零崎問識の人間問答   作:忘旗かんばせ

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第六問『死を視ること帰するが如死』1

 

 ◆   ◆

 

 地獄門を越えれば、そこが死神界である。

 

 ——あの後。新幹線、たまえ四十九号は、零崎問識と石凪赭石を無事に新富士にまで導いた。

 

 刺客もなく、トラブルもない。

 順風満帆な旅路であって、そこからさらに、車と徒歩で合計数時間。

 もうすっかり日も暮れて、夜の帳が下りた頃——ようやく。

 二人は死神界の入り口へと、辿り着いていた。

 

「——いよいよ、だね」

「——うん」

 

 言葉少なに、会話を続けながら、二人は暗闇に閉ざされたトンネルを降っていく。

 

 富士山中の秘境に座す、異界の入り口。常人には決して辿り着けないそこがこそ、死神界と現世を繋ぐ唯一の道。

 

 トンネル——とは言ったものの、整備されたそれではない。むしろ、見た目としては自然洞窟かと思うような洞穴であり、しかしそれは、かつてとある死神によって開かれた人工のトンネルなのだ。

 

 風はなく、無風。暑くもなく、寒くもない。

 もう二度と、戻ることはないと思ったその道を、問識は再び辿っている。

 曲がりくねった暗闇の道。最後に歩いたのはもう何年も前のことなのに、なぜだか強く、それを覚えていて、足取りが惑うことはない。

 

 ふと。

 思い出したことがあった。

 

「昔」

 

 呟くように。

 隣を歩く幼馴染へと、声をかける。

 

「花が散ることを、知らなかった」

 

 死神界。山中地下の異界で花は咲かず、全ては造花。永年、咲き誇り続けるそれらは美しく、けれどどこか、虚しい。

 

「……それを、虚しい、と思うようになったのは、いつのことだろう」

 

 子供の頃は。

 それが普通だと思っていた。

 それが普通で。

 それが『綺麗』なんだと。

 そう信じていた。

 けれど。

 けれど——

 

「母が、言うんだよ」

 

 ——()っている?

 ——地上の花は、散るものなの。

 ——彼らはね。

 ——いずれ己が散ると知るからこそ、美死く咲こうとするのよ。

 

「当時は、意味が分からなくてね。美死いものならば、それは永遠不変であるべきだと、そう思っていた」

 

 赭石は、問識の言葉をじっと聞く。

 聞き続けて、くれている。

 

「けれど、今になってようやく、その言葉の意味が少死ずつ、わかってきたような気がする」

 

 僕たちは移ろう流れの一つ。

 永遠不変などこの世にはなく、万物流転こそがただ一つの不変の理。

 

 時に咲き。

 時に散り。

 時に生まれ。

 時に死に。

 変わること。

 変わり続けること。

 受け渡すこと。

 受け取ること。

 受け継ぐこと。

 受け継がれること。

 それが。

 それこそが。

 

「彼女の伝えたかった、美死さだったのかも死れないと、そう思う」

 

 問識は言った。

 赭石はただ、それを聞いていた。

 聞き続けていた。

 歩き続け、降り続ければ、やがて。

 その先にぼんやりと、光が見えてくる。

 

「……着いた」

 

 目の間に広がる光景は、いつか見たそれと寸分違わず。

 

 ガス灯のあかり。石畳の街路。張り巡らされた真鍮のパイプライン。回る歯車。閉ざされた天蓋。それを支える、円柱状のビル群。

 

 ——『死神界』。

 

 問識たちは遂に、そこへ辿り着いた。

 

 ◆   ◆

 

 静けさだけが満ちている。

 

 死神界。石凪調査室の本拠地。極一部の例外を除き、全ての死神たちの生まれ故郷であるそこ。多くの死神たちが暮らすはずのその場所に、けれど今は人気などなく。

 

 ぼんやりと、あかりの灯る石畳の街路には、人影がただ二つ。

 

 殺人鬼・零崎問識と、死神・石凪赭石。

 

 いつかにも。

 同じ道を並んで二人、歩んだことがある。

 その時とは、背丈も大きく変わって。

 二人の影は、もう並ばない。

 

「——誰もいないね」

 

 問識は言う。

 

「クーデターは、どうなったのだろうか」

 

 零れ落ちるような問いを、赭石が拾う。

 

「分からない。少なくとも私が出てきた時点では——もう、最終盤面に近かったけれど……」

 

 それにしては、あまりにも異様な静けさだ。

 

 人が消えたみたいに、ではない。

 人が死んだみたいに、静かだ。

 

 人が死んだみたいに。

 街が死んだみたいに。

 

 世界が死んだみたいに——静かだ。

 

 二人は並んだまま、歩き続ける。

 少女と、青年。

 二つのシルエット。

 

「あ」

 

 そんな折、ふと、赭石が声を上げた。

 

「どう死たの?」

 

 問識の疑問に、赭石は「ほら、あそこ」と指差す。

 

「昔、あの公園でよく話したよね」

 

 言われて、思い出す。

 そう、あそこはいつか、問識がよく通っていた公園だ。

 血まみれのまま家に帰るわけにもいかず、血を洗い落とすために、よく、水道を借りていた。

 問識にとっては、その程度の思い出。

 けれど思い返してみれば——確かに。

 そこは、赭石とよく話した場所でもある。

 

(そういえば)

 

 問識は、隣の少女を見つめた。

 

(彼女と初めて会ったのはいつだっただろう?)

 

 もう、それは思い出せない。

 思い出せないくらい、昔だ。

 昔だけれど——そう。

 それも、この公園だった気がする。

 その時は。

 その時は、まだ。

 彼の母も、生きていて。

 生きていて、くれて——

 ふと。

 問識はそれを、思い出した。

 

「どうしたの?」

 

 ほんの一瞬足を止めた問識に、赭石は心配そうに声をかけた。

 

「……いいや、どうも」

 

 どうもしないよ、と、小さく返して、再び、歩き出すけれど。

 死神と殺人鬼。

 その足並みは、揃わず。

 自然、少しずつ、歩幅がずれていく。

 殺人鬼は、やがて。

 遂にその足を——止めた。

 

「——ここからは、僕一人で行くよ」

「え?」

「これだけ歩いて出会わない以上、敵も居ないと考えていいだろう。僕一人でも、もう大丈夫」

 

 ただでさえ、赭石は大きく傷を負っている。零崎常識との戦いで、二度、爆破の直撃を喰らっているのだ。

 

 不愉快爆弾の——ではないにせよ、その傷跡は深い。その怪我を押してここまで、問識についてきてくれた彼女だけれど——これ以上は、もう十分だ。

 

「どこかで、休んでいてほ死い。あとで迎えに行くから」

 

 そう言って、彼は赭石へと、小さく笑顔を向けた。

 思えば。

 彼が赭石に笑いかけるのは、もしかすれば、初めてのことだったかもしれない。

 それくらい、それは珍しい表情で——

 

「わかった」

 

 と。

 赭石はそう、頷いた。

 

「気を付けてね、問識くん。行ってらっしゃい」

「ありがとう、赭石ちゃん。行ってきます」

 

 それを最後に。

 二人は別れ——問識は進む。

 

 一人孤独に、歩む。

 

 これでいい——と。

 零崎問識は思う。

 

 これが、正しい姿だと。

 

 殺人鬼として、孤独であること。

 孤独であろうとすること。

 孤独であらねばならないこと。

 その理由がなんとなく、分かるような。

 

 孤独な彼らが、なぜ惹かれ合い——家族として、集ったのか。

 その理由もまた薄らと、わかるような、気がして。

 

 けれどきっと、それもまた全ては錯覚なのだろうと思う。

 

「第六問——僕は、何者なのか」

 

 その答えは——ない。

 

 ずっとそれが知りたかった。

 それを知れば、()()()()()()()()()と信じていて、思えば随分と、回り道をしたように思う。

 

 己は死神なのか、

 己は死配人なのか、

 己は殺人鬼なのか。

 

 ともすれば怪物なのか、

 ともすれば孤独なのか、

 ともすれば誰かと、同じ形をしているのか。

 

 どれかでありたくて、どれかであらねばならなくて。

 

 けれど、全ては幻想。

 

 己の正体。そんなものは、この世には存在しない。確固たる一つの言葉で己を言い表すことなど、もとよりできはしないのだ。

 

 己は死神で、

 己は死配人で、

 己は殺人鬼で。

 

 ともすれば怪物で、

 ともすれば孤独で、

 ともすれば誰かと、同じ形をしていることもあって。

 

 けれど結局は、そのどれでもあって、どれでも無い。

 

 それが、人間というものなのだろう。

 

 それに気付けば、こんなにも、清々しい。

 

 問識は小さく。

 吹き出すように、屈託なく笑って——

 

「ああ、もうか」

 

 足を止めた。

 そこは、一つのビルの前。

 他のそれとほとんど変わらない、円柱形の、窓のないビル。

 

 けれどそれはこそ、問識の記憶に最も深く刻まれた建物だ。

 その入り口には——『石凪調査室統括執行課』と、刻まれている。

 

 統括執行課。

 

 それこそは、石凪の最高権力。

 室長直下の最高執行部門であり、石凪調査室という組織全体を統括する部署。

 この建物はその所在地であり、同時に。

 

 石凪室長の、私的住居も兼ねている。

 

 それはすなわち、石凪砥石の生家でもあるという意味で——

 

 問識は。

 

「行くか」

 

 ただいま、とは、言わず。

 

「お邪魔死ます」

 

 と。

 そんな風に言って、ビルの中に入る。

 自動ドアなんて気の利いたものはない。

 彫刻の施された、古臭い作りの両開きのドアを、押し開ける。

 

 中に入れば——しんと、静けさ。

 エントランスに人影はなく、ただ無人。磨き上げられた大理石の床に、敷かれた赤色のカーペット。イミテーションの観葉植物が、意味もなく緑を添えている。

 問識は、入り口の右手奥に向かう。そちらに、確かエレベータがあったはずだ。

 

「あったあった……」

 

 古い型のエレベータ。問識がいた頃から、何も変わっていない。入り口は手動式。内部は木製。格子戸を開いて、問識は内部に乗り込む。

 

 行き先は最上階。ボタンを押して、しばし待つ。上昇には時間がかかる。動力が貧弱なのだ。

 ごうんごうんとエレベータが巻き上げられる音を聞きながら、問識は思う。

 

 これまでのことを。

 これからのことを。

 これから会うことになるであろう——己の父親のことを。

 

 死神を殺す死神——石凪墓石。

 彼のことを、問識はずっと、理解できなかった。

 ただなんとなく。

 己のことを嫌っているのだろうな、と。

 それだけはずっと、感じていた。

 感じ続けていた。

 

 そして同時に。

 きっと自分は、嫌われて当然なのだろう、とも。

 ずっと——思い続けていた。

 

「——傑作、だよね」

 

 兄の言葉を借りて。

 問識は、小さく微笑む。

 

 そして——チン、と。

 硬質な音が、無遠慮にも大きく響いて。

 エレベータが、停止する。

 

「さて、元気に死ているといいのだけれど——」

 

 呟きながら、扉が開いた向こう側。

 問識は、廊下へと歩み出し——

 





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