SHE'S ALWAYS A WOMAN   作:雪原 美波

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─Twin
 a.双子、または双子の兄・弟、または姉・妹のいずれか。
 b.対を成すもの。対立するもの。
 c.ホテルのツインルーム客室の略称。
 d.ワールド・トレード・センター タワー1/2の略称─Twin Tower。
    
   
  


Chapter I ”North tower”
1st Floor "Epilogue"


けたたましく鳴り響く火災報知器、

火災発生と緊急避難を促すPAシステムの自動音声放送。

 

群れをなして逃げるスーツ姿の人々 続々運ばれる血まみれの負傷者、

性別さえ分からないほど黒焦げた遺体、剥がれた大理石の壁─。

時折ロビー天井から轟く爆音、ガラスが砕ける音、悲鳴、

その衝撃音の正体が何かは、その場にいる全員が理解していた。

 

それら五感で感じる全ての衝撃的な光景は その場にいる者の心を大きく揺さぶる。

それと同時に、その場に立っていた少女らの、自分という概念の奥深くに何年もの間眠ったままであった、かつての艦娘としての内在的意識が駆り立てられた。”人々を助けなくては──”。

 

あの日、彼女たちもあの場所にいた。あの場所の全ての光景を目に焼き付け、聞こえる全ての音を耳に残し、匂いを嗅いだ。そして底知れぬ恐怖と使命感を感じた。

 

上階より灼熱が下る非常階段の中。

地上へ逃げるスーツ姿の濁流に逆らうようにして、消防士の隊列を追うように艦娘らも非常階段を忙しなく登っていった。

 

 

現場を緊急取材中のとあるカメラマンは、二機目の突入後もWTC北棟に残り、ふたつの対となるビルの間に拡がる”トービン・プラザ”でビデオカメラを回し続けた。

 

瓦礫まみれのプラザから天を見上げる映像には、猛烈な量の煙を吐き出すツインタワー、時々落ちる瓦礫と人、そして衝撃音と、モノがくすぶる音が記録されている。

 

しかし、それらの情景とは対照的に、サイレンや人々の喧騒すら消えた無人のプラザには、あまりに不釣り合いな音楽も記録されていた。

 

その絶望的な情景とはあまりに不相応な、大変穏やかなオフボーカルのミューザックが、普段通り荒廃の世界と化したプラザのスピーカーから流され続けていたのである。

 

 

 

"She can kill with a smile; she can wound with her eyes."

 ─彼女は笑顔で誰かを殺せるし、眼差しで誰かを傷つけられる。

 

"She can ruin your faith with her casual lies."

 ─彼女は適当なウソで信頼を崩すし、

 

"And she only reveals what she wants you to see."

 ─そして彼女は見せたい自分だけを相手に見せるんだ。

 

"She hides like a child but she's always a woman to me. …"

 ─それでいて、彼女は子供のように自分の事を隠す。

 ─それでも彼女は、私にとって一人の女性なのさ─…。

 

 

 

この歌い出しで知られる、プラザに流されたその曲名は’’She's Always a Woman’’

あの日、ワールド・トレード・センターが奏でた、最期の一曲である。

 

 

 

  *   *   *

 

 

 

ボストン郊外のグロスターの自宅を発ち、都心へ抜け、サウス・ステーションから長距離高速列車に揺られ6時間が経った。時計の針は夕刻時を報せ、やがて車内には食堂車の案内放送がかかった。食堂車のカトラリーの音が遠くから響いてくる。愛息子は座席に腰掛ける実母の両腕に優しく包まれ、深い眠りにつき長旅の疲れを癒した。すっかり日が暮れた車窓の遠く、地平線の向こうから煌々と輝く1本のタワービルが徐々に姿を現す。長旅が徐々に終わりへと近づく。

”あんな街になんて、着かなければいいのに。大嫌い。”

そんな考えがつい頭の中を過ってしまう。遠くに現れた一本の光の塔は、かつて崩れ落ちた影を思い起こさせる。あの日の光景を、今日まで片時も忘れたことはない。客室乗務員という仕事をやめて暫く経った。()()()以来、飛行機にはもう乗れなくなってしまっていた。

 

終着のペン・ステーションからはハドソン川連邦交通局地下鉄道のFAITHトレイン──Federated Authority Inter-Hudsonが、一つの大きな川をはさんで向かい合う二つの大都市─ゲートウェイ地区の中核を織りなすニューアーク・世界経済の首都たるニューヨークとを鉄路で繋ぐ。15分間隔で離発着を繰り返す、地下鉄車両前面の行先表示に映る”WTC”の文字。その行き先が、この世界を生きる上で残酷で陰惨な現実を告げているようだった。目的地までは25分。あのハドソン川と名付けられた大河を列車は潜り抜ける。

 

 

 

──ニューヨーク州ニューヨーク市、ロウワー・マンハッタン。

世界各国の金融機関や大企業のオフィスビルが軒を連ねる一角。次々に列をなす車道の車たちが、豪快にクラクションを鳴らす。ヒップホップダンスを踊る若者たち。サイレンを鳴らしあちこちを駆ける警察車両─。夜もさらに更けたというのに、この街は今でも眠ることを知らない。FAITHトレインの地下鉄列車は新築のワールド・トレード・センター駅へ滑り込む。つい先日、復旧工事の全てを終え、仮駅から元の場所へと戻る本復旧を果たしたばかりだった。最寄り駅の名は「ワールド・トレード・センター」。2つの大通りを隔てた、バッテリー・プレイスとグリニッジ通りにまたがる国立”11”記念碑公園。ふたつのプールに並ぶ、犠牲者の名前が刻まれた記念碑─。その場所の地下に、『国立’’11’’博物館』と名付けられた合衆国立博物館がある。町の影に隠れた巨大な地下博物館─。英国の大英博物館や合衆国のスミソニアン博物館に次ぐ規模の収蔵数を誇る。

 

記念博物館はもぬけの殻だ。清掃員もスタッフも警備員も、明日の追悼式典に備えてもう既に全員が退勤していた。サマータイム期間であっても、もう既に外の世界は夜闇と煌々輝く摩天楼がせめぎ合っている。消灯後、恐怖を感じさえする巨大な博物館内に鐘の音が鳴り響く。時計の針は午後8時を差した。

 

朽ち果てた消防車や救急車・警察車両の残骸、ビルを構成していたフォーク状の鉄筋の残骸、ショーケースに格納されたすさまじい数の遺品に、ハイジャックされた旅客機の機体の破片─。数多く横たわるあの日の記憶が、何も語らずとも今に歴史を伝える。

「みなさん、申し訳ありません。今日はもうちょっとだけお付き合いいただきます。」

静寂と暗闇に覆われた博物館内に、ヒールの音が寂しく反響する。スーツに身をまとった彼女は、照明のブレーカーを再び上げた。3000人の魂が刻まれた壁が、彼女の目の前に照らされ現れる。彼女は静かにその壁面へ触れ、一分間の黙祷を捧げた。今日二度目の挨拶は、初めて閉館後の夜間に行われた。この日の特別訪問者は2名。まだ小学生ばかりの小さな少年だった。博物館はまだ遺族などの関係者のみの限定公開中であった。通常は受け入れないが、館長の独断で今回は特別に承諾していた。きっかけは、少年の母親からのお願いの電話から始まったものだった。

 

博物館ホール裏の集中管理室へと入り、約束の時間を待つ。壁にかけられた丸時計が、静寂に包まれた空間で静かに秒針を刻む。時計は予定時間の五分前を指した。正面エントランスのゲートフォンのブザーが鳴る。

「はい。ナショナル・イレヴン・ミュージアムです。」

ゲートフォンの液晶画面越しに、一人の女性と男の子が映る。

≪本日8時30分よりご招待いただいた者です。名前は─…。≫

二人はそれぞれの名を名乗った。普段とは違い特別訪問者の名簿と照らし合わせる必要はない。この日のましてや夜遅くの時間帯、特別訪問客はこの二人だけだった。

「確認しました。シャッターを開放しドアを開錠しますので、どうぞお入りください。」

エントランス横の勝手口のドアロック解除ボタンを押す。ゲートフォン越しに聞こえた女性の声に懐かしさを覚えられずにはいられない。10年近くぶりに聞く声はあの日のままで変わらず、彼女は少し安堵した。

「…さて、出撃前の最終チェックといかなくちゃね。」

立ち鏡の前に立ち頭を左右に振る。以前サラトガからもらったイヤリングはしっかりと着いていた。続いて亜麻色の髪をなめらかに梳かす。ポニーテールに結んだヘアゴムを今一度締めた。化粧ポーチを机に戻し、管理室のドアを押し開けた。

 

博物館内部へ進む来訪者を迎えるべく、カウンターを抜け、やや小走りでエントランスへ向かう。10年ぶりに再会する相手に、慰霊施設には相応しいとは言い難い感情が全身をめぐる。自動ドアが開く音が静寂に響き、晩夏の夜風がエントランスに吹き込む。やがて入口のコーナーから、もう散々見知った女性が子どもを連れて姿を現す。

「Intrepid!」

女性はそう叫ぶなり、博物館館長たる彼女に勢いよく抱きついた。女性のその姿は、最後に顔を合わせた10年前と大きく変わってはなかった。一人の愛息子を連れた女性はMargaret “Maggie” Callahan─。かつてイントレピッドを含め、数多くの艦娘と対深海棲艦世界大戦を戦った海軍中将の妻である彼女は、艦娘たちにとっての養母的存在だった。

「お久しぶり。マギーさん。解放記念日以来ね。」

はぐれた艦隊の僚艦を大海原でやっと見つけたかのような、そんな気持ちだった。一瞬の動揺ののち、少しばかり小さくなった相手の背中に手をまわし、温かく抱き返した。「Intrepid…お互い色々あったのに、あなたは全然変わってない…。安心した。」

ポニーテールにまとめた亜麻色の髪に、海原のように澄んだ碧い瞳。陽気でフレンドリーな性格、明るい声─。着衣以外は旧艦娘時代の名残を十分に残している。空母艦娘イントレピッドの時代と相違なかった。

「こちらが、息子さん?」

旧艦娘イントレピッドは、母親である彼女のそばに立つ小さい男の子に目を配る。

「えぇ。こっちは息子のノアよ。」

彼は母親の背中に回り込み、小さく頷いた。彼に会うのは二度目だが、最初に顔を合わせたときはまだ乳幼児。彼からすれば初対面となる彼女に対し、緊張している様子だ。少し顔見知りで臆病な気があるところは、生前見ていた彼の父親にそっくりだった。

「はじめて会った時はあんなに小さかったのに…。」

「もう10年も経つのよ。同じ女性として、一切老けないあなた方が本当に羨ましい。」

「歳をとらないのは艦娘の特権ですから。その代償も大きかったけど…。」

ヒトという生き物は生まれ、成長し、やがて衰え死に至る。艦娘時代はそんな大堰堤の常識すら知らなかった。旧艦娘からすればたかが10年。しかし、人間にとってはその時の流れがあまりに重いことを、旧艦娘であるイントレピッドはやっと理解し始めたところだった。

「─ボク、はじめまして。私はこの博物館の館長の……Intrepidよ。今日はよろしくお願いね。」

現人名:Maya ''I'' Douglass─旧空母艦娘Intrepid──は、この国立’’11’’博物館の館長として、人間と同等となった旧艦娘の第二の人生を送っていた。この博物館は、世界で初めて旧艦娘によって運営・管理がされる唯一無二の博物館となった。

「は、はじめまして…。ノアです。えっと、よろしくお願いします。」

「ちゃんとあいさつが出来て良い子ね。それじゃ、さっそく行きましょう。」

少年を引き連れて、彼女は歩み始めた。しかし、その場には足音が一人分足りない。イントレピッドはすぐに背後を振り返る。ぎこちない表情で、母親はその場から動けずに立ち尽くしていた。

「…私は行けそうにないかも。せっかく招待してくれたのに、ごめんなさい。」

足を動かしたくっても、いざこの場所に踏み入れると動き出せない。そんな様子だった。無理もない。母親はこの地で起こった事件で、長年愛する夫を失った寡婦だった。彼女の愛する人は─…愛された誰かは、親しまれた誰かは、誰かの母は、父は、姉は、兄は、妹は、弟は、愛娘や愛息子は、あの日、ここで殺されたのだ。

「そんな、謝らないで。ここはご遺族の方々にとって衝撃的な展示も多いし、実際に観覧途中で体調を崩されるご遺族の方も少なくはない。エントランスに休憩室があるから、そこでしばらく休んでいてください。ご案内します。」

何者かに全身を縛られたかのように硬直した、彼女の身をゆっくり解くかのように、館長であるイントレピッドは優しく肩を撫でた。これまでも遺族などの関係者限定公開は経験してきてはいたが、こうした場面は彼女にとって決して珍しい光景ではなかった。

「ママ、大丈夫?」

肉親を心配した息子は、すぐさまイントレピッドの手を離して母のもとへと駆け寄る。博物館はこの場でかつて起こった出来事を伝える。その背景にあった悪意や贖罪は決して許されるものではないが、他方でこの場所では善・悪や幸福・憎悪を決めて容易く過去の出来事を片付けることもまた許されない。この地に生きる人々にとっても非常に複雑な場所であった。

「ごめんね。ママは少し疲れちゃったから休憩してる。館長さんと二人で行ってきてね。勝手にモノに触ったり、走ったりしちゃダメよ。」

小走りで再び母親にもとに駆け寄る息子を、母親は優しくなだめた。彼の母親として、そして亡き夫の妻として、彼女自身も本当にこの館内を歩きたかったのだろう。そんな別れの地でもあるこの場所で、母親は愛息子とのひと時の別れを心配そうに見つめた。

「うん。分かってるよ。」

大きく頷くノア広い頬に、母親は優しくキスをした。ぎゅっと繋いだ手を離した。その場にあるソファに腰掛け、優しく手を振る。彼も振り返した。あの日のこの地では息子も母親も、こんな当たり前のお別れすら、愛する人に対してすることができなかった。

 

 

やがて無人のエントランスゲートを抜け、厳重なセキュリティチェックを通過し、博物館の内部へ足を踏み入れる。閉館後ともなれば鳴り響くのは二人の足音とたまの話し声だけが響く。思い空気感だったが、その男の子の明るさだけが唯一の松明だった。

「お姉さんの手は、しっかりと握っていてね。」

博物館は旧WTCが建っていたコンプレックスの地下全体に広がっている。迷子になれば見つけるのは至難の業だ。まだ彼が小さな赤ちゃんだった頃握った小さな手を思い出しながら、10年越しにしっかりと彼の手を握った。

「ところで、今日はどうしてここに来たの?」

イントレピッドは少年に尋ねた。この特別訪問が母親ではなく彼の意向であることは、訪問予約の電話を受けたときに把握していた。

「パパに会うためさ。」

まだ12歳の小さな男の子とは思えない、まっすぐとした眼差しを向け、彼は一言で答えた。事件から10年の月日が流れた。彼は父の顔も声も知らない。両親がいるという家庭の形も知らずに育ってきた。彼は未だ知らぬ自身の父親を知りたがっていた。

「ここは博物館として、世界で三番目に大きいの。あなたのお父さんもそこに生きている。」

防音室に入ったかのような、先ほどまで歩いていた博物館内よりさらに静かな空間。ずっしりと重くなる空気感。民間犠牲者の名前が細かく刻まれた、全周黒い壁に覆われた空間─。やがて二人は最初の展示室へと進む。”Threshold of Silence(沈黙の境界)”と刻まれた案内板が視界の右後方へ消えた。

「あっ、パパがいる。」

殉職した消防士・警察官・州兵・各軍兵のほか、救命活動に参加した艦娘の名前が刻まれた金属板が照明に照らされる。かれはすぐさま父親の名前を見つけ出した。

「少しばかり、ここで祈ろっか…。」

イントレピッドとノア─二人ははしゃぐこともなく、静かに黙祷をささげ祈った。今度は心拍と血流の音さえ聞こえるような静寂が包む。館内の遠くから流れる当時の警察無線と消防無線、その中には彼の父の肉声も含まれていた。

 

 

部屋の中央にそびえる2棟のタワーを模した模型。世界貿易センタービル、ワールド・トレード・センター・コンプレックスとかつて呼ばれていた、その敷地に建っていた当時世界で最も高い高層ビルだった”ツインタワー”の在りし日の姿が再現されている。キリスト教を事実上の国教とするアメリカという国において、設計者はあえてイスラーム建築の様式や特徴を取り入れた。中央のプラザはメッカを模して造られている。この超高層ビルのテーマは”調和”と”憩い”であった─。

 

1983年─対深海棲艦世界大戦の最中、戦争で計画は20年程度遅延しながらも建設されたこのビル。『貿易を通じた世界平和』をコンセプトに、アメリカの強大な経済力と、戦後を見据えた復興力の象徴として建設された、当時世界最大の超高層オフィスビルであった。戦時中も戦後であっても、その時代につくられた映画やアニメには、ニューヨークの情景として必ずと言っていいほどツインタワーは姿を見せたものだった。このビルは、ニューヨークの象徴にとどまらず、ユナイテッド・ステーツ・オブ・アメリカの象徴として親しまれていた。

 

 

博物館は地下1階から地下6階相当のフロアまで続く。その地下を結ぶスロープの吹き抜けからは、”バスタブ”と呼ばれるビルの基礎部分を一望する。欄干に手をかけながら下る少年は、その景色に思わず釘づけにされた。眼下に見渡すその光景は、まさにツインタワーを支えていた構造物の一部であり、同時にこの巨大都市を支え続ける巨大な影のようにも見えた。

 

フロアを下る途中にも、いくつかの写真展示物は徐々に姿を見せる。プラザでひっくり返したバケツを叩いて演奏するストリート・ドラマーの姿。コーヒー片手に慌ただしく道路を駆け巡るビジネスマン。許可も得ずに地下鉄でサクスフォンバトルを繰り広げる乗客。トービン・プラザで開催されたジャズ演奏会。バッテリーパークでレジャーを楽しむ家族─。

「この人たち、すっごく楽しそう。」

レンジされたそれぞれの写真を撮影したのは、写真家でも新聞記者でもない。一般市民が記録したものだった。それらすべては日常の断片を切り抜いたものに過ぎなかった。それも今となっては、完全に失われた過去の情景となってしまった。この街の景色も、人々も、社会さえも─。

「今のニューヨークは、昔のニューヨークとちょっと違うね。」

「えぇ。この悲劇を境に、この町は…いいえ、この国は、永遠に変わってしまった。」

写真脇に刻まれた”2021年9月11日 午前8時20分”の文字─。事件の僅か1時間前、ハドソン川対岸の州立公園から観光客が撮影した、美しい朝日に照らさえたツインタワーを映した一枚。学校では新学期が始まった週だった。東海岸にしては珍しく爽やかな快晴が続く空の下で新生活を迎え、束の間の休息を得ようとしていた土曜日の朝だった。

「あの写真、とてもきれいだ…。」

「そうだね。本当になにもない、平和に終わる一日になるはずだった。」

”September 11th, 2021─”。ハイジャック組織によって乗っ取られた5機の旅客機の軌跡を最後まで記したマップ型の大型展示が姿を現す。2機は予定航路を外れまっすぐニューヨークへ。1機はワシントン、1機はペンシルベニア州ピッツバーグ郊外、最期の1機はメリーランド州フレデリックで航跡は途切れていた。その地図のうち、徐々に赤く光るボストンから伸びる1本の航跡、’’Gran-Air Flight 11’‘の文字。当時の航空無線が展示室に流れる。

 

≪『我々は数機の航空機を乗っ取った。誰も動くな。大人しくしていろ。』≫

≪『現在空港に引き返している。席についていろ。愚かな動きはしないように─。』≫

 

午前8時18分─ニューヨーク州サラトガ郡 高度32000フィート上空。

通常通り行われていた航空管制のやり取りに、外国語訛りの英語で誰かが無線で話した。犯人が誤って機内アナウンスを航空無線に放送したものである。ボストン発ロサンゼルス行のグラン・エア11便から流れた航空無線だった。 

≪『こちらボストン管制。呼び出し機は再度応答せよ。』≫

航空管制官は再度呼び出しを図ったが、返答はなかった。ハイジャック犯らは、サラトガ上空で自動操縦を解除し、南方方位1-9-5へ進路をとるよう操縦桿を回した。その進んだ先にあるのは、ニューヨーク市だった。

 

 

 

   *    *    *

 

 

 

この日のニューヨーク市は前日までの天気とは打って変わって快晴。気温は摂氏19度と、東海岸らしいカラっとした秋らしい陽気で週末を迎えていた。嫌になるほどの平日の喧騒を忘れたビジネス街は、いたって平穏な朝を迎えていた。赤く染め上げられた消防車が朝日に照らされる。道路沿いのビルに赤い反射光が映し出される。

「大隊長から聞きましたよ。奥様、おめでたなんですって?」

消防車の狭い運転席。そのボンネットに置かれたフォトケース。そこには二人の男女が仲睦まじく映る写真が収められていた。ある若い消防士がその写真に気付いた。

『あぁ。クリスマスまでには生まれる予定でね。名前もつい昨夜決めたんだ。』

愛する人の写真を同乗させる─。助手席に座る小隊長である男の日々欠かさないルーティーン、いわばゲン担ぎのようなものだった。彼はその声掛けに嬉しそうに応えると、屈託のない笑みを浮かべる。

 『おめでとうございます。とても素敵ですね!』

秋日和の平穏な大都市に、とても平穏に似つかわしくない消防車が行軍する。午前8時、この街が一時遅く目覚めるような時間。消防車が転がる緊迫感とは相反して、路上の人々は何気ない日常に浸り、解き放たれた週末の自由を満喫しているようだった。

≪第3方面隊4SCへ。リスぺナート通り45丁目でガス漏れの通報。出動してくれ。≫

厄介な無線がボンネットに引っ掛けられた無線機から飛び込む。カメラマンの前でも普段通り悠長な世間話を交えていた二人の消防士は、それを耳にするなり目を細めてお互いを見つめた。

『俺たちは土木屋じゃないんですけどねえ…。』

『おいおい。勘弁してくれよな。今日も忙しい一日になるぞ。』

ニューヨーク市消防局 第1方面隊の第22ポンプ車小隊─はこの日、国内テレビ局のドキュメンタリー番組の取材を受けていた。お世辞にも広いと言えない消防ポンプ車のキャビンに、カメラマンを添乗させての仕事だった。入隊して数年ほどの新入隊員はカメラを前に意気揚々としていたが、やる仕事はいつもの土曜日と変わらない。愚痴をこぼし合いながら、彼らは現場へ向かった。

「──あっ!パパだ、パパがいる。」

壁面を流れる映像に移るその人は、写真アルバムという狭い世界でしか出会ったことのない肉親であった。何か火が付いたかのようにノアは叫んだ。James Patrick Callahan : ジェームス・パトリック・キャラハン──元海軍艦隊司令官だった彼は、海軍を退役してから今日まで、ニューヨーク市消防局に在籍していた。ダッシュボードにかけられた無線機を手に取り、≪作業開始≫と告げてはカメラマンと共ポンプ車を降りた。撮影を意識していたのかどうか、今は聞く由もないが、ただのガス漏れ現場には大隊長御一行までやってきていた。

『こっちではないな。マンホールは無事だ。』

「あの日は、テレビ番組の取材を受けていたのね…。」

小隊長という役割は、カメラが追いかけるには格好の役者であったに違いない。それが生前最期の記録となることなど知らず、映像の場面の多くが彼の姿を記録していた。

≪不幸が起こってほしい訳ではないが、出動命令が下るとワクワクするんです。やっぱり人助けは好きだし、それが我々の仕事ですから─≫

場面は移り変わる。消防署の事務所で椅子に座り、取材に明かるく応える男の姿。ノアの父─ジェームスは、海軍を退役してから入ったこの消防士という仕事について、このドキュメンタリー番組のインタビューでこう話した。海軍上がりの彼らしいコメントだった。

『こちら第3方面隊22SC…現場到着。作業を開始します。』

通報内容は”ガス臭”と”爆発音”。ガス漏れ箇所をチェックし、ガス屋に送給を止めてもらう。幸いにも吹っ飛んだマンホール蓋で怪我した人はいない。”新米隊員にもできる、簡単な仕事だった─”。映像をバックグラウンドに、第3方面隊22ポンプ車小隊の生存者の1人が語る。

『通りを一時的に閉鎖しよう。道路の真ん中のやつかもしれない。』

パロメーターを用いた漏洩箇所のチェックが、大隊長の指揮の下で着々と進んでいく。現場はWTCのそばを走る道路の交差点。カメラには在りし日のツインタワーがはっきりと映り込んでいた。

 

 

やがて、ユニオンスクエア方面の上空からジェット機の音が近付き、その轟音に思わずその場の全員が空を見上げた。機は窓の中の様子を伺えそうな低空で飛んでいた。銀色の機体にゴールドの帯、ダイアデム冠のロゴがはっきり見えた。グラン・エアの機体だった。マンホールを囲う消防隊員らを映していたカメラは、徐々に大きくなる轟音を捉える。黙々と作業を続けていた消防隊員らはその手を止め、全員が音が発される方向を静かに向いた。

”天からの”地鳴り”を聞いたのは、後にも先にもこの一回だけだ”

1機目の突入をWTCに隣接する銀行ビルから目撃した、市民の証言記録が残されている。

 

彼らもまた機がハドソン川上空に抜けることをどこか期待していた。きっとラガーディアかJFK空港に降りれず、着陸をやり直しているだけだろう─。そんな期待が頭の中を支配した。しかし無情にもその期待とは裏腹に、朝日に照らされるシルバーの機体はノース・タワーに飲み込まれ消えていった。猛烈な勢いで広がる火の玉にわずかに遅れて、不意に全身を衝撃音が突き抜ける。

『おい、マジかよ。』『うそだろ。』

その場にいた全員が思わず絶叫した。雷鳴よりも数百倍大きな爆発音がマンハッタンを包んだ。その轟音は耳の穴を通り、胃や腸、心臓までもをとてつもなく激しく揺さぶった。普段通りの1日を始めようと慌ただしく歩道を行き来するビジネスマンたちも、思わず足を止め、口を手で覆った。

『早く現場に行かなくては。』

ジェームス小隊長はすぐに大隊長のもとに駆け寄った。大隊長は消防無線でWTCでの火災を全局一斉にて通報し、緊迫する状況を冷静に判断し指示を出した。『これよりWTCに向かう』。

「これが、テロ事件のはじまり?」

ノアはIntrepidに尋ねた。彼女は頭を静かに縦に振る。展示の一つである、1機目突入時点でのニュース番組は、小型機の突入とそれによる大規模火災と伝えていた。

「1機目の時は、まだ多くの人々が事故だと考えていたわ。でも、彼らは違った。」

大急ぎでジェームス小隊長らはポンプ車へ飛び乗った。カメラマンも同じ車に飛び乗る。消防無線は既に臨戦態勢となっていた。

≪WTC北棟で火災発生。タワー最上部付近で大規模な爆発が発生。≫

≪世界貿易センターで深刻な緊急事態。全車両・全人員は大至急WTCへ向かえ。≫

『あぁ、なんてことだ。』

カメラは煙を吐くツインタワーの北棟を車窓からとらえ続けた。清々しい晴空とは対照的に、その壮絶な光景を目にした消防士の一人が思わずこぼした。車内の緊迫した雰囲気は、閲覧者であるIntrepidとノアにも伝わる。少年は彼女の手を強く握りしめていた。

 『機はビルを”狙って突っ込んだ”ように見えました。グラン・エア機で間違いありません。』

小隊長が発した一言だった。彼は無線機を手に取り、先行する大隊長の乗るはしご車に≪スーサイド・アタック(捨て身の攻撃)の可能性≫を伝えた。ビルに突入するわずか数秒前、最初で最後にその機体を脳裏に焼き付けた彼は、機が一瞬水平方向に舵を切ったのを見逃さなかった。結果的に、その判断は的中することとなる。

 

ノース・タワーの1階ロビーには既に多くの人員が集まりだす。ビル関係者や消防隊員・救急救命士はもちろん、警察官、州兵、非番の各法務執行官も集っていた。そしてそこには、これまで世界から隠れ、そして()()()()()()()()たちの姿もあった。

『─”X室”に連絡して、空気ボンベとマスク、防火服、それとロープを各所から手配するようにリクエストして。放出品でも中古品でも大丈夫だから。とにかくありったけで。』

『市内に居る全艦娘に連絡して。WTCに集合よ。サラもここに居る。』

少女たちは消防士や警察官らの制止をなんとか宥め、続々と救出支援に向けた準備を進めていた。突然の事態であるがゆえに火災現場に突入できるだけの装備は、現役艦娘時代のいくつかしか持ち合わせがない。艦娘たちのWTC救出作戦は、物資の調達から始まった。

『ジェームス司令官。状況を教えてください。』

小隊長に数人の女性が近付く。カメラが次に捉えたのは、消防士の群れから這い出てくる、赤茶髪を特徴的な帽子に束ねた女性と、亜麻色髪のポニーテールの女性の姿。

「これ…お姉さん?」

「そうよ。私たちもあの日、あの時間、この現場にいた。」

当時、艦娘に対しての差別的意識はまだまだ根強かった。3つ目の主要展示─階を駆ける光─は、現場へ駆けつけた消防隊員や警察官や軍関係者のみならず、当時の旧艦娘の姿を捉えた、非常に貴重な展示も収められていた。短い映像に映るのは空母艦娘Saratogaと、同じく旧空母艦娘─Intrepidの姿だった。

「お姉さん……『艦娘』だったの?」

ノアは思わず、握っていた館長の手をぱっと離した。少年の声は掠れていた。問いというより、驚きと戸惑いを押し出した言葉に近い。Intrepidはわずかに目を伏せ、静かにうなずく。

「そうよ。もう戦う力は捨てたけど……艦娘って聞くと、やっぱりコワイ?」

Intrepidは一瞬だけ口を閉ざし、途切れた映像ディスプレイに映る自分の顔を見つめたまま、彼女は短く息を吐き呟いた。

「……ちょっと、そう思った。こんなこと、学校では勉強しなかったから。」

ノアは言葉を探すように口ごもり、少し間を置いて答えた。Intrepidは静かに離されてしまった手を差し出す。こんな経験はもう旧艦娘にとっては慣れっこだった。しかし、ノアは一言の謝罪を口に、再び彼女の手を握った。正面のディスプレイは、消防士らと共に旧艦娘の姿をとらえ続ける。

『"Tuberose"に"Girasole"…それぞれの代表がお出ましとはね。驚いた。』

『ホテルで"和平交渉"の途中だったの。それよりも現状は?』

『俺は他の消防士たちと上層階へ行く。78階のスカイロビーで再編成、上層階の救出活動を始める計画だ。今は動けるエレベーターを捜索中だ。君たちは?』

1機目の突入から15分あまり。カメラが追い続ける第3方面隊がWTCに駆け付けてから既に10分以上が経過していた。あまりの火の手と煙の勢いに、上層階から飛び降りる人々も現れ始めた。現場は徐々に焦燥感に覆われていた。

『私たちも同じことを考えていました。』

そしてその焦燥感を、その場に駆け付け始めていた艦娘らも共有していた。1分1秒が勝負となる消防の仕事において、立ち話に耽っている時間的余裕はない。彼は艦娘たちに対しての無礼を承知の上で、消防隊の小隊長として声を荒げた。

『…君たちにそれができるか?マトモな装備もないのに、海の戦場と今の現場は違うぞ。』

彼女らに提供する装備は何一つとしてない。一見すれば避難中の丸腰のOLだ。小隊長をになるまで勤め上げた彼であっても、これほどの大規模火災への出動経験は一切ない。ジェームスは一言、彼女たちに対しての愛情として、厳しい口調と表情で2人に警告した。

『"艦娘"としてすべきことはする。それだけです。』

『だがそれも、社会からの赦しがあってこそだろう?』

赤茶髪の艦娘は既に決心していた。その覚悟を前面に表し、彼に迫った。両者は目を合わせ、しばらくの沈黙を続けたのち、彼は踵を返すかのように消防隊員のわだかまりの中へ消えていった。

 

展示スペースは再び暗闇に包まれる。映像はここで途切れた。艦娘がメインに映る映像記録は、事件から10年経過した今でもまだ発見されていない。展示を眺める二人は、また静かに歩みを進めた。展示を眺める2人とも、口を噤んだままだった。博物館の展示にはそれぞれを詳細に説明する説明文はない。しかし、この先に起こる出来事が何かを、2人は十分よく知っていた。

 

 

 

再び展示室を順路通りに進む。道中に聞こえる、ビル内部からの911への通報記録。発信者それぞれの笑顔の写真が、二人の経つフロアを見つめ続ける。そして家族や愛する人々への、覚悟を決めた最期のひとこと。火を噴き上げ、煙を吐くあのビルには、確かに生きていた人々がいた。それは誰かの母であり父であり、兄弟姉妹であり、子どもであった。

 

 

 ≪WTCの98階に閉じ込められている。ひどい煙と火災だ。ロビー直通の館内電話も一切繋がらない。

  かなりの温度と揺れでみんな動転している。早く救助に来てくれ。≫

   ─WTC北棟98階 証券会社社員

 

  ≪北棟最上階のバーの店長です。お客様20名と共にレストランに閉じ込められました。

   煙がひどく避難できません。どうやっても非常扉が開かないのです≫

   ─WTC北棟107階 バー"スカイライン"店長 ブライアン・ヘンダーソン

 

  ≪お母さん、今私のビルで爆発があった。少し煙たいけど今は無事よ。なんてことはないけど、

   愛しているとだけ伝えたかった。ビルを出られたらまた連絡するね。それじゃ≫

   ─WTC北棟87階 貿易会社女性社員

 

  ≪子どもたちをよろしく頼んだ。状況は分からない。いつまでも君を愛してる≫

   ─WTC北棟104階 航空会社男性社員

 

 

快晴の朝を迎えつつあるアメリカ全土に、この『大規模事故』発生のニュースは一大速報として全国単位、そして世界各国にも駆け巡った。情報伝達網が発達した2020年代にあっても、情報は世界各国で大きく混乱していた。

 

 ≪─ご覧の映像はマンハッタンに位置するWTCツインタワーの様子です。ビルの片方から多くの煙が吹きあがっている状況です。入りました未確認情報によれば、ニューヨーク・マンハッタンのWTC北棟に、()()()()()()()が衝突したとのことです。現在は現地事故調査委員会が…≫

 

 ≪─その火災の規模のビルの損傷から、おびただしい数の死傷者が発生したものと考えられます。これまで合衆国内で発生したどの建物火災とも比べようがありません。週末最初の朝を迎えたニューヨークでの悲劇です。≫

 

『午前9時3分─』。眼前に横たわる、2機の旅客機の窓枠部分の残骸。その中に乗っていたのは、休日を西海岸で楽しんだり、帰省しようとする命が、確かに乗っていた。両便共にほぼ満席だった。2機目の突入は、民間人から報道各社のヘリまで数多くのカメラが記録している。

≪『あっ…。』≫

煙を吐くビルを隣に、まだ健在であったもう片方のビルをめがけて、別の旅客機が吸い込まれるように、片翼をわずかに天へ向けて滑り込んでいく。アナウンサーがその異常な光景に気が付いたころには、もう既に大きな火球が画面全体を包んでいた。

≪『たった今、別の爆発が起こったように見えましたが…。』≫

それらの数多くは、この日の出来事の全てを象徴する媒体となった。エントランスを映した映像内では、消防士らの作戦会議が続いていた。しかし不意にエントランスに、先ほど聞いた音と全く同じ周波の轟音が近付く。身構える暇もなく、2機目がサウス・タワーに突入した。突入時点で、南棟はビル内部の人々の多くがまだ避難している最中であった。

『小隊長。別のタワーでも大きな爆発が。』

再び顔を真っ青にした消防隊員らが、次々に隊長の立つところへとなだれ込んだ。地面は再び大きく揺れ、大理石のフロアにさらに小さな亀裂が入る。

『くそっ、2機目が突入しやがった。全員散り散りになるなよ。』

外に出ていた消防隊員数名が大隊長のもとになだれ込む。2度目の同じ状況の発生に、その場にいた全員が抱えていた疑念が確証へと変わった。これは過失による事故ではなく、第三者の悪意によって齎された事態である─と。それはカメラが記録した人々の表情からも読み取れた。エントランス外にあるプラザには、おびただしい数のビルのがれきが粉々と落下してきていた。

『各隊長はこっちに集合だ。これより救助方針を決定する。』

全員が確信を持つと同時に、自分たちはどうすれば良いのか、何をすればよいのかも決定的となった。3機目のタワーへの突入も想定される。方針を考えている時間はない。にかく早急に、がむしゃらに、上層階の人々を救出しなければ。

『北棟の消防隊の半分は南棟へ。これより各隊は上層階における救出作戦を開始する。』

大隊長は各隊の隊長に告げる。この瞬間、全員が命がけの救出作戦は始まった。カメラは南棟へと向かう消防士らの後姿を映す。南棟救出メンバーの最高指揮に選ばれたのは第1方面隊第22ポンプ車小隊だった。展示されている映像はここで終わった。

 

─写真展示『階をかける光』。避難する民間人が非常階段内部で撮影した、写真記録の数々。その中には消防士らのみならず、彼らに続く艦娘も数枚に映り込んでいた。あの日の記憶は、長い艦娘人生の中でも最も印象に残る出来事であった。彼女たちはあの場所にいた。あの双棟の中で煙や灯油のにおいを嗅ぎ、あの衝撃的光景を目の当たりにし、まだ生きている要救助者の肌に触れ、そして底なしの恐怖と、身体の奥からこみあげてくる力を感じた。

「『艦娘』はどうしてこの場所にいたの?」

「…そうすべきだと思ったからよ。ただ、それだけ。」

映像を見つめるIntrepidは、その視線を他所に映すこともせずにそう口を噤んだ。非常換気装置以外の空調装置がない非常階段は、階を上がるにつれて気温はぐんぐんと上昇していった。写真が写すように、すれ違う民間人も皆汗だくだった。

「それはどうして?艦娘は武器を持って戦うんじゃないの?」

写真に写る艦娘らは、それぞれ軍払い下げの防火服に耐火マスク、数リットルの水に持ち上げ用油圧ジョッキ、水に食料、医療物資を各方面からかき集め、公的機関ではなく自分たちで調達し、それらを抱えるか背負って階段を上っていた。その手に武器はなかった。

「あなたのパパと同じよ。人々を護らないと─。そういう感情が皆にあったの。それは武器が無くても変わらない。私たちがここに在る意味だから。」

それらの写真の下にならぶ、煤汚れたヘルメット、古びたジッポライター、消防士らの遺品。セーラー服の袖飾りに髪飾り、朽ち果てた腕時計は、救助のためにビルに突入した艦娘らの遺品。腕時計は10時ちょうどを指したまま静止している。

「『誰かを助ける』ということは、私たち艦娘にとってごく自然のことだった。」

そう語る彼女の視線の先には、フォーク状の赤さびた鉄筋の残骸─ツインタワーの特徴でもあった、イスラムやゴシック建築のような外板支柱の実物の15mもの高さの残骸がそびえたつ。それは、今までの平穏な日常が取り崩された事の象徴である。そして同時に、その命が絶える瞬間まで途絶えることのなかった、彼ら・彼女らの強い意志の象徴でもあった。

 

 

 ≪─ビルが崩落した!ビルのうち1棟が崩落した!≫

 ≪─北棟に出動中の全隊員はビルから脱出せよ。繰り返す。WTCから脱出だ。≫

 

 

怒号に近い消防隊と警察隊の無線交信が展示室中を激しく駆け巡る。

ビルの一棟が中層階から折れ、滑るように崩れ落ちる。その瞬間は世界中で目撃された。1000人の命が一瞬にして瓦礫と共に散る、その瞬間を。この地球に生きる誰しもが当事者となった。

 

─午前9時59分、2機目が突入したWTC南棟が崩落した。映像展示は、ビル崩落の瞬間の様子を中継で伝え続けていた。アナウンサーらは出す言葉を失った。ロウワー・マンハッタンが崩れ落ちた棟の足許から噴き出す粉塵の積乱雲に、瞬く間に呑まれていく。煙の津波智也うされたその光景は、人類がおそらく近代史史上においてはじめて目撃する規模のものだった

 

 ≪いまご覧いただいている映像は、映画のワンシーンではなく、現実のものです──。≫

 

それから30分足らずの午前10時28分。WTC北棟が続けざまに崩落した。晴天のもと、ニューヨークの象徴、そしてアメリカ合衆国の象徴は2700の魂と共に崩れ去った。時を同じくして、その上空の遥か彼方──宇宙空間には、国際宇宙ステーション(ISS)が通過していた。その乗員らが記録した映像と写真の数々には、マンハッタンから南西方向、大西洋方面に延びる煙の帯を視認していた。

 

 

2機目の突入の際、南棟ではまだタワー内の民間人の避難は完了していなかった。展望台を目指す観光客を含め、数多くの民間人が取り残されていた。崩落の瞬間、特に南棟最上階付近には未だ多くの民間人、救出に向かう消防士、そして艦娘らがいたことが、南棟生存者からの証言で既に明らかになっている。最終展示は『失われた者たちの記憶』─。

「あの中央の展示物は、あなたのお父さんが着ていた装備よ。」

後に崩落現場から発見された遺品の数々がずらりと並ぶ。展示物はタワー内にいた人々の者のみならず、救出のために突入した消防士や艦娘、そしてビルに突入した旅客機の乗客のものまで数多くが残されていた。

「少し辛いかもしれないけど、見てみる?」

「……うん。」

少年は静かに頷いた。ショーケースに格納されたヘルメットと消防服は、各部を切り裂かれたかのようにボロボロになっていた。それでも遺品や遺骨の1つすら見つからない遺族が多くいることを踏まえれば、彼の装備はかなり健全性を保っていた。それは、比較的遺品が残りやすい上層階に、彼が崩落直前までいたということの裏付けでもあった。

「…どうぞ。これがあなたのお父さんの形見よ。」

Intrepidはポケットから鍵を取り出し、ショーケースのひとつを開ける。トルソーにかけられた消防服とヘルメットを丁寧に渡す。あの日現場で案じた香りが鼻を通る。そんな気がした。

「着てみても?」

「え、えぇ。もちろんよ。」

まだ小さな身体にはあまりに大きすぎる消防服とヘルメット。しかし、ノアのその後ろ姿は、やはりあの日、WTCで見かけた彼の最期の姿と交錯せずにはいられなかった。その少年の記憶には父親の記憶はほとんどないだろう。それでも、彼にとっての父親は唯一無二であり、少年の父親はやはりジェームス・キャラハン──空母艦娘Intrepidの上司だったのだ。

 

少年は父の装備にそっと袖を通すや否や、しばらく目を閉じた。展示室の最後を飾るのは、完全に静まり返った“ヴィジョン・ホール”だった。天井から降り注ぐ柔らかなスポットライトのもと、壁一面には過去から未来へと続くこの場所の姿が映し出される。時には砕かれた柱の写真、時には市民の記録、そしてこの惨劇を乗り越えようとする街の営みが、断片として浮かび上がった。

展示名は“Continuum(連続)”。事件遺族だろうか、誰かがマイク越しでこう訴えた。

 ≪ここには終わりがない。答えは、問い続けることの先にしかないのです。≫

壁の隅に、小さなガラスケースがひとつ。そこには崩れた塔のモニュメントの一片と、最後に残したメッセージが刻まれていた。”――忘れないで”。その言葉に触れようと伸ばした手に、かすかな光が反射した。あの日に命を落とした全ての人々の訴えのように感じられた。

「……ねぇ。Intrepidさん。どうしてパパは死ななきゃいけなかったの?」

顔の上半分がすっぽりと隠れてしまうほど、大きなヘルメットの柄を持ちあげ、ノアは目前に掲げられた、テロ事件の全ての犠牲者の顔写真と名簿。あの日のWTCを含めた、一連のテロ事件での犠牲者数は分かっている限りでも3000名以上に上る。

「私たち艦娘はね、君のお父さんが消防士になるよりもずっと前に、一緒に人を守る仕事をしていたの。私たちは、自分が命をかけてでも救わなきゃいけない─と、そう信じて戦い続けてきた。あの日、あの時間、この場所にもし君がいたらどうする?」

イントレピッドは問うた。ノアはヘルメットの柄を持ち上げ、彼女の瞳を見つめた。

「多くの仲間たちを失ったのはとても悔しくて、今でも悲しい。でも、私たちが今でも後悔しているのは、ここに刻まれたすべての命を救えなかったことなの。」

イントレピッドは静かに犠牲者の名前が刻まれた鋼板に触れる。

「─もしあの日、あの時に私が…いえ、私たち艦娘が戻れたなら。本音を言えば行きたくはないけれど、でも、その先に起こる出来事を知っていても、私たちは同じことをしたでしょう。それは司令官…いえ、あなたのお父さんも同じはず。」

煙に包まれたあの双棟に、艦娘たちはいた。数々の英雄の影に隠れた彼女たちは、その英雄たちを追いかけ、共にすべての失われかけていた命の数々を救い出した。

「、サラ、サム、ヨーキー、レックス、キリシマ、メッカ…。私たちの”家族”も多くが、この事件で命を落とした。でも、あなたのお父さんたちと、そして彼女たちが救った命は、1000人とも、2000人とも云われているわ。」

失敗に終わったいくつかのハイジャック機も数機存在した。これらが犯人の思惑通り、目標地点に突入していれば、犠牲者は5000人以上にのぼっていたと、ある研究機関は決定づけた。言うまでもなく、ツインタワーのみならず、これらの凶器にされた旅客機に搭乗していた艦娘や、その関係者も数多くいた。

「…でも、ここに艦娘の名前はないよ?」

“ヴィジョン・ホール”に掲げられる、全犠牲者名簿が刻まれた銅板に、確かに艦娘の名前はなかった。そればかりか、これまで通ってきた数々の展示物の中に、艦娘に関しての詳細な記録は、ほんのわずかしか残されていない。わずかに残っていたそれらに対しても、艦娘に対しての説明は一切なされていなかった。

「そう。私たちの名前はここにはない。」

「でも、本当にこの場所にいたんだよね。なのにどうして?」

子どもの目と心は誰よりも純粋だ。多くの大人たちが疑問すら持たず通り過ぎていくところで、少年は、その純粋でいて鋭い視点で、そのことについて疑問を抱いていた。

「あの日、あなたのお父さんと共に、私たち艦娘が命を賭して守ったもの。私たちの航跡……その答えの全ては、この博物館の先にあるわ。」

2人が見つめる博物館の出口の、その脇に続く一本の長い通路。一連の事件に関しての博物館の存在は、建設時から数多くの市民に知られている。地上の記念館は、すでに多くの人々に知られ、訪れ、涙を流してきた。しかし、この地下鉄駅を挟んだ広大な地下には、人々にはまだ知られていないもうひとつの博物館が息をひそめている。

 

 

それは、かつて艦娘も拠り所とした精神と身体の軌跡を刻み、いまも静かに輝く─

儚くも確かな、希望の結晶であった。

 

 




   
   
   
"September 11, 9:59 a.m.(EDT)"

   
   



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