観音さんの一言をきっかけに春河童先生と広瀬ちゃんが万年筆を買いに行くお話(単話)
ショーケースの前でいつまでも唸っているわたしに、はるか先生が優しく声をかける。
「いっぱいあるねえ」
「はい、本当に。こんなに種類があるなんて想像していませんでした…」
小説家の天野はるか先生とともに、わたしは都内の文具店に来ていた。
ケースの中にはたくさんのペン、ボールペンと万年筆が並んでいる。
握りの太さや色は様々で、それだけでも十分に種類が多いのに、字の太さや先端の硬さまで分かれている。国内外の、実に数十、いや百種類を超えるペンが敷き詰められていた。値段も高いシャーペンくらいのものから、最新のエアコンが買えそうな値段のものまで幅広い。
技術の進歩は筆記用具にまで及んでいるようで、ボールペンと万年筆を混ぜ合わせた新機構の筆まで用意されている。剣のような先端にボールがくっついた代物がわたしを惑わそうとする。
優柔不断を人の形になるまでこねた存在であるわたしはすっかり圧倒されてしまい、しかし先生をいつまでも待たせるわけにもいかず、途方に暮れていた。
このお買い物は、そう。きっかけはいつもの如く、観音さんの一言から始まった。
「作家になりたいなら、毎日とにかく書き続けなければならない。うん、でもわかるよ。どうしても書けない日だってある。そんな日には書き写しをやればいいのさ」
「写経、みたいなことですか?」
観音さんは人差し指を振りながら、挑発的するような目で続ける。
「近い、けどちょっと違う。好きな作家、好きな本、それを書き写す。これが実にいい」
「なるほど…」
「作家を目指しているなら、万年筆の一本や二本持っているだろう?好きな本を書き写す、それだけでも実力がつくものさ」
「ええっと、ああ!はるか先生も小さい頃にやられていた、あの書き写しですね」
「うんうん。絵の模写と同じくらい、勉強になるよ!」
「わかりました、やってみます!」
実は万年筆の一本や二本を持っていないことは、その場で言えなかった。
持っていたことは、あるにはある。それこそ学生の頃、作家気取りのつもりでいいものを買ったのだ。説明書を読まず、ろくに仕組みもわからないまま使ったのが運の尽き。
指も机もインクだらけにして後悔したわたしは筆をどこかに封印したのだった。あの時の筆はどこにいったんだろうか。
とにかく、それ以来、万年筆を触ったこともなかったわたしは、後日はるか先生に泣きつき、こうして文具店に同行してもらったというわけだ。
「弘法筆を選ばずとは言うけれど、せっかくの機会、初めての万年筆なんだから広瀬ちゃんが一番気に入ったのにしようよ!」
「そう、ですね!」
はるか先生の、邪気の無い瞳が逆に苦しい。
気に入ったもの、気に入ったものと再度ケースを眺める。どういったものであれば気に入るのかなと考えていると、わたしは普段使いの道具にこだわりがないことに気付く。モノへのこだわりなくして、何が作家か。ああ、これだけでもまた作家らしくない要素が増えてしまう!
いよいよ追い詰められたわたしは最終手段を行使することにした。
すみません、と店員さんを呼び止める。
「万年筆が欲しいのですけれど、初めてで選び方がわからなくって」
「初めての方には国内メーカーをおすすめしております。日本人の手に合ったサイズ感のものが多く、メンテナンスも簡単です。字の太さにお好みはございますか?」
店員さんはにこやかな表情でメモ帳を差し出す。メーカー各社の字の太さが印刷されていた。中くらいの太さと伝えると、ケースの上に四本のペンが並べられる。よし、百の中から四つまで絞ることが出来た。
「ぜひお試しください」
「ありがとうございます、あっ」
と、ペンを握って書こうとすると困った、何を試し書きすればいいかわからない。詩の一節でも書ければ格好がつくのに、見られていると思うと、わたしは慌ててしまった。頭が真っ白になる寸前で、なんとか「広」を書いてみる。
きったない字。もともと字が汚いのに、ここ数年はほとんどの書類がキーを叩くだけで済ませられるものだから、わたしが書いた線は萎え切って酷い有り様だった。轢かれたミミズの方が、まだ字として読めるほどだろう。
いや、広は隙間が多いから難しい字。きれいに書く方が難しい。昔からテストのたびに、名字を書く難しさをどれほど呪ったことか。別の字なら、もう少し見栄えはよくなるはず。
数字の5を書いてみる。うん、きれいではないけど悪くない。
あを書く。なんでバランスの難しいひらがなを選んだのだろうか。ぐにゃりとあが曲がる。
今度は自律の律だ。無惨。じわっとメモ帳に黒が広がり、インク溜まりができてしまった。わたしは慣れない筆で一体何をしようとしていたのだろう。
「ごめんなさい、わたし字がきたなくて…」
店員さんは相変わらずにこにこしているけれど、まともに書けないのに何を買いにきたのだろうかと思われてるんじゃないだろうか。いや、それより、わたしがこんな汚い字だとはるか先生に知られるわけには。
「最初は難しいよね!ペン先を正面にして立て過ぎずに、少し傾けるのがコツだよ!」
「ひゃい!」
終わった。いつの間にか背後にいた先生がわたしの手元を、文字になれなかったインクの残骸をご機嫌な様子で見つめている。
「これください!」
これ以上の狼藉は許されぬ、と諦めたわたしはこうして最初かもしれない一本を選ぶことができたのだった。
「お付き合い頂き、ありがとうございました!」
「私も久しぶりに色々見れて楽しかった!たくさん書いてみてね!」
別れ際に先生の言った「色々」の意味をあれこれ考えたり、万年筆を買うのに試し書きについて想像していなかった自分を呪ったのは言うまでもない。
家に帰ると、さっそく道具を並べる。
買った万年筆はカートリッジ式で、手間はボールペンの芯替えと変わらない。こんなに簡単ならもっと前から使ってみればよかったな。四百字詰めの原稿用紙を買うのは少し気恥ずかしかったので、大判のリーガルパッドを開く。
さて何を書こうか。真新しいペンを弄りながら考える。
「ぼさっとしてないで、何でもいいから早く書き給え!」
とイマジナリー観音さんが叫びそうだったので、取り敢えず机に転がっていた坂口安吾の文庫を開く。うん、お気に入りの「女剣士」を写してみよう。
手を動かし、ペン先で紐解いてゆく。読むのとはまた違った方法でそれぞれの文を咀嚼すると、自分で小説を書いている時の違和感に気付く。
プロットの妄想を超えて、ちゃんと小説を書こうとして痛感したのは、自分の語彙の少なさだ。より具体的に言えば、語彙と語彙の組み合わせの少なさだ。
わたしたちは、少なくともわたしは、慣用句を使い慣れ過ぎている。夜が明ける、颯爽と現れる、経験を踏まえる、等々。
慣用句はかるたのように、がっちりと単語同士を結び付けてしまっている。だから油断すると、書いたものはすぐに慣用句まみれになってしまう。こうなると、せっかく書いた文章は作家の色を失ってしまい、どこか嘘っぽい感じがにじみ出る。
それがどうだろう、文豪たちの小説や不朽の歴史書を写すと、言葉の組み合わせの豊かさに圧倒させられる。単に難しくて、もう誰も使っていないような単語を駆使する人は存在しない。皆が知っている日用語を思いもしない組み合わせで並べている。
万年筆から伝わる刺激に、頭よりも先に指先が驚く。こんな組み合わせがあったなんて!この言葉の後にこんな言葉を入れるなんて、その動きに対する準備ができていない!と。
小説や創作物で使われる言葉と、わたしたちが普段使う日用語は、文字としては同じだけれど、中身は全く異なる、ということらしい。
そして、この語彙の組み合わせは単語の選定や美文か否かという枝葉末節の問題ではなく、作品全体の基調に関わる問題のようだ。言葉と言葉を縦糸と横糸のように編み合わせ、できあがるタペストリーがストーリーだとすれば、言葉を軽視することはできない。
いくら書き写したとて、この言葉の選び方はとても一朝一夕では真似できないけれども、少しずつ見えてくるものもある。例えば、文章の調子だ。
筆使いの緩急がある。調子の良い時に書かれたのであろう文は、書き写す手も滑らかだ。対して、何度も見比べないと写せないような文は、単語が無理に継ぎ接ぎされてぎこちない。偉大な作家たちも、やはり苦労していたのだ。そんな彼らの姿を想像して笑顔がこぼれる。
また、全体の設計が見えてくる。安吾やアランやモーパッサンが言うように、小説は計算だ。どこまでいっても計算だ。散文は、文字通り単に文章が散らかっているわけでもなく、また文章ひとつひとつを足し算したものでもない。
どの文も、それだけでは十分な意味を持たない。しかし、どの文を取り出しても、全体に対して意味がある。前後の意味を繋ぐと同時に、全体に対して意味を投げかける。つまり、文脈、コンテキストだ。
これは大変な計算だ。数学がからっきしのわたしにはうまい喩え方が思いつかないけれど、ゲシュタルトのようなものだろうか。個々の文が為す構成と、全体の構成の調和を目指させなくてはならない。
日常会話には無意味な繰り返しが多く結論に辿り着かない、論文やプレゼンは個別の要素を積み重ねることで結論を導く。対して、小説は結論を出すことが目的ではない。小説は何よりもまず芸術で、そして文章全体が芸術なのだから。
「大変なものに手を出しちゃった」
ひとりごちる。やれやれだ。それがわかったところで、何か答えが見つかるわけではないし、すぐに上手く小説が書けるようになるわけでもない。偉大な先人たちが散々に苦労して叩きのめされてきた跡を確認して、わたしもまた叩きのめされる未来がわかっただけだ。
それでも、こうして彼らの真似をして、通ってきた経路を通して、学ぶことはできる。何より、今は飽食の時代ならぬ、飽読の時代だ。この世のありとあらゆる文章を、ほとんど労せずに読むことができる。だからわたしは書き写そう、いいと思うものをみんな書き写そう。
そうして、わたしは、わたしの言葉を選べるようになりたい。
わたしの言葉を、このペン先に宿したい。
はるか先生と観音さんを疑ったことはないけれど、ああ、ごめんなさい!
やっぱり今回も二人が正しかった!
(ペン先に宿る 終)