スノードロップ、ゼラニウム、イヌホウズキにカルミア。一面真っ白な花畑。大きく育った月桂樹に背を預けて、俺は大きく息を吸う。
「はぁ〜〜〜」
そして、吐く。長く大きなため息だ。俺の不満を表すような、深い深いため息だ。
それもこれも夏油のせいだ。夏油が悠仁のそばに張り付いてるから思うように動けなかった。高専を離反して盤星教を乗っ取ったのは既定路線。だが、拠点を仙台に移転して宗教学校を運営し出したのは予想外。悠仁が通う予定だった小学校が過疎化で廃校することになったのもタイミングが悪い。移転予定の小学校が小学生が通うのには遠すぎることもあって、学区の小学生は新しくできた盤星教の小学校に通うことになったのも。
「いや、これもしかして意図的なものか?」
東北はミッション系の私立が多い。ゆえに、宗教が母体の学校に対する忌避感がうすい土地柄なのかもしれない。なんの躊躇いもなく「近くに学校できてよかったね」と言う親の多いこと多いこと。
だが虎杖倭助はそう言うの嫌いなタイプだ。そんな彼が盤星教の運営する私立学校に悠仁を通わせる決定を下すのは不自然だ。何らしらの介入があったと考えるのは当然だろう。
……まあ、それは仕方がない。俺の詰めが甘かったということ。だがせっかく悠仁に受肉しだと言うのに、曇り顔ひとつ見れないのはいただけない。おかげで俺の加害衝動が抑えられない所まで来ている。当初の予定では呪霊に襲われたところ術式(呪具の呪い)が発動。夢の中で「コーリくん」をやりなから呪霊退治をやらせる。それで、何回か呪具を使ったところで呪いに侵されて人格崩壊していく(と言うことにして)本性を見せつけて曇らせる、というプランだった。
だがここで夏油傑。呪力をちょっと漏らして呪霊を呼び寄せようとすると夏油が現れて呪霊玉にして回収してしまう。なんで余計なことをするんだ。だが、ここで下手に動いて【古戸行李】が肉体を乗っ取ったと判断された場合、最悪悠仁が殺される。一番最悪のシナリオだ。
そんなこんなで不用意に動けない状況が続いたが、どうやら夏油は悠仁を殺す気がないらしい。それどころか非術師虐殺もやってない。
「特別育成クラス」と言う名の術師学級を作っているが、普通クラスの非術師は迫害されている様子はない。得育クラスと普通クラスの交流も制限がない。術師の楽園を作るんじゃなかったのだろうか?
それとも、夏油も離反初期は過激な活動を行なってなかったのかも。メンバーを集めるうちに意見が過激派に偏っていったというのもよくある話。なら、俺が後押ししてやるか。
さて、誰をから殺そう?
悠仁の友達? それとも悠仁をいじめる上級生? せっかくだから悠仁に「俺」を自発的に使わせたい。真人の改造人間の時みたいな顔が見たい。
「じゃ、チュートリアルから始めようか」
じつは、被害者の目星はつけている。悠仁に突っかかる家庭環境が悪そうないかにもないじめっこが二つ上の学年にいる。悠仁の友達もいいけど、糸こんにゃく事件をまだ起こしてないから今回は見送ろう。
彼に犠牲になってもらって悠仁に「呪霊を倒さなければならない」と義務感を植え付ける。悠仁に俺が殺したとバレないようにしなくては。心霊スポットに行くよう思考を誘導しておこう。それぐらいなら今の俺でも可能だ。
その後は積極的に呪霊を祓除し、食べてもらおうか。「使った分だけ貯めなくちゃ」とか言えば騙せるだろう。呪いを食べることに対する抵抗感を徐々に減らす。
羂索だってバカじゃない。それでも静観を続けるのは俺ごときを受肉したことで計画に支障がでると思ってないから。いずれ宿儺が受肉したら俺などすぐに消し飛ばせると思っているのだろう。
「だがな、羂索。そうはさせない」
俺は両面宿儺が嫌いだ。悠仁を絶望させるから。悠仁を絶望させて地獄のどん底に落とすのは
そして両面宿儺が顕現するよりも先に渋谷大虐殺を行い、心を折り、そして『古戸行李の残骸』として精神世界で別れを告げ、本性晒して大暴れ。うん、理想的な曇らせだ。
「孔、例の呪物についてだけどね。根本的な解決は無理でもやり過ごすことならできるかもしれないよ」
ずり、と。草履で室内をスリ歩きながら夏油は言った。「ほんとうか?」と目を見開く孔に「あくまで、可能性だけれども」と前置きをし、口角を引き上げた。
「古戸行李は自分/呪物箱の事を【コトリバコ】と言った。そして虎杖悠仁に飲ませた箱はカラクリ箱だった。あってるね?」
「ああ、間違いねぇ」
「そこだよ」
あれから呪物について調べに調べ、ふと気づいたこと。古戸行李はどうやって特級呪物になったとだろうか。術式を持たない呪具使い。伸び代も大して残ってない呪術師。呪物の等級は生前の等級に比例する。ならば、古戸行李が特級呪物になるのは理論上不可能だ。だが奴が作り上げたのは特級を遥かに超える厄物だ。
「呪物を作るのは簡単なようで難しい。作法があるからね。古戸も呪術師なら理解していたのなら多少アレンジを加えたとしても基本作法は守るはずだ」
「作法……っ!」
失敗したら計画が全部おじゃんだからね、とぼやき、突然の揺れにバランスを崩した孔を夏油は冷たく細めた眼で睨む。「あまり私の手を煩わせるなよ」と顔の横で指をくるりと回してから、人差し指を孔の背後に向けた。そして、問いかける。「さて、古戸行李はどんな呪物を作った?」と。「コトリバコだ」と、ろくに考えず即答した孔に「そうだ」と答えた。
「そうだ、元になった呪物はコトリバコ。本人が言葉遊びで認識を補強しているからほぼ確定だろう。コトリバコの製作過程で外せないのが「箱」「生贄」「家畜」「指」だ。
箱は自分自身、生贄や家畜の代わりに盗んだ呪物を入れたとする。
呪物は繊細だ、ただ恨みがこもってそうならいいというものではない。コトリバコは女子どもを対象にさた族滅の呪い。ただ赤子を殺して箱に詰めるだけで作れるものではない。
箱は子宮、生贄……もとい赤子は攻撃対象、家畜の内臓は攻撃方法、そして、呪いの方向性を示すための『指』ーーーー
つまり、現状古戸行李のコトリバコの機能は
『箱は呪術師』
『攻撃対象は
『攻撃方法は呪物、もしくは呪力に起因する何か』
『指向性は
…箱が古戸行李から虎杖悠仁に変わったとしても呪力を持っている以上結果は変わらない。虎杖悠仁が7歳……せめて6歳*1なら多少マシだっただろうか?
……いや、あの悍ましいペドのことだ、その時はまた別の手段を使うのだろう、と。夏油の独り言じみた解説に鳥肌を立てて、孔が「なあ」思いつきの是非を問う。
「無差別に呪うためにわざと入れなかった可能性は?」
「呪いが自分に返ってくるリスクがある。これはあくまで推測だけど、古戸は両面宿儺の指を使おうとした。だがしかし、流石の古戸も特級呪物は取り込めなかった」
「箱は人間、赤子は虎杖悠仁、生贄が呪物……。古戸行李が盗んだ呪物目録がありゃあよかったんだがな」
「まあ、呪胎九相図は確実だろうね」
あれが加茂から移送されて高専の忌庫に保管されているのは有名だ。盗まれた呪物の中に呪胎九相図があった場合、赤子の役割が置き換わるかもしれないが、置き換わったところで結果は同じだろう。
「話を戻そう。今、呪物となった古戸行李は虎杖悠仁の腹の中にいる。となると、古戸行李がなっていた【箱】の役割が悠仁に移っている可能性がある。
古戸がテロを起こすと宣告したのは十年後なのだろう?」
「古戸行李は『虎杖悠仁が成長して宿儺の指を取り込み次第、コトリバコの呪いを発動する』縛りをかけた、ということか?」
「私はそう考えた」
薄目を開いた涼やかな目元に血管が浮かぶ。実に見事な犯行計画だ、孔が沈黙を守り虎杖悠仁を見殺しにしていたら誰にも露呈せずに人類は滅亡していたことだろう。所詮二級呪術師の離反だと軽く見ていた過去の自分に怒りすら湧いてくる。
「コトリバコは攻撃性が高い呪いだ。手に負えなくなるからと生贄の数を制限するほどにね。
十年後、コトリバコの呪いが発動したその時は………」
「全人類呪力をトリガーに呪われて全滅する。最悪じゃねえか」
本当、とんでもない事をしてくれたものだ、と夏油は印を結ぶ。ゴロリと一斉に重たい音が響き、そして血のプールが大ホールに形成される。信者のいない礼拝堂の奥でロザリオを見つけた。ぬるりと滑る床に注意を払いながら歩みを続ける。
「だが、確かに夏油の言う通りだ。極論、『宿儺の指』を全て集めて宇宙の彼方にでもぶっ飛ばせばコトリバコは発動しないってことだろう?」
「そういうこと」
「それで、盤星教か?」
「ああ。上層部は腐敗しきった猿しかいないが、長く続いて来た宗教法人なだけあって土地も箱物も持ってる。宗教学校という形で術師を保護している現場の信者はまだ好感がもてる」
「高専から独立して、第一歩が粛清とは驚いたが。まあこの程度なら余裕だな。残穢にだけ気をつけてくれればいくらでも隠蔽できる」
「助かるよ」
最後の一人が断末魔を上げながら絶命する。握りつぶされて粉砕骨折した頭蓋骨の破片が血と共に飛び散り、ぐずぐずした肉の塊が夏油の袴の裾を汚した。「うわ、汚れた」の一言だけで興味をなくした夏油に孔が「サマになってきたな」とタバコを蒸す。
「高専とはまた別の術師窓口を作ることで悠仁をサポートしても違和感がない体面を整える。相談窓口の形式をとるから古戸行李について突っ込まれても被害者、もしくは重要参考人として囲える」
「虎杖悠仁の家の近くに盤星教の幼稚舎があるのも幸いした。仙台は栄えているほうだとはいえど土地が広いからね。私立でも学費が安ければアクセスが良い方を選ぶ」
「思ったより宗教法人ってのを気にしてないのに驚いたが、土地柄でミッション系が多いからかもな」
「虎杖倭助の説得には苦労したがなんとか入学の確約を得られた。あとは十年、隠し通すだけだ」
頬についた血を親指で拭う。
「すべては大義を成すために。私に従え、
「はいはい、教祖様」
孔時雨が恭しく頭を下げる。どんな悪事も見つからなければ大正義。嘘も真、無理も通せば道理が引っ込む。今までそうやって生きてきた。
だから、これからもそうするだけだ。このおっかない教祖様の右腕として。