色々あるけど『ムラサキカガミ』が一番有名かな。

未成年の人は二十歳になる前に忘れようね!

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【謹賀】二十歳になるまで覚えていると死ぬ言葉って知ってる?【新年】

 

 

 

「一月一日が、来ない……?」

 

 

 呆然と呟く。

 

 自分で口にしたことを自分の耳で聞いて、ますますそのおかしさが際立つ。『謎』の出発点、情報源たる目の前の少女の言葉を繰り返しただけだが、馬鹿げたことを口にする自分自身のおかしさに、乾いた笑いが込み上げてくる。

 

 

「うん、そう」

 

 

 キメ顔で言い放つ少女。

 

 ますますおかしい。自分たちは決してお笑い研究会ではないはずだ。

 

 

「立花……、お前がド天然なのはこの一年でよぉーく分かったが、そりゃどういう意味だ?」

 

「? どういうも何も、言葉通り」

 

「だから! 何がどうなったら一月一日が来なくなるんだよ! 経緯が、欠けてるだろッ!」

 

 

 つい、声を荒げてしまった。すぐさま口を押さえてドアの向こうに耳を澄ませる。

 

 ……。

 

 足音はしない。よし、誰も来てない。ほっと胸を撫で下ろす。

 

 何を考えているんだがよく分からない、ぽやんとした顔の少女──立花を見やる。少し睨むようなかたちになったが、それも仕方のないことだ。意味不明なことを言い出すコイツが悪い。

 

 

「……いいか? 俺はエスパーじゃないんだ。一から十まで懇切丁寧に説明してくれ」

 

「日向くんはエスパーを自称していたと記憶している」

 

「一年前の自己紹介(くろれきし)を持ち出してくるな……。俺がただの人間だなんてもう理解(わか)ってるだろ」

 

「私は今でも日向くんがエスパーだと信じているけど……」

 

 

 下を向いてぶつぶつ言い出す立花を無視して、さっさと話すようにジェスチャーで促す。こっちを上目遣いで見つめたって無駄だ。

 

 不満そうな顔をしながらも、立花はゆっくりと話し始めるのだった。

 

 

「──ムラサキカガミ、というのを知っている?」

 

「あー、都市伝説の。たしか"二十歳まで覚えてると死ぬ"とかいうやつだよな」

 

「その通り」

 

「で、それが?」

 

「私の誕生日が一月一日」

 

「…………だから?」

 

「明日、私が死んで、そして世界が終わる」

 

 

 ちょっと待ってほしい。

 

 ふっと視界が暗くなる。どうも自然と手で顔を覆ってしまっていたらしい。

 

 なんというか。ド天然だとは思っていたが、自他境界がここまで曖昧だとは思っていなかった。お前が死んでも世界は続くんだよ。いやまあ、そりゃお前から見れば世界が終わるのと同じだろうけどさ。

 

 と、いうか、だ。そもそも〔ムラサキカガミ〕の話自体ただの『都市伝説』だ。覚えているだけ死ぬって、どういう原理だよ。オカルトも大概にしてくれ。今日日流行らないんだよ。

 

 ……なんだが。

 

 チラリと、指の隙間から立花を見る。眉間にシワがちょっと寄っていて、唇を僅かに噛んでいる。表情は真剣そのものってかんじだ。

 

 この少女はマジに本気(マジ)だ。

 

 つまり──、確信しているってヤツ。

 

 こういう奴になにを言ったって無駄。

 

 テキトーに煙に撒くのが最適解なんだけど、一応一年以上も付き合いのある友人なわけで、相手が真剣なのにこちらが取り合わないというのも後味が悪い。

 

 ここは話だけでも聞いてやるか。

 

 

「なるほどな。それは一大事だ。それで、どうやったら防げるんだよ」

 

「言葉にすれば簡単なこと。今日中に私がムラサキカガミを忘れればいい」

 

「たしかに言葉にすれば簡単だな。でも人間、ぽーんと好きなように忘れられるわけじゃないだろ。じゃなきゃトラウマだとかPTSDだとか存在しないわけだしな」

 

「そう。だから困っている」

 

 

 忘れたいと思えば思うほど、そのイメージは頭の中で肥大化して、固定化されていく。

 

 ポケモンじゃないんだ。

 

 1 2の …… ポカン!

 

 ──で、忘れられるものでもない。

 

 

「難しいな」

 

「だよね。どうすれば忘れられるかな」

 

「……そもそもさ、忘れてるって〔ムラサキカガミ〕的にはどういう判定なんだろうな?」

 

「つまり?」

 

「忘れるとは言うけど、結局のところ()()()()()()()()じゃないか?」

 

 

 ふと、昔読んだネット記事を()()()()()

 

 そう。人間の脳の容量というものはかなり多い。忘れているものも、実際には忘れておらず、その記憶へのアクセスルートが途絶えてしまっただけだ。

 

 今のようにふとした導線によって思い出したり、再び覚えようとした時の定着が良かったり、記憶喪失の患者が治ったり、記憶というものは脳の奥底に消えずに残っているのだ。

 

 潜在的な記憶、とでも言おうか。

 

 

「忘れる人間は存在しない。でも二十歳で死ぬ人間が特別多いわけじゃない。だから、二十歳になった瞬間、〔ムラサキカガミ〕の記憶と表意識の接続が切れてればいいんだと思う」

 

「二十歳になる瞬間、その時だけ忘れてればいいってこと?」

 

「というより、意識を少しでも割いてない、が正しいのかな。日を跨ぐ時にちょっとでも〔ムラサキカガミ〕のことを考えてたら死ぬ。そう思ってればいい」

 

「……寝ればよくない?」

 

 

 確かに。

 

 現状、二十歳で突然死ぬ人間が目立つわけではないのは、そういう事情があるのかもしれない。寝ていれば〔ムラサキカガミ〕のことも意識しない。単純だけどいい案かも。

 

 …………いや、

 

 

「──いや、脳は寝てる間に記憶の整理を行う。もしその時に〔ムラサキカガミ〕に触れたんなら、アウトだな」

 

「じゃあどうするの?」

 

「別のことで頭の中をいっぱいにするのが一番いいのかもな」

 

「…………俺のことだけ考えてろよ、ってコト?」

 

「ちげーわアホ。──ほれ」

 

 

 手元のコントローラーを投げて渡す。

 

 彼女は危なげなくそれをキャッチし、しげしげと見つめる。そんな目を丸くするようなものでもないだろうに。

 

 

「ゲームでもしてればいいんじゃね?」

 

「……私、真剣に解決策を探してるのに」

 

「俺も真剣だよ。ゲームしてる最中にゲーム以外に意識割けないだろ」

 

「どんなゲームにもリラックスの瞬間、つまりは息継ぎの時間がある。ずっと興奮させるのは体に良くないし、疲れるから。その時に、思い出しそう」

 

「あーね」

 

 

 モンハンなら移動中、剥ぎ取り中。マリカーでもレース選択の時や、一試合が終わった時なんかがそうかもしれない。ずっとゲームのことだけを考えるというのもなかなかに難しいか。

 

 まあ自分はぶっ通しで出来るけど。

 

 

「じゃあもうお寺とか神社とか行くしかないんじゃないか? お祓いしてもらえよ」

 

「ムラサキカガミの呪いは強力。並の霊媒師では歯が立たない」

 

「そう……、呪い。呪いねぇ」

 

 

 魔術だか呪術だか知らないが、そういうオカルト方面にもっていかれるとちょっと厳しい。

 

 まずは〔ムラサキカガミ〕がどういうかんじになっているのかを聞き出すか。それに合わせていこう。

 

 

「……こうなったら元を叩くしかなくね? 〔ムラサキカガミ〕の由来? 発生源? が知りたいな」

 

「それは調べた」

 

 

 俺がスマホを取り出し、検索欄に〔ムラサキカガミ〕と打とうとしたところ、立花がすかさず自身のスマホをこちらに向けてくる。設定はネットから拾ってきたようだ。

 

 見れば、由来とされているものは主に二つらしい。

 

 

「えー、あー、なになに。一つは、女の子が両親から貰った大切な鏡に紫の絵の具を塗ったら取れなくなり、これを嘆きながら亡くなったことから。もう一つは、成人式の帰りに女性が事故で亡くなり、遺品から紫色の鏡が出てきたことから」

 

 

 なんだこれ。

 

 前者は完全な自業自得だろ。八つ当たりもいいところだ。ガキの癇癪に付き合うことほど面倒なものもない。

 

 後者にいたってはなんか〔ムラサキカガミ〕の呪いらしさはあるが、原因がさっぱり分からない。持っていたらダメなら分かるが、なんで覚えていたらダメに変わったんだ? それとも別の理由があるのか?

 

 

「……よく分かんないな」

 

「ね」

 

「でもまあ、前者なら対処法は単純だな。つまりはその女の子の怨念パワーってことだろ? その女の子の霊だかが二十歳になった瞬間に襲ってくるんだ。撃退するのが手っ取り早い」

 

「さっきも言ったけど、ムラサキカガミは強いよ」

 

「でもこれが一番の方法だ。取り敢えず盛り塩だとか、塩水だとか、そういう幽霊に効きそうなヤツを用意しよう。そんでゲームしたり本読んだりして〔ムラサキカガミ〕以外のことを考える。上手くいけばそれでいいし、忘れられなかったら戦闘(バトル)だ」

 

 

 現状ではこれがベスト──ではないが、ベターではあるだろう。

 

 

「じゃあ後者なら?」

 

「そっちはサッパリ分かんないなぁ。〔ムラサキカガミ〕を持っていたから死んだのか。死んだ時にその女性の無念が鏡に移ったのか。……あるいは、〔ムラサキカガミ〕という記憶が、死んだ時に呪いとして物体化したものなのか」

 

 

 立花が前者だと確信しているならいいんだが、この感じだと後者よりだよなぁ。とすると、そのうちのどれに寄せるかになる。

 

 楽なのは『〔ムラサキカガミ〕を持っていたから死んだ』だが、立花が納得するにはちょっと浅い。覚えていることと持っていることを繋げる強固な理由付けがいるだろう。

 

 次点は『死んだ時の無念が鏡に移った』か。対処法はガキの癇癪と同じ。頑張って祓うしかない。塩最強伝説を轟かせろ。

 

 最悪なのが『〔ムラサキカガミ〕の呪いが死後に物体化しただけ』のもの。対処法は不明のままだし、どうやって死ぬかも、そもぞの原因も不明のままだ。万事休すといったところ。

 

 

「……立花。お前は〔ムラサキカガミ〕がどういうものだと思う?」

 

 

 うーん、と口元に指をやって悩む様子を見せる立花。

 

 背中にジワリと汗の感覚。チクタクと鳴る秒針がひどく間延びして聞こえる。目の前の少女の唇がいつ開くのかと固唾を飲んで見守る。

 

 立花が口を開け、息を吸う音が聞こえる。気分は競技カルタの選手だ。今なら僅かな子音のニュアンスの違いだけで、どんな札でも取れる気がする。

 

 

「──h」

 

 

 まだ音になっていない声が耳を通り、脳を揺らす。

 

 

「ハイブリッドかなぁ」

 

 

 お手つき一回。

 

 

「……なんの?」

 

「だから、一番目と三番目のハイブリッド」

 

「『持っていたから死んだ』と『呪いが死後物体化した』の?」

 

「うん、そう。呪いの卵。記憶の寄生虫。きっと私は未完成のムラサキカガミを無意識に身につけている」

 

 

 つまり、こういうことだろうか。

 

 〔ムラサキカガミ〕は記憶に寄生し、徐々に育っていく。宿主が二十歳になるとともに成虫になり、宿主の生命を食い破って外界に出る。そして、まるで遺品かのように()()〔ムラサキカガミ〕を見た誰かに、記憶という呪いの卵を植え付ける。

 

 

「多分、ムラサキカガミは『見ること』と『知ること』がセットの呪い。さっき思い出したんだけど、私、昔死んだお母さんが紫色の鏡を持ってたのを見たの」

 

「それマジか。……ん? 母親? それ年齢合わなくないか」

 

 

 二十歳で死んで、立花本人が記憶しているくらいだから、何歳で産んだんだよって話だ。となると、二十歳という前提条件が──違う?

 

 

「うん、その時のお母さんはたしか二十七歳だったから、七年もずれがある」

 

「てことは、なんか防ぐ方法があるのか」

 

 

 発症を七年も遅らせることができる。方法はなんだ? 寄生虫のようなものということは、栄養を与えないようにすれば〔ムラサキカガミ〕は成長しないのか? それか『見る』と『知る』時期の問題か?

 

 だとすると、元の二十歳ぴったりに死ぬというのもおかしな話だ。栄養を摂る期間が大事なら、寄生する時期によって宿主の死期は変わるはず。なのに〔ムラサキカガミ〕は二十歳に呪うという。宿るのが一歳だろうと十九歳だろうと。

 

 

「……──分からん!」

 

 

 ぐしゃりと髪を掻きむしる。

 

 

「分からんから──お前の母親の死因を教えてくれ」

 

 

 不躾なお願いだし、無神経で不謹慎、遺族の傷を開く所業だ。しかし今不足しているのは考察材料。それを手に入れるにはこうする他にない。

 

 立花の目を見る。彼女もまたこちらの目を見つめている。怒ってるんだかどうだか、相変わらずあまり表情に出ないヤツだ。

 

 一秒か二秒か──もしかしたら秒針は動いていないかもしれない。

 

 立花が口を開く。

 

 

「──いいよ」

 

 

 快諾の言葉であった。

 

 

「いいのか?」

 

「別に。もうずっと昔のことだし。日向くんなら、いい」

 

 

 そう言いながらも彼女は少し目を伏せた。そして、静かに語りだした。

 

 

「交通事故、なんだ。私と一緒に信号待ちをしてたの」

 

 

 ……事故。そういえば、遺品に〔ムラサキカガミ〕があった女性も、事故で────。

 

 

「冬で、寒かったのを覚えてる。私が鼻水を垂らしてるのを見て、お母さんがバッグからティッシュを取り出そうとした。その時、困ったように笑ってたお母さんの顔が、凍ったの。青ざめて、固まって──、突然の変化にすごく戸惑った覚えがある。すごく、怖かった」

 

 

 よく聞くと、彼女の声は少し震えていた。悲しいのか、怖いのか。こちらには測れない。自分はエスパーではないから。

 

 

「それで……。それで、車が突っ込んできた。運転手の人、心臓麻痺だったんだって。お母さんと一緒に撥ねられて、でも咄嗟にお母さんが私を庇ってくれていた。私も気を失ったけど、その最中、バッグからこぼれ落ちた紫色の鏡がチラッとだけど見えていた……」

 

「〔ムラサキカガミ〕……」

 

 

 決まりだ。……とまでは確信が持てないが、ある程度の推論は立つ。

 

 恐らくだが、殺しの方法──呪いは、物体化した〔ムラサキカガミ〕が事故を呼び寄せることによるもの。トリガー自体は〔ムラサキカガミ〕を覚えたまま二十歳になることだが、殺害日時はその瞬間ではないということ。

 

 

「──確証はない。けど多分、二十歳になった時に〔ムラサキカガミ〕が成体になり、実体化する。そして、事故を呼び寄せるそれを知らず知らずのうちに身につけ、死ぬ。あるいは、身につけていたことに気づいた瞬間、事故に遭う」

 

 

 流石に七年も気づかなかったとは思えないので、立花の母親のことはもう少しなにかカラクリがありそうだが、それは一旦おいておこう。大事なのは立花の納得だ。

 

 

「立花、今日の荷物は?」

 

「ん、これとこれ」

 

 

 彼女が指差したのは、スマホと財布と化粧ポーチが入るくらいの小さな小さなバッグ。それと、何やら仰々しい白銀のアタッシュケース。

 

 

「……お前の奇行はいつものことだからスルーしてたけど、これなに?」

 

「アタッシュケース」

 

「見りゃわかるよ、それは。中身を聞いてんだよ!」

 

「……ふ、振袖。初詣用の……」

 

「なんでちょっと照れてんだよ」

 

 

 立花は頬に手を当ててクネクネと身体をよじる。というか明日には死にかねないというのに、初詣行く気満々生きる気満々である、この女。

 

 つかアタッシュケースに振袖って……。大事なものだから頑丈なものに入れて持っていた、といったところか。なんというか、こう、すごい。

 

 

「取り敢えず対処をしよう」

 

「具合的にどういう?」

 

 

 首を傾げる立花に対し、ピースサインのように指を二本立てて彼女の前に突き出す。

 

 

「まず一つ。ずっと言ってきてるように、二十歳になる瞬間、つまりは0時を跨ぐ瞬間に〔ムラサキカガミ〕のことを考えていないこと。方法はなんでもいい。お前が熱中できることをしよう」

 

 

 立花が頷くことを確認し、指を一本折る。

 

 

「もう一つ。実体化した〔ムラサキカガミ〕を見ない。そして触れない。日付が変わって瞬間、俺がボディチェックと荷物検査をする。もし〔ムラサキカガミ〕があれば、俺が取り上げる」

 

「……日向くんのえっち」

 

「変なトコは触んねぇーよ!」

 

「そう……。でも大丈夫なの? ムラサキカガミを直接見て、そして触るんでしょ?」

 

「俺は八月に二十歳になってるし、誕生日に〔ムラサキカガミ〕のことなんて考えてないからな。問題ないだろう」

 

 

 それに、こう言ってはなんだが、まだ半信半疑だ。

 

 立花の立場に立って本気で考え、真剣に解決策を模索したが、〔ムラサキカガミ〕の呪いで死ぬってことをマジに信じてはいない。

 

 全く信じていないわけじゃないが、全面的に信じたわけでもない。

 

 嫌な話だが、たまたまこいつの母親が紫色の鏡を持っていただけという可能性だって、まだある。バックの中のナニカだって、一週間前のおにぎりだとか、中で虫が冬眠していたとか、そういう類のこともある。

 

 たらればを言い出せばキリがない。

 

 ただ、立花のことは信じている。

 

 立花が『〔ムラサキカガミ〕で自分は死ぬ』と心の底から思うのなら、自分自身が信じていなくとも、そちらの立場を取ろう。

 

 

「まあ、なんとかなるだろ。さ、立花は好きなことしてろよ。さっさと〔ムラサキカガミ〕のことなんか忘れて、一緒に初詣に行こう」

 

「──。うん……!」

 

 

 手元のスマホをタッチする。ロック画面には神引きしたソシャゲのスクショと、無機質な23:45の数字列。

 

 人間が集中状態に入るまでにかかる時間は約20分と言われている。何年か前に見たネット記事だから、今の研究ではどうなのかは知らない。そもそもあの記事だって嘘かもしれない。

 

 ただ、たしかに体感ではそんなモンだなとも思う。

 

 あと15分で、立花は〔ムラサキカガミ〕を考えないほどの集中状態に入れるのだろうか。特にいまは。考えないようにしようという思いが頭の中を駆け巡っていることだろう。

 

 もっと早くに相談しろよという思いと、自分が長々と対処を考えてたからだという思いがぶつかる。いや、責任なんて考えるのは後にしろ。

 

 

「…………」

 

 

 ノートPCでぷよぷよをし始めた立花を尻目に、目につく荷物を部屋の外に出していく。〔ムラサキカガミ〕が紛れないように、部屋の中を簡素にしていく。できるだけ立花の視界に入らず、また音も立てないように、細心の注意を払って。

 

 ──23:57

 

 果たして、残り3分といったところで部屋は片付いた。

 

立花が座っている座椅子、ローテーブル、ノートPCと、ヘッドホンなんかの周辺機器だけ。ベッドも、枕や掛け布団は回収し、クローゼットは閉め切ってガムテープで封をしている。引っ越した当初のような姿だ。

 

 腕時計の秒針と、マウスとキーボード。それらの音だけが伽藍堂の室内に響く。

 

 本当は部屋の隅に盛り塩もしたかったんだが、リビングを通ってキッチンまで行くとなると、流石に同居人に気づかれるので断念した。ソファで寝る迷惑なヤツがいるんだこれが。

 

 チクタク。チクタク。刻は進む。

 

 ──23:58

 

 相手のテトリスプレイヤーは中々に上手いようで、対戦は思いの外長引いている。このままあと2分ほど凌いでほしいものだ。

 

 ──23:59

 

 あ。

 

 と声を出しそうになり、とっさに手で口を押さえた。立花はヘッドホンをしているから聞こえないだろうが、万が一にも聞こえ、それで意識が乱れてはいけない。

 

 どうも、後ろからはイマイチよく分からないが、連鎖がいくつも繋がっていってるように見える。ぱっと見では15〜17連鎖くらいだろうか。

 

 言葉が出そうになったのはこのためだ。

 

 連鎖中、操作は基本受け付けない。その間、相手の積み方だったり、その後のことを考えるものだろうが……もし、勝ちを確信したならどうだろうか。

 

 これは立花が言うところの、リラックスの瞬間、息継ぎの時間ではなかろうか。

 

 カチリ。

 

 秒針が天辺を指す。

 

 長針が天辺を指す。

 

 短針が天辺を指す。

 

 ──00:00

 

 一月一日が、訪れた。

 

 『やった!』   『ばたんきゅー』

 

 ゲームの画面は立花の勝利を告げる。

 

 では、現実での勝敗はどうか……?

 

 

「立花……?」

 

 

 肩へぽんと手を置く。一瞬ビクッと震え、彼女はヘッドホンをゆっくりと外した。

 

 立花はそうした後、しばらくこちらを振り向くこともせずに、ゲーム画面を眺め続けていた。

 

 そして、秒針が真下を指したくらいで、ようやく喋り始めた。

 

 

「日向くん……。私、ちょっとわかんないや」

 

「わかんないって、つまり?」

 

「最後の試合の時。そう、私が最後にぷよを落として連鎖が始まった時。ふと──、パソコンの右下の、時刻に目がいったの」

 

 

 なんだか、イヤな予感がする。

 

 

「……考えちゃってた、かも……」

 

「…………そうか」

 

 

 我ながら、なんとか絞り出したような掠れた声だった。こんな状況だっていうのに──いや、だからこそか。なんだか妙に笑えてくる。虚勢か、それとも……。

 

 

「──……じゃあ、〔ムラサキカガミ〕があれば取り上げるから、立って手ぇ伸ばして。別に変なトコ触るつもりもないけど、嫌だったら言って」

 

「うん……」

 

 

 パーカーのポケット、フードの中。ズボンのポケットにもない。座椅子の下もなし。クローゼットは閉じっぱなしで良し。

 

 室内にはない。

 

 

「前だけ見てろ。視線は動かさないで、そのまま。お前自身も動くなよ。俺は廊下に出した荷物を見てくるから」

 

「わかった」

 

 

 退室し、廊下に出る。

 

 枕。叩いて、踏んづけるも、固い感触はない。

 

 布団。枕に同じく、異常なし。

 

 立花のバッグ。中にはスマホ、財布、化粧ポーチ、ハンカチ、ティッシュ、モバイルバッテリーなどなど。化粧ポーチの中も見たが、入っている手鏡は普通のものだった。

 

 ……一応、これは念のため預かっておく。

 

 アタッシュケース。申告通り、振袖が入っていた。崩さないように慎重に調査するも、異常はない。

 

 その他、雑貨類も調べるが、どれも異常はなかった。

 

 

「……わっかんねぇなぁ」

 

 

 漏れる独り言。

 

 もちろん、無いなら無いで、所詮はオカルトだと切り捨ててもいいのだが、この段階まで行ってしまったのだから流石に不安になる。半信半疑というように、文字通り半分は信じているのだから。

 

 ひとつ、深呼吸をする。立花を安心させるために、出来るだけ明るい調子で話しかけられるように喉の調子を整える。

 

 ドアを開け、立ったままの立花に話しかける。

 

 

「────」

 

 

 話しかけようとした。

 

 〔ムラサキカガミ〕は見つからなかったよ。もしかしたら考えたかも、なんでしょ。大丈夫だったってことだよ。

 

 そんな具合のことを喋るつもりであった。

 

 が──、ある一点を見て、身体全体が硬直した。

 

 立花のフード。

 

 さっき見た、フードの中。

 

 黒々とした漆塗りのナニカ。

 

 美しい螺鈿(らでん)で飾られたナニカ。

 

 異界めいた紫の色を映すナニカ。

 

 ナニカ。ナニカ。ナニカ。ナニカ。ナニカ。

 

 ナニカ?

 

 否──、鏡だ。

 

 いかにも高級(たか)そうな美麗な手鏡。しかし反して鏡面の禍々しさよ。幽世(かくりよ)の世界を映していると言われても不思議にも思わない。

 

 亀甲柄の紋様が浮き上がっては消え、浮き上がっては消え、を繰り返す。ゆらりゆらりと淡く仄かな燐光を吐き出している。

 

 それに、何秒か視線が釘付けになった。

 

 

「……日向くん?」

 

 

 立花が不審がってこちらを訊ねてくる。

 

 

「立花────」

 

 

 不安がらせないように、しかし危険が迫っているとはっきりと伝わるように、動かないように指示を出すつもりであった。

 

 

「あ、うん。もう動いて大丈夫なんだ。わかった」

 

「────は?」

 

 

 だが、立花はまるで別の誰かの指示を受けたかのように、動こうとしたのである。

 

 止める間もなく、立花はこちらを振り返る。その行動で、フードの中の手鏡がバランスを崩して落下した。〔ムラサキカガミ〕が、音を立てて立花の足下に転がった。

 

 カタンと、薄いカーペットを敷いたフローリングの床が音を立てる。

 

 自分には、それが下卑た嗤い声に聞こえてならなかった。

 

 

「え?」

 

 

 足下の()()を目にして、立花が声を漏らす。

 

 瞬間、部屋の電気が消えた。明るい空間に慣れた目にとって、もはや真っ暗闇と変わらない。

 

 ──死因は、事故。

 

 この暗闇で想像のできる事故とは、一体なんだろうか。よくあるものとしては、転倒して頭を打ち……ってやつ。

 

 

「きゃっ!」

 

 ────ガシャン!

 

 パリン。

 

 立花の声と、何かを巻き込んで倒れる音。それとガラスの割れる音。

 

 

「立花!」

 

 

 返事はない。

 

 代わりに、ツンとする鉄の匂いがした。

 

 

「おい、立花ッ!」

 

 

 またも返答はない。

 

 探すために一歩踏み出して、途端に電気が戻り、明かりがついた。

 

 そこには────、

 

 

「……立花、暗い中で動いたら危ないだろ……」

 

「──キュウ……」

 

 

 床に顔面から衝突して、鼻血を垂らしながら気を失っている立花の姿があった。

 

 彼女の足元には有線マウスのコードが絡まっており、それに足を引っ掛けて転んだというのが見てとれる。

 

 チラリと、床に転がる手鏡に目を向ける。

 

 紫色の鏡面には()()が走っており、美しかった(こしらえ)はところどころに()()()()()()()が入っていた。もはや見る影もない。

 

 

「──亀甲の模様にどんな意味があるか知ってるかい?」

 

 

 ここにいるであろうダレカに語りかけるように俺は言葉を紡ぐ。

 

 

「主には長寿。亀は万年ってな。長生きの象徴なんだ。あとは魔除け。亀は固い甲羅で自分の身を守るだろ。そこから悪いものから身を守るシンボルとなったんだ。──どうだ、お前対策にピッタリじゃないか?」

 

 

 未練たらしく燻っている紫色の瘴気が、だんだんと解けて消えていく。

 

 それを尻目に、ポケットティッシュで立花の鼻血を拭いてやる。

 

 

「立花のフードにいたお前を見たとき、マジで存在するのかと驚愕して恐怖するとともに、安心したんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()ってな。だからついアホみたいに眺めちまった」

 

 

 瘴気はブルブルと震えている。エスパーではないのでこいつの心象は測りかねるが、おそらく怒り狂っているのだろう。

 

 

「昔ながらの妖怪とかに比べて、お前らみたいなオカルト連中は対応が難しいからな。勘弁してくれって思ったよ。でもまあ──雑魚で助かったわ」

 

 

 俺の言葉を受けて瘴気が収縮する。ぐるぐると渦を巻き、禍を撒く。

 

 途端、一点の穴から噴き出すようにして俺に向かってきた。大きく力を削がれた状態とはいえ、食らえば侵されるのは確実だ。

 

 食らえば、だが。

 

 

「〔ムラサキカガミ〕」

 

 

 名を唱える。

 

 瞬間、ソレらは失速し、霧散した。

 

 瘴気から確かな動揺が感じ取れる。もはやビー玉くらいのサイズしか残っていないソレが、みっともなく喘いでいる。

 

 

「今まで何回呼んだと思ってんだ。もう雁字搦めだよ。いや、この場合亀甲縛りのほうが適切な表現になるのかな」

 

 

 ……なんか亀甲縛りだとエロい意味に取られるかな。

 

 別にそっち方面でだけ使われる言葉でもないけど、でも昨今ではそっちの意味でしか使われてないようにも思う。

 

 

「……訂正。亀甲括弧(きっこうかっこ)──ならぬ亀甲槨呼(きっこうかっこ)、とでも呼ぼうか」

 

 

 そう言ったがすぐ、最後に短く悲鳴をあげて瘴気は消滅した。

 

 後に残ったのは、亀裂だらけの見窄らしい手鏡の残骸だけだった。

 

 

 

  ◇

 

 

 

 カラン。コロン。

 

 石畳を打つ下駄の乾いた音が通りに木霊する。

 

 振り返れば、そこには一人の少女の姿。

 

 彼女は振袖を揺らしながら、まだ薄暗い元旦の空気に白い吐息を振りまいている。童女のようなその姿は、とても二十歳とは思えない。

 

 こんなに寒いというのによく平気なものだ。

 

 コートだけでなくネックウォーマーや手袋も必要だったと思い知らされたのは、家から出てほどなくしてのことだった。神社で並んでいた時も、ずっとコートのポケットに手を突っ込んで首をすくめていた。

 

 それがようやっと帰って炬燵で暖まれる。そう思うと歩みも速くなるというものだ。

 

 

「おーい、早く帰ろう。寒いんだ」

 

 

 ゆっくりと、遊ぶようにして進む立花に訴える。すると、彼女は不満そうな顔をしてこちらを向けてくる。

 

 

「せっかく振袖着たのに……。もっと色んなトコ回ろ?」

 

「初詣以外に回るところなんてあるのかよ」

 

「八代公園行こう。冬咲の椿がいくつかあるみたい」

 

「……わかった。いいよ、行くよ」

 

 

 まあ、せっかく助かったわけだし、浮かれる気持ちも分からんでもない。付き合ってやるとしよう。

 

 ふふん、と得意げに鼻を鳴らして、立花は左の路地に入っていく。近道だが、狭い道だから振袖が汚れてしまわないかが心配だ。

 

 大人しく着いていくと、その狭い通路の先からは日光が差し込こんでおり、眠気の残る目を突き刺してきた。不思議だ不快ではないのは、目の前を行く立花の姿を鮮やかに照らしてくれているからだろうか。

 

 

「そういえば、結局ムラサキカガミってなんだったの?」

 

「……さてね。所詮はオカルト、都市伝説だ。真面目に取り合うほうがアホなんだよ」

 

「ふーん。まあ、確かに()()()()()()()()()()()()()()しね」

 

「そうだな。勝手に焦って転んで気絶して鼻血出したヤツはいたけどな」

 

「むむ!」

 

 

 路地を抜ける。出たのは比較的大きな通りだが、車ははあまり走っていない。道行く人の方が多いくらいだ。

 

 いま車は来てないが、律儀に赤信号の前で待つ。

 

 車道側の信号が黄色に変わった時、慌てたような一台の車が通り過ぎていった。白のセダン。すれ違う瞬間に運転手の横顔が見えたが、えらく焦っていた。うんこでも漏れそうだったのだろうか。

 

 

「……じゃあ、お母さんが事故で死んだのは、偶然だったのかな」

 

 

 ポツリと立花が呟く。

 

 横顔を盗み見るが、どういう感情なのかは読み取れなかった。なんて言えばいいか分からない。

 

 『そうだよ偶然だよ』

 『違うよ〔ムラサキカガミ〕のせいだよ』 

 

 どちらもダメな気がする。

 

 本当にエスパーだったら良かったのに、なんて思ってしまう。

 

 

「……困らせちゃったね。ごめん」

 

 

 黙ってしまったのに気付いたのか、立花が謝ってくる。彼女が謝る必要なんてないのに。こちらがそうさせたようでなんだか申し訳ない。

 

 

「ほら、青になったよ。行こ?」

 

「……そうだな」

 

 

 それ以降、無言だった。

 

 無言まま歩いて、無言のまま八代公園まで辿り着いてしまった。

 

 真っ赤な椿が咲いている。深緑の葉に、赤い花弁、黄色のやくのコントラストが映えて綺麗だ。

 

 

「……あれ」

 

 

 ついに溢れた言葉。それは立花のぽやんとした声。

 

 彼女の方を見て、釣られるように彼女の視線の先に目を向ける。

 

 鳥居があった。小さな、石の鳥居だ。奥にはそれまた小さな祠だけがある。何も書かれていないからなんの神様を祀っているのも分からない。

 

 

「こんなところにあったっけ」

 

「……まあ、地味で目立たないしな。今まで気づいてなくてもおかしくない」

 

 

 立花は天然だから、とくに。とは口に出さなかった。

 

 

「お参りって複数しても大丈夫?」

 

「別に問題はないけど。でもここ、何神社か分からんよ」

 

「大事なのは真心だから」

 

 

 そうかなぁ。なんの神様かは結構、というか一番大事だと思うが。

 

 軽くお辞儀をしてから、立花は鳥居をくぐる。二礼二拍して、深く一礼する。名も知れぬ神に随分と長く祈るものだ。

 

 まあ、ある意味ではこれも信仰のかたちか。道行く人が行く道にある祠や地蔵なんかに手を合わせる。

 

 あ。

 

 

「そんなに拝んでも意味ないぞ、ここ」

 

「? なんで?」

 

 

 最後の一礼をしようとしていた立花に声をかける。彼女は目線だけをこちらへやって訊ねてくる。

 

 

「道祖神だ」

 

「どーそしん?」

 

「道の神様、かな。村の守り神みたいな立ち位置で、悪いものが村に入らないようにという意味合いが強い。地域単位に根差したものだから、個人的に何か願ったって叶わないんだ」

 

「ふーん」

 

 

 気のない返事をして、彼女は一礼する。回れ右して鳥居をくぐり、また軽く祠に向かって一礼した。

 

 そして、こちらへ顔を向けて柔らかく微笑む。

 

 

「個人的なお願いじゃないから大丈夫だよ」

 

「どういうお願い?」

 

「──交通事故が減りますように」

 

「……近年だと、道の神様ってことから転じて、交通安全の神様だともされてるから、それは叶うかもな」

 

「そ? なら良かった」

 

 

 カランと上機嫌に下駄が鳴る。立花がそう鳴らしたのか、それともここの道祖神が肯定の意味合いを伝えるために、鳴るように仕向けたのか。

 

 なんとなく、どっちもな気もする。

 

 

「さ、帰って炬燵で暖まろう。姉貴がミカンを大量に貰ってきてな、立花も食べるの手伝ってくれ」

 

「うん、そうだね。そうする。帰ろっか」

 

 

 さっきまでの謎の気まずさはすでになく、帰り道では立花と自然に話をすることができた。それこそ、取り留めもない話を。

 

 新春の寒さなど感じないほど、あっという間に家まで辿り着いた。

 

 

「先に上がってて。マロの餌だけやってくるから」

 

「うん、リビングで待ってるね」

 

 

 立花と別れ、玄関に置いてあるカリカリを持って庭に回る。木製の小屋と丸い黒い塊が目に入った。

 

 

「マロ」

 

 

 名を呼べば、黒い塊からピョコっと耳と尻尾が生える。巨大な黒豆がもぞもぞと動き、足にじゃれついてくる。

 

 マロは麻呂眉が特徴の、黒の柴犬だ。

 

 尻尾が揺れる。舌が揺れる。首輪代わりのしめ縄が揺れる。

 

 

「なんとなくお前に似たニオイがあったから、気にはなってたんだよな」

 

「──ワン!」

 

 

 ドッグフードを頬張るマロを撫でながら呟く。

 

 先の道祖神。あれもマロに似たニオイがあった。だから道祖神だと気付いたと言える。

 

 

「……なるほど、七つまでは神のうち、か」

 

 

 十九で妊娠。二十で出産して、二十七の正月にはただの子供になる。加護も守護も消える。

 

 立花の母親は、果たして運が良かったのか、悪かったのか。

 

 俺には分からない。

 

 カリカリを完食し、また丸くなって眠りだしたマロ。その様子を、相変わらず怠惰だなー、なんて思いながら玄関へ戻る。

 

 冷たい指先と耳を癒すべく、暖かなリビングへと向かう。

 

 

「うーん、いいねぇ! 可愛いよ! 立花ちゃん! よぉーし今度は違うポーズで行こっか!」

 

「は、はい!」

 

「……」

 

 

 そこでは、姉貴による立花の撮影会が行われていた。きゃあきゃあと姦しいが、このくらい賑やかな方がいい。姉貴のテンションには、少々呆れてしまったが。

 

 恐ろしい思いも、悲しい思いも、めでたい新年には相応しくない。

 

 立花を見やる。

 

 戸惑いつつも笑顔で撮影を楽しんでいる。

 

 そんな彼女を見ていて、ふと、言うべき言葉を言っていないことを思い出した。

 

 

「立花」

 

 

 名前を呼ぶ。

 

 振り返る振袖の君。

 

 牡丹の咲く亀甲文様の赤い振袖と、濡烏の艶やかな髪が揺れる。

 

 

「言い忘れてた。誕生日おめでとう。それと、明けましておめでとう」

 

「──! ……ありがとう。あと、明けましておめでとう!」

 

 

 花が咲く。

 

 今日、俺は三つの華を見た。

 

 一つ目は振袖の牡丹。二つ目は八代公園の椿。

 

 三つ目は、立花の満面の笑み。

 

 どくんと心臓が高鳴った。それを、努めて気づかないフリをする。姉貴のニヤついた顔も気づかないフリをする。

 

 まあ、なにはともあれ、これにて一件落着ということで。

 

 

 

 

 





登場人物紹介


日向 日向(ひゅうが ひなた)

 主人公その一。エスパーでないが、神通力を扱える大学生。ヒトの認識によって変容していくオカルトの類が苦手。というか嫌い。洒落怖が流行った時期はキレ散らかしていた。


立花 立花(たちばな りっか)

 主人公その二。神稚児。現人神。現在はその力のほとんどを失い、ただの大学生をしている。寿命以外で死ぬと世界の方も滅ぶ。日向の持つ力については知らないが、エスパーだと確信している。


・日向姉

 日向のお姉ちゃん。強力な神通力を扱える素質があるが、本人はそのことに気付いていない。可愛いものが好き。


・マロ

 柴犬。日向の信仰する神様の使い……ではない。ある日お姉ちゃんが拾ってきた。どこの神使なのかは不明。


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