バイオハザード・メトロ 作:ハン…
───死なないで!父さんが死んだ。あなたまで死んだら、私は生きていけない───
アンナ…妻の声が聞こえる。
僕は、身体中を放射能が這い回るおぞましい感覚に、だが身悶えることさえできない。うつらうつらと意識が暗転しては目覚め、その度に誰かに血を分けてもらっていた。
───アルチョム。お前を私の右腕にしてやる!この旅は長い、頼りにしてるぞ───
ミラー大佐…オーダーの司令官で、アンナの父…僕の義父だ。僕を呼ぶ声、それは多分、あの世からの呼び声だろう。大佐は、ノヴォシビルスクの異常な放射能汚染に晒された僕を助けるために、自らの分の放射能防護剤を投げ打って死んだのだから。
僕たちは、核で滅び、破滅の一途を辿るばかりだった故郷のモスクワを救うために、放射能の存在しない綺麗な地を探して旅をしてきた。その途中で沢山の苦難があった。
僕と仲間は何度も傷つき、疲弊し、幾度となく死に目を見た。一年をかけた8000kmの長旅は、アンナの肺を蝕むガス兵器によって暗転した。
マスク無しでは地上を拝むことさえできないモスクワの8倍にも及ぶ放射能汚染を叩き出したノヴォシビルスクを探索していたのは、ガスに苛まれ死を迎えようとしていた彼女を救う医薬品を探すためだった。
アンナは助かった。それだけが、僕の救いだった。
寝ぼけ眼を擦り、寝ていた場所から起き上がる。
オーロラ、旅をするためにハンザの車両基地から奪った列車の客車の一室だ。そこにある僕とアンナが使っていた部屋のベッドには、今まで旅先から拾い集めてきたはずの品が無かった。
完全に覚めきっていない脳を働かせようと、置いてあるコップの中身を嗅ぎ、それがウォッカだと分かると一口で呷る。喉や頭の奥を刺すような強烈な風味が、僕の全身を突き抜ける。
「アルチョム!こっちだ!」
呼ぶ声が聞こえる。ミラー大佐のものだ。
だが、オーロラには何人もの仲間がいるはず。大佐の声しか聞こえないはずはない。僕は机の上に安置してある自分のリュックと、ずっと愛用してきたカラシニコフ・アサルトライフルを手に取って、客室を出た。
仲間が迎えてくれるはずのオーロラ号の中は酷く錆びつき、荒れ果て、見る姿も無い。異様な光景を前に、僕は思わず息を飲み銃を構える。
「アルチョム!どうした、来い!」
大佐が僕を呼んでいる。声は運転室から聞こえてきた。ものすごい剣幕だったから、何か急務なのだろうと思い立ち、武器を仕舞って走る。身体が舞うように軽かった。
「アルチョム…ここは地獄だろうか?見てみろ、あの死体の山を!」
ようやく運転室に辿り着いた僕を待っていたのは、オーロラが長旅の末に僕達を導いたのだろう終着駅───ただし、溢れんばかりの死体の山に、周囲を闊歩するのは歩く死体…ミュータントだろう。
ミラー大佐も僕も、そのおぞましい光景に絶句していた。なぜなら、その死体の山は驚くほどみずみずしく、今この場で死んだかのように真新しいものだったからだ。
つまり、戦争から何年も経って荒廃していたモスクワやノヴォシビルスクと違い、この駅はついさっきまで人が暮らしていた、生きたメトロだったのだ。
大佐と僕はオーロラを飛び降り、大佐がレールガンで、僕がカラシニコフで、それぞれミュータントの頭を撃つ。何発かは頭を逸れ、胴体に命中したが、頭以外の命中弾には全く怯む様子を見せない。
ミュータントと言えど、血が出る以上は痛みを覚えることもあるが、この生きる死体にはそういった痛覚が欠如しているように思える。
ミラー大佐も、こいつらの痛みに対する耐性に一抹の不気味さを覚えているようだ。
だが、無敵では無いらしい。
ミュータントの群れを殲滅し、とりあえずの安全を確保する。カラシニコフの残弾を確認する。ひとつのマガジンを半分も使い切っていないから、まだ弾には余裕がある。
改めて周辺を調べた。
いの一番に目に付いた死体の山は、確かに鮮血が滴るばかりで、食いちぎられたあとを見るに大した抵抗もできずミュータントにむさぼられたのだろう。
「どういう事だ?」
大佐が怪訝な声をあげ何かを見ている。次いで僕と目を合わせ、その疑問の正体に僕を気付かせた。
それは、メトロにはよくある何かしらの広告ポスターだった。ただ問題は、僕には読めないということだった。僕が使える言語はロシア語ぐらいで、それ以外は話すことはおろか読むことさえできない。
つまり、ロシア語以外で作られたポスターだ。
「信じられん。こいつは……英語だ」
大佐の驚いたような言葉を鵜呑みにするのなら、僕達が今いるのは旧ロシア最大の敵国…アメリカだということになる。だがそんな事を簡単に信じることは出来ない。
戦前……2013年よりもずっと前のロシアが発動していた、ロシアの広大な土地を非常に膨大な地下鉄システムで繋ぐメトロ計画は、当然海で隔てられているはずのアメリカと繋がるわけがないのだから。
だが、僕のその考えとは裏腹に、大佐はアメリカ本土に来てしまったと確信を得ているようだった。
そして、その考えがより強く僕達へ疑念を投げかけた。
確かに、僕は少し特別だった。何かが他人より優れているわけではない。特別銃の扱いに秀でていたりといったこともない。ただ、特異な体験をし、たまたま運が強いだけだ。生きたままあの世を歩いたこともあったし、死者の怨念渦巻く車両を通り抜けたこともあった。
僕はオカルティズムに傾倒する人間ではないが、霊の存在は確信している。それだけのおかしなことが、メトロではあったのだ。
だが、大佐の考えを僕もまともに受け取るのなら、これはそれよりもずっとおかしい。
「アルチョム。我々は…瞬間移動でもしたのではないか?ここは酷く奇妙だ。メトロでは無い。まるで……まるで、アメリカの…」
それ以上の言葉を紡ぐのは、ミラー大佐には堪えたようだ。かく言う僕も、それが現実だとはあまりにも信じ難い。
ここがアメリカで、僕達はノヴォシビルスクからアメリカのどこかの地下駅まで一瞬に移動したなんてことは。
・・・
日記
?月?日(恐らくは冬ではない)
ノヴォシビルスクでの死闘を切り抜け、無事にアンナの病の治療薬を見つけたが、
僕は深い傷を負い、身動きも取れないままノヴォシビルスクの地上の……文字通り放射能危険値を大きく越すモスクワの8倍もの汚染を浴び続け、死ぬはずだった。
迎えに来たミラー大佐は、自分に使うはずの防護剤を僕に注射し、僕の代わりに数キロ以上の距離を放射能による苦痛に苛まれながらも運転し続けた。
僕達がノヴォシビルスクを探索する途中で保護した少年…キリル・フレーブニコフ一等兵の事もオーロラまで連れていかなくてはならなかった。
大佐は倒れ、恐らくはそこで死に、僕が運転を代わった。
僕は、アンナの為、キリルの為に眠気と苦痛でいびつに歪む視線をひたすらハンドルと雪で凍った道路の先に向け続け、これ以上ないほどに死力を尽くして、防護マスクの必要ない汚染域外まで抜け出した。
そして仲間たちに看取られて、僕も死んだ。
だが、死んだはずの僕達は、遺棄され荒廃し切ったオーロラと共にどこかに流された。
そこは死体が積み重なり、今までのミュータントとは比べ物にならない、ありえないほど人間的な怪物が闊歩していた。幸いに銃弾は効き、僕と大佐は周囲を調べ始めた。
だが、それはおかしい。
大佐の考えを真に受けるのなら、そこはロシアの駅ではない。アメリカなのだ……