◆ ◆
零崎一賊と奇野師団の抗争。そう呼ぶ他にない一連の事件だけれど、しかしそこには複数の勢力が密接に、そして有機的に絡み合っている。
たとえばそれこそ、零崎舞織の窮地を怪談百面相が救ったように。
零崎舞織の窮地を、時宮病院と罪口商会が作り上げたように。
人類最強の請負人が、一度は盤面に登ったように。
盤面を操ろうとする、六つの呪いがあるように。
一つの恋のために動く、若き奇野がいるように。
思惑は重なり、絡み合い、ずれて、外れる。
たとえば今だって、そう。
あるいは奇野解知が、武器を求めて罪口商会に連絡を取ったのと同じように。
時宮病院もまた、抗争の
事態は急速に、変化している。
縮小している。
縮小して、凝縮して、濃縮して。
終わりへと今まさに、導かれようとしている。
だから引かれる幕のその前に、演者たちは駆ける。
目的を果たすために。
思惑を果たすために。
望みのために。
叶えるために。
陥れるために。
貶めるために。
病毒は蔓延り。
想躁は忍び寄り。
武器は打たれる。
全ての準備は整って——だからターゲットは、零崎。
零崎にいかにして戦争を、『
ゆえに、策は張り巡らされる。
この戦争に、致命傷を与えるために。
この戦争を、致命的に終わらせるために。
この戦争を、始まりから無かったことにするために。
悪意は這い寄り。
そして——
◆ ◆
「——それに死ても、舞織姉さんが通りかかってくれて助かったよ。
気絶した薄野定議を——薄野定議だったものを拘束しながら、問識は言う。ここまでしなくても、おそらく彼はもう再起不能であろう。人体の限界を引き出すために投与された薬剤に、人体の限界を超越するために撃たれた病毒たち。それは彼の体に一時的に超人的な強さをもたらし——そして当然のように、その代償を払わせた。肉体の劇的な変化は、短期的にはともかく、長期的には生命としての破綻だ。長生きはできないだろうし、プレイヤーとしての復帰など以ての外。生きているのが奇跡、というところではないか。医者ではない問識の目から見ても、彼の肉体はあまりにも無理をさせられ過ぎていた。
「ま、家族のピンチには駆けつけるのが、姉の役割ですからね」
ふふん、と舞織は胸を張る。子供っぽい仕草で、微笑ましかった。
零崎舞織——彼女と問識の因縁は浅からぬ。古くは大厄島、北の果てに浮かぶ闇口衆の拠点へと、問識が——否、未だ石凪砥石だった死神が出向していた頃にこそ、その始まりはある。
初めの時、石凪砥石と零崎舞織は敵同士で。
今。零崎問識と零崎舞織は——家族同士だ。
その関係性の変化は、一朝一夕に起こったものではなくて、けれどだからこそ。
今ではお互いに、お互いをとても大切に思い合っている。
「それにしても、百面相さんも大変ですねぇ……奇野師団に狙われることになっちゃうなんて」
「元はといえば、伊織ちゃんが原因だけどな……ま、別に気にしちゃねーよ。狙われることくらい、日常茶飯事とまでは言わないまでも、慣れてるさ」
彼は言って、肩をすくめた。
「舞織さんが来たからには安心ですよう。大船に乗ったつもりでいてくださいな」
彼女は言って、その胸を義手の拳で叩く。……かつて百面相が彼女と出会った時には着けていなかったそれだから、何やら新鮮に見えてしまうけれど。そうか、腕が短くない状態であれば、当然萌え袖ではないんだな、なんてくだらない思考。
「とりあえず、移動しましょうか。いつまでも同じ場所に止まっちゃいられないですし、何より、黒幕をどうにかしないといけないですしねぇ」
舞織の言葉に、問識が僅かに眉を上げる。
「黒幕、っていうと——」
「はい。こっちの方で見つけましてね——今回の戦争に裏から糸を引く、奇野の中枢を」
ただ——
「どうも、裏の方で『請負人』が動き始めたって話もありますからね……早めに動いて、首謀者だけはさっさと始末をつけた方が良さそうです」
「『請負人』……っていうと、あの赤い?」
「いえ、そっちではなく——新進気鋭の、青い方ですよ」
なるほど——と問識は頷く。
人類最弱、動いたか。
おそらくは人類最強、哀川潤からの縁だろう。策略で引っ張り出された彼女が、事実誤認だったとはいえ素直に引いたのは違和感があったが……それはつまり『後任』の存在ゆえか。
仕事を譲った……と、そんなところなのだろう。
「となると、うん。確かに零崎一賊と死ては、早急に動いた方がいいね」
あの青き請負人に、落とし所を
今も昔も、零崎一賊にとっては恐怖がこそ、最大の盾。
ならば——向かうならば今すぐに。
「病み上がりですけど、大丈夫ですか?」
物憂げな舞織の問いに、問識は頷く。
「ああ、吸血鬼の血ってのはすごいものだ。体力全開とまではいかないが、戦うのに支障はない」
「なら——行きますか」
この戦争に蹴りをつけるために。
この争奪戦に幕を引くために。
零崎を——始めよう。
「こっちです。場所は思ったより、近いですよ」
言って、舞織は問識に向けて、その義手の手のひらを差し出した。その冷たい手を、問識は取ろうとして、手を伸ばし——
意識が、眩む。
ほんの一瞬。
瞬きにも満たない間、意識が飛んだ。
あるいは、そう。
意識が——緩んだ。
有体に言えば、
あるいは直前の大怪我が、治ったとはいえまだ尾を引いていたのかもしれない。
あるいは家族との合流に、気が緩んだのかもしれない。
差し出された手に——安心したのかもしれない。
だから。
だから問識は。
ほんの僅かに気を緩めて。
緩めて、しまって——
差し出された舞織の腕が、完膚なきまでに打ち砕かれる。
「……え?」
その言葉を呟いたのは、一体その場の誰だっただろう? 当たり前のように舞織だったかもしれないし、もしかすれば問識自身だったかもしれない。あるいは傍観していた百面相かもしれず、あるいは呆然としていた八九寺真宵かもしれない。
いずれにせよ。
いずれにせよそんなことは、きっとどうでも良いことで。
だから重要なのは、その時起こった現象だった。
現象であり、衝動であり、衝撃であり、傷害だった。
驚いて、見れば。
差し出された舞織の右手。その黒鉄の義手は、肘から先の前腕が木っ端微塵に粉砕されていた。
それを成したのは。
それを成したのは——零崎問識。
彼は。
彼は能面のような表情で、自らの得物たる爆発鎚、『
「あ」
袈裟懸けに振るわれたそれが、もう一度。
引き返すように逆袈裟を描き——
あまりにも、自然な動きで。
誰が止めるのも、間に合わず。
振るわれた『
舞織の右半身を、爆破した。
「——てめぇ!」
百面相は慌てて問識を羽交締めにする。だがそれは、あまりにも遅きに失した動きだった。
「何やってんだよ、零崎問識!」
悲鳴のような絶叫。
体を拘束され、揺さぶられてようやく、問識は我に返ったようにその手から『
「舞織、ねえさん」
その半身を失い、血どころか内臓までをもこぼして硬直する彼女を、見つめる。
彼女の体は。
もう手の施しようがないほどに、壊れ切っていて——
「あ」
問識は。
「ああ——」
それを成した自らに——絶望した。
「……な、なんで……」
舞織は、血を吐きながら、息も絶え絶えに言う。
信じられぬとばかりに。
その凶行に、在らん限りの驚愕と恐怖を込めて目を見開いて——呟く。
「なんで——————————わかったんだよ」
そのニット帽が、ずれて。
その内側から。
幻影が——剥がれ。
そこにいたのは、零崎舞織ではなく——
「誰だ……お前」
声を溢すのは百面相。
その場にいる誰もが、知らないことだったけれど。
奇野解知という名の、年端もいかぬ
彼女は焼け爛れた右半身を庇いながら、それでも驚愕冷めやらぬとばかりに言葉を紡ぎ続ける。
「あり得ねぇ……時宮の幻覚を被ってたんだぞ……俺の姿はどう見たって、零崎舞織にしか見えていないはずだった……性別、背格好は元から同じ。感触からバレないように、腕だってわざわざ切り落として義手に変えたのに——なんで」
どうして偽物だって、バレたんだ。
息も絶え絶えに言う彼女に——けれど問識は。
「……悪いけれど」
苦々しく、答える。
「僕は君の正体を見破って、攻撃を加えたってわけじゃない」
むしろ。
むしろ問識は——
「君を本物の舞織姉さんだと思ったからこそ——君を殺そうと死たんだ」
その罪を。
彼は、告白する。
「それは、どう言う——」
「僕は……零崎と死てはかなり特殊な立ち位置にいる」
死神たる石凪を父に持ち、死配人たる死吹を母に持ち、生まれてきた彼は、零崎で。
持って生まれた殺意は——零崎としても多すぎた。
それこそ、周りの人間に向けるだけでは、足らないくらいに。
「だから僕は、君を狙って攻撃死たわけじゃないんだよ。ただ本当に、いつも通りに抱いた殺意を——けれどいつも通りには堪えきれなくて。……ぼくは
家族を守るためにと渡されたはずの『
零崎舞織だと思い込んだまま、その少女を爆破したのだ。
「はは……なんだよそれ」
んなもん——計算できねぇにも程がある。
かしゃり、と。
残った片手に握っていた、本当ならば問識に突き立てるはずだった注射器を捨てて、彼女は項垂れる。
「最後の最後で、見誤ったな」
途中までは、上手く運んだと思ったもんだが——最後の最後に、こんなジョーカーが控えてるとはね。
彼女は言って——
「出直しだ」
ば、と。
そのポケットから、何かを取り出す。それは小さな金属の筒。かつての経験から、問識はそれを即座に見切り——
瞬間——爆音と、閃光があたりに満ちる。
それが炸裂した後。
目を見開けばもう、彼女の姿は——どこにもなかった。
「……逃げられた、か」
「……あの傷でか?」
「あの傷だからこそ、かもね……どのみち、あれはもう助かりようがない」
問識は言って、肩をすくめた。
そして、地面に転がった『
それを、躊躇う。
「……結局、ダメなのかな」
自嘲するように、空虚な笑いが漏れた。
「僕は結局——こんなふうに。いつか
ため息と共に、彼は言う。
「やっぱり、ダメだったのかな。思い上がりだったのかな。僕が——僕なんかが、誰かと家族になろうだなんて」
そんなのは思い上がりで——高望みだったのかな。
彼は言いながら、立ち尽くす。
迷子のように。
子供のように、立ち尽くす。
「いつか、失って死まうくらいなら」
失わせてしまうくらいなら。
いっそ。
自分のような存在は。
今のうちに。
まだ何も失わないうちに。
消えてしまった方が、いいんだろうな——
なんて。
全ての望みを失ったかのように、呟く彼に。
八九寺真宵は、違うと叫びたくて、けれど——できなかった。
それをするには、八九寺真宵は零崎問識を知らな過ぎた。
彼が道に迷っていることはわかって、けれど、わかるのはそれだけ。
導く術を、彼女は持たない。
己は迷子で。
迷子の気持ちはわかっても——
それを助ける誰かの気持ちはわからない。
だから。
だからその言葉は——違う誰かが、引き継いだ。
「——違いますよ、問識くん」
背後から、かかる声。
その場にいた誰もが、弾かれたようにそちらを見る。
そこにいたのは、一人の少女だった。
ニット帽に、両腕義手。黒いドレスに、赤のヒール。どこまでも人好きのする、眩い笑顔。
彼女こそは、人を殺さない殺人鬼、零崎舞織——またの名を、無桐伊織。
零崎問識の——無二の姉。
その姿に問識は、目を見開く。
「……本物?」
「失礼ですねぇ、本物ですよ、ほらここに——」
と、彼女はスカートを捲る。その内側のスパッツを見せつけるため——ではなく。
太ももに巻きつけられたホルスターから、そこに収められていた『鋏』を取り出すためで。
「どう見たって、本物でしょう?」
取り出されたそれは——『
かつて零崎舞織が、その兄零崎双識からこそ受け継いだ、絆の象徴。
他の誰が持つわけもない、唯一無二の大鋏だった。
再びそれをしまって、一歩、彼女は問識へと近づくけれど。
「ち、近寄らないで!」
そんな彼女を、けれど問識は拒む。
疑ったわけではない。
むしろ今度こそ、彼女が本物だと確信するからこそ、拒んだ。
今度こそ、自分が。
先ほどのように、耐えきれず。
彼女のことを、殺してしまうんじゃないかと思って——それでも。
「大丈夫ですよ」
彼女は。
そんな問識を——抱きしめた。
「ほら、ね?」
君は私を——殺さない。
抱きしめられ。
その温かく冷たい腕の感触が、問識の心を溶かしていく。
溶かして——蕩かして、癒していく。
「僕は……」
「問識くんは、大丈夫です」
よしよし、と。
子供みたいに、その背中を撫でられる。
「問識くんは、家族を殺したわけじゃないですよ。今回だってむしろ、その敵を倒しただけです。お手柄ですよ」
「それでも……僕は彼女を、彼女をあなただと思って——手にかけたんだ」
「それでもです」
それでも。
私はまだ、死んでないですよ。
そんなふうに、言われて。
「僕は、いつか……」
それでも涙が、止まらなくて。
「いつか、あなたを殺してしまうかもしれない」
「そうですか。それならそれが、私の人生最後の日ですねぇ」
「……良いの?」
「良いわけないです。やーですよ。やーですから——頑張って、我慢してください」
信じてますから。
なんて。
そんな無垢な信頼を、抱擁と共に、酷いくらいに身に受けて。
問識は静かに——頷いた。
「頑張るよ」
僕は——頑張る。
彼は言って、自らの姉の胸の中で、誓う。
その魂にこそ、深く。もう二度と、愛する家族を殺さぬように。
愛してくれようとする誰かを、殺さぬように。
いつの日か。
自らが手にかけた母にこそ——それを誓う。
その日。
零崎問識は一つの記憶を思い出した。
それは幼少のみぎりの、許されざる罪であって。
だからそれを取り戻した彼は——もう二度と、八九寺真宵の姿が、見えなくなった。
◆ ◆
「私たちは、ここでおさらばです」
零崎舞織はからりと言った。すでに戦争は終局が見え、情報通り、『
「僕も結局——君との約束を、破って死まった死ね。人殺死は、退散するよ」
皮肉げに言って、問識は百面相に別れを告げた。
彼の前で、人を殺さない。
その誓いは結局、破られた。
破って、しまった。
その負い目があるからこそ——次の誓いを、もう二度と破らぬように。
彼は心を、固くする。
「ああ、これまで護衛してくれて、ありがとな」
そんな彼らに、百面相は笑って手を振った。
決して、そんな言葉ひとつで別れられるほどの経験ではなかったけれど、しかし他にどんな言葉を贈ればいいのかもわからない。だから言葉少なに、彼は問識たちに別れを告げて——
「そうそう」
と。
問識は百面相を引き止める。
「そういえば、でしかないんだけどね。君、顔のない狐なんて怪異を探しているんだろう」
「ああ。そうだけど、もしかして何か——」
「ある、ってわけじゃあ、残念ながらない。だが、
彼は言って、その情報を引き渡した。
「最近、あくまでも噂レベルでの話でしかないけれど——『オカルト屋』なんて存在が某所で流行ってるらしい」
「『オカルト屋』?」
「眉唾な話だけれどね。
もしかしたら、君の求めている情報に接続できる何かが、あるかもしれない。
問識は控えめに言った。
「ありがとう。助かるよ」
「礼はいらないよ。どのみち、不確かな話でしかない」
ま——せいぜい頑張ってくれ。
なんて。
そんなそっけない挨拶を最後に——怪談百面相と零崎問識は分かれた。
結局。
それはすれ違うような邂逅で、確かな関係を紡げるような余地があったわけじゃない。
それでも、零崎問識にとって、彼らとの出会いは、忘れられない記憶となった。
それは自らの心のかけらを、拾い直す作業であって。
だからそれを取り戻した彼は、後日、一本の電話を掛けた。
兄からもらった携帯で、とある番号へと、旅の誘いを。
画面に表示される宛先は——石凪赭石。
行き先は富士山。
目的は、墓参り。
◆ ◆
「——っ、は、は……」
体を引きずるようにして、路地裏を歩く。
こぼれ落ちる血が止まらない。右半身の主要な臓器が傷つき、一部は完全に破壊されている。複数の薬剤で無理やり体を奮起させ、動いてはいるが……それでも、あと十分と経たずに死ぬだろう。
それがわかる。
わかるからこそ——彼女、奇野解知は歩いていた。
動かぬ体を必死に動かし、引き摺りながらも、前へ。
歩き続けて——その場所を、目指す。
路地を抜け、角を曲がり、道を進んで、階段を登って——
「——あ、おそーい!」
元は城跡だと言う、町外れの小高い丘の上。その少女は、落下防止の金属柵に不用心にも腰をかけていた。
「ハロハロ、ご類友。どうしちゃったの、そんなボロボロで? 今にも死にそうじゃん、ウケるー!」
なんて笑う少女の姿を、解知は必死にその目に収める。霞む瞳に喝を入れて、焼き付けるように。
街頭に照らされる少女は美しかった。赤縁の眼鏡に、どこか勝気な幼い顔立ち。その顔面に、アンバランスにも刻まれた『混沌』の焼印。ほとんど半裸に近い、局部だけを覆うような過激なファッション。見せる肌には隅々にまで入れ墨が刻まれ、まるで肌というカンバスを塗り潰すかのよう。
彼女こそは——奇野無知。奇野解知が恋する、ただ一人の少女だった。
「……悪いな、ちょっと、トラブルがあってさ」
へへ、と笑って、解知は近くの街頭に体をもたれかけさせる。もう、立っているのも限界だった。
「トラブル? なになに、車にでも轢かれちゃった? あ、それとも新しい薬の調整をミスっちゃったとか?」
ぴょい、と鉄柵から飛び降りながら、彼女は言った。
「ま、似たようなもんさ」
肩をすくめる。そう、似たようなもの。あれはほとんど事故のようなもので、そして己のミスでもある。他にキャストがいなかったからとは言え、自らのこのこと敵の目の前に姿を晒した己のミスだ。
そのせいで——せっかくの逢瀬だと言うのに、手土産の一つもない。
「んでんで? 今日会いたいって言うのは、一体何のご用事で?」
そんな解知の胸中も知らず、無知は無邪気にそんな風に問う。そう、会いたいと言い出したのは解知の方だ。だと言うのに、この様。全く無様で、嫌になる。
「……ごめんな」
「んー? 何が?」
「ほら、この間、お前さ、怪談百面相が
「あー! 言ってた言ってた」
「それ……手に入れようとしたんだけどさ、ダメだった」
悪いな、と解知は笑う。
きっと失望されるだろうな、と思った。使えないやつ、なんて思われて、冷たい目で見下されるのだろう、と。それはそれで、悪くない。しくじった己には、相応しい罰だ。そんな風に思って——けれど。
「ふーん、そっか!」
なんて。
そんな風に彼女は、微笑んだ。
「……怒らないのか?」
「何で? そのために、こんなにボロボロになるために頑張ってくれたんでしょ? なら、ありがと!」
満面の笑みで。
ありがとう、と。
彼女は解知に、そう言った。
何もできなかった解知に。
何もかもを失った解知に。
それでも彼女は、感謝を告げた。
冷え切った体に、熱が灯るような。
「……なあ、無知」
「ん、何?」
「俺、お前のことが好きだ」
本当は、もっとかっこよく。
縛り上げた百面相を手土産に、それを告げるつもりだった。
でも、うまくいかなくて。
溢すような、無様な告白。
「俺と結婚してくれないか」
女同士で、なんて今更。そんな話じゃあないんだ。
好きってのは、恋ってのは、そんな話じゃなくて。
結婚、だって、言葉通りのそれじゃなくたっていい。
ただ。
ただ己のことを、他の誰より選んで欲しくて——
「ごめん、無理!」
彼女は困ったように笑って、即答した。
「だって私——好きな人いるから」
恥じらうような、蕩けるような。頬を染めた、恋する乙女の表情で、彼女は言った。
それを見て。
「……だよなぁ」
くしゃりと顔を歪めて、解知は笑った。
知っていた。
そんなことは知っていたのだ。
これまでだって、そう、ずっと……。
彼女が恋する乙女であることなんて、わかりきったことだった。
だって——この世の誰より好きな人のことだから。
そんなことは、わかりきっていた。
それでも、解知は、そんな彼女の恋する横顔にこそ。惚れ込んだのだ。
「無知」
「うん」
「好きだ」
「うん」
「愛してる」
「うん」
「いつか……」
何事かを、いいかけて。
けれど解知はそれを飲み込んで、代わりに言った。
「叶うといいな……お前の恋が……」
ほう。と。
吐き出した吐息と共に。
奇野解知の生命活動は、停止した。
「うん」
それを見て、奇野無知は静かに頷く。
そしてまだ目も閉じ切らない、生きていた時とまるで変わらない解知のその頬に——小さく口付けを落とした。
「ありがと、ばいばい、解知ちゃん」
だからその名を呼ばれたことも、結局解知は知らなかった。
知らないままに、解知は死んだ。
彼女は恋に恋する少女のまま、恋に恋する少女へエールを送って死に絶えた。
だから——
やがて夜は明け、青い空がやってくる。
戦争は終わる。
人間関係は、終わらない。
これにて番外編完結です。ご愛読ありがとうございました。
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