元旦といえど、トレーナーとして活動しないわけにはいかない。計画立案や事務作業に追われるのはいつものことだが、こういう節目の時期には担当ウマ娘との予定が入りがちなのだ。そういうわけで、サトノ家のご令嬢、サトノダイヤモンドがもうすぐ家にやってくる。
正月休みだからわざわざトレセン学園で待ち合わせる必要がないのは確かだが、普段ウマ娘と会うような場所ではない自宅に担当ウマ娘を招くというのは、採用試験やGIレースとはまた違った緊張感がある。ましてやダイヤは深窓の令嬢という言葉もふさわしいようなウマ娘だ。毎年サボりがちだった大掃除も念入りにやったが、大丈夫だろうか。
どうにも落ち着けずにいると、ついにチャイムが鳴ってしまった。画面を見やれば、ダイヤの顔が映っている。
「今開けるよ」
「はいっ!」
前のめりな返事が、清冽な空気を吹き込ませたように感じた。
「あけましておめでとうございます、トレーナーさん!今年もよろしくお願いしますっ!」
画面越し以上の、輝かんばかりの笑顔とともに、ダイヤは新年の挨拶を告げた。
「あけましておめでとう。こちらこそ、今年もよろしく」
「元旦にもトレーナーさんとお会いできて嬉しいです!いい一年にしましょうね!」
ダイヤの感情が胸を打ち、面映ゆい気持ちがこみ上げる。思わず顔を逸らすと、ダイヤが両手に荷物を提げているのが目に留まった。
「初詣に行こうかと思ってたけど、荷物を持ったままだと面倒だね。置いていく?」
「確かに初詣も行きたいですけど、せっかくトレーナーさんのお家に来たので、おじゃましてみたいなって……いけませんか?」
「いいけど……何も面白いものはないよ?」
「いいんですね?それじゃあ、案内してもらえますか?」
「……わかったよ。いらっしゃい」
「私、男の方のお家におじゃまするのって初めてなんです。なんだかそわそわしちゃいます」
ひょっとしたらと思っていたことが現実になってしまった。ダイヤは狭い部屋の中を眺めている。
「座布団に座ってもらっていい?荷物はどこにでも置いていいから」
「あっ、それなら……トレーナーさん、どうぞっ!」
そう言うと、ダイヤは両手で紙袋を差し出した。
「お土産ってこと?ありがとう!何が入ってるのかな?」
「お年玉ですよ?」
その言葉を認識した時には、袋をしっかり握ってしまっていた。年下に、それも担当ウマ娘にお年玉を渡されてしまったのだ。
「えっ、お年玉?渡す側なの?」
「お年玉は年上の人が年下の人に渡すものというジンクスがありますよね!」
ダイヤのジンクスに対するこだわりは、元旦であろうとも変わりなかった。
「それは、ジンクスではなくて習わしだと思うよ」
「それでもですっ。私からのお年玉、受け取ってもらえませんか?」
ダイヤは上目遣いでこちらを見つめてくる。
「受け取るよ。本当に嬉しいな……中身を見てもいい?」
担当ウマ娘の気持ちの前に、疑問を差し挟むことのなんと無益なことか。お年玉を受け取るのは当然のことであって、決して上目遣いに陥落したわけではない。
「……気になりますか?」
「もちろんだよ」
「トレーナーさんにお渡しするものも入っているのですが……まずは、私が準備させてほしいです。少し、目線を逸らしていただけますか?」
「もしかして、着替え?……じゃあ、外で待ってればいいかな?」
「あぅっ、すみません……!すぐに終わらせますからね!」
どうやら替えの服も持ってきていたらしい。しかし、家から着てこなかったのはなぜだろうか。同じ空間で着替えさせたり、トイレや脱衣所を使わせるよりは、と考えて玄関を出た。
「トレーナーさん、いいですよー」
しばしの時間の後、呼び声とともにドアが開いた。言葉に従って家に入ると、ダイヤは服装のみならず髪型も変えてこちらを見つめている。
「どうでしょうか……似合ってますか?」
フリルのミニスカートの意匠を取り込んだ振袖は、ダイヤの華やかな魅力を引き出している。一筋に束ねられた髪も、あらわになった首元とともに新たな一面を見せていた。
「とっても可愛いよ。本当に……綺麗で、素敵だよ」
「嬉しいです……トレーナーさんに一番に見てもらえて、褒めてもらって、本当に幸せです!」
月並みな表現になってしまったが、それ以上の想いは言葉にならなかった。それに、わざわざ自分だけに見せるつもりで衣装を持ってきて着替えてくれたらしい、ということも得も言われぬ感情を呼び起こした。
ダイヤを独り占めしたい、ファン相手でも安売りはできないなどと考えていると、この後初詣に行くつもりだったことに思い当たった。
「その服で出かけるのは寒そうだね」
「私は平気だと思いますけど、せっかくですしもう少しお邪魔していたいです」
「そういうことなら、座って待ってて。お茶を入れるよ」
「それなら、いいものがありますよ!」
「いいもの?」
ダイヤのお年玉は一つではないらしい。
「未成年は、お酒を飲んではいけないというジンクスがありますよね」
「それはジンクスじゃなくて、決まりごとじゃないかな……」
「でも、決まりを破ってはいけないのに、未成年が飲んでも許されるお酒があるんですよ」
「もしかして甘酒のこと?」
「さすがトレーナーさん!ですので……一緒に飲みませんか?」
ダイヤは袋の中から瓶を取り出し、こちらに勧めてくる。
「そんなものまで用意してたのか……確かに、お正月らしくていいね。コップを持ってくるよ」
「でしたら、こちらをどうぞ。開けてもらえますか?」
そう言うなりダイヤは木箱を持ち出した。言われた通りに開けると、そこには一対のグラスが入っている。
「せっかくなので、形として残るものも渡したかったんです。早速使ってみましょう?」
「本当に、ありがとう」
受け取るものが多すぎて申し訳ない、という気持ちは胸の中だけに抑え込んだ。
小さなちゃぶ台に並んで座った。座布団を向かい合わせに置いておいたのに、ダイヤはお気に召さなかったようだ。
「狭くない?」
「トレーナーさんがよければ、このままで」
お互いに甘酒をグラスに注ぎあう。
「ダイヤの健康と幸運を祈って」
「まあ……嬉しいです」
「乾杯」
「乾杯っ!」
グラスを合わせ、甘酒を飲み干した。
「ぷはぁ……人生初甘酒です。今日は初めてがいっぱいですね」
「美味しく飲めそう?」
「どろっとしてて、でもさらっと飲めちゃいます。不思議な味わいです」
ダイヤは白濁した甘酒を嚥下した。その喉の動き、桜色の唇をちろりとなぞる舌が妙に目に残った。
「あったかくて……幸せです。ずっとこうしていたいぐらい……」
甘酒にはアルコールは入っていないはずだが、ダイヤは身を寄せ、顔を赤らめていた。身体がふれあい、体温が伝わってくる。
幸せなのは自分も同じだ。かけがえのないこの時間が永遠に続けばいい、などと……
「トレーナーさん……私たち、いつまでこうして過ごせるのでしょうか」
ぽつりと零れたかのような言葉に、返事はできなかった。
年を越した──、一般的にはめでたいことだ。しかし、ダイヤが学生で、自分がトレーナーでいられる時間が失われたことには違いない。
「ダイヤが、レースを引退したら……俺は''ただの''トレーナーだ。でも、一人の人間としては、ダイヤの人生が素晴らしいものになるように応援し続けるよ」
ぐっと息をつき、答えた。
「そんな……トレーナーさんっ」
「ダイヤ、お正月からしんみりすることないよ。お餅でも食べる?それとも初詣に行こうか」
いたたまれず、言葉が口を突く。出会ったときは脆さが感じられたダイヤももうすぐ高等部だ。自分ができることはもう少ないだろう。
「……トレーナーさんと、一緒がいいんです」
それなのに、今の彼女は子どものよう……いや、むしろその通りか。ちょっと年上だからって、なにを勘違いしているんだ!
「俺も、ダイヤと一緒だと幸せだよ」
ぎゅん、と音が聞こえた気がした。ダイヤが瞳を輝かせて見つめてくる。
「本当に?」
「もちろん」
サトノダイヤモンドのトレーナーになれて良かった──心の底からそう思う。テンションの変わり方にはびっくりしたが、そういうところも可愛いものだ。
「私もトレーナーさんと一緒にいられることが、嬉しくって幸せです!
……じゃあ、トレーナーさん」
ダイヤはそこで言葉を切った。もじもじした様子から、言い出しにくいことだと察せられた。なんだかこちらまで緊張してくる。
「私のことっ!……」
ダイヤは顔を紅潮させ、瞳を潤ませてこちらを見ている。上目遣いはやめたほうがいい、などと言ってしまいそうになったが自制した。彼女が伝えたいことに水を差したくはない。
「……すき、ですか……?」
……何を言っているのだろう?これはどういう意味で……何か勘違いしているとか……
……もういいや、正直になろう。
「大好きだよ」
「私もですっ!」
本音をぶつけたら、生身がぶつかってきた。盛大に頬ずりされて火がつきそうだ。
「ダイヤ、嬉しいけどちょっと……」
「私たち、両想いですね!」
……ん?
「ダイヤ、一般的に両想いというのは恋愛で使う言葉だから」
「そうですよね?つ、つまり私たち……恋人同士!?」
「待った!違う、いや違わないけど!」
「『嬉しい』って言ってくれましたよね?」
それも本音だけどそうじゃない!
「ダイヤ、俺はトレーナーだ」
「ええ!私、サトノダイヤモンドの、大事な大事なトレーナーさんです♡」
お互い冷静ではない。ダイヤの周りにハートマークが飛んだのが見えた。
「あー……それがどういう気持ちか、もう少し考えたほうがいいよ。今言った通り、立場の問題もある」
「ふーん……」
ダイヤは抱き着いたまま、蠱惑的にこちらを見た。
「トレーナーさんは、立場を言い訳にしたくなっちゃうぐらい、私に本気なんですね?」
……図星だ。
「大丈夫ですよ。バレなきゃ犯罪じゃないというジンクスがあります」
「それはジンクスじゃない、いやそれより、ダイヤの気持ちが……」
「そんなに心配なら」
ぐ、と体が押し込まれる。
……まずい。
「私の本気、今から教えてあげます♡……あら?」
「俺の本気も、教えてあげるよ……!」
そうだ、俺はまだダイヤに大事なことを伝えていない!
「ダイヤ!俺は、君の走りに惚れている!だから……俺が君の走りの枷になることは受け入れられない!」
やっとの思いでダイヤを押し返し、腕から逃れた。
「ふふっ、あはは……」
「そんなに、変なことを言ったかな……」
ダイヤはツボに入った様子だ。最後まで本気だったらどうなったか……いや、さすがに考えすぎか。
「もう、仕方ないんですから……でもいいです」
そういうと、ダイヤは手と手を取り合った。
「私が心ゆくまで走ったその時には……私の愛を受け入れてくださいね?」
「……ああ。トレーナーとして、君の走りを生涯支えるとも」
こんなことをシラフで言えるぐらいには、ダイヤ自身にも惚れてしまっていることは……押し殺さないといけないな。