「俺の親父が死んだ」
「……え?」
「―――ということにして、学校をさぼってテニス合宿に行ってくる」
「……ええぇ」
日曜日の朝、俺はマリアを男子寮の裏庭に呼び出していた。
以前、ボクシングの合宿を内緒で行ってマリアに心配をかけてしまった。そのことを反省した俺はこうやって事前報告を入れるようにしたのだ。
「確かに事前に相談してほしいって言ったけどさ。ケイ君、出席日数とか大丈夫なの? あとお父さんは前も死んだことにしてなかったっけ?」
「大丈夫だ。出席日数が足りなければ冬休みにも補修を受ければいいだけだからな。それに親父は生き返ったことになってるから、もう一度死んでもらう」
「それ大丈夫って言わないから。嫌だよ友達が来年から後輩になるなんて。……あとお父さんの扱いが酷すぎるよ」
マリアは呆れた様子だが、一応理解は示してくれたようだった。
昨日の偵察を経て、このままの練習ペースでは負けるかもしれないと考えた俺は急遽合宿を組むことにしたのだ。ボクシングのときとは逆で今度はノバクのためのテニス合宿だ。
乙女ゲーム世界の女性プレイヤーは現実よりもパワフルだ。それは理解しているが、それでも女性相手に二度も負けるのは俺のプライドが許さなかった。
たとでダブルスであっても来週の試合だけは絶対に負けられない。
「ところでマリア。俺とノバクの二人だけだとダブルスの練習をするのが難しいんだ」
「それは大変ね」
「ああ、大変なんだ。誰かテニス経験者がボールだしをしてくれると嬉しいんだけどな」
「そっか。球出ししてくれる人が見つかるといいね」
「そうだな。ところでマリア―――――――――――お前、さてはテニス経験者だな?」
秋の乾いた風が裏庭の芝を撫でる。そのサラサラとした音が聞こえるほどの不自然な沈黙が二人の間に流れた。
マリアはいたって平静な表情を保っている。けれど、一瞬だけ目を逸らしたのを俺は見逃していなかった。
「そんなわけないでしょ。ケイ君ったら可笑しなこと言うね」
マリアは頬をつり上げて笑ってみせる。けれどそれは作り笑いの類だった。
「ずっと不思議だったんだ。俺は子供の頃からテニスをしてるからさ、無意識のうちに会話でテニス用語を使ってしまうんだ。普通の人は意味が分からず聞き返してくるんだけど、マリアは俺が使うテニス用語、初めから理解してたよな」
「そ…それは別に、テニス経験者だって証拠にはならないはずだよ!」
「往生際が悪いな」
俺はテニスラケットのヘッドを持ち、グリップをマリアに差し出す。
「ラケットを振ってみてくれ。スイングを見れば経験者かどうかは一目でわかる」
「わ、わかった。ラケットを振ればいいんだよね」
マリアはごくりと生唾を飲むと、恐る恐るラケットを握った。
そして、棒立ちのまま腕を直線にしてラケットを真横にブンブンと振る。
そのスイングはあからさまにド素人のそれだった―――――作為的なほどに。
「どう? 経験者のスイングにみえる?」
「いや、みえないな」
「だよねっ! わたしテニスどころか、ラケット競技すらしたことないもんっ!」
マリアは勝ち誇ったかのように嬉しそうに語る。
確かにマリアの見せたスイングは運動神経の悪い素人にありがちな振り方だった。けれど……。
「ところでマリア、どうしてそんなにグリップエンドの近くを握ってるんだ? そんな端っこを握って振ったらラケットが吹っ飛んじゃうだろ?」
「え? だって普通は端っこを握って…… あっ!」
そう。普通の素人はテニスラケットを握るとき何も考えずにグリップの真ん中を握るのだ。
端っこを握るのはテニス―――もしくはバドミントンや野球など、遠心力の重要性を知っているスポーツ経験者だけだ。
「かかったなマリアッ!! 俺は最初からスイングじゃなくて握りを見てたんだよ!! 小指がはみ出すくらい端っこを握るのはその手の経験者だけだ!!
テニス用語に詳しくて、テニスの握りが体に染みついている。お前は間違いなくテニス経験者だ!!」
「しまった!! うあああああああ!! ケイ君にテニス経験者だってバレたあああああ!!!」
マリアは膝から崩れ落ち、叫びながら地面をバシバシと叩く。その悲痛な叫び声は男子寮の建物に反響してちいさく木霊した。
「流石に嫌がりすぎだろ…。ていうかなんで隠してたんだよ? 経験者だって言ってくれれば練習とか誘ったのに」
「だから嫌なの!! 絶対毎日テニスに誘ってくるじゃん!! 事あるごとに部活動にも勧誘してくるじゃん!!」
マリアは膝をついたまま目に薄く涙を浮かべる。なんかもう、オリンピックで演目を失敗した選手のようなリアクションだ。
そんなに嫌がらなくても…。
「わかった、別に毎日練習に誘ったりはしないからさ」
「本当に?」
「ああ、本当だ。その代わり……」
「やっぱりじゃん!! どうせ合宿の間、練習を手伝えって言うんでしょ!?」
「いや。―――――練習じゃなくて、
もしマリアがテニス経験者なら、来週の試合、俺はマリアとペアを組みたいと思っていた。
既に一週間練習をしてくれたノバクには申し訳ないが、よくよく考えたらノバクよりもマリアの方が俺のペアに相応しい。なにせ、俺が出場するのは女子ダブルスなのだから。
「試合!? 試合って確か来週の日曜日って言ってたよね? その日は用事があるから絶対に行けないよ!」
「用事って何さ」
「同室のミルカさんが開くお茶会に参加するの! ずっと楽しみにしてたんだから、絶対こっち優先だからね!!」
「お茶会?? なんだマリアはお茶が飲みたいのか? だったら試合の水分補給で飲めばいいだろ。烏龍茶でいいか?」
「もーーーーーー!!! こうなるからバレたくなかったのにぃいい!!!!」
結局、試合には出ない代わりに残りの1週間、授業終わりに球出しをしてくれるという約束でマリアとは手打ちになった。
三人になると基礎練習だけでなくダブルスのフォーメーション練習もできるようになるので、実践に近い練習が格段にやりやすくなる。
「試合前日までは付き合ってあげるんだから、それ以降はテニスに誘わないでよね」
「うん。ワカッタヨ」
「絶対だからね!!」
それから一週間、俺とノバクはテニス合宿を行った。合宿先は山―――だとテニスコートがないので、河川敷で行うことにした。
幸いだったのはマリアが穴を掘る魔法が使えたことだ。なんでも土魔法とかいうものらしい。そのおかげで河川敷にネットをかけるポールを突き刺して簡易テニスコートを作ることができた。
さらには、地面を赤土にしてクレイコートにしてくれたのだ。
この時、俺は初めて魔法というもの素晴らしさを知った。
感謝の意を込めてマリアには『テニスコートの魔術師』という称号をプレゼントしたが、受け取り拒否されてしまった。
俺とノバクは河川敷に張ったテントで生活し、互いに技術を磨いた。そして試合当日の朝、早速合宿の成果が表れたのだ。
「完璧だ…、美しすぎる」
鏡に映った自分の美肌に思わずうっとりしてしまう。
合宿疲れで荒れた肌をファンデーションで隠し、テント生活でできた目の下の薄いクマはコンシーラーでカバーした。
女装男子部から借りた、密着度の高いクリームタイプのチークも血色をよりよくしてくれている。元々日焼けしている俺には必要ないと思っていたが、オレンジ系を少し入れるだけでここまでよく見えるとは……。
アイブロウで眉を仕上げて、アイシャドウは控えめ。口紅は水分補給の際に落ちるのでリップティントを採用した。
「化粧一つでここまで変わるとはな。我ながら惚れ惚れするぜ」
そして最後に、これまた女装男子部から借りた茶髪ロングのウィッグを頭にのせた。
――――合宿の直前に女装男子部とかいう謎の部活動があると聞いた俺は、そいつらから女装道具一式を借りたのだった。
女装男子部の部長から「なりたい姿を明確にイメージしなさい」と言われたが、別に女装ができれば何でもよかった俺は「マリアみたいになりたい」と答えた。
その結果、マリアの髪型そっくりなウィッグに化粧用品一式を貸してもらえた。なんでも化粧用品はマリアが使用しているものと同じ製品らしい。
どうしてマリアが利用している化粧用品を、女装男子部の部長が知っているのかは聞いていない―――というか聞きたくない。
ちなみに昨日、念のためマリア本人にも俺のメイクを見てもらった。マリアが球技大会の時にしていたスポーツ用のメイクをそっくりまねて、マリアモデルのウィッグを付けた俺。
「お揃いだね☆」と言ってみたところ、死ぬほど嫌そうな顔で「やめて、お願いだから本当にやめて」と懇願された。
「主君、なんだか女装を楽しんでませんか?」
「そ、そんなことないぞ!? あー、化粧って面倒くせーー」
「どちらでも構いませんが、そろそろテントを畳んで河川敷を出ないと間に合いませんよ」
「待ってくれ! あとアイラインだけだから!」
こうして、合宿をやり終えた俺たちは一週間ぶりにウィンブル学園へと向かった。
対外試合の会場はローラン学園とウィンブル学園で持ち回りらしく、今年は男子がローラン学園、女子がウィンブル学園で試合を行うことになっている。
ウィンブル学園テニス部の部室ではすでに女子部員たちが集まり、試合に向けて準備を進めていた。
俺たちが部室に入るとさっそくお蝶先輩に声をかけられた。
「しばらくですわねケイ。それに、ノバクといったかしらね」
お蝶先輩は俺たちの姿をまじまじと見つめる。
「二人とも今日の試合に向けて合宿をしてきたそうね。普段なら学業を優先なさいと言うところですが今回は認めます。合宿の成果、期待していますわ」
「任せてください!」
「特にケイ。ちゃんと女性らしくなったわね。合格よ」
以前女子寮に忍び込んだ時とは打って変わって、俺の女装姿はお蝶先輩に太鼓判を押されてたのだった。やはり合宿を経て俺は進化している。間違いない。
お蝶先輩は部室のロッカーからテニスウェアを取り出して俺たちに手渡す。
「お蝶先輩…これは…?」
「スコートよ」
スコートは見た目がスカートで、内側はショートパンツになっている女子テニスのテニスウェアだ。
色は可愛げのあるピンク色だった。女装に対して抵抗がなくなっいた俺でも、流石にこのヒラヒラした可愛らしい衣装を履くのはためらってしまう。
「いや… さすがにこれは…」
「団体戦ですもの、あたくし達と同じユニフォームで統一なさい。よくってケイ―――いえ、ケイ子!!」
「ケイ子!?」
何ということだ。ついに名前まで変えられてしまった。
しかしまあ、圭太という名前のまま試合に出るわけにもいかないので、仕方がない。
「わかったのならノバ子と一緒に早く着替えなさい!」
「ノ…ノバ子」
突然命名され唖然とするノバクを連れて、俺たちは脱衣室に向かう。
「ところでお蝶先輩、俺たちはどっちの脱衣室に行けばいいんですか?」
「どちらって…… 男性用に決まっているでしょう!!」