翡翠のグランクチュリエ --What a beautiful museum-- 作:三代目盲打ちテイク
「ん……んぅ……」
慣れない感覚で目が覚めた。
――なんというか、とても涼しい?
――でも、なんだか悪くないとそう思ってしまうのは、身体を包む温かさのせい?
微睡みのぼやぼやの中。いつもと違う部屋の輪郭を感じる。
大きな窓、雲越しの陽光。身体を包む温かさは、これのせい?
違うとすぐに思い至る。窓越しの陽光は、こんな温かさを感じさせるにははるかに弱いから。
――じゃあ、なに?
ぼやぼやした瞼をこすって、ぱちぱちと。ぼやけた視界が線を結ぶ。
「すぅ、すぅ」
――だれかが、あたしの腰のところに抱きついている。
――裸の女の子。
――かわいい子
少しだけおかしいのは、腰に結ばれた刀。機関式のそれではなく、昔ながらの
それを持てる者は、この国ではとても少ない。今では、この帝都では。
侍だけが、その刀を持てる。
だけど、そんな事実は、涙香には関係なくて。
頭の中に沸き上がったのは、この状況に対する当然の感情と予想。
裸で一つのベッドに男女よりは、はるかにマシだけれど、裸で一つの寝台に女の子二人。
しかも、腰回りに抱きついてきていて。昨日からいっぱいいっぱいの涙香には、色々と余裕がなかった。
更に――
「ん、んんー」
女の子、目を覚まして。
猫のように口を大きくあけて、伸びをひとつ。
ぱっちりと綺麗な黄金色の、猫のような瞳をこちらに向けて。
「んっ、おはよー、昨日は凄かったね」
――なにが?
なんて思う暇はなく。
「ぁ……ぅあ……」
頭が一瞬にして真っ黒に染まった。
火の山の噴火のように溢れ出す思考。もはや自分ですら何を考えているのかすら不明。
思考の言葉で、頭は真っ黒。顔は真っ赤。耳まで真っ赤にして、言葉ならぬ言葉であえぐ。
「ぇぅ、ぁ、な、んで……――」
もう、お嫁にいけない。
女の子同士だから大丈夫。
女の子同士なんて不潔。
女の子同士でもよいかも。
この子、誰。
かわいいかも。
あ、黄金色の瞳。
私と同じ。
ここどこ。
何があったの。
野口さんは。
リチャードは。
野枝は。
お腹すいた。
お腹なっちゃった。
眠い。
顔赤いよ、はずかしい、死にたい。
あ、鍵は!? どこにもない。
あった、枕元にある。
服は! ない、どこにも。
「あははー、すごいすごい、こんなに考えてる人始めてみた――あーむっ」
「ひゃあああ!?」
――み、耳!
――な、なめられ!?
「にひひー、おいしい。こっちがわもー」
「やめっ、ひゃああんん!?」
「おい、朝っぱらから何をしている」
「あー、柴せんせーおはよー」
また、新しい人が部屋に入って来た。
眼鏡をかけた男の人。
男の、人。
「ひぅ、ぁ、ぅぁぁ、ひぐぅ」
もう、限界で。
もうどうしようもなくて。
――あたしは、泣き出して。
「何をしているんですかね北里先生」
絶対零度の野口さんの声が、この場を切り裂いた。
「む、いや、野口君、待とう。真の碩学ならば、短慮はいかん」
「ゆっきーな?」
「はい! 柴せんせーが泣かしました!」
「裏切ったなあ貴様ぁ!?」
「先生、お話をしましょう」
「くっ、こうなれば
「先生」
「はい……」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「全く、淑女の寝所に入るとは何事ですか、北里先生」
「事故だったのだ」
「言い訳無用です」
「あははー、柴せんせー弟子に怒られてやんのー」
「あなたもよ、ゆき」
「……はーい」
――気がつくとあたしは、野口さんの腕の中いた。
薔薇の香りがした。柔らかな胸に包まれていると嫌なことを忘れられる。
その代わり、また顔が赤くなる。顔があげられない。
――だって人様の前で子供みたいに泣いてしまったあとだもの。
「もう大丈夫よ、るい、怖くないわ」
「ぅ、すみま、せん」
「いいのよ、あなたは何も悪くない」
それから、あたしは――。
「~~♪」
鼻歌を歌う彼女。
福沢諭吉。
ゆっきーな。
彼女とともに大通りを歩いていた。
いつもと違う洋風の装い。
野口さんから着替えとして受け取った服を着て歩くには少し――とても恥ずかしい。
「あの、野口さんは」
「んー? 気になるのー?」
「えっと、すこし」
「そっかそっか。んー、ボクは知らないなー。柴せんせーのことくらい」
柴せんせい。
北里柴三郎。
この国随一の碩学として有名な彼。
会ったのは初めて。
そう言えば、裸みられていたのを思い出す。
忘れようとしても忘れられなくて、あたしはまた赤くなる。
「んふふ、るいちゃんはかわいいねー」
「ひゃあ!?」
でも、いつものように考えに没頭させてはくれない。
ゆきちゃんは。
野枝とは違う。
彼女は、あたしの考えていることがわかるかのように、的確にあたしの思考を遮る。
「せっかくのお出かけなんだからさー、もっと楽しもうよー。ね?」
「たのしむ?」
「そう。だって、るいちゃん色々と疲れてるみたいだからさ。楽しいことしようよ」
楽しいこと。
最近では考えられないこと。
「じゃ、いこっ」
あたしが返事をする前に、彼女に手を取られて。
凄い力で引っ張られる。
どこにそんな力があるのかわからないほどの力で引っ張られるままに連れまわされる。子供のように元気で、ずっとずっとはしゃぎっぱなし。
これじゃあ、どっちが年上なのかもわからない。
――あたしは、ただ探していた。
ずっと言葉が残っている。
鍵を探す。
何を探せばいいの。
どこを探せばいいの。
なにもわからない。
暗がりの街。
モノトーンの街。
白と黒が織りなす極彩色の失われた剥離世界で、あたしは探さなければいけない。
鍵を。
四本腕の侍が持つ鍵を探さなければならない。
それはきっと大事なもののはず。
「まったくぅー、君は本当に、えい」
「ひゃ!?」
「もうそんなことはいいでしょー」
「いいって……」
「いいんだよ。今はまだ、お昼だよ。そういうことは夜に考えればいいの宿題と同じだよ。休みの日は朝から遊んで夜にやればいいの。それで十分。君は真面目すぎだからいうよ。背負いすぎるからいうよ。
君はもう少し不真面目になるべきさ」
「でも……」
それでいいの、と涙香は思う。
だって、そうじゃないと何かが起きてしまうのではないかと不安になってしまう。
――あたしは強くないから。
――怖くて、怖くて仕方ない。
――でも、あたしがやるしかないから。
世界を変えてしまったから。
だから、黒岩涙香がやらなければならない。
この巌窟の中で、ただ一人の助けを受けて、光の中へと進まなければならない。
愚かなりし監獄城の中を、ただ走り続けなければならないのだ。
それが、黒岩涙香の罪の贖罪。
それは、きっと何も意味のないこと。
誰かがやらなければ、誰かが代わりにやること。
けれど、それでも――。
「あたしがやるの」
どういうわけかそう思う。
「はー、なるほどなるほど。そうか、君はそうなのか。本当――何度でも変わらないんだな君は」
――え?
――どうして、そんな顔をするの。
涙香は、それを聞くことは出来なかった。
とてもまぶしそうなものを見る彼女の、涙香の左目と同じ猫のような黄金の瞳が、聴くことを躊躇わせた。彼女の言葉の意味を聞きたかった。
何度でも? どういう意味があるのか。
――けれど、けれど。
何一つ、聞くことは出来なかった。
その時の彼女は陽気な仕草もなにもかもがなくなって、寂しそうな女の子のように見えたから。
――だから。
――だから、聴くことが憚られて。
――躊躇っているうちに彼女は先ほどまでのように陽気な笑顔に戻って、あたしの手を引く。
力強い手に惹かれて、大通りをあっちへいったり、こっちへいったり。
野枝と遊ぶ時もそうだけれど、それ以上に疲れてしまって。
だったら、お店に入ろうとなったけれど。それがとても高いお店。高級料亭だとかで。
――遠慮したけれど、彼女はずんずんとあたしの手を握って入って行ってしまって。
――出るに出られなくなった。
「お金なら腐るほどあるし、もしもの時は柴せんせーに頼めばいいのいいのー」
なし崩しにご飯をおごられてしまった。
高級料理。
蟹だとか、海老だとか。そういうお高い料理。
――絶対に、そんなに食べてやらない。
――そう思っていたけれど。
「おいしい……」
食べてしまったら、そんなことを涙香は考える暇などなかった。
あとはもう出される料理をただ食べるだけ。
――おいしかった。
――お値段を聞いたらきっと気絶しちゃうから聞かないようにしよう。
――食べ終わる頃にはもうそんな風に思ってしまう。
――相変わらずお腹中心ね、と野枝に笑われちゃう。
――でもおいしいんだから仕方ないじゃない。
――うん。うん。仕方ない。
――仕方ないったらない。
「おいしかった?」
「えっと、はい」
食べ終えて。ごちそうさまを言って。
あとはゆっくり話そうかなどと彼女は言った。
――あたしは、野口さんのことが気になった。
――すっかり忘れていたけれど、もう遅い時間。
――一体どうして二人で遊ぶことになったのだろう。
それを涙香は聞いてみた。
「んー? 気分転換だよー楽しかったでしょ?」
「それだけ?」
「そう、それだけ。それに女の子と遊ぶの楽しいからね。君みたいなかわいい子となら特に」
「かわ、かわいい!?」
「そうだよ、とーっても、可愛いよ。なんなら――」
――彼女の言葉、遮られる。
――何かが部屋に入ってきた。
料亭の個室に侵入者。
それは、あまり歓迎したくない人物たち。
それは鋼鉄の肉体と鋼鉄の刃を持った者たち。
――
幕府を裏切り、この時代を切り開いた機関文明の先駆者たち。
肉体のほとんどを機械に変えた機械人間。
彼らは、かつての侍を駆逐したこの時代の侍。
軍の上層部の存在。
権力者と言ってもいいかもしれない。
「おいおい、空いてるじゃねえの。おい、そこのガキども。出てけ、これからここは俺様たちが使うんだよ」
喉元の機械から声が発せられる。ノイズにまみれた声。でも、よく聞こえる声。
「なに、君たち」
「見てわからねえのか、これが」
そう言って彼らは腰の刀を見せる。
蒸気機関が伝わって以降発展を告げる機関刀。
蒸気機関によって駆動する刀。
大陸のある場所において改造されたこの刀は、幻想すらも切り裂くという。
普通ならば畏怖する。
普通ならば言う通りにする。
でも――。
「それが?」
――彼女は違った。
――いつもと変わらぬ様子。
――今の状況がわからないはずがないのに。
「おいおい、馬鹿なのか貴様。政府直轄の機関侍様に立てつこうってのか?」
「別に、物の道理の話さ。ここはボクらが最初に使ってた。まだ帰らない。だからキミらは余所に行くべき。子供でもわかる道理さ」
彼女は、いつも通りだった。
何一つこの状況に不安を覚えている様子もない。
いつも通り。いいえ。ただ、少しだけ気に入らないなと機嫌が悪い様子で。
「――あ〝 ――おい」
「へい」
それは相手も同じこと。
部下の一人が、痛い目を見せようと機関刀を抜いた。
蒸気機関の調べが鳴り響く。
料亭の女将は既に逃げている。この場をとめてくれる人は、いない。
「ゆき――!」
「だいじょーぶだいじょーぶ」
「昔の侍の真似してる馬鹿なガキめ。お灸をすえてやる!」
振り上げられた機関刀。
――このままじゃ、ゆきちゃんがやられてしまう。
――振り上げられた機関刀はきっとゆきちゃんを切り裂いてしまう。
――なんとかしなければ。
――どうにかしなければ。
――どうするの涙香。
――何をするの涙香。
考えても答えは出ない。
答えなでないまま思考の渦は、ずっとずっと深くに深まって行って。涙香は動けない。
「だい、じょーぶ」
その声がするまでは。
「え?」
彼女の声がした。
「な!?」
機関侍の声も。
「はあ、いつの時代もこれだ。機関の体に機関刀を持った君は、確かに機関「侍」なんだろうけどさあー、強いんだろうけどさー。所詮それじゃあ、
相手の剣戟を跳びかわした彼女は、そのまま天井に立っている。
――あたしも、あたしたちを襲った機関侍も驚いて、声をあげて。
それを彼女は、心底鬱陶しそうにしてから、腰の刀に手を添えた。
刀。いささか艶の消えた朱鞘に納められた彼女の武器。
名刀ではない。使い手の名が広まった百年後であれば美術的価値を持つそれも、今はまだただのどこにでもある量産品。
使い込んで磨り減って彼女の手に馴染んだ柄だけが、彼女と共に刀の歩んだ歴史の重さと長さを物語る。
業物と言えた。
「んじゃー、見せてあげるよ。侍ってのが、なんなのかを」
機関侍が身構えて。
甲高い高いひとつ。
「よっと」
「え?」
鈴の音響かせて、天井から彼女が降りてきた。
そして、機関侍の首が音もなく落ちた。
一つじゃない。三つ。
――え、え?
目の前で起きたことに理解が追い付かない。何をしたの。
「あーあ、しらけちゃった。行こっ?」
――あたしは、連れられるまま、店を出る。
「ごめんねー、あんなもの見せちゃって」
「あ、え、えっと」
「ほんと、嫌だよねー。侍の魂をあんな風に使うなんて」
「魂……」
「そう。刀。君なら、これだけでわかると思うよ――さ、行こっ」
――何が、なんて聞く暇などなく。
夜の街へと彼女に手を引かれて、繰り出して羽目になった――。
はい、予告通り、裸の女性がベッドにいたじゃろ?
次回は待て、しかして希望せよ。
ちなみに北里柴三郎先生がおそらくこの世界の日本碩学最強の武力持ち。
真の碩学は目で殺す! が必殺技だ。