とある川の畔に男が一人、立っていた。
 きらびやかな屋台が並び、賑わいを見せる中、周囲から浮きまくっている男が奇妙な奇跡を起こして動き出す時。
 順調に回っていた歯車が少しずつ狂っていく。
 それは男自身だけではなく───。

 これは届かないとわかりきった星を望み、ついには掴んだ男と時々弟の前日談……かもしれない。



※タグは私の別作品『ようキャ』の主人公の背景が多少関係しているからです。

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死後の旅(仮)

 

 広く……ただひたすらに広い川。

 向こう岸すら見えないものの、微かに流れが確認できるので川は川だろう。また河原を見れば、縁日でもやっているかのような屋台や謎に石を積み上げている子鬼っぽい存在もある。浮遊しているくせに、船頭のいる小舟に乗り込んでいく人魂的なナニかもいる。明らかに人型の飛行生物まで遠くに視認可能だ。

 どれを取って見ても、明らかに尋常な光景ではない。

 そんな川の畔にスーツ姿の男が一人で佇んでいた。

 

「これが噂に聞く三途の川というやつか」

 

 出勤途中、駅の階段に突如として出現した真っ暗闇の裂け目に足を踏み入れ───しばらく浮遊感を楽しみ、落ちた先がここだったのだ。飛躍してはいても、男がそう思うのも無理はないだろう。

 

「ということは俺は死んだのか。なるほど。死人…いや幽霊デビューというやつだな。

……ふむ。死んだと言うなら、あの飛行生物や人魂っぽいのみたいな飛行能力も付与されたのだろうか。やってみよう」

 

 ここがあの世だと“思い込めば”なんということはない。空を飛んでみたいという願望に辿り着くのも当然の帰結といえる。

 結果、とある川の畔に、見よう見真似で空に羽ばたこうとする成人男性が誕生した。

 

「くっ……! 何故だ、何故飛べない。呪文詠唱やイメージ、宣言が必要なのか? それなら───トブルーラ! 武空術! 持ってないけどシリコプター!」

「あの、お前さん」

「なんだ、アイ・キャン・フライ! 後にしてくれ、飛行術式! 俺は現在忙しい、エアウィング!(全て誤字にあらず)」

 

 試行錯誤を繰り返し、両腕を羽ばたかせたり、飛べそうな魔法名や道具を叫び続ける男に、船頭が話しかけてきていた。だが、もちろん男に話す余裕などない。いくつになっても空を自由に飛びたいのは、22世紀の猫型ロボットを知る者共通の夢だからだ。

 そして自分が死んだからには、あの世的な場所に連れて行かれるだろうから猶予は少ない。それまでに飛行しておかなくては死んでも死にきれない。

 男にとって生身での飛行は、『死んだら』したいことリストの中でも上位に君臨するのである。

 

「いや、生身で空を飛ぶのは普通の人間には不可能───」

 

 そうして好奇の目で見守られながら努力すること約5分。

 ついにいたたまれなくなってきた船頭から真実が語られようとした次の瞬間───奇跡が起きた。

 

「か~め~は~め~」

 

 虚仮の一念岩をも通す、とでも言おうか。もしくは、男の願望と欲望が果てしなく強い証明になったのか。

 

「波ァああああっ!!!」

 

 もういっそロケット飛行でもいいやと妥協した男が、逆かめはめ波を放ったのだ!

 

 当然のことながら、「波」もビームも現出しなかった。男はただの現役サラリーマンなので残当と言える。……が、何らかの法則が合致してしまったのか、上位存在的なナニかから信じる心が本物だと認められたのか、あるいは他の理由か。

 何故か男は宙に浮かぶことを可能とする新人類へと至っていた。

 

「ウッソぉ!!? え、人間だよね!? って……え? なんでアレで飛べるの!?」

 

 騒ぐ船頭をよそに、一先ずは飛行の感覚を確かめる男。

 上昇下降、左右への旋回、急加速、急停止、バレルロール、空中ガイナ立ち、正座・結跏趺坐、カッコいいポーズ、スーパーヒーロー着地。と、次々に願望を叶えていく。30過ぎの男がイイ笑顔で。

 

「気軽に物理法則を超越しないで!? ていうか、なにやってんの、あんたっ!?」

 

 一通り試して気が済んだ男は、いつものように胸ポケットに入れていたLUCKY STRIKEを1本取り出して火をつけ、空で満足げに笑う。

 そしてようやく船頭に目を向け、自分では最高にニヒルでゴキゲンだと思っている笑みで礼を告げた。よく見たら、船頭が思いのほか赤毛の可愛い系女子でカッコつけたくなったのだ。

 更には、死んでから会話や一服を楽しめるとは思っていなかった。付き合ってくれた船頭に感謝しつつ、煙草の煙を美味そうに吐き出して男は宣う。

 

「うむ、わからん。わからんがー……飛べたんならいいや。空で一服したら閻魔様とかのとこ行ってみるよ。色々世話に…なってない気もするけど、ありがとうございます」

「軽っ! い、いや待って! お前さん、多分死んでな───待てって言ってるだろう!? 聞いておくれよ!」

 

 すると、男のカッコ良さに絆されたのか優しく注意事項を告げられた(多分)ので、男はマナーは守ると明言しておくことにした。

 

「大丈夫。きちんと携帯灰皿は所持している。川にポイ捨てなんてしないから安心してくれ」

「ちっがぁあああうっ!! そんなこと聞いてないんだよォ!!」

 

 どういう理由か取り乱す船頭に男は答える。

 

「わかっている。全俺議会一致で承認を出した行動だ。俺に異議はない」

「勝手にわけのわからない承認を出すなっ! 異議を出せ!」

「問題ない。ではそろそろ行くぞ。世話になった」

「バッ、バカヤロウ!! 私が怒られるんだよ! 持ち場を離れられないってのにイレギュラー発生……ああっ、話を聞け!? 待てってば!!」

 

 やけにデカい鎌を持った『船頭』に暖かな声援を送られつつ見送られ、男はどこへともなく飛び立っていく。

 先程の練習によって要領を掴んでいたらしい。成人男性がするには些か恥ずかしいかめはめ波を放つまでもなく、自然に飛翔していた。

 

「一つ助言しておこう。

 バカという言葉は相手を批難する語彙力を持たない知性の低い存在が使う言葉だ。使用はなるべく控えることをオススメする」

「よっ、余計なお世話だっ!! こんのバカヤ…ボケナスがぁーー!!!」

 

 最後に一言残して。

 律儀にも助言を参考に言い換えた船頭の叫びは、賑わう河原に空しく響き渡るのみである。

 男に話をする気が全くなかったからだ。そして舟に乗る順番待ちをする気も毛頭なかった。いかに可愛い美少女船頭とはいえ、面倒だったのだ。

 この男の目的地は……今はまだない。

 

 

 

 このあっさり自分の死()を受け入れた男の名前は、左京星望(さきょう せいぼう)。

 何気に呼びにくく書きにくいゆえに、最近仕事を辞め、それが原因で共に両親と縁を切られた弟からは、大抵『星』とだけ呼ばれていた。逆に弟の呼び名は『月』である。

 本来の名前の由来は、T大学の建学の精神にある「若き日に汝の希望を星につなげ」の希望と星を結んで名付けられたものに因んでいる……らしいと親からは聞いている。しかし弟の名前前半に付く「夢」という言葉の反対語が「絶望」である点から、人に聞かれると星はこちらを説明することもあった。本人なりの自虐ネタである。

 その星は、向こう岸が見えないほどの広大な川をひとっ飛びする快感に酔いしれながら独りごちた。

 

「なかなか気持ちいいな。これなら死ぬのも悪くない」

 

 かなり温度が高く濃い霧のために快適さや展望は微妙と言えるが、それでも空を飛ぶ夢を叶えた星には最高の気分。

 ちょっと自分に向かって空中突進してくる人魂っぽいのがいたり、何かを放ってきたり、投げつけてくる飛行生物がいるので、ゆっくり観光はできそうにないものの、いずれも回避して気にしなければどうということはない精神で直進するだけだった。

 

 そうしてしばらく進んでいると、霧が晴れ、見晴らしの良さそうな岩石地帯が見えてくる。

 体感時間で川の畔から約2時間は経っていた。疲れてはいなかった星だが、腹が空いてきたので岩山の中腹にぽつんと立つ茶屋、岩くつき(いわくつき? 何気に店名が洒落ている)で一休みすることにした。近くまで来ると湯気や温泉マークの旗が目視できたので、あわよくばまったりできるかもしれない、と。

 勿論、何故こんな場所にこんなモノが建っているか、星は考えていない。ただのノリである。

 

「お邪魔します。オススメの飯と風呂を頼めますか?」

「……生きた人間?」

 

 ノリと勢いのまま、大鉈を振るって大きな魚?を捌いていた大鬼のような存在に声をかける星。ニョッキり生える大きな角といい、星の2~3倍はありそうな体格といい、全てのサイズが狂って見える。

 ただ昔に見たマグロ解体ショーのようだと思い、恐怖や警戒心がどこかへ行ってしまったのだ。まぁ、ちょっと角とかも生えてるけど、会話可能なことから考えるに問題はないだろう、と。

 

「いえーす。あ、忘れてた。通貨って円で大丈夫? カード以外、ドルの持ち合わせは少なめでさ」

「カードにドル……? なんのことかわからないけど、カネを持ってるなら多分全部使えるよ。ここはカネに宿る『欲望』や『縁』が対価なんでね」

 

 話してみると、重低音な声以外は見た目に似合わず、意外と気安く返す大鬼だ。インテリジェンスも感じる。

 だから星は安心して注文を出してみた。

 

「へぇ~。地獄の沙汰も金次第ってこのことか。

 じゃあ支払いは大丈夫ってことで、何か食い物と風呂をお願いします。お腹空いてきたし、まずは飯かな」

「…………あいよ。中に入って少し待ってな」

 

 1人で切り盛りしているのか、誰かを呼ぶでもなく星を席に案内すると奥へと引っ込んでいった。

 おおらかっぽいし、呼ぶことがあるかもしれないから彼?彼女?のことは店主と呼称しようと星は勝手に決める。

 

 少し待ち時間ができたので何気なしに外を見ると、列をなして白いナニかが大きな山へと登っていく幻想的な光景が見えた。ただ遠目ではあったが、それに星はどこか既視感を覚え…考え込んでしまった。

 地形だけなら過去に水爆モドキのウラニウム実験が行われた、マーシャル群島のビキニ環礁を物凄く大きくしたようなモノで見覚えがあるかな? という程度。これを連想したのは、モクモクと各所から上がり続ける噴煙や白っぽい飛行物体が原因だろう。

 しかしそうした知識とは別の……なんというか不思議と言い知れぬ予感を感じていた。

 どれくらいそうして考え込んでいたのか、料理を持った店主が戻ってきたあたりで星が我に返る。

 

「それにしても、こんな広大な川のど真ん中に聳え立つ岩山になんで温泉が? お湯はともかく、熱源とかどうなってるんです?」

 

 特に理由なく、考えていた内容とは違う質問をする星。

 

「ここは『地獄の釜』の余熱を利用した温泉さ。ほら、あっちに見えるだろ? もうもうと立つ湯気が」

「ああ! ここに来るまでの濃い霧はあれだったのか!」

 

 中央に見上げても頂上が見えないほどの大きな山。先程は噴煙と仮称した大量の湯気っぽいのものが、山頂方面から滑り落ちてきている。さらにその周りを現在の星がいる小さめの山脈が囲んでおり、湯気はところどころにある山脈の切れ目から外側の川へと流れ出しているようだ。

 また麓の方には赤く見える場所も点在している。おそらく溶岩だろう。そこからも吹き出す熱で、このあたりは暑いくらいの気温に濃い霧、気流が入り乱れて強風吹き荒れる地帯になっていると思われる。

 どうもこれらが、川の一面を覆う霧の正体だったようだ。

 

「風速も、一部では秒速60メートルを超えるから気をつけな」

「鎮まりたまえ! さぞ名のある山だとお見受けするが、何故そうも荒ぶるのか?」

「アシ○カか、おのれは」

「……知ってるんだ、もの○け姫」

 

 これからも飛行すると察した星への忠告なのか、店主がどう気をつければいいのかわからない事を教えてくれた。それよりも大鬼がジ○リを知ってる驚きが勝ったけども。

 ちなみに風速とは10分間の平均の強さになっている。そして秒速60メートルということは、時速に直すと約210キロ。これは人間や置物などは言うに及ばず、場合によっては軽自動車すら吹き飛ばしてしまう強風で、小物なら時速200キロ以上でぶっ飛びまくる脅威だ。

 こんな風速の中を飛行すれば、体重60㎏少々の星ではひとたまりもないだろう。

 

「しかし、う~ん。この世のものとは思えない光景だ。地獄とはこれ以上なんだろうか……」

 

 更に、新たな問題。

 

「なんだ。気づいてなかったのかい? ここはもう地獄さね」

「実に興味深い」

「……えっ?」

 

 何故かそれを知っても、全く危機感を覚えない星自身である。むしろ好奇心が刺激されてワクワクし始めたくらいだ。

 ついでに店主の言うように、星が“行くべき場所”を勢いで通りすぎてしまった事実もあったりする。

 

「ただ、来てしまったものはしかたない。そう、しかたないんだ。こうなってしまったのなら、好奇心の赴くまま楽しむしかない♪

 いやぁ、困った困った」

「確信犯だろう……。なんて人間だ」

 

 結果が先になった以上、できるだけ適切な対応を考える必要があるだろう。

 さしあたって、星は好奇心を脇に置いたまま、呆れた感を出している店主に話を聞いてみることにした。

 

「むー? でも俺は閻魔様の裁判とか経由せずに来ちゃったみたいだけど、どうするべきか。店主もやっぱり不味いと思います?」

「……そもそもお前さん」

 

 しかしその時、ちょうど気になるモノが星の好奇心を追加で刺激したことで、何か言おうとしていた店主は遮られることになった。店主も面倒見が良いのか、付き合って話に乗ってくる。

 

「あーっ! その前にあの山に登ってく白玉みたいなのって、死後の魂的なヤツなんですか!? ちょっと見覚えあるというかなんと言うかなのが、さっき川あたりで舟に乗ってたのが山に登っていくのが見えたんですけど!?」

「……そうだねぇ。普通は肉体に留まれなくなった魂が、渡し守に案内されて万魔殿に行くのさ。そこで天国地獄に振り分けられるか……あの山頂にある魂の坩堝で再構成されて生まれ変わる、らしいよ」

「ん? 魂の坩堝ってのがさっき言ってた地獄の釜のこと? それがあのデッカイ山にあるんだ」

「ああ。もう少し近くまで行けば、管理の子鬼どもがいるさね」

「というか、万魔殿ってことは俺みたいなのを裁くのは閻魔様じゃなかったり?」

「いや、閻魔様であってるよ。最高責任者ってだけで、直接裁かれるかはわからないけどね」

 

 万魔殿とはギリシア語で「デーモンの全て」。要は悪魔の巣窟的な場所と星は認識していたので、閻魔のような東洋っぽい存在がいると思っていなかった。

 まぁ、店主の教えてくれたどこかシステムの匂いを感じる印象からして、閻魔も悪魔も己の役職に従事する公務員的な種族なのかもしれない。

 好奇心とお腹を満たされて満足した星は、最後の懸念点に話を戻しつつ、いくつか質問してみた。

 

「へぇ~。じゃあ、もうちょっと観光してから死にに行ってみようかな。なんか気になるナニかもあるし」

「死にに……って。マイペースな人間だな」

 

 結論が出た星は、口元を布巾で拭い店主にお礼を告げた。

 

「ごちそうさまでした。

 この魚?定食も旨かったです。なんの魚かわからなかったけど」

「あ、ああ。お粗末様。それはメガロドンという古代魚なんだが、口に合ってなにより」

「食休みしたらひとっ風呂浴びて出発するんで、先に支払いとか大丈夫ですか? これしか持ってないんですが」

 

 そう言って、財布にあった円とドルの硬貨や紙幣を店主に見せる。

 普段はそれほどでもないのだが、先日まで忙しくてあまり頓着できなかった為に、紙幣はともかく硬貨はかなりの量が星の財布に詰め込まれていた。特に円に関しては全種類を最低数枚ずつである。これだけあれば、使えるなら足りるだろう。

 余談だが、何気に財布がそのせいでそこそこ重くなっており、アクロバット飛行をした際などは星の内ポケットで暴れていた。何度か身体にぶつかって痛かったのが、川で飛び回るのを止めた要因である。

 

「可能だ。料金は…これ一つで充分かな」

 

 だが店主がつまみ上げたのは、硬貨一つだけ。

 

「え、マジですか? 百円で飯と風呂って採算取れないんじゃ」

「先にも言ったが、カネに宿る欲望が料金みたいなモノだからねぇ。地獄では欲望や縁が通貨になるんだよ。これより先に進むつもりなら覚えておきな」

「ご親切にどうもありがとう。心に留めておきます」

 

 貨幣経済とは全く違う制度?もまた興味深い。

 地獄とは真に興味深い場所である。

 店主に案内された熱めの温泉に肩まで浸かりながら、星はとりあえず目指す場所に目星を付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然だが、星は限界を超えるほど疲れていた。肉体ではなく、精神が。

 おそらく弟もだ。

 会話しようと思えば普通にできる社交性こそ残っているが、まともに考えず、実は聞く耳を持たなくなっていた。

 だから星も、彼の弟も“何らかの要因”でしがらみから解き放たれれば、『こうなる』のは必然だったかもしれない。生死すら大したブレーキにならず、生きる気は勿論、死ぬ気にもならない。

 現時点こそ元気な感じに見えても、おそらく疲れきっておかしくなっていたのだろう。

 

 本人に聞いていたから知っている。

 最後の無断欠勤だけは弟にも非がある。だが、昇進によって給料が3倍近くになる→そんなに払ったら会社の損失だ→辞めろ。辞めなければイビり続けてやる。『これまで通り』のパワハラに脅迫も加えてな。と、このような扱いが常態化していたようだ。

 馬鹿げた理不尽を約半年……入社当初からあったらしいパワハラや、奴隷のような労働環境も含めれば7年。これを逃げ道のない状態で耐え続ければ、そりゃあ心も身体もボロボロになる。そうなってしまっては、借金がなくなっても少しでもプラスな原動力を必要とする退職や自○には至れない。惰性以外は原動力になるモノが何も残っていないからだ。

 

 ちなみに星も弟ほどではないが部長職昇進からほぼ同じ攻撃をされていたので、無能の自覚もない…ずる賢く他人にマイナス部分だけを押し付ける者が、大抵の場合に出世してお偉いさんになっている現実を知っている。下でいるうちに有能さを僅かでも見せれば、確実に潰しにかかってくることも。かといって下手に無能に振る舞えばクビだということも。

 ともかく、そんなボロボロの状態で正月に帰郷した弟が父親に勘当されたのを見て、自分の縁も切ってしまったのは星も限界だったからだろう。

 疲れきって倒れこんでいた弟に「次は」「せっかく大手に就職できたのにこれからの生活は」と聞き続けた。休ませようとせず、言い分すらも聞かず「まともな会社がそんなことをするわけがない。お前の被害妄想だ」と追い出す様は、死者に鞭を打つ獄卒のようで星の身にもつまされた。

 星達兄弟が肉親への情を完全に喪失した瞬間である。

 

 責任転嫁に見られるからもしれないが、そもそもそこまで追い詰められた要因の一つも父親にある。

 星が高3の秋と、その2年後の2回。簡単にきっかけをいうと、父親が投資で数百万単位の借金を作り、星と弟の学費がなくなったことだった。

 こういった事情により、一時は進学すら危うくなった。それはまさに急性の病のように金に困った。奨学金制度に加えて、この時に弟と話し合って自分達で仲間に頼って稼ぐ案を出せなかったら、高卒で働きに出る選択肢しかなかっただろう。奨学金は後に会社を辞められなくなるという『枷』として、遅効性の毒のように兄弟を長く苦しめる事になったが。

 

 それでも星の時はまだマシだった。

 母方の祖父の家が実家近くに存在し、その家の隣がとある高校だったのもある。

 自力で稼ぐことに決めた兄弟は、下校時に祖父の家の前を多数の生徒が行き来する点に着目し、お年玉や貯金で最低限の環境を揃えて、家前でクレープ屋を開業したのだ。主に学費を稼ぐ選択である。

 星は祖父や周辺住民、高校などに営業・交渉したり、時にはそこの高校の文化祭に出向いて仲間とのバンド演奏付きで宣伝したりした。一方、弟は最初にこのアイディアを出した言い出しっぺとして役所などへの手続き、それに趣味でよくやっていた化学実験を料理や商売に活かす案を出す。

 人当たりが良く頭の回転もある天才肌な兄と、人当たりは微妙ながら発想と行動力に光るモノがあった職人気質な弟。その兄弟をそれぞれの友達が助ける。なかなか長所・短所が噛み合っていたチームで、幸運でもあったのだろう。

 結果、少し高めだけど、量も多くてなかなか美味しいと評判が立ち、繁盛したのである。そして立地条件の良さもあってか、1年と半年ほどという期間で星の大学費用を稼ぎ出すことに成功した。

 

 このまま稼ぎ続けられれば、弟には奨学金という借金が必要なかった可能性もあった。この時、星は商売のために浪人を挟んだので大学1年、弟は高校3年生になったばかり。

 二足のわらじながら、自分の未来を見据えて弟が努力していたのを星の仲間達は知っている。後の事を予見できていれば、弟とその同級生をフォローできるよう年上組は立ち回っただろう。

 だが、そうはならなかった。

 その未来をぶち壊したのは、進学校だった弟の高校と、家庭訪問に来た教師の話に乗った父親である。

 人当たりは微妙でも意外と要領の良かった弟だが、努力には限界値が存在する。商売の試行錯誤や研究をしながら、学業の勉強までするのは流石に高校生にはオーバーワークだ。当時、成績は一桁台の順位だった1年生時点から20位付近にまで落ちていた。

 

 つまり成績低下を問題視した弟の高校と親が、弟の商売参加を禁止したのだ。弟の誘った同級生も同じ理由で一緒に。星や弟の言い分も全く聞き入れずに。殴ってでも更正させると言って実際に殴ることすらあり……。

 営業に専念できていた星や星の同級生は、手続き関係はまだしも内向き担当が引き継ぎも許されずにいきなりごっそり消えた事により、立て直しもできないまま商売を畳む事になった。売る物が作れなくなったのだから当然だ。

 後に、教師も親も「成功してたんなら、どっかから商品仕入れて星達だけでも続ければよかったのに」と言ってきたのには、怒りを通り越して脱力感しか湧かなかった。

 きっと彼らは営業だけで商売が成り立つと思っていたのだろう。

 そういう営業至上主義的な考え方が、経営コンサルタントなどを通して場所によってはブームのようになっていたのを数年後に兄弟は知った。ほとんど大失敗の結果に終わっていることと併せて。

 

 幸い、生来の好奇心と頭の回転、楽天家気質があったお陰か、次のテストや模試から弟の成績だけは元の水準に持ち直した。ただ弟の模試の好成績を、自分の功績かのように報告しに来た教師や教師達に感謝する両親の笑顔の中で、星と弟にだけ笑顔が欠片も存在しない事に気づいた者がどれだけいたのか。

 尤も、そんなことは親や教師にとってどうでもよかったのだろうが。彼らの中で重要な事以外は、禁止すれば全て上手くいくのだろう。彼らの中では……。

 見えない壁でもあるような大人と子供が集まったこの時。少しでも気持ちを入れ換えようと、あえて某漫画の台詞をアレンジして弟と会話したのを星は覚えている。

 

「月、どうやらとある忍者は正しかったようだ。

 ルールや決まりを守らない奴はクズ呼ばわりされる。けどな、自分も含めた『人』を大切にしない奴はそれ以上のクズだ。……そしてそれに染まっていくと、みんなクズになるのかもな。俺達もそうならない事を祈るばかりだ」

 

 それに対し、弟が乾いた笑いを漏らしながら返したのがこれ。

 

「星兄……はは。

 みんなが目先だけに目を向けて『他人』が頑張ってたことを禁止しまくったせいで、最初で最後の『機会』は失われてしまいました。

 真の意味で馬鹿どものせいです。あ~あ。

…………嫌だなぁ。同類にだけはなりたくないなぁ」

 

 ネタ好きな兄弟である。

 この一件以来、弟は努力なんて報われないと『学習』し、楽しさを感じない『努力』をやめた。

 誰かの思い込みが、自分達の未来や成長よりも優先されると悟った瞬間である。

 

 ともあれ、父親の投資失敗から始まる一連の出来事。その数年間は、星と月の兄弟に多大な影響を及ぼしていた。

 しかも新卒で入社した会社が揃いも揃ってアレだったからなおさら……。

 ブラック企業でも精神を磨耗し続けたことで、欲全般が酷く希薄になり、生存意欲もほぼなく、死生観すら曖昧になっていく現状……空想や死に縋ったとしてもこの兄弟を責める権利など誰にもない。と、全てを知る好意的な存在がいれば庇うかもしれない。

 そんなある意味で誇っていい彼らだからこそ、いざという時の決断は儚いほどに―――。

 

 

 

 

 

 店主に見送られて再び飛び立った星には、確たる証拠はないものの、不思議と確信があった。

 弟もおそらくここに来ている。

 そして選べるなら魂の坩堝に向かう、と。

 天国にも地獄にもきっと向かわない。

 なぜなら星もまた、店主の話を聞いた時に魂の再構成を選びたいと思ったからだ。天国も地獄も現在の続きである点を考えれば、再構成して生まれ変わり、まっさらになりたいと思うのは自然だろう。

 また、もしも振り分けられない状態の者が閻魔の行うという裁定の場に現れたら、魂の坩堝で漂白(表現が正しくないかもだが)されて生まれ変わるのでは? とも想像できる。

 いないならいないで、ここに来ていないか、正規の方法で成仏?できるため、どのみち星に手は出せない。

 なら、自分は後からそこへ向かえばいい。

 ただの勘と想像にすぎないその予感の赴くまま、星は勢いのある靄が渦巻く山へと一直線に飛行を開始した。

 

 この先で弟と今生最後の再会を果たす。

 

 漠然とした形にならないその予感を目的として、星は何者にも囚われず、ひたすら空を翔ける。

 果たして、星の望みはなんなのだろうか───。

 


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