零崎問識の人間関係 怪談百面相との関係 1
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戦争は長引いている。
何が原因でその戦争が始まったのか、今となってはもうわからないし、それがわかったところでもうその意味だって存在しない。戦争はすでに始まっているし、その決着はどちらかの全滅以外では果たし得ない。
正確なところを言えば、奇野師団としては、和睦の用意がある。死色の真紅の参戦が見込めなかった以上、もはや奇野師団に勝ち目はない。この戦争で、奇野師団が戦略目標を達成できることはあり得ないことが確定した。確定した以上、この戦争にはもう意味がない。価値がない。勝ち目がなくて、勝ちようがない。
だから奇野師団としては、和睦の道を選びたい。和睦の道を選びたいが——相手が決してそれを認めないであろうことは、よく分かっていた。
和睦など、認めることはないだろう、こちらがどれほど譲歩したところで、対価を支払ったところで、謝罪を尽くしたところで、相手は絶対に、和平交渉になど応じない。
それは分かりきったことだ。
戦争はもうすでに——絶滅戦争に突入している。
どちらかが勝つか負けるかの戦争ではなく。
どちらかが滅ぼすか滅びるかの、絶滅戦争に。
いや、それは始まったその時から、きっとそうだったのだ。
戦争を仕掛けるとは、そういうことだ。
「アホらしいぜ、まったくさ」
鬣のように伸ばしたソフトモヒカンを整髪料で整えながら、
「こんな結末、最初から分かっていただろうに」
へらりと言って、洗面所を出る。
マンションの一室。一人で住むにはやや広い、2LDK。それは解知の自宅——なんてわけでもなく。
そのリビングには——四つの死体が転がっている。
父、母、子二人。
かつては幸福な家族だったのだろう彼らは、今は眠るように、死んでいる。
まるで添い寝をするように。
リビングに敷かれたカーペットの上に、四人並んで、死んでいる。
その死体に一切の外傷はない。当たり前だ。他人に外傷を負わせる術など、解知は持っていない。ナイフ一本扱えない、戦闘のど素人。それが奇野解知で、だからこそ。
解知は戦わずして人を殺す方法を、持っている。
感染血統・奇野師団。
その本質は——病毒遣い。
この部屋にかつて暮らしていた四人の家族は、解知の扱う病毒にこそ侵され、その命を儚く散らしていた。
死体たちの存在を特に気にすることもなく、解知はそれらを平然と跨いで、リビングにあるソファにどさりと腰掛ける。振動で、全身に着けたアクセサリーがじゃらじゃらと音を立てた。
一般人の家に転がり込んだのは、追跡から免れるためだ。
事前に用意していたセーフハウスは、すでに使えないと思っていい。
解知は小さくため息を吐く。
戦争の戦況は悪かった。
一度はあの『
死色の真紅は退場し、趨勢は敵方へ——零崎側へと傾いた。
解放された二代目『
暴力の化身と、殺意の化身。
それぞれそう呼称する他にない、正体不明の零崎たち。
彼らの参戦が、決定打だった。
(いや、本当の決定打は違う、か)
解知は思う。
二人の零崎の追加参戦は、致命傷だった。
しかし、その致命傷が加わる原因となったのは、やはり——二代目『
奴を早々に始末できなかったことが、最悪だった。
(なぜ、奴がこうも早く策を見抜いたのか)
先代同様、知略にも優れた殺人鬼だった、ということなのかもしれない。
しかし——解知が聞き及んだ情報によれば、それは違う。
違うとは言っても、二代目『
(——
吸血鬼。
吸血鬼——だ。
それは比喩や冗談なんかではなく、文字通り本物の、血を啜り人を喰らう、
馬鹿馬鹿しいかぎりである。どこのライトノベルの話なのだろう。現実の世界に、吸血鬼なんて怪物が存在するわけがない。
わけがない、と。
そう断言できたならば、良かったのだが。
(『
最近になって、どこからともなく現れた同胞——奇野無知に曰く。
世界とは——一つではない。
(無数の世界は通常隔てられ、交わることがない)
しかし——
(強い因果に纏わりつかれた
世界を越境し、交差する。
それは妄言妄語の類ではなく、純然たる事実として。
その現象は観測されている。
観測されているからこそ、奇野解知は零崎人識を標的としていたわけで——
(そういう意味では、二度目なわけだ)
無論、その吸血鬼の存在を零崎人識が引き寄せたのか、はたまた吸血鬼の方が
いずれにせよ——現象は巻き起こっている。
世界が交差し。
(
この世界には存在しない概念——怪異。
それが、この世界に現出している。
現れ出り——交差している。
(ならば俺の役割は——それを確たるものにすることだ)
奇野解知は思う。
奇野師団が戦略目標を達成することは、もうあり得ない。
奇野師団はすでに敗北が決定していて、敗戦が決定していて、敗滅が決定している。
だが——奇野解知個人に限って言えば。
勝敗はまだ——わからない。
(吸血鬼——を、捕まえることができたなら)
物語を越境する、強烈な『
(——無知のやつ、俺を好きになってくれるかな)
奇野解知、当年とって十五歳。
未だ若く幼く——恋に恋する年頃だった。
かくして——物語は始まる。
それは奇野師団と零崎一賊の、知られざる密やかな戦争の、さらにその裏で行われた小さな大捕物。
病毒遣いと殺人鬼による、
それは世界の誰にも知られず、世界の誰の益にもならない、血と死に塗れた戦いだった。
◆ ◆
「君が怪談百面相だね。姉を助けてくれて、どうもありがとう」
なんて慇懃に礼を言われても、阿良々木暦はちっとも嬉しくなかった。
かつて持っていた一般市民なんて肩書きも、かつて就いていた高校生なんて役職も、かつてそうであった人間なんて種族をさえも全て捨て去って、無様にも怪談に身を窶した暦だけれど、それでも元一般市民として、元高校生として、元人間として、人殺しを忌避する心くらいは残っている。殺人を許さぬ程度の倫理は持っていて、殺人者を蔑む程度の人倫は保っている。
だから、阿良々木暦はちっとも嬉しくない。
どれだけ丁寧なそれであったとしても——現役の殺人鬼に礼を言われたって、ちっとも嬉しくなんてないのだ。
零崎問識。その殺人鬼はそう名乗った。
かつて阿良々木暦が出会い、その窮地を狙ってではないとはいえ救った、人を殺せない殺人鬼——零崎舞織の弟だ、とも。
似てないな、なんて感想は当たり前だ。零崎。零崎——一賊。それは『この世界』において、殺し名の第三位に列せられる殺人鬼の集団。彼らは血ではなく流血によって繋がる一賊であり、彼らにとって『家族』とは血の繋がったそれを指す言葉ではない。
血ではなく——流血。
血の赤よりも色濃く、強く、また儚い絆によって繋がる、殺人鬼たち。
それが零崎一賊であって、いずれにせよ。
その一員である少年の姿を、阿良々木暦は観察する。
夜の路地裏、暗い闇の中でもよく目立つ、癖のある白い髪に、少年のようなとまでは言わないまでも、それでも未だ若々しく青さの残る、老いからは遠い顔立ち。鋭い目つきに、整った鼻筋。そう背が高くはない細身の体を、上等なスーツで覆う紳士的な姿に、けれど似つかわしくないのは、だから彼がその片手に持つ鎚だった。
ただの鎚——では、ない。建築現場や鍛冶場で使われるようなハンマーの類とは、根本的に形状が異なる。
形状が
目的が。
設計理念が——異なる。
それは何かを作り出すための鎚ではなかった。釘を打つことも、鋼を練ることも、その鎚の役割としてはまるでふさわしくない。
だって、そう。
その鎚はただの鎚ではなく——
その銘を知るのは、阿良々木暦にとっては今よりもずっと後のことになるのだけれど——ともかくとして。
人の頭蓋など軽々と砕くだろう鉄塊に、ダメ押しのように
好感なんて持てなかったし。
交流なんてしたくもなかった。
交友なんてもってのほかで、あるいは拘留ならばまだしもなんて、冗談にしても笑えないほどで。
しかし、それでも。
「——ああ、こちらこそ、どうも」
それでも——阿良々木暦が彼の言葉に、たとえどれだけそっけなくであったとしても、確かに小さな会釈と共に返事をしたのは、それは仕方のないことだった。
仕方のないことで——当然のことだった。
必然のことで、自然のことだった。
だって、そうだ。それがどんな手段によってであったとしても——
一般市民ではなくとも。
高校生ではなくとも。
人間ではなくとも——
怪談ではあっても。
怪異ではあっても、最低限。
通しておくべき礼儀というやつが、あるだろう。
そう思ったから、だから阿良々木暦は頭を下げて、謝意を示した。たとえ軽くの会釈であっても、それでも阿良々木暦は零崎問識に、頭を下げて礼を述べた。
人を殺してもらった、礼を述べた。
粉々になって夜の路地裏に散らばる、焼けこげた死体——かつて己の命を狙う刺客であったそれらに囲まれて。
阿良々木暦は、その時、零崎問識と初めて出会った。
握手なんてしなかったし、しようとも思わなかったけれど。
それでもそれは確かに出会いで、つまり一つの、人間関係の始まりだった。
本日、東京ビッグサイトにて「イシンノセカイ14」にサークル「狐猫社」で参加しております。
「零崎問識の人間問答」を書き下ろしのおまけを加えて同人誌化し、配布しております。
ぜひお気軽にお越しくださいませ。
事後にBOOTHにて通販も開始する予定ですので、その際はまたよろしくお願いいたします。