大日本帝国。
 閉じられていた国が開いて久しく。
 長きに渡り統治していた徳川機関幕府が倒れて久しく。
 蒸気機関都市江戸は、帝都東京として新しい時代を迎えていた。

 そこは、我々の知る大日本帝国とはいささか違う。
 機関革命と、それを享受していた大英帝国によってこの国は一変していたのだ。異常なまでに発達した蒸気式の機関(エンジン)は、今やエネルギー発生装置としての役割だけでなく、超高度な演算を果たす情報機械や飛空挺、巨大飛行船までをも生み出すに至った。

 機関都市東京。徳川機関幕府が倒れ、江戸が帝都東京と名を改められて既に久しく。もはや、かつての江戸の姿を思い出すことは難しい。

 そんな20世紀初頭。現在の大日本帝国は繁栄をきわめている。
 もたらされる偉大なりし明治天皇の御標は、誰もを幸福するだろうと誰もが信じていた。

 英国の王立碩学院を模してつくられた碩学の卵たちが通う帝立碩学院の学生である黒岩涙香もまた、それは同じだった。

 あの日、あの時までは。

 そう、運命の1911年のあの日。

 あの夜、機関街灯の明かりも及ばない暗がりの中で涙香は男と出会った。
 コートに身を包んだ英国紳士然とした男。彼が差し出し、与えた鍵は、涙香を非日常へと誘った。
 すなわち、夜闇に潜む《異形》が無辜の人々を次々と襲う、愛されざるべき帝都の暗黒の一面へと。

 ──暗黒と、ささやかな輝きが門の向こう側を目指す日々へと。

 ――ただ、少女は、異形と化したその右手を伸ばす――
X(Twitter)  ▲ページの一番上に飛ぶ