君に傾く天秤   作:ウルトラレア

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 大変遅くなりました。すみません。
 年度明けのゴタゴタで全く時間が取れず、ようやく落ち着いてきた段階です。
 
 というわけで三十二話になります。
 まだ見ている人がいらっしゃればどうぞ。


 


第三十二話 彼女が視ている先は

 

 

 

 

 

 ──22:27。

 宮益坂。渋谷たくぎんビル前。

 

 

 道路の上。

 両手足を地に付き、啓は倒れ込んでいる。

 腹部に空いた三つの穴からは、大量の血が流れ出ている。

 瞬く意識の中、何が起きたのかを思い返す。

 

 

 と言っても、経緯は単純だ。

 真人の分身が消えた後、啓は波波羅から距離を取った。

 その矢先だった。

 遠方に巨大な気配を感じた瞬間、何かに腹部を貫かれた。

 

 

(遠くから"視られてる"感覚。お腹を貫いた()()()。明らかに呪霊の呪力だけど、この気配を僕は……知ってる)

 

 

 論理的に考えるまでもなく、腹から溢れる血のように止めどなく流れる直感的な思考は、既に結論を出している。

 遠く駅の北側。ビルの向こうに聳える巨大で強大な呪いが、一体誰なのか。

 

 

()()()()()……っ)

 

 

 どれだけの証拠を突きつけられようと、納得のできない結論だった。

 目に映る情報の何もかもが記憶にある彼女から掛け離れている、というのもあるが。

 

 何より尊敬していた家族が既に死んでいて、呪いに転じてしまっている事実が。

 啓の精神の深層に突き刺さっている。

 

 

「んふふ。驚いてくれたようで何より。僕も頑張った甲斐があるよ」

 

 

 後ろの方から嬉しそうな、悍ましい声が聞こえてきた。

 天蓋に遮られていない分、よりハッキリと感情が伝わってくるようだった。

 

 

「君強くなり過ぎたからさ。彼女には君の足止めに()()()()()()()()()んだ。サクッと自殺してくれたよ。君の事を(おも)いながら、呪いを込めてないナイフで首をこうスパッとね」

 

 

 波波羅は前を向きながらゆっくり後退する。

 舞台上のキャストから袖裏の傍観者に替わるように、静かに距離を取る。

 

 真人のサポートも、啓への対抗手段の用意もどうにか完遂した。

 波波羅がこの場に残る必要はもうない。それに姿形は変われど、男女関係のもつれが生んだこの状況。

 当事者達だけにしてあげようという、嫌味ったらしい気遣いがあった。

 

 啓は蹲った体勢のまま首だけを波波羅へ向け、睨み付けた。

 狂いそうな程の怒りを抱えながら、絞り出すように声を出した。

 

 

「お前、おまえ……っっ! おまえは一体……何なんだ……っ」

「え、何? 声小さいよ。僕もう行くからね? ()()()()()大変だろうけど……花凛ちゃんの相手、しっかりしてあげなよ?」

 

 

 上機嫌な様子の波波羅は、そうしてほくそ笑みながらその場をそっと離脱した。

 

 遠ざかる気配に啓は歯噛みするが、しかし追う事はできなかった。

 目で追う事さえできなかった。

 

 

「っ〜〜……言われなくても、やるに決まってんだろ」

 

 

 してはいけない。

 他人に目移りしている暇なんてありはしない。

 

 啓は彼女がいる方向を見る。変わり果てた花凛を見る。

 ここまで来て、ここまでされて、彼女から目を背ける事はできない。

 彼女の気持ちから、これ以上逃げる事は許されない。

 

 そう強く思う。

 例え、この場で怨敵を逃がそうとも。

 

 

「啓様……お怪我が……っ!」

 

 

 ビルの上から地上に降り、駆け寄る麒麟。

 だが啓は自身を顧みず、真っすぐ前を見ていた。

 腹部に穴を空けても。蓄積した負荷に体を苛まれても。

 

 啓は花凛の動向を注視していた。

 故にその小さな変化を見逃さなかった。

 

 

「まタ女。女女女女女女女女。別ノ女。違ウ女。私とは違ウ女。私以外ノ女。私じゃなイ女。私より相応しくなイ女。──惨殺(バラ)ス。解体(バラ)す。薔薇(バラ)す」

 

 

 見ている。

 視ている。

 花凛は視ている。

 今も昔も、阿頼弥花凛の視ている先は。

 

 

薔薇數(ばらす)──一輪刺(いちりんざ)し」

 

 

 啓から二十メートル前方。虚空。

 黒い薔薇が、パッと咲いた。

 

 

 ──直後。

 薔薇を起点として、巨大な荊が勢いよく伸びてきた。

 啓に向かって一直線に、余波が砂埃を舞い上げビルの窓を順番に割っていく。

 

 

「う……っ!?」

 

 

 運悪く。

 傾世天秤による負荷の余韻が、ここで啓の体に鞭を打った。

 

 黒い呪力(怨嗟)を扱うには、大本である"呪いを集める術式"を発動しなければならない。

 その間、啓の体には日本全土から阿頼弥家に向けられた呪いが吹き溜まっていく。

 それは毒のように、長時間ゆっくりと啓を蝕んでいた。

 

 ただでさえ一度死に掛けた肉体。

 呪いを受けた状態で強者達と連戦を経た反動は既に限界を迎えている。

 腹を貫いた不意打ちも、その負荷によって避け得なかった所が大きい。

 

 

「啓様ッッ!!」

 

 

 荊は啓の目前まで迫っている。

 麒麟が素早く啓の前に立ち、刀を構えた。

 一人で受けきれる攻撃ではないと、麒麟自身が理解している。

 

 

「麒麟さ──」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 一分前。

 渋谷駅。地下二階。

 宮益坂中央改札近辺。

 

 真人は散々小突き回した虎杖の体を、依然痛めつけ続けている。

 もちろん折れた魂に追撃をするのもやめない。

 

 

「お前はさぁ。この世界を絵本か何かと勘違いしてんだろ?」

 

 

 胸倉を掴んで持ち上げる。

 真人は拳を振り上げた。

 

 

「味方は誰も殺されないし、悪い敵だけがやっつけられる。安心安全な呪いの世界」

 

 

 振り下ろした。

 振り上げた。振り下ろした。

 また振り上げた。振り下ろした。

 それをもう三回繰り返した。

 

 

「な訳ねえだろ!! 敵は楽にやられてくれねえし味方も全然アッサリ死ぬ! 殺される覚悟と呪い合う覚悟を敵も持ってる! 俺達は対等なんだ! それがこの世界だ!! それがこの戦争だ!!」

 

 

 次は胸倉ごと地面に叩き付けて、腕を引き戻すようにまた地面に叩き付けた。

 生き物ではないかのように、玩具のように虎杖の体を嬲った。

 

 一頻り叩き付けた後、今度は壁に投げ飛ばす。

 力なく凭れる虎杖へ走りかかって、真人は腕を鎌のように変形させた。

 

 

「そんな事にすら気づけないガキが、戦場に来んじゃねえよッッ!!」

 

 

 その刃は容赦なく、感傷もなく、ひたすらに呪いとして。

 虎杖の首へと振るわれた──パンッ。

 

 

「っ……!」

「祇園精舎の鐘の声」

 

 

 地下構内に響いた音に続き、堂々とした足音と声が真人の耳朶を打った。

 声の方に視線を移すと、ヒグマのような巨漢が歩いていた。

 その足元に、死に損ないの虎杖が横たわっている。

 

 

「諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色。盛者必衰の理を表す。ただしッッ!!」

 

 

 妙なセンスの丁髷と顔面の傷。

 その巨漢は太々しく真人を捉えていた。

 

 

「俺達を除いてな」

 

 

 京都校三年。

 東堂葵。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 白い光だった。

 夜と帳に覆われた渋谷の街にあってなお眩い光。

 懐かしくも頼もしい光機を纏った天使が、啓の目の前に降り立った。

 

 それは勢いよく槍を振るい、麒麟と共に荊を両断して背後の啓を守った。

 

 

「まさか、こんな事態になっているとはな……」

 

 

 天使の隣には、その主人と思しき黒髪の少年が立っている。

 啓にとっては、戦力以上に安堵を覚える存在だった。

 

 

「全く、兄失格だ」

 

 

 京都校一年。

 阿頼弥明。

 ……阿頼弥花凛の、双子の兄。

 

 

「明君……っ!」

「啓。花凛の相手、俺にもやらせてくれ」

 

 

 呪力で象られた荊が霧散していく中、肩越しに啓を見る明。

 その目はいつも通り、あるいはそれ以上に決意を湛えている。

 明のこのブレない信念の強さを、啓は改めて尊敬する。

 

 

「安心しろ。東堂葵も来ている。地下の方はアイツに任せて良い筈だ」

「っ……そっか。それなら安心だ」

「認めるのは癪だがな」

「ふふっ……うん」

 

 

 東堂の厄介さを嫌という程理解しているからこそ、啓は笑った。

 戦場でも彼は大丈夫だろうという謎の信頼と、調子に乗らせるのはまずいという確信が、二人の間で共通していた。

 

 

薔薇數(ばらす)──双薔(ふたば)

 

 

 新たな攻撃の気配。

 やはり虚空に現出した黒薔薇。今度は二輪。

 

 背中合わせの黒薔薇は、先程同様に荊を伸ばしながら水平に回転する。

 先程より一回り小さいが十分巨大な荊は、積み木を崩す子供のようにビルを薙ぎ払って啓達に迫る。

 

 

「我が妹ながら凄い破壊力だ」

「明君? 感心してる場合じゃないから」

 

 

 縄跳びさながらに跳んで荊を回避しつつ、ズレた感想を零す明と律儀にツッコむ啓。

 仲がよろしいですねと、同じく空中の麒麟は思う。

 

 

「おっ、とと……」

「啓様……っ」

「ふん、珍しく調子が悪そうだな」

「あはは、これ結構キテるかも」

「鈍感な奴だ。……で。何分かかる?」

 

 

 着地時、軽く足元をフラつかせる啓。

 慌てて麒麟が支えるのを見て、啓の相当な消耗を悟る明。

 それでも『かも』と言ってしまうあたり、筋金入りだと明は呆れる。

 

 

「三分頂戴。何とか回復させる」

 

 

 同時に、ここで諦める男でない事も理解している。

 静かに燃える緑の視線が、明を射抜く。

 

 

「了解だ。その間は休んでろ」

「明殿。私も援護いたします」

「あぁ頼む。それと日下部篤也、貴方にも援護を頼みたい」

「えぇ、この格好の俺にもまっすぐな瞳……凄いなお前」

 

 

 麒麟の申し出を受けつつ、明は傍らで死んだふりのように突っ伏していた日下部にも協力を仰いだ。

 

 先程の薙ぎ払いに巻き込まれかけた日下部は、屋上からジャンプして何とか崩落を逃れていた。

 緊急の回避だった為酷く格好の付かない着地だったが、そんな自身にも分け隔てなく鞭を打つ明に日下部はこんちくしょうと感心した。

 

 

「にしても今の花凛の攻撃、黒木式の拡張か? もはや別の術式に見えるな」

「呪いに転じた事で色々変質したのもあると思うけど、たぶん"僕だけ"を視る縛りを入れてる気がする。術式対象の限定で威力も範囲も上がってるし、荊に触れた時"痛み"が付与される」

「なる程。それなら迎撃より回避の方が良さそうだ」

「……阿頼弥、それちなみにどんだけ痛い?」

「体の中で棘が引っ掛かる感じ、で分かります?」

「あーもうそれ以上いい」

 

 

 渋々日下部が立ち上がるまでの間に、明と啓は花凛の攻撃の仕様を伝達する。

 啓が語るスリップダメージ効果に若干一名帰りたくなっていた。

 

 

薔薇數(ばらす)──三三三(アナタ)

 

 

 再び虚空に咲く無数の黒薔薇。

 そこから三本の荊が伸びて、複雑に絡み合い、形を成していく。

 

 荊で構成された人型の式神、といった所か。

 今の数秒で式神は二十体を超え、その全てが啓の方に向かって進み出した。

 

 

「チッ、まずはこいつらか」

 

 

 あまりの数に明は舌打ちをする。

 啓が治癒に専念するには、荊人間はある程度掃討しなければならない。

 短いアイコンタクトで明と麒麟は前に、日下部が啓の周囲を簡易領域で覆った。

 

 縮小した天使の槍を手に、荊人間達に接近していく明。

 同じく刀を抜き、駆け出す麒麟。

 

 明達と式神の群れ。

 両者間の距離が残り五メートル程に達した、その時だった。

 

 

「『吹っ飛べ』」

 

 

 聞き覚えのある命令語が、明達の耳に入った。

 すると、明達の目前にいた荊人間達が砲弾のように弾き飛ばされ、後列の荊人間諸共ビルに叩き付けられた。

 

 三分の一を一掃した、たった一言の命令語。

 そのような芸当が可能なのは、啓を除けばあとは──。

 

 

「啓を守ってくれて助かるよ日下部君。でもここからは、(おれ)の役目だ」

 

 

 阿頼弥玄。

 阿頼弥家第十三代当主。阿頼弥啓の父親。

 

 彼はビルの上から啓の下に飛び降りて、この場に合流した。

 

 

「父さん……!」

「……叔父上」

「あーほらほら、前向きな。今は二人を見習って目の前に集中!」

 

 

 玄は手を振り、明に前を見るよう促す。

 明の表情は複雑で、恐らく父親の事を考えているのが容易に解った。

 

 だがそれを考えるのは今じゃない。

 明以外の二人は、玄の姿を一瞥した瞬間に行動していた。

 

 

「シン・陰流──抜刀!」

落雷(くわばら)落雷(くわばら)

 

 

 高速の居合が荊人間達を切り裂き、上空からは鮮烈な雷撃が八度降った。

 式神の数は一気に減り、花凛までのルートも、玄が啓を守る余裕も生まれた。

 玄はダメ押しとして続ける。

 

 

「──明君。啓はこんな性格だからさ、君達二人にこれまでたくさん苦労をかけたと思う」

 

 

 そんな啓だからこそ、かつて人そのものに絶望した少女を成仏に導く事ができた。

 しかしそんな啓だからこそ、今の花凛には何を言っても暴力になる。

 玄も啓も、明でさえも、そう考えている。

 

 

「でもそんな君達だから、君だから……花凛ちゃんにも声が届く。君達結構似た者同士だしね」

 

 

 啓にはできない。

 啓ではない。

 

 今。この瞬間。

 阿頼弥花凛に忖度も確執もなく向き合えるのは。

 

 

「アイツはたぶん否定するだろうけど」

 

 

 玄は背中を押す。

 別れを告げてきた弟。その息子の背中を。

 歪んだ呪いに囚われてしまった、弟の娘の魂を救う為に。

 

 

「言いたい事言ってきな」

「感謝する、叔父上」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 私には尊敬している人が三人いる。

 一人は母。随分昔に死んでしまったけれど、忙しい父に寄り添い、父に代わって私達を育ててくれた人。

 

 

 一人は啓従兄さん。私の従兄。

 誰よりも美しく、恐ろしく、人間離れした魂を持った御方。

 それでいて、ただの人間のように優しい笑顔の男の子。

 

 

 そして、もう一人は──。

 

 

 

 

 

 

「あの、父様」

「んー?」

 

 

 京都。第二分家。

 宗家にも匹敵する広大な敷地と、厳粛な景観を織りなす屋敷。

 その持ち主に当たる人と、私は縁側で並んでお茶を飲んでいた。

 

 

 同じ性別かと錯覚する程に麗しい容姿とそれに相応しい所作で湯呑を傾ける当主、もとい父──阿頼弥雹霞。

 気の緩んだ応答に私は続けた。

 

 

「何で私を選んだんですか?」

「え、何? 藪から棒に」

「内通者の話ですよ。何で私を選んで、何で兄さんは選ばなかったんですか?」

 

 

 父様に言われた通りに、私は藪から棒に疑問をぶつけた。

 今のように二人だけになれる時間は少ない。

 誰にも聞かれない状況で、今の内に聞いておくべきだと判断した。

 

 

「あー……………花凛は俺に似てて、明は俺似じゃないから。かな」

 

 

 父様は少しだけ考える仕草を見せた後、答えた。

 父様の答えに、どこか納得してしまう自分がいた。

 

 父様と私。父様と兄さん。更には私と兄さん。

 その全ての関係性において、心当たりがあった。

 

 

「俺は玄。明は啓君。花凛は真希ちゃん。俺達はそれぞれに執着する相手がいる」

「面と向かって言われるとイラっとしますねそれ」

 

 

 父様の言わんとしている事が、私には何となく分かっていた。

 私と父様は、考え方が似ているから。

 

 

「その観点で見ると花凛の方が性格的に抱えてるものが俺と近い。家族以上に親近感があった。逆に」

「逆に兄さんは私達とは似ても似つかない、ですよね」

「……察し良いなMy daughter」

 

 

 家族以上の親近感を持っていたのは、私の方も同じだから。

 

 だから私の尊敬している人リストに、父様は入っていない。

 尊敬しているというのとは、たぶん違う。

 

 

「境遇は俺達と似てるのに、明は啓君に対してひたすら真っ直ぐ向き合ってる」

 

 

 湯呑みの中のお茶を覗き込みながら、父様は兄さんを語る。

 おおよそ息子の事を話す父親の姿とは思えなかった。

 

 羨望の眼差しを湯呑みの奥、他でもない息子へ向けている。

 

 

「我が息子ながら尊敬するよ心の底から。だから選ばなかった」

「……マジで凄いですよね兄さん」

「花凛は、あんな風に生きられたらって思うか?」

「それは……分かんない、です……」

 

 

 本当に分からない。

 今日まで生きてきて、兄さんの事を自分とは違う生き物として考えてきた。

 

 例え想像でも、自分があんな風になれるかと考えた事はない。

 

 

「ていうか、そもそも私がホントにあの人の妹なのかも分かんなくなってますよ」

「親の前でそれ言う?」

 

 

 情けない話、私はその事実すら疑っている。

 私が兄さんの片割れ、血を分けているという現実が十六年経ってもまだ信じられない。

 

 

「ま、それでも啓君は『花凛と明が似てる』と言った。だから好きになったんだろ?」

「……そういうの父親に言われるの結構キツいんですけど」

 

 

 と言っても、こういった赤裸々な話は父様以外にしていないので、仕方がなかったりもする。

 

 

「まぁ実際、超嬉しかったですよ」

 

 

 照れ臭がりながら、父様の言葉に頷く。

 本当に嬉しかったのだ。

 

 他でもない啓従兄さんに、私ですら疑っていた事を認めてもらえたのが。

 

 

「だって私──」

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 殺到する荊の雨。

 雪崩れ込むような式神。

 

 それを玄と麒麟、日下部が押し返し、薙ぎ払う事で花凛までの道を切り開く。

 純白の天使の背に乗り、白い影の尾を引いて明は渋谷の夜空を翔ける。

 

 妹の下へと接近しながら、明は掌印を結ぶ。

 それは、明が有する真蹟(天使)の力。

 

 

白眩(しらくら)

 

 

 花凛と明の間で、眩い白光が閃いた。

 昼の太陽めいた光源が、突如として渋谷の夜に現出した。

 

 

「ウァ"ァア……っ!?」

 

 

 それは花凛を一瞬怯ませ、更に対象の視認を必要とする黒木式を一時的に阻害する結果となった。

 

 

 全ての真蹟は「天秤(かたより)」を司る。

 その中で、明の天使は「光」の偏りを操る。

 周囲に伝搬する光の分布を操作する──だけ。

 

 

(よりにもよってこの力が三千世識の達人に効くとはな)

 

 

 対人戦においては目眩しとして有効だが、光の届かない地点に「視界」を飛ばせる三千世識の使い手とは、本来相性が悪い。

 啓や花凛等はまさに天敵である。

 

 しかし、"今の"花凛は「啓」だけを視ている。

 つまり視界の方向が限定されており、目眩しが効く。

 

 

「阿頼弥を裏切って、啓を殺して、そんな(呪い)になるまで啓の事を想っていたのか」

 

 

 怯んでいた隙に花凛の近傍へ辿り着き、明は花凛を見やる。

 だがそれ程の近距離まで近づいても、花凛の眼中に明は無く、啓だけに呪いを向けている。

 

 

「当然だがお前は罪人だ。阿頼弥の歴史に泥を塗る程の罪をお前は犯した。だがここだけの話」

 

 

 明は語りかける。

 いつものように、以前の花凛と話すような冷徹な声音で。

 玄に言われた通り、心の赴くままを。

 

 これが呪いに呑まれた花凛に届くかどうかは、もはや明次第。

 玄は静粛に、明が紡ぐ次の言葉を待

 

 

「──啓も悪いと思わないか?」

 

 

 言葉を待って。

 そして玄は頭の上に「?」を浮かべた。

 

 対照的に、ピクリ、と。

 気のせいかどうかも分からない程の反応が、花凛に垣間見えた。

 

 明は呆れたような、それでいて雑談のような声調で続ける。

 

 

「あの性格だ。お前の気持ちには応えられないが拒絶もできない。魂の底から優しくしてしまう。だからお前の前でも禪院真希と親しくして、お前に諦めさせようとした。それがアイツの最低限の答えだった」

「………」

 

 

 少なくとも、花凛が行う攻撃の勢いや式神の動きがほんの僅かに緩んでいた。

 それはそれで全く素晴らしい限りなのだが、玄にとっては何とも無視できない内容だった。

 

 

「まぁ普通に考えてそんなので諦められる訳がない。アイツはバカだ。いやマジで」

 

 

 明はサラッと吐き捨てた。

 何の感情もなく、呼吸をするように言った。

 

 

「お前が気持ちを捨て切れず、今"そう"なっている一因はただの啓の自業自得だ」

「……なぁ。おたくの息子、何か変な胸の痛み訴えてるんだけど」

「え、あぁキミ……啓の中に移ったっていう魂の子か……えぇ〜っと、この度はウチの息子が本当すんませんでした」

「おい、すぐに息子を売るな」

 

 

 啓の治癒にあたり、再び反転術式を代行していた桔梗。

 治癒は順調であるのだが、妙な痛みが胸の奥で走っていた。

 

 桔梗が思わず玄に声をかけると、玄は気まずそうな表情ですぐに謝ってきた。

 

 

「俺も似たような事をよくされたから分かる。勝負を仕掛けた俺をボコボコにした後、手を差し伸べてくる奴だ」

 

 

 厳密に言えば、申し訳なさそうな表情を添えて手を差し伸べる。

 阿頼弥啓は、そういう人間だ。

 

 

「要は俺もお前も、アイツに沢山負かされてきたって事だ」

 

 

 阿頼弥の歴史が、人を想い、呪い、戦い続けた歴史であるように。

 

 阿頼弥明の人生は、阿頼弥啓に挑み続けた人生だった。

 そして、阿頼弥花凛もまた。

 

 

「もう良いよ花凛。もう頑張らなくて良い」

「っ……」

そんな(呪い)にまでならならくて良い。呪いになってもならなくても、お前は啓に勝てないよ。俺には分かる」

「……っ、ァ」

 

 

 恐らくこの世界で誰よりも分かっている。

 誰よりも啓に勝てなかったのが、阿頼弥明という少年だからだ。

 

 

「俺だってアイツに勝って、お前と啓を結婚させたいって何度も思った。寝る前によく想像してた。夢にまで見ていた」

「ぁ、ウあぁァぁ……っ」

 

 

 明が寝る前の快眠ルーティーンを赤裸々に語る一方で、花凛の反応は次第に大きくなっていく。

 それに伴い、啓や玄、麒麟達に殺到する攻撃の勢いはどんどん弱くなっていった。

 

 

「でも無理だ。啓は俺達の気持ちには応えてくれない。絶対に」

「ァァあァぁああ"──薔薇數(ばらす)──(ゆび)!!」

 

 

 この時。

 ついに阿頼弥花凛の攻勢が、完全に反転した。

 阿頼弥啓だけに向けられていた歪んだ()いの矛先が、明へと捻じ曲がった。

 

 五本の荊で編まれた巨大な腕が二本、明へと襲い掛かる。

 建物を破壊し、瓦礫を撒き散らし、明を追う。

 

 耳を抑え、言葉の発生源を消そうと躍起になる花凛の姿は、明の言葉が届いている何よりの証左であった。

 

 

「俺が何度勝負を持ちかけようと、お前が呪いになろうと、何も変わらない。啓はお前のモノにはならないし、結婚もしない」

薔薇數(ばらす)──白呪(はくじゅ)!!」

 

 

 明は自嘲するように笑いながら言う。

 空中から降下する九十九本の荊の剣に晒されながらも、それだけの余裕があった。

 

 

「それでも啓はお前を拒絶しないし、優しく接するし、尊敬し続ける。当然俺もだ」

 

 

 理由は明白だが、以前も言ったが、明は続けた。

 それは、花凛の呪詞より僅かに早く放たれた。

 

 

「お前は、俺の自慢の妹だからだ」

 

 

 瞬間。

 花凛の脳内に溢れ出した──記憶。

 今は亡き父と語り合った、あの日の。

 

 

 だって私。

 ……兄さんの事、尊敬してるんで。

 

 

薔薇數(ばらす)──口曰日白百(いえずじまい)

 

 

 明の言葉の直後。

 明を含む術式効果範囲内全ての人間の()()()()()()()

 

 口に封が貼られたように。

 閂が掛けられたように。

 重しが乗せられたように。呪いのように。

 百本の細い荊が口を縫い付け、言葉を封じていた。

 

 それは呪詞を禁じると同義の強力な術であり、花凛にとっては追撃を畳み掛ける場面の筈だった。

 

 

「ぁ、あ"ァ……っ! に、イ……さン……っ」

 

 

 しかし。

 兄の言葉。

 兄への思い。蘇る記憶。

 

 呪いとなった花凛にはあまりにも強烈な、生前を想起させる音と映像。

 何より、口を閉ざされた周囲の姿が。

 

 啓への想いも。

 明への尊敬も。

 口に出す勇気を持てなかった自分の姿に、どうしようもなくそっくりだった。

 

 

「あっ、ァ"ア"ぁ"あ"ぁぁァ……っ!」

 

 

 苦悶。

 唯一開く花凛の口からは、苦悶だけが溢れている。

 

 

(花凛──どうか安らかに)

 

 

 明はただ、心の中で祈る。

 言うべき事は言い尽くした。

 ……三分は既に経過している。

 

 

(諦めろ)

 

 

 最低限の治癒は完了した。

 彼は術式による加速で、瞬時に花凛の頭部へと到達した。

 翳す手からは、正のエネルギーの光が溢れている。

 

 苦しませずに送ること。

 それが啓にできる唯一の選択だった。

 

 

(さようなら。花凛ちゃん)

 

 

 阿頼弥花凛。阿頼弥家の呪いを継いだ少女。

 たった一人の少年を呪い続け、ついには呪いに転じた少女。

 暴走しがちな兄を、彼女はずっと……尊敬していた。

 

 

 

 







 三十二話、読了ありがとうございました。

 めっちゃめちゃ久々の投稿でしたが、如何だったでしょうか。
 花凛の結末についてはある程度前から構想していたので、何とかここまで書けて良かったです。
 設定も割と凝ったので、よろしければ薔薇の贈る本数について調べてみてください。

 おそらく次話はある程度早めに投稿できると思います。


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