SHE'S ALWAYS A WOMAN   作:雪原 美波

6 / 9


”そこには、『悪』も『正義』も存在しないのです。
   あるのは、ただ一つ。『生への渇望』だけでした。”




6th Floor "Goodbye Blue Sky"

神奈川県横須賀市──三浦半島のちょうど最東端にあたる、立派な白灯台の佇む観音崎のやや南方、観音崎大橋を渡った鴨居港の先の埋め立て地に、堂々とそびえる接岸岸壁付きの研究施設。浦賀駅から南方に徒歩30分程度のやたら不便な僻地に、山崎實里の属する民間研究会社”株式会社 日本海洋開発技術研究所”…通称:ジャム・ド・テック(JMDTEC)の本拠地がある。敷地内の岸壁には 潜水調査船支援母船 (兼:海洋調査船)の”みらい”の姿が見える。日本で二番目となる有人潜水調査船”わだつみ2000”を抱ぬまま、身軽そうに東京湾の穏やかな波に揺られ白昼の眠りについていた。

「山崎先生。推進(スラスタ)系インバータ、見終わりました。どっちもオール・グリーンです。」

陸上に備えられたかまぼこ屋根の格納庫には、日本でも二隻しかいない深海潜水艇が一隻静かに鎮座する。全長約9.5m・高さ約3メートルの大きな艇体の背後から、工具箱を抱えた男性職員が顔を出す。この日も続けられるのは、会社が保有するこの潜水艇の日常点検だった。

「おっけ、ありがと。それじゃ主電源(バッテリ)補助電源(バックアップ)も全部見ちゃうね。」

アメリカで博士号まで取った日本でも稀有な潜水艇操縦士 兼 海洋生物学者の彼女──山崎實里は、工具箱片手に作業帽を被り、今日も今日とて出番のない”愛機”のお世話に渋々励んでいた。

 

有人潜水調査船──いわゆる“潜水艇”。その操縦士(パイロット)は、潜航中に万一の事態が発生した際にも冷静にトラブルに対処できるよう、通常は操縦士と整備士を兼ねる場合がほとんどである。やはり操縦士の山崎ももれなくその対象で、彼女はいつも不満を垂れながら点検作業であったり簡易修理の業務も担っていたのだった。

 

艇首からメイン・スクリューの付く艇尾まで、全体的にやや角ばった白塗りの艇体に描かれる、黒文字で記された”わだつみ2000”の表記。切り欠き状になった艇首には、生身の人間の乗りこむ球形の耐圧殻が姿を見せる。まるで魚のヒレを思わせる左右各両舷の補助スクリューに、背ヒレのようなロイヤル・ブルーに塗られた煙突状の耐圧殻へ繋がる出入口。”尾ひれ”として備わるのは、水平安定フィンと背ヒレと同じ色に染まる垂直安定フィン。後者には白抜きで海龍を模した会社ロゴと”WADATSUMI 2000”の文字が刻まれる。そのデザインを除けば、外観から判断できる設計の全ては、海洋科学技術センターが同時期に運用を始めた”しんかい2000”そのものだ。

「──…しばらくは”潜り”中止だってね。()()()()が恋しくなるなぁ。」

「ですねえ。でも、たとえ数十年潜れなくとも、”こいつ”のお世話だけは欠かせずやらないと。この間のベーリング海でも、こいつにかなりの無理をさせたんですから。」

メンテナンス作業を続けながらも、学者兼操縦キャプテン(潜水艇長)の彼女は、世話話の合間にその白い船体に寂しげに触れながら語る。それに助手であり副操縦士の若い男性職員は、覚悟を決めたかのように答えた。”アリューシャン列島沖事変”から数か月。山崎が護衛艦”しらね”である意味豪華な太平洋クルーズを満喫しているさなかで、突如太平洋に現れた()()の未知の魔の手が徐々に迫り、”機構”の姉妹艇と共に無期限の潜水停止要請が出ていた。

「…大体さぁ…何で学者の私が操縦士(パイロット)やって、整備士(メンテ要員)までも兼ねなきゃいけないわけ?」

少数精鋭とは名ばかりに、莫大な利益を上げ高い給与が保障される代わりに続く激務に、整備中の愚痴話はここの最前線で働く数少ない”精鋭”達には欠かせない。彼女は決め台詞のようないつもの愚痴をこぼしては工具片手にメンテナンスを続けている。

「文句があるなら追浜の”法人機構”に移ればいいじゃないですか、僕も付いていきますよ。」

「…それはいやだ。ワンマン潜航(ワンオペ)ができるの、この子だけだもん。」

にやりと笑みを浮かべながら、彼女の真横で助手は生意気そうに告げる。ビジネス上の”競合”という関係にないどころか、むしろ協力体制を組むことも少なくない海洋技術センターを”法人機構”とは、何故か無意識のうちのライバル意識を持ちがちな社員間で共有される蔑称だった。

 

いつも通り無粋な表情を浮かべては愚痴を垂れて点検業務を続けていると、格納庫に三人の男がぞろぞろと入ってきた。それに気付かずにバインダーに挟んだ点検マニュアルを読み進めていると、1メートルほどの高さのある整備作業台の下から、その内の一人が大声で彼女の名前を呼んだ。

「──山崎くん!お客さんが来てるよ!君の名刺持ってたから、連れてきちゃたけど。」

世間話を続けながら二人体制で愛する”わだつみ”の整備を続けていると、やがて整備格納庫に会社の広報課長の声が響く。ぱっと振り返ると、総務部の人間と会社正門の守衛に囲われるように、一人のどこか見慣れた若い男性が背筋を伸ばして立っていた。

「……先生にも、や~っとできましたか?()()。随分長かったなぁ。」

「………アンタねぇ…。潜りが再開したら、覚えてなさいよ。」

再び気色の悪いニヤニヤ顔を浮かべながら、小指を立てたジェスチャーで冷やかしを入れる助手。山崎は彼の肩を肘でどつき、頬を赤らめながらも少しぎこちのない表情で語気を強めて生意気な彼を厳しく牽制した。

「…はい。ただいま向かいますね。」

春風を存分に取り込む全開の格納庫の引戸の先に、靄ひつとない浦賀水道の青い景色が広がる。そこから昔から好きな”海の音”に心を落ち着かせ、山崎はすぐに本調子取り戻した。

「護衛艦乗艦時にお世話になった方です。あとはこちらで対応するので…。」

彼女の計らいで彼の付き添いは持ち場に戻る。白昼の煌めきを格納庫越しに見せる眩い海原を背景に、一隻の潜水艇と二人の男女の姿だけが映った。

「君は…確か。」

「…海上自衛隊 護衛艦”しらね”航海科所属の、津久井三尉です。」

艦内では”下士官”であるという風に勘違いしていた彼女は、三等海尉という肩書が”幹部自衛官”に当たることを、横須賀住まいの豆知識としてすぐに思い出す。きりっとした凛々しい瞳で山崎をまっすぐに見つめる元:世話係りの彼に、彼女は目を丸くした。そのことに若干の後ろめたさと恥ずかしさを感じる暇も設けず、彼はガッツリとした左手にぶら下げた紙袋を渡した。

「…艦内でのお忘れ物です。…失礼を承知で、直接お渡しに伺いました。」

「あ…あぁ、すっかり忘れてた!」

すぐに紙袋を受け取り、静かに中身を取り出す。そういえば昨日、馬堀海岸の自宅に戻る夜の時間、あの寒い洋上航行を経験したてを思えないほど、いつもより肌寒さを感じたのを思い出す。そこには、彼女の愛用のフライト・ジャケットがぴしっと丁寧に畳まれていた。

「…?」

紙袋から取り出したジャケットの腰の部分に、よく目を凝らして見れば分かる繊細な茶色の縫い目があるのが目につく。鎖のように記憶を辿って行けば、例の”揚収体”を見るために闇の甲板を移動したとき、ジャケットをどこかに勢いよくひっかけた記憶がよみがえる。

「……とても手先が器用なのね。これ、直してくれたんだ。」

「あ…えと、すいません。勝手に直してしまって…。」

縫い目はとても丁寧に結ばれていて、顔を寄せてじっくり見ても縫われているか分からない程度に綺麗に縫ってあった。彼のその暖かな善意に、海底より深い山崎の心が揺れるような気がした。

「ううん。これ…お父さんの形見でさ……大切にしているの。ありがとうね。」

「いいえ、とんでもないです。」

少し照れくさそうな笑みを浮かべる彼に、山崎もまたいつ以来か忘れてしまった、温かみのある笑顔を浮かべることができた。照れ隠しで視線を横に逸らす彼の瞳に、ふと潜水艇が留まる。

「……これは…船、ですか?」

「そうよ。有人潜水調査船(深海潜水艇)”わだつみ2000”。その名前の数字の通り、この子で海面下2000mまで潜航可能。むこう(追浜)の”しんかい”と同じく、深海域での海底鉱物や海洋・地球物理学、深海生物の潜航調査をしてるけど…”わだつみ”は後者を担当するのがほとんどで──…」

外部に紹介されることもなかなかない”愛機”の解説に、思わず口が弾み、少し早口になる。

「深海…潜水艇…!生まれて初めて見ました。我が海自の潜水艦とは全く別物ですね。」

「潜水艦と潜水艇、よく混同されがちだけど、実は全くの別物なのよ──…」

リラックスした仕立てのスーツに青色地のシャツを礼儀正しく着こなす彼は、止まらない話を続ける彼女の声を耳を澄ませるようにして興味深そうに聞き入っていた。整備中の”わだつみ”の足許に近付く。姉妹船の”しんかい”とは異なり、定期的な一般公開がされない”わだつみ”に、津久井と名乗る非番の自衛官は思わず目を輝かせる。

「私の肩書は海洋生物学者だけど…一応、本艇の船長ってことにもなってる。」

「せ、船長…!これは、大変失礼しました。」

彼が貰った名刺はあくまで”海洋生物学者”としての名刺で、それとは別に携帯する”深海潜水艇操縦士”としての名刺を今度は片手でラフに差し出す。

「そんなかしこまらないでよ。別に、大したことなんてしていないわ。」

思わず彼が背筋を伸ばすのは、階級制度の厳しい自衛隊員ならではだろうか。山崎は紺色の作業着のポケットに手を突っ込みながら、上半身をうねらせるようにして笑っていた。ここまで自然な笑顔で誰かと話すなんて、随分と久しぶりのように感じた。

「─…山崎さん。も、もしご都合よければ、今夜にお食事ににでもどうですか?」

満面の笑みを浮かべる彼女の顔に見惚れるように、ぎこちなくも彼は強張らせた口を開いた。彼が属する護衛艦”しらね”の母港はここ横須賀港。情勢が情勢とはいえ”しらね”も当面は休息を取るのだろう。その休息時間に、彼はさらに山崎の話を聞きたそうに泳いだ目を合わせて尋ねた。

「……そうね。ここじゃ大したお礼も出来ないし…是非。一杯だけでも奢らせて。」

目を格納庫の天井にほんの少し泳がせながら、動揺を隠して彼女は応える。その嬉しさとちょっとした緊張に少し唇を噛み、受け取った紙袋に視線を落とす。袋の底には、彼女が雑に戻したジャケットに隠れながらも、自宅の住所と電話番号が記した初々しいメモ用紙が添えられていた。

「……では、この辺りで失礼します。お忙しい中、ありがとうございました。」

「うん。()()()()()()()()()。」

自衛官らしく物腰低く丁重に頭を垂れ、彼は踵を返すように格納庫を後にした。先ほど交わしたばかりの約束も、紙袋の底のメモ用紙にも気付かないふりをして、山崎は別れを告げる。”わだつみ”の煙突状の出入り口からは、艇内設備点検を終えた助手が再び顔を出してこちらを見ていた。

「デートの約束、とりつけられましたか?山崎せんせ。」

「うっさいわね。忘れ物届けてくれただけよ。」

「ちぇ~っ。せっかく今世紀最大の美男子が、やってきたと思ったんですが…。」

「黙って作業続けていなさいよ。私はちょっと片付け行ってくるから。」

はぁい、と腑抜けた返事をだけを残して、残念そうな表情を浮かべる助手の頭は再び艇内に引っ込む。紙袋を赤子を包み込むように胸に抱きながら、普段は冷めた表情の山崎の顔には抑えられない微笑みがこぼれていた。

 

潜航もなく暇も多い18時までの所定勤務時間を終え、トイレで化粧を直しては定時で研究本部を抜ける。まだ建造中の海自向け護衛艦を抱える浦賀造船所の脇を足早に通り、浦賀駅から品川行きの電車に揺られる。降りるのは馬堀海岸ではなく汐入─、彼女の行きつけの店の最寄り駅だった。駅をおりて日米の両情緒が交錯する”どぶ板通り”を進む。店までは10分もかからない道のりだ。

「ごめん、ちょっと待たせたかな。」

わざわざ直してまで届けてもらった、お気に入りのフライト・ジャケットを肩に引っ掛けながら、やはり両手をポケットに潜らせた女性──山崎實里が、待ち合わせ場所としていた彼女のお気に入りのバーの前で待ち人を待つ”彼”の前に現れた。

「いえ、待つも何も、自宅からすぐのところでしたから。」

彼─津久井は、笑いを交えながら言った。山崎は眉と肩を上げる仕草でそれに応え、ふたりの男女はうす暗いガラス張りの入り口の奥に消えた。

「やあ、お好きな席へ。」

バーカウンターでグラスを磨く中年の男性店主は、目を合わせず英語で簡単な入店の挨拶を告げる。やや暗めの店内には、立ち飲み用の丸机と背の高い革張り椅子が横一列にカウンター席が並ぶ。他の在日米軍向けの飲食店とは異なり、爆音でテレビや音楽が流されるわけでもない。お客でごった返しているわけでもなく、彼女が好みがちな極めて落ち着いた雰囲気の酒場だった。

「…マスター。久しぶりだね。」

「おっ、おぉう!ドクター・ミノリ、お帰りなさい。今夜は彼氏とイチャイチャかい?」

「そんなまさか…。旅の道中でお世話になった恩人よ。彼にお礼の一杯を奢りに来ただけ。」

肩幅の広い店主(マスター)に、彼女は久々の英語の挨拶を投げた。アメリカ人らしい上段に、彼女は笑みをこぼしながら応えていた。その場の雰囲気は、津久井にとってはまるで日本語を禁止された規律の厳しい英会話教室のようだった。

「”オーシャニック・モヒート”、今夜は2人分ね。」

カウンターの奥の店主は彼女のオーダーに”はいよ”とだけ答え、彼女がオーダーする前に既に用意していたシェーカーに、せっせと氷を詰め始めていた。

「…こういう雰囲気のお店、はじめて?」

「は…はい。なにぶん、英語は防大時代から苦手でして。」

「ダメじゃない。船乗りなんだから。…でも、ここは大丈夫。店主(マスター)フレンドリー(親切)だから。」

肩をこわばらせながら緊張を露わにする津久井に、山崎は日本語で優しく彼を落ち着かせる。

「…英語、お上手なんですね。」

「生まれと育ちはアメリカなのよ。シアトルっていう穏やかな港町でね──…。」

英語を津久井という男に褒められたのも束の間、ドリンクを待つ間に、話は自然とお互い自身の事にフォーカスが当たるようになった。滅多に自分の事を語らない山崎は、言葉選びに苦戦しつつも、自分なりに自分の歩んできた歴史を言語化して伝えた。

「ちょっと喋りすぎちゃったね。津久井くんは?」

()ですか?…()は、出身は茨城県の隅っこの鹿島町ってところで、──…」

とても自然な話の流れの中で、昼過ぎに会社で会ったときのような緊張感やぎこちなさは酒が入る前に消え、気付けばお互い自身についての事を言葉で交わすようになった。

 

護衛艦”しらね”航海科に属する齢24歳の三等海尉、津久井(つくい) 亨輔(きょうすけ)─。

茨城県鹿嶋町にある大製鉄所に勤める父と、父の赴任にも付いてきた母との間に生まれた、長女・次女・三女に続く6人家族の末っ子で唯一の息子だった。小中では勉学にもサッカーに熱中取り組む優秀性だったが、高校では免許もないまま暴走族にのめり込みバイクを日々乗り回す、かつては地元でも有名な”問題児”の一人となっていた。その様子を見かねた父が彼を自衛隊に入れて更生させようと試み、その姿勢に対しての反骨精神で一浪してまで入ったのが防衛大だった。滑り込んだのは合格枠ではなく追加合格枠…いわゆる補欠入学組だった。卒業して2年近く、配属された先があの横須賀を母港とする護衛艦”しらね”航海科だった。それで今に至る─、ということだった。

「お待ちどうさま。”オーシャニック・モヒート”だ。」

船乗りとしての共通点やお互いの趣味、休日の過ごし方…他愛もない話で、お互い自身の事を話し合っているところでマスターの声がかかる。青色と紺色の美しいグラデーションと、そこに添えられた氷にライムとミントが織りなす、芸術的に美しいカクテルが注がれたタンブラーが、店主の無邪気なウインクと共に差し出された。

「それじゃあ、いただきます。」

「どうぞ。乾杯。」

口を添える前に、タンブラーの先と先を交える。グラスの中で重なる氷が爽快でいて心地の良い音を奏でると、液面上に詰まる氷がほんの少しだけグラ―デーションの濃い底面へ沈んだ。

「美味しいでしょう?」

奢られたドリンクに、彼は少しだけ首を下に降ろす会釈をしながらも、タンブラーに口を付けた。山崎のその問いかけに、アルコールの濃いそれを口に含んだままの津久井は、口をすぼめながらこくりと頷いて応えてみせた。カウンターで肘をつく山崎は、口元を緩めては彼の様子を嬉しそうに見つめていた。

「”深海”をモチーフにね、マスターがレシピしてくれたの。私だけの、特別なカクテル…。」

「…山崎さんは、どうして深海潜水艇の操縦士(パイロット)になったんですか?」

カウンターに置き戻したタンブラーの中を物珍しそうに見つめながら、津久井は尋ねた。山崎はまだ、自分のいきさつを語っても、その理由までは語っていなかったからだった。

「なんで…か。……海がね、海が好きなんだ。……生き物も好きだけど、深海っていう世界が好きなの。誰もいない、誰にも邪魔されない。私が自由で居られる、私だけの唯一の場所…。」

ヒンジのすっかり錆びついた、鍵付きの重い扉をゆっくりこじ開けるように、彼女は語り出した。異国の地で日本人として生まれ育った、一人娘の山崎實里という女性。彼女はいつまでも孤独だった。学校ではアジア人のハーフだからと日々熾烈なイジメに遭い、近所の家庭から時々ハブられることもあった。多くはなくとも学校でできた友達もいた。それでも、父も母も駐在員で毎日馬車馬のように働き、彼女は休日以外は家でも一人の時間を過ごした。人肌恋しく寂しく辛い時もあったが、それでもその時間が嫌いなわけでもなかった。勉強する時間だけは無限のようにあったから、

「こんな事、誰かに話すのは初めて。──幻滅した?超変わり者でしょ、私。」

グラデーションの付いたグラスが静かに立つ。事の顛末を語り終えた山崎は、呆れ笑いながらもそのグラスに潜水艇に見立てたマドラーをゆっくり、そして静かに沈める。マドラーの先がグラデーションの闇に消える頃、津久井は口を開いた。

「全然変なんかじゃありませんよ。俺も独り身が好きです。自分だけのの空間を誰にも侵されたくない…。そんな考えでいて頑固だから、付き合った彼女にも直ぐフラれちまいました。」

弱みを出した男のしっぽを捕まえない女はいない。普段は酔わない強力なカクテル一杯には、今日は一段と美味しく、それでいて強いように感じた。段々と酒が回ってきた山崎は、にんまりとした笑顔で自虐的になりながらもすぐにその話に乗っかった。

「これは奇遇ね。津久井君は何日で別れたの?私には勝てないわよ。」

「俺は2週間と5日です。山崎さんは?」

「3日で別れた。時間にして72時間…大学院時代だけどね。」

五歳以上も年上の、それも異性の衝撃的発言に、津久井はなんともリアクションしようがなく、ただただつらい過去を思い出してはその場で眠るようにうつむいた。

「ちょっと、笑ってよ…。私がこっ恥ずかしいだけじゃない…。」

「─……マスター。いつもの曲、かけて。」

「はいはい、アルバムの7曲目だね。お嬢さん。」

”The Stranger”と表記された大きな円盤が収まるレコード・アルバムを、店主は優しくカウンター横のプレイヤーにセットする。針をその位置に合わせ、山崎がニューヨーク在住時によく聞いた曲が店内に穏やかに流れる。曲名は”She’s Always a woman”。ニューヨーク出身の作曲者のマネージャーであり元妻の女性を歌った、3分21秒の短いアコースティック調の一曲である。

「……山崎さん。」

完全に一杯の酒に呑まれた彼女がカウンターに突っ伏すようにして、真っ赤に染まった顔を垂れ下がったなめらかな髪で隠す。そんな彼女の手に、津久井は手を重ねるようにしてそっと添えた。

「ダメだよ。こんなヘンテコな女を好きになっちゃ。…私は船乗りなのにさ、誰かを待たせられる女でも、待つことのできる女でもないの。もっとまっとうな恋をしなきゃ。」

「俺は何時間でも何年でも、いくらでも待ちます。」

山崎の旨の奥底で高鳴る心拍の鼓動は、もはや制御不能に達していた。それが酒の回りによるものなのか、それとも”彼に対しての何か特別な感情”なのか、彼女自身ですらもはや理解不能な状態にまで陥っていた。

「………私がずっと深海に沈んでいても、同じことが言えんのかしら。」

「そうならば、今度は俺から潜って迎えにいきます。」

津久井が冷静に、そして静かに山崎の手に添えた手の温もりは、徐々に彼女自身の手に伝わる。突拍子もない言葉でその想いを貫く彼に、机上に突っ伏して顔を伏せる山崎は呆れ笑いを浮かべ、今にも消えてしまいそうな薄平らたい声で声を発した。

「もう、この馬鹿…。そこまで言われちゃあさ……。」

 

「深海は良かったなぁ…。真っ暗闇の世界に自分だけ。誰もいないし誰も見ていない、誰も邪魔しない。…こんなにも()()()()()を恋しくなることもなかったのに。」

 

呂律も徐々に回らなくなり、急激な眠気が全身を叩き割らんとばかりに襲う中で、山崎は今まで内に秘めていた全てを絞り出すように口を出す。最後の記憶に残っているのは、火照りのあまりに脱ぎ捨てたジャケットを、彼がゆっくりと自身の肩にかけた、背中を経た感触だけであった。

 

 

 

 

    *    *    *

 

 

 

 

 

─1981年9月11日、”アリューシャン列島沖事変”の半年程度前の夏の海原。

落成間もない最新鋭の有人潜水調査船((深海潜水艇))”わだつみ2000”を後方甲板の格納庫に抱えた、潜水調査船支援母船((海洋観測調査船))”みらい”の姿は、ちょうど日付変更線とソヴィエト・アメリカ国境を越えてしばらくの、ベーリング海東部─大陸棚に乗るセント・ジョージ島から南西約100キロ地点─に位置していた。

「トリムタンク、ダウンに設定。深度ソナー観測値・ペイロード電源異常なしです。先生。」

「推進装置の設定も問題なしだね。オッケー。」

母船である”みらい”格納庫直後の船尾に備える大型クレーンで、生物学者を兼ねる操縦士─山崎とその助手を兼ねる副操縦士、そしてお客様であるアメリカ某国立大の地球物理学者の合計3名をぎゅうぎゅうに載せた”わだつみ2000”が、海底調査に向かうべく徐々に海面下に降ろされる。この日はベーリング海中央海域における、深海生物調査と海底地理の物理学調査・”わだつみ2000”の落成後初となる1000m級深海域への試運転をかねての潜航だった。

「”わだつみ”より”みらい”。本艇各部異常なし。ベント弁開放10:12(ヒトマル:ヒトフタ)。」

≪”みらい”より”わだつみ”、了解した。お気をつけて。≫

海上の波に揺られる母船のクレーンに吊るされれば、その揺れはますます増強され、小さな窓が3つのみしかない、閉塞感あるチタン合金製の耐圧殻内のコックピットに不快な揺れをもたらす。まだ操船1ヶ月目の操縦士2人にとっては、この揺れに耐えるのが毎度の対一関門だ。

 

やがて鮮やかな白い艇体が、作業員らに見守られながらも徐々に青色の水面下へと姿を消す。着水作業に入ったかどうかは、音では分からないが、艇内の揺れが収まれば水面下に進入したサインだ。そして山崎とその助手が凝視するそれぞれの計器がそれを証明してくれる。

「”わだつみ”より”みらい”。潜航を開始した。現在深度50。観測値正常・各部異常なし。」

「しかし、驚いた…。水面下2000mまで潜る有人潜水艇のパイロットは2名とも学者…それも、そのうちの片方はまさか女性だとは…ね。」

黒地の各種観測計器がずらりと並ぶ、コックピット・コンソールの前の椅子に座る山崎實里。当時としては世界的に見てもまだ珍しい女性潜水艇操縦士(パイロット)であり、さらにその肩書には海洋生物学博士号と携える。彼女の助手にして海洋物理学者である副操縦士共々、世界でも非常に稀有な注目人物の一人だった。

「…わが社(JAMDTEC)は我が国の”法人機構”とは異なる、完全なる営利企業でありますから──…。」

彼女は目標深度まで辿り着く数時間の暇をつぶす様に、今の自分たちの内情を淡々と語る。営利企業としていかに価値のある調査を進め日本と世界に貢献し、かつ効率的に”お客様”から利得を得るか…の2点が重要な点となる。そのために海洋学者を操縦士に育て、彼らが生み出す調査情報という資源を売ると同時に、他の調査員を載せて適切な運賃を徴収する─。2人から言わせれば、この前代未聞の体制は日本という国がお得意の”効率化”の考えの行きつく先であった。

「そのために、わざわざ()()()()()を遠いアメリカの地から、恐らくそうは安くはない金額で引き抜いたんですからね。…まぁ、僕らの業務範囲外の内容です。無視してください。」

山崎は矢継ぎ早に自分の所属する会社の大いなる特徴を取り上げ、助手がそれに一言を付け足す。将来的にこの2人の操艇技術が向上し、現在この”わだつみ2000”を有する会社が、早速その計画に着手しているワンマン潜航(ワンオペ)が実現すれば、いずれ見れなくなる光景となるだろう。

「…なるほどな。今まで世界各国の潜水艇に乗って深海に潜ったが、御社の”ワダツミ”ほど面白いフネはない。将来的に操縦士1名のみでの潜航も可能となる高性能汎用深海潜水艇に、海洋物理学・海洋生物学の各学者が操縦士を兼ねる、か。”シンカイ”のコピー版の船とは言えど、フネもヒトも、御社の幹部らは良い()()()をしたな。」

同行者のアメリカ人の中年博士は、耐圧殻についた手のひら大の小さな窓から外の世界を眺めつつ。興味深い事情の数々に思わず唸った。山崎が持つコンソールの2つの制御棒(スティック)と動かす音以外に艇内には音が無い。こうしていつも何かしら会話をしていないと、気が狂いかねない世界であることを3人は知っていた。すかさずに山崎が口火を切る。

「”わだつみ”と”しんかい”は姉妹船にして似て非なるものです。向こうは最低で操縦士2名の乗船が運航の最低条件ですが、こちらは民間企業らしく1人乗務可能な柔軟な設計で、設計限界深度も潜航深度×1.75倍の3500メートルです。他にも向こうはオール国産である一方、こちらは海外技術や装備を導入している、という点も大きな特徴ですね。」

数十億円という規模にもなるこの有人深海潜水調査船を、民間会社と公的研究機関の二社が保有する理由もそこにある。つまるところ、”しんかい”と”わだつみ”…公的機関における低リスクな保守的路線での運用と、民間企業としてのリスクが高くとも最大限の効率・利益・成果とそのための柔軟性を重視する──、日本初の本格的な有人潜水艇の保有にあたり、ある種の国策としてこの艇は誕生したのだった。

「ふむ。私が水面下3000mまで降りたいと言えば、降りれるわけか。」

()が許可を出せば行けますよ。3000までは余裕で降りれる設計ですので。…問題は我が国特有のでして、民間でもその上の頭の固さを撃ち抜ければ…ですけどね。」

操縦席からマットの上に寝転がるようにして座る他2人を見返すように、山崎は振り返る。彼女の口から飛び出すその言葉は、まさしく民間企業らしい柔軟性を重視する一言でったが、同時にその中での障壁の存在も示唆した。人生のほとんどを同行者(ドクター)と同じアメリカという国で過ごした、彼女らしいブラックジョークを交えて、お客様から一本笑いを取ったところで、深度は既に本艇未知の1000mを超えた。

「う、ちょっと冷えてきたかな。」

助手は羽織ってもいなかったジャケットに腕を通し、前のチャックを一気に閉める。深度が深くなるにつれて、艇内の気温は一気に低下する。純粋酸素と二酸化炭素吸収材を用いて呼吸空気を補填する艇内は火気厳禁で、暖房は勿論使えない。山崎の化粧すらも厳しい着火試験をクリアしたものしか使えないという徹底ぶりだ。そんなことになりふり構わず、今度は操縦士の二人が日本語で会話を続ける。

「─姉貴分の”しんかい”の落成が”わだつみ”より後になったのは意外でしたね。そこまで造船所(浦賀ドック)を急かして、いったいこの会社のどこにそんな金があるってんだか…。」

「”わだつみ”の建造費は”しんかい”の1.5倍の55億円。そんな額は”みらい”建造費も踏まえれば簡単に出せる額じゃない。だからこの艇(わだつみ)を中長期的に運用して、そこで私と君がかき集めたデータを各方面に売り捌くことで、投資分を回収するんだと思う。…ま、適当言ってるだけだけどね。」

なぜ建造を1番艇より前倒ししたのか、それは社員の間でも明らかにはならなかった。だが、それも民間企業の悪しき優位制(アドバンテージ)ともいえよう。いずれにしてもこれからの2名に課せられた任務は、このフネを使えるだけ使い倒し、狂ったように潜り続けて投資分を回収し、自分たちの専攻分野の学びをさらに深めることにあった。

 

デジタル式の深度ソナー表示計が、深度の数値を徐々に上げてゆく。他愛もない会話と会話の間に生じる、ぎこちない沈黙の間には、自分の耳に入る音は極めて静かな艇内コンピューターの動作音と、自分の全身に血が巡る”サーッ”という音だけだ。

 

やがて山崎の操縦する艇体は、ドクターが目指すべき深度と事前に伝えていた深度に達した。コンソール脇の無線機に手を伸ばし、山崎は海上の母船”みらい”との連絡通信をこなす。

「”わだつみ”より”みらい”。現在目標深度1330に到達。引き続き各部異常なし。」

「──バラスト半量投棄。トリム中正。垂直スラスタ起動…異常なし。」

「補助タンク注水。…”わだつみ”より”みらい”。これより着底します。」

目標深度は大陸棚と海盆の境目に当たる地点に、”わだつみ2000”は音も立てずに降り立った。腹にしまっていたバラスト(おもり)の一部を捨て、やや身軽となった身で潜航のために眠っていた各スクリューのスイッチを入れ、その艇体は無音のまま動き出す。

「目標地点はもう少し先だな。崖のようになっているところまで、少しづつ進んでくれ。」

お客様である同行者(研究者)の意向に合わせて、深海では潜水艇を操る。これはどの潜水艇でも同じである。目的はあくまで研究だからであるためだ。英語で与えられる指示を2人は速やかに翻訳し、与えられた任務達成のために淡々と業務をこなしていく。

「了解しました、ドクター。…先生、姿勢そのままで微前進。1.5船身ほどです。」

「合点承知。…”わだつみ”より”みらい”。これより潜航調査を始める。」

改定での調査が徐々に進んでいく。艇は照明を照らし、映像カメラの映像をコクピットに映し出す。研究者の指示のままに山崎は上下・左右方向─それぞれを制御する2本の操縦棒(スティック)を、細かく刻むように動かしながら、これまで受けてきた訓練通りに艇体を自在に操る。その様は、数々の潜水艇操縦士を目にしてきたドクターにもベテランのような落ち着き具合に見えた。

「潜水操縦士は三次元方向の感覚に優れるというが…君たちもさすがだな。」

「えへへぇ、ありがとうございます。」

「でも僕らはこう見えて、まだ潜水回数は10回にも満たないんですよ。」

鼻高らかに、二人は声を合わせて応える。数多き学者の中から選りすぐりの五感を備える学者を導き出し、それでいて操縦士採用試験というふるいにかけられてもなお残った2人なのだから、胸を張るにもしっかりとその根拠をそれぞれが持ち合わせていた。

 

なんでもかんでも基本的に単独行動を好む、美貌を備えた異端児の山崎にとって、3人で潜っているとはいえど、この深海という世界を自分だけの世界かのように愛していた。陸上ではいくら不機嫌で不愛想であっても、潜航中はその居心地の良さにも助けられ、本来の優しさを兼ね備えた一人の人間として在るがままの自分でいられる。いわば精神の拠り所であった。

 

目標深度に到達して1時間30分。目標調査時間の約半分が経過した時だった。

映像にふと移る、海底の割れ目から噴出する気体──海底火山や海底鉱物から噴出するガス。それ自体は、1000程度まで潜れば良く観測されるものだが、”わだつみ”の映像が映し出すそれは、これまで2人が資料で見てきたものとはかけ離れたものだった。

「これは……なんだ?」

最初に異変に気付いた研究者が、額をくっつけるようにしてライトで照らされる深海の闇夜を見つめる。勢いよく噴出する細いガスの筋に交じり、血のように赤黒い液体が噴出し漂うのが、映像を見ずとも肉眼でもよく分かった。

「ものすごいガスの量ですが、ドクター。」

「なんだ…これ。乱泥流のようにも見えるけど。こんなの見たことねぇ……。」

研究者のすぐそばに寄り添うように、窓の外を見つめる助手も、目を丸くしてその異常な光景を眺めていた。操縦担当の山崎は、海水密度に塩分濃度、海水中金属成分を示す計器のメーターがみるみる上昇していることに気付いていた。

「海水密度1.041…塩分濃度に海水温上昇…重金属反応…この深海1000mでこの数値は…──」

通常の深海1000で出ることのない異常値を次々に叩き出す”わだつみ2000”。しかし計器類の異常を知らせるランプは点灯していない。あくまで潜水艇は通常通りの数値を記録しているだけだ。その異常な値について、副操縦士である助手が操縦士の山崎に尋ねようとした、その時だった。

「せ、船外カメラおよびマニピュレータ故障!」

「ち、ちょっと!こんな時に勘弁してよ…。」

ドシンドシン、という二度の大きな動揺と、船体が軋む衝撃音と共に、故障を報せるランプとブザーが一斉にコックピット内を包む。艇体全部に携える機器で唯一無傷のライトが映し出す、窓越しに見る艇外の景色は、赤黒い澱みにその視界の全てが覆われていた。

「先生、前方に大型障害物のソナー反射…!上昇急ぎ、後進一杯!!

潜航ソナーに突如として出現する反射波で、レーダーが緑色の表示に埋まる。一切の警報音さえならない艇内が、むしろその緊張感をますます増幅させる。

「了解!…ドクター、これより緊急離脱します!掴まっていてください!!

「海水密度1.067!重金属反応と磁場異常を検知!海水データ各部異常値を記録!母船”みらい”とのデータ通信不能!先生…完全に遭難しました…緊急事態です!」

助手が各モニタと計器と一対一でにらめっこしながら、大量に迫る異変に声を震わせて叫んだ。アメリカ人研究者は、居住区画底部の緩衝マットを両手でガッツリと掴みながら、目を閉じて聖書の一文をぶつぶつと静かに読み上げ始めた。

「落ち着いて!……ショット・バラスト、全量投棄!」

山崎はすぐに上昇に向けての手続きを踏む。スイッチのつまみを回し、強力な電磁弁で艇体の腹に抱えこんでいた鉄製の球体バラストの全てを海底に吐く。電磁弁に流れていた電気が力尽きるような音とともに、頭の先から足のつま先にかけて流れる上昇重力を感じながら、”わだつみ”は次第に深度を上げていく。”みらい”との通信は、深度800mを超えたあたりですぐに復旧した。

「先生、あれは一体?」

「私は海洋生物学者よ。むしろあなたに聞いてみたいくらいなんだけど…。」

「──ドクター。私たちが見たものは、一体…?」

緊急離脱に成功しひと段落着いた操縦席から、彼女は研究者に向かって顔を向ける。彼は左手で胸を押さえながら、右手で額を抑え、なんとか意識を保って、震える声で静かに答えた。

「我々3人が目にしても分からぬものに、名前などないさ。あれは…何だったんだ。」

”深海”という世界は、山崎實里という一人の女性が目指した有頂天だった。誰にも邪魔されない、見られない、自分だけの場所になるべき彼女の新しい拠り所になるはずだった。”私の場所で何が起こっているんだ”という疑念が彼女の内心を支配する、とてつもない胸騒ぎを抱えながら、母船”みらい”への無事の帰還を果たしたのは、それから2時間後のことだった。

 

母船も”わだつみ”からの無線通信データから各異常を読み取り、その無線が途絶えた段階で有人潜水艇の”遭難”を認定。除荷対応マニュアルの手順通り、その時点を持ってアメリカ合衆国沿岸警備隊(USCG)に対して海上事故発生の通報を行っていた。山崎らが母船乗員の心配と共に母船に上った頃には、アンカレッジ港から急行したUSCGの巡視船──ハミルトン級カッターが、”みらい”右舷を守り固めるように並走していた。

 

こののち直ぐに、アメリカ海洋大気庁や国家機関各局によって否応なく押収されることとなる、”わだつみ2000”の船外カメラの映像記録。その最後の4コマ程度に、海底ガスが噴出するその割れ目から伸びる青白い無数の手が、海底の裂け目からゆらゆらと揺れている光景が映り込んでいるのを、乗員3名は知る由もなかった。

 

──まるで、海底に現れた3人を、海の底に引きずり込もうとしているかのようなその手を。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。