ある本に出会って人生を狂わされた人たちのお話

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虹色の衝動

あるところに1人の青年が住んでいました。

 

青年は文章を書くことが得意でした。

青年は物語を作ってはそれを売り、生活の糧にしていました。

その種類に統一性はありません。お客さんから求められるがまま、たくさんの作品を作りました。

コメディを、ギャグを、ラブロマンスを、アクションを、シリアスを。

小説で、詩で、歌詞で、キャッチコピーで、台本で。

青年の作品はウケが良く、常に引っ張りだこでした。

 

 

 

ある時、青年は図書館に出かけました。

青年とて人間ですから、全ての言葉を内から生み出せるわけではありません。多作家の青年は、同時に読書家でもありました。

その日も青年は新しい言葉を探して、ある本を手に取りました。

 

その本は、どうにもよろしくない見た目でした。

おそらく誰にも手に取られることもなく、ずっと日に炙られてきたのでしょう。その表紙は日焼けで茶色くなり、ところどころ黄ばんでいました。手に取るだけで手が汚れてしまいそうです。

 

普段の青年ならば、見向きもしなかったでしょう。

手に取られない本には、手に取られないだけの理由があります。

拙い、汚い、無名、記憶に残らない。

本の中身であれ、作者であれ、宣伝であれ、拭いきれない欠点を有した本がその立ち位置に至ります。

売れる文章を書く青年には、大抵反面教師にしかなりません。

 

しかしその日の青年は、悪魔の囁きでしょうか、その本を手に取ってしまいました。

 

 

そして、青年は運命に出会いました。

 

 

本の内容は想像通り、拙いものでした。

何かに迫られるように書いた、勢いだけの文章でした。

おそらくもう、この世に出回ることは無いでしょう。

 

ですが、青年の脳内には、世界が溢れ出しました。

取り留めのない一単語が、骨を組み、肉を纏い、羽根を生やし、色付いて飛び回る。

あっという間に、青年の心は生まれ出た世界に侵略されてしまいました。

 

彼は生まれ変わったような感慨を抱きました。

同時に、彼は思いました。

書きたい、と。

この頭に生まれた世界を、現実に降ろしたい、と。

 

それは、彼に初めて訪れた初期衝動でした。

事ここに至るまで、彼はこのような衝動を感じた事はありませんでした。

本から言葉を受け取り、それを組み立て、真っ白な作品をお客さんに渡す、さながら機械のようでした。

今やその機械は誤作動を起こし、七色の生き物を吐き出さんとしていました。

 

 

 

家に帰った彼は、着の身着のまま机に齧り付きました。

筆が踊るようでした。書くたびに幸せが湧き起こりました。

執筆の麻薬に酔いしれた彼は、噴き出そうとする世界を衝動のままに書き殴り、一つの作品を作り上げました。

 

傑作でした。彼には光を放つようにすら見えました。

過去にこれほどまでに優れた作品を書いたことは無いと自負しました。

早速、発表しようと準備を始めて、ふと、待てよ、と思いました。

 

この作品は、彼の心に広がった世界を映し取ったものです。

それはもはや、彼の心と同義でした。

さすがの彼にも、そこそこの羞恥心が湧きました。

彼は今まで、自分の心を作品に描いたことは無かったからです。

 

そこで、彼は別のペンネームを作りました。

この作品は傑作なのだから、当然話題になるだろう。恥ずかしさが無くなったら、作者が自分であると公表しよう、と考えました。

そして、ついにこの傑作を発表しました。

 

 

何一つ反響はありませんでした。

手に取る人はほとんどいませんでした。

傑作は読まれることも無く、闇に消えようとしていました。

 

 

彼は困惑しました。

何故、手に取られない?と。

普段なら、とっくに話題になっているのに、と。

 

そこで彼は、一度羞恥心を横に置いて、自分の作品として公表し直すことにしました。

おそらく、宣伝が足りなかったのだ、と。

知名度さえ有れば、評価されるだろう、と。

 

 

そして、彼の発表した傑作は、確かに大きな評価を得ました。

 

 

青年史上最低の駄作として。

 

 

あちこちで扱き下ろされました。

気持ち悪いと吐き捨てられました。

挙げ句の果てにはスランプが心配されるほどでした。

別のペンネームで発表された作品には、ついぞ気づかれることはありませんでした。

 

彼は心底当惑しました。

何故、不当な評価を受けるのか?と。

この作品はこんなにも優れているのに、と。

 

 

 

一晩考えて、彼は別の作品を書いてみることにしました。

どうしてかはわからないけれど、今回の作品はウケなかったようだが、別の作品ならウケるだろう、と考えたのです。

幸い彼の心を埋め尽くす世界は未だ健在で、作品のネタは幾らでも思いつきました。

すぐさま彼は2作品目、3作品目を書き上げ、次々と世に送り出しました。

 

しかし、ダメでした。

世間の彼への評価は下がる一方でした。

5作品目が出る頃には、彼の評価はもはや見る影もない有様で、流行りの過ぎた人、終わった人扱いをされていました。

 

彼は理解できない現実に、頭を掻きむしりました。

何故?何故?何故?何故?何故?

どうしてこんなにも素晴らしいのに、評価されない?

 

 

 

そんな彼の元に、昔ながらのファンの一人が訪れました。

そのファンは、彼の現状をスランプだと思っていました。

 

我慢の限界を迎えた彼は、ファンを捕まえて問いただしました。

何故、今の作品が評価されない?と。

ファンは答えました。

 

何かの色が出過ぎていて、読んでいて気分が悪くなるのだ、と。

 

ファンは続けて言います。

宗教にでもハマったのか?変な思想に被れでもしたのか?

今の作品には君の良さが見えない、押しつぶされている、と。

 

彼は呆気に取られました。

別に変な思想には被れていない、と否定しました。

気づきたくない思考に蓋をしました。

 

ファンは嘆願しました。

お願いだから、以前の作風に戻してくれ、と。

 

それは彼にとっては冒涜に近しい言葉でした。

以前の青年は、機械でした。

取り入れて組み立てるだけの、意思のない物体でした。

ファンは、彼にそれに戻れというのです。

 

彼は激昂し、ファンを追い出しました。

 

 

 

そして、彼は1人になりました。

もはやファンもお客さんもいません。彼にあるのは、心を埋め尽くす世界と、それを書き出す腕だけでした。

彼は一心不乱に書き続けました。

次は、次こそは、この作品を、この世界を、自分の心を認めてもらえると信じこみました。

そうしないと、筆が折れてしまいそうでした。心が壊れてしまいそうでした。

 

何の意味もない日々が続きました。

発表した作品は二桁を超えました。

しかし、一度もそれは認められることは無く、彼は諦めを感じました。

もはや、彼の心を認めてもらうことは出来ないのだ、と。

 

一方で、現実を生きる以上、彼の貯蓄は目減りしていきます。

発表もタダでは無いので、これ以上の失敗は今後に関わります。

そろそろ決断の時でした。

 

そうして、彼は心の世界を描くことをやめることにしました。

少なくとも、以前のような作品を書けば、ウケは良いです。

ひとまず彼は、金策のため物語を書くことにしました。

 

 

愕然としました。

彼の生み出す物語は、もう以前のものとはかけ離れたものになっていました。

いくら白い世界を描こうとしても、心から色が滲み出て、白いキャンバスを汚染していきました。

出来上がったのは、白かったことがわかるだけの、極彩色の何かでした。

 

 

誤作動を起こした機械は、もはや虹色の汚物を吐き出す物体と化していました。

 

 

ようやく彼は気づきました。

あの本を読んだ時に、青年という作家は死んだのだと。

 

 

彼の筆は、折れてしまいました。

 

 

 

筆を折った彼は、それからしばらくは惰性で生きていました。

彼の目はもはや虹色に染められていたので、世に出回る他の作品は無色に見えました。

それでも読書家の彼は、惰性で読み続けていました。

青年の頃をなぞれば、昔に戻れるのではないか、とどこかで期待していました。

 

 

 

ある日、彼は奇妙な作品を見つけました。

無名の新人作家の作品です。しかしながら過剰にバッシングを受けていました。

興味を惹かれた彼は、その作品を読んでみることにしました。

 

 

彼は驚愕しました。

その作品には、彼の生み出した生き物が住んでいたのです。

色の付いたページの束を、所狭しと飛び回っていたのです。

 

 

彼の頬に、ひとりでに涙が流れました。

どうしてか、彼は確信出来たのです。

この作者は、自分の作品の読者だ、と。

 

 

彼の世界は、たった一人の心に届いていたのです。

 

 

それだけで、彼には充分でした。

全てが報われたような気がしました。悩みが晴れたような気がしました。

みんなに受け入れられずとも、もはや自身の手が異形だとしても。

きっと図書館で日に炙られるとしても。

誰かもわからないたった一人の誰かに届いていたのなら。

それでいい。

 

 

 

彼は再び筆を取りました。

彼の作品は相も変わらず売れません。生活も苦しいままです。

ですが、彼は誰かのために書いていました。

青年のようにみんなのためでは無く。

以前の彼のように自分のためでも無く。

その心が届く、見も知らぬ誰かのために。

 

 

今日も彼は、虹色の世界を描いています。


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