遠野物語を参考に書きました。
へくしょん。
どうやらくしゃみが出たらしい。今日は正月なわけだがどうして私が外に出ているのか。
ツケである。都会の方では物を買うたびに金を払うが、こうも田舎だとそういう訳ではなく、ツケを月末に払うという形式なのである。話を戻そう、ツケである。ツケとは悪いものでそれを払い終えると手元に残る銭はたかが知れている。
そして、ここでツケの支払いが出来ないとそれは1刻以内にここ近辺にその噂が広がり、物を売る事を渋ってくる。
即ち村八分である。よって計画的に月末に間に合うようにお金を貯める必要があったのである。
へっくしょん。
おっと、また話がずれていたようだ。まあ、職業病だからしょうがないのかもしれない。それは兎も角、それによって今の私の懐は空っぽである。生業に副業までやっていてこれだからどうしようもない。
そして、今日は一月二日である。私の予想では、飲兵衛どもは昨日の内に家中の酒を飲み尽くし女房に酒を買うように言う頃だと思う。つまり、今日この日に甘酒を売れば儲かると踏んだのである。
次いでに御噺をもしてやるのである。
市場についてみると思いの他賑わっている。それに知らない顔も多い。
即ち絶好の商売チャンスであるのである。
さて、まずやらなければいけないことがある。神社の神主に"献金"をすることである。献金をしないとどうなるか恐らく分かると思うが、当然、異物は排除される。
これで説明は十分であろう。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」
勿論、献金を同時に手渡す事を忘れない。
「おめでとう。今年も頑張ってね。」
そう言って老人ーこの辺り一帯で一番の金持ちであるのだがーは札を渡して来る。
この札を持っていれば商いを咎められることは無い。
「ところで最近調子は如何かな?」
商いに行こうと口から別れの言葉を紡ごうとした瞬間にこれだ。この爺さんの世話焼き、というより自己利益に対する姿勢を私は失念していたようだ。
「まあ、ぼちぼちです。皆さんのご厚意もあって何とかやって行けてます。」
大方、身を固めろとでも言ってくるのだろう、先回りしてやろうと思って放った。
「まあまあ、老人の話は聞いておくべきだと思うのだよ。」
その時の老人の瞳の色に私は一瞬、思考と目を釘付けられてしまった。
心の底から私のことを心配しているように見えてしまったのである。
「君はもう少し人を頼ったほうがいい。」
「自立という言葉の意味を履き違えている様に思えるのだよ。自立とは他者に全く頼らないことではない。」
「自立とは依存を分散させることだ。」
その言葉のみが頭からこびりついて取れなかった。
そして気づいたら商いを始めていた。自分でもここまで思考を丸裸にされたことがなかったからなのか、形容しがたい感情が落ちてくる。
それはまるで76年おきに来る凶星のようだった。
しかし、あのようなことを言われはしたものの、私としては目の前の問題を優先せざるを得ないのである。即ち商いである。
地面にゴザを引き、一生懸命造り、運んだ品物を置き、登りは無いので声で勝負する。勿論、場所は
「甘酒は要らんかねー」
客は沢山いるが、世の中同じ考えを持った人は多くいるのである、その為、
「そこのお姉さん、甘酒は要らんかねー」
こうやって相手を呼び止めて丁寧に買ってもらうのである。
「…。」
見知らぬ顔であった為か眉を潜めて無視されてしまった。
しかし、客でなければ神でないので気にせず次の客に目を向ける。
「甘酒は要らんかねー?」
気づくと夕暮れとなってきた。甘酒はすべて売り切れ、懐は久方ぶりに温かくなった。
そろそろ撤収準備にかかり始める。のぼりを回収し、ゴザを巻き、軽くなった壺を背中に背負い、家路に
「あ、忘れてた。」
御噺をしてやる必要があったのである。
「ちょっとそこのお兄さん、いい御噺があるんだけれど聞いていかない?」
笑顔を造り客に提案をする。
「ほう、ちょっとそれは気になるなあ。」
「先に御噺を聞いて、後から値段をつけてくれれば良いからさ。」
こうして譲歩をしてやれば大体の人は噺を聞いてくれる。
勿論とんでもないケチであればどうしようも無いが、私の勘はそのとんでもないケチの特徴を示していなかった。
多分端金くらいは分取れるだろうと踏んで、
「今は昔、とある男とその娘がおりましたとさ。男は生活の困窮に耐えられず、ある夜、幼い娘を山に捨ててくることとしてしまいましたとさ。しかし幼い娘を捨ててすぐ後、それに後悔することとなりました。
彼は、最も重要なことを見失っていたのです。しかし、彼女を捨てた場所に戻ると娘は既に消えていました。
彼は、目を赤く染め、獣の様に娘を探し回りましたがいませんでしたとさ。
その後、呆然とする彼に『声』は語りかけましたとさ、『娘を望むならば対価を出せ。』と。」
一呼吸を置いて続ける。同時に表情も哀色を加える。
「その後に残ったものは幼い娘だけだったとの事です。」
まるで自分の経験であるかの様に話すことで客からお金を頂き、常連さんにはもっと明るい昔話ーこの地域に存在していたものだがーを伝えてやるのである。
「いや、素晴らしい話だったよ。」
男は純粋な賞賛を言葉に乗せて紡いだ。
「しかし、知ってるかい?」
魔を語ることは魔を呼ぶことにつながるのだ。
その瞬間、私は世界から隔絶されたかのような感覚を覚えた。あの賑やかな市場は何処に行ったのか、明かりはもうなく、一寸、いやそれよりも近いところでさえ見えなくなるような暗黒が世界を覆った。
「嘘も塗り重ねれば真実となる。」
試してみないか?と言外に言っているようであった。
そしてその腕が私の首を掴みー声が聞こえた。
「お客さん、何をしてるのです?」
あの爺の声であった。
「いや、何でもないさ。」
先ほどまでの態度は何処に消えたのか、今は無害な雰囲気を出していた。
「ならいいのですが、」
市の中でそんなことをするなと彼は、言外に語っていた。それも雄弁に。
「では、買うものもあるしこれで失礼するよ。お代はこれね。」
男は足早に去っていった。
爺は呆れるような慈しむような目で私を見ていた。
そして一言言った。
「気をつけなさい。」
その言葉は強大な魔力を持って私と言う惑星の軌道を捻じ曲げた。
その正月は私に取って新世界の入り口となった。