メジロ家。レースに関わる者ならば誰もが知る、名門中の名門である。
羊蹄山にその本家を置き、代々名アスリートウマ娘を輩出してきたこの家は、日本の政財界にも深く繋がっている。
「なるほど、事情は分かりましたわ」
優雅にカップを置きながらメジロラモーヌ――史上初のトリプルティアラウマ娘はひとつ頷いた。周囲のメイド達が緊張しながらお代わりは、と聞くのを断り視線を目の前の来賓に向ける。
メイド達の緊張も無理はない。ラモーヌの目の前にいるのは、彼女と同じくトリプルティアラを戴くウマ娘、ジェンティルドンナ。二人が優雅にお茶を楽しむこの部屋には、異様な圧がかかっているかのようだった。
「それで、貴女はメジロに何を求めるのかしら?」
「いささか困っておりまして、軒を貸していただければと」
要は匿って欲しいとの事だ。彼女は今、危機に陥っている。その噂はメジロ家にまで届いていた。
「いささか、というには少し剣吞な状況のようね」
ラモーヌが視線を若い執事の一人に向ける。その執事は一歩前に出ると何やら書類を読み上げ始めた。
「ジェンティルドンナ様には内密に重要参考人として検察より出頭要請が出ております。また、トレーナー様のマンションについ先ほど公安が踏み込んだとの情報も」
「トレセン学園にも手は回っている筈ね。秋川理事長はどうなさったのかしら?」
「警察からの協力要請は断固拒否されたそうです。『学園の自治』を盾に、捜査がしたければ令状を持ってこい、と」
安堵しつつジェンティルドンナは考える。
警察は自分が学内に潜伏している可能性を考え、学園周囲に警察を張り込ませなくてはいけない。多少の時間は稼げる筈だ。秋川理事長には迷惑をかけてしまうが、いずれ誠意をもって返すとしよう。
自信ありげな表情を崩さず、ジェンティルドンナはラモーヌの視線を受け止める。ラモーヌはふぅ、とひとつため息を吐くと、切って捨てるように言う。
「くだらないわね」
吐き捨てるような言い方にピクリと頬が動くが、ドンナは優雅な仕草を崩さない。この程度の反応は織り込み済みだ。
「くだらない、と?」
「ええ、くだらない政治に振り回されるなんて、まっぴら」
ラモーヌにとって、レース以外の全てはその余剰に過ぎない。ましてや政治やら陰謀など、レースにとっては邪魔以外の何者でもない。かつて自分をレースの世界から引き剥がそうとした政治というものを、ラモーヌは心の底から軽蔑していた。
「そうですか、残念ですわね」
ふぅ、とこちらもため息を吐く。この反応は予想済み、そしてこの言葉に対抗する手段を、ドンナのトレーナーは用意していた。
「でしたら『史上最強のトリプルティアラウマ娘』の称号は、私が頂く事になりそうですわ」
ピクリ、と今度はラモーヌの頬がわずかに動く。ジェンティルドンナは気にせず続けた。
「これまでトリプルティアラに加えてシニア級G1を複数取ったウマ娘は私のみ。このまま私が消えれば世間は言うでしょう――『あぁ、やはりジェンティルドンナこそ最強のトリプルティアラウマ娘だった』と」
それは事実であった。かの『暴君』オルフェーヴルを倒し、ジャパンカップ、有馬記念を制したジェンティルドンナ。取ったG1の数と格だけで言えば、確実に彼女こそ史上最強のトリプルティアラウマ娘だろう。
「――挑発するつもりかしら?」
「いいえ、事実ですわ――このまま、ならば」
もしここでジェンティルドンナがレースと関係ない事情で表舞台から消えてしまえば、人々は嘆きながら言うだろう。「あぁ、彼女がまだ現役を続けていれば、あと何個G1を取っただろう!」「彼女こそ史上最強のトリプルティアラウマ娘だった」と。
「ラモーヌ、落ち着いて」
そこで初めて口を挟んで来たビジネススーツを着た女性――ラモーヌの隣にちょこんと座るトレーナーは静かに彼女を抑制する。
彼女こそメジロ家筆頭トレーナー、そしてジェンティルドンナのトレーナーが「一番お世話になった」と言う先輩トレーナーだった。
その女性は目を輝かせながらジェンティルドンナに対して言う。
「つまり、貴女はこう言いたいわけね。『もしメジロ家が貴女を庇護するならば、貴女はラモーヌの挑戦を受ける』と」
「ご理解が早くて助かりますわ」
ラモーヌのトレーナーをドンナのトレーナーはこう評した。
『トレーナー養成学校創設以来のレース馬鹿』
トレーナーを志すもの、誰しも多少レースへの愛を持っている。だが、彼女は筋金入りだった。西に有望なメイクデビュー有りと聞けば午前休を取って始発新幹線に乗り込み、東に面白い未勝利戦有りと聞けば仕事を終わらせた後飛行機に飛び乗る。古今東西あらゆる名レースを記憶し、また映像で見返し、そしてその知識を全てトレーナーとして活かす女性。嘘か真実か、彼女に重賞ウマ娘の名前と着順を言うとそのレースをあっという間に当てるという。
「うん、分かった。じゃあ私から大奥様に頼んでみるね」
「――はぁ」
あっけらかんと言う自分のトレーナーにラモーヌは深くため息を吐く。「あの人はレースを餌にすればきっと乗って来る」という彼の言葉は正しかったようだ。
「感謝致しますわ」
「うん。あ、あと、多分彼の入れ知恵でしょ? ちょっと伝えて欲しい事があるの」
「はい?」
ラモーヌのトレーナーはにこやかにほほ笑みながらジェンティルドンナに告げる。
「今回は助けてあげるけど、私のラモーヌに勝てると思わないように、ね」
あぁ、とジェンティルドンナは理解する。
メジロラモーヌの二つ名――「魔性の青鹿毛」。彼女もまた、その魔性に取り込まれた一人なのだろう。背筋に冷たい物を感じながらそれでも優雅にドンナはひとつ頷いた。
メジロの大奥様――『おばあ様』はラモーヌトレーナーの申し出を受けた。
「孫の友達が泊まりたい? 好きになさい」
との一言で、ジェンティルドンナとそのトレーナーはメジロ邸への滞在が決まったのである。