十話です。
感覚的に幼魚と逆罰編よりは長く続くと思います。たぶん。
『開始一分前でーす。ではここで、歌姫先生にありがたーい激励のお言葉を頂きます』
『は!? え、えーと……』
茶色と新緑の入り乱れる森林の中。
幾つかの木の幹に固定されたスピーカーから、質の良くない機械音声が響き渡る。
スタート地点の森林エリアに立ち並ぶ東京校の面々は、スピーカー越しの戯れ合いに呆れ果てている。
啓ですら苦笑いだ。
『それでは交流会、スタァーーート!!!』
『先輩を敬え!!』
締りの悪い開始合図。
ノイズが劈くと同時。東京陣営の誰もが走り出す──中。
残る影が二つ。
「ん〜ッ。悠仁緊張してる?」
「全然!」
「すごいね……僕ちょっと緊張してる」
阿頼弥啓。虎杖悠仁。依然スタート地点。
啓は伸びをして、虎杖は元気よく応える。
「阿頼弥でも緊張とかすんの?」
「まぁ相手が相手でさ……昔色々あって」
「あー、俺も地元の奴とかちょっと動揺するかも」
地元で付けられているあだ名等を思い出して、頭を捻る虎杖。
二人は未だ談笑を続ける。
「ま、これで誰も来なかったら笑うけどな」
「フフ、確かに……あ、でも大丈夫そう。ちゃんと来てるよ」
彼らが動く必要は無い。敵主戦力が自らやって来るからだ。
啓の"眼"で、既に確認済みである。作戦通りだ。
「お、良かったー。てかそれ本当に視えてんだな」
「そういう術式だからね。千里眼みたいに思ってもらって良いよ」
「ほえ〜、五条先生のと違って分かりやすくすげぇよなそれ」
「えへへ……」
(そして分かりやすく嬉しそう)
素直に照れる啓。虎杖は内心でツッコむ。
だが直後、「ん」と言って啓は笑顔を引っ込めた。
「そろそろだね。悠仁、二時方向。林突き破って来ると思う。そっち任せた」
「オッケー、逆にもう片方は任せたぞ」
「任されました。カウント始めるよ」
両者とも臨戦の顔付きになって、淡々と情報が行き交う。
啓は粛々と時を刻む。
「会敵五秒前。四、三、二、一──」
同時。木々が破裂。
現れたのは、ヒグマを思わせる巨漢。京都校三年、東堂葵。
の。 右頬。
拳。 直撃。
「ンブッ!?」
登場と同時に、虎杖の右拳を左頬に喰らう東堂。
容赦の無さに安堵しながら啓は視線を移す。
それは、東堂が突っ込んで来た方向。の上。
白い光が瞬いた。太陽光にも似た、鮮烈な光。
白いローブと仮面を身に付け、純白の槍を携えた巨大な人型。
まるで天の使いの如き様相。
だがその天の使いの背に乗る人影が、逆光に映った。
「
京都校一年。
時は遡る。二十一分前。
東京校側とは真反対にある、京都校ミーティングルームにて。
「楽巌寺殿」
東堂がブチギレて出て行った後のこと。
誰もが静まる中、明が鶴の一声を発した。
「悪いが俺も虎杖悠仁暗殺には参加できない。阿頼弥啓に個人的な用があるんでな」
しかし明の発言は先の東堂のものと全く同様、楽巌寺の指示を断る趣旨であった。
キレていないだけマシではあるが、穏やかな雰囲気でないのは確かだ。
「ただし、あくまでこれは俺個人の意思。阿頼弥としての協力もきちんとする」
「私が。ですけどね」
「……いつもすまん」
「はい、いつもの事です」
始めから知っていたかのように、花凛が補足の説明を入れる。
また妹の手を煩わせた事に、明は素直に謝辞を述べた。
双子故か、そのやり取りには慣れた様子が窺え、楽巌寺もそれを察した。
「……。其方の意思は相分かった、委細承知。だがしかし……
少しだけ口を噤んだ後、楽巌寺が問うたのは例の話だった。
五条悟による阿頼弥啓の戦力制限。
確かに学生と言えど、啓の実力を鑑みれば妥当な采配ではある。が。
……明がそれで納得する訳も無く。
五条に激昂した明をここへ連行するのにも相当の時間を要した。
現在は落ち着きを取り戻しており、冷静に回答できる程度にはなっている。
「そこは、俺次第でどうとでもなるさ」
「……。そうか……時に明」
自信があるようでない、そんな答えを返して明も部屋の外に足を向けた。
……去り際、楽巌寺がもう一つ問いを投げた。
「父君はお元気か?」
天使の姿を捉えて、啓は跳んだ。物理的に。
瞬時に接近し、左手で天使の頭を掴む。その背中に明の姿は無い。
(っ、反応速い。やっぱりもう花凛ちゃんと"共有"してるのか)
啓は天使の肩を蹴って、戻るように後ろへ飛び退いた。
そうして頭上からの踵を躱す。虎杖の下へ後退する。
睨み合う両者。巨漢は不気味な程口角を吊り上げていた。
「正直、舎弟にしか興味は無かったんだがな……そこの一年、中々パワフル。名前を聞こう」
「……虎杖悠仁」
「そうか虎杖。お前に聞きたい事が」
東堂の一人語りはそこで途絶える。東堂の横を白い影が通過した。
虎杖には目も暮れず、明は天使を加速させている。
凄まじい速度で距離を詰め、天使は槍を突いた。
「チッ、使えよ……」
槍は啓の間合いに入った直後、停止した。
神決呪法ではない。左手で槍の柄を掴んで、力技で止めている。
槍を持ち上げて、持ち主である天使の体ごと後ろへ放り投げる。
天使の巨体が視界から消え、その後ろに突貫する明の姿が映った。
「相変わらずだな、お前は」
小さく零して、明は右手を引き絞る。同様に啓も左の拳を構える。
両者は脚を強く踏み込んだ。
パン。
「遅ればせながら、挨拶だ舎弟!」
刹那。筋肉の塊がタックルの姿勢で現れた。
啓の拳は空を切り、代わりに東堂の両腕が啓を掴んだ。
明にとって想定外である点を除けば、それは完璧に近い連携だった。
明と東堂の体重差。時間差。間合いのズレ。
世に有数の一級術師であっても、ほぼ必中。
だがこの少年──阿頼弥啓につき。
「む……!?」
巨体から生み出される莫大な運動量は、しかし啓を動かせない。
重い。笑える程に重い。
(この呪力量……乙骨よりは少ない、なのにこのパワー……!)
その膂力は、明らかに乙骨より上。と東堂は判断した。
脚は根付いているように動かず、だが直後、右脚が嘘のように離れて。
「グッ!」
重い膝蹴りが東堂の腹に刺さり、両手の拘束が解ける。
その隙を逃さない虎杖。
東堂が浮いた一瞬、身を屈めた啓の後ろから呪力を込めた脚を突く。
「ぬうッ……ん〜…………っ、重畳……」
力強い蹴りを受け、東堂の巨体が数メートル後退する。
痛みの余韻に浸るような声を溢し、空を仰いだ。
「クック、両者ゴリゴリのパワー型……全く嫌いじゃない……!」
「おい、東堂葵……」
恍惚とした東堂。しかしそれを妨げるような冷めた声が割り込んだ。
対照的に、ブチギレた明が東堂を睨み付けている。
「貴様……次また俺の勝負の邪魔をしたら、ブチ殺すぞ……!!」
……啓はもちろん、虎杖にすら即座に理解した。
これ仲間割れだ、と。
「だがそれはそれとして……虎杖! どんな女がタイプだ!」
「話を聞け……ッ!」
いや、正確には仲間割れではない。割れているのは明だけだ。
しかしそれすらも、今の東堂には聞こえていない。
「………あ俺? え、てか何? 女のタイプ? 何で今そんな事聞くんだよ」
「気にするな、ただの品定めだ」
「まずはこっちを気にしろ東堂葵!」
「え? ま、まぁ、強いて言うなら……
「ッッッッッ……………地元じゃ負け知らず、か」
「は……?」
虎杖の答えが何か刺さったらしい東堂。また空を仰いでいる。
血も涙もない巨漢の涙に、キレッキレの明も一歩後ずさってしまう。
その顔は非常に困惑に満ちている。
「どうやら俺達は、親友のようだな……っ」
「もう祓っていいかこの筋肉呪霊」
「……阿頼弥、あれ何? 新手のイジメ?」
「うん、あの人めっちゃ疲れる」
「えお前もイジメられてんの……?」
「ていうか、悠仁も狙われてると思うけど……」
「ぇ──」
ついに呪霊認定する明。自分の世界の東堂。物悲しげな啓。
今や虎杖も完全にロックオンされてしまった。
真実を知った虎杖は、トンデモない表情になっている。
気を強く持って、と啓は慌ててフォローの言葉を掛け。
「っ!」
なかった。
気配を察知する。囲まれている。黒い弾丸が二つ飛来してくる。
その軌道を虎杖は避け、啓は左手の甲で逸らす。
逸らして、手の甲の裏側。
自分の手がブラインドになって、熱線の光が隠れていた。
射線には虎杖。避けられない。
(素手デッ!)
自身と熱線の間に左手を翳し、熱線を拡散させた。
すかさず消えるような速度で踏み込み、左の掌打が機体を回転させる。
返す刀で左脚をその腹部に叩き込む。
軽快に吹き飛ぶメカ丸は、枝の上で矢を番えていた加茂にぶつかる。
その隙に距離を離された虎杖の下へ合流しようとして。
眼前に槍が降った。白い槍。
「お前の相手は俺だ、阿頼弥啓。間違っても全員を相手にしようなどと考えるなよ」
「明君……」
「加茂、お前達は
みれば、虎杖の方は東堂が介入し難を逃れているようだった。
戦況は拮抗。沈黙が場を満たす。明の言葉により、加茂は沈思の表情である。
黙考の末、五秒程してから立ち上がり、加茂は踵を返した。
「退くようだナ」
「ダサ」
(良かったぁー!)
それを皮切りに、他の面々も加茂の後を追随する形で去って行く。
再び残された二対二の戦陣。
静まり返った戦場。明は一つ溜息を吐いた。
「邪魔が入りはしたが、これで良い。続けるぞ、阿頼弥啓」
睨み合う啓と明。
同様に、虎杖は東堂と対峙している。先の質問でターゲットが移行したらしい。
戦況は変わらずとも、相手は自然に分かれていた。
「拘るね、明君」
「久しぶりの勝負なんだ、当然だろ」
「確かに。最近忙しかったもんね」
「お互い、父親には苦労するな」
先刻から一切変わらぬ、不機嫌そうな表情のまま。
でも少しだけ、話し方の角が取れていく。
「……。なぁ、何故俺がお前に挑むのか……分かってるか?」
本音も、少しずつ混じり出す。
「うん……何となくだけど」
「そうか……。……悪かった、あの時は。今更だが」
……明は脳裏に浮かべる。
子供の頃から続いてた、啓との勝負。最初は単なる駆けっことか知恵比べとか、肝試しとか力自慢とか、そんなものだった気がする。
でも段々と、気が付けば呪術の勝負になっていって。
で、その日。
神決呪法を使った啓に、何もできず負けたあの日。
手も足も出ず、吐気がする程の格差を
残酷な勝利を、啓に与えてしまった日のこと。
あの日から啓は、明に対し神決呪法を使わなくなった。
五条が禁止するまでもなく。
「啓」
だから。
もう使って良い、強くなったから大丈夫だって、言いたくて。
……明はずっと、挑み続けている。
「
刹那。鋭い白槍の突き。
サイズ調整され、明の左手で掴める大きさになっている。
啓は上体を左に逸らし、槍を紙一重で躱す。
視界の上端。白い光が見えた。
左脚と共に半身を引き、天使が振り下ろした拳を回避する。
流れるように右脚を突いて天使を蹴り飛ばす。
眼前で弾丸と化した天使の体を、明は跳躍でギリギリ避ける。
そして空中から、重力を乗せて槍を大きく振り下ろした。渾身の一撃。
右手が槍を掴んで、槍はそこで止まった。
そのまま左手も柄を握り、背負い投げの要領で明は槍ごとブン投げられ、木を突き破っていく。
肺から抜ける空気を留めながら、体勢を整える明。
視線を前へ向けた瞬間。眼前に迫る貫手。
だが明もまた"視えて"いる。冷静に、槍の柄で貫手を防いだ。
「……あぁでも、本当はもう一つ。お前に挑む理由があるんだ」
鍔迫り合いの状態で明は思い出したように切り出した。
両者涼しい顔のまま。
「啓、俺が勝ったら」
瞬間。明は槍を上へ投げた。
そして即座にしゃがみ、足払いを繰り出す。
上への視線誘導。からの一撃。
凶悪だが、啓はそれすらも"視えて"いる。跳んで、足を避ける。
当然、空中の槍を天使が受け取り、背後へ回り込んでいるのも視えている。
元より回転を加えて跳んでいた。右回転。
空中で天使の方を向き、回し蹴りを──パンッ。
「ッ!」
小気味良い音。白い天使が、黒服の少年に。
二対二から二組の一対一へと戦況が移行して、その選択肢を排除していた。
まして、明がそんな支援を許すなど。
「甘いな、明」
「……?」
だがそれは、明でさえ予想だにしていなかった選択肢。
距離を隔てて近接戦を繰り広げる東堂の、密かな介入。
好敵手を見つけたとて、手を出さないとは言っていない。
「俺が……っ、勝ったら!」
しかし、千載一遇は事実。
重い蹴りを全霊で受け止め、固定する明。口から吐血。
啓の後ろには、槍を構える天使。
明が上に投げた槍を空中で受け取ったのは知っている。
両脚が離れ、体勢も重心も、今から回避や防御ができる状態ではない。
それでもまだ、残っている。
回避も防御も必要無い。ただ一言呟けば、それで事足りる力。
今日。ついに。それを──
「花凛と結婚しろ!」
「──────へ?」
頭が無量空処だった。その瞬間、啓の頭は真っ白に吹き飛んだ。
術式の使用には脳の処理が不可欠。
あえなく槍が啓に直撃し、森を突き破って飛んでいった。
「ケホッケホッ……これ、肋イったかなぁ……」
即座に呪力で補強したが、直前まで脚に集めていた分天使に軍配が上がった。
傷が痛まぬようにゆっくりと立ち上がる。
「……まさか、当たるとは思わなかった。呆け過ぎだろ」
千切れた木々の間から天使と明がやって来る。
ちょっと呆れたような顔すらしている。ムッとして啓は言い返す。
「そりゃ呆けもするよ、な、何急に結婚とか……」
「お前と禪院真希の婚約が気に入らないんだ。何も持たないあの女が、お前の才能を残せる筈が無い」
その発言は、決して御三家のような男尊女卑ではない。
単純に、啓自身と阿頼弥の繁栄を尊重しての言葉。
それでも啓に、思う所が無い訳がなく。
「……だからって、何で花凛ちゃんなのさ」
「何の為に
「でも推奨されてないし、まず明君が決める事じゃないでしょ」
「あぁ、お前が決めろ。だが言わずもがな花凛は優秀だ。『眼』の練度なら
「い、いや、僕が言いたいのは」
「──おい」
啓の声が引っ込んだ。
記憶にある声とは別人じみた、恐ろしく低い声が耳朶を打ったからだ。
……程なくして、明の背後にその人物の姿を捉えた。
今にも血が出そうなくらい血走った目付きで明を睨んでいる。
啓には、次の展開が何となく想像できた。
「何て事言っちゃってくれてんだこのクソバカ兄貴がぁぁぁあ!!」
柔道。裸絞。しかもめちゃめちゃ本気。
……おおよそ女の子が繰り出したとは思えない一撃だった。
「何でこんな公然の場で言った!? しかもよりによって啓従兄さんの前で!! アンタ馬鹿か!? 馬鹿以外の何だって言うんですか一級術師野郎オイ! 今すぐ兄貴やめてみるか!? あ"ぁ!?」
ご本人登場、阿頼弥花凛。
普段は敬語の筈だが、羞恥と怒りのあまりブレてしまっている。
ちょっと面白いと思ったのは内緒である。
「ま……待て、花凛っ……何をそんなに怒っている、ま、さかっ……っ、結婚が嫌なのか……っ?」
「んな訳ないでしょうむしろストレートど真ん中バッチコイって何言わせんだコラァ!!」
絞める腕の力が更に強まる。
だが花凛の鬼気にも負けず、その手を掴んで明は言い放った。
絞まっているので、あまり声は出なかったが。
「なら、恥ずかしがるなっ……お前はもっと自信を持て……! 術師としてだけじゃないっ……容姿もスタイルも愛想も良い……! 自慢の妹だ……っ」
「だークッソ憎めねぇ自己肯定感爆上げお兄さんですかアンタ!」
阿頼弥明。十六歳。
第二分家出身。一級術師。相伝の一つを有しており優秀。冷静で冷徹。
ただし阿頼弥啓、及び妹の事となるとブッ壊れる。
「安心しろ……っ、禪院真希に負ける要素なんて胸くらいのもの──う"ッ!?」
「シメるぞテメェ!!」
いや絞まってる絞まってる──啓は心の中で叫んだ。
「お、おーい阿頼弥? だ、大丈夫か……?」
「舎弟よ、これは一体どういう状況だ?」
「ゆ、悠仁ッ、良かった! 一人だったらもうすぐリタイヤしてた……っ」
「おぉ、マジでナイスタイミング俺……」
やがてそれから三分。
啓の懇切丁寧な説得を経て……何とか花凛は森の奥へ去って行ったのだった。
十話、読了ありがとうございました。
何だかんだ呪術廻戦って兄弟姉妹のキャラクター多いですよね(伏黒姉弟、禪院姉妹、パンダ姉兄弟、日下部兄妹、冥冥憂憂、九相図兄弟等)。
そういう意味では本作の兄弟姉妹達を軽いキャラクターにしなくて良かったーと思いました。