マッドネス・シンドローム-異能感染症- 作:あかつき まりあ
幕張 透
憑かれる男②
《異能発症》
食事の後、土田にこう言伝てされた
『そうだ、透、そのSDなんだがな
社内ではファイルを開かないで欲しいそうなんだ
お前だけにしか見せられない極秘のファイルらしい
可笑しな話なんだが、俺が確認しようとしても
〔その気にならない〕んだよな
なんか、別の事に気が向くと言うか……
社内じゃ、それを持ってる事すら覚えてなかった様な気もするし……
まぁ、いいや、確かに伝えたぞ、頑張って我が社に貢献してくれ、って奴だ』
現在の時刻は21時、帰宅してから食事と入浴を済ませ、いつも通り、オンライン回線にログインしようとした所でこのSDの存在を思い出した
それまでは、土田と同じく、このSDの存在すら忘れていた様な感覚で、仕事中は気にも止めていなかったのだ
それはもう、異質と言っても良い
魔法にでも掛けられ、操られていた様に忘れ、そして今、思い出す
そんな妙な感覚だ
俺は、特に考える事もなくSDを自室のデスクトップPCの差し込み口にセットし、手早く、慣れた手付きで中にあるファイルを確認した
ファイルには、動画データが一つだけ
他にはフォルダも何も無い
タイトルは、「g a t e」
ゲート?
門の事だろうか
仕事の情報だと言うのに動画だけのデータ
そして、このタイトル
ここに来て、異質さが更に際立つ
昼に感じた様な背筋が凍る様な感覚
この先へ進めば、正気で居られるのかどうかすら危うい
何故、そう感じるかは分からない
だが、この手を引いてしまいたいと言う恐怖の感情よりも、この動画データを開きたいと言う好奇心から来る感情が膨れ上がっていた
意思とは別に動く指先
動画データにダブルクリックする
数秒も待たずして開く動画データ
そこに広がっていたのは、曇りのない闇
真っ黒な画面
音声も無く、部屋には無機質な時計の音だけが響き渡り
ねっとりとした脂汗が頬を伝うのが分かる
ひたすらに流れる時間と共に、画面に引き込まれる様な感覚
もはや、身体の感覚すら麻痺し、その場から動く気にもならず、ただただ、本来なら反射して見える筈の自分の姿すら写らぬ黒い画面を見詰めていた
息を飲む
定まらぬ焦点が、一点の光を捉えた
同時に釘付けになっていた様な身体が自然と起き上がる
少し気を抜き目を瞑った間に、先の〔闇〕では無いものが画面に映し出されていた
そこには古井戸、それも縄や桶もない石造りの井戸だ
辺りは落ち葉で覆われ、奥は明るいが何も見えない
何処かで見た光景を思い出す
細部は違うが、そう、もう何年も前にヒットしたホラー映画のシーンにそっくりだ
言い得もしない圧倒的な恐怖が再び身体を縛り付け、脳内を思考が廻る、過去に見たその映画の恐怖、こうなった結果、起こる結末
死への恐怖
今までに感じた事もない、生々しい感情が頭を支配する
声すら出ない恐怖は、涙すら枯らせ、脂汗も引くほどの寒気を感じさせる、無情と言っても良い力に心臓を押し潰され、五臓六腑を引き摺り出される様な感覚に身体が拒否反応を示す
しかし、その反応すら圧し殺されるかの如く、身体は椅子に貼り付き、その場から動く事を許されない
死を覚悟する領域の話ですらない
直面している死をスローモーションで今、感じているのだ
そして、画面に映し出された井戸から細く白い腕がぬるりと這い出て、石で造られたであろう井戸の口を掴む
ゆっくりと二つ目の腕が井戸の口を掴むと、それに合わせて、長い黒髪の女が肩から身を乗り出し、赤く揺らめく眼をこちらへ向け、その赤い眼を光らせる
眼光は身体を侵食する様に、全身で強烈な吐き気を感じさせた
やがて、女は上半身を乗り出し……
井戸から転げ落ちた
……ここで、今までにあった緊張感が吹き飛ぶ
女は転げ落ちた際に頭をぶつけたのか、頭を抱えてうずくまっていたが、しばらくするとよろよろと立ち上がり、こちらへ向かって歩いて来た
が、地面一帯に敷かれている落ち葉に脚を滑らせ後ろへ、仰向けに転び、再び頭をぶつけたのか、今度は頭を抱えて地面を転がり回る
……何が良くてこんなものを見ているのか、今更ながら疑問に思う
確か、仕事の関係でこのデータを開いた筈だったのだが
一つ溜め息を吐き、至って平静を保ったままPCの電源を落とした
しかし、不思議な事に、画面は先程から変わらず、女が井戸の前でもがいている
どう言う事か、サーバーの電源は落ちているのだが、映像だけは流れている様だ
……女は再び立ち上がり、こちらへ歩き出す
今度はしっかりと地面を踏み締めて歩いており、転ぶ気配は無い
ある程度近付いた所で、その細い腕をこちらへ伸ばし、なんと、デスクトップを掴んだのだ
驚きと共に今度は自分が椅子から転げ落ちる
女はそのまま頭を画面をすり抜け、少し胸を引っ掛けながらも上半身を抜き出した
だが、ここで再び問題が発生した
どうも、彼女の腰がデスクトップに引っ掛かり抜け出せなくなってしまったのか、必死にもがいている
やがて、こちらに涙眼を向けて口を開いた
「……あのぅ、抜け出すの手伝って貰えませんか?」
俺は迷わず女を画面内に押し返した