君に傾く天秤   作:ウルトラレア

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 番外編等を除けば二十一話です。
 たぶん。
 





第二十一話 理外

 

 

 

「あぁ、坂上はそのまま伊地知君の護衛として帳外で待機だ。……おっし大体配置に付いたな。じゃあ各班各位、今後報告は十分おきに行え。それを生存確認にしつつ適宜指示を送る。報告が無い場合は俺から一度連絡を行い、反応が無ければ異常発生とみなす。また『三千世識』持ちは他人員とも定期的に連絡を取り合って互いの生存を確認、異常があれば即時報告しろ。以上」

 

 

 20:45。

 渋谷クロスタワー。帳外。

 屋上に見える二つの人影。一つは傍らに侍る直立不動のスキンヘッドの男──丑谷三。

 

 

 もう一つは座禅の姿勢で虚空へ指示を飛ばす青い和服の男。

 阿頼弥家当主。阿頼弥玄。

 

 その顔一面を物々しい御符が覆っており、そこには赤い墨で重瞳が描かれている。

 それは三千世識の効力を底上げする阿頼弥家謹製の符であり、これにより現在玄は十人以上の遠く『眼』の構成員へ感覚を伸ばす事ができる。

 

 そして伊地知を筆頭とする補助監督陣と協力し、帳内外をカバーする連絡網の確立へ向け指示を飛ばしている。

 三千世識を持つ少数精鋭は帳の周囲に満遍なく配置し、他人員と離れて行動させ、連絡網断絶のリスクを分散。

 そうでない者をその隙間に配置、補助監督役を護衛しつつ行動させる。

 

 それは連絡網であると同時に、更なる外部からの乱入を検知する監視網としての役割も持っている。

 

 

「……。……ハァ。予想通りとは言え、アイツ全く連絡つかねぇな。この非常時に音信不通……こりゃ()()()だな」

 

 

 指示伝達を終え、玄はスマホを取り出し別途電話を掛けた。

 しかしどれだけコールしても相手からの応答は無く、玄は深い溜息を吐いて電話を切った。

 そこには諦観と。憤りと。後悔と。悲しみが、確実に混じっていた。

 

 

「少しは期待裏切ってくれよ、バカ弟」

 

 

 

 


 

 

 

 

 同刻。

 渋谷。

 プリメーラ道玄坂。屋上。帳内。

 

 結界の縁に当たるその場所に一人佇む人影。

 相も変わらず、素顔の一切を隠す天蓋を身に付けている。

 それは自身に対する認識を希釈し、他者に気付かれにくくなる性質を持つ呪具。

 

 

「ホント、全空は想定以上に成長したよ。交流会襲撃から約一ヶ月。アレはもう五条悟や阿頼弥啓、呪いの王にも比肩し得る怪物だ」

 

 

 その分視界が狭まるが、男──法坐は肉眼を遥かに超える距離まで物を見通す事ができる。

 彼の眼が捉えているのは、遥か遠くで巻き起こる怪物達の戦争。

 

 

「領域未習得なのはこの際どうだって良い。そのハンデは僕と夏油が埋めた。実際領域を封じる事ができた今なら……うわマジで期待しちゃうなぁ」

 

 

 素顔は見えないが、見えずとも分かる程に嬉しさが声に滲んでいた。

 その歓喜を共感して欲しくて、法坐は肩越しに振り返った。

 そこには、法坐ではないもう一人の人影がある。

 

 

「ね。君もそう思うでしょ」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 時は少し遡り──20:40。

 東京メトロ渋谷駅地下五階。副都心線ホーム。

 

 

「クックックッ。準備バッチリって訳だ。これで負けたら言い訳できないよ?」

「貴様こそ、初めての言い訳は考えてきたか?」

 

 

 線路中央に対峙する一対三の怪しい者達。

 日常生活で線路内に入り込めばただの自殺行為だが、この異常事態に言葉を交わすのも十分神経を疑う光景である。

 

 また四人の内二人は人ならぬ異形の存在である。

 非術師達は受け入れなければならない、漂う超常の空気を。

 

 

「いやいや、もし仮に。万が一。幸運にも僕に勝てたとして、君らその後普通に啓にボコられて終わりだから」

「それはどうだろうな? 阿頼弥啓の方は全空に全て任せてある」

 

 

 確信している五条とは対照的に、漏瑚の言い草はまだ半信半疑、いや、期待と言った方が正しい。

 目の前の男と同じ「側」にいる神童。その強さも伝え聞いて知っている。

 

 だが天災より産まれた同胞として、期待せざるを得ない。

 同じ時期に知性を得て、自分達よりもずっと遅くに肉を得た空の兄弟。

 

 産まれ落ちた順番で言えば、長兄に当たるのだろう漏瑚は、向けられた呪力が自分達より大きかったからだと考えている。

 

 

「今の彼奴は、少なくとも儂等とは違う『側』におるのでな」

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 そして現在──20:46。

 渋谷駅西口近辺。首都高速三号渋谷線上。

 

 

 天地を繋ぐ六つの柱が、一つの呪いを始点に立っている。

 一切の衝撃波や轟音が無く、輝く消滅が一帯を埋め尽くす。

 

 死の流星は十秒もの間、大気を貫き続けた。

 やがて光が何事も無かったかのように消え去ると地面には底の見えぬ巨大な穴が刻まれていた。

 

 

 

 真蹟。極ノ番──断罪星座。

 阿頼弥啓が有する最大火力の一撃。

 

 触れるものを一切の例外なく、ただ静かに消し飛ばす恐怖の光。

 五条悟の「茈」と同じ、魂を急所とする真人すら肉体を滅し殺す事のできる力。

 以前の霊山の呪霊も同様に、山ごと消滅できたのは言うまでもない。

 

 

「っ!」

 

 

 しかし今この瞬間、啓もまた目の当たりにした。

 全空という呪霊の起源を。

 

 

「何だ……?」

 

 

 穴の反対岸。

 空間に真っ黒な罅が入っている。罅の隙間から黒い光が漏れ出ている。

 

 そして空間を支える力が崩れていくかのように、徐々に罅割れが波及していく。

 バキ、ビキと空間が割れ、罅が広がる。

 その度に部屋のライトが点滅するように空間の光度そのものが増減を繰り返し、やがて罅の周囲だけが完全に暗転した。

 

 

 

 その闇の垂幕から覗いたのはまず、目が覚める程の真っ白な脚だった。

 白い靴と白い布地に包まれた人間のような脚。

 

 

「HA。HAHA」

 

 

 更に脚から順に腰。胴。腕。首までが暗闇から現れる。

 外見だけ見れば、燕尾服よりも丈の長い礼服のようだった。

 

 

「HAHAHA」

 

 

 "彼"が歩を進めるに連れ暗闇は潮のように引いていき、頭部に当たる部分にのみブラックホールのような光の無い闇が残った。

 

 

「極ノ番──無有(ナイア)

 

 

 それは何というか、宇宙飛行士に見えなくもなかった。

 最低限の人らしさだけがあって、しかし見れば見るほど異質で、不快で、人外でしかない存在感。

 この宇宙の次元ではない「何者か」が、無理やりこちらへ現界したかのような姿。

 

 

「はじめまして。というべきかな阿頼弥啓」

「……随分雰囲気変わりましたね」

「HAHA、そうだな。以前の世は己が呪いの何たるかを、それはもう理解できていなかった……貴様にとっては別物に見えるだろうな」

 

 

 全空である筈のその人型は、肩を竦めながら笑った。

 まるで人間のような仕草だった。

 

 

「あの日。貴様に冒涜的なまでに嬲られ、死の淵の淵に追いやられたあの日。この空の上、この星の上、この宇宙の更に上。どこまでも続く外側(そら)を、世は己の中に見た」

 

 

 全空の脳裏に浮かぶ、屈辱と共に刻まれた記憶。

 その最後は、聞こえぬ命令語に体を縛られ、視界一杯に「むらさき」の光が広がっている。

 

 死。

 死を全身で実感した。

 この世から居なくなるのだと本気で思った。

 

 だが死に際で掴んだ、己の起源。

 この宇宙の「外」にまで広がる美しい「そら」を。 

 

 

「"ソレ"を見てからというもの、以前まで感じていた呪いとしての矜持や、尊厳や、誇りや自負のようなものが段々薄れ始めてなぁ……時折綺麗に忘れてしまう事もあった。以前の()を形作っていたものは、そうして音も無くゆっくりと崩れていった。そして今、()は生まれ変わったかのように。夢のように。忘れていないと語ったあの日の屈辱すらも忘れている。()はそういう愚者なのだと()()は思う。過去の自分を嬉々として冒涜し、陵辱し、塗り潰し、手放す愚者」

 

 

 懐かしむような声色で、コロコロと一人称を変えながら、まるで他人の話をするかのように自分の事を語る全空。

 

 それは紛れもなく、狂気だった。

 啓が人間の中の特異点としての片鱗を見せるように、全空は自分が呪霊の中の異常性として振る舞い始めている。

 

 

「……HAHAHA」

 

 

 こみ上げたような笑みを零しながら、ゆったりとした動作。

 の直後。

 

 

「貴様も冒涜(そう)したいと思っているぞ」

 

 

 全空の像が線状に歪む。

 先程よりもなお速く啓の懐へ肉薄し、右の拳が突き出される。

 

 

(速い。悪傾効いてないのか)

 

 

 啓は三千世識を起動し、その速度を捉えながら何故か天秤の呪詛の効きが悪い事に気付く。

 

 即座に神決呪法を駆動させる。真蹟は消えていない。

 既に啓にとって、真蹟と他術式の同時運用は弱点ではない。

 

 努力を重ねた。

 研鑽を積んだ。血を滲ませながら積み重ねた。やるべき事はした。

 後はその間溜まり続けた、肚の中の呪詛を。

 

 

「『止まれ』」

 

 

 その命令語を吐き出す。

 亜音速近い速度をも一言で抑え、静止させる事ができる力。

 

 

「HAHA」

 

 

 ……その筈だった。先刻までは。

 全空の全身から吹き出す黒い光。

 それはこの世ならざる世界の空気、宇宙の「外」の法則であり、あらゆる術式を乱す効果を持つ。

 

 啓は呪詛の効きが悪い理由を悟る。

 神決呪法にて凍り付いていた全空の体は瞬時に解凍され、眼前で停止していた拳は加速する。

 瞬きよりも速く、啓の頭部へと。

 

 

「──」

 

 

 触れる事は無かった。

 有無を言わさず、瞬きより早く、恐ろしい程速く、真蹟の大剣が全空を左へ連れ去り吹き飛ばした。

 

 その一撃により全空の黒い光が萎んだ刹那。

 ──を。見逃す神童ではない。

 

 

「『ブッ飛べ』」

 

 

 小石のように地面を跳ねる全空を更なる命令語が捕まえる。

 それは弾き飛ばす「禁止」ではなく、対象を引き込む「許可」である。

 

 全空は明後日の方向に加速し、真横のビルの外壁に叩き付けられた。そしてすぐに別方向に加速し、向かいのビルにぶつかる。

 またすぐに加速、地面に衝突。

 また加速。衝突。加速。衝突。加速。衝突。

 

 まるでスーパーボールのように、啓の掌印の動きに合わせて全空は縦横無尽に引き摺り回され続けた。

 時間にして約一秒、十数回叩き付けられた後に全空は黒い光を開放。

 万事禁止の呪いを解く。

 

 

(これが)

 

 

 その瞬間を読んでいたのか。あるいは誘導されたのか。

 

 自由になった全空の頭上には、いつの間にか神童の姿があった。

 始めからそこにいたかのように空間を跳び越え、全空を見下ろしている。

 

 

(これが貴様の殺意(ほんき)か)

 

 

 神決呪法による急降下。

 啓の脚が全空の腹に突き刺さり、地上へ連行していく。

 空気の輪を残しながらグングン落下していき、程なくして尋常ではない轟音が響いた。

 

 地震めいた揺れと共に、土砂や瓦礫が高く噴き上がる。

 砂塵が晴れると、地面には隕石衝突さながらの巨大なクレーターが刻まれていた。

 その中心に、横たわる全空を足蹴にする啓がいる。

 

 

「で。長々と自分語りできて気持ち良かったか? なら後は僕の命令(いう)通り後悔しながら死ね」

 

 

 啓は吐き捨てるように言う。

 冷たい呪詛を湛えた眼が全空を睥睨している。

 

 全空は痛感する。

 これが、全ての術式を十全に操る事で発揮される阿頼弥啓の正真正銘本来の全力。

 以前の全空が自らの本当の姿を知らなかったように、啓もまた本当の力を見せていなかった。

 

 阿頼弥啓の氷山の全容を、今世界で初めて全空が見ている。

 自身の起源を理解し、術式の最奥に辿り着いてもまだ、全空は自身の「死」をハッキリと感じている。

 

 

「HA、HAHA、HAHAHA! HAHAHAHA! HAHAHAHAHA! HAHAHAHAHAHA! HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!」

 

 

 故に全空は笑った。

 自らが地に伏し、踏み付けにされているにも関わらず、込み上げる笑いを抑えなかった。

 

 

「HAaaaa……いや流石だ、流石だ阿頼弥啓。ひたすらに理不尽で! 理不尽に恐ろしく! 理不尽に強く! どこまでも理不尽極まりない!」

 

 

 激しく揺れ動く感情の赴くまま、全空は言いたい事を捲し立て、啓の脚を強く掴んだ。

 腕を振り解こうと脚に力を入れる啓だったが、予想に反して腕は微動だにしなかった。

 

 

「故にこそ」

 

 

 刹那。

 啓は再び目の当たりにした。

 全空の頭部の暗闇に浮かんだ"ソレ"が一体何なのか、啓は知っている。

 

 それでも理解はできない。そんな矛盾と、絶対に自分とは解り合えない存在に対する恐怖が全身を疾った。

 今すぐこいつから離れたい衝動に駆られた。

 

 

「嘲笑うのが楽しみだ」

 

           ◠ ‿ ◠

 

 もしかしたら、だから彼は顔を隠していたのかもしれない。

 込み上げる笑みを見られぬように。

 

 

「『吹っ飛べ』ッ!!」

 

 

 瞬時に目の前から消し去りたい一心で、啓は術を放った。

 しかしこの時、内心の動揺を抑えきれなかった啓は選択を誤った。

 

 神決呪法が発動する寸前、全空から「外」の法則を帯びた光が溢れ出る。

 それは数瞬、神決呪法と競合し全空の体を一瞬痙攣させたが、啓が望む結果を裏切り、再びその効力を打ち破る結果となった。

 

 啓にとってこの場合の最善は、相性の介在する余地の無い呪力強化による物理攻撃であった。

 

 

「HA──おいで【ヒ°ラ】」

 

 

 次の瞬間。

 前方から現れた真っ白いナニカが啓の体を凄まじい速度で拉致し、遠方のビル二つを貫通していった。

 

 歪む視界の中で捉えたそれは、全身純白の竜だった。

 もちろんただの竜ではない。

 二足歩行で、首の途中が綺麗に途切れ、顔に当たる部分に虹色のノイズが揺れる異形の竜だ。

 

 

「『退け』」

 

 

 呪詞(ことば)は違えど、それは竜を吹き飛ばす結果を強制する。

 空中を突き進んでいた白竜は折れ線を描いて吹き飛び、反対側のビルの上層に激突した。

 そのまま竜に真蹟を当てがい、足止めする。

 

 竜の拘束から解放され宙に放り出された啓はすぐに神決呪法で浮遊し体勢を整え、クレーターの上に立つ全空へと突貫

 

 

(ヨグ)

♪♪♪♪♪♪♪♪(呪われたフルート)

 

 

 できなかった。

 手足が何かに縛られた。

 暗い緑色の霧から伸びる触手が手足に巻き付き、啓を拘束していた。

 

 同時。

 いつの間にか頭が音符の形をした妖精のような存在に囲まれており、その手にあるフルートから針を突き刺すような不協和音が響く。

 その効力故か、体の力が一瞬抜ける。

 

 

 隙ができた。前方に更に現出する緑の霧。

 そこから覗く無数の触手の先端で緑の光が瞬き、幾つもの光線が殺到する。

 

 ──0.00。

 

 

「『逸れろ』」

 

 

 しかし、それが物理的な攻撃手段であるのなら神決呪法は無類の強制力を誇る。

 全ての光線が啓を避けるように折れ曲がり、虚空やビルの壁へと消えていく。

 

 ──0.23。

 

 

「『(ほど)けろ』」

 

 

 すかさず手足に絡む触手に神決呪法を施し、拘束を解く。

 流れるように手に呪力を込め、手刀で触手の先端部分を輪切りにした。

 

 ──0.69。

 

 

「『吹っ飛べ』」

 

 

 前方の触手と周囲の音符人間を禁止で弾き飛ばし、包囲を崩す。

 

 ──1.00。

 障害は全て排除。

 目標は未だクレーターの前から動いていない。

 神決呪法の準備は完了。その高速機動により目標へと一直線に接近する。

 

 竜がビルに空けたトンネルの穴場を、像が線になる程の凄まじい速度で通過していく。

 距離、残り五十四メートル。

 

 

♪♪♪♪♪♪(狂おしき太鼓)

 

 

 一つ目の穴を抜けた先、再び音符頭の人型式神が六体眼前に立ちはだかる。

 直後、空気の裂けるような音が鳴り、その音と共に壁のような衝撃波が疾る。

 

 だが啓は神決呪法の立体機動で以って大きく迂回するように回避し、そのままビルを回り込んで全空の下へ向かう。

 距離、残り三十一メートル。

 

 

■■■■■■■■■■■(・hい/88・dお/+*・rあ/=)

 

 

 主人の危機を感じたか、今し方真蹟と怪獣大戦争をしていた竜が真蹟を放置し、横合いから啓の前に乱入してくる。

 

 頭部のノイズが肥大化し、生き物のように蠢いた後、あらゆる知的生物の歌が混ざったような音と共に超高速のレーザーとして発射された。

 レーザーは真正面から啓へと迫る。

 

 

「『逸れろ』」

 

 

 だが結果は同じである。

 今までそうであったように、虹色のレーザーもまた明後日の方向へ折れ、遠くビル群を貫通していく。

 

 啓の前に残ったのは、無防備な隙を晒す異形の竜が一匹。

 

 

「『吹っ飛べ』」

 

 

 当然、神決呪法の的となりビルの外壁まで吹き飛んだ。

 

 障害は消え、再び全空への道筋が開通。啓は更に加速。

 距離、残り十メートル。

 距離、残り五メートル。

 距離、残り二メートル。

 

 

 

 一対一。

 未だ不動の全空。啓の間合いに入っている。

 啓もまた、全空の声が聞こえる範囲に入った。俯いていた全空の頭が起き上がる。

 目を焼くような不快な笑顔と、目が合った。

 

 

「※冒涜的な言葉。※冒涜的な言葉」

 

 

 この世の言語とは思えないその不気味な呪詞が、啓の意識の最後に聞こえた音だった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「地下鉄の駅全体を覆う"一般人を閉じ込める帳"。その内側、副都心線ホームを中心に"術師を入れない帳"が降りています」

 

 

 20:51。東京メトロ。

 明治神宮前駅。二番出口側。

 先行した麒麟に続き、現場に到着した虎杖と冥冥、憂憂の三名。

 駅には三名の補助監督役が待機しており、その内の一人から地下鉄内の状況を説明してもらっている。

 

 

「二つの帳の間、地下二階と四階にこれらの帳を"守っている"呪霊か呪詛師がいます」

「間? 中心のホームじゃなくて? それに"守ってる"というのは?」

「はい。今回の帳には高専襲撃時の『楔』型の呪具が使われていると思われます。故に離れた位置にそれぞれ設置し、帳が同時に破壊されるのを避けたのかと。また結界の外に出る事で発見のリスクを抱え結界強度を上げているのだと思います」

「なる程ね、敵は相当結界術が上手いみたいだ……で、麒麟さんは?」

「現在地下四階で戦闘中です。また調査を引き継いだ際、できれば冥冥一級術師に四階へ来てほしいと言伝りました」

 

 

 五分程前に駅に先着した麒麟は迅速に補助監督役達と調査を交代、現在単独で調査と地下鉄内の敵に対応している。

 

 

「それは構わないけど……四階に何かあるのかな?」

「麒麟さんからの情報ですが、その……"帳"の間に、改造された人間がいると」

 

 

 その言葉はこの場の誰よりも、虎杖にとって呪いを沸き立たせる情報だった。

 声は上げず、ただ腹の中の激情が突沸を起こしていた。

 

 冥冥は髪の間から横目で虎杖の反応を見ている。

 虎杖の性格や以前聞いた里桜高校の事件の顛末も思い返せば、大体の事情を察する事ができた。

 

 

「よく分かってるね……という訳で虎杖君、地下二階は君に任せたよ。戦力を分けるのはどうかと思うけど、麒麟さんの人選だ。期待に応えてあげてね」

 

 

 その後虎杖達と別れ、地下四階直通の七番出口を降りる冥冥と憂憂。

 走りながら、内心で燻る違和感について考える。

 

 

(それにしても、麒麟さんは少し焦ってるのかな。今日会ったばかりの虎杖君に単独でやらせるなんて……阿頼弥君が敗けると想定しているわけでもないだろうに)

 

 

 霊園で連絡があってからの対応。

 現着してからの手際。今思えばどこか急いでいるようにも感じた。

 

 即時解決に越した事は無いが、大元の解決に関わるのは呪術界と阿頼弥が誇る鬼才達だ。

 他でもない阿衆の人間が神童の勝利を疑う筈が無いと、冥冥は思っていたのだが。

 

 

「……憂憂。もう少し急ごうか」

「はい! 姉様!」

 

 

 

 


 

 

 

 

 同刻。

 渋谷駅南側。神宮通り。

 クレーター前にて。

 

 

「ンブッ、ガッハ……! ゲホッケホ……!!」

 

 

 ──神童は膝を付き、血を吐いていた。

 七孔噴血。口、鼻、目、耳、穴という穴から血が溢れ、地面に赤い星のような痕を描いている。

 

 だが外に現れる症状以上に、啓の内部には恐ろしい程のダメージが刻まれている。

 呼吸は荒く、視界が揺らぎ霞む。

 手足が小さく痙攣し、上手く動かせない。

 頭は鉛のように重く、鈍痛を発し続けている。

 

 

 そして何より、それら体に現れる症状に意識が回らない程の──恐怖。

 思考と脳を呑み込むような。

 形容できない、理解できない、漠然とした巨大な恐怖。

 立ち上がるまでに掛かる時間を概算する事も難しい。

 

 故に、目の前で不快な笑顔が見下ろしている事に気づくのにも、相当の時間を要した。

 

 

「おや、どうした阿頼弥啓。怖い夢でも見たか?」

 

 

 それは両者が初めて邂逅した時。

 啓が地に伏す全空を見下ろしていたあの時と、今度は真逆の構図だった。

 

 

「HAHAHAHAHAHA!!」

 

 

 







 二十一話、読了ありがとうございました。
 やっと出せました全空のキャラ崩壊(極ノ番)。

 要は術式の解釈を宇宙→外宇宙まで広げた訳です。
 交流会で今際の際にその境地に達し、術式を乱す光で啓の神決呪法からギリギリ脱したという経緯です。


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