例えば人間みたいにさ 作:泡沫
「元々短い命だったんだ。メトセラは幸せだったと思う。健康なまま逝けたんだから。だから悲しくはないよ」
クラスで飼っていたハムスターが亡くなったというのに何でもない事の様に言った妹に、生まれて初めて羞恥心という感情を知った。
死という問題を本人なりに向き合い、とっくにあの子は乗り越えていた。それなのに私はあろう事か落胆と苛立ちを感じていた。傷心中の妹を優しく諭し、導き……尊敬されたい。たかがそんな理由で妹の成長を素直に喜べず、なんて低俗で最低な姉だろうかと。
ミカさんから手渡された誕生日パーティーの招待状を大事そうに抱える妹に嫉妬し、初対面で質問責めにしては妹の地雷を踏み抜いた親友に怒りと心配、僅かな羨望を覚えて複雑に絡み合った感情で目の前の事態を前に身動きが取れなくなっていた。
いつの日か楽しくもないのに笑う様になった妹がその日ばかりは会場を後にした車の中で、能面のように何の感情も映さない瞳でただ呆然と車窓から覗く景色を眺めていた。
思えば私は姉に向いていなかった。あの子を正しく教え導く事も守る事もできず、ただそこに居るだけ。
お母様に泣き縋られて申し訳なさそうに俯くあの子に貴女は貴女のままで良いのだと、そう言ってあげれば良かった。
そうすれば何も持っていないのだと空っぽの瞳で私に笑いかけてくる事や、生まれてきてごめんなさいなんて、そんな酷い言葉を言わせる事だってなかった筈だ。
◼︎ ◻︎ ◻︎
「こんにちは、良い天気ですね♡」
「……どうも」
ようやく一日の業務が終了し噴水の縁に腰をかけぼーっとしていると、遠くから見慣れた生徒が歩いてくるのに気付いた。楽しそうに笑顔を浮かべた彼女に指のつま先程の嫌な予感がしたが、今更席を立つのは流石に失礼かと思い断念する。
「隣、構いませんか?」
「どうぞ」
「──こうして話すのはあの日以来ですね」
意味深な笑みを浮かべながら近付いてきた割にはいつもの揶揄う様な気配はなく、何処か清澄とした雰囲気で遠くを見つめていた先輩は過ぎ去った過去を懐かしむ様にそう呟いた。
「そうですね。先輩も相変わらずのようで安心……いえ、少し複雑です」
自由になる為の反抗だと先輩は言っていたが、今の先輩を見ても私には少しも自由には見えなかった。先輩は何から逃げたかったんだろう?
「あらあら、ヤナミちゃんは優しいですね」
「わぷっ、ちょ…っ」
横から抱き締められ頭を撫でられる。名前の通り甘い花の匂いがして人通りが少ない場所とはいえ少し恥ずかしくなる。
正直、本心を隠しすぐに茶化してくる目の前の先輩が少し苦手だった。誰とも心を通わせる事が出来ないという点においてだけ、少しも似ていない私たちはまるで鏡合わせの様にそっくりで、そこには共通の悩みを抱える仲間意識の様なものが微かにはあったが……毎度スキンシップが激しめでやはりどうにも苦手だった。
「……やめてください。子供じゃないんですから」
「ふふ、恥ずかしがっているヤナミちゃんも可愛らしくて素敵ですよ♡」
「そうやって先輩はいつも……はぁ…。もう、良いです」
自嘲気味に微笑んだ先輩はそれ以来静かになった。何かを充電するかの様に抱き締めて離れなくなった先輩から何となく悲しそうな匂いがして、少々振り解く事は憚られた。
暫くそうした無言の空間が続く。私と先輩との間では珍しい事ではない。これは互いに会話を口実に羽休めに来ているだけなんだから。
しかし夕焼けが差し始め、先輩の存在も忘れかけた頃に唐突に静寂は破られた。
「ヤナミちゃんはまだ、消えてしまいたいですか?」
「……先輩こそ」
「ふふふ」
よりによってそんな事を聞いてくるのか……と思わないでもなかったけれど。茶化した口調の割には先輩の表情は真剣そのものだった。
いつも唐突極まりない人だからと呑み込める話でもない。そもそも私と先輩は憤懣を打ち明け合う様な親しい間柄でもないし、互いに特別ではないからこそ気軽に吐き出せる事もあるというだけの話だ。精々壁打ちの様なもの。
いつかのあの日の様に互いに線を引き合ったのだから。
「……私はただ、ここよりも静かな場所に行きたいだけです」
人の顔色を窺わなくても良くて、面倒な皮も被らずに済む様な1人で居られる安全な場所。それさえあれば何だって構わないし、他には何も要らないんだから。
「あら、随分と無欲になってしまいましたね」
「遠くのものに手を伸ばしたって空を切るだけですから。それに──……」
唐突に強い風が背中を突き抜け亜麻色の髪が視界に入り込んで、続く言葉が溶けていった。視界の端で揺れる毛髪を鬱陶しいなと思いながら先輩の方へ視線を移すと、先輩も丁度こちらを見ていて一瞬だけ視線が噛み合い、直ぐに逸らされる。
「届かないもの、ですか。そうかもしれませんね。……じゃあヤナミちゃんは、1人になったら何をしたいですか?」
先輩の表情は優れない。
柔和そうな微笑みを浮かべていてとてもそうには見えないのに、今にも崩れてしまいそうな危うさを帯びていた。
「1人になったら……」
◼︎ ◼︎ ◻︎
「……あの、先輩」
「どうかしました?」
「……その、どうして私は…、この様な格好をさせられているのでしょうか」
モモトークにメッセージが来たかと思えば内容が意味不明に尽きた。事情はわからないけど使わなくなって久しい旧校舎の屋外プールの掃除が大変だからと駆り出され、まぁ暇だしといざ到着してみれば早々に身包み全て剥がされ、何がどうしてそうなったのかスクール水着を着せられてしまった。あまりに手慣れた手付きだったものだから唖然としてしまい全く抵抗すらできなかった。
もう一度言いたい。どうしてこうなった。
「ヤナミちゃんがプール掃除を手伝ってくれて助かりました。水着もとっても似合ってますよ♡」
「……はぁ」
教えた覚えもないのにどうしてサイズを知っていたのかという疑問はこの際気にしないけれど、唖然とした顔で固まっている方々についてはどうするんですか。……せめて他の面々には説明してほしい。
「急な訪問と、この様な姿での挨拶となってしまいすみません。一応初対面の方も居ますのでまずは自己紹介から。桐藤ヤナミです。そちらの……浦和先輩の手伝いを頼まれたので来ました。今日はよろしくお願いします」
「あはは…よろしくお願いしますね、ヤナミちゃん」
阿慈谷ヒフミさん。彼女とはとある事情で会えばたまに話す程度ではあるものの、あまり詳しい事は知らない。
「わ、私は下江コハルっ……ところでなんで水着なんて着てるのよ…」
「よろしくお願いします。……格好については私の意思ではなく、そこの方に着ていた衣服を剥ぎ取られたんです」
「……アンタも苦労してるのね」
下江コハルさんとは正義実現委員会関連で多少顔見知りではあるがこうして面と向かって話したり、自己紹介するのは完全に初めてだ。彼女の人となりは多少聞き及んでいるので今さら緊張したりなどはしないが、どうしてか気まずさを感じてしまう。
「白洲アズサだ。よろしく頼む」
「よろしくお願いします」
「ああ」
彼女とは完全に初対面だが、名乗った瞬間から何処か警戒した空気を出していた。
既に帰りたい。藁にもすがる気持ちで先輩の方へ視線を向けるも当の先輩は蛇口を捻って水の勢いを確認していた。せめて各々へ紹介したりとか、仲を取り持つとか最後まで責任を持ってほしいものだが、先輩は私に対してはいつもこうなので今さら気にしても仕方がないか。
後輩使いの荒い先輩に溜息を吐いていると、ふと視界に影が差した。
「”今日は日差しが強いから、それを被っているといいよ”」
少し上に視線を向ければ、つばの広い麦わら帽子が視界を覆い隠しぽすんと被された。
「先生、居らしていたんですね。……でもこれは先生がご自身で使う為に持参されたものですよね?」
「”そうだけど、最近デスクワークばかりだったからたまには日光に当たらなきゃなって。だから気にしないで”」
麦わら帽子のツバが広くて先生の顔がよく見えなくて、どうするのが正解なのかと考えていた思考が鈍く絡まっていく。
「……ありがとうございます」
「”こちらこそ掃除に付き合ってくれてありがとね”」
「いえ…、私も最近、事務処理ばかりですし、こうして体を動かす事も貴重な時間とも言えますから…」
ちらりと視線を漂わせてみれば、他の方々もしっかり帽子を被っていて自分だけでないと知り少し安堵する。すると頭をポンポンと軽く撫でられ、突然の事で固まる私に構わず掃除というよりは半ば水浴びの様な有様になっている生徒たちの方へ歩いて行った。
「”みんなの分のスポーツドリンクも買ってあるから水分補給も小まめにね”」
「恩に着る、先生」
「わぁ、ありがとうございますっ」
「先生が丹精を込めて作った特製の…「え、エッチなのはダメ! 死刑!!」まだ途中でしたのに」
「…………」
手に取った麦わら帽子を見詰めるしか出来なくて呆然と立ち尽くす。本当なら強引にも突き返すべきだったのに、気遣ってくれたのが嬉しくて上手く言葉が見つからなかった。代えが利く人ではないのに、これがきっかけで体調を崩してしまったらどうしよう。
「先生は本当に誠実で良い大人ですよね」
呆然と立ち尽くしていたら、いつの間にか先輩が隣に立っていた。
誠実、か。まさにその通りだ。
尊敬、羨望、憧憬。
素晴らしい感情ばかりがドロドロに溢れて息が詰まりそうになる。どうしたってあんな風には成れやしないのに羨ましくて仕方がなかった。
他人と感情を共有できない癖に、こういった鬱屈とした感情ばかり胸を満たすなんて人として壊れているとしか思えない。
「……先輩はどうして今日、私を誘ったんですか」
ただ掃除をするだけの人手は十分足りている様な気がした。
すると先輩は名前の通り花が咲くような顔で笑った。
「私は、もうじき此処を去ろうかと思っています。だからこの機会にヤナミちゃんと最後の思い出作りでもしようかなと」
「……」
それは、また。
「おめでとうございます」
「うふふ、ヤナミちゃんはそう言うと思っていました」
先輩は曖昧に笑うだけで、その真意までは教えてはくれない。少し寂しそうに見えたのはきっと私がそうあってほしいと願う幻想なんだろうな。
そもそも先輩は私とお別れをする為だけに呼ぶような人ではない。きっと何か考えがあって、巻き込むつもりで私を呼び付けたんだろう。
「先輩は、1人になったら何をしたいですか」
先輩がいつの日か投げ掛けた質問を先輩ならどう返すのかがふと気になり脈絡もなく問い掛けてしまう。
すると先輩は何処か考える様な仕草をして私をじっと見詰めた。
「ふふ、答えられなかった人には教えてあげません♡」
先輩のその言葉に自然と笑みが漏れてしまった。
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今日は助かったよ
で先生は気にしないでください。
ありません。あの後、体調を崩されたり
しませんでしたか?
逆に良い運動になったよ
学生の身分ですので、あまり頻繁には
メッセージを返せませんが。
こういう寝る前とかにちょっと話そう
気にせず寝ちゃっても大丈夫だからね
ですが、知人にはよく早いと言われて
いるのでこれを機に夜更かしでもして
みようかと。
起きるのは5時くらいかな
がない日は早起きする様にしている
んです
寝ることもありますし、逆に遅くな
る事もあります
のにも一躍をかってくれるし
るから良い事だと思うよ
そうしてしばらくモモトークで他愛のない話をしていると、先生は少し歯切れの悪そうに切り出してきた。
ティの桐藤ナギサさんであってる
かな?
にしてほしいんだけど
聞いていない?
「…………」
返す言葉が見つからなくて、操作がなくなったスマホは30秒を過ぎたあたりでそのまま消灯してしまった。
ベッドへ仰向けに寝転んだままただ呆然と天井を見上げる。姉さんの姿を思い浮かべてみても、もうその顔を鮮明に思い出す事は出来なかった。思えば随分と前から互いに顔を合わせて話すことはしなくなったように思う。
「姉さんは、私には……」
最近忙しい日が続いているので次の更新も遅れます。
先生の性別および年齢について
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男(20台)
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男(30台)
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女(20台)
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女(30台)