◆ ◆
地獄門を越えれば、そこが死神界である。
——あの後。新幹線、たまえ四十九号は、零崎問識と石凪赭石を無事に新富士にまで導いた。
刺客もなく、トラブルもない。
順風満帆な旅路であって、そこからさらに、車と徒歩で合計数時間。
もうすっかり日も暮れて、夜の帳が下りた頃——ようやく。
二人は死神界の入り口へと、辿り着いていた。
「——いよいよ、だね」
「——うん」
言葉少なに、会話を続けながら、二人は暗闇に閉ざされたトンネルを降っていく。
富士山中の秘境に座す、異界の入り口。常人には決して辿り着けないそこがこそ、死神界と現世を繋ぐ唯一の道。
トンネル——とは言ったものの、整備されたそれではない。むしろ、見た目としては自然洞窟かと思うような洞穴であり、しかしそれは、かつてとある死神によって開かれた人工のトンネルなのだ。
風はなく、無風。暑くもなく、寒くもない。
もう二度と、戻ることはないと思ったその道を、問識は再び辿っている。
曲がりくねった暗闇の道。最後に歩いたのはもう何年も前のことなのに、なぜだか強く、それを覚えていて、足取りが惑うことはない。
ふと。
思い出したことがあった。
「昔」
呟くように。
隣を歩く幼馴染へと、声をかける。
「花が散ることを、知らなかった」
死神界。山中地下の異界で花は咲かず、全ては造花。永年、咲き誇り続けるそれらは美しく、けれどどこか、虚しい。
「……それを、虚しい、と思うようになったのは、いつのことだろう」
子供の頃は。
それが普通だと思っていた。
それが普通で。
それが『綺麗』なんだと。
そう信じていた。
けれど。
けれど——
「母が、言うんだよ」
——
——地上の花は、散るものなの。
——彼らはね。
——いずれ己が散ると知るからこそ、美死く咲こうとするのよ。
「当時は、意味が分からなくてね。美死いものならば、それは永遠不変であるべきだと、そう思っていた」
赭石は、問識の言葉をじっと聞く。
聞き続けて、くれている。
「けれど、今になってようやく、その言葉の意味が少死ずつ、わかってきたような気がする」
僕たちは移ろう流れの一つ。
永遠不変などこの世にはなく、万物流転こそがただ一つの不変の理。
時に咲き。
時に散り。
時に生まれ。
時に死に。
変わること。
変わり続けること。
受け渡すこと。
受け取ること。
受け継ぐこと。
受け継がれること。
それが。
それこそが。
「彼女の伝えたかった、美死さだったのかも死れないと、そう思う」
問識は言った。
赭石はただ、それを聞いていた。
聞き続けていた。
歩き続け、降り続ければ、やがて。
その先にぼんやりと、光が見えてくる。
「……着いた」
目の間に広がる光景は、いつか見たそれと寸分違わず。
ガス灯のあかり。石畳の街路。張り巡らされた真鍮のパイプライン。回る歯車。閉ざされた天蓋。それを支える、円柱状のビル群。
——『死神界』。
問識たちは遂に、そこへ辿り着いた。
◆ ◆
静けさだけが満ちている。
死神界。石凪調査室の本拠地。極一部の例外を除き、全ての死神たちの生まれ故郷であるそこ。多くの死神たちが暮らすはずのその場所に、けれど今は人気などなく。
ぼんやりと、あかりの灯る石畳の街路には、人影がただ二つ。
殺人鬼・零崎問識と、死神・石凪赭石。
いつかにも。
同じ道を並んで二人、歩んだことがある。
その時とは、背丈も大きく変わって。
二人の影は、もう並ばない。
「——誰もいないね」
問識は言う。
「クーデターは、どうなったのだろうか」
零れ落ちるような問いを、赭石が拾う。
「分からない。少なくとも私が出てきた時点では——もう、最終盤面に近かったけれど……」
それにしては、あまりにも異様な静けさだ。
人が消えたみたいに、ではない。
人が死んだみたいに、静かだ。
人が死んだみたいに。
街が死んだみたいに。
世界が死んだみたいに——静かだ。
二人は並んだまま、歩き続ける。
少女と、青年。
二つのシルエット。
「あ」
そんな折、ふと、赭石が声を上げた。
「どう死たの?」
問識の疑問に、赭石は「ほら、あそこ」と指差す。
「昔、あの公園でよく話したよね」
言われて、思い出す。
そう、あそこはいつか、問識がよく通っていた公園だ。
血まみれのまま家に帰るわけにもいかず、血を洗い落とすために、よく、水道を借りていた。
問識にとっては、その程度の思い出。
けれど思い返してみれば——確かに。
そこは、赭石とよく話した場所でもある。
(そういえば)
問識は、隣の少女を見つめた。
(彼女と初めて会ったのはいつだっただろう?)
もう、それは思い出せない。
思い出せないくらい、昔だ。
昔だけれど——そう。
それも、この公園だった気がする。
その時は。
その時は、まだ。
彼の母も、生きていて。
生きていて、くれて——
ふと。
問識はそれを、思い出した。
「どうしたの?」
ほんの一瞬足を止めた問識に、赭石は心配そうに声をかけた。
「……いいや、どうも」
どうもしないよ、と、小さく返して、再び、歩き出すけれど。
死神と殺人鬼。
その足並みは、揃わず。
自然、少しずつ、歩幅がずれていく。
殺人鬼は、やがて。
遂にその足を——止めた。
「——ここからは、僕一人で行くよ」
「え?」
「これだけ歩いて出会わない以上、敵も居ないと考えていいだろう。僕一人でも、もう大丈夫」
ただでさえ、赭石は大きく傷を負っている。零崎常識との戦いで、二度、爆破の直撃を喰らっているのだ。
不愉快爆弾の——ではないにせよ、その傷跡は深い。その怪我を押してここまで、問識についてきてくれた彼女だけれど——これ以上は、もう十分だ。
「どこかで、休んでいてほ死い。あとで迎えに行くから」
そう言って、彼は赭石へと、小さく笑顔を向けた。
思えば。
彼が赭石に笑いかけるのは、もしかすれば、初めてのことだったかもしれない。
それくらい、それは珍しい表情で——
「わかった」
と。
赭石はそう、頷いた。
「気を付けてね、問識くん。行ってらっしゃい」
「ありがとう、赭石ちゃん。行ってきます」
それを最後に。
二人は別れ——問識は進む。
一人孤独に、歩む。
これでいい——と。
零崎問識は思う。
これが、正しい姿だと。
殺人鬼として、孤独であること。
孤独であろうとすること。
孤独であらねばならないこと。
その理由がなんとなく、分かるような。
孤独な彼らが、なぜ惹かれ合い——家族として、集ったのか。
その理由もまた薄らと、わかるような、気がして。
けれどきっと、それもまた全ては錯覚なのだろうと思う。
「第六問——僕は、何者なのか」
その答えは——ない。
ずっとそれが知りたかった。
それを知れば、
己は死神なのか、
己は死配人なのか、
己は殺人鬼なのか。
ともすれば怪物なのか、
ともすれば孤独なのか、
ともすれば誰かと、同じ形をしているのか。
どれかでありたくて、どれかであらねばならなくて。
けれど、全ては幻想。
己の正体。そんなものは、この世には存在しない。確固たる一つの言葉で己を言い表すことなど、もとよりできはしないのだ。
己は死神で、
己は死配人で、
己は殺人鬼で。
ともすれば怪物で、
ともすれば孤独で、
ともすれば誰かと、同じ形をしていることもあって。
けれど結局は、そのどれでもあって、どれでも無い。
それが、人間というものなのだろう。
それに気付けば、こんなにも、清々しい。
問識は小さく。
吹き出すように、屈託なく笑って——
「ああ、もうか」
足を止めた。
そこは、一つのビルの前。
他のそれとほとんど変わらない、円柱形の、窓のないビル。
けれどそれはこそ、問識の記憶に最も深く刻まれた建物だ。
その入り口には——『石凪調査室統括執行課』と、刻まれている。
統括執行課。
それこそは、石凪の最高権力。
室長直下の最高執行部門であり、石凪調査室という組織全体を統括する部署。
この建物はその所在地であり、同時に。
石凪室長の、私的住居も兼ねている。
それはすなわち、石凪砥石の生家でもあるという意味で——
問識は。
「行くか」
ただいま、とは、言わず。
「お邪魔死ます」
と。
そんな風に言って、ビルの中に入る。
自動ドアなんて気の利いたものはない。
彫刻の施された、古臭い作りの両開きのドアを、押し開ける。
中に入れば——しんと、静けさ。
エントランスに人影はなく、ただ無人。磨き上げられた大理石の床に、敷かれた赤色のカーペット。イミテーションの観葉植物が、意味もなく緑を添えている。
問識は、入り口の右手奥に向かう。そちらに、確かエレベータがあったはずだ。
「あったあった……」
古い型のエレベータ。問識がいた頃から、何も変わっていない。入り口は手動式。内部は木製。格子戸を開いて、問識は内部に乗り込む。
行き先は最上階。ボタンを押して、しばし待つ。上昇には時間がかかる。動力が貧弱なのだ。
ごうんごうんとエレベータが巻き上げられる音を聞きながら、問識は思う。
これまでのことを。
これからのことを。
これから会うことになるであろう——己の父親のことを。
死神を殺す死神——石凪墓石。
彼のことを、問識はずっと、理解できなかった。
ただなんとなく。
己のことを嫌っているのだろうな、と。
それだけはずっと、感じていた。
感じ続けていた。
そして同時に。
きっと自分は、嫌われて当然なのだろう、とも。
ずっと——思い続けていた。
「——傑作、だよね」
兄の言葉を借りて。
問識は、小さく微笑む。
そして——チン、と。
硬質な音が、無遠慮にも大きく響いて。
エレベータが、停止する。
「さて、元気に死ているといいのだけれど——」
呟きながら、扉が開いた向こう側。
問識は、廊下へと歩み出し——
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