森下、暴走してます
橘先輩と密談した次の日の夕方。
寮の裏手で女の子が催眠にかけられそうになっていた。
「いいですか?白石飛鳥。あなたはプロの動物対話士です。3秒数えた後、あなたは犬の気持ちが分かるようになります」
「はぁ…」
…なんだ、そのChatGPTへの雑なプロンプトみたいな催眠導入は。
「さんにーいち、はい。…どうですか?白石飛鳥。目の前のわんころの気持ちが手に取るように分かるでしょう?」
「えっと……、これは分かると言った方がいいんでしょうか?」
後方腕組みおじさんのような距離感で立ち尽くし傍観していた俺に気付いた白石が困り顔で話を振ってくる。
……俺に聞かないで欲しいものだ。このまま気付かないフリをして立ち去る選択肢を失ってしまったじゃないか。
森下も遅れて俺の存在に気付くと、胸に抱える犬を俺の視界から外すように遠ざけた。
「綾小路清隆。この子は絶対に渡しませんよ。責任を持って私が育てます」
「親権争いのコントに俺を巻き込まないでくれ。それに寮でのペットの飼育は禁止されてる」
「ペットではなく家族です」
「詭弁だ。それにその犬は早く自由になりたいと言っている」
「……分かるんですか?犬の気持ちが」
「分かるなんて言ってる奴は100%詐欺師だろうな」
なんですと!?と態とらしく動揺した森下の間隙を縫って、犬は拘束から抜け出し野良へと帰っていった。
名残惜しい目を向ける森下だが、執拗に追い回すつもりはないようだ。
ポチタ。次は悪い女の人に捕まらないように生きるんだぞ。
「じゃあ、奇想天外な某動物番組に出ていたワンリンガルなしで犬と会話できるあの人は嘘だって言うんですか!?」
「科学的にも動物言語学にもありえない話だな」
「ハリー・ジェームズ・ポッターが蛇と意思疎通取れたあのシーンは!?」
「ウソホントの前にフィクションだ、それは」
「GA○KTの86連勝は!?」
「それは……エンターテイメントだろう。というか、それはもう全く関係ない話だ」
森下に一通り振り回され、なんだか重いタスクを片付けたような気分になり、俺は密かに嘆息する。
なんだろう。今は彼女と会話することに普段は覚えないはずの疲労感がある。
もしかしたら、心の底では一之瀬の告白を教唆した元凶である彼女を恨んでいるのかもしれない。
「綾小路君、浮かない顔をしているように見えますが、何かありましたか?」
「白石飛鳥の勘違いじゃないですか?綾小路清隆はいつも通り『こういう時どんな顔をすればいいか分からないの』『笑えばいいと思うよ』って表情をしています」
「一人二役したせいで分かりにくくなってるぞ。そういう時は前者だけでいいんじゃないのか?」
半ば義務的にツッコんだ俺に森下はオーバーにズザザと後退して、言葉を失っていた。
「…正直ドン引きです。綾小路清隆が自認綾波レイだったなんて」
…うん。やっぱり俺、こいつに恨み辛みが募っている。
女の子に対して心の底から殴りたいと思ったのは初めてだった。
「…白石。俺が浮かない顔をしてるように見えたのなら、それは端に森下の相手をするのに疲れてただけだ」
「ああ、それは…、納得です」
「心外です。そして、ダウトです。綾小路清隆の心労の種は一之瀬帆波の告白のはずです」
「そうだとしても、森下が起因だろ」
これまた態とらしく、え、この私が!?なんて顔で驚愕する森下。…殴りたい。顔を。ぐちゃぐちゃになるまで。
白石もその噂は聞き及んでいたようだが、これは想定内。
想定外だったのは彼女が腑に落ちたように頷いた後、意外な提案をしてきたことだ。
「よろしければ、私が相談に乗りましょうか?力になれるかは分かりませんけど」
「俺としては参考意見は多い方が嬉しいが、いいのか?」
「はい。恋バナは大好物ですので」
降って湧いたチャンスだと思った。
方針は決まっているが、細部を詰めるのには、独力では限界がある。
ひよりとの交際関係を喧伝するような真似はあまりしたくないが背に腹は変えられない。
今の俺は一刻も早く、解決に向けてアクションすることが求められている。
「いいんじゃないですか?経験豊富な白石飛鳥は相談役には適任です。股は緩いですけどガードと口は硬いので、内容を口外することもないでしょう。言うならば、体は許してもキスは許してくれないタイプですね」
また森下の戯言か。そう思ったが白石は肯定も否定もせず柔らかく微笑むだけだった。
…藪蛇だな。正直、白石の恋愛遍歴に興味はあるが、今はそこに手を出す余力はない。
森下の発言の真偽の判断は据え置きにして、今は遠慮なくアイデアの壁打ちとして使わせて貰おう。
「有難い申し出だ。元より断る理由はない。なら、少しベンチで座って待っていてくれないか。すぐそこのコンビニに行ってくる。飲み物くらいは奢らせてもらう」
「そういうことでしたら、私はキンキンに冷えたぐんぐんぐるとでお願いします」
「…了解。白石はどうする?」
「ふふ。では、森下さんと同じものを」
多少のポイントで森下を黙らせることが出来るのなら安い買い物だ。
そう思って素直に返事をした俺を見透かしたのか、白石は楽しそうに笑って俺を送り出した。
俺はどっかの地下労働施設の伊藤さんみたいなリクエストに応えるためにも、保冷剤代わりにアイスも合わせて購入した。
いいアドバイスを貰うためにも、まず相手の胃袋を掴んで懐に潜り込んでおくことに越したことはないからな。
二人のもとに戻ってアイスと飲み物を手渡し、彼女達が食べている間に俺は自分の取り巻く状況と考えていた方針について詳らかに語った。
「なるほど。つまり、考えるべき争点は一之瀬さんにフラれるためにはどういう告白をすればいいかという部分でしょうか?」
「ああ。一応、告白の中身についても多少は固めてある。要は俺と付き合うデメリットを提示すればいい」
「伺ってもよろしいですか?」
「…下世話な話になるが、例えば性欲がとんでもなく強いとか、アブノーマルな性癖があるとかだな」
多少の脚色をしてでも、一之瀬が思わず俺との交際に尻込みしてしまうような条件を告白する。
この際、俺の名誉やプロップス傷がつくことを厭うつもりはない。
「はっ。綾小路清隆は乙女心を全然分かってませんね。いえ、乙女心以前の問題です」
おしゃぶりを与えられた赤ん坊のように珍しく黙ってアイスをちびちびと食べていた森下が鼻を鳴らす。
唇の周りにはカブトムシ捕獲用のトラップでも仕掛けてるのかと疑いたくなるくらいバニラアイスが点々としていた。
…それにしても相変わらずムカつく煽り口調だ。元はと言えば…、いや、いい。
難癖をつける前に話くらいは聞いてやろうじゃないか。
「綾小路清隆。人前ではツンケンしているのに、二人きりになった途端にベタベタに甘えてくる女の子をどう思いますか?」
「そりゃ…、萌えるに決まってるが?」
「想定通りの豚で安心しました。では、次は白石飛鳥。普段は消極的な恋人がベットの上で積極的だったら?」
「それは…、燃えるに決まってます」
「こちらは想定通りのビッチです。ですが、これで分かったでしょう?そういうことです」
「いや、どういうことだ!ちゃんと説明してくれ」
俺が理解を示さなかったことが理解出来ないとばかりに森下は仰天して転びそうになる。
無論、平坦なベンチに座っている彼女がバランスを崩すはずもないので臭い演技である。
「いいですか?例えるなら友達という関係は全年齢版のギャルゲーで、恋人というのは18禁の原作なのです。告白をした時点で今し方綾小路清隆が羅列したような要素は受け入れますと同意書にサインしたようなもの。むしろ短所はギャップという美点として映りますよ、と言いたかったわけです」
さっきのやり取りでこのメッセージが読み取れる訳ないだろ!いいかげんにしろ!!
「綾小路君。例え方は酷いけど、森下さんの言ってることは間違ってないと思います。好きな人に求められて嫌な気持ちになる人はいませんから」
「…そうだな。俺が浅はかだった」
ひよりに置き換えて見ればすぐに分かることだ。
もしも、ひよりにエグい性癖を暴露されたとして、俺がどう思うか。
…愚問だ。興奮するに決まっている。
人を小馬鹿にするような態度に腹が立って見落としそうになるが、森下は頭のネジが外れていても、的だけは外さないのだ。
俺や白石の賛同が得られて気分を良くした森下はノリノリで次の句を告げる。
「そうでしょう。そうでしょう。藍ちゃんが間違ったことを言ったことなど一度もないのです。さらに、蝉のように五月蝿く鳴いている綾小路清隆にフォーカスして具体例を挙げるなら、全年齢版は橋○環○で18禁は瀬○環むがぁ—」
「森下さん。ライン超えです」
『※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません』
と、テロップがついても一部の人間から批判が殺到しそうな事を口走った森下を隣に座っていた白石が肩に手を回して身動きを取れなくした上で口を塞ぐ。
見事な手際だ。白石、ファインプレーすぎる。
さらに彼女は大人しくするという条件をきっちり飲ませた上で、森下を解放した。
「…ぷはぁっ。はぁ…はぁ…、白石飛鳥、過度な表現規制は文化を殺しますよ?ブルマが消えた過去がそれを証明済みなのです」
「過度ではなく適切です。それに私は表現ではなく森下さんの口を規制してるんです」
「村上春樹が許されて私が許されないなんて横暴です!言論の自由を主張します!」
「言論の自由は何を言っても許される免罪符じゃない。むしろ公序良俗の保護が目的だ」
「……二人とも、話が脱線している事に気付いていますか?これは綾小路清隆のお悩み相談だったはずです」
俺と白石に窘められる構図を分が悪いと判断したのか、森下は何食わぬ表情で本筋に戻してくる。
だが、その台詞は脱線させた張本人が言っていいものではない。俗に言うおまいうって奴だ。
そんなふてぶてしい彼女に俺と白石が冷ややかな視線を浴びせてると、かくもの森下といえど思うところがあったのか立て続けに口を開いた。
「何ですか?二人して、その不躾な視線は。私の造形美が美しすぎて嫉妬してるんですか?」
「頭痛が痛いみたいに意味が重複してるぞ」
「私の端正なご尊顔を表現するには足りないくらいです」
「…確かに、森下さんのその自己肯定感の高さに対するこの感情は嫉妬の域かもしれません」
「白石飛鳥。女の嫉妬は男のツンデレくらい醜いですよ。つまり、綾小路清隆も醜いです。そして、結論は綾小路清隆と白石飛鳥は同一人物ということです。Q.E.D.」
「推移律を悪用して、ドヤ顔でとんちき披露するのやめろ!」
本来は論理的な『A=BかつB=C』ならば『A=C』の三段論法でここまで奇天烈な答えを導き出せるなんてある種の才能ではないだろうか…。
「ふっ、ツンデレであることは認めましたね。綾小路清隆」
「…ツッコミどころが満載すぎてそこまで手が回らなかっただけだ」
「回らなかったのは手ではなく、頭の方では?」
「よし、ちょっと顔貸せ。可愛く整形してやるから」
「美容はノーペインノーゲインと言いますが、私の場合は生まれた時にはもう美の才能で周囲を虜にしていたので、きっと母親が分娩の際に痛みを肩代わりしてくれたんでしょうね」
周りを虜って……。それは単に現場に居合わせた助産師が出産を言祝いでいただけだろう…。
俺の振り上げた拳は、彼女のあまりにご都合的すぎる解釈に力が抜けた。
鼻にかけすぎてて呆れるばかりだが、彼女の容姿が美容整形どころか化粧すらも必要ないくらい端麗であることに紛れもない事実。
神は美を与える人間を間違えてしまったのだ。
「まさに可愛くてごめん。生まれてきちゃってごめんって感じです。ちゅ」
見た目だけは可愛いという表現がこれ以上なくハマる森下の投げキッスを華麗に避けて、俺は大きな溜息をついた。
…はぁ、疲れる。彼女との会話はすごく疲れる。
これが、フルマラソンを走りきったような達成感を伴う疲労であれば多少はマシなんだろうが、努力したけど成果が出なかった徒労に近いものだから時間を無駄にした実感が身に染みる。
俺よりもその結論に辿り着き、黙ってやり過ごしていた白石が終止符を打つなら今しかないとばかりに口を挟んできた。
「森下さん。私も綾小路君もそろそろ体力の限界ですので、これ以上は一人相撲ですよ」
「軟弱者はこれだから…。仕方ないので『ムカついちゃうよね。ざまぁ』は次の機会に持ち越すとします」
「ネタバレしてしまった以上、それはもう使えないかと。あと、言いそびれてましたが可愛いお顔がアイスでトッピングされてますよ」
「それはいけません!私を美形に造った神への冒涜です!」
律儀に手鏡を差し出した白石から強奪するようにそれを受け取り、森下は自分の顔の惨状を確認する。
咄嗟にシャツの袖で拭こうとした手をこれまた白石が止め、ハンカチを差し出す。…休日に森下に付き合ってるだけあって面倒見がいいな。彼女は。
礼は言いませんよ。仲間に礼を言うのはカッコ悪いでしょう?とキルアみたいな事を言ってハンカチを受け取った森下の手は顔についたアイスを拭き取る直前でピタリと止まる。
「……こ、これは……。ぐひひひ」
悪代官が悪巧みしているような下卑た笑みを浮かべた森下は立ち上がり、俺の側まで歩いてきて見上げるように顔を上げて目を瞑った。
ほっぺのバニラアイスの雫がつーっと顎先に垂れていく。
「……なんだ?」
「分かりませんか?この構図を第三者が見れば綾小路清隆が私に淫らな欲情をぶつけて、マーキングしたように—」
俺はまるで条件反射のように躊躇なく森下の顔面を殴った。
仏と綾小路清隆の顔は3度までだ。
ドカッ。バキッ。ズチャッ。みたいな鈍い音ではなくポカッと表現するに相応しい力で殴ったのは最後の温情だと思ってもらいたい。
……こいつは今日、何度ラインを越えれば気が済むんだ!!
◆
「まあまあ、綾小路君。杓子定規に考えても、実践的な意見が出るわけではありませんから」
一理ある。俺は一之瀬への告白を特別試験に挑むかのように考えていた節があった。
白石の忠告に俺は溜飲を下げ、ハンマー投げのスイング動作の要領で振り回していた森下を投げ飛ばすのは勘弁してやることにした。
「はぁ…はぁ…。まさか、バターもといバター犬の気分を体験することになるとは思いませんでした。さっきの犬だけに」
…やっぱり、こいつは太陽系まで投げ飛ばしておくべきだった。
肩で息をしながら、はっ!?これが犬系女子!?4000円も使っちゃってごめんね!?とかなんとか言ってる森下をフルシカトして、俺は白石に挨拶して、この場を後にする。
払った労力には見合うとは思えないが、収穫があったことには間違いない。ひとまずはそれを喜ぶべきだろう。
計画を修正する為にはまずは情報収集。そして、その情報を元に検証が必要だな。
偶然だが、男女交際における告白に対しての解像度が低い俺にとって、二日後の橘先輩の告白に関与できたことは大きい。
堀北学が彼女に対して抱いている気持ちは予測不可能だが、側に置いている以上、マイナスに振れている事だけはないはず。
俺の予想では九分九厘、橘先輩の告白は成功する。
(一之瀬にフラれるシチュエーションを想定する上で、これ以上機能するモデルケースはない)
(彼女には悪いが、俺の礎になってもらおう)
しかし、それは針の穴に糸を通すような神経を擦り減らす作業。
憂いなく挑戦する為にも、まずはメンタルを整える必要があった。ならばどうやって整えるか。簡単だ。
それ即ち、癒し。俺には癒しが必要なのだ。
だが、ひよりがプレミアム殿堂入りを果たしてしまったことにより俺の取れる選択肢は限られている。
今の状況で気兼ねなくコンタクトを取れる関係は、例えば先輩だったり、恋愛関係に発展しそうにもない友人だったり、はたまたクラスメイトだったりする訳だが。
前者二つは既に消費してしまい、残る我がDクラスの仲間には三度の飯より噂話が好きな連中ばかりが集まっている。
みーちゃんや松下のような普段は聡明な彼女達ですら、俺の恋愛模様に興味津々だ。
正直、同じ事ばかりを聞かれて食傷気味である。
さらに選択肢が絞られ、会ってプラスな感情になると思えるのは全ての事情を知る櫛田か恐らく噂すら耳にしていない情報弱者の堀北くらい…。
…いや、もう一人いるか。
彼女の好意を利用するようで申し訳ないが、仮に噂話を耳にしていたとしてもそこに踏み込めないというジレンマを抱えている女の子が。
『今暇か?』
『うん、何もしてないよ』
『なら、部屋に行っていいか?話したいことがある』
『分かった!すぐ準備するね』
彼女のレスポンスはいつも迅速で助かる。
世の中にはメッセージに敢えて既読をつけないで焦らすみたいな真似をする小賢しい人間もいるらしいが、俺はそんなことをされれば百年の恋も冷める自信がある。
…準備というのが引っ掛かるが、大方部屋の片付けのことだろう。
佐倉は友達が少ないから、来客を招く前提で過ごしていないだろうしな。
そんなノンデリカシーな想像を膨らませていると、ものの数分で部屋まで辿り着く。
「佐倉。いるか?」
ノックして声をかける。図らずもキメラアントの王みたいになってしまったが、死亡フラグとかでは決してない。
「い、いらっしゃいませ。ご、ごしゅじんさま」
そろりとドアが開き、俺はメイドに出迎えられた。
否。メイド服を着た佐倉に出迎えられた。
ヴィクトリアンスタイルの衣装で肌の露出は少なめだが、スタイル抜群の彼女が着れば、むしろ大きな膨らみを強調させているようにしか見えなかった。
「…どちらかといえば、おかえりなさいませの方が自然じゃないか?」
「そ、そうだよね。お、おかえりなさいませ。ごしゅじんさま」
…言い直してくれって意味では無かったんだけどな。リアクションに困る。
本人としても恥ずかしい事をやっている自覚があるのか、文字起こしすればアルジャーノンみたいに全て平仮名で表記されそうなほど辿々しかった。
「似合ってるなメイド服。可愛いと思う」
「あ、ありがとう。え、えへへぇ」
「佐倉のドジっ子属性とのシナジーを考えたら、これ以上の起用はないな。断言できる」
「ど、ドジ……。そ、それ、褒めてないよね……?」
「心配しなくても褒めてないぞ。ただ可愛いって言うだけじゃなんか癪だったから付け足してみた」
思えば、佐倉に対してこういう掌返しをするのは初めてかもしれない。いい音が鳴る櫛田相手に乱用してることもあって、転び出るように口から漏れてしまった。
「も、もぅ……」
彼女は迷子のように表情を固まらせて、最後にはむくれたが慣れていなくてぎこちなかった。
…それでも素直に可愛いと思う。
やはり、俺は揶揄われるより揶揄う方が性に合う。
「で、その格好は撮影してたのか?それなら手伝わせてもらうが」
「え、そ、そうだよね。じゃあ、お願いしようかな?」
脇の甘い彼女の発言の不自然さを見逃すほど俺は鈍くない。
さっき違和感を覚えた『準備』が、このメイド服を着用して俺を出迎える準備である事が分かってしまった。
だが、俺は素知らぬフリをして佐倉に案内されるままに部屋に上がった。
パーソナルカラーとも言えるピンクを基調とした部屋は、棲家と表現しても差し支えない程に彼女にマッチしていた。
「そんなに探しても、え、えっちなのは置いてないよ?」
「………」
「…な、なに?」
用意してた台詞だな。直感的にそう確信して、佐倉をじっと見つめると、ハリネズミが体を縮めこませるかのように警戒体制に入る。
俺はそんなハリネズミのような彼女をひっくり返して、無防備のお腹を曝け出してやりたくなった。
「何もないよ。清潔感のある綺麗な部屋に感心してただけだ」
「……ぇ……、そ、そう?あ、ありがとう」
「ところで、参考までに聞きたいんだが、えっちなのとは具体的にどんな物を指すんだ?」
「ぇ……、えぇぇぇぇえっ!?」
守備範囲から外れた角度で攻めれば、すぐに牙城は崩れ去る。
彼女が滅法アドリブに弱いことは分かっているのだ。
「…い、いじわるだよ。綾小路君。女の子にそんなこと訊くなんて」
「狡い切り返しだな。そもそも、これは佐倉が始めた物語だろう?」
「ぅ、うぅぅぅぅう」
「ほら、早く白状した方が楽だぞ?んー?さぁ、佐倉はどんなものがえっちだと思うのか言ってみよーかー?ん?ん?」
今日はこのライフハックだけでも覚えて帰ってください。
相手から下ネタの話題を展開してきた場合、どんなえぐいカウンターを返してもセクハラにはならない!!!!(自己責任)
「……ほ、本とか?DVDのこと…だよ」
「なるほどな。確かにそれはこの部屋にはなさそうだ。そもそも俺達は18歳を超えていないから購入出来ないだろうし」
「だ、だよね!?」
必死なフリをしていた俺が落ち着いたことで、解放されたと勘違いして肩の力を抜いた佐倉に次の矢を放つ。
「佐倉、スマホ貸してくれないか?」
「…ぇ、な、なんで?」
その可愛い姿を画角に収めるためと嘯いて、スマホを受け取ってもよかったが、ここは直球で行く方が面白そうだ。
「佐倉の身の潔白はまだ証明されてない。えっちなものがこの部屋になくても、スマホの中にはあるんじゃないか?」
「ム、ムリムリムリムリムリムリィ!!」
「あれれ〜、おっかしいぞ〜。どれだけ探しても見つからないんじゃなかったのかな〜?」
※これは別にキャラが変わったとかじゃなくてセクハラで気持ちよくなってるだけだよ!!
「うぅ……。ず、ずるいよ綾小路君」
「さっきも言ったが、これは佐倉が始めた物語だぞ。人を揶揄っていいのは揶揄われる覚悟がある奴だけなんだ」
良いように転がされて臍を曲げた佐倉を聞こえのいい名言を乱用して誤魔化す。
彼女は元ネタを知らなかったのか、覚悟という言葉だけを切り取って復唱して、表情を引き締めた。
そして、佐倉がおもむろに、パチ、パチっとシャツのボタンを外し始めた。
1つ、2つと手にかけていくたびに、彼女の豊満な胸の谷間が晒されていく。
「佐倉さん?なにをしてらっしゃるんですか?」
「こ、こうするのっ!」
佐倉は勢いをつけるように声を張り上げて、手に持っていたスマホを胸の谷間に突っ込んだ。
わぁ……、便利だなぁ。主婦もびっくりな収納術だ。
「……い、いいよ?綾小路君。どこを探してもえっちなものは無いから」
えっちなものは無いけど、えっちな人がいる件について。
そんな彼女の突飛な行動を分析するとこうだろう。
スマホの中に恐らくあるであろうえっちな物を見つけ出してムッツリスケベである事を証明する為には、彼女の胸に手を突っ込んで自分もそっち側の人間になるしか無い。
人にエロいと言っていいのはエロい人間だけだという理論。
……理屈は分かるが、身を切り過ぎだろう。
「参ったよ。俺の負けだ。だから、ボタン止めてくれ。目のやり場に困る」
「そそそそ、そうだよね。ごめんね。変なもの見せちゃって」
目を逸らしてそう言うと、佐倉は慌てたようにボタンを止める。スマホは谷間に置き去りにされ、完全に封印された。
「別に変なんて思ってない。魅力的すぎて困るって話だ。俺は誰より佐倉の魅力を信じてるんだから」
「……あ、ありがとう。…綾小路にそこまで言われてるんだから、自信持たなくちゃダメだよね…」
「いや、佐倉はそのままでいい。自分の容姿に鼻をかけないのも魅力の一つだ」
森下みたいに自意識過剰になられてもプロデュースする側としては大変なだけだからな。
「…そっか。私ってこのままでいいんだ」
「ああ。変わらない事に不安を覚えたり、無理に背伸びをする必要はない。佐倉の魅力は俺が保証する。それじゃ駄目か?」
「ううん。私も綾小路君を信じてるから」
今日の積極的とも言えるアプローチは一之瀬の件を耳にした佐倉の悪足掻きのようなものだったのだろう。
俺に恋人が出来る事は彼女にとって喜ばしいことではないから。
「そろそろ撮影、始めるか」
「うんっ!……あれっ、スマホ……。あっ!」
佐倉は先程自ら封印したスマホを思い出し、顔を真っ赤にして上目遣いを向けてきた。
「……綾小路君。…後ろ、向いててくれる?」
「さっきは見せてくれたのにか?」
「あ、あれは……、………その勢いでって言うか……、焦ってたって言うか……」
「冗談だよ。準備が出来たら教えてくれ」
俺は背を向けて、彼女に思いを馳せる。
俺が佐倉の心情に聡いのは、きっと彼女が分かりやすいからという理由だけではない。
彼女が俺に惚れているくらい、俺も傅いてしまうくらいには彼女の才能に惚れているのだ。
感想、ここ好き、ありがとう。
暫くは夏休み編というフリーテーマでの作品が続きます