十八話です。
本話で起首雷同編は終了。次話はたぶん"そういうこと"です。
結論から言おう。
結局の所、啓が花凛と共闘できたのは時間にして六十三秒だった。
現在、啓は花凛と分断され、結界内での孤立を強いられ、まさしく孤軍奮闘している。
それが啓の孤立を狙った者達にとってどのような結果を生んだのか。
神童の敗北、悪意の勝利、現代日本の歴史が覆る第一歩となったのか。
経緯は以下の通りである。
「っ……」
「落ち着いた?」
「すみません、お見苦しい所を……」
葛藤に押し潰されそうになりながら結界内へ侵入した花凛は、顔を手で覆っていた。
曰く「見せられる顔ではない」との事で、その後十秒弱で表情と心を何とか平常時まで戻した。
漸く顔を見せた花凛の眼は少し赤いように見えたが、当然言及はしない。
今は二人で同じ敵を前に、同じ方向を向いている。
「……呪霊もさることながら、改造人間の造形不気味ですね」
「仕方ないよ。アレを造った奴のセンスはオワってるからね
二人の視線の先には任務対象である呪霊と、それとは全く無関係の改造人間二体がいる。
見開かれた眼、縮れた髪、異様に長い手足と浅黒い肌、痩せぎすの体。
ひたすら不気味さと悍ましさを追求した外観。
……ただそれはそれとして、嫌いな相手には本当に辛辣だなと思う花凛。
「あの改造人間は未知数だし僕がやるよ。花凛ちゃんは気にせず
「了解です」
敵の実態に当たりを付け、優先順位を見積もる。
そのタイミングで改造人間の内の一体が動いた。
不気味な走り方で迫ってくる。
啓は淀みなく掌印を向ける。対象は後方のも含めて二体。
以前のような耐性持ちの個体を想定しつつ、初手から一撃で決めに行く。
「は──?」
「えっ………
術の発動直前だった。
電源を抜いたテレビのように、
先刻まで映っていた夜の闇も、悍ましい形の寺社も、不気味な呪霊も、改造された魂達も何もかも、一切が無かった。
眼には何も被さっていない。痛みも無い。失明の心当たりもない。
だとするなら、これは。
(術式による
神決呪法も黒木式も、術の発動には対象の知覚が係る。
この視界の消失は、二人に対するこれ以上ない妨害だった。
その時、前方から地面を蹴る音が聞こえた。
恐らく、前衛で迫っていた改造人間が間合いに入ってきている。
視覚以外の感覚は生きている為何となくの距離感は分かるが、当然攻撃の軌道は見えない。
防御も神決呪法での対処も不可。回避一択。
「花凛ちゃんごめん」
ある程度の位置を把握している花凛の肩を強く押して、結界外から追い出す。
直後啓は完全なる山勘で咄嗟に左へ飛び退く。
ズボンの先を掠るような感触はあったものの、回避した後で体に異常が起きる事は無かった。
何とか改造人間との距離を取る事に成功した。
「……花凛ちゃん大丈夫!?」
「こっちは大丈夫です! 啓従兄さんこそ無事ですか!?」
「何とか!」
結界内外で互いの安否を確認し合う二人。
庇われた側である花凛は啓の答えに心底安堵する。
ホッと息を吐き、であればと、自身に起きた変化を優先して伝える。
「あと啓従兄さん! 私
「っ、ホント!?」
「今"共有"します!」
花凛の言葉に、啓は思わず口角が上がった。
否が応でも、頼もしさと安心感を覚えた。
三千世識。
それは自らの五感を高度に操り、術式効果を
「……ホント、花凛ちゃんが居てくれて良かった」
花凛から共有される世界を目にして、心からの感謝が口を衝いて出た。
仮に別の三千世識の使い手だったとしても、花凛レベルの技術がなければ啓の神決呪法の運用は困難だった筈だ。
そういう意味での感謝も込めて、啓は命令語を呟く。
「『吹っ飛べ』」
……だが。それでも奴らは。
この世に巣食う呪詛は、虚無僧の姿をした悪意は。
自らの欲に何一つ妥協しない。
ブーッ、ブーッ。
結界外。内部と比べてまだ物静かな空間に、震えるような音が二度響いた。
それは花凛の端末から伝わる振動だった。
花凛はどうも嫌な予感がして、素早く画面に映った通知を確認する。
伊地知からのメッセージだった。
「住宅地に、
記録──2018年10月。
埼玉県。さいたま市。
八十八橋近辺の住宅地において、事前告知のない帳が六つ発生。
帳は通常の結界としての機能である人や術師の出入りに関する要件が組み込まれており、一般人を閉じ込める物や術師を入れない物等の種類が確認された。
また六つ全てが交流会時に張られた「術式を組み込んだ帳」であり、拡張機能としてそれぞれに単一の術式効果が付与されていた。
恐らくは「神決呪法」による様々な行為の強制であり、確認できた限りでは以下の三種類が発生していた。
・呼吸を禁止する帳
・思考を停止させる帳
・自傷行為を強制する帳
帳は小規模であったが数が多く、また改造人間も複数確認されていた為、住民の救援は急を要する事態であった。
まず近辺で任務に当たっていた阿頼弥花凛(現在審問中)に早急に応援を要請。
同様に近辺にいた阿衆所属の禮麒麟、御宙久遠の二人の協力を獲得。
そして任務終了後、阿頼弥啓(特級術師)、虎杖悠仁、釘崎野薔薇(三級術師)、伏黒恵(二級術師)にも協力を仰いだ。
それにより被害範囲内の全一般人の救援に成功。
病院へ救急搬送された八名の一般人の命に別条は無く、その他二十数名の被害者はいずれも軽傷であった。
「花凛ちゃん、行って」
「……啓従兄さん」
「行って」
「止めてください……っ」
花凛が結界に侵入してから五十九秒後。
その共闘状態は、今やたった一手で容易く覆されようとしていた。
伊地知から連絡を受けた花凛が言うには、住宅地に複数の帳が降りているらしい。
「お願い。僕は今、君にしか頼めない」
帳。
このタイミングに。
十中八九、交流会の時と同じ、何かしらの術式効果が付与されていると考えて良い。
今この瞬間、市民の人達がどのような状態に晒されているか分からない。
「……すみませんっ、すぐ戻りますから」
啓は迷わず花凛に住宅地へ向かうよう依頼する。
花凛も一度は拒んだが、思考はその時点で啓と殆ど同じだった。
二秒程した後、迷いを噛み殺しながら現場へと走って行った。
再び、視界が暗闇に閉ざされる。
それで良い。遠隔で啓の神決呪法の運用までしながら住民の救援、あるいは住宅地にもいるかもしれない敵の迎撃は至難だ。
「ふぅー………」
光の無い結界内に、啓は一人。
深い呼吸と共に主犯への苛立ちを吐き出す。
視覚以外の感覚を三千世識で拡張し、主に聴覚や触覚を総動員して迫る改造人間の攻撃を裁きつつ、分析する。
(視覚の消失……最初は呪霊の術式かと思ったけど結界入ってから術式受けるまでにズレがあった。それにこの効果、昔家で見た気がする……)
結界の出入りが術式付与の条件ならば、侵入した時点で術式を受けた筈だ。
そして過去、啓が宗家の記録で見た情報の記憶が正しければ、恐らく術者は後方で動かない改造人間の方だろう。
(改造人間じゃなくて改造呪詛師ね……相当厄介だけど、それより面倒なのはアイツ)
見えはしないが、恐らくいるであろう方向の虚空を睨む啓。
視線の先は、寺社の上で怯えるように顔を守る巨大な女の呪霊。
(さっき神決呪法で頭部を飛ばしたのにすぐ再生した。異常な再生力)
原因は恐らく、この山が霊山である事に起因している。
こういう『場』に吹き溜まった地脈のような呪いが呪霊本体と繋がり、再生力の源となっているのだろう。
そして繋がったのは偶然ではなく、"奴ら"がそう仕組んだのだ。
(改造呪詛師は真蹟使えば悪傾で術式オトしてたぶんすぐに倒せる。呪霊の方も山ごと消し飛ばすか、再生できなくなるまで攻撃し続ければいける……けど)
可能性で言うなら、実際は両方とも可能である。
しかし山一つの消失は情報統制が困難であるし、帳の問題もあり今は時間を掛けられない。
今はそれら以外の全く新しい解決策が要求されている。
……そして何より、啓自身がその選択肢を取りたくなかった。
(そのやり方、あっちの思う壺になりそうですっごいムカつくんだよな……)
それは何とも啓らしからぬ、子供じみた意地が根底にあった。
皮肉にも、これまで散々天蓋の呪詛師やツギハギ面の呪霊に煮湯を飲まされた経験が、啓の人間らしさを引き摺り出していた。
それにここでまた真蹟に頼り切りになってしまっては、いつか五条や両親、最愛の真希にも失望されてしまう。
(それは嫌だ)
人間離れした人格を持つ啓に残された人間性の原点が、従来のやり方を更に拒む。
だが啓の脳内に、確実にこの状況を打破できる解決策があるかと問えば、首を横に振らざるを得ない。
「全部……全部だ。視覚以外の全部かき集めて統合する……」
逆に言えば──確実でない解決策なら、ある。
「……見てろ」
三千世識の要件を変更。
聴覚と触覚だけでなく、術式の制御を視覚以外の全感覚に集中。
それらを
普段処理能力の四割である所を余さず割り当て、最大出力で研ぎ澄ます。
(頭イッタい……けど……)
聴覚──改造呪詛師の走る音、息遣いや風の音、木々の振動が聞こえる。
触覚──呪霊、改造呪詛師や大気、地面、森の感触、温度が伝わってくる。
嗅覚──呪霊、改造呪詛師、湿気、土、木の匂いが鼻腔を通る。
味覚──土と湿気と吐瀉物を処理した雑巾の味がする。
あらゆる情報を何も無い視覚へ統合させていく。
それは、本来見えない筈のものを視界に捉える力。
「三千世識。極ノ番──『
啓の視界に、通常とは異なる光が戻る。
音は緑。熱はサーモグラフィーさながらの色彩。
匂いは煙、味は稲妻の形で様々な色が眼に視える。
強化・拡大した感覚同士の融合。超共感覚とでも言うべき状態。
改造呪詛師と呪霊の形、位置は、視覚以外の全てが教えてくれる。
前方から改造呪詛師が一体飛び掛かる。
啓は右手に呪力を集める。普段なら、三千世識の視覚で緻密な呪力操作を行うのだが。
(……もう勘でいい)
"それ"は空間の歪みである。
"それ"の発生には打撃に係る呪力の衝突タイミングだけでなく、ブレンド加減をも精密に調整する必要がある。
"それ"は現代最強の目隠し曰く、空間の気温や湿度によってもブレンド加減が変わるという。
しかし少年の集中は極限。
今、少年の瞳は気温や湿度をも捉えている。
条件は五分。
「──ッ」
体に染み付いた呪力操作と共に繰り出した拳は、漆黒の閃きを容易く引き寄せ。
火花散る一撃が、撫でるように改造呪詛師を葬り去った。
すかさずもう一体に肉薄し、その腹に打撃と呪力を同時にぶつける。
確かな感触と共に、二連続の黒閃を繰り出す。
瞬間、視覚消失の呪いが解け、啓に本来の光と色が戻る。
これで阿頼弥啓は、呪力を含めたあらゆるものを五感で捉える事ができる。
その状態のまま、啓は掌印を組む。
両手をうつ伏せに重ね、左右の親指の先を付ける大日如来法界定印。
「あ、イケそう──」
黒閃をキメた者は、いわゆる所の「ゾーン」に入った状態になるという。
また術師の成長曲線は必ずしも緩やかではなく、ましてそれが阿頼弥啓ともなれば。
今日。本日この日。
"こっち側"に生まれた神童が、確実に、もう一段階先のステージへ踏み込んだ歴史的瞬間であった。
「領域展開」
都内某所。
呪霊一派のアジトの一つ。
一つのテーブルの上に人生ゲームを広げ、真人、夏油、張相、法坐の四人が駒を進めていた……のだが。
「おいおいざけんなざけんな、ふざけんなよ……ッ!」
スマホの画面を確認した法坐が、突如として声を荒げ立ち上がった。
真人が揶揄うように聞く。
「どしたの法坐、そんな変な三段活用しちゃって」
「もしかして、八十八橋周辺の件で何かあったかい?」
「……ご明察。今連絡が入った」
ゆっくりと息を吐いた後、法坐は冷静な声を取り戻し夏油の問いに答える。
やってらんねー、という風な様子であった。
「阿頼弥啓が『領域』の展開に成功した」
「……っ!?」
「……ん? それ何かマズいんだっけ?」
「まぁ真人の方にはあんまり関係無いね。あるのは阿頼弥啓と直接戦う全空の方だ……当初は阿頼弥啓の『真蹟を禁止する帳』を張る予定だったんだが」
以前の交流会襲撃は、阿頼弥啓の真蹟を神決呪法で禁止する為の観察と分析の時間でもあった。
実際、阿頼弥啓の真蹟は真っ先に封ずる必要がある程強力だった。
……しかし。
「全空の"進行"は順調だが計画当日までに領域を展開できるかどうかはまた別問題だ。これじゃ速攻で領域を展開されて終わる」
「マズイね。全空を降した後、五条悟の方に加勢にでも来られたら目も当てられない」
取り乱す事無く沈思の表情を浮かべている夏油であるが、それはそうしなければならない程の緊急事態という事の証左でもあった。
法坐は人生ゲームの駒を放って夏油の方を向いた。
「夏油。予定変更だ。……手伝ってくれ」
「当然でしょ。私の目的遂行にも関わる問題だよこれは」
同様に夏油も人生ゲームを離脱し、二人は奥の部屋へ向かう。
夏油と違い法坐は表情が見えないものの、腹から込み上げたそれを小声で零した。
「やってくれたなぁ……っ」
領域展開時、呪力を含まない建造物等の無機物は領域側に引き込む対象として認識されない。
逆に言えば呪力にまつわる全てを、領域に引き込む対象にできる。
呪霊の再生力は霊山に吹き溜まった呪いの源泉。
つまり
黒閃をキメたことによる集中力、そして術式の必殺化どころか必中化をも
「領域展開──
神童の生得領域。その具現化。
圧倒的強者のみが成し得る呪術戦の極致。
その風景は、この世のものとは思えない神秘の世界だった。
巨大な天秤が中央にあり、それを境として左側はひたすらに美しい青空と雲が無窮に広がる天の楽園。
右側は灼熱の大地と熱気、猛毒の瘴気、無数の化物が睥睨する地獄の底。
天秤の左の皿に立つ啓の向かい側、右の皿に呪霊が乗っており、領域固有の効果を受けている。
「……にしてもしぶといな」
啓の視線の先。
地獄の焦熱と瘴気によって肌を焼かれ内部を侵され、更には身体機能と呪力出力の低下等の呪詛を受け、聞くに耐えない絶叫を上げる呪霊の姿があった。
「……あぁ、領域自体のダメージじゃ死ねない仕様なのか。……我ながら容赦無いな」
中々しぶといなと思っていたら、それが領域の仕様であった事を知り、苦笑いを浮かべる啓。
……そして視線は、その元凶とも言うべき
「なぁ、
……天秤の背後。
巨大な黒影が山のように聳えている。
外套は黒く、光を殺すように真っ黒く。
顔に当たる部分には、真紅の血涙滴る血走った両眼が覗く。
右手には漆黒のガベルがあり、同じ物が背中に幾つも刺さっており、まるで十字架のようだった。
この法廷で罪人を裁くのは、阿頼弥啓であって阿頼弥啓ではない。
その審判者は、啓の中で啓の過ちを批判し、咎めてくるもう一人の「啓」。
阿頼弥啓が「阿頼弥啓」に掛ける呪い。
阿頼弥という一族にまつわる呪いの中でも、極めて特殊な部類。
「じゃあ、後は任せるよ」
巨人の「啓」にその声は聞こえない。
それでも共鳴するかのように、「啓」はガベルを振り上げる。
歴史上唯一、術式以外の自律した攻撃手段を宿す領域である。
それは鯨のように雄大に、しかし想像を絶する速度で迫っている。
程なくして、ガベルと呪霊が衝突。というか天秤の皿と激突し、轟音と共に壮絶な余波が啓の全身を撫で付ける。
十秒後、衝撃波の凪いだ頃に振り下ろされたガベルがゆっくりと上がった。
ガベルの下には燃え尽きた灰のようなものが残っていた。
蟻を潰すような音も無く、呪霊は圧殺された。
「……やっと。やっとできた……領域。……マジで長かった」
呪いを学んでから約十三年。
苦節の末、啓は一つの高い壁を乗り越えた。
三つの術式が齎す弊害を初めて克服した達成感は大きい。
領域を会得していなかった為に挫折を味わった里桜高校の件を思うと、それは一入だった。
緩む涙腺を締めるように、啓は空を仰ぐ。
それでも今日だけは、自分の事を少し許せる気がした。
「……そうだね。
そして、それでも許さないのがもう一人の「啓」である。
呪霊に対してそうしたように、再度ガベルを構える漆黒の巨影。
「でもごめん。確かに僕は、殺されるなら
頭上から隕石のようなガベルが迫ってくる。
流石の啓と言えど、まともに直撃すれば確実に殺される。
今でも自殺願望は消えないし、このまま立ち尽くしていればそれが叶う。
「真希ちゃんに死ねって言われるまでは、生きていようと思うんだ」
でもそれは許されない。
最愛の人はまだ、啓の死を許可してくれない。
こんな自分の死を拒んでくれる人がいて、彼女が拒み続ける限りは。
啓自身も、生きてて良いと思えるのだ。
「じゃあな」
領域解除。
あと少しで啓の命を奪う所まで来ていたガベルは消える。
同時にもう一人の「啓」も、巨大な天秤も天國も地獄も、全てが消える。
残ったのは、一切の呪いも帯びていない古びた寺社と鳥居だけ。
決して心和む景色ではないが、啓の気分はいやに晴れやかだった。
「これで少しは領域関連で悟さんに揶揄われずに済む……っとそうだった帳! 急がないと!」
十八話、読了ありがとうございました。
やっと領域展開できたぁ……!
啓君程ではないですがめちゃめちゃ嬉しいです。