本話には、作者の別作品、『零崎人識の人間関係 匂宮出夢との追憶』の要素が含まれています。
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「んで? その後はどうしたんだよ」
「どうもこうもないさ。二人死て、必死こいて脱出だよ。地獄門を抜けたところで爆発音が聞こえて、本当、ギリギリだった」
やれやれ、とばかりに首を振って、零崎問識はため息を吐く。
その様を見ながら、テーブルを挟んだ向こう側で、大型のフルーツパフェをつつきながら、「ふーん」なんて気もなく相槌を打つのは彼の下の兄——零崎人識だった。
いつも通り、スーツ姿の問識に対し、人識はカジュアルな服装だった。
厳つい安全靴に、軽やかな白のハーフパンツ。赤いステッチの施された黒いTシャツに、前開きのサマーベスト。そこまでならばまだ良いのだが——問題は首から上だった。
まだらに染めた髪を後ろで括り、両耳にはそれぞれ三連ピアスと携帯ストラップを吊り下げ、怪しげな丸型のサングラスで目を覆い、極め付けは顔の半分を覆う顔面刺青。可愛らしい顔立ちが台無しになるそのファッションは、この場にはまるで似つかわしくない。
一般人が犇く——この場には。
東京、上野駅。駅ビル、アトレ上野の一階にある、千疋屋。
多くの観光客で満席のその場にて、零崎問識と零崎人識は、邂逅していた。
問識は嬉しそうにパフェを頬張る人識を見つめる。大ぶりにカットされた鮮やかな黄色の果肉が眩い、季節限定の完熟マンゴーパフェ。お値段税込、三九六〇円。一食の甘味としてはかなり覚悟のいるお値段だけれど、それに相応しい味であろうことは、人識の表情を見れば察せられる。
問識は思い返す。零崎人識と出会ったのは、ほとんど偶然のことだった。
あの後。
崩壊する死神界からなんとか逃れ、地上に戻った問識は、一夜明けて、再び新富士まで戻り。せっかく東向きに長旅をしてきたのだからと、そのまま東京に向かった。
目的があってのことではなく、完全な、観光目的である。
浅草で雷門をくぐり、御茶ノ水で神田明神に詣で、中野でブロードウェイを散策し、そして——この上野。
日本最大級の科学博物館——国立科学博物館に訪れた時、問識は、零崎人識と出会ったのだった。
完全に、偶然。ばったりと。
地下二階の一角。鯨類の祖先と水棲爬虫類の収斂進化についての展示が行われているそこで——問識は、人識と出会った。
珍しく、一人で。
あの長髪の、匂宮の女も連れず。
ぼんやりと、孤独に。
古代の海を模した青い灯りの下、人識は展示を眺めていた。
「——クジラ、って生き物はさ」
問識の姿を認めてか認めずしてか、独り言のように、人識は話し出した。
「思えば随分と、臍曲がりな生き物だとは思わねーか? 生物が生まれてから幾億年、水の内側に囚われ続けていた生命体が、ようやく陸に上がったってのに——水底の呪縛から逃れたってのに、わざわざまた海の中に逆戻り、なんてさ」
相当な捻くれ者じゃなきゃ、選ばねぇ道だよな——なんて、皮肉げに語る。
「しかもさ、それは一度じゃねぇんだよ。クジラだのイルカだのご先祖様のが海に戻るよりも前にも、大昔の恐竜さんたちの中から、捻くれた連中が海に戻って、似たような面で泳いでたんだとさ」
傑作だぜ、と人識は笑う。青い光が、波のように揺らめいた。
「郷愁なのか、はたまた逃げ道なのか、いずれにせよ、ご苦労なこったぜ。水の中に戻ったって、今更肺を鰓には戻せないってのに」
変わっちまったものは、元には戻らないってのに。
それでも、かつての故郷へ。
息苦しさを堪えて。
生き苦しさを堪えて——戻ろうだなんて。
そんなものはどうしようもない臍曲がりの行いだ——と、人識は笑った。
「……どうかな。僕は案外、それを臍曲がりだとは思わない」
人識の隣に並んで。
展示の、天井から吊るされた一対の巨大な化石を眺めながら、問識は言う。
「彼らはただ、憧れたんじゃないかな」
水の向こうの魚たちに。
その麗しき青の世界を泳ぐ彼らの、生き様に。
自分とは異なる世界で、まだも戦い続ける彼らの、有様に。
ただ憧れて、進んだだけなのではないか。
息苦しかろうとも。
生き苦しかろうとも。
その美しさに憧れたからこそ、それを苦とも思わずに。
ただ直向きに、生き抜いたのではないだろうか。
問識は、そう語った。
「へえ、そいつは随分と、肯定的な捉え方だな」
「最近ね。何事も、ポジティブに捉えることに死たんだよ」
「そりゃあ傑作だ」
よりにもよってお前がか——なんて、かははと笑って、人識は問識の方を見た。
「なあ、お前よ。暇だったら、ちょっと話さねぇ?」
なんて——誘いを受けて。
二人の殺人鬼は、今に至る。
「——それで? 女の方はどうしたんだ?」
人識はパフェを食べながら、問識に問う。
「女の方って……赭石ちゃんね。彼女は、散らばった石凪の死神をまとめ上げるために、去っていったよ」
それからは知らない、と問識は首を振る。
「ふーん。良かったのか?」
「良いのさ。僕と彼女の道は、交わらない」
問識は言う。その表情は穏やかで、無理をしているようには見えない。だから人識はそれ以上、何も言わなかった。
しばしの無言。
後——
「ねえ、人識くん」
問識は、話を切り出した。
「きみはさ、
「ああ? なんだよ、哲学か?」
「言って死まえば、そうだね。多分、きみに聞くべき分野の
それでも。
今はそれを問いたい気分だった。
最終問題——幸せとは、何か?
「かはは、なんだよ、俺が幸せを知らねーうら寂しき殺人鬼にでも見えるってか? 随分な言いようじゃねぇの」
人識は言って、下品にも指の内側でパフェ用の長いスプーンをくるくると回す。
「だがまあ確かに、それに明確な答えを出せるかと言われれば、それははっきりとNOだ。俺だって、幸せは何かなんて知らない。正確に言えば、
ただ、まあ——
と。
人識はそこで、ほんの少し言い淀む。
「あー、俺さ」
少し照れ臭そうに頬を掻いて、迷うように視線を動かしながらも——人識はついに、それを言った。
「今度、子供生まれんだよ」
その言葉に。
問識は——心の底から驚いた。
鳩が豆鉄砲を食ったように、ですらもなく、まるで核爆弾の——不愉快爆弾の直撃を喰らったかのように、その両目を見開いた。
「子供?」
「おう」
「きみの?」
「おう」
「きみの子供が——生まれる?」
「おう」
「本当に?」
「本当に」
「……本当の本当に?」
「本当の本当にだよ、しつけーな。こんなことで嘘ついてどうする」
面倒くさそうに言われて、ようやく、問識はそれを現実であると認めた。
いや、まだも半信半疑ではあるけれど、どうしたって信じ切れはしないけれど——しかし放たれた言葉が、幻覚幻聴の類ではないと言うのは、理解した。
「えっと、それは——おめでとう?」
「ん、さんきゅ」
困惑が多分に入り混じった祝福の言葉に軽く礼を言いつつ、人識は続ける。
「ま、今お前はおめでとう、っつったけどよ、正直、子供が生まれることが本当にめでたいことなのかってのはわからねぇ。俺みたいな殺人鬼の子供として生まれつく人間が、どんな人間かなんてわかったもんじゃねぇしな。子供の方にしたって、かはは、俺なんかの子供としては生まれたくもなかった、ってところかも知れねぇ」
産まれた後、子供がどんな人間に育つのか、無事育ってくれるのか、育てることができるのか。
今はまだ何一つ、分かりはしない。
「子供と親、なんて世間様じゃあ分かち難い絆で結ばれた一対の存在みたいに語られちまう概念だけどよ、これってのはなかなか卑怯な言論だと思うんだよな。たかだか親子ってくらいで、どうして絆が生まれる道理があるかね。親と子だって、所詮は血が繋がってるってだけの他人じゃねぇか。むしろ片方が何も知らない赤ん坊である分、他人よりも悪いかもしれない。相手はまだ自我さえ不明瞭な、不明確な、不鮮明な、未知数存在であるんだからよ」
だってのに——
「そんなコミュニケーションも満足に取れない相手と、お互いにお互いのことを何も知らない状態で、いきなり家族としてスタートを切らなきゃならない。考えてみるとこれってマジにやべーことだぜ」
そんなもん、上手く行くはずがない。
はずがないのに——
「なんでか世間では、
果たして。
俺は
「しかし、どっち側になるとしても——あるいはその子供に、どうしようもなく嫌われて、恨まれて、あるいは殺されちゃったりなんかするのだとしても——その子供に、産まれてきてほしくないとは、思わないんだよな」
不思議なことによ。
人識は笑う。
「最初は、これが繁殖欲ってやつなのかと思った。『
その言葉に、問識は意外そうに小首を傾げる。
「違うのかい」
「ああ違う。……断言は出来ねーけどな。結局、下劣な欲望に変わりはなくて、後付けの理由でそれを覆い隠そうとしてるのかもしれない。だがそれでも——覆い隠せる程度の理由は、あるんだよ」
俺は、多分——
「幸せになったんだと思う」
「は?」
意味がわからないとばかりに、問識は大きく口を開けた。幸せになることが、どうして子供を作ることに繋がる? 話がまるで繋がっていない。
「いいや、繋がっている。……俺はさ。昔はまあ、幸せじゃなかった。幸せじゃないとそう思っていた。なんなら多分、一生幸せってやつには辿り着けなくて、その道半ばでくたばるんだろうなと思っていた」
だけど、違った。
「俺はこの世界に産まれて、幸せになった。
この世界ってのも、
そんな風に、今は思える。
「そうするとさ——この世界に、
この世界に。
このくだらない世界に。
このくだらなく、つまらなく、醜く、悍ましく、不公平で、不平等で、不合理で、どうしようもなく最悪で——それでも確かに、希望が輝く。
こんな世界も悪くないぜと、彼方に紹介状を出したくなる。
「だからさ、俺が自分の子供に生まれて来てほしいってのは、そういうことなんだと思う。こっちに来たら楽しいぜ、と。こっちに来たら——
だから、多分。
「幸せってのは、そういうことなんじゃないか? 多分だけどさ、
半分トートロジーだけどな、なんて、笑う人識の笑顔は眩しく。
それを見た問識は——ストンと。
心の奥に、答えが落ちたのを感じる。
「なるほど。それなら僕もすでに——そうなのか」
問識は小さく。本当に小さく、掠れるほどの声で呟いて、微笑む。
「子供」
「ん?」
「生まれたら、僕にも会わせてよ」
お祝い、持って行くからさ。
「新死い家族には、挨拶を死ておかないとね」
この世界は——悪くないよと。
それを伝えるのは、親ばかりの役目というわけではないだろう。
「——傑作だよ」
人識は言って、席を立った。
パフェのグラスはもう、中身がない。
「もう行くのかい?」
「ああ。子供が生まれる前の、最後の一人旅って感じでな。早く帰らねぇと、あいつにキレられちまう」
帰り支度を始めた人識に——問識は問う。
「ねえ、一つ聞きたいんだけどさ」
「なんだ?」
「子供の名前は、もう決めているのかい?」
問われて——人識は答える。
「ああ、決めてるよ」
「へぇ、なんていう名前?」
サングラスをかけ直した紅の瞳が——どこか遠くを見つめる。
「——
愛しくも、恋しく。
たからかとその名を告げて——零崎人識は去っていった。
まるで全ては夢だったかのように。
元からそこには誰も存在しなかったかのように、対面の席は空白となり——けれど残された空のグラスが、そこに誰かが居たことを示している。
その空席に——新たな客が、やってくる。
「よ、問識」
フェラガモの革靴。漆黒のスーツ。短い髪をオールバックに撫で付け——エメラルドの瞳。
今はその傍に、卒塔婆がありはしないけれど。
彼の名は——零崎軋識。
「なかなか上等なもん食ってるじゃねぇか。東京観光は楽しかったか?」
なんて、彼は優しく笑いかける。
「うーん、まあ、そこそこってところかな」
「そこそこぉ? おいおい、ちゃんと観光したのか? どこ回って来たんだよ」
「色々、一通りは回ったよ。だけどまあ、一人だったから」
楽しさは半減、ってところかな——と彼は言った。
「だからまあ、一番良かったのは、国立科学博物館の地下二階だよ」
「科博か。地下二階っつーと、ティラノの化石か?」
「それは地下一階」
くすくすと、楽しげに笑いながら、問識は言う。
「ねえ、軋識さん、この後、時間ある?」
「ん? ああ、あるぜ」
「それじゃあちょっと、付き合ってくれないかな」
言って、問識は席を立つ。
「せっかく上野に来たんだ死、美術館とかも見て行きたいんだ」
「美術館? まあ良いけど、お前、芸術鑑賞の趣味なんてあったか?」
「ないよ。でも、せっかく家族と出会ったからね。時間を——今を、共有したいんだ」
問識は言って、軋識と連れ立って、店を出る。
「そういえば、知ってるかい、軋識さん。実は、人識くんがさ——」
話しながら、二人は歩み行く。
その先には、あるいは平穏な日常があり。あるいは危険極まる非日常があるのだろう。
どちらが待ち受けるとしても——彼らはもう、迷わない。
零崎問識の人間問答。
これは、とある殺人鬼の物語だ。
死神であり、
死配人であり、
殺人鬼であり、
人間である。
そんな矛盾した一人の男の、人生の断片を描いた物語だ。
男の名は、零崎問識。
公式の記録ではないけれど——語られるに曰く。
彼は一族史上最も多くの謎に満ち、最も酷薄な殺意に溢れ、最も過酷な戦いに挑み——そして一族史上、最も幸福な人生を送ったと知られる殺人鬼である。
(最終問——正解)
(解答継続)
これにて完結となります。
たくさんの感想、評価、お気に入り登録などなど、ありがとうございました。
最後にちらりと名前の出た人識くんの子供に付きましては、今年三月三十日に行われるイベント、イシンノセカイ13にて配布予定の同人誌『零崎人識の人間関係 匂宮出夢との追憶』のおまけ編(約180P)にて語られる予定です。
もしよろしければ、同人誌の方も、お手に取っていただければ幸いです。
それではまた、いつか、どこかで。