rose the primal scream of those who were born as ships and lived as humans.
May their remembrance anchor our conscience,
and may their sacrifice guide all who inherit the seas."
“かつて沈黙に刻まれたこの街から、
艦船として生まれ、人として生きた者たちの産声が上がった。
その儚い記憶が我らと彼女らの不変の良心の錨となり、
瞼の裏に拡がる不可思議な世界が終わる。真っ白な天井と薄明るく部屋を照らす照明が視界に入る。遠くに換気扇の音が響き、ぞろぞろと人が集う足音が近づく。ブラウンのセミロングヘアにかかる空色の瞳には、まだ眠気に虚ろながらも11人の白衣姿が映る。
「おはよう。はじめまして…“Langley”……。」
その中で彼女に最初に声を掛ける視界右手に映る白衣に身を包んだ女性。周囲が微笑みや関心な明るい表情をしている中、彼女がなぜ哀調を帯びた表情を浮かべているのだろうか。彼女には知る由もない。彼女には言葉が分からない、言語を知らない。だからその表情を浮かべている理由を聞く術もなかった。
いずれにしても、アメリカ合衆国で史上初であり、さらに世界で初めて研究・実用化に至った人型対対戦兵器──“
言語習得などの改善プログラムはすぐに
──ノーフォーク海軍基地から北東に350マイル海上、北大西洋海域。
「信じられんな。たった一つの新兵器のために、あの巨艦1隻、か……。」
「まったく、皮肉なもんだ。あの大型揚陸艦――“サイパン”の建造費と改装費を全部込みで考えても、あの“新兵器”に突っ込んだ金額には、まるで届いちゃいない。」
赤い朝日が水平線から昇り、ウイングからは紅く照らされる艦隊を数人の士官達が望む。その2人が柵の上で手を組み、そんな独り言を航跡の残る海原に投げ合っていた。
「やれやれ。比較することがそもそも間違いだってか。」
輪形陣を成す艦隊の中央を進む軽空母の艦影。その腹の中に隠されているのは研究開発費と建造費だけで約20億ドルが投じられた、高さ5.3フィート、横幅1.6フィートの“艦影”──。世界初の艦娘兵器“Langley”が出撃のために艤装ボイラーを温めているところだろう。
「最初から勝負は決着ついてるさ。…哨戒を続けるぞ。いつ何時奴らがここに来るか分からん。」
人類のなすすべもなく深海棲艦の魔の手と恐怖感が世界を覆う中、この大西洋海域にはまだ大きな被害や勢力拡大は確認されていない。しかし、いつ何時彼らがこの海原に現れるかは誰にもわからない。各艦の乗組員らは甲板から双眼鏡を覗き、四六時中哨戒活動に徹している。今まで経験したことのないような独特な緊張感が演習艦隊全体を覆っていた。
背中を伝う艦娘向け小型蒸気タービンの熱が背筋を焦がすように熱を纏う。タービンが吐き出す煙に包まれ始めたウェルドックにはあっという間に海水が注入され、地に着けていたつもりの艤装付きの足がフラフラと浮かび上がる。
「着発艦システム…異常なし。機関・燃料系
玩具のように小さな艦娘艤装周りの最終点検を、指示された手順通りに済ませる。その間に、やがて艦最後尾のスターン・ゲートが大きく口を開く。上下ともに真っ蒼な景色が見えたのも束の間、凄まじい海風がドックに吹き込み、彼女の茶髪は時化た海のように激しく揺れる。しかし、彼女の青い瞳が見つめるその視線は正面を保ったままだった。
背後から巨大な手で押し出されるように、ドックから身一つの艦娘が駆け出す。何度目の出航となるのかはもはや覚えていない。セミロングの髪は彼女の首の背後へと流れ、鬱陶しいほどの太陽が照らす青い世界に1人の少女の影が落ちた。
「機関、全速前進。方位2-3-0へ転舵。演習目標海域へ向かいます。」
支給されて1ヶ月も経たずして傷がつき、所々で塗装がはがれたネイビーブルーのヘッドセット。演習出撃回数を想起させる、早くも年季の入ったそのマイクから、その先に居座っているであろう司令官にいつもの定型文を読み上げた。
「──これより、対空戦闘演習を開始します。」
第二次世界大戦、特に太平洋戦線における教訓──深海棲艦に対しても制空権の獲得は最重要目標であるとの考えから、Langleyと名乗る世界初の艦娘兵器は空母艦娘として建造された。手のひら二つに収まってしまうほどの小さな艦載機はまるで玩具の戦闘機だ。
「攻撃隊VA-L-91…
偵察機仕様の
「攻撃隊VA-L-91、発艦します。」
信頼性の担保から、艦載機と同様に各兵装や艤装も徹底的な旧式化が図られた。
「飛行隊のみんな、行ってらっしゃい。」
Langleyは腕時計を見るように飛行甲板を見下ろし、無人の旧式機たちに声を配る。神経信号に電気的に接続されている関係上、その
超小型でラジコン同然の旧式レシプロ機であっても、その能力は当然にして実際の機と同等に作られている。故にエンジンパワーはその小ささにあっても強大だ。Langleyは押し倒されそうなほど強い後方気流を正面に浴びながら、艤装の引き金を引く。プロペラで空気を割く音と甲高いエンジン音をまき散らし、機は次々に大空へと羽ばたいた。
「第一次攻撃隊は全機、
「水上レーダー、
Langleyに搭載される艦載機の搭載兵器は通常弾頭にあらず、対深海棲艦兵器として最も強力でかつ有効的な弾頭が搭載されている。おおもとの兵装は前大戦時の旧式化したものとは言えど、その中身は1980年代に至るまで構築されてきた最新鋭技術が搭載された。その歪ともいえる兵器システムの体系は、新兵器たる艦娘の特殊性を示すものだった。現に対深海棲艦兵器を通常艦艇やミサイルシステムに搭載・使用するのではなく、艦娘というある種の人間に近しい兵器システムに搭載したのも、「感知・判断・攻撃」の総体と言える艦娘が、従来兵器システムの限界を補完するためであった。
大規模整備のためにノーフォーク海軍工廠で寝入りばなだったタラワ級揚陸艦“サイパン”。この巨大艦を急遽大規模改修を推し進め、予定の半分の工期で再就役した艦娘運用のための艦娘母艦“ノマド”。齢10年とは思えない小綺麗な全通式甲板を持つ軍艦に、昇って小1時間ばかりの朝日が注がれる。ネイビーグレーに塗り固められた軍艦には相応とは言えない、背広姿の男がポケットに手を入れて突っ立っている。その背中に足音も立てずに近付く、士官用のサービス・カーキに金の紅葉を模した階級章を左側に付けた、ギャリソン・キャップをしっかり着こなした男性。
「………君は、やたらと勉強熱心だな。」
「えぇ。世界の変革者となる最新鋭兵器を、この目でしっかり見ておきたくて。」
トーマス・キャラハンと名前の入ったワッペンを右胸に着ける男が、腰に手を当ててそう感心する。対する背広姿の男は、まるで“気付いていましたよ”と言わんばかりな爽やかな声で返した。
「……高さにして5
「19億ドル…。
艦尾から海原を眺めながら海軍中佐は解説する。双眼鏡を覗きこんで、水平線の向こうへと消えかかる“艦影”を眺める背広姿の男は、それを耳にして固唾を飲むように言った。2人は肩を並べながら、自らがその建造に関わった新型兵器を見送った。
「あぁ、そうだな。事前検討会での予算説明が
「それだけ、事態は緊迫した情勢下に置かれているということですね。」
トーマス中佐は首を小さくゆっくり振りながら、視線を足許に落としてはため息交じりに語る。背広姿の男は双眼鏡を顔から離し、その数字から感じられる重責を察したかのような鋭い視線を水平線に送っていた。
「そうだな。だからこそ出所の分からない金も出回るわけだ。」
「……これは…?」
トーマスはカーキ制服の胸ポケットから、丁寧に折りたたまれた紙をA4サイズに拡げる。『合図・オンリーだ』と告げて手渡した用紙は5枚綴りでホチキス止めされている。内容は項目ごとに数字がびっしり羅列していて、財務関係のものであることはある程度目星がついた。
「経理と財務に問い合わせて確認したよ。議会承認済の割当予算と実際に投入されている人員・設備と、ここまでの艦娘開発スピードを照らし合わせた。これがあまりにも整合性に乖離している。……これだけの足跡があるのに、議会も血気盛んなメディアもだんまりだ。」
「…事実として議会や委員会は何も言っていないのでしょう。ならばそれが全てです──。」
押し付けられるように胸元に片手で差し出されたその書類の、書面に印字された数字をなぞりながら、背広姿の男は呆れた表情で応えた。その問答にほんの刹那を入れることもなく、海軍軍人は一人の“アメリカ国民”として語気を強めて訊ねた。
「ベイルートの海兵隊(アメリカ軍はレバノンにて国際平和維持部隊を構成している)の旧友から聞いた話だが、ここ最近イランやパキスタンにアメリカ製武器が出回り始めているそうだな。おまけにムジャヒディン組織や中米反政府勢力にまで…。だが、これらの事象もあまりに
「時期とやり方を考えるに、こんな事をできるのは、
海軍軍人は懸念を抱いていた。いくら相手が未知の対戦相手であるとは言えど、彼らを上回り倒すためだけに、アメリカという国家がさらに
「我々は政治家ではないのですよ、トーマスさん。私たちには今、お互いの粗探しをしている時間なんて無いのではないですか。……だいいち、仮に私がそんなことをしていたとしても、あなた方はその責任を我々に追求することはできないはず。そう思いませんか?」
背広姿の男は海軍軍人に背を向けて、柵に手をかける。艦尾遥か彼方に続く水平線に目をやった。海軍軍人のその内の秘めた葛藤を、彼の口かは発した言葉からくみ取り理解したかのように男は応えた。後に続くのは、終わりの見えない押し問答だ。
「もし仮に俺たちが間違えていたら──。そう思わないのか?」
「米軍軍人らしくないですね。人々は皆、誰もが正しくて、誰もが間違っているんですよ。正しいだけの世界なんてありはしない。そんなものがあれば、軍隊など必要ないでしょう。」
「哲学を語り合っている暇はないぜ。俺が聞いているのはやり方の問題さ。こんなやり方をしていては、いつかその日のツケを数億のアメリカ人が払うことになるんだぞ。」
「生きるとは悪くも強くあることであり、死ぬとは善くも弱いことです。アメリカ人ならもう既に何人も犠牲になっているではないですか。現にあなたもアラスカ沖上空ででその光景を目の当たりにしたはずだ。私たちが今日に生きる、この箱庭と同じことです。そうして今の私たちがいて、アメリカという国家は成立している。」
軍人相手に堂々と背を向ける背広の男は、スーツのポケットに両手を差し込み振り返る。若くしながら世界の全てを悟ったかのような語り口に、トーマスは彼に迫る。程なくその背広の両胸倉をつかみ上げ、トーマスは声量を挙げて問う。
「貴様、自分が何を言っているのか理解しているのか。」
上半身を乗っ取られたかのような強い力で、思わず男の顔は晴天の青空へと傾く。背広姿の男は一切の動揺を交えることもなく、まっすぐな瞳を添えて淡々と返した。
「“国民と自由民主主義世界を護るためなら、悪魔にだって魂を売る”──…それが我々と大統領が固く誓ったポリシーです。……形は違えど、
それが、この未曽有のプロジェクトに参画している、中央情報局の唯一の代表者の回答だった。それであると同時に、一人のアメリカ国民たる彼の明確な意思表示だった。投げ合うように交わした言葉の応酬が止み、二人だけの男が直立するその空間に、艦体が波を切り裂く音だけがなだらかに響きわたる。
「今、世界では
「トーマスさん。あなた個人へ問います。……あなたは、私を否定できますか?」
海軍軍人は静かに手先へと加えていた力を緩め、背広の彼の胸倉をそっと下ろす。まだ海軍入隊当時の若き日の頃、同じような“善と悪”をテーマに同期と大喧嘩した記憶が脳裏を過った。あの頃から歳をとって老いても、自分自身の内面は全く変わっていなかったのだ。それでいて、この国を渦巻く環境も、、大きく変貌したように見えて、内実としては全く変わっていなかったのだと。
「……。すまない。軍人として不相応だった。」
眼前に直立する男がアメリカ海軍に尽くした功績は言うまでもない。世界で唯一無二ともいえる生物海洋学会の天才研究者──ミノリ・ヤマサキを引き込んだのも彼であり、艦娘建造に至るまでの全ての資金調達を実践したのは言うまでもなく彼だ。
「……いいえ。とんでもない。」
男はジャケットをただし、緩んだネクタイを再度首元にしっかりと結ぶ。彼はCIAという機関の代表者ではあるが、祖国防衛という目的のために全力を尽くしているだけである。転じてやるべき仕事をしっかりとこなす、自分らと同じような仕事人に過ぎないのだ。トーマスはまだ20代ばかりのその若い男に、投げ返す言葉がなかった。半世紀以上も生きてきた中で、彼自身もまだ空っぽのままだった。
記念すべきともいえる艦娘第一号──“Langley”が、水平線の上でまるで踊るコマネズミの如く荒々しい水面をひたすらに駆け巡る。ハエよりもはるかに小さく見える艦載機を次々に射出しながら、職人のような回避運動を右へ左へと展開していた。対照的な姿の二人の男たちは、その姿を遠くに見つめていた。何も語らない沈黙の時間がしばらく続いた。
その頑固すぎる性格や保守的思想も携えるトーマスは、決して自分の主張が間違っているとは考えなかった。だが同時に、現実を見据えた背広の男の主張が間違っているとも思ってはいない。深海勢力が急速な拡大を図っている以上、その戦争の構図は地域的紛争の枠組みには留まれず、過去二度の世界大戦に匹敵する規模のものとなってしまうのはもはや不可避だった。この戦争がいずれにしても誰かが先駆者となり、同時に汚れ役を買ってでも世界の盟主にならなくてはならないのだ。
「…多額の資金と生贄を対価に、我々は世界を変える大博打に出た。…これは事実でしょう。」
背広姿の男が、風切り音と波の音残した静寂を断ち切るように口を開く。彼は艦娘計画を『大博打』と表現して見せた。それは、これまでなしてきた国家的プロジェクトの中でも、この計画の現実(現状)との乖離──リスクあっての挑戦、であることを認めた形となった。
「“
「…それに対して、1つでも
ここ最近に計画が本格化してからというものの、ふたりが自宅に帰ったり家族に顔を合わせるなどは貴重な機会だった。久しく帰った自宅で流れているのはいつも同じような内容のラジオやテレビ放送。耳を傾けてみれば、たいていは深海勢力のアラスカ州侵攻後の情勢報道と、もう何度も眺めた、あの日の映像──火の海と化したアリューシャン列島付近の景色が狂ったかのようにひたすら流れていた。
「やれやれだな。そういう意味じゃ、これほどまで最高なプロジェクトはないよ。」
その光景はいまだによく夢の世界に出てくる。あの日、当事者として自らも上空でその一部始終を捉え、そして事象に巻き込まれた一人として、その光景は到底忘れられるものでもなかった。忘れたくても、現実がその光景を引き戻してくる。人々もその繰り返し流される映像に憤慨しながらも釘付けになっている。気が狂いそうだった。
背広の男もそんな国内情勢の現状などもちろん把握はしていた。現に住む場所を奪われ、避難キャンプでの生活を余儀なくされているアメリカ国民は1700万人に上る。ヨーロッパ沿岸諸国での累計避難者数はその2倍に及ぶ3400万人。大陸では多くの難民や避難行動を起因とした死傷者数も増加傾向にあり、特に難民発生国と主に内陸国である難民受け入れ国との軋轢は、第二次世界タイ亞戦以降のヨーロッパでもっとも大きな危機の一つと呼ばれるにいたるまで重大な社会問題を生み出していた。
「
保守的な海軍軍人らしいその口の堅さを信じてか、内情をほんの一握りを口に漏らしたCIAの男の発言。それにトーマスは思わず白髪の混じった髪を右手で搔きながら、希望も絶望も感じられないような表情で、またしても水平線の向こう遠くを見つめた。
「やれやれ、とんでもない重責を背負わされちまったもんだ。………俺らは否応なく参加させられたこの戦いに勝利するしかないわけだな。それも、深海棲艦とかいう未曽有の化け物を相手に、既存の技術ではない…新技術で世界を凌駕して、だ。」
両手を胸の前に広げ、困惑のジェスチャーを示しながら半ば呆れた表情を浮かべるトーマス。
「おっしゃる通り。対深海棲艦戦争は人類史上で前代未聞の戦争。そうだからこそ、この戦争は戦前から戦後まで完璧に
「──アメリカ合衆国の名のもとに、我々自身の手によって。」
ヒトの遺伝子情報ですらいまだ解明できていないこの1980年代半ばの時代において、人造人間(もしくはヒトをそれに近づける)を生み出すということは、SF小説や映画で曖昧ながらにフィクションとして具現化された程度で、いまだそれを成しえるための情報も、実績も、研究も…そのすべてが不足している。それゆえにマニュアルも何もない。完全なる未知の世界に、このアメリカ合衆国は突き進んでいる。もはやそういう事態に突入していた。
「……だが、もし仮にこの対深海棲艦戦争を我がアメリカが終結に導けたとして、その先に在るものは一体なんだ。“戦争”という概念が大きく変わった世界で、俺たち人類がその舵取りをできるだろうか?」
艦娘兵器──という未知の領域生み出すにあたって感じていた不安点はいくつかある。その中でも特に重要視されていたのは、現在の技術では人造人間の人為的な感情制御が技術的に困難であることを踏まえ、『感情や意思を抱えたままの戦術兵器』を、『生きる兵器』として、人々がコントロールしきれるか。それにあった。
「その時までに、アメリカ合衆国…ひいては人類が…存続してくれれば、ですが。」
しかし、ここまで突き進んでしまった流れはもう誰にも止めることはかなわない。計画は遂に具現化し、人々の全てがその夢の新兵器にこれ以上にない期待を寄せている。だいいち、この計画をもし仮に止められたとしたら、この国にやってくるはずの明日はなくなってしまう。
「"Six of one, half a dozen of the other."…ってやつか?」
「一方が6なら、もう一方は半ダース──頻出な慣用句を持ち出してきましたね。」
「……つい10年前までの俺の地元─マフィアと教会が手を組んでいた頃のNYみたいじゃないか。教会とマフィアが手を組んだ、唯一の事例ってやつさ。そんな複雑怪奇な時代があったんだ。」
「いわゆる“ゴッド・ファーザー”ですか。」
──NYの一角のイタリア街であるリトル・イタリー。かつてはブラックハンドに密輸商、脱法ギャンブルとなんでもアリの荒廃した街だった。そんな時代があった。そこでマフィアの五大ファミリーは教会サン・ジェナーロ祭礼に資金を出し、協会は敬虔な彼らを快く受け入れる。もともと人々からの支持の厚かった協会はもとより、これにより汚職まみれで崩壊した警察に代わって治安維持に努め、犯罪を撲滅したマフィアを住民が支持する…そんな時代を彼は確かに目撃した。今とその当時の状況はどこか酷似している──。そんな疑念がトーマスの中にはまだ残っていた。
≪試験艦娘“Langley”、所定の全公試を完了。母艦へ帰投せよ。≫
≪ラジャー。これより一時帰艦を行います。到着予定は午前9時20分。≫
艦橋から空母艦娘“Langley”への母艦帰投指示が出る。甲板のスピーカーから、音のどもったノイズ交じりの無線交信が全艦放送として全乗組員へ共有される。いったんの燃料兵站補給と多少の整備・チューニングを済ませれば、、1時間足らずで今度はさらに別の試験が待ち受けている。
「20億ドルのお嬢様のご帰宅だ。さぁ
「えぇ。そうですね。」
腹を割った会話のために着崩した制服を整え、トーマスは告げた。背広の男はコクリとひとつ宇奈月、胸倉をつかまれ崩れたスーツを整えた。二人は航空甲板の際を離れ、環境構造物の重厚な扉を開く。静かでいながら甲高い軋みを立てながら、扉はゆっくりと閉ざされた。
航空甲板からほぼ最下層であるウェルドックまでの道のりはやや入り組んでいて昇降が多く、それでいてそこそこの移動距離がある。狭い艦内に時々他の乗組員らの敬礼を受けながらすれ違う。トーマスの階級もそうだが、政府直轄の大プロジェクトを抱えるこの艦娘母艦において、プロジェクトに参画する人間はその全員が常に“トップ・プライオリティー”となる。
「今のこの状況こそが、ゴッド・ファーザーに似ていると思わないか?それもホームラン級だ。」
甲板を降りるごとに艦娘帰還の準備で徐々に周囲は忙しくなる。その景色を横目に流しながら、トーマスは冗談を交えて世間話の続きをその重い口から引き出した。
「そうですね。唯一の違いは我々はマフィアではないことくらいでしょう。」
自分たちにその言葉が皮肉交じりに投げかけられていることにすぐに察しをつけて背広の男は口をとがらせる。歩きなながら両肩をすくませるが、顔はどこかニヤついているように見えた。
「部外者から見たらあんたらもマフィアも変わらんさ。特に俺らからはな。」
「その言葉、そのまま場外まで打ち返しますよ。これでお互い
諸外国に火種を巻き散らかし続けているあんたらよりはよっぽどましさ──、なんて口に出すことはできなかったが、海軍軍人であることに対しての誇りを強く抱くトーマスの、心の引き出しの奥底に確かにその言葉は浮かんでいた。
「まあ、あとは我々に“ゴッド・マザー”が鎮座していることくらい…か。」
「父親と母親が結ばれていて、初めて子という存在は成立しますからね。…ミノリ・ヤマサキ──。彼女は本当の天才ですよ。」
背広の男が告げたその(元)日本人女性の名前……。艦娘開発プロジェクト発足初期よりその招集が政府内で実しやかにささやかれていた、日本で唯一の女性の生物海洋学博士──
「しかしこれほどの天才学者を、それも他国からあっさりと引き抜けるとは思わなかった。」
「幸か不幸か、彼女の“国”全体が未だに男尊女卑的な社会環境であること。彼女自身が政府関係機関所属の研究者ではなかったこと。アラスカ沖での“兆候”を捉えた友人潜水艇操縦士であったこと……。数々の要因が我々のアドバンテージになりました。それでも苦労しましたが。」
やがて2人の男性の姿は最下層のウェルドック内、ドック注水の影響を受けないドライ・エリアのビーチに突っ立っていた。艦娘母艦は緩やかに減速し微速を維持、ドックには海水が注水される。
「ミス・ヤマサキが深海棲艦に強い興味を示すか海洋生物学者だったことも…だな。」
「“Manna from heaven”──。これこそが天からの恵みと言っても差し支えないでしょう。」
やがて艦尾のスターン・ゲートが警報音とともに重厚感のある動きで緩やかに開く。ゆっくりと海面から一面の青空が広がると同時に、強い海風が艦尾から吹き込む。強い風当たりに思わず目を細めているほんの隙に、白衣を羽織った一人の女性が2人の男の脇に並ぶ。
「“天は二物を与えず”──。日本ではよく知られた有名なことわざです。英語圏の表現に直すのなら“You can't have your cake and eat it too.”。──何かを得るためには、何かを諦めなければならない。」
もみあげを鋭く切りそろえ、襟足を刈り上げた直線的なショートのテクノカットの髪が強風に煽られ、彼女のアジア系特有のやや平たい横顔を明確にあらわにする。その風貌は大きく変わっても、、やはり面影は言葉に表せられないところで色濃く残っている。ミノル・ヤマサキ──旧名:山崎 實里──。プロジェクト最年少者でありながらも艦娘開発の第一人者にして、深海棲艦国際研究メンバーの代表格である彼女であった。
「私自身も、この“艦娘兵器”も、勝手に天から舞い込んできたものではない。恩師に家族、友人、恋人、同僚、上司……私と私を支えてくれた全ての人々の弛みない努力・犠牲の上に成り立っているんですよ。あの子だって………。それをくれぐれも忘れないようにしていただきたい。」
小柄な身を大きく包み込む、ワンサイズ以上は大きな白衣に豪快に手を突っ込みながら、ニューヨーカー並みの早口で流暢な英語で彼女は2人を牽制した。
「まさか、本気で言っているのかい?お嬢さん。研究者らしく想像力豊かなのは結構だが…誤解だし深読みのしすぎだ。」
「黙りなよ。あの子のことだって、あんたが全部描いたストーリーなんでしょう?」
態度をまるで急変させたように彼女を冗談交じりにはやし立てる背広姿の男。それに頭突きでも線とばかりに身を寄せるドクター・ヤマサキ。女性とは思えない威勢のよさで、刺々しい英語で彼女は素早く反論する。トーマスから見える彼女の表情は、どこか若々しい自信にあふれ、どこか奥に秘めたような怒りと悲しみを感じるような、そんな表情を浮かべているように見えた。
「俺はただの紹介人に過ぎない。何もしていないさ。この流れを決めたのは君とあの子の2人じゃないか。我々は各々の意思決定を尊重し、粛々とできることをしているに過ぎない。」
「そうやって火種をばら撒いているうちは、自分じゃまったく気づかないだろうけどさ。いつかまいた種に自分自身が焼かれることになるわよ。」
背広姿の男に白衣姿の研究者──その対照的な姿の2人に、嫌よ嫌よも好きのうち…といえるような、ギスギスしていてもそれなりに親睦を深めていたかつての姿ではなかった。縄張り争いを繰り広げる猛獣のように迫る2人の間に、トーマスは思わず間に割って入った。
「………2人とも、海軍艦艇は全艦火気厳禁だ。悪いが火遊びは他所でやってくれ。」
冷静に見えて激しくいがみ合う2人の肩を鷲のようにがっちりと掴み、優しく距離を開ける。どんな理由があろうとも、同じ箱舟の一員となった以上は対立の溝を深めるのは致命的な組織の崩壊につながる。そのことは3人全員が理解していた。
「……。」「……。」
すぐに本来の冷静さを取り戻した2人。背広の男は三度スーツの着崩れを直し、白衣の研究者・ヤマサキは間に入って割ったトーマスにひとこと感謝を添えて、彼の目の前に立ち伏せて見せた。その眼差しの奥にはマグマのように熱い熱をトーマスは感じていた。だが同時に、それが若さゆえの情熱だけが発火点ではないことも、同時にその表情から理解することは難しいことではなかった。
「ここまでの代償を支払ったのです、中将。“Langley”で収集したデータを元に、間もなく量産先行2番艦・3番艦の建造にも取り掛かります。これから先、あの子たちを必ず勝たせてください。」
一度激流の流れを生み出してしまえば、それを止めるだけの手段はもう他にはない。艦娘兵器にどれだけの問題や課題があったとしても、もはやこの計画を止めることはできない。それはトーマスとドクタ・ヤマサキはどちらも理解していた。年齢も性別も大きく違えど、この2人の心の奥底に眠る思いだけは同じだった。彼は彼女の、彼女は彼の数少ない理解者──に近い存在といえた。
「………君の気持ちや“艦娘”への思いは心中察するに余りある。戦うにしても戦わざるにしても、必ずこの戦争を必ず勝ち抜いてみせる。そしてそれが俺たち軍人の職責だ。」
機関銃、戦闘機、化学兵器、潜水艦、戦車、戦略爆撃機、核兵器───。これまでの戦争で、数々の戦局を決定付けた兵器たち。それでも結局のところ、勝利を導けるのは兵器開発を成した研究者ではない。兵器を扱い、戦局を操ることができる人間……すなわち軍人だけだ。その重責を背負い、それでもなお戦い抜くというトーマスなりの意思表示だった。
ウェルドックがボイラーの煙い匂いに徐々に包まれる。空母艦娘“Langley”は平静でいていつも通りに戻ってきた。整備担当班の人間に交じり、ドクター・ヤマサキも白衣姿のままで傾斜の強いビーチの水辺ギリギリに立ち、その艦娘兵器を母艦に迎え入れた。その様子を2人は複雑な表情を隠しきれないまま、遠くに見つめていた。