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鬼人正邪。
種族は天邪鬼。とある異変を起こし、幻想郷の支配を企んだ大罪人である。
針妙丸から警戒を促されていたが、魔法の森で青い異形とぶつかる直前、偶然にも声をかけた相手がこの妖怪だった。なるべくなら二度も関わり合いになりたくはなかったが、これも運命の悪戯か。
「気絶……してんのか」
木にもたれかかり俯く姿を見ただけでは、負傷の程度は窺い知れない。しかしさすが妖怪と言うべきか、見る限り五体満足で目立った外傷もない。
とはいえ、布都の指摘通り全身を強打して即死した恐れもある。
「どうしよう」
何の因果か、彼は天邪鬼を前にして、再び生死を左右する選択を迫られる。
瀕死の鬼人正邪を放置し見殺しにするか、回復させて命を救うか。
死んでいなければ回復は可能。ただ、問題はその後だ。
あの時、鬼人正邪は殺気を剥き出しにして言い放った。『次に会った時、その面を引き裂いてやる』と。
つまり、傷が完治し目を覚ました鬼人正邪がとる行動、次なる展開は──即、戦闘である。
安全のためを思うと、救けることが一概に正しいとは言えない。さらに言えば、一度異変を起こし、再起の機会を窺う彼女は、幻想郷にとって紛れもない“悪”である。
仮に何もせず戻ったとして、誰もカンザトを責めないだろう。布都も、懸命な判断だと言うに違いない。
己の保身へと思考が傾いた、その時。
「う……」
鬼人正邪が呻いた。
生きている。彼女の命は潰えていなかった。
「大丈夫ですか?」
ひとまず声をかける。
しかし、返ってきたのは苦しげな呻き声だけだった。目を凝らして見れば、全身に痣や細かな傷があり、至る所に血の赤が見えている。自分たちが怪物に遭遇するよりも前に、かなり痛めつけられたのかもしれない。
「……」
その傷だらけの姿を目の当たりにして、ひとつ決心がついた気がする。
カンザトは正邪のすぐそばでしゃがみ、南方を司る四聖獣の一柱『スザク』を顕現させる。スザクは五色の尾羽根を震わせ、朱の両翼を悠然と広げた。
『
さながら、天より降り注ぐ大天使の慈悲。世に仇なす存在をも等しく救う、奇跡の魔法。
倍速した逆再生映像でも観ているかのように、痛々しい傷が見る見るうちに消えていく。苦しげな呻き声も収まり、カンザトは傷の完治を確信した。
「よし、あとは……」
背負っていたリュックサックを下ろし、中から小さな毛布を取り出して正邪へかける。妖怪の生態はよく知らないが、凍死を危惧するがゆえの行動だった。
「……戻ろう」
怪物の注意を引き付けてくれた二人が心配だ。早々に戻らなければ──
そう意気込み立ち上がった矢先、右手首がズキリと痛んだ。
「……!?」
腕が下に引っ張られ、ガクンと体勢が崩れる。
カンザトは反射的に右足を前へ踏み出して、どうにか堪えた。
「よお、いい夜だな」
耳の先端から怖気が走り、四肢の先へ広がる。小さく掠れていたにも関わらず、その声は鋭い針のようで、刺々しい圧をもって鼓膜に突き刺さった。
「そう怯えるなよ。何も取って食おうってんじゃない」
「……っ、じゃあ、手離してくれませんか」
「悪いな。妖怪たるもの、縄張りに踏み込んだ獲物は逃がさないんだ」
「ずっと起きてたんですか? 俺が近づくのを待って」
そう尋ねると、声の主──鬼人正邪はクククと低く笑った。
「嘘だよ。お前がすぐ逃げようとするから捕まえただけさ」
「別に逃げようとしたんじゃ……」
「礼ぐらいさせろよ」
正邪はカンザトの手首を掴んだまま、ゆらりと立ち上がった。
「礼……?」
それは本気で受け取っていいのだろうか、と耳を疑った。
「……いらないです。それより、手を離してほしい」
「最高に冷たいな。傷つくぞ」
言葉とは裏腹に、口元は怪しげに歪んでいた。
「というかお前、どっかで……」
不味い。だから長く留まりたくなかったのに。
「……いいや、なんでもない」
ところが、暗くて顔が判別できないのか、それとも単に覚えていなかったのか、正邪はあの時の人間だと気づいていないようだった。
「しかしなんださっきの術は。満身創痍の私を完璧に復活させるなんて」
正邪は自身の体をまじまじと見つめながら足首を振った。一見しただけでは気づかなかったが、足を捻っていたか、骨が折れていたのかもしれない。
異形を召喚する人間だと勘づかれることを恐れて、カンザトは口を噤む。
「だんまりか」
すると突然、正邪は耳元に近づいてきて──
「まったく奇矯な人間だ。秩序を乱し、追われる身である私を救けるとは」
「……!」
「その反応……やはり知っていたな?」
獲物が狙い通り罠にかかったことを喜ぶように、目を細めた。
「そうだ、我が名は鬼人正邪。幻想郷転覆を企てた反逆者であり、弱きを救う革命者である」
ますます耳を疑った。
弱きを救う革命者?
悪人の戯言にしては、あまりに奇妙な発言だ。
「それを何故、人間であるお前が救けた? よもや現状に胡座をかく人間如きが、我が大望に共感したわけでもあるまい」
そんなことが聞きたくて自分を引き止めのか、とカンザトは訝しむ。
「里の人間が妖怪に手を貸したとなれば、博麗の巫女あたりが黙っていないぞ。それともあれか? 善人気取りのつまらん憐れみか?」
悪事の片棒を担いだとあれば、共犯者としてどう扱われるか分かったものではない。よくて里を追放、最悪は情状酌量の余地なく正邪もろとも“退治”されるか。
そんな危険を冒してまで助けるのは、彼女の言う通り場違いな憐憫なのだろうか。
「俺もよく分からない」
バフォメットの炎も失せ、光源が極端に少なくなった森の中では、正邪の表情がよく見えない。
だが、その返答を聞いた彼女の困惑が、雰囲気で分かった。
「たしかに俺は、アンタが昔異変を起こした、幻想郷にとって悪い妖怪だって知ってる。でもそれは又聞きした情報で、俺自身はアンタのことを全然知らないんだ」
針妙丸から聞いたのはプロフィールの大枠だけだ。罪状や経緯は曖昧で、判断材料に値しない。
「俺はアンタがどんな
「だから助けたと?」
カンザトは頷く。
「邪悪な奴だと聞いているのにか。誰から聞いたか知らんが、随分信用されてないんだな、そいつは」
「信用してないわけじゃない。ただ、今の俺の判断でこのまま見殺しにするのは……なんとなく、納得できなかった」
先刻、たしかに彼女の命運は自分に委ねられていた。
そして、思った。
彼女の所業を何も知らない自分が、彼女へ死という裁きを下すことはできないと。少なくとも、その決断をするのは、今の自分じゃない。
だから、死なせなかった。
「危うい思考だな。家に転がり込んできた盗人を、犯行現場を見ていないという理由で匿うのと同義だぞ」
その場合はまた話が変わってくる。
が、カンザトは適切な反論が思いつかなかった。
「……アンタが、また悪さするっていうなら話は別ですよ」
「今は何もしてないから無実だって? 屁理屈だな」
「それは……」
「やはりつまらん。まあ、平和ボケした人里の住人らしいか」
随分と棘のある物言いをする。ひょっとして、人間に命を救われたのが気に食わないのか。
「治さないでほしかったんですか?」
「ふふん、そいつは違うさ。これでも感謝してる」
本音だろうか。これまでの態度を考えると、どうにも素直に受け取りづらい。
「ま、自らの目で世界を見ようとするその意思には、共感できないこともないかな」
正邪が共感してくれている……気がする
「あと」
「あ?」
もうひとつ、彼女を救けた理由がある。
「アンタを気にしてる人がいる。ここでアンタが死んだら、その人が困りそうなんだ」
「私を自らの手で罰したいってことか。ま、だろうな。私を憎んでるヤツなんてごまんといる」
たしかに“彼女”は、正邪を恨んでいると言った。
だが、あの時見せた表情と声には、ひとつの感情では括れないものがあった。
「多分、そうじゃない」
だから否定する。もし見当はずれな想像だったら、あとで謝ろうと思いながら。
「真剣に話し合いたいって、願ってたと思う」
「……誰か知らんが、酔狂なヤツがいたもんだ。『勝手に気にしてろ』とでも言っとけ」
そう吐き捨てる口元からは、笑みが消えていた。
「しっかし私の質問にとことんバカ正直に答えやがって……いい子ちゃんだなお前。ムカつくわ」
「えぇ……?」
「というか私を襲ったアレはなんなんだ。あんなの見たことないぞ」
「俺も分かりませんよ。どちらかと言うと俺の方が訊きたいんですけど。なんでアレに捕まってたんですか?」
「森で寝てたらいきなり襲われた。私はなんも知らない」
その答えを素直に信じていいのか、カンザトは判断に迷った。襲われていたため、仲間ということはないだろうが……
「ったくあのクサレ泥田坊が……好き放題殴りやがって……流石に死ぬかと思ったわ」
胃の中全部出たわ、と悪態をつく正邪を見つめながら、カンザトは鬼人正邪という妖怪を測りかねていた。
案外と、理性的なのだ。
口は悪いが、まともな会話ができている。粗暴な振る舞いはせず、初対面の際に剥き出しにしていた殺気も、今は鳴りを潜めている。
「そうだ、命を拾ったついでに私の願いを叶えてくれないか」
「無理です。時間ないんで」
「なに、簡単なことだ。あそこに落としてしまった私の手荷物を取ってきてほしい。なにぶん病み上がりなもんで、足が思うように動かなくてね」
正邪は顎をくいとしゃくり、掴んでいた手首をやっと離した。
カンザトはため息をつき、仕方なしに彼女が指し示した方向へ歩く。
「ここらへんですか?」
「ああそこそこ。もうちょい奥! そこの木の陰!」
樹皮のざらついた手触りを感じながら、指示通りに根元を凝視した、次の瞬間──
「あぁ助かるよ……本当になぁ」
紫炎が立ちのぼり、視界が奪われた。
「うわっ!?」
足元にいる何かが、揺らめく紫炎の中でぐにゃぐにゃと踊っている。心を落ち着けつつ目をやれば、手のひらサイズの赤い着物の日本人形が立っていた。
「そいつはお前にやるよ!」
異変に気づき、振り向いた時にはもう遅かった。
「!?」
鬼人正邪が……いない。
「礼はいらないぞ! 代わりにこいつを貰っていくからなぁ!!!」
慌てて戻ったカンザトの目に、走り去ってゆく正邪の背中が映る。
手には──直前まで自分が背負っていたリュックサックが握られていた。
「バーカ! まんまと騙されやがって! これだから人間は騙しやすくて助かるなぁ!」
逃げ足がとんでもなく速い。闇の中へ遠ざかってゆく笑い声を呆然と耳にしながら、カンザトは怒りに拳を握った。
「ま、マジか……騙された……」
見事に恩を仇で返された。少しでも印象を改めようとした数秒前の自分を殴りたい。
いや──今回ばかりは、馬鹿正直に正邪の言う通りに従った自分が悪いのだろう。
だが、これで分かった。
奴は正真正銘、権謀術数に長けた大悪党だ。
●コミュランクup
『悪魔』鬼人正邪:ランク1→2
ペルソナ〜トリニティ・ソウル〜は
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存在を知らない