今回長めです。
さらに次の日。今頃、橘先輩のバニースーツがドナドナと運ばれているのだろうか。
俺は明日の楽しみを活力に変えて、溜まっているタスクを一つ消化することにした。
「目も当てられないな」
「うっ。文句言わないでよ。あんたが急にくるからでしょ」
軽井沢の部屋は物が散乱し、足の踏み場もない状況だった。
テーブルにはスナック菓子のゴミだけじゃなく、恐ろしいことにカップ麺の容器まで放置されている。
「そんなに青ざめなくても大丈夫だって。私、ちゃんとラーメンは完まくするタイプだから」
「塩分過多で顔が浮腫むぞ」
「…ヤなことばっかり言わないでよ。栄養価とかカロリーとか気にしないで食べる食事が生き甲斐なの。私から幸せを奪わないで」
「本当に幸せを奪うのは不摂生の先に潜むリスクだと思うけどな」
生活習慣病を患えば規則正しい生活を余儀なくされ、糖尿病を患えば食生活に制限がかかる。
基礎代謝の高い若いうちに抱えた負の遺産は、遠くない将来に容赦なく襲いかかってくるだろう。
「まあ、その性格が功を奏して最悪の事態は避けられたみたいだな。だが、それも氷山の一角。ゴミと問題はまだ山積みだ。そのうち虫が湧くぞ」
「え、それはマジ無理。その時はあんたが退治してよ。守ってくれるって約束でしょ」
「俺は万事屋の銀ちゃんのような何でも屋じゃない。お前が原因で招いた事には基本的にノータッチだ」
俺の言葉に微妙な表情を浮かべる軽井沢。
少し突き放すような意味合いを含ませただけでこの様子とは俺にどれだけ傾倒しているかが分かる。
「見捨てられたくないなら、それ相応の努力はしてもらいたいものだな。まあでも、乗り掛かった船だ。見過ごす訳にはいかない。今から片付けるぞ」
「……え〜」
俺が譲歩すると、彼女は固い表情を崩して不満の声をあげる。やる気はなさそうだが、嬉しそうだ。
「ぶー垂れるな。エイムの乱れは心の乱れ。部屋の乱れは精神の乱れだ。お前だって部屋は綺麗な方がいいだろう」
「まあ、それはそうだけど…。今日じゃなくてもよくない?明日とか」
「そう言って明日やった試しがあるのか?ないだろ」
「む、決めつけないでよ。……ないけど」
そんなに簡単に折れるなら、勢いだけでちょっと怒るなよ……。情けないぞ。
「とりあえず、俺は助っ人を呼ぶ。その間に下着とか見られたくないものは自分で片付けておいてくれ」
「な、ないわよ!そんなの!下着は流石に全部洗濯機に入れてるし!」
「なるほどな。で、それはちゃんと専用の洗濯ネットに入れてるのか?水流は弱に設定してるのか?」
「え……、なにそれ……」
「論外だな。男の俺に下着を洗って欲しくなければ、『ランジェリー 洗濯の仕方』でググって自分でやっておけ」
友達や地位やキャラクター、その他諸々を捨てた流石の軽井沢も俺にブラを手洗いされたくはないだろう。
スマホを片手に必死の形相で脱衣所に向かった軽井沢を横目に俺は一本の連絡を入れた。
『美味い飯を奢ってやるから少し掃除を手伝ってくれ』
見え透いた安い誘い文句だ。
そもそも、夏休みの貴重な休日にご飯一つで釣られる女の子なんて……、いた。
「牛肉が食べれるって聞いて来たんだけど?」
「澪。自分に都合の良いところだけを切り取るなよ。掃除を手伝ってくれとも書いてただろ」
「……まあ、空腹は最高のスパイスだって言うし、ちょっとくらいは働いてあげる。で、私はなにをすればいいわけ?」
「事件は現場で起きている。まずは惨状を見てくれ」
俺は澪を軽井沢の部屋に案内する。
軽井沢は洗濯に苦戦しているのか、居室にその姿はなかった。
「え、何これ。汚なっ!ヨギボーなんてなくても、この部屋にいるだけでダメ人間になりそう」
「意外だな。同じ穴の狢だと思っていたんだが、澪は部屋が綺麗なタイプなのか?」
「失礼すぎ。これよりは千倍綺麗だし。まあ、物欲がなくて物が少ないって理由もあるけど」
確かに、彼女は物欲がなさそうだ。床に転がっているUFOキャッチャーの中にいるような人形やコスメグッズに微塵も興味がないみたいだし。
逆に、澪にぬいぐるみ収集癖があったり、休日はメイクをしていますなんてギャップを見せられたら普通に萌えるんだけどな。
もしも、そんな瞬間が訪れれば伊吹株は連日連夜高騰し、日本の慢性的な円安が終止符が打たれ、二十年前を彷彿とさせるような超円高時代が幕開けするに違いない。
「はぁ……、やっと洗濯終わった。……え、伊吹さん?」
「うげ。どうも女の匂いがすると思ったら、ここ軽井沢の部屋だったわけ?」
まさか助っ人って伊吹さん?と目で問いかけてくる軽井沢と説明を求めて来た澪に俺はまとめて頷きを返す。
彼女達は赤の他人。そして、この学校でいう赤の他人とは敵同然の関係だろうが、そんな事は関係ない。
「澪。とりあえずこの床に落ちている物で要らないと思う物は全てこのゴミ袋に入れてくれ」
「…いいの?ここ更地になるけど」
「ああ。好きにしてくれて構わない。ただし、軽井沢にストップをかけられた場合は俺に渡してくれ」
「よ、よかった。そういうことなら、まあ……」
俺と澪のやり取りに不安を抱えていた軽井沢が追加のルールを聞いて胸を撫で下ろす。
だが、そんなに甘い片付けなどあってはならない。
目の届かない箪笥の中に隠すという行為は整理整頓と呼べるものではないのだ。
「ただし、俺が両手に持てるものは限られている。持てなくなって溢れ出したものは必然的にゴミ袋行きだ。ルールは理解したか?」
「なるほどね。面白そうになってきた」
「ちょっと、無理だって、大事なものだっていっぱいあるんだから」
「軽井沢。観念しなよ。それとも、あんたの言う大事なものってこんなに散らかってても気にならないものなわけ?」
「ぅ……」
ゲーム感覚にしたことにより、掃除に前のめりになっている澪の正論が軽井沢に突き刺さる。
さっきは物欲がないなんて自分を評価していたが、彼女にはミニマリストのケもあるように思えた。
少数精鋭。自分が大事なものをとことん大事にするという思考が備わっているのだ。
正直、軽井沢にも見習って欲しい感性である。
「じゃ、地ならし始めるわよ」
そうして、始祖の巨人と化した澪がテキパキとゴミを袋に詰めていき、大掃除が始まった。
◆
大掃除は大きなトラブルもなく恙無く終わった。
途中小さなゴキブリに遭遇し、焦り狂った軽井沢が俺に抱きつき、それに驚いた俺が澪に抱きつき、その澪にゴキブリもろとも始末されかけたこともあったがそれくらいだ。
今はその忌まわしきGを1匹残らず駆逐してやるという気持ちで、軽井沢の部屋に薫蒸タイプの殺虫剤を焚いたところだった。
俺は澪にご馳走を振る舞うという約束を果たす為にも、二人を自分の部屋に招待した。
「女の匂いがする」
こいつの嗅覚はジミー大西並みだな……。しかも、当たっているから困る。
「…その台詞気に入ってるのか?まあ、ひよりに余計な報告をされても困るから話すが一昨日、櫛田が来てたからだろう。クラスのリーダーともなると色々と野暮用が多いんだよ」
まあ、あれは本当に野暮用以外の何ものでもない。
実際に何をしていたかまで掘り下げられると答えられないので俺は早速本題に入る。
「とりあえず疲れたし、少し早いが夕食にしよう。何が食べたい?」
「神戸牛ならなんでもいい。松坂牛でも可」
「え〜?ちょっと重くない?私はカレーがいい」
「あんたは私のついででしょ?そんなに食べたいならカレーメシでも買ってくれば?」
「インスタントはもう飽きたの!」
澪と軽井沢がぎゃあぎゃあと揉め始める。揉み始めたのであれば、百合百合しくて非常に眼福なのだが、そうではないので止めるべきだろう。
しかし、同じ目的を与えて強制的にコミュニケーションを取らせたことで彼女達はだいぶ打ち解けあったようだ。
自分達が本質的に似た者同士であることを感じたのかもしれない。
「まあ、その二つなら両立する。そんな大層な牛肉じゃないが、材料も確かあったはずだ」
「…え、何?あんたが作んの?」
「こう見えて料理は得意なんだ。今から作るから少しくつろいでいてくれ」
入学当初から興味を持っていた料理はもはや趣味の域達している。料理だけでなく、綾小路清隆昼メシの流儀の番外編が作れるまである。
訝しむ澪がキッチンまでついてきたが、俺は無視してレッドペッパー、コリアンダー、ターメリック、クミン、ガラムマサラの調合を始めた。
「……あんた何してんの?危ないクスリでも作ってんじゃないでしょうね」
「発想が野蛮だな。まあ、美味すぎて服がはだけるかもしれないレシピだから、そういう意味では危ないかもしれないな」
澪の横槍に適当な相槌を打ちながらも、手は止まらない。
慣れた手つきを見て、彼女も料理が得意という言葉を信じざるを得なかったのか、スマホをいじって大人しく待つ軽井沢の元へ戻っていった。
数十分後、俺は最後の味見を済ませてテーブルに出来た料理を並べる。
伊吹のリクエストはハンバーグに、軽井沢のリクエストは本格的なスパイシーカレーに仕上げた。
「美味しそう!!!」
「…見た目は及第点みたいだけど、問題は中身よ」
パシャパシャと料理の写真を撮る軽井沢と食戟のソーマの即落ち2コマで脱ぎそうな審査員みたいなことを言いながら箸を持つ澪。
そして、軽井沢がカレーを、伊吹がハンバーグを口に運び
「「うまぁ!!!」」
旨味の暴力に目を見開く二人。ここまで素直な反応してくれるなら作り甲斐があるというものだ。
「だろ?カレーは本格的なスパイスから作り、ハンバーグも焼き方に工夫をしてるんだ。一度片面だけ—」
「マジで美味いんだけど、あんた、店出せるんじゃない!?」
「いや、行政機関への申請が通らないから出せない—」
「そういうこと言ったんじゃないって。てか、マジうまっ!!!」
連続で遮られてしまったが、…そうだよな。
蘊蓄なんかを聞いてもらうより、美味そうに食べてくれる方がずっと嬉しいに決まってる。
澪は言わずもがな、ドーパミン中毒の軽井沢も今はパクパクとご飯に夢中になっている。
二人の食事風景を眺めながら、俺もカレーを口に運ぶ。
その味はいつもと同じなはずなのに、いつもより美味しかった。
◆
二人と和やかな時間を過ごし、午後11時になった頃に二人を帰す。
気付くのが遅れてしまったが堀北からSOSのメッセージが届いていた。
勘違いのないように補足しておくが、SOSと言っても世界を大いに盛り上げるための鈴音堀北の団の勧誘ではない。
堀北は盛り下げる能力に突出している分、盛り上げる方はからっきしなのだ。
さらに付け加えて言うと、彼女のSOSは『私たちはここにいます!』的なノリともテイストが違う。
親しい友人の一人もいない天涯孤独の少女である堀北を複数形で呼称するのは皮肉がすぎるというものだ。
『助けて』
たった3文字のメッセージにここまで考察したところで、時間の無駄だと悟る。
彼女が柄にもなく素直に助けを求めてきているのだから、男の中の男の俺が返す言葉は一つだろう。
『当たり前だ‼︎‼︎』
『…悪いけれど、貴方の深夜テンションに付き合ってられるほど精神的余裕はないの。とりあえず部屋に来てくれるかしら?』
『うるせぇ!!いこう!!』
『助けを求める相手を間違っていたようね。貴方のこと嫌いになりそうだわ』
『何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ!!』
『それは原作にない台詞よ』
『何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ‼︎‼︎』
『……もういいわ』
海賊王なりきり作戦で堀北から『お兄ちゃんしゅき』というメッセージを引き出しスクショして家宝にしようと思っていたのだが失敗に終わる。
いや、本当はそんな目論見は二の次で彼女を揶揄うのが楽しくてやっていただけなんだけど。
…そんなことより、嫌いなりそうということは堀北はもしかして俺の事が好きなんだろうか。
自分がピンチの時に大学生のキショイストーリーみたいな寒いノリを押し付けてくる奴なんて、俺なら間違いなく嫌いになるけどな。
『すまない。悪ノリしすぎた。というか、もう部屋の前に来ているから、入れてくれ。流石にこの時間は誰かに見られると誤解を招きそうだ』
俺のそのメッセージに既読がついてすぐに、室内から慌ただしい足音が聞こえてくる。
暫く待っているとそろーっと扉が開いて堀北が顔を出した。
キャミソールに薄手のサマーカーディガンを一枚羽織っただけの涼しげな格好だ。簡素な感想を述べるなら、なんかすごくいいって感じだ。
「…本当に来てたのね。早く入って」
俺の姿を認識した堀北に手を取られ、部屋の中へと引き摺り込まれる。
挙動不審なその様はご近所さんに彼氏の存在を隠したいOLみたいな立ち回りだった。
彼女にこの感想をそのまま伝えると目と口で詰られそうなので、心中に留めておく。
「なんだ。てっきり体調でも崩したのかと思ったが元気そうじゃないか」
「…そうでもないわ。さっきのやり取りで頭痛と眩暈を覚えたから」
「自覚していないだけで熱もあるんじゃないのか?それに、脈も速い」
掴まれたままの手から指を伸ばして彼女の手首の動脈を軽く触れる。白く細い線のような腕だが、中を巡る血は猛々しい。
「…気安く触らないでもらえる?私の右手が火を吹くわよ」
「なんだその言い回しは。右手に暗黒龍でも飼ってるのか?」
「封印されているという意味では似たようなものよ」
まさか、SOS団ではなく極東魔術昼寝結社の夏の方の勧誘でしたか。よし、丁重にお断りしよう。…このネタはいったい誰に伝わるんだろうか。
彼女は気安く触るなという割に俺の手を解放するつもりはないようで引き連れるように廊下を突き進んでいく。
その間も、よほど見られたくないのか彼女は体で件の右手を俺の死角に隠す事を徹底していた。
「実は右手がパラサイトに乗っ取られてるとか言って、俺に攻撃してこないでくれよ」
「……何を言ってるの?パラサイト?」
「寄生獣という有名な漫画だ。『悪魔というのを辞書で調べたが一番それに近い生物はやはり堀北だと思うぞ』が有名な台詞なんだが知らないか?」
「その漫画は知らないけれど、貴方が私をどう思ってるのかはよく分かったわ。そして、攻撃する理由が出来てしまった」
「冗談だ。必死に隠してるから少し揶揄ってみたくなっただけだ」
「……そんなに身構えなくて結構よ。封印を解くのは難しい話でもないから」
本当にそうなら、何故そんなに必死に隠すのだろうか。
五条先生が封印されたレベルの一大事である気がしてならない。
俺は獄門疆裏の手持ちもないし、天使であるひよりにも今は会えない状態にあるんだが…。
そんな俺が独力で解けるとなると、グラビア雑誌の袋綴じとインテグラルくらいのものである。
「恥ずかしいからあんまり見ないでくれるとありがたいのだけど……」
消化器外科の医師に患部を見せるかのような振る舞いに、恥部でも晒すつもりなのか?と思ったが話が進まなくなりそうなので口には出さない。
それに、その場合はあんまり見ないでという要望に応えられる自信はさらさらなかった。
「大袈裟だな。でも、善処するよ」
…念の為だ。万が一のケースに備えておいて、俺は善処するという手前味噌な言葉で誤魔化しておく。
相好を崩して答えた俺に堀北が大きく息をついて振り返る。
右手には鉄の塊が装着…、いや武装されていた。
それは、ドラクエならおなべのふたに肩を並べそうな初期装備だが現実では本気で殴れば人を殺せる程度の攻撃力は誇るだろう。
「可愛い水筒だな。最先端のお洒落か?」
「最先端と言うよりは最新鋭かしら。性能テストのサンドバッグになってくれる?」
「どれだけの研鑽を積んだら、笑顔にそれほどの狂気に満たせるんだ。謝るから、その凶器を下げてくれ」
「貴方の悪ふざけに付き合う精神的余裕はないと言ったはずよ。はぁ、御託はいいから早く抜いてくれるかしら」
相当参っている様子の彼女に、俺も真面目に向き合う事を決めた。
だから決して、脳裏にふらっとやってきた既視感の正体を伝える事はしない。
さっきの消化器外科の話の続きじゃないが、性の探究に興じるがあまり、大人のおもちゃが抜けなくなりましたって悩みをYahoo!知恵袋で閲覧した記憶が蘇って、今の状況はそれに酷似しているなぁ、なんて思った事は絶対に口にしないのだ。
確かそのスレッドのベストアンサーは……。
「…麻酔が必要だな」
「話が飛躍したわね」
「別に麻酔じゃなくても、痛みを紛らわせることができるならなんでもいいんだ。要は、抜く時に痛みを伴うせいで、力をセーブしてしまうことが問題なんだ」
「分かってるわ。だからこそ、貴方を呼んだのだけど?」
「同じ事だ。堀北が痛がっているのに敢行する事は俺にはできない」
「……そう。……意気地なし」
溜めに溜めて、かける言葉がそれか。何とも堀北らしい。
状況だけ見れば何も解決していないが、彼女の表情が少し明るくなったように思える。男性脳と女性脳の違いだろうか。
「一時的に痛みを和らげる効果がありそうなのは、アドレナリン、ドーパミン、エンドルフィンあたりか」
「……どうして快楽物質ばかりなのよ」
「痛覚と快楽が紙一重の関係にあるからだ。高い金を払ってマッサージに行くのは痛気持ちいいからだろう?」
根本治療の整体やカイロプラクティックと違い、マッサージは対症療法。快楽物質を分泌させて、一時的に症状を誤魔化しているだけである。
「相変わらずの蘊蓄屋ね。貴方と話していると言い包められている気分になるわ」
「そんな様子じゃ先が思いやられるな。これはまだ序の口、こっから本題だ。堀北、とりあえずそのベットにうつ伏せになってくれ」
「……いいわ。従ってあげる」
もう一悶着あるかと思った提案だったが、今日の堀北は素直だ。
水筒に精神を磨耗されているだけと断定できないくらいには。
「忠告しておくけれど、変な場所を触ったら噛み千切るわ」
「噛み千切るって口で言うほど簡単じゃないと思うけどな。行為だけを切り取れば、少なくとも嫌悪感だけで踏み切れるものではない。懲役七年だ」
「…へ、変な想像させないでよ。それくらいの報復が待ってるって話よ」
「いや、この話をし始めたのは—」
「次ゴタゴタ言ったら貴方を殺すわ」
ベットに横たわった堀北″さん″が俺を見上げて、剣のある声で釘を刺してくる。
…釘といい剣といい鋭利な表現が似合う女だな。堀北は。こんなにも柔らかそうだというのに。
「まあ、心配は無用だ。意気地なしの俺にそんな芸当は出来ないよ」
「………なら、いいわ。早く済ませてくれるかしら」
「早く終わるかどうかは堀北次第なんだけどな」
俺はそう言ってベットに膝を乗せる。マットレスが軽く沈み、堀北はその事に反応しまいと目を瞑り体を縮こませる。
水筒を抜くという目的に対して、極度の緊張状態はあまり喜ばしくない。
だが俺が堀北を跨ぐようにして腰に手を添えたところでそれも決壊した。
「ひゃんっ!」
普段、毒ばかりを吐いている彼女のものとは思えない甘い声。
咄嗟に漏れてしまったそんな声を恥じたのか、彼女は空いている左手で口を塞ぐ。
しかし、声のボリュームを抑えられても体温の上昇は止められず、頬の熱が波及するように体全体に広がり、火照っていく。
「……んっ、……んっ」
腰に添えた手で筋肉をほぐす度に彼女の何かを堪えるような声が耳朶を打つ。
艶めかしい嬌声を聞くよりも数倍生々しい。正直に言えば、唆るぜこれはって感じだ。
俺は目的を見失わない為にも、会話を振って意識を逸らすことを試みる。
「…女子とは思えないほど、筋肉質だな。しかも、この体脂肪率、トレーニングだけじゃなく食事制限もしてるんじゃないか?」
「……別に……、ふ、普通よ」
「謙遜する必要はない。素直に感心してるんだ。その努力は誰にだってできることじゃない」
「……違うわ。謙るつもりなんて毛ほどもないもの」
彼女は寝返りを打つかのようにくるりと体を回して仰向けになる。
真っ赤に染まった顔で笑って両手を伸ばし、そのまま俺の首に手を回してくる。俺は抵抗も出来ずにただ、それを受け入れた。
首筋に当たる冷たく硬い感触だけが場違いで、その他の五感で感じる全てが扇状的でどうにかなりそうだった。
「ただ、貴方に認めてもらって褒めて貰いたいのはそこじゃないってだけ。それとも私では、女子として魅力的だとは思えない?」
「……俺が女子とは思えないって言ったことが気に入らなかったのか?」
「そうじゃないわ」
「なら、質問の意図が分からない。どうしてそんな事を訊くんだ」
「………私、船から帰ってきてからずっと、自分を見つめ直してたの」
どこか会話が噛み合わないような違和感。
その正体は彼女が論理的思考を捨て、感情先行で話しているからだろう。
「…ある男は砂漠でオアシスを探して彷徨っています。そんな時、老人が現れて、親切な事に砂漠の地図と方位磁石と水と食料を分け与えてくれました。しかし、その男はオアシスには辿り着けませんでした。何故でしょう?」
甘く息が詰まりそうな空気の中で、堀北はまるで水平思考クイズか、あるいは自己啓発本の導入にでもありそうなエピソードを展開してくる。
その一幕に彼女の持ち味でもある空気の読めなさを実感し、あまつさえ、実家のような安心感まで覚えてしまった俺は思考を挟まずに即答する事ができた。
まあ、実家に安心感を感じたことなどないので月並みな比喩である。
「簡単だな。水と食料に毒が混ざってたんだろう。老人は敵勢力が送り込んだ差金だ」
「……そんな白雪姫みたいな話ではないわ。老人は信用に値する人物よ」
「おかしいな。信じるものがすくわれるのは足元だけと相場が決まっているんだがな」
「夢も希望もないわね。リアニストというよりネガティブの域じゃない」
「はっはっはっ。流石は愛と勇気だけが友達の水筒マン。随分と優しい世界にお住まいのようで」
俺の煽り文句が綺麗に決まったところで、首に痛みが走る。
腹を立てた堀北にぐいっと引き寄せられたのだ。……近い。可愛い。いい匂い。
「綾小路君は優しくない血みどろの世界の方がお好みかしら??」
「イエ、コノミマセン」
「なら、誤魔化さないでちゃんと答えて」
「……まあ、堀北のその仮定なら地図は正確で方位磁石も正常に機能する。なら引っ掛かるのは彷徨っているという点。その男は自分が砂漠のどこにいるのかが分からなかったから、オアシスまでの道筋が描けなかったんだろ」
「…………正解よ。貴方にクイズを出すほど、張り合いのないことも他にないわね」
俺が正解を言い当てたことが不服だったのか、幼い子供が臍を曲げたかのように唇を尖らせる堀北。
ははっ。俺にクイズを挑もうなんて百年早いのだ。QuizKnockで鍛え直してきたまへ。
「で、その現在地が分からないってのが自分探しに繋がるのか?」
「こういうところだけは察しがいいのがムカつくけど、その通りよ。…私達はまだ15歳。世間一般では多感な時期なんて表現される頃合い。すぐに何かを好きになって、すぐに何か嫌いになる」
『何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ』
そんな何気もない日常の会話の一つが彼女の手練手管にやって伏線として回収されようとしていた。
「だから、私のこの気持ちは勘違いかもしれないわ。恋は盲目なんて言葉を鵜呑みするなら一種の気の迷いなのかも」
「……」
「けれど、そんな事はどうでもよくなってしまったわ。偽物だって、いつかは本物になれる。そう願う事はきっと、ステキな勘違いだと思うから」
彼女は照れたような笑みを浮かべた。
その上、どこか浮ついたようなそんな雰囲気を纏いながら、告げる。
「綾小路君。私は貴方を好きになってしまったみたい。これが、貴方に女性として魅力的だと思って貰いたい理由。…これではダメ?」
…ダメじゃない。堀北に対して魅力がないなんて思った事は一度もないのだ。
……だからこそ問題だった。
俺が彼女を魅力的に感じても、彼女はそれを受け入れる準備が整っているということだ。
自分の感情を整理し好意を自覚した途端、箍が外れすぎだ。
「……それは友達に対して向ける好きとは違うんだよな?」
「私の友達カテゴリーは愛と勇気でいっぱいよ」
「……それはお兄ちゃんに向ける好きとは違うんだよな?」
「馬鹿ね。兄より貴方の方が好きに決まってるじゃない。認められたいとは思っているけれど、兄にこんな事したいと思わない」
馬鹿な。お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっとか言い出しそうなあの堀北がそんな兄より俺が好きだって?
……想像するのも怖い。俺には背負えそうにもないほど重い想いだ。
けれど、そんな理由で彼女を突っ撥ねる気はさらさらない。
俺が原因なら精進すればいいだけの話だ。
「…まず、ひとつ」
俺は孔雀の飾り翅のように広がる彼女の髪を愛でるように撫でる。
「多感な時期なんて言うが、俺からすれば一般論だ。俺自身は何かを本気で嫌いになったこともなければ、何かを本気で好きになったこともない。分からないんだ。そういう感情が」
「……そう」
「だが、高育に向かうバスに揺られてた時に、俺はこの長く透き通るような黒髪に一目惚れしたよ。こんな可愛い女の子がいるのかってな。清楚に違いないって。…まあ、最後のは堀北の言葉を借りるならステキな勘違いだったんだけどな」
そう。ステキな勘違いだ。
最初は受け入れ難かった彼女の性格も今では心地良く感じている。これ以外はありえないというほどに。
「だけどこれは俺が堀北を魅力的に思っているって話で、女性として好きって話じゃない。だから、堀北の望む返事は出来ない」
「……必要ないわ。返事が欲しくて好意を伝えたわけじゃないもの」
堀北が唇の端を吊り上げて笑う。
見慣れたはずの意地の悪い笑みの形をしているのに、彼女が俺に好意を寄せていると分かると、それは蠱惑的に見えた。
「知ってる?人って好きっていう気持ちには好きでしか返せないように出来ているのよ。だから、私の告白に対しては″はい″か″イエス″でしか答えられないの」
親和欲求や好意の返報性を考えればそういうケースはあるかもしれないな。あくまで一般論で、しかも極論だが。
「…こういう私の傲慢なところ、嫌いじゃないんでしょう?」
「……まぁな」
彼女をDクラス足らしめる欠点とも言える部分でさえ、俺にはどうしようもなく愛おしく映ってしまう。…悔しいが、森下の言う通りだ。
「綾小路君。覚悟しておいて。貴方が私を好きになるまで、私は貴方を諦めないから」
新たな決意を胸に刻んだ彼女は晴れやかにそう宣言した。
「とりあえず、手に水筒を嵌めてる女の子はタイプじゃないと言っておく」
その後、水筒は堀北の右手をあっさりと解放した。
その理由は分からないが、もしかしたら彼女の体が鉄の融点に至るほどの熱を発して僅かに変形したのかもしれない。…あり得ないか。これは。鉄の融点は1500℃を超えるし。
感想、ここ好き等ありがとうございます。
ハンターハンターの楽しみがなくなったけれど、俺には俺ガイルの新刊がある!!!