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シャーレのコーヒーマシンが壊れた。先生が徹夜の友として愛用しているもので、仕事中にコーヒーを飲むならこれだと決めているくらいに気に入っているらしい。
とは言っても、私や他の当番生徒がコーヒーを淹れたらそれを飲んでくれるのだけど、インスタントはあんまり好きじゃないのだとか。純粋な好みだと言っていた。
「なら私が淹れますよ、先生」
「いや、気分転換に外に行こう。近くに新しい喫茶店ができたんだよ」
「もう、また無駄な消費をしようとして!前も課金して大変なことになったじゃないですか!」
「そこを何とか!とっても美味しいんだよ!一緒に行こうよ!」
「……一緒に?」
「ダメかい、ユウカ?」
「……ああもう、分かりましたよ!でもこれ以上の消費は許しませんからね!」
「やった!ありがとうユウカ!」
子供のような笑顔を浮かべて立ち上がり、先生はコートを羽織りマフラーを巻く。その立ち姿はかっこいい大人なんだけど、中身は子供っぽいところがあって、私がお世話しないとって思う時がある。実際締め切り前の書類を何度手伝ったことか。
(しょうがない。今回だけは先生に付き合ってあげる)
何十何度目かの「しょうがない」。甘い自覚はあるが、それでも毎回許してしまう。でもそれが嬉しくて……ああもう、何考えてるんだか。脳内に沸いた不可思議な変数を覆い隠すように上着を羽織った。
寒空のD.U.は雲一つなく晴れていて、しかし吹く風は氷のように冷たい。襟を立てる先生に習って上着を着直してみる。しかし露出した足下に冷気が直撃して寒さは解消されなかった。ノアみたいにストッキングを着て来ればよかったかも知れない。でもおしゃれは我慢だってよく聞く話。せっかく会えるのだから、少しでも可愛いと思われたくって………。
「……ユウカ?ユウカ、大丈夫?」
「……うぇ、え?あ、はい!」
急に声をかけられてハッと我に帰る。先生が顔を覗き込んでいた。その距離が近いことにも驚き、私は思わず後ずさる。さっきまでシャーレでしていた3時間25分42秒の事務作業で化粧が崩れていないだろうか心配になる。だがそんな私の心の焦りなんて分かっていない様子で、先生は首を傾げた。
「ぼーっとしてたね。寒かった?ごめんね、外に連れ出しちゃって……」
「い、いえそんな!大丈夫ですから!」
子犬のようにしょぼくれた先生に慌てて返事をした。ぼーっとしていたんだ。色々と恥ずかしくなって身体が火照ってくる。おかげで寒さなんて気にならなくなったくらいだ。
「と、とにかく!早く喫茶店に行きますよ!」
「ああ、待ってユウカ。はいこれ」
「えっ?」
不意に先生はマフラーを取り、私の首元に巻いてきた。さっきほどではないが先生との距離が近くなる。マフラーを私の首に巻こうとして、先生の腕が私の顔の横を通り過ぎる。果たして巻かれたマフラーには体温が残っていて、とても暖かい。
「はいこれ、あったかいから使っていいよ」
「あ、ありがとうございます……」
その気遣いが嬉しくて、真っ赤になっているであろう顔を隠したくてマフラーに顔を埋めた。冷え切っていた頬にマフラーの柔らかい熱が当たって溶けていくような感覚。それが心地よくてずっとそうしていたくなる。すると眼前の先生はまた笑いかけてくれた。
「よかった。ユウカ、ちゃんとあったかくしないとダメだよ。上着も大事だけど、ストッキングとかも着たほうがいいと思うよ」
「なっ、……余計なお世話です!」
「痛っ!」
急にそんなことを言ってくるものだから、私は思わず先生の脛を蹴飛ばした。そして悶絶している先生を通り過ぎてさっさと喫茶店へと歩みを進める。
「ま、待ってユウカ〜!」
「ふんっ」
無視だ無視。こんなデリカシーのないことを言ってくるなんて。大体なんで私がこの格好なのか先生は分かっていないのだ。それに気づいてくれないことが腹立たしくて仕方ない。……でも先生の言っていることは正しいし、私への心配からくるものなのだろう。それは私も分かっている。でもそれとこれとは別でっ、………ああもう!
「早くコーヒー飲んで帰りますよ!先生急ぐ!」
「わ、分かったよユウカ……」
上手く解答できない苛立たしさを先生にぶつけつつ、私達は冬のD.U.を進んだ。
……そうして辿り着いた喫茶店はシャーレの部室から徒歩9分ジャストの位置にあり、外観も内装もとてもオシャレで温かみのあるものだった。中に入ると暖房とコーヒーの香り、そしてロボットのマスターが出迎えてくれる。私と先生は窓際の席に座った。
「ユウカは何を飲む?オススメはカプチーノだよ、とても美味しいんだ」
「いいですね。……ああ、でも、普通のコーヒーにしておきます。この後のお手伝いで眠くならないように、カフェインを摂取しておきたいです」
「分かった。すみませーん」
慣れた様子で注文をする先生を見守る……あれ、今カプチーノを頼んだ方が可愛かっただろうか?業務優先だと思ってブラックコーヒーを頼んでしまったが、段々とその方がいい気がして軽い後悔が押し寄せてくる。で、でももう注文してしまったものは仕方ない、次に来た時にでも頼もう。そう思い直した瞬間、先生が窓を眺めながら声を投げかけてきた。
「今度会う時は、コートもいらなくなってるかもね」
「え……あっ、はい。そうですね……」
窓を、先生が見ているものを私も見る。冬に耐える為に葉を捨てた桜並木。喫茶店前の道路に植えられているそれは春になればきっと満開に咲き誇るだろう。でもそれは1ヶ月先の話。私はセミナーの仕事で、先生はシャーレの仕事で、それぞれ忙しくなって会えなくなる。シャーレの当番もその間、私の担当は入っていないのだ。
「しばらく会えないのは寂しいけど、何かあったらいつでも呼んでね」
「はい、そうします。でも……」
「ん?どうしたの、ユウカ?」
「ああ、いえ。何でもないです……」
慌ててはぐらかしてコーヒーを待つ。先生は一瞬こちらに微笑むと、また窓の桜を眺め始めた。その横顔が遠く感じる。胸に小さい針が刺さったような感覚。何で先生は私としばらく会えないことを、そんなにあっさり言ってしまえるのだろう?
オシャレのためにストッキングを着てこなかったこと、今日が終われば次会えるのは先になること。私が意識していることを、先生は何とも感じていなくて、私だけがそれに一喜一憂している。まあ確かに、先生は大人であって、私は生徒で子供だ。だから私はそう言うことに関しては眼中にないんじゃないかと、たまに思うことがある。先生は大人だ。だから今目の前にいても、ずっと遠くにいる気がすることがあるのだ。子供の私じゃ手を伸ばしても届かないくらい遠くに……。
「お待たせしました、カプチーノとブラックコーヒーです」
「ありがとうございます……あ!すみません、カプチーノは私で、ブラックは彼女です」
「ああ、失礼しました。はいどうぞ、お嬢さん」
静かにやってきたロボットの店主からブラックコーヒーを差し出される。礼を言って受け取る。黒い水面に複雑な表情をした私が映っている。対する先生はカプチーノを一口飲み、嬉しそうに顔を綻ばせていた。
「ああ、美味しい!やっぱりここのカプチーノは最高ですね!」
「ありがとうございます、先生。気に入っていただけたなら何よりです。……ところで、そちらのお嬢さんは生徒さんですか?」
「はい、シャーレの仕事を手伝って貰っていて。私なんかより優秀でしっかりしているんですよ。たまにどっちが大人だか分からなくなるくらいで」
「せ、先生……」
「フフッ、いい生徒さんなのですね」
急に褒められて驚き、そして嬉しくなる。でもそんなことないと、私は心の中で否定した。私なんかより先生の方がずっと大人だ。確かに先生はアレだけど、いつだって頼りになるし、多忙なシャーレの仕事をあちこち駆け回りながらこなしている。たくさんの生徒の悩みを解決し、キヴォトスの人達から慕われている大人だ。それに比べたら私は、気づいてくれことに不機嫌になったり、変なことを気にして落ち込んだり、余裕なく忙しなく感情が揺れている。まだまだ子供だと痛感する。だから先生を遠くに感じる時があるのだろう。物理的に隣に立っても、本当の意味で隣に立てている気がしなくて、それをするにはまだ足りない気がする。
「……苦い」
「大丈夫?ミルクを貰おうか?」
「……そうします」
いつもなら問題なく飲み干せるブラックコーヒーが、自分が子供だと思った瞬間ひどく苦く感じた。貰ったミルクをかける。これも自分が子供だと突きつけられてる気がして、私は一気に飲み干した。
30分33秒ゆっくりしてから私達は喫茶店を出た。支払いをしようとしたが先生が奢りだと言って私の分まで払ってしまった。大人のカードを仕舞う先生の姿を、子供のように隣で見ていた。
桜並木を並んで歩く。何も言わなくても車道を歩く先生。まじまじと見てみると、先生はあちこちで私を気遣ってくれている。そんなことにも私は気づかなかったんだ。自分のことだけ考えていたから……。それが嫌になって目を伏せた。
「ユウカ」
「あ、はい。何でしょう?」
「大丈夫?コーヒー苦手だった?」
「ああ、いえ……考え事をしていただけです」
はぐらかそうとしたが先生は立ち止まり、私をじっと見つめてくる。目を合わせられずにいると、北風が私の髪を揺らした。ずっと巻いていたマフラーが飛ばないようにぎゅっと押さえつける。風に耐えた後、先生は私に問いかけた。
「考え事……それは私が力になれることかい?」
「………」
肩が跳ね上がる。先生は生徒のために頑張ってくれる人で、私も生徒だ。でもこの悩みを打ち明ける勇気はない。言ってしまったらどうなってしまうだろう?さっきからずっと先生のことを考えて、怒ったり落ち込んだらしています。そんなこと言ったら、困らせるに決まってる……。
「その……」
「………そっか、分かった」
「な、何が分かったんですか?」
「ああ、変な意味じゃないよ。ただ……誰にだって言えない悩みはあるでしょ?自分でしか答えを出せないことが。今、ユウカはそれを考えていたんだよね?」
「……はい、そんなところです」
「うん。だったら何も聞かない。でも本当に困ったら私に言って。すぐに駆け付けるから」
「……先生って大人ですね」
完璧な大人の対応だ。そう思ったことが自然と口に出た。すると先生は照れ臭そうに頬をかき頷いた。
「うん、大人だよ。でもあんまり頼りになる大人じゃないかも。書類仕事終わらせられないし、ユウカがいないとろくに家計管理もできない。だから、私もユウカのことを頼るね」
「わ、私をですか!?私、子供ですよ?頼りになんてなるんでしょうか……?」
「確かにユウカはまだ子供だけど、頼りになる私の生徒だよ」
そう言って先生は歩道横の桜の幹に触れる。風に揺れる枝の音が私の心臓と揃って時を刻んでいる。後1ヶ月で花が咲くその光景をはたと思い浮かべると、先生も同じことを思い浮かべていたようだった。
「次会えるのはこの桜が咲く頃かな?お互い忙しくなるから。でもその時はまたよろしくね。……ああそうだ、よかったらまたあの喫茶店に行こうよ」
「先生………」
「ふふっ、ユウカと一緒に行けて嬉しかった。だからまた」
「………もう、しょうがないですね」
何十何度目かの「しょうがない」。甘い自覚はあるが、それでも毎回許してしまう。でもそれが嬉しくて……私はこの人が好きなんだと理解する。
頼りにしてくれている、また会いたい、一緒に行きたいと思ってくれていることがこんなにも嬉しい。それが私の心を軽くしてくれた。自分の子供っぽいところ、先生の大人なところ、悩みはまだ晴れないけど、今はこれでいい気がした。そう思えて、私は先生の手を掴んで走り出す。
「ほら先生!早く帰りますよ!仕事はまだ終わってませんから!」
「待って!もう少し休憩させて!あとコーヒー飲んだあと走りたくない!」
「いいから行きますよ!しょうがないんですから!」
何十何度目かの「しょうがない」。そう言えば何度言ったかを数えていなかった。……まあいいか、きっとこれからも数は重ねていくのだから。
「……先生!次は私もカプチーノ飲みますね!」
「えっあっうん!待って脇腹!」
子供みたいに涙目になった先生を見て、私も子供みたいにはしゃいで笑った。