放課後の公園で
第一話 缶の底の一粒
次の日の放課後も、空はよく晴れていた。
虎杖悠二は、昨日と同じコンビニで、昨日と同じ唐揚げを買った。レジ横のケースで湯気を立てているのを見たら、「持ってくる」と言ってしまった昨日の自分を思い出して、気づいたら財布を出していた。
約束は約束だ。しかも、あの子の反応を見たかった、というのも、正直ある。
袋をぶらさげて、住宅街の外れの小さな公園へ向かう。ブランコと滑り台と砂場。奥の木陰に、色の剥げたベンチ。
その端っこに、桃色の髪が見えた。
黒いギターケースを足元に置いて、背中を丸めて、膝の上で指をもぞもぞと動かしている。昨日とまったく同じ姿勢だった。同じすぎて、悠二は思わず吹き出しそうになった。
「ひとりちゃん、お疲れー」
「ひぃっ」
やっぱり肩が跳ねた。けれど、昨日ほど大きくはない。ひとりはおそるおそる振り返って、悠二の顔を確認すると、ほっと息をついた。
「あ……い、虎杖さん……」
「そ、俺。ちゃんと来たぞ」
「あ、あの、き、来てくれたんですね……」
「言ったじゃん、また来るって」
「い、言ってましたけど……社交辞令かなって……」
「そんなわけないだろ。ほら、これ」
悠二は、コンビニの袋を掲げてみせた。
ひとりの目が、ぱっと見開かれた。
「そ、それは……あの、昨日の……」
「そう、昨日の唐揚げ」
「ほ、本当に持ってきてくれたんですか……!?」
「約束したからな。隣、いい?」
「は、はい、どうぞ、どうぞ」
ひとりは慌てて、ベンチの端をさらに端へ寄ろうとして、危うく落ちかけた。
「そこまで寄らなくていいって! 落ちるから!」
「す、すみません……癖で……」
悠二は、昨日よりほんの少しだけ近い位置に座った。それでも、人ひとりぶんくらいの距離はちゃんと空けた。これくらいが、きっと今の二人にはちょうどいい。
袋を二人の間に置く。
「事故だな」
「じ、事故ですね」
ひとりが、小さく頷いた。昨日と同じやり取りを、少しだけ照れくさそうにして。
それから、唐揚げをひとつ取って、両手で持って、ちびちびとかじり始めた。昨日と同じ、大事そうな食べ方だった。
「ん、おいしい……」
「やっぱ、うまいよな」
「は、はい。昨日、家に帰ってからも、ずっと考えてました。あの唐揚げのこと」
「そんなに?」
「はい。夢にも出ました」
「夢にも」
「唐揚げが、ギターを弾いてました」
「どんな夢だよ」
悠二は笑った。ひとりも、つられたように小さく笑った。その笑顔は、昨日の別れ際に見たものと、同じだった。
しばらく、二人は黙って唐揚げを食べた。ブランコが風で揺れる、きいきいという音だけが、公園にのんびり響いている。
ふと、悠二は思い出したように口を開いた。
「そうだ、ひとりちゃん。昨日の、コーンの件」
「あっ」
ひとりの背筋が、ぴんと伸びた。
「そ、そうでした。缶の底の、一粒……!」
「あれ、調べてみたんだよ。昨日の夜」
「ほ、本当ですか!?」
「うん。プルタブを、ぎゅーって奥まで倒すと、飲み口が広がって、粒が出やすくなるらしい」
「ひ、広がる……」
「そう。あと、飲む前に、缶をよく振って、粒を全体に散らしておくといいって」
ひとりは、ものすごく真剣な顔で、悠二の話を聞いていた。まるで、大事な秘伝の技を授かっているかのようだった。
「な、なるほど……勉強になります……」
「だから、今日、試してみようと思って」
悠二は、鞄の中から、缶を二本、取り出した。
「じゃーん。さっき自販機で買っといた」
「あっ、コーンポタージュ……!」
「昨日と同じやつ。リベンジ戦だ」
「り、リベンジ……」
ひとりが、ごくりと唾をのんだ。
二人は、並んで缶を握った。手のひらに、じんわりと熱が伝わってくる。
「いくぞ」
「は、はい」
「まず、振る」
悠二が、缶を上下にがしゃがしゃと振った。ひとりも、ぎこちなく真似をする。
「次に、プルタブを、ぐいっと」
「ぐ、ぐいっと……」
「よし、開けるぞ」
ぷしゅ、という音が、二つ重なった。
飲み口を覗き込むと、確かに、いつもより少しだけ広がっている気がした。
「飲もう」
「は、はい」
二人は、同時に缶を傾けた。
甘いコーンの香りが、ふわっと広がる。喉を通っていく温かさが、秋の空気にちょうどよく沁みた。
缶を傾け続けて、しばらく。
底のほうで、何かが、ころん、と動く気配がした。
「……来た」
「来ましたか!?」
「来た来た来た、来てる来てる来てる」
悠二が、缶をぐいっと傾けた。
ころ、ころ、ころ。
三粒ほどのコーンが、口の中に転がり込んできた。
「おおお……!」
「で、出たんですか!? 出たんですか!?」
「出た! 三粒くらい出た!」
「す、すごい……!」
「いや、でも、まだ缶の底に、何粒か残ってる気がする……」
「あっ、わ、私のも……」
ひとりが、缶を逆さにして覗き込んだ。それから、ぷるぷると震えながら、声を落とした。
「……一粒だけ、出ました……」
「おお」
「でも、あと、二粒、残ってます……」
「惜しいな……」
「悔しいです……」
「悔しいな……」
二人は、並んで、空になった缶を見つめた。昨日の勝負は引き分け、今日の勝負も引き分けに近い。けれど、不思議と、悪い気分ではなかった。
「完全勝利は、難しいんだな」
「そうみたいです……」
「また、他の方法も試してみるか」
「は、はい。次は、私も調べてきます」
「おう。頼んだ」
ひとりが、ほんの少しだけ、胸を張った。調べ物を任されたことが、嬉しかったらしい。
西日が、少しだけ傾いてきた。公園の砂場に、ブランコの影が長く伸びている。
「そういえばさ、ひとりちゃん」
「は、はい」
「昨日、バンドの話、ちょっとしてたじゃん。メンバーって、どんな人たちなの?」
「えっ」
「いや、興味あるなって思って」
ひとりは、膝の上で缶を握りしめたまま、少し考え込んだ。それから、ゆっくりと話し始めた。
「あ、あの……ドラムの、虹夏ちゃんっていう人がいて……すごく、明るくて、優しくて……私が固まってても、いつも、気にかけてくれて……」
「いい人だな」
「は、はい。それから、ベースの、リョウさんっていう人は、すごく、クールで……でも、たまに、ちょっと変なことをします。お金に困ると、草を食べてたりとか」
「草を!?」
「は、はい。道端の、雑草を……」
「それは、ちょっと心配だな……」
「だ、大丈夫です。たぶん……」
「たぶんなんだ」
悠二は、笑いをこらえきれなかった。ひとりも、どこか楽しそうに、くすくすと笑っている。
「それと、ボーカルの、喜多ちゃんっていう子がいて……」
ひとりは、そこで、少しだけ声を小さくした。
「き、キラキラしてて……すごく、眩しい人なんです。私と、正反対で……話してると、時々、溶けそうになります……」
「溶けるんだ」
「は、はい。光に、あたって……」
「ヴァンパイアか何かなの?」
「ち、違いますけど、似たようなものです……」
悠二は、お腹を抱えて笑った。
ひとりは、少しむくれたような顔をした。けれど、その目は、どこか嬉しそうだった。自分の話で、誰かが笑ってくれる。そのことを、じっくり噛みしめているみたいに見えた。
「でも、すごくいい仲間なんだな」
「……はい」
ひとりが、静かに頷いた。
「みんなと一緒にいると、私、ちょっとだけ、変われてる気がするんです。まだ、全然、ダメですけど」
「ダメじゃないよ」
「え」
「昨日、ひとりちゃんのギター聴いて、思ったんだ。ああ、この子、めちゃくちゃ、まっすぐな音出すなって」
ひとりは、ぱちぱちと瞬きをした。
「ま、まっすぐ……」
「うん。上手いとか、下手とかじゃなくて、ごまかしてない感じ。そういうの、ちゃんと伝わるんだよ。聴いてる側にも」
悠二は、空を見上げながら、続けた。
「俺さ、友達に、すげえ頭のいいやつがいるんだよ。伏黒っていうんだけど。そいつ、あんまり喋らないんだけど、一緒にいると、なんか落ち着くんだ」
「ふ、伏黒さん……」
「あと、釘崎っていう、めちゃくちゃ口の悪いやつもいて。会うたびに、俺の悪口言ってくるんだけど」
「ひ、ひどいですね……」
「でも、一番、俺のこと考えてくれてたりするんだよな。口は悪いのに」
「……いい友達、なんですね」
「うん。ひとりちゃんの仲間も、きっと、同じだと思う」
悠二が、そう言って笑うと、ひとりは、小さく、けれどはっきりと頷いた。
「……はい」
その時、ひとりが、ふと思い出したように、ギターケースに手を伸ばした。
「あ、あの、虎杖さん」
「ん?」
「き、昨日、ギターを褒めてもらったので……そのお礼に、あの……」
「お礼?」
「一曲、ちゃんと、弾いてもいいですか。昨日は、ちょっとだけ、だったので」
悠二は、目を丸くした。
「いいの?」
「は、はい。虎杖さんになら、弾きたいなって、思って」
「やった。聴く聴く」
悠二が、ぱっと顔を輝かせた。ひとりは、その顔を見て、また少し赤くなったけれど、すぐにギターを構えた。
アンプはない。音は小さい。けれど、昨日よりも、少しだけ、堂々とした音だった。
夕日の中で、桃色の髪が、揺れた。
一曲が終わった時、悠二は、思わず拍手をしていた。
「すげえ。やっぱり、すげえよ、ひとりちゃん」
「あ、あ、ありがとうございます……」
「今の曲、なんて曲?」
「あ、あの、自分で、作った曲で……まだ、タイトルも、決まってなくて……」
「え、自作!? すっげえ! 天才じゃん!」
「て、天才じゃないです……!」
「いや、天才だよ」
「ち、違います……」
「じゃあ、タイトル、一緒に考えるか」
「え」
「ほら、さっきのコーンの話もあるし。『缶の底の一粒』とか」
「そ、それは、さすがに……」
「ダメか」
「ダ、ダメです……」
「じゃあ、また明日までに、考えとく」
「あ、あの、そこまでしなくても……」
「いや、やるよ。約束」
悠二が、にっと笑った。
ひとりは、観念したように、小さくため息をついた。それから、ふっと表情をゆるめた。
「……はい。よろしく、お願いします」
遠くで、五時のチャイムが、鳴り始めた。
「あ、もう時間……」
「帰る?」
「は、はい。今日も、バイトなので」
ひとりは、ギターをケースにしまって、背中に背負った。それから、ベンチの前で、ぺこりと頭を下げた。
「き、今日も、ありがとうございました。唐揚げも、コーンポタージュも」
「こちらこそ。曲、聴かせてくれてありがとな」
「あ、あの」
「ん?」
「あ、明日も、いますので……」
「うん。来る」
「か、唐揚げは、なくても……」
「持ってくる」
「あ、あう……」
ひとりは、観念したように、にこっと笑った。昨日よりも、ずっと自然な笑顔だった。
「じゃ、じゃあ、また、明日……」
「おう。気をつけて帰れよ」
ひとりは、小走りで公園を出ていった。背中のギターケースが、ごとごとと揺れている。路地の角で、一度だけ振り返って、小さく手を振った。
悠二も、手を振り返した。
彼女の姿が見えなくなってから、悠二は、ベンチに座り直した。空になった缶を、そっと目の高さに持ち上げる。
「……三粒、か」
そうして、缶を軽く、こつんと叩いた。
底に残った、あと二粒のコーン。
それは、明日のお楽しみに取っておこう、と悠二は思った。
空に、一番星が、ぽつりと光っていた。