お月見とは中秋の名月を眺めて楽しむ日本の伝統だ。
本来なら九月下旬から十月中旬くらいの時期がシーズンだが、最近では企業戦略に余すことなく利用され、バレンタインの如く先取りして商品が展開される。
まったく。風情もへったくれもない。金の匂いだけがするイベントである。
そんな世間のお月見ムードに水を差すような俺には、月を愛でる機会なんてさらさらないが、月に棲む兎の方は愛でる機会に恵まれた。
青春豚野郎の癖に、バニーガールの橘先輩に夢を見てしまっているのだ。
「とりあえず髪型は変えないとダメですね。頭に耳をつけてるうさぎはいてもお団子を乗せてるうさぎはいませんから」
「そ、そんな……。私のトレードマークなのに…」
バニー衣装を纏った橘先輩をぐるりと見渡し、目のやり場に困った俺がやっとのことで絞り出せた感想に、橘先輩は名残惜しそうに髪をくしっと触る。
…羨ましい職業としか認識していなかったが、全裸監督って凄かったんだな。
あられもない女性を前に理性を保って仕事に徹すなんて重度のワーカーホリック以外には務まらない。今回の件で身に染みた。
「……それよりも窮屈じゃないですか?競泳水着くらいピチピチなんですけど」
「し、仕方ないじゃないですか。こんなの買ったのは初めてだったんです」
「勝負服なんですから、サイズはきっちり確認してくださいよ」
「しましたよ!!しっかりとカップサイズはCのものを…。って、何を言わせるつもりですか!!」
橘先輩はこの後の告白によほど緊張しているのか口を滑らす。
俺の方もこの調子で胸もポロリしないかしらと思うくらいには、彼女の色気に悩殺されそうになっていた。
冷静でないのはお互い様なのだ。
……それにしてもCカップか。それは標準的なサイズなのかもしれないが体が小ぶりな体についてるそれは中々の迫力があった。
これぞ大和大国日本が誇るシーパワー。地政学で最強と言われる所以である。
「まあ、メーカーによってサイズ感が違うスニーカーみたいなものだと思って多少の齟齬は目を瞑るしかありませんね」
「齟齬……。そ、そんなに…変ですか?」
「大丈夫です。大袈裟に言いましたが少し小さいくらいなら告白の結果を左右するような大きな問題にはなりませんから」
「ですが、裏を返せば小さな問題はあるってことですよね?」
慰めたつもりだったが、過敏になっている彼女前では曖昧な言葉は逆効果みたいだ。うるうると瞳を潤ませ、不安に負けそうになっている。
この場では目を逸らさない事が誠意に繋がる。
そう判断した俺は今一度、彼女の頭からつま先、表から裏までじっくりと観察した。
まずは上半身。肩は言わずもがな、惜しまずに曝け出された胸元。シーパワー以下略。
そして下半身に目をやれば、チキンレースでもやってるのかと疑いたくなるほど攻めた布面積。
太腿の付け根ギリギリまで余す事なく健康的な肌が露わになっていて男子高校生にとっては刺激物も同然だった。
毒物劇物取扱責任者の資格を取得した暁には、彼女の管理監督を請け負いたい所存だ。
そして、その色香を際立たせて倍化することに特化した網タイツに関してだが……、これを最初に開発した人間にはちゃんとノーベル賞が与えられたんだろうか?
俺もそんな人間のように、将来は人類の進歩に貢献できるようになりたいと強く思う。
最後に後ろ姿だが、見る人によってはこちらが致命傷となり得るだろう。
白い背中はガラ空きでお尻に至っては形がはっきりと分かるくらい生地が食い込んでいるのだ。
俺が櫛田におっぱい星人と詰られる程の熱心な教徒じゃなければ、危うく尻派閥に寝返るところだった。
「変かと問われれば変じゃないと断言できます。可愛いかと問われれば可愛いことを保証できます。正直な話、羨ましい限りですよ。こんなにも魅力的で素敵な橘先輩に迫られる堀北先輩が」
ちなみに変かどうかではなく、変態かどうかと問われれば変態だと断言できる。
サイズが合っていないせいで、痴女の域に片足突っ込んでいるレベルのエロさを醸し出しているのだ。
「……私って……面倒臭いですよね。これでは綾小路君に無理矢理言わせたようなものです」
面倒臭いか面倒臭くないかを問われれば、正直かなり面倒臭い。何が面倒臭いってその質問が一番面倒臭い。
具体的に言えば確定申告とか年末調整くらい面倒臭い。ついでに言えば、簡略化された風のワンストップ特例申請も普通に面倒臭い。
「そんなことありません。お世辞や嘘ではありませんから。…ですが、やはりただの後輩である俺の言葉では足りませんか?」
「…違います。綾小路君をただの後輩だなんてもう思っていません。その賛辞には飛び跳ねたくなるくらいには嬉しいんです。…ですが、この後を思うとそれ以上に怖いんです」
言葉や誠意を尽くしても彼女の不安を払拭できないことを早々に悟った俺は俯きそうになる彼女を繋ぎ止めるように彼女の両肩に手を置いた。
そして、驚いて顔を上げた橘先輩の目に言葉を流し込み導く。
不安が払拭できないのであれば、その不安すらも武器に変えてしまえばいい。全集中の呼吸 壱の型 全肯定である。
「それは橘先輩が本気である証拠です。背筋を曲げる理由にあらず、自信満々に胸を張るに値する賞賛されるべき勇気です」
「……綾小路君はなんで、そんなに私に優しくしてくれるんですか?」
「頑張ってる女の子の背中を押したくなるのに理由が要りますか?橘先輩は今の心地良い関係を壊してでも、大好きな生徒会での席を失ってでも、先に進みたいんでしょう?」
「……うん。…進みたい」
「だったら、ちゃんと前を見てください。橘先輩の望む未来は地面に転がってるようなものではありません。羞恥心や恐怖心すらも力に変えて、我武者羅に背伸びしてようやく届くものなんです」
我ながら極悪非道だ。九回裏二死満塁の場面で、彼女が打てないと分かっていながらも励まし、バッターボックスに送り出そうとしている。
「……もしも、……それでもダメだったら…?」
「そうですね。その時は俺の胸で我慢してください。抱き止める事はできませんが、涙の受け皿くらいにはなれますから」
「……そうなったら、私、凄くダサいですね…」
「橘先輩。むしろ逆ですよ。結果に問わず、挑戦する人間はカッコいいものです。うっかり惚れてしまうくらいに」
冗談混じりに相好を崩した俺に橘先輩がようやく笑った。
告白に失敗した時に思い描いていた絶望的な未来に俺が希望を与えたことで、少しの余裕が生まれたのだ。
「…失敗するつもりは微塵もありません。……ですが、一応、胸は空けておいてください」
「役得ですね。俺は」
彼女に胸を貸す遠くない未来を想像してそう呟いた俺に、橘先輩は肩に乗った俺の手を払いのけてぴょんと跳ねるように距離を詰めてきた。
そして、そのまま背伸びをして耳打ちするように
「けれど、彼女さんがいるんですから、私に本当に惚れちゃダメですからね?」
その不意打ちに呆気に取られた俺の顔を覗き込み、桜色の舌をチロリと出して鬼の首を取ったように笑った橘先輩は鬼がかっているほどに可愛かった。
橘先輩はそのまま固まる俺の横をすり抜けて『いってきます』と一言告げる。
その横顔には文字通り本気が宿っていて数秒前までの彼女はいない。
今の一連の動作を単なる思いつきでやったのだとしたら恐ろしい程に蠱惑的な先輩だ。心臓に悪い。俺は耳が弱点なのだ。
…けれど、これで良かったと心から思う。
俺のフレネミーそのものの立ち回りを彼女に知られた時の恐ろしさはこんな比ではないだろう。
兎にも角にも、うさぎは根底に可愛いがあるべきなのである。
本当の意味で恐ろしいうさぎはリゼロの世界だけでお腹いっぱいなのだから。
◆
俺の打ち出した第一回チキチキバニー告白大作戦の本質は色仕掛けではなく、堀北学の独占欲を刺激して好意を確かめるという狙いがある。
この独占欲というのは厄介なもので、当人同士の関係に問わず、好意さえあれば必ず存在する。
好きなアイドルにAVデビューして欲しい根っからのファンはいないのだ。
だから、あの姿の橘先輩を前にした堀北学が取る行動で結果が決まる。
そして俺はその堀北学の思考を鈍らせる事で彼女の告白を失敗させる。
俺は通話状態になっているスマホを取り出して、その結末を見届ける立会人として抜擢した彼女が既に現着している事を確認した。
『…正直驚いた。まさか匿名アカウントからメッセージが鈴音だったとはな』
『メッセージの相手が私だと知れば、兄さんは取り合ってくれないことは目に見えてましたから』
『それは綾小路の入れ知恵か?随分と心酔しているように見える』
『否定しません。私が彼に心から惹かれている事は事実ですから』
イヤホン越しに聞こえてくる堀北の声に淀みはなく、兄相手にも物怖じしていない。
そして、好意を自覚した彼女の相変わらずのノーブレーキっぷりには苦笑いを浮かべるしかない。これがプリウスなら今頃廃車になっているだろう。
『…たった4ヶ月で随分と変わったな』
『はい。繰り返しのようですが、本当にあの頃の私とは違います。今日は過去の清算に—』
『困ったものだな。勘違いの多い妹を持つというのは』
呆れたとばかりに大きく溜息をついた堀北兄は声を尖らせる。
『鈴音。分かってないようだから忠告しておく。それは喜ばしい成長ではない。痛ましい自己破壊だ』
『……』
堀北学は反論を失った堀北に二の矢を放つ事はしなかった。
変わったのは堀北鈴音自身ではなく、好意を向ける対象が堀北学から綾小路清隆へと変わっただけという二の矢を。
それは優しさを見せたわけでも、突き放したわけでもない。
結局、彼が彼女に求めているのは自立だけなのだ。
『私はそうは思いません』
唐突にガチャリと生徒会室のドアが開かれ、橘先輩が入室する。
万全の準備を整え高めた彼女の想いは既に第三者の存在で止まるような安いものではない。
だがきっと、堀北学はそうではないだろう。
『…橘。なんだその格好は』
『その様子だと、会長はきっと今の私を見ても、自己破壊だって思うんでしょうね』
『そんな格好で出歩くような人間をまともだと思えるべくもない』
『ハロウィンに渋谷に行ってみてください。私より過激な格好をした人が大勢出歩いてますから』
論点を大きく逸らした橘先輩だが、元を辿れば橘先輩の格好について話し合うことそのものが論外なのだ。
彼女は強引に話を切り、堀北鈴音に挨拶する。
生徒会の一員として来客への対応を欠かさないところは冷静だが、内心は穏やかではないはずだろう。
橘先輩の捨て身の衣装に対してかける堀北学の最初の言葉が叱責に近いものなのだから。
『鈴音さん。安心してください。兄の背中だけを追い続けてきた妹が、隣に立ちたいと思える人に出会えた。その為の努力を自己破壊とは呼ばせません。例え、それが兄の会長であっても』
橘先輩の言葉に堀北は肩を持つように感じたかもしれない。
だが、俺には肩を組んでいるように聞こえた。
堀北鈴音の一幕すらも告白の前座として利用する気なのだ。
『橘。認識がズレているようだな。俺は過程の話はしていない。他人によって齎された変化は成長ではなく自己破壊だと言っているだけだ』
『他人に齎された変化を成長と呼んでどうしていけないんでしょう?』
『…それは成長したのではなく矯正されたことと同義だからだ。やらされた結果か自分で身につけたものかでは本質がまるで違う』
『会長のストイックなところは好きですが、自分に厳しいのは美談でも、他人に無闇に厳しいのは理想像の押し付けだと思います。競争や教育を根本から否定しまってはこの学校の名折れです』
『………分からないな。どうして、お前が鈴音に加担する?』
堀北学の反論は終始、橘先輩に力負けしている。
これは、彼が堀北に対して自分自身で答えに辿り着くことを望んでいるから。だからこそ核心には触れず、あえて迂遠な言葉を選んでいるのだ。
今の前のめりな橘先輩と対話するには大きすぎるディスアドバンテージだ。
『わたしも鈴音さんと同じだからです』
『……何がだ』
『会長は分からないのではなく考えていないだけです。鈴音さんの気持ちや私の気持ちを』
『……』
『本気には本気を返して欲しい。それだけなんです』
…失敗したな。と本能的に悟った。
異様な雰囲気を纏って追い詰めていく橘先輩の言葉には説得力がある。論理ではなく感情で説き伏せていく。
『自分を捨てた訳でも、投げ槍になった訳でもありません。ただ感情が今までの自分を追い越してしまっただけなんです』
『これは自己破壊ではありません。自己超越ですよ。会長』
『今、目の前にいるのは書記でもクラスメイトでもありません。ただ、会長に可愛いと思ってもらいたい女の子なんです。会長のことが大好きで感情が抑えきれなくなってしまった恋する女の子なんです』
『会長。…そういう目で私は見れませんか?』
感情が奔流し、止まることを知らない橘先輩の一方的な告白を見届けたところで俺は通話を終了させた。
この先の展開は恋愛経験に乏しく、感情に聡くない俺でも分かる。
例え妹の前だとしても、あの橘先輩を本気を受け流すなんて不可能だろうから。
◆
「うわぁぁぁぁあ〜んっっ!!!!」
うさぎってこんな人間的な鳴き方するんだっけ?と俺は思う。
「ひ、酷いですよ。会長は!!!私が告白した時、会長はなんて言ったと思いますか!?」
「…会長は知的ですから、文学的に『今夜は月に映る兎が綺麗ですね?』とかですかね」
「あ、それいいですね、言われてみたいです……。じゃなくて!!実際は……会長は……会長わぁ…………」
ひくひくと喉を鳴らして息を吸った橘先輩は俺の胸から顔を上げて、俺が切ったあの通話の先を話した。
「『話は分かった。とりあえず着替えてくれ』ですよ!!!」
「……なるほど。それは酷い」
「百年の恋も冷めました!!もうどうにでもなれって感じですよ!涙よりも笑いが込み上げてきます!」
考えようによってはフラれてはいない回答なんだが、橘先輩がかけて欲しかった言葉でなかったのもまた事実だ。
まったく、女の子の告白を後回しにするなんて最低だぜ‼︎
「ィィィィィィヤァァァァァアッハ」
壊れた橘先輩が俺の胸を叩きながら乾いた声を響かす。
うさぎってこんなちいかわ的な笑い方するんだっけ?って思う。
発狂に似た笑いが済んだ後も堀北学への愚痴が数分間続いた。
俺はそれに対して共感し相槌を打つだけのサンドバッグと化した。
「はぁ……はぁ……。……お腹空きました」
さっきの激情は嘘だったかのようだ。
まるで電池が切れたロボットが急に動かなくなったみたいな虚な目に浮かべて橘先輩はぽつりと溢す。
「橘先輩。この後俺の部屋に来ませんか。大好物を振る舞いますよ」
「……へ?」
「料理は俺の数少ない得意科目の一つなんです」
◆
俺ならそんな思いさせないのにって気持ちで橘先輩を引き連れ、自室へと帰宅する。
エレベーターを降り、廊下を進み、部屋のドアの前まで来たところで立ち止まる。頭に最悪の展開が過ぎったからだ。
「光熱費は学校が負担していますが、電気の点けっぱなしはエコの観点からも褒められた行為じゃないですね」
「耳が痛い話ですね。何せ、一人暮らしを始めて半年も経っていないビギナーなんです。お手柔らかに頼みます」
「ふっ、その様子では実家では家族に甘えてたタイプですね?となると、今は親の有り難みが身に沁みる頃合いですかねー?」
「残念ですが真逆です。過保護の親の元を抜け出して清々したとばかりに自由を謳歌しているドラ息子タイプです」
「む。そうでしたか……」
毛利小五郎のような推理をドヤ顔で披露した橘先輩が可愛くて反論するのは忍びなかったが、こちらとしても看過できる勘違いではなかったため訂正しておく。
「ですが、橘先輩の話を聞いて少しは自制しなきゃなぁと考え直していたところです。部屋を簡単に片付けてくるので待ってもらっていいですか?」
「断固拒否します」
ドアノブに手をかけた俺ににべもなく言い放つ橘先輩。
振り向くと、困ったように口を膨らませるリスみたいな先輩がいた。兎なのに。
「一人になると寂しくて死んじゃうからですか?」
「……綾小路君。分かって揶揄ってますよね?私をここで放置することがどれくらい酷い仕打ちか分かって言ってますよね?」
そう。橘先輩は今、バニーの衣装に俺の上着を一枚羽織っただけの姿なのである。
遅い時間帯なのもあって、学校からここまで誰にも遭遇しなかっただけで、誰かに見られれば校内新聞の見出しに取り上げられるに違いない。
何せ、俺が貸した上着はブカブカで、その上着から網タイツを纏った生足が生えているような状態。安心してください、履いてますよ。では済まない格好だ。
ならば、何故、こんな事態になっているか。単純明快だ。
『何の気力も湧きません』や『私には魅力なんてありませんから』などとネガティブモードになっていた橘先輩に対して、『とりあえず着替えませんか?』なんて提案してトラウマを掘り起こす事が出来るだろうか?否。出来るはずもない。さっきの俺ならそんな思いさせないのにの答えはこの哀れな実情である。
「とりあえず!!入れて貰いますから!!」
勢いをつけた橘先輩が俺を押し退けてドアノブに手をかける。
「あ、鍵……。え、開いてる……?」
捻ったドアノブが施錠されていないことに驚いた橘先輩が振り向いて『不用心すぎでは……?』と目だけで責めてくる。
……こうなったら覚悟を決めるしかない。最悪の展開を受け入れる覚悟を。
俺は固まった橘先輩に変わってドアを押して、部屋へと入室する。
「おかえり〜。ご飯にする?お風呂にする?それとも……わ、た、し?」
「悪いが、今夜はうさぎの気分なんだ」
「うわ、ノリわる〜い。てか、何その答え—」
「いやぁはっ!?」
まさか第三者がいるとは思わず、すぐに俺の背中に隠れた橘先輩の腰を抱き寄せて櫛田の前へと突き出す。
不意の接触と不用意な俺の発言に驚きの声をあげるが、ちいかわモードはまだ抜け切っていないらしい。
語尾に『……ってコト!?』が標準装備される日も近いだろう。
「……」
「……」
「…………」
俺が我が物顔で我が家を占領する櫛田を睨み、櫛田が普段とは見違えるほど露出した橘先輩を観察し、橘先輩が非難するように俺をポコポコと殴る。
三竦みの状態で無言が暫く続いた後、橘先輩が合点がいったように
「……もしかしなくても、綾小路君の言ってた彼女さんは櫛田さんだった……ってコト!?」
「そ、そうなんですっ!うちの清隆がお世話になってます。橘先輩っ」
「やっぱり!美男美女のお似合いカップルですねっ」
呆然とする俺の眼前で、今度の推理は上手くいって心なしかはしゃいでいる橘先輩が櫛田に手を取られ部屋の中へと消えていく。
…って、橘先輩の語尾の変化にほんわかしてる場合じゃねぇ!!
俺は遅まきながら手を懸命に伸ばして、櫛田の肩を何とか掴み引き留める。
「橘先輩。櫛田と積もる話があるので中で待ってくれませんか?」
「まあ、押しかけたのは私ですし、それはいいですけど…。櫛田さんの方は名前呼びなのに綾小路君の方は名字で呼んでるんですか…?」
「橘先輩。清隆は照れ屋なんです。二人きりの時は名前呼びどころかきーちゃんなんて呼ばれてます」
「そうなんですかっ」
時すでに遅し。両手を合わせて微笑んだ橘先輩を見て、この誤解はもう止められないと察する。
だが、俺にはもうそんな事は関係ない。櫛田に一言言わないと腹の虫が収まりそうにもなかった。
橘先輩に断りをいれて、俺は脱衣所に櫛田を連れて入る。
ドアを閉めて、浴室の磨りガラスまで追い詰めて逃げ場を塞ぐように両手を彼女の顔の横にドンと置く。
「さぁ、きーちゃん。弁明があるなら聞こうか?」
「うわっ。思ったよりきっついね。それ。てか、その流れでいくと私もきーくんって呼んだ方がいい?」
…バカップルすぎるだろ。ヨシりん&ミッチーくらい目も当てられない。
「……実力行使したって構わないんだぞ」
「あはっ。よく言うよ。…私に手なんか出さないくせに」
胡乱な目で挑発する櫛田のその言葉には暴力を振るうという以外の意味を含んでいた。
「口を割るつもりはないんだな」
「割る口がないだけだよ。悪口はぽんぽん出るんだけどね」
「上手いこと言って茶化すなよ。しかも無駄に上手いし」
これがMCバトルなら満場一致のクリティカル判定が出そうなくらい上手くて思わず褒めてしまった。
そんな漏れ出てしまった賛辞にへらへらと軽薄そうに笑う彼女をこれ以上詰めたところで、得られるものはオリジナリティのある韻くらいだろう。
「そうか。なら出ていけ。勿論、合鍵を置いてな」
「……へ?」
「別に櫛田が俺の部屋を無断で使おうが、居座ろうが構わなかった。櫛田には恩義を感じているし、信用もしている。面倒だと思うこともあるが、一緒にいて楽しいと思う事の方が多かった」
全て過去形だ。
「それが何故だか考えた事があるか?」
「……いきなり何語ってんの」
「お互いに素でいられる関係だったからだ。相手を理解し合い認め合うことが心地良かったからだ」
忌憚なくそう評した俺は彼女の反応を待つことなく、両手を下ろして距離を取る。
実力行使は暴力一辺倒の武力行使とは大きく違う。
小さいものならボイコットやストライキ。国単位に話を広げれば経済制裁など。
要は自分の意志を通すために手段を選ばないことを実力行使という。
「櫛田。この不健全な関係を終わりにしよう」
「……待ってよ。…意味わかんない」
「そうだな。今まではお互いに分からないフリをしてるだけだった。でも、俺はもうやめる」
困惑を浮かべる櫛田の目を捉えて、俺は明言する。
浮き足だった関係を地につけるのにぴったりな歯の浮く台詞で。
「お前、俺のこと好きなんだろ」
感想等、ありがとうございます。
滑り込みで一週間更新間に合いました。
次は引き延ばしに引き延ばした一之瀬編。