「ちょっと待ってくれ。これから一緒に旅に出るんだ。自己紹介ぐらいさせてくれないのか?」
城から出て、アリアハンの城下町に続く橋を歩いている途中で、リーシャは前を歩くカミュに意を決して声をかけた。
カミュは謁見の間からの出掛けに、リーシャへと視線を向けたきり城を出てからこの橋に来るまで、会話どころか顔を見る事すらなかったのだ。
「……」
後ろからの声にカミュは無言で振り返る。
謁見の間ではそれ程じっくりと見なかったが、リーシャの容姿は周りの視線を集めるに十分値するものだった。
気の強そうな切れ長の瞳。
すっと通った鼻。
薄い唇。
美人の部類に入るものだ。
着ている物がワンピースのような物であれば、街を歩けば掛る男性の声に、なかなか前へ進めない状態に陥るだろう。
しかし、リーシャはアリアハン下級騎士に支給される、なめし皮を叩いた鎧を身につけ、腰にはこれも国からの支給品である剣を差していた。
「ようやくこっちを向いたな。私は前宮廷騎士隊長クロノスの一人娘のリーシャだ」
「……カミュだ……」
リーシャの自己紹介の後、しばらく間を置いて口を開いたカミュから出た言葉は、自分の名前だけを言う簡潔なものだった。
幾分か不満はあったが、彼が自分の憧れていた人物の息子だと伝えられていた為、リーシャは気を取り直し、会話を続ける事にした。
「剣は幼き頃から父より教わってきた。そこら辺の男に負ける事はない。オルテガ様には幼き時分に何度か声をかけて頂いた事がある。その息子である貴殿と『魔王討伐』の命を受けた事を誇りに思う。よろしく頼む」
そう言ってリーシャが手を差し出す。
カミュはその手をしばし眺めると、盛大に溜息をついた。
「貴方が誰であろうと別段興味はない。『英雄オルテガ』への憧れを俺にスライドしても無意味だ。アリアハン国王の勅命という事で俺についてくるのなら、辞退してくれても構わない。理由はどう言っても良い。全てこちらの責任にしてくれても構わない」
全く友好的ではない発言。それは、先程まで国王の前で雄弁に応答していた少年と同一人物とは思えない物だった。
リーシャは信じられない者を見たように、オルテガの息子であるカミュを見つめる。
呆然とするリーシャを見て、もう一度溜息を吐いたカミュは、踵を返し、再び橋を歩き始めた。
カミュが歩き出した事を見て我に返ったリーシャは、慌ててその後を追った。
「ちょ、ちょっと待て! それはどういう意味だ。私が女だからか!? 女の騎士は旅の邪魔だとでも言うのか!?」
それはリーシャにとっては、決して許せる理由ではないのだ。
幼き頃、宮廷騎士だった父クロノスには子供が出来なかった。
ようやく授かった子は望んでいた男ではなく女子。
それでもクロノスは女のリーシャに剣を教えた。
クロノスの同僚は、女子に剣を教える彼を嘲笑う。
リーシャと同年代の子供達もまた、男女を問わずリーシャ親子を馬鹿にし始めた。
そんな父クロノスも、宮廷騎士隊長まで登りつめたが、リーシャが七歳になる頃に魔物討伐の際に仲間をかばって戦死する事となる。
それは、『英雄オルテガ』の死から三年後。
アリアハン国周辺の魔物達もその狂暴性を更に増して来た頃だった。
リーシャは父の死後も一人で鍛練を行い、同世代の子供達の中では頭一つ飛び出した実力者になって行く。
だが、女が剣の実力を磨く事に対し、周りの視線は冷たい物であった。
「そうか、名はリーシャと言うのか。良い筋をしているな……流石はクロノス殿の子だ。私の子供が成長したら、剣を教えてやってくれないか?」
だが、彼女の頭に残る、遠い昔に聞いた言葉が、リーシャを突き動かしていた。
それは、彼女がまだ齢四つの頃、初めて父から与えられた木剣を、嬉々として振り回し遊んでいた頃の事。
不意に掛った声に対し、振り返ったリーシャは、その人物の姿を見て、緊張で身体を固くしたのだ。
旅による日焼けした肌。
筋肉で武装された身体。
それが、アリアハンの英雄と謳われ、まだ魔王討伐に出る前のオルテガだった。
今回、そのオルテガの息子の魔王討伐という旅に同道できる命を受けた時、あの時の『英雄オルテガ』との約束を果たせる時が来たと喜んだのだ。
成長し、騎士団に入ってからも、女というだけでの差別と侮蔑はあった。
ましてや、自分よりも弱い男からは、嫉妬からの嫌がらせ等が日常茶飯事となっていたのだ。
それでも耐えて来たのは、この日の為であったのだとリーシャの身は震える。
謁見の間で見たオルテガの息子の背は、あの頃のオルテガに比べ見劣りはするものの、十六歳という歳を考えると成長が楽しみなものだった。
だが、先程の言葉は、そんなリーシャの希望を容易く打ち砕く。
「……先程も言った通り、貴方が誰であろうと、女であろうと男であろうと興味はない。俺は始めから一人で旅に出る予定だった。故に、貴方が強かろうが弱かろうが、共に旅をする気はないという事だ」
溜息と共に、振り返りもせずにカミュが放った言葉は、憤っていたリーシャの熱を一気に冷まし、絶望の淵へ落として行く。
『彼は本当にあのオルテガ様の息子なのだろうか?』
リーシャの頭の中で、既に否定的な答えが出ている疑問が、彼女の口を開かせた。
「お、お前は、本当にオルテガ様の息子なのか……?」
呟くようなリーシャのその一言に、もう一度振り返ったカミュの表情は、何の感情も見い出せない、本当に生きている人間かを疑いたくなるようなものだった。
今のカミュの表情を見れば、先程までリーシャと相対していた時がどれだけ表情豊かなものであったかが解る。
遠巻きに見ている者には、その違いが解らないかもしれないが、言葉を直に交わしたリーシャには恐怖さえ感じるものだった。
「英雄オルテガの息子というステータスが貴方にとってどれほど重要なのかは知らないが、それを他人に押し付けるな。そのステータスと旅に出たいというのなら、人違いだ。他を当たるんだな」
そう言ったきり、もう話しかけるなとでも言うように、カミュはアリアハンの城下町を賑す人の波へと飲まれて行く。
先程までの喧騒も消え失せ、その場に一人の女性だけを残して行った。
『何故、このような事になったのだ?』
リーシャは、カミュが喧騒の中に消えてからも、しばらく橋の上で放心状態にあった。
三日程前にアリアハン国王直々にお呼びを受け、魔王討伐の命を頂いた。
その命を最初に聞いた時は、周辺の魔物討伐の言い間違いかと思ったが、そうではなかった。
討伐隊のリーダーは自分ではなく、若干十六歳の少年だったのだ。
彼の名は『カミュ』。
『アリアハンの英雄』であるオルテガの息子。
生まれた時から英雄になる事が決まっている少年に対して、羨望の念を抱いた事もある。
決して自分の父を蔑にする訳ではないが、全世界に誇る事の出来る英雄の血を引く子である事を素直に羨ましく思っていた。
そしてリーシャは、この三日間の鍛練を強化し、自分を鍛え直した。
『英雄オルテガ』の息子に同道する者として恥じぬよう、アリアハンの英雄の想いを引き継ぐ者として胸を張って旅ができるようにと。
それがどうだ……
会話して数分でリーシャの旅は終結しようとしていた。
カミュというあのオルテガの息子は、仲間と旅をするつもりはないと言う。
それはリーシャであろうと、他の誰であろうと同じだと言う。
つまりは、彼はリーシャをリーシャという個人として見ていないのだ。
それは、どれほどの屈辱だろう。
未だに、亡き父クロノスには及ばないとは思ってはいるが、今の宮廷騎士の中では自分が一番だという自信もあった。
なればこそ、旅への同道者として認めるどころか、存在すら認識されないという事は最大の侮辱なのである。
リーシャは意識の覚醒と共に湧いてくる怒りを感じた。
「なんだと言うんだ! あのオルテガ様でさえ、一人旅で命を落としたのだぞ! オルテガ様の足元にも及ばない実力で、どうやって一人で魔王を倒すと言うんだ!」
突然大声を張り上げたリーシャに、街の方から奇異の視線が飛んで来るが、怒りに我を忘れかけているリーシャには関係のない事であった。
「くそ! こうなったら、意地でも付いて行ってやる。あんな奴がオルテガ様の息子などと、私は認めない。きっと養子か何かだ。化けの皮を剥いでやる!」
自分の中の『英雄オルテガ』像と、先程の少年とが結びつかない理由を、自分の中で強引に結びつけ、リーシャは偽勇者となった少年を追った。
リーシャは、街に入り、街の門の方へ向かう途中で、道具屋に入っていく少年を見つけた。
旅に必要な道具でも買いに行くのだろうか。
『国王から旅の道具は支給されたはず』とリーシャは首を捻る。
そのまま道具屋に続いて入ると、ちょうどカミュが道具屋の主人から薬草を数枚受け取っているところだった。
「何をしているんだ?……薬草なら国王様からの支給品の中に入っていたのではないのか?」
「……また貴方か……旅の仲間は間に合っていると言ったはずなんだが」
不意にかけられたリーシャの声に対して驚きもせず、無表情のままカミュはリーシャを見る。
だが、カミュの口から出た言葉は、リーシャの質問に一切答える事なく、リーシャとの接触を拒絶するものだった。
「ぐっ! わ、私はアリアハン国王様から直々にお前の旅への同道を命じられたのだ。どれ程お前に断られてもついていく」
「呼び名はお前に降格確定か……くっくっ、勝手にすれば良い。ただ、自分の身は自分で護ってくれ」
意外にも、カミュはリーシャの同道を簡単に認めた。
それでも、リーシャはカミュのある一言が気に食わない。
それは、リーシャの生きて来た年月を否定する言葉なのだから。
「自分の身を護る!? それはこちらのセリフだ! オルテガ様の足元にも及ばないお前が何を言っている!? おそらく、お前の剣の腕などは私よりも劣るのだろう? お前こそ自分の身すら護れないのではないか?」
アリアハン宮廷騎士随一だと自負しているリーシャにとって、立て続けの侮辱である。
どうしても挑発的な物言いになってしまう。
対するカミュはというと、そんなリーシャの言葉を聞いていなかったかのように、リーシャの脇を抜け道具屋を出て行った。
慌てて後を追い、リーシャはカミュの横に並び歩き出すが、一切の会話がない。
カミュはリーシャを見ようともせず、リーシャもそんなカミュに自分から声をかけるような事はしなかった。
武器屋を通り過ぎ、アリアハン唯一の酒場が見えて来る。
リーシャはさも当然のように酒場への道を曲がったが、カミュはそのまま道を真っ直ぐに進んで行った。
「お、おい! 国王様にお言葉を頂戴した筈だぞ?……酒場で仲間を募るのではないのか?」
全く酒場へ向かう気がないカミュを追ってリーシャは声をかけるが、カミュはそんなリーシャに心底呆れたような溜息をついた。
「俺は、元々一人で旅に出る予定だった事は話したはずだが……それに、あんな酒場に入り浸っている人間が、魔王討伐のような、ほぼ確実な死の旅について来ると思うのか?」
カミュの答えに、リーシャは息を飲んだ。
一人で旅する予定だと言われた事を忘れていたためではない。
国王様の忠告を無視するカミュに驚いたためでもない。
カミュが、この魔王討伐という旅での『死』を当たり前の事と受け入れている事にだった。
普通、このぐらいの歳の人間が、一国の国王から直々の命を受けて旅立つ時、その胸には多少の恐怖はあるだろうが、希望と好奇心、そして選ばれた事への優越感に興奮するのが当たり前だ。
リーシャですら、国王直々の命に興奮を覚えた。
それにも拘わらず、目の前の少年にはそのような感情のかけらもない。
むしろ、死という絶望が自分の未来であることを納得しているかのようであった。
「こんな他国との交流もなく、大陸から強い魔物も入って来る事のない国の酒場に、昼から入り浸っているような人間達だ。碌な魔物と戦った事もない連中ばかりだろう。魔物討伐で街道沿いにいる魔物と多少の戦闘をして、それで得た給金で生活している名ばかりの冒険者。そんな我が身が可愛い奴らだ。死の旅について来るとは考えられない。例え、ついて来たとしても足手纏いなだけだ」
カミュは言い終わると、そのままアリアハン城下町の入口の門に向かう。
リーシャはカミュの言うことに反論が出来ない事に悔しさを覚えるが、よくよく考えれば、カミュの言い分が的を得ている事を理解し、その後を追った。
「アリアハンの英雄オルテガの意思を継ぐ勇者カミュ、バンザーーーーーイ!」
「勇者に精霊ルビスの加護のあらんことを!」
「頼んだぞ~~~~~~~~!!」
門が近づくにつれて見えてきた人だかりに、リーシャは目を丸くした。
街の住民の大半が勇者の旅立ちを見送ろうと押し寄せて来ていたのだ。
口々にアリアハンから旅立つ新しい勇者への声援を発し、羨望と期待の眼差しを向ける。
リーシャは、その民からの応援を受ける我が身を、若干気恥かしさを感じつつも、誇らしく思った。
だが、少し前を伺うと、そこには先程橋の前でリーシャに向けた、恐怖すら感じる、表情の抜け落ちた顔をして門を潜ろうとするカミュがいた。
『彼はこれほどの声援を受けても何も感じないのだろうか?』
そう感じたリーシャは、これからの先の長い旅路に若干の不安を抱きながらも、カミュに続いて門を潜った。