王妃は鏡に語りかける。
そして、彼女は最も美しい女性を殺すことを命じた。
誰にとっての『最も美しい』なのかは、さておいて。

「こんな鏡、ぶち壊して差し上げますよ」

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映し出すもの

「貴方、今何と言ったの?」

「この世で一番美しいのは、今私が目に映している女性だと申したのですよ」

 

 私は臆面もなくそう答えた。

 

 

 ******

 

 

「鏡よ、鏡。世界で一番美しいのはだあれ?」

 

 そんな部屋の中から聞こえる。

 どうやらまたやっているらしい。

 

 何の意味もないのにな。

 あんなことを鏡に聞いたところで。

 魔法の鏡と言えど、所詮『鏡』は『鏡』なのだから。

 

 だが、今日は様子が少々違った。

 

 絶叫するような悲鳴。

 

 まるでありえぬことが起きたとでもいうように、王妃レシレィアは私を呼びつけた。

 

 護衛騎士であるこの私を。

 

「はい、只今」

「遅いわっ! 貴方はなにをのろのろしていたの!」

「申し訳ございません」

 

 口では礼儀正しくふるまっているが、正直なところ、まったくもってやる気が出ない。

 

 この王妃に関しては、暗殺者を差し向けられる可能性も皆無だ。

 少なくとも、今日と言う日まではそうだった。

 

 外出もしないし、護衛としては腕を振るうこともなく、まったくもってやりがいがない。

 

 まあ、楽なのは良いことだとは思うが。

 

「まあ、いいわ……聞きなさい、今日はとんでもないことがあったのよ」

「とんでもないこと、でございますか?」

「ええ。わらわは今日、この魔法の鏡にある質問をしていたのよ。『世界で一番美しい者を答えよ』とね」

 

 私に言ってて恥ずかしくないんですか、そのままごと。

 

 とは、思っても口にはしなかった。

 

「いつもならば、魔法の鏡はこのわらわを映し出したわ。この誰よりも美しいわらわをね!」

「はいはい、そうですね。貴女様は誰よりも美しゅうございます」

 

 このセリフを言うのも何回目だろうか。

 どうせ、まともに耳には届かないのに。

 

「そう、わらわが誰よりも美しいはず。それなのに、この鏡はね。マリアを……『この世で最も美しいのは白雪姫だ』とその姿を映しだしたのよ!」

「はあ、なるほど。マリア様でございますか」

 

 マリアとは、前王妃の娘であるこの国の唯一の姫だ。

 

 まだ7歳という年齢ながら、その美しさは比類するものがないと国を越えての噂となっている。

 

 国一番の詩人は謡う。

 

 その肌は雪のように白く、その唇は血のように紅く、その髪は黒檀のように黒い。

 ああ、白雪姫よ。彼女はだれよりも美しい。

 

 たかが7歳の子供に大騒ぎだとは思うが、王族で7歳ともなればすでに政略のために婚姻を考える年齢。

 平民と違い、年を10を数える前に婚約どころか結婚する事すら珍しくはない。

 

 だが、前王妃は体が弱く娘を産んですぐになくなってしまった。

 跡取りもなく、ただ一人の娘が我が子となった王の溺愛振りは容易に想像ができるだろう。

 

 が、正直なところ。

 時折、王の向ける目は娘に向ける物にしては、少々常軌を逸しているようにも思う。

 

 それはさておき、だ。

 問題は、目の前の私の主君である。

 

「許せないわ! よりによって、マリア。あの白雪姫と皆に褒め称えられているマリアが!」

 

 まだ騒いでいたのか、この人。

 この方も、子供が出来れば違ったのかもしれんが。

 

 王と婚姻して7年、なぜか子宝に恵まれる事はなかったのだ。

 

 最近では、王が寝所に来る事もなくなった。

 

 そのせいか、王宮のそこかしこで『王妃は王の寵愛を失った』と囃し立てられている。

 

 実に不幸な事である。

 この方は、王からの愛を得ることでしか、己の価値を計ることが出来ない。そう教え、育てられてきたからだ。

 

「それで一介の騎士に過ぎない私めにどうしろと?」

「簡単な話よ」

「はあ」

「白雪姫を殺して、その心臓を獲ってきなさい」

「……なるほど」

 

 とうとう頭がおかしくなったか。

 

 

 ****

 

 

「という訳なので、マリア様。逃げましょうか」

 

 私は白雪姫を連れて、森までご案内した。

 狩人に扮し、少々無理を通したわけだが、それもまた仕方なし。

 

「まさか母がわたしを殺そうとするなんて」

 

 白雪姫は、さも恐ろしいというように言って見せた。

 これが7歳児の反応だろうか。

 

 耳心地の良いこの声は、朝の小鳥のさえずりを思わせた。

 

「いやあ、私としましてはね。かえって、誰一人あなたを殺そうとする人がいない方が不思議ですよ」

「あら、それはどうして?」

「あなたを手に入れたものがこの国を手にする、と言っても過言ではないわけですしね。その上、あなたは人気がありすぎる」

 

 子供が出来ない王妃レシレィアは今やお飾り。

 

 王にだれか適当な妾でも当てて、新たに子供を産ませた方が、国としては都合が良いはずだ。だが、そうはなっていない。

 

 他に子供がいない現状、女児であるにもかかわらず、最も玉座に近い位置にこの姫君はいる。

 

 ――なのに、今の今までマリアは命を狙われなかったのだ。

 

 

「正直な話、誰にも憎まれないような人間なんて恐ろしくてたまらないですよ。私からすればですが」

「へえ。貴方って思っていたよりも、心の内をはっきりと話す人間だったのね」

「今は仕事から離れてますので。第一、普段は会話をする人間がいないだけです」

 

 

 うちの職場、私一人だけですからね。

 上司は鏡とばかり話してるし。

 

 そこまで言えば不敬に当たるので、あえて口を噤んだ。

 

 しかし、なるほど。確かに白雪姫は美しい。

 それも妖絶なほどに、だ。その血のような赤い唇も、引き寄せられるような色気がある。

 しかも、聡明であらせられる。

 

 ……これは魔物のたぐいだな。

 

「これからあなた様の心臓をもって帰りますので、ひとまずあなた様はここで死ぬことになりますな」

「そう、一応はお役目を果たすつもりですのね」

「そうですね、一応は」

 

 私は真面目な騎士なのだ、与えられた任務を失敗することはない。

 少なくとも、今のところは。

 

「……ねえ、あなた。わたしに付くつもりはないかしら?」

「このような無礼を働いている私に何を申しますやら」

「貴方は自分の身の上が理不尽だとは思わない? その一生、そんなくだらない役目で使い潰していいの?」

「一応、王妃の護衛と言う名誉な職なのですが」

 

 誰も代わってくれないが、まさしくこれは名誉な仕事なのである。

 誰もそうは思ってくれないが。

 

「あなたは本当に厄介者だったのね、そんな実権がまったくない役職になるなんて」

「まあ、上司に遠まわしに喧嘩を売るのは得意なので」

「今すぐではないわ、わたしはまだ7歳だけどいつかは誰もが無視できなくなるわ。その時にわたしに仕えてみない?」

 

 この色香がさらに増す頃に、また口説きに来ると申されるか。

 なんとそれは魅力的な提案だろうか。

 

 私は頂いた誘いに、適当に返答して、マリアをさらに森の奥深くへ送り届けた。

 

 

 ****

 

 

「なぜ、なぜ、こんなことになるの……」

 

 

 目の前には打ちひしがれた王妃レシレィア。

 あれから何度も、三年間もの間、白雪姫を殺そうとしたが王妃は失敗した。

 

 結局、マリアを目の前にすれば、どんな人間でも殺す気がなくなってしまうのだ。

 

 最後には誰も動いてくれる家来がいないからと、王妃自らが毒リンゴを持って、森まで赴いた時には笑ってしまったが。

 送り届けるこちらの身にもなってほしい。

 

 いまや白雪姫は、かの恐れられる小人を従え、隣国の王子を陥落し。

 権力者との謀略に打ち勝ち、この国にもうすぐ凱旋を果たす。

 人々はマリアを歓迎し、王妃を喜んで処刑することだろう。

 

 いや、あのお姫様の事だから、意趣返しに王妃を森に追い出すのではないかな。

 それとも、心臓を獲ってこいと私に命じるかな。

 

「あの時、あの時、貴方がマリアを殺さないから!」

「それは申し訳ございませんね。しかしながら、私の仕事はあくまで護衛でして」

 

 だいだい、その辺にいた兔の心臓で誤魔化された貴女が悪い。

 

「それに『真っ白で愛らしい彼女から心臓をえぐって来ました』というのは嘘ではないですよ、メスでしたし」

「あ、貴方なんか処刑してやるっ!」

「ほう、そのお言葉が何度目かはわかりませぬが。今となっては、誰がその命令を聞くのですか?」

「な、なんですって……?」

「貴女は王に絶縁を叩きつけられたでしょう。もともとお飾りに過ぎなかった貴女に、今何の権力があると?」

 

 あの王も白雪姫に狂った人間である。

 そこにかつて愛した女への情けも容赦もない。

 

「わ、わらわはすべてあの鏡の言う通りにしただけなの……」

「まだ、そんなことをおっしゃっているのですか」

 

 私はわざとらしくため息をついてから、言って差し上げた。

 

「あの鏡は貴女様の願望を映しただけなのですよ」

「そんなはずはないわ……」

「いいえ、あれの力はただの遠見の力。使う者の望む言葉と場所を映し出すだけなのです」

 

 使う者の願望を鏡のように映す。

 それが魔法の鏡の力だった。

 

 私はこの有り余る時間で、魔法の鏡の力を分析した。

 魔法の鏡は、持ち主を惑わせ魅了する。

 

 それは簡単な話、持ち主自身のもっとも望む言葉を、事実である映像と共に見せるからだ。

 

 嘘であって、嘘でない。

 事実に本人の望む分量だけの嘘を混ぜる。

 

「では、なぜ! なぜ、白雪姫を映し出したの?!」

「もうわかっておられるでしょう。貴女様はたかが“7歳の子供”に負けを認めていたんですよ」

 

 心の底から、王妃は思っていたのだ。

 白雪姫こそがこの世で一番美しいと。

 

 いや、違うのかもしれない。

 女として負けたと認めたのだ。

 

 自らを愛した王が。

 自分の娘であるはずの小娘に、とある欲望を秘めた目を感じ取ってしまったときに。

 

 かつて愛された王妃だからこそ、わかってしまったのだ。

 

 あれは、家族愛などではないと。

 

「貴女様は自らの想いと、また裁量で戦いを挑み敗北したのです。謀略家ではなく女としてね」

 

 小人は残忍だ。

 人間とは価値観が違う。

 

 無邪気で自分のすることに悪気がない。

 

 子供がときに残酷に蝶の羽をもぐように、自分の大切な人への仕返しのために同じことをするだろう。

 

 その苦しみは想像を絶する。

 

「わらわはただ、愛してほしかっただけなのに。また元のように戻って欲しかっただけなの……」

 

 王が“ああ”でなければよかったのだろうか。

 

 王は彼女への興味を失い、鏡を与え飼い殺した。

 だが、本来のあの方は王族ながらも、よき父であり夫であったと思う。

 

 全てが狂ったのは――。

 

 白雪姫がああでなければ、この人も鏡などに傾倒しなかったのだろうか。

 かつてのあの頃のまま、幸せであったのだろうか。

 

「という訳なので、レシレィア様。逃げましょうか」

「え?」

「貴女様はもう王妃ではない、ここに居場所もないでしょう?」

「……なにを言っているの?」

 

 このままここに居る気なんだろうか、この人は。

 

「わらわがここを出る?」

「そうです、このままだと死にますよ」

「で、でも……」

「言ったでしょう? 私の役目は貴女様の護衛でして」

 

 殺される姿を黙って見ている訳にもいかない。

 

「馬鹿を言わないで。反逆者にでもなる気?」

「不問にされているだけで、マリア様を森に連れ出したのは私ですよ」

「マリアは貴方を殺さないわ、今まで暗殺を邪魔をしていたのも貴方なんでしょう?」

 

 邪魔をするに決まっているだろう、上手くいかれたら困る。

 

「万一にでも傷の1つでも付けた日には、貴女が死ぬことになったでしょうからね」

「……なんですって?」

 

 私は面倒になった。

 剣を抜こうかと思ったが、それも面倒だ。

 鏡を一撃で蹴りぬく。

 

 実に気持ちのいい音がした。

 

「これでいい、これで貴女を惑わすものはもうない」

 

 元々気に入らなかったのだ。

 王からの贈り物でさえなければ、すぐにでも壊してやったのに。

 

 目を見開いて、驚きを隠せない様子のレシレィア。

 その瞳が零れ落ちそうなほどだ。

 

 ――ああ、かつての彼女にとても雰囲気が似ている。

 

「……最初からそういう顔をしてればよかったんですよ、鏡につまらない質問なんかしてないでね。私にだけ聞けばよかったのです」

 

 本当に、つまらない時間を長い間過ごした。

 

 なんと狂おしい時間だったろう。

 

「鏡に聞くまでもない、世界で一番美しい女性など私にとって一人しかいない」

 

 この目には、ただ一人の女性が映し出されていた。


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