窓一つないこの部屋には、昼時でも太陽の光は一切差し込まない。そんな闇の中で男は、必要のない蝋燭の明かりを灯し、読む必要のない書類に目を通していた。男は表情こそ穏やかだったが、その内心は腹立ちで燃え盛っていた。最もここ数年、この腹立ちが収まった事はないし、別に収めようとも思わなかった。
(一刻も早く、青い彼岸花を見つけて、太陽を克服せねば・・・)
鬼舞辻無惨は、机の端の試験官に幾つかの薬品を混ぜて軽く振った。液体がコポコポと音を鳴らし、嫌な臭いを発しながら煙へとなっていく。彼はこの変化を見るのが嫌いであったが、感情が高ぶった時ほど、妙にこの変化を楽しむ自分がいた。
「お前の変化はその程度か?それでは、私にかすり傷一つつける事はできぬ。その臭いは逆に私の逆鱗に触れるだろう」
無惨は試験官を握りしめ、それを床に叩き付けようとした。だがその優れた聴覚がその動作をやめさせた。
その数秒後、階段を駆け下りるドタドタという音の後に、部屋のドアをノックする音が響いた。
「おとーさーん」
「ああ、開いているよ」
無惨が言葉を発するかどうかという前に、ドアが開き、勢いよく『娘』が飛び込んできた。
「・・・お仕事中だった?」
娘は上目遣いをしたあと、ぐるりと大げさの首を回し、部屋全体を見渡した。
「いや丁度一息着こうとしたところだよ。それより蘭(らん)、どうかしたのかい?」
自分でも反吐が出そうなほど甘ったるい声を出し、作り笑いを浮かべ、『優しいお父さん』を演じる。
「こら蘭、お父さんはお仕事だって言ったでしょ?」
娘に続くように『妻』の麗が部屋へ入って来た。手にはお盆が持たれており、そこには紅茶とカステラが置かれていた。
「ああ、いいよ麗。丁度休憩にしようと思っていたところだ」
「じゃあお父さんも、一緒にお菓子食べよう」
「ああ、ありがとう」
「らん、おとーさんのお膝の上で食べる!!!」
「こら、蘭」
「ハハ、いいよ麗。ここしばらく仕事が忙しくて、蘭にかまってあげられなかったからね」
「わーい!!やったぁ!!!」
無惨は蘭の頭を優しく撫でる。
(このような小さな頭蓋骨、このまま握りつぶしてくれようか)
我ながら心とは真逆の言葉が出てくるのには感心すら覚える。二重人格と言うものがあるのならばこういうものだろうと思わずにはいられない。
「麗も、一緒に食べよう。部屋が暗くて居心地が悪いかもしれないが・・・」
「そんなことありませんわ」
麗はいつものように毅然と言い放つ。 そのままそこへ座り、丁寧にカステラを切り分ける。
「そういえば蘭、お父さんに」
「うん」
「ん?なんだい」
母親に促されて蘭は最初から、その小さな掌に優しく握っているものを、父親の前に差し出した。
「これは?」
「四つ葉のクローバーだよ。らんがね、お父さんの病気が治るようにって、探してきたの。そしたらね、見つかったの」
「きっと神様が、蘭のお願いを聞いてくれたのね」
麗が無邪気に微笑む。母と子で笑った顔はよく似ていた。
無惨は呆れのあまりに腹を抱えて大笑いしそうになるのををなんとかこらえきった。
(くだらぬ。神様だと?そんなものはこの世にありはしない。もしもあるとすればそれは・・・)
「ありがとう蘭。お前は本当に優しい子だ」
父親は優しく微笑み、その大きな手で幼い娘の頭を撫でた。決して潰してしまわないように、細心の注意をして、だ。 無惨の心をまったく知らぬまま、娘は嬉しそうに微笑んだ。
「そうだ。今度浅草で祭りがある。みんなで行こうじゃないか」
「あら、でもあなた、その日は確かお仕事が・・・」
「商談は夜遅くだから問題はないよ。それにたまには蘭とたくさん遊んであげたいですし」
「わーいおとーさん、大好き!!!」
父親が言葉を言い終わらないうちに、娘の笑顔がパァっと輝き、そのまま抱き着いてきた。 無惨はわざとらしくおっとと言い、背後に倒れそうになる仕草を取る。
「ありがとう。ではお父さんはそろそろ仕事の続きをするとしよう。予定がしっかりしていれば、それだけ蘭と長く遊ぶ事ができるからね」
「はーい!じゃあ、らん、お父さんのお邪魔しないようにするね」
「ええ、良い子にしておいで」
父親は娘を慈しむような眼を向け、再びその小さな頭を優しく撫でる。 娘はえへへへっとまた微笑んだ。
妻子の気配が完全に消えたのを確認してから、鬼舞辻無惨はクックックと声を漏らす。今にも大笑いしたくて仕方がないのを無理矢理に押さえつけると、今度は激しい苛立ちと腹立ちが襲ってきた。無惨は四つ葉のクローバーを握りしめようと力を込める。
「こんな小さきもので、このようなくだらぬもので、私の願いを叶えるだと!!人間とはなんと滑稽な生き物だ・・・!!こんなもので私の悲願が達成されるのならば、私は貴様らなどと一共に暮らしてはおらぬわ!!」
太陽の元に出られない忌々しさ。鬼殺隊への憎しみ。一向に成果を上げない部下たちへの絶望。 何よりも人間の小娘相手にニヤけ面をさらさないといけないというこの現状への屈辱。すべてが鬼舞辻無惨の理性をかきまわし、今にも狂わせようとしていた。しかしふと心に浮かんだ一言が、彼に冷静さを取り戻させた。
完 璧
「そうだ。私が完璧となれば、このような無価値な心も消える。私は不変となり、不変となり・・・・」
ワタシハソノアトナニガシタイ?
ふいに浮かんできた疑問に時間が凍り付いた。
「私は完璧な生命となり、その先で何がしたいのだ・・・?」
鬼殺隊のせん滅? そのような事は容易い。 ならばただ太陽の下を散歩するとでも・・・?
しかしそこまで考えたあとで、また無惨は冷静に戻る。
「くだらぬ。このように悩むという行為さえ、完璧になれば、不変となれば消え失せる。そう私が最も嫌うのは変化だ。自らが変化の奴隷となるこの状況は忌々しい事この上ない。だがそれは不変となった時の喜びを、天にまで高めてくれることであろう」
「おとーさん」「あなた」
「!!!!!」
ふいに麗と蘭の笑顔と声が頭をよぎる。 自分を慕い、柔らかい笑顔を向けてくれる彼女たちに、心の中で何かが燃えているような感覚が芽生える。それは癇癪に焼かれるような炎のようなものではない。冬の夜風に身を切られた後に当たる焚火のような感覚だった。 彼はこの感覚を理解する事が出来なかった。 なのに自分がこの気持ちを知っていて、尚且つ求めている事に気が付いてしまった。
「私は、今の生活に、居心地の良さを感じているというのか・・・?あの人間共に、愛着がわいてきているというのか? 故にこの時間を手放す事を、心の何処かで否定しているというのか・・・?」
普通の夫のように、妻のためにプレゼントを買い、娘の成長を陰から見守る。 そのような普通の人間の男に、自分は成り下がりたいとでも言うのか・・・?
「・・・ふん。まあ、それも良い」
鬼舞辻無惨はため息をつき、椅子に腰かける。その表情は落ち着いており、安らぎすら感じさせる。
「所詮は遊戯。楽しんで悪いという事はない。いづれ不要になれば捨て去ればよいだけの事・・・。せめてそれまで・・・」
優しい夫と父親でいてやろうではないか・・・。 彼は言葉に出さずにそう思う。 そして決してそれが不愉快な気持ちではない事に気が付く。またそんな自分に腹立ちが襲ってくる。その度に彼はこう唱えて自らを制御する。
「そう、完璧にさえなれば・・・、不変にさえなれば・・・」
太陽の光の入らない、真昼時の部屋で、完全な鬼になりきれない人間の男は今日も、己の心と葛藤するのであった。
あとがき
ご無沙汰しています。ナガレボシです。まずはここまで読んで頂き、ありがとうございました。
ぶっちゃけ、こんな無惨様はないよな。と思いつつも、なんかスラスラ書けたので、こういう話にしました。ちなみに娘の名前は適当につけました。
鬼舞辻無惨は共感力に欠如した、昆虫のような生き物と書かれていたと思います。ですが、私はこの人は繊細であり、冷徹になりきれない一面も持ち合わせていると思います。実際に産屋敷家の爆発では、産屋敷の妻子の心配をわずかにしていましたし、累に疑似家族をつくることを許可していました。基本的にはツッパッているだけで、寂しがり屋で繊細、でもそんな自分を認めたくないから、完璧に執着する。そんな鬼滅の刃とは少し違う『鬼舞辻無惨』が書けていれば嬉しいです。