艦娘がこの世界に居てくれて、今では本当に良かったと思っています。
でも、そのように思うことができない時があるということも、また事実としてあるのです。
『─もし艦娘がいなければ、私の人生は、
この世界は、どれだけ平穏で美しかっただろうか─。』
そう思わなかった日は、今日まで、一日たりともありません。
うすら暗い休憩室に、空調の音だけが静かにその空間を包み込む。
マギーは休憩エリアの端のベンチに腰を下ろし、紙カップのコーヒーを両手で包み込むように持っていた。熱は既に失われていた。しかし、彼女の手の中ではまだ、ほんの少しだけ温かさが残っていた。
「このブレンドと淹れ方、本当に昔から大好きよね。Intrepid…。」
マギーの視線が、カップの縁にわずかに浮かんだ口紅に留まる。瞼の裏の世界に浸り、またひとつと口にしていくたび、乱れていた胸の奥のざわめきが消える。その味は、亡き夫が一番気に入っていた味。そして、彼の指揮下で働いてきた多くの艦娘たちが嗜好としていた味だった。
「この味も『展示』のひとつかしら。博物館を持つのが夢だったものね。」
平和記念の博物館を持つ─現役当時、Intrepidが良く語っていた夢だった。その夢は、彼女が思わぬ形で結末を迎えた。
人々の喧騒も、談笑も聞こえない空間に、開きっぱなしのドアを通じて遠くから展示室の記録音声が入ってくる。愛息子のノアは、館長たる彼女と、今どのような世界を見ているのだろう。どんな会話をしていて、何を考えているのだろう。
「─…。」
膝の上に置かれたミュージアムのパンフレット。その表紙には敷地内に聳える
「私は、子ども達に、いったい何を伝えられるのだろう…。」
マギーはアメリカ合衆国退役軍人省での役割を終えたあと、パブリック・スクールの教師となった。担当している強化は国語と歴史。語ることは、選ぶこと。選ぶことは、責任。歴史を教える教師として、そして夫を失った遺族として、マギーはその両方の現実に立っていた。「語る」「黙る」のあいだで、彼女は何度も揺れていた。
* * *
Top of the World─南棟107階から110階。”世界の頂点”と名付けられた、ワールド・トレード・センターの最上階展望台は午前9時半から午後9時半までの12時間営業。気象条件が良ければ、観光客はタワー屋上の屋外展望台にも立ち入ることができた。その眺めは実に壮観であり、一日平均で訪れる約140,000人という観光客数の数字が、その景色の良さを裏付けていた。
営業時間をとうに終え、来客が無いはずの閉ざされた屋上展望台。柵によりかかる二人の艦娘が揃って肩を並べる。大きな風切り音とともに、前から後ろへと風は流れ、二人の髪をなびかせる。眼下に拡がるマンハッタンの夜景は遠く地の果てまで広がり、やがて空の星々と交錯する。空中に靡くそれぞれの髪を掬い取るようにしながら、2人の艦娘が片手に包むウィスキーボトルの、琥珀色の液体越しに煌々と輝く街並みが透ける。
当時は高層ビル群のセキュリティーも甘々だった。営業時間外に展望台に忍び込むその悪賢さと、酒瓶に直接唇を添えるだらしのない酒の嗜みかたは、もはや全ての艦娘の共通項。ひたすら身を隠してこの社会を生き抜いてきたに彼女らにとって、これが月1回限定の楽しみだった。
「こんなことをしていると、昔を思い出してしまいますね。」
「…なんだかんだ、まだ何も知らないあの頃の方が自由で幸せだったかもね。」
ウイスキーボトルを片手にぶら下げ、展望台の柵に肘をかける。その2人の澄んだ碧い瞳に映る、眼下の摩天楼と、眠らない街の明かりで照らされる闇夜の星空。
「"わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる"。─ねえ、Intrepid。もし神が貴女ににもう一度命を与えるとしたら…また艦娘として生まれたいと思う?」
ふと、空母艦娘Saratogaは福音書のとある一文を持ち出し、空母艦娘Intrepidに訊ねた。不意打ちの質問に、彼女は豆鉄砲でも喰らったかのように目を丸めた。
「……どうだろうね…。私たちは、果たして天国行きのチケットを握れるのかしら。」
ほんの静寂の間を置いて、彼女は展望台下の摩天楼に視線を落とし、しばらくしてから息を吸って、彼女は心の奥底に煮凝りの如く残る澱みを吐露した。
「行先がどちらであれ、私は今も艦娘を辞めることばかり考えていましたよ…。」
眼下に広がるマンハッタンの夜景に照らされる空母Saratogaの笑顔は、どことなく暖色が欠けていた。Intrepidが返す言葉は無かった。その日2人で過ごした展望台の夜は、しばらくたった今でも鮮明に覚えている。それくらいにSaratogaの姿は印象的だったのだ。アッパー湾から吹きあげる南風が、風切り音と共に展望台の二人の静寂の空間を包み込んでいた。
長い廊下を一歩ずつ進むたび、前から後ろへと風が抜ける。
あの日感じたあの夜風が、今もこの広大な地下空間に吹き抜けているように感じられる。
地上の国立記念公園に拡がる記念碑。日没後になるとその鋼板に刻まれた名前の一つ一つが、内側から柔い照明に照らされて浮かび上がる。
──国立11博物館本館は、主にノース・タワー・プール直下のセクションに位置している。対して、それと併設される格好となった別館である艦娘記念館は、サウス・タワー直下に位置している。旧WTCコンプレックスの全面積の直下のほぼ全てが博物館として完成されたと言っても過言ではない。計画から建設までの過程の中で、その規模の大きさは要塞とも、地下神殿とも皮肉的に例えられた。
「ちょっと怖いかも…。」
父のヘルメットをまだ着たまま、ノアはIntrepidの手をしっかり繋ぎ続け、少しばかりの闇が広がる中間通路を共に進んでいた。長く薄暗い通路は、まさに今日までも続いている、艦娘と人類との間に開いた大きな溝を暗示しているかのようだった。
「大丈夫よ。でも、くれぐれもはぐれちゃわないようにね。」
通常、博物館は順路通り巡ればその展示全てを閲覧できるよう設計されていることが多いが、ここはそうではない。テロ事件についての区画と、テロ事件でその一部が犠牲となった艦娘らの展示は、かなりかけ離れたところに設置されており、途中には離脱できる出口まで設けられている。この国立博物館は、本来であればここでその展示の全てが終わる予定だった。
”艦娘たちにとっての戦後”を終えるまでの数カ月間、このワールド・トレード・センターは、文字通り艦娘たちにとっての
「本音を言えば、もっと博物館をコンパクトに作ってくれればよかったんだけど…まぁ、ワガママ通し続けた私たちが言えることじゃないかな。」
館長は肩をすくめて笑った。このニューヨークという地は、艦娘にとって自由が開かれたいわば聖地と呼べる場所だ。テロ事件後、艦娘に対しての公民権が付与されてから、かねてからの夢だった艦娘記念館の建設を彼女たちは希望した。テロ事件における艦娘の殉職は認められ、それらも記念する目的を前提に、旧WTC地下に建設中であった『国立9.11記念博物館(計画時の仮称)』に併設する形での建設が決まった。
「伝えられる場所があるだけ、これ以上に有難いものはないわ。」
テロ事件のあと、艦娘に公民権が認められた。彼女たちが願ったのは、殉職した仲間たちを記録し、自分たちの軌跡を残す記念館だった。だが”市民からの様々な感情への配慮”という名のもとに、その夢は妥協を強いられる。
紆余曲折を経て、地上の博物館は大きく二つに分けられた。ひとつは公に知られる”国立11博物館”として。もうひとつは地下に”別館”として併設された小さな艦娘記念館として。
この艦娘についての博物館展示のフロアを歩くとき、まだ太平洋海域での対深海海戦が続いていた頃の記憶がふとよみがえる。艦娘母艦がサンディエゴを出港してしばらくして、艦娘全員が出撃前に心を落ち着かせている─そんなとき、舷窓の外に映る青く澄んだ大空と水平線を眺めながら、一人の艦娘が突然こう尋ねたのを、今でも覚えている。
『艦娘ってさ、いったい何なんだろうね。』
その問いに、返す言葉を誰も持っていなかった。当時の私たちの中に差別意識も疑念もなかった。人の代わりに海を戦い、護り、謝礼もなく、血に塗れながら戦い続ける──それが当たり前のことだと、誰も疑わなかったのだ。
『…そんなこと、考えたこともなかった。』
その瞬間、心のどこかにひびが入ったそう呟いたとき、自分が立っている世界が不意に引き裂かれたような感覚が走った。私たちには、帰る家も家族も住所もなく、電話番号もパートナーもいない。──なにより、自分がどこから来たのかさえ知らなかったのだ。
『私たちには、なにも残ってはいないのね。』
けれど当時は、そんな疑問に立ち止まる余裕などなかった。ただ戦うこと、それが艦娘として生まれた意味であり、誇りだと信じていたからだ。今振り返れば──なにも考える暇すらなかったあの時代こそ、長い戦後世界が幕を下ろすまで、皮肉にも一番平穏な日々だった。
光を抑えた展示室の出口近く。最後の壁面にただ一行、鋭く彫られた問いが浮かび上がる。
“Who are the Fleet Girls?”
語りかける声はなく、解説もない。ただ問いだけがそこに残され、足を止めた者に、静かな重みをもってのしかかってくる。
─艦娘とは、いったい何であろうか?
艦娘はヒトと同じく肺呼吸をする。胸に耳を当てれば心臓の音がする。傷が付けば血が流れる。嗜好の一環として食事もとる。運動をしなければ少しずつ体力は落ちる。艦娘への世界からの視線が厳しくなる中で、ある艦娘はこのように記録を残している。
”─寒い時には毛布が欲しいし、寂しい時には愛がほしい。悲しい時は人肌恋しい。”
まだ海軍基地に留まっていたある日、鏡の前に立った艦娘が感じた一言だった。彼女たちは人と何ら同じ格好をしている。思考する頭もあるし、仲間を思いやる温かい心も、面白いことがあれば笑い、不満があれば怒り、悲しければ涙を流し、ベッドに入ればリラックスできる。彼女たちは何ら人と同じだ。しかし、当時の世界は彼女らを人として認めなかった。夢をもつ私たちに、その夢をもつことすら許されなかった。それが当たり前だった。
”あなた方の将来の夢は何ですか?”
まだ現役当時の艦娘たちの思いのたけの数々が、プロジェクターを通じて壁面上に大きく投影される。艦娘についてのドキュメンタリーを作成するにあたって、海軍基地で取材をしていたフリージャーナリストが投げかけた質問だった。彼女が遺した記録手帳と共に、当時の艦娘たちの内に秘めた未来への思いを伝える、貴重な資料である。
"パティシエ!作ったお菓子で、いろんな人を喜ばせたい!"
─USN DE-413 Samuel B.Roberts
"艦娘の経験をもとに、平和の尊さと善意を説く教師になること"
─USN CV-3 Saratoga
"この世界をより美しくするお花屋さんになりたい"
─RSNF HMS Makkah
"新聞記者として世界の事実を伝え、不公平や不平等をなくしたい。"
─JMSDF CL Aoba
"”普通”な生活を送りたい"
─USN CV-58 United States
もうすっかり古くなったシステム手帳は、艦娘らの姿を追っていたあるジャーナリストが保存していたもの。そのページのいくつかがショーケースの中に大切に保管されている。その数ページに、当時の現役艦娘らが直筆した"将来"が描かれていた。
「みんな、普通の女の子だったんだね。」
少年は口をこぼした。艦娘それぞれが、夢を持っていた。その夢を目標とし、生きる糧とし、戦い続けた。その先に待ち受ける未来を、誰も知らないまま、彼女たちは戦い続けた。
「お姉さんの夢は何だったの…?」
少年はIntrepidの瞳を覗き込んだ。胸元のポケットから古びた手帳を取り出し、彼女はページをめくった。"Intrepid博物館を持つ!"─と達筆に書かれた文字は、インクが少しにじみながらも、今もはっきりと文字として残っていた。
「─…自分で、自分で博物館を持つことだった。」
彼女は若干声を詰まらせながら、まだ現役当時だった頃の夢を思い返し、口に出した。『平和を伝える博物館を持つ─』。彼女の象徴たる夢であった。艦娘だった頃は、博物館に展示できそうな艦載機や陸上機を漁っては、よくコレクション構想に胸を膨らませたものだった。
「そっか…お姉さんは、自分の夢を叶えたんだね。」
「うん…叶っちゃった、と言っておこうかしら。」
その頃の思い出ももはやはるかかなたの記憶となってしまったが、この手帳だけは、当時の自分と、今の自分を唯一繋いでくれる。いうまでもなく、彼女の夢は博物館を持つことだった。しかしそれは、必ずしも自分が夢見た形で実現することはなかった。彼女の夢は叶ったと言えるだろうか。
─艦娘としての"はじまり"は?
初めて艤装のボイラーに火を入れた、あの日のことは一生かけても忘れることはないだろう。
はじめて出る戦闘海域を前に感じる緊張感と高揚感、高鳴る脈動、艤装の重み、重油が燃焼する香り、火薬の香り─。自分の全身に、血が通い流れていることをはじめて実感した。”艦娘”は、人々が長年の学びと研究、東西南北からかき集めてきた技術の結晶の最終形態だった。
≪本日未明、アラスカ州アリューシャン列島の各諸島および洋上において、大規模火災が発生した模様です。アラスカ州政府が先ほど発表した声明によれば、『数度の大規模な爆発が発生』との報告以降、各島との連絡が途絶えたとのことです─≫
≪各交通センターからの報告によれば、全ての旅客機との通信が一時途絶え、その後も20機程度の航空便が消息不明という情報が入っているほか、海上交通でも─≫
海が裂かれた”あの日”の映像とラジオ音声が展示室に響く。それらの記録の数々は、深海棲艦が初めて人類に牙をむいた日の混乱ぶりを表している。アメリカのほぼ全土がまだ闇夜に包まれているにもかからわず、テレビはすぐに特番を組んだ。どの放送局も、アラスカ方面から届けられた大規模火災の映像を背景に、他者を出し抜かんと空き集めた情報をアナウンサーが続々と読み上げている。映像の背後は情報収集のために報道局員が右往左往し、終始誰かの怒鳴り声が聞こえた。現場は混乱していた。
─1982年4月10日、北太平洋上空を飛行していた旅客機17機が相次いで撃墜される事件が発生。さらに同航路を航行中であった軍艦4隻と貨物船20隻、旅客船11隻が次々失踪する。アリューシャン列島では対地攻撃と砲弾の雨に晒され、各島はたちまち烈火に包まれた死の島と化した。犠牲者は島民合わせ6,579名。『アリューシャン列島沖事変』、対深海棲艦世界大戦の狼煙が上がった日である。
『駆逐艦Leftwich, Elliott航行不能! そして巡洋艦Texas…轟沈します…!』
『あの怪物たち、いったい何者なんだ。』
その状況に対応すべく、すぐに海軍は太平洋艦隊の第5艦隊を派遣したが、打つ術はすぐに失われた。戦闘海域からの撤退を命じられ、南方サンディエゴへと引き返す戦艦"Iowa"。大統領が新たに提言した「600隻艦隊構想」のもと、この大型戦艦も予備役から復帰したばかりだったが、近代化改修で益々強化されたその戦力を持ってしてもなお、深海棲艦の力には及ばなかった。
『あぁ、神よ…神の盾をもってしてもなお…。』
キールを真っ二つに割られ、瞬く間に赤い海の底へと沈んでいく最新鋭イージス艦。その姿は、10キロ以上離れたこの大型戦艦の戦闘指揮所からもはっきりを伺えた。乗員が撮影したその様子は、深海棲艦の勢力のすさまじさと、戦闘海域の現状を伝えるにはあまりいに十分すぎるものだった。
圧倒的な能力を抱える深海棲艦を相手に、最初期は通常兵器─それも最新鋭兵器の投入で反撃を試みたが、どれも失敗に終わる。それどころか、近代海軍で主力となりつつあった巡洋艦、駆逐艦は装甲が薄く、超小型にして超強力な深海棲艦からは格好の的となった。次々に人類の営みを侵し、急激に勢力を伸ばす深海棲艦に対して、世界各国は艦娘技術の獲得・開発に全力を挙げた。
「ここで初めて、艦娘は生まれたんだね。」
掲げられた星条旗を背景に映る3人の艦娘たちの写真。世界初の艦娘献上所であるバス鉄工所で撮影された、進水式当日の写真であった。ここには解説文も、特別なプロジェクターもない。もう一枚には、艦娘母艦の出撃甲板で肩を並べ、赤く染まった海を今駆けださんとカメラに背を向ける、戦艦Iowaと空母Lexingtonと同型の空母Saratoga。アメリカ合衆国はこの日、世界に先駆けて艦娘兵器をはじめて実戦投入したのであった。初めて海面上に足を降ろした戦艦艦娘Iowaと空母艦娘Saratogaの写真は、世界で初めて竣工した艦娘の歴史的な写真として、今日まで語られるに至る
「そもそも、私たち艦娘は、君が知っている通り、人型の海上戦闘兵器だった。厳密に言うのであれば、艤装ってところが本体で、私たちはその兵器の一部なんだけどね。」
ショーケースに厳重に保管された、黒塗りだらけの論文を2人で見つめる。表面上の理由として、安全保障上の理由はもちろん、艦娘という人型兵器の誕生は『黒い歴史』の象徴だったからであった。それはおそらく、核兵器の誕生とその実戦使用に同じくして、人類が絶対に越えてはならなかった一線を越えていたことのあらましだったのかもしれない。
"海はまるで私を迎え入れるかのように静かだった。
大勢の観客は笑顔で迎える軍人もいれば、疑わしい眼で見つめる政治家も多く来てる。
私は彼らに心の奥底でこう叫んだわ。
『今に見ていなさい、私が"艦娘"を証明してみせる!』ってね。"
艦娘第一号の戦艦艦娘Iowaは、当時の心境をこう記している。
「アメリカ海軍ではIowaを皮切りに、数多くの艦娘が建造されたわ。私もそのうちの1隻よ。」
世界で最初に艦娘運用技術を確立したのは、アメリカ合衆国であった。その技術は日本・オーストラリア・中国を筆頭とする環太平洋諸国にも緊急輸出されたほか、ソヴィエトや東西ドイツ・イタリア・フランス・イギリス等の大西洋周辺諸国にまで広まった。
艦娘という海上兵器の登場は、戦争という概念そのものを大きく改革するきっかけとなった。相手が未確認生命体たる深海棲艦という違いはあれど、艦娘は人々の戦争の道具となり、構図は人類 対 深海棲艦ではなく、必然的に艦娘 対 深海棲艦というものに変わった。人類は一度途絶えた営みを徐々に再開した。艦娘たちの活躍による維持された平和の上で、これまで通りの日常生活をできるだけ取り戻し、その栄光の影に艦娘という存在は消えた。
「人々は次々に私たちのような艦娘を造り、戦地に送り、沈めば造り、戦地に送り─を繰り返した。それも長い年月をかけて…。」
数々の艦娘の建造で、人々は深海棲艦と対等に戦えるようになった。でもそれは、人々が直接戦うのではなく、”艦娘”という捨て駒を送り出して行うものだった。”艦娘”は人の形をしているが、それもあくまで戦争に使われる兵器としての形に過ぎない。それらを捨て駒とすることに対し、人々は一切の抵抗や躊躇いを感じなかった。
「それが『何かおかしい』とは思わなかったの?」
「そうね。海の外の世界を知らない私達にとっては、それこそが日常だったから…。」
アメリカ海軍で四半世紀にわたる対深海棲艦世界大戦中に建造された艦娘の総数は、戦闘支援艦娘や輸送艦娘も含めて約2,440隻。冷戦終結直前までのアメリカ海軍通常艦艇の総数が594隻と言われており、それに比較して約4倍の総数を抱えていたことになる。しかもその大多数は、太平洋・大西洋の各戦線で戦っては海へと還っていった。
2008年4月18日、アメリカ合衆国海軍で最後の建造艦となる空母艦娘が就役する。彼女は対深海棲艦世界大戦の本格的終結へ向けての『最終兵器』的立ち位置であり、その壮大な艦名の名に恥じない、アメリカ合衆国およびアメリカ海軍の技術の生ける結晶だった。
「2009年8月15日、私たちの最期の戦いが始まった。」
最新鋭巨大空母艦娘が進水し、迎えたX-day─"大西洋深海大海戦"。世紀の艦娘大海戦─前年に終結した太平洋戦線のうち、中央海域におけるハワイ諸島奪還の最終決戦さえをはるかに凌駕する規模の大規模海戦が始まる。
「…みんな、怖いカオしてる。」
壁面に展示された一枚の写真を、彼女は静かになぞる。ノーフォーク海軍基地にて、これより大西洋大海戦に出向こうとする、決戦艦隊の出撃の様子を捉えた一枚だ。
「ここにいたメンバーは全員、死地に向かうことを理解していたから。」
写真に映る皆の表情はこわばっていた。それは、あの日のWTC北棟で消防士らが浮かべたあの表情とよく似ている。文字通りの決死隊の覚悟だった。事実、アメリカ海軍艦隊を撮影したこの写真に写る艦娘達の、ほぼ全ては母港への帰港が叶わなかった。それが現実だった。
「一人だけ、他のメンバーとは全然違う格好してるね。」
純白の長髪に、合衆国の国旗を模した赤と青色のメッシュが入る。横一直線に並ぶ他の艦娘と比較しても、艤装は全くと言っていいほど傷はなく、まるで新品と同様だ。それは、彼女が最新鋭の艦娘であることの象徴であることはもちろん、これまで彼女が戦った戦闘での秀才を物語るものでもあった。
『行ってらっしゃい。吉報と共に待っているわ。』
太平洋海域を主戦場としていたIntrepidは、つい先日の戦いで大破し、まだ入渠明けの身だった。だからこの決戦には加われない。ただ、基地の岸壁から仲間たちを見送ることしかできなかった。
『………はい。』
決戦艦隊の旗艦を任された彼女は、張りつめた笑顔でそう応えた。けれど、その笑みにはどこか欠けた影があった。彼女の能力は確かだが、まだまだ就役直後の新人艦娘だ。”まだ一人前には早かったのかもしれない”─。胸の奥でそんな考えを抱えながら、彼女はは不安を隠せぬ彼女を抱きしめた。
『それでは。』
その背に最後の敬礼を返したのち、彼女は振り返ることなく歩み去った。─合衆国の名を授かった巨大空母艦娘、United States。この大西洋大海戦は、彼女にとって数少ない実戦のひとつにして、艦娘として最後の戦いとなる。そしてこの日を境に、彼女は世界そのものを変革の渦へと導いていく存在となった。
結局のところ、大西洋深海大海戦で地上連合軍─アメリカ合衆国率いる多国籍軍─は勝利をおさめ、26年間もの間休みなく続いた対深海棲艦世界大戦は終結した。しかし、この写真に映るアメリカ側の決戦艦隊は、出撃した42隻の大半が、地上を再び踏むことは許されなかった。当時の艦隊損耗率は、アメリカ海軍だけで60%とも、70%とも言われている。
≪─今日より訪れたる平和は、まさに
そして、対深海世界大戦の正式な終戦は声高らか宣言された。26年前から停滞し始めていた国際経済は再び歯車を動かし、日本では第二次戦後景気(=わだつみ景気)が、その他にも停滞と荒廃を重ね多くの先進国の足枷となっていた、各発展途上国が奇跡的な経済成長を遂げた。アメリカでも深海大戦勃発から停滞していた国内経済は二次大戦終戦以来の好景気となり、ルーリエル・プラン─戦災国復興国際支援計画─を主導するなど、戦後の世界経済を握ることになる。
「この紙はなに?すごい分厚いね。」
ショーケースの中に静かに横たわる”人型海上兵器の戦後運用可能性に係る最終報告書”―と題された書類の束。この博物館の建設にあたり、合衆国政府への情報開示請求から展示まで、もっとも時間のかかった展示物の一つだったと、初代の館長は語ったものだった。
戦争が終わって、艦娘たちの役割はなくなった。そこで当時のアメリカは、次に来る戦争への備えと、人類のさらなる繁栄のために、さらに艦娘を利用しようとした。当時の世界が溺れていた大繁栄の影で、戦後における艦娘についての議論は秘密裏に進んでいた。艦娘についての研究は多岐にわたり、戦後起こりうる国家間戦争への投入は言うまでもなく、生殖可能性および世代継承・心理的操作および思想誘導研究・経済的活用可能性・’’万が一’’の場合に備えた監視や隔離政策・艦娘の“自己概念”に関する哲学的分析にまで及んだ。これらが意味するものとは、いわば艦娘を生命体とみなした、多くの血と尊厳を流した生体実験の繰り返しであった。
「簡単に言えば、倫理的に人間に対してはできないことを、人間にかなり近しい身体を持つ艦娘で試そうとしたのね。」
Intrepidは声のトーンをまた一段落し、少年に展示物の説明を続けた。艦娘の内在的可能性の研究より先に、艦娘の戦闘実用化を検討したが故、艦娘兵器についての研究は極めて未知数であった。艦娘は人類と科学的にどう異なるのか。彼女たちを戦後社会で活用するにはどのような手法があるか─…艦娘について詳しく知るため、そして別分野での多種多様な『実用性』を見出すべく、先進国から途上国まで、数々の艦娘運用国家がその研究に邁進する。
≪私たちの住む星は、どうしてこんなにも美しいのか…。≫
≪ひどく息苦しいけど見に来た甲斐があったよ。≫
激しいノイズに交じり記録された艦娘Sevastopol / Севастопольらが発した最期の声。ソヴィエトは、戦後再開された第二次宇宙開発戦争で米中に優勢に立つため、艦娘を犬と共に宇宙船に載せる実験を繰り返した。宇宙船は発射こそ想定されていたが、地球への帰還は設計上想定されていなかった。さらに、実験上のミスで発生した原子力発電所事故の現場にも艦娘を投入し、事態の鎮静化とを図った。
我がアメリカでは、艦娘に核兵器を搭載して核実験を秘密裏に再開しようとした。陸上戦闘向けの艦娘(GD─グラウンド・ドール)の実用化についても開発が続いた。結局その本格的な実用化は艦娘の公民権獲得によって幻に終わった。だが、今日、それは
中東をはじめとした独裁体制国家の一部では、君主や大統領の私利私欲の解消にも用いられたし、『テロ人形』として盗まれた艦娘が自爆兵器にも使われたし、共産主義体制国家では鉄道建設・施設建設に艦娘が投入され、365日間24時間休みなしでの作業に従事させられた。彼女たちが敷設した線路と道路の総延長は約2,800キロメートル。北東回廊の4倍の総距離に相当する。そしてそれらは今日も、人々の脚として、物資の移動経路として、そして、兵器の秘密輸送として使われ続けている。
─付喪神的思想─その独特の宗教観から、モノである艦娘に対しても比較的扱いが優しかった日本でさえも、艦娘の遺伝子操作研究や洗脳研究から始まる社会的奴隷化計画が進む。経済成長により深刻な過労やそれによる自殺が多発したことを背景に、無尽蔵の体力をもつ艦娘を、一切の休みなく働かせる『社会従事アンドロイド』に仕立てあげようとした─。
合言葉は『燃料は満ちている』『錨を上げろ』─。中東各国では、独裁的な国家体制に不満を露わにする市民によるデモと、強制解体反対と指導者に対しての『特別奉仕』への反対を訴えた艦娘が起こした”デモ活動”が同時多発的に発生した。それら同士が衝突を続けながらも、次々と反政府デモが諸外国に波及し、アラブ世界史上初となる大規模政治騒乱─アラブの春が発生した。市民の政権打倒の声に乗じた艦娘らは政権を次々に武力打倒した。艦娘による事実上の騒乱やクーデターが、世界で初めて起こされた瞬間だった。
突然、少年は目を背けた。艦娘史に残るの黒い歴史の最初の一つを表す写真を前に、少年は目を合わせることは出来なかった。今博物館を共に巡っている旧艦娘と、写真の中で今日も生き続ける彼女が同一人物であるという事実を、純粋な少年は受け入れることができなかったのだ。
「うっ、これはあんまり見たくないかも…。」
当時の最高指導者や党幹部らをクレムリンから赤の広場引き摺り出し、広場の中心で彼らに小銃を突きつけるソ連海軍艦娘の写真。これは、半世紀以上続いたソビエト連邦崩壊の日―”血塗られた
当局の激しい銃撃や放水などから、逃げ惑う市民らを盾を抱え護衛するエジプト海軍艦娘たちの写真。それは艦娘らが”人々を守り抜く”という執念を表す一枚だった。既に息の根が止まったデモ参加者の学生を抱きかかえる艦娘。武力鎮圧のために出動した、陸軍戦車の隊列の前に立ちふさがる中国海軍艦娘。プラカードを抱え、海軍基地から退去するドイツ海軍艦娘たち─…。中国大陸では、民主化運動の鎮圧のために「平和維持派遣」の名目で派遣された艦娘らが、その命令を拒否。自身が武力鎮圧の対象となる事を顧みず、当局に無断でデモ側に回り、最終的には武力蜂起に繋がる。同様の動きは南米チリでも発生した。同国でも市民のデモ活動の武力鎮圧を命じられた艦娘らが命令拒否。市民側へと回ったことで、最終的には政府軍の鎮圧を受けた。
世界各国が、これらの艦娘たちの相次ぐ
欧州連合各国では、これらの騒乱に対応するため派遣の決定が下された艦娘らが、その実現のために新たに設けられた連合内艦娘軍務(艦娘の陸上対人戦闘・国家間戦争への投入の合法化を定めた)の新規則に強く反発。ドイツ・フランス・イギリス各海軍では、艦娘らが連名で「自主退役宣言」を出し、軍部の反対を押し切り基地を去った。
「この人たちだけ、武器も何も持っていないね。」
武力行使はなかった。彼女らは、倫理と法による静かなる抗議の意思を証明して見せた。部分的に艦娘らとの小競り合いが発生したが、これに対して人々は何もしなかった。
"彼女たちは私たちの味方ではなくなった。しかし同時に、敵でもなくなった─"。
ある軍事関係者は、のちに当時のことをこう振り返っている。
アメリカ海軍に属していた艦娘らも、やがて反旗を翻す。当時、艦娘による様々な騒乱が巻き起こされている状況に危機感をあらわにした合衆国政府は、在サウジアラビア米軍のみならず、本国からの軍部隊の投入による「民主化」のため、各艦娘騒乱の事態の武力制圧に動き出す。そこには、当然にして海軍艦娘の派遣も含まれていた。
『同胞を倒すことなんて到底できない。』
艦娘らはやはりその作戦に激しく抗議した。中にはその命令通り中東へと派遣された艦娘もいたが、モチベーションはやはり高くは保てない。艦娘の設計想定外運用である陸上戦闘もあり、そこでも度々艦娘の犠牲が生じた。生き残った艦娘らも、陸軍からの無理難題を押し付けられる。それになすすべがない艦娘らは数々の暴力を振るわれていた。
「私たちにとって、艦娘は国籍も民族も種族も関係ない家族だった。」
在籍する軍の国籍すら超えて、共にこの海を、そしてこの空を守り続けてきた艦娘にとって、『艦娘』というのは、もはや仲間や恋愛対象であることを超越した、家族としての認識が強くあった。この時に艦娘に与えられた選択肢はふたつだった。地獄と分かっている戦場へ赴き家族を殺すか、それとも破壊されるのを覚悟にその命令を拒むか─。
「─でも、そんな声が聞き受けられることは当然なかった。」
されど”艦娘による異常行動の鎮圧”と”艦娘による民主主義と平和維持への挑戦”という政府の方針は変わらない。ついに司令官の命令に従わない、軍規違反を繰り返す艦娘らに、アメリカ合衆国政府も艦娘に対する疑念の目は日に日に強まっていく。
「最終的に、私たちは強制的な『解体』を命じられた。」
「カイタイ…?それはどういうこと?」
少年は尋ねた。元艦娘の彼女にとっては解体=死であるという認識も、子どもにはそうたやすく理解できることではない。一方で世界に目を向けてみれば、本人の意思なく艦娘を解隊すること…言い換えればそれを殺人であるという認識を持てない人間も、艦娘に対しての平等の公民権が保障された坤為地であってもまだ数多居るのだった。
「私たちにとって『死ぬ』ということよ。」
やがて「異常行動」の有無を問わずして、全艦娘の解体が大統領により命じられた。艦娘らは、これまでよりもさらに過酷な状況に耐えられる訳もなく、ほんのしばらくの静寂ののちに大きな事件を起こすこととなる。艦娘にとっての”死”が、これまで数々の戦火を潜り抜けてきた彼女たちの中で、ごく当たり前として受け入れられていた
2011年8月28日の早朝、ある艦娘がノーフォーク海軍基地から脱走した。
彼女は海軍管轄下から離れ、自らの意思をもってしてその短い最終航海を続けた。チェサピーク湾を北上し、首都へと続くポトマック川を北上する、単独の艦娘を海軍のヘリは捉えた。米軍や湾岸警備隊がこの進行を止めることはなかった。彼女はこの国で最も強力な
ワシントンD.C─プレジデント・パーク内にある、アメリカ合衆国議会議事堂を真正面に眺める芝生の広場──ユニオン・スクエア。その場所でこの日、ある一人の合衆国海軍艦娘が焼身自殺を図った。軽油を積んだ艤装を抱えた艦娘は非常によく燃える。ホワイトハウスを前に高々と上がる黒煙は、やがて艦娘による反撃を意味する狼煙となる。
「この人、燃えてるよ…。」
少年が指差したその写真──議会議事堂を背景に、両手で天を仰ぎ、燃えゆく空母艦娘。その姿は、様々な角度からカメラによって収められた。Intrepidは首を小さく横に振り、口を噤んだ。これが、この日から彼女自身も経験することとなる、長い『艦娘の戦後』の時代の始まりとなる。その事件後しばらくしてから、全艦娘の強制解体政策が始まる。ノーフォークとサンディエゴの各主要海軍基地では海軍艦娘らが次々と逃走した。
『私たちは生きている!私たちは生きている!』
無駄であることを理解しながらも声を上げ、デモ行進を続ける艦娘もいれば、暴力的行動に訴える艦娘もいた。艦娘らが監禁されていた研究所は相次いで襲撃され、艦娘兵器の流出でアメリカ海軍は前例のない混乱に見舞われる。合衆国政府は国家非常事態を宣言した。
度重なる国内抗戦を経て、かつて海軍に属していた艦娘はふたつの派閥にそれぞれ独立する。やがて各国から追い出された、または国から命からがら亡命してきた艦娘らが、国籍など分け隔てなく集合してゆき、自由の獲得を求める、ふたつのアプローチ方法が組織として確立することとなる。
展示室正面に飾られた二つのシンボルは、戦後艦娘の自由を求める戦いの象徴だ。
ひとつは漆黒の円の中央に白銀の線で描かれた一輪の月下香。6枚の花弁に中心部は暗く塗り潰されている。茎は垂直に伸び、根は円の外へわずかにはみ出し途切れた。もう一つは円形の外枠は淡い空色で縁取られ、その中央に金色の向日葵が描かれている。そこには小さく交差する二本の穂が刻まれる。
デモ、非服従、命令拒否…時には暴力も行使し、これまで海軍基地という小さな檻と、海という庭だけで過ごしてきた艦娘たちは、次第に彼女たちの奥底に溜まっていた自己の意思表示を開放していく。それはこの世界を大きく変え、彼女たち自身の運命をも大きく変えた。長く続く人類史において、特異点となった対深海棲艦世界大戦。その終結後しばらくは続くと見込まれていた戦後世界は、艦娘の世界蜂起という形で終焉を迎えた。構図は人類対深海棲艦から人類対艦娘となる。新たな形の戦争が始まった。
世界各国から追いやられた艦娘たちのその生きざまは、戦後の人間社会の在り方についても大きな影響を及ぼすこととなる。Tuberoseが世界艦娘の解放を訴える手段は、のちに世界各国で度々発生することとなるテロリズムや少数民族による急進的な過激派武装組織の在り方に大きくつながった。Girasoleが最後まで貫き通し続けた対話による民族解放・平和実現は、戦後の国家間紛争や特に多民族国家において、差別対象となっていた移民や異民族、異人種の差別撤廃の平和的進行に貢献したと言われる。良くも悪くも、人類と共に今度は艦娘までもがこの歴史を作り上げていくこととなる。
2021年9月11日 午前8時46分──。
人類と艦娘のそれぞれが動かし続けたこの世界の歯車は、巡り巡ってニューヨーク市マンハッタンに帰結する。海の次に裂かれたのは、あの青い空だった。この日から始まる出来事は、世界を変え続けてきた艦娘らの在り方を、再び変える─。なぜ艦娘がこの世界に存在しているのか。その役割を思い出させる大きなきっかけとなった。
「あ…。今度はお姉さんも映ってる。」
国立”11”博物館で展示することができなかった、艦娘が主体に映る写真の多くは政府指示で厳重に規制された。民意が“都合の悪い方向”へと進むことを恐れたが故の判断だったのだろう。その多くの規制が解除されるまで、この地下艦娘博物館で展示されることはなかった。
「あの日は暑くてね。非常階段は冷房が無いからとにかく暑くてね。みんな汗だくで、重い荷物を抱えて階段を上ったし、避難する人々も皆汗だくだった。」
当時の艦娘Intrepid─だった館長は、重質な声で当時を淡々と振り返る。撮影者のほとんどは、消防隊員などの他の法執行官ではなく、高層階から避難を続けていた民間人だった。敵性勢力としての意識が強く、世間からの厳しい視線が続く中で、救助活動に邁進する艦娘らの光景は、きっと驚きを持って見られていたに違いない。収蔵写真枚数の多さがそれを証明していた。
「それにしても、今見るとヒドイ顔してるわね。でも、私たちは真剣だったのよ。」
Intrepidは写真に映る自分の顔に嘲笑を浮かべながら、最後に一言付け加えた。数々並べられた写真たちには、9.11記念館の各展示物と同様に説明文の記載は一切ない。その写真だけをただ並べ、ただただあの日の事実を知ってもらいたい─という、考え方の表れだ。
「パパと艦娘たちだ…!」
赤茶髪の髪を特徴的な帽子で束ねた空母艦娘“サラトガ”らと、その先を進んでいた消防隊員らの写真。倒壊現場から発見されたスマートフォンのメモリに残されていた一枚だった。持ち主は死亡していたが、もしかしたら彼ら・彼女らの救護の手があったのかもしれない。
「サラ…。まさかこんな形で最期を迎えることになるなんて。」
悲しさがしみじみと刻み込まれる表情でIntrepidは口を開けた。ビルが崩落を始めるその瞬間まで、南棟でも救出活動は続いた。北棟が攻撃時に受けたダメージに比較して、南棟の受けたダメージは深刻だった。ノアの父を含めた消防士らに続いて、階段を駆け上がる空母艦娘の写真。それは、南棟54階で働いていた航空会社社員が避難中に撮影したものだった。この写真は、南棟での艦娘の救助作戦を証明する、唯一無二の一枚となった。
その写真が撮影されてから40分たらずのことだった。ノアの父率いる消防救助隊と空母艦娘Saratoga率いる艦娘救助隊、そして救助を待つ多の民間人をタワー内に残したまま、轟音と果てしなく引き出す粉塵と共に南棟は崩落する。午前9時59分の出来事だった。
≪こちら北棟隊Intrepid。WTCにいる全艦娘はビルから大至急撤退せよ─。≫
南棟の非常階段を上る途中で、あの長い爆音を確かに耳にした。揺れる非常階段、階段に落ちる埃とビルの壁の破片。その音が何を表しているのか、理解するにはそこまでの時間は要さなかった。北棟内で消防士らが撤退命令を下したのとまったくどういj国に、艦娘らによる救助作戦も中断という苦渋の判断が下された。
「一瞬の決断だったわ。」
ほんの一瞬瞳を閉じ、全ての迷いと疑念を振りほどき、彼女は撤退を決断した。手持ちだった払い下げ品のトランシーバーで救助活動に自主参加した全艦娘に対して避難を呼びかける、空母艦娘Intrepidの声。南棟崩落から約30分後、北棟も崩落の時を迎えることとなる。テロ発生から約2時間、午前10時28分の出来事だった。
「このコンクリートの塊に、私たちは間一髪救われたの。」
生命の礎─と名付けられたその巨大なコンクリート片が展示室内に横たわる。それは崩落時まで非常用階段を覆っていた壁だった。Intrepid率いる艦娘救助隊、消防隊、ビル警備員、要救助者はこの壁に守られる形で、その大多数がビル崩落後に生還していた。
「びっくりした。こんなこと、先生は教えてくれないかったよ。」
二人は残骸のざらついた損傷の激しい表面に静かに手を触れる。南棟では崩落時の生存者はほとんどいなかった。だが北棟では、南棟崩落から北棟崩落までの時間差、そしてその時点で各救助隊が撤退を決断したことが幸いし、多くの生還者が残された。
この壁は、今日もその事実を無言で証し続けている。
最終的に、アメリカ同時多発テロでは、WTCのツインタワー内で11名の艦娘が犠牲となったほか、拠点からの避難が遅れていたか、あるいはホテル内のほかの宿泊客の救助にあたっていた他の艦娘ら11名も他の宿泊者や消防士・警察官らと共にWTC Tower3─”ホテル・グランマスター・ワールド・トレード・センター”内で犠牲となった。
「当時のWTCには、ホテルがあった。私たちが陸上を踏んでから、ずっとそこが私たちの拠り所だった。だから、あの日も多くの艦娘がいたし、そのほとんどが救助活動に参加していたわ。」
事件当時、WTC内部で撮影された艦娘の姿を含む写真の多くは検閲の対象となり、長らく一般には公開されなかった。公開が許可されたのは、博物館の他の関連資料と同じく、艦娘に対する公民権が国際的に承認されてから、しばらく時を経てのことである。
≪─かわいい姉妹たちを、どうかよろしくお願いします。≫
─HMS Makkah Flight 93 passenger
≪─状況が状況だからさ、せめて皆に愛してるって伝えたかった。
サラ、みんな。大好きだよ。また安全なところについたら電話するね。バイバイ。≫
─USS Samuel B Roberts Flight 93 passenger
機内備え付けの電話から発信された、彼女たちが遺したボイスメッセージが無人の博物館内に響く。その声はやがて奥深くへと続く、照明の落ちた通路へと消えていった。ハイジャックされた旅客機に不運にも乗り合わせて、犠牲となった艦娘もいた。ハイジャック機に乗り合わせていたのは93便に2人、1989便に1人だった。そのうち2名が地上を踏むことはなかった。
煙くすぶる事件現場では、寝る間も飲食の間も惜しまぬ救助活動が徹夜で行われた。その現場にもまた、艦娘の姿があった。”グラウンド・ゼロ”…としばらく呼ばれることとなるその現場では、クリスマス前夜まで火災は鎮火しなかった。重機を用いた遺体捜索で次々と市民や殉職した消防士・警察官らの遺体が発見された。しかし、この地で艦娘として最期に殉職した艦娘たちの遺体だけは、そのほとんどは発見できずに、やがて捜索は打ち切られた。
地下の博物館に"フリーダム・タワー"─。旧WTC跡地の再開発事業が進むたび、次々と追加で遺体やタワーの残骸、突入した旅客機の部品や破片が出てくる。事件から3年目の夏には、移転先の新たな艦娘拠点にある調査官2人がやってきた。
『建設現場の地下から、艦娘のものと思しきDNA鑑定不能の物品が見つかった─』
突然の法執行人の登場に目を丸くした艦娘たちに、調査官は告げた。煙突を模した帽子と、サビに覆われた華奢なイヤリングひとつ、彼らは小さな箱から取り出した。
『………間違いありません。』
受け取りの立ち合いは、Intrepidが行った。集められる全ての艦娘を集め、その遺物を見届けた。それが何で、誰のものかはその場の全員がすぐに理解した。旧ノース・タワー地下に建設中の博物館の建設の最中に見つかったと調査官は話した。それは現在、少年とその博物館館長が立つ、まさにその場所だった。
「パパも艦娘たちも、みんな戦っていたんだね。」
展示ケースに収められているこの二点は、この地で殉職した艦娘達の最期を伝える、数少ない物証である。そして同時に、未だに崩れそうなほどに揺れ動く、”艦娘”という存在についてを今日でも未だに問い続けるそんな存在になった。
公民権を得た艦娘らを巡って、今もなお世論は揺れ続けている。
こでまで私たちが下してきた選択肢は、正しかったのか。
それとも、間違っていたのか。
博物館で最後に抜ける展示室は、展示物も展示台もプロジェクターもない、がらんどうで殺風景な空白の部屋が待ち受ける。部屋の題目として付けられたのは"未成"。決して終わることのない艦娘としての歴史、あの徐たちが歩み続けるその航跡─それを表すような部屋だった。
「何も置いていないけど…この部屋は……?」
館長より少し先を行く少年は、部屋を一面見渡すなり、彼女のもとへと再び視線を送る。
「この部屋は、この世界の”今”よ。」
部屋の隅に置かれた唯一の置物であるショーケース─。中身は言うまでもなく空っぽで、背後の鍵も挿したままに置かれている。Intrepidはそれらの空間の中で続けた。
「何が正解で、何が間違っているのかは誰にもわからない。…でも、だからこそ、考え続けることこそが答えなのだと、私たちは色々な人から教わった。」
壁紙すら張られていない、これまで巡ってきた展示室とは大きく異なる、天井の照明で照らされる純白の明るい部屋。それは、これまで世界を動かし、時に世界に動かされた艦娘たちが導いた、最終証明だった。
「この部屋をどのように彩り、何を展示し、訴えかけていくのか。この地で起こったことを、どう後世に残していくか。それは今後の私たちが形作っていくものであり、同時に、ここまで私たちに向き合ってくれたあなた方の今後が決めるものでもあるの。」
「─そのことを、どうか忘れないでいてね。」
時計の針は、あの時から10年目の節目を目指して、無慈悲にも刻々と進んでゆく。しばらくその空間で立ち尽くした後、二人は出口へと歩き始めた。
“We remember, so that loss does not silence.”
─National ELEVEN Museum
─失われしものが、沈黙に消えぬように─。博物館本館からの出口通路と合流する場所の壁面に、光に包まれ浮かび上がるその文字。この地で起こった出来事のすべてと、艦娘たちが進んできた軌跡が交錯する、この二つに分け隔てられた博物館が存在する意義であり、固く決めた決意であった。
土産物屋も記念撮影の場も設けられていない。他の博物館とは一線を画す国立”11”博物館─。出口へとつながる、吹き抜けとなったらせん状のなだらかなスロープをのぼる。なだらかにも続くその道が、この10年という無慈悲にも過ぎてゆく年月の長さを訴えている。壁面に印刷された、約9年半分のニューヨーク市民が記録した数多の写真。博物館の建設にあたり、遺品や写真などの贈呈で記憶の伝承に貢献した、遺族らほぼ全員のサインがその背景に浮かぶ。
出口の自動ドアの前、開かれたシャッターとドアの隙間から、秋の夜の冷たい外気の風がうっすらと吹き込んでくる。徐々に休憩室へと近づく無言の二人の足音─。母は唯一の家族である愛息子を迎えるべく、重い休憩室のドアを開けた。
「──お待たせしました。マギーさん。」
「”待たされた”…なんて思ってもいないわ。この10年に比べればね…。」
しばし言葉を探すように息をついた後、マギーは小さく首を振った。安堵と様々な疲れ、言い尽くせぬ複雑なものが折り重なるその声に、Intrepidも同じような複雑な思いを感じられずにはいなかった。ノアは母の手を取り、親子の温もりを確かめ合う。
エントランスホールの広いガラス扉からは、夜の街の光がこぼれ込んでいた。長い巡りの終わりに、三人はそこで足を止める。
「本日はありがとうございました。」
マギーが小さく頭を下げる。その傍らで、ノアは展示の余韻を抱えたまま、まだ脳裏に感情と言葉を探しているようだった。
「こちらこそ。彼にとっても良い学びになったわ…。」
Intrepidは穏やかに応じ、視線をノアにやさしく向ける。少年の肩に光が落ち、ほんの少し大人びて見えた。
「それでは。また明日の追悼式典でお待ちしております。」
別れの言葉とともに、イントレピッドは”館長”としての声音へと戻る。マギーは深く息をつき、わずかに微笑んだ。その十年の重さを抱えながらも、明日へ歩む意志が滲んでいた。2人の親子は出口の向こうへ消えていく。残されたIntrepidは、扉の閉じる音に耳を澄ませながら、ひとり静かに歩を返した。
エントランスの自動扉が閉まり、親子の背中が眠らぬ夜の静寂へ溶けていった。ガラス板張りの天井に浮かぶ、新ワールド・トレード・センター。『フリーダム・タワー』と名付けられた、高さ1776フィートのビルが眠らぬ街を照らすように煌々と天へ伸びる。1本となったあのタワービルの足元に、人々の喪失が眠っている。この街の下に、艦娘たちの記憶が静かに語り継がれている。そして、まだ誰にも知られていないそれぞれの物語がある。
再び無人となった博物館内に、遠くの大時計が秒針が時を刻む。やがて遠くから鐘は鳴り、日付の進みを告げる。明朝には、この空に追悼の鐘が鳴らされる。時刻は午前0時ちょうど、2031年9月11日──この巨大な博物館で、彼女はその館長として、初めて”あの日”を迎えた。
Intrepidは中央管理室に戻り、静かに照明のスイッチを落とした。
無音の世界と化した博物館内。それでもなお、秒針は進みゆく時を刻み続けていた。