
己を弟と、そう呼んでくれた家族のためにこそ、死にたい。
それが叶う瞬間に、だから浮かぶのは笑顔だけだ。
爆弾の起爆する音色を聴きながら、問識はどこまでも晴れやかに笑って——
しゅうううううう————————と。
腹の下に庇った爆弾から——煙が、溢れ出す。
煙が。
煙だけが、溢れ続けて——終わる。
爆発は、起こらず。
零崎問識は——死ななかった。
「……え?」
首を傾げることも、できず。
問識はぽかんと、口を開けた。
煙が晴れた向こうで、その様を見た零崎常識は——
「けはは」
と。
悪戯っぽく、そう笑った。
「ばーか。この俺が、この零崎常識が——家族を殺すような真似をするもんかよ」
言って、彼は両手を——広げようとして、動く片手だけを広げる。
「不愉快爆弾——バージョン零零。こいつは
つまりは——
「ドッキリ大成功、ってやつだ」
けはは、と。
どこまでもおもしろそうに、常識は笑う。
「おい、リル、お前——!」
「けはは、過ぎた冗談だとでも言うつもりか? 違うね、過ぎてなきゃダメなのさ。そうでなきゃ——確かめられない」
こいつが——と、彼は問識を見下ろす。
「
呆然と。
零崎問識は、零崎常識を見上げる。
「業腹だが——ふん。認めてやるよ、零崎問識」
てめぇは
崩れかけた頬で、彼は笑う。
爆笑、でなく。
穏やかな笑みで——
「お前は危険だ。今だって、それは揺るがない。一賊にとって、お前は間違いなく潜在的な危機だろう。だが、それでも」
それだけじゃないってのは、わかったさ。
彼はそう言って——オーバーオールのポケットを探る。
そして。
「くれてやる」
言いながら——明らかに、ポケットになんかは入りきらないであろうはずの、長大な
「俺が生前、最後に——最期に作り、使った武器だ。けはは、あの橙色の暴力とやりあって砕けなかったんだから、耐久性はお墨付きだぜ」
それは奇妙な武器だった。金槌でありながら、しかしその柄頭には、
何かを打ち出す機構のように見えて、けれど違う。先端にあるのは、まるで
「
さらりさらりと、朽ちゆきながら、彼は問識に言葉を遺す。
「せいぜい生きて、派手にくたばれ。期待してるぜ——弟くん」
それを最期に——彼の体は崩壊した。
どしゃり、と。
服を巻き込んで崩れた、色のない砂塊が、後には残り。
『——間もなく、名古屋、名古屋です』
アナウンスが響く。
新幹線は止まる。
人生は、続く。
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