___2ヶ月後。
いよいよ、ガルド街を離れる日。
カイルは迎えに来たクライスの馬車に乗り込んだ。
「クライスさん、お久しぶりです!審議所でのお力添え、何と感謝を述べたらいいか……皆さんのおかげで無事に勝訴できました」
「知らせを聞いて俺も安心したよ!よかったな、カイル君」
「はい!エルヴィンさんにも改めてお礼を言いたいのですが、本日はいらっしゃらないのですね」
「すまないが、今日は俺だけだ。次の壁外調査が来週に控えてるからね。エルヴィンさんは忙しくて手が離せないんだ」
それを聞いたカイルは物寂しそうに目を伏せる。
「…そうですか。では、またよろしくお伝えください」
「わかったよ。……それにしても、君は本当にすごい子だ」
「え?」
突然の褒め言葉にカイルがきょとんと顔を上げると、クライスはにっと歯を見せるように笑った。
「あんな理不尽に人生を狂わされたら、俺はきっとそう簡単には立ち直れない……心から尊敬するよ」
「…いえ。エルヴィンさんやクライスさんに比べれば、自分など足元にも及びません」
「ほら、そういうとこも。そんな謙遜の比喩、その年で自然と口にできるのは君くらいさ」
「ははっ、大袈裟ですよ」
カイルは満更でもなさそうに顔をふやけさせながら、窓の外を眺めた。
すると、何かを思い出したように口を開く。
「…あ、少し寄りたいところがあるのですが、お時間よろしいでしょうか?」
「もちろん!育った街を離れるんだ、いくらでも付き合うよ!……それで、どこに行きたいんだい?」
「それは…」
そうして、馬車が行き着いた先は__カイルの育ての母、メアリのいる病院だった。
**
病室を訪れると、メアリは相も変わらず窓の外に向かって何かをつぶやき続けていた。
痩せ細った背中は服の上からでも背骨が浮き出て見える。
病院からの知らせによると、本格的に精神病を患ってしまったメアリは一人で飯も食べられなくなるほどに衰弱したそうだ。
あれ以来、カイルがメアリを見舞いに来たことは一度もなかった。
そんなカイルが今日ここを訪れたのは__忌々しい
「母さん。俺、この街を離れることにしたよ。だから別れを言いに来た」
「…うるさい……どうでもいい…」
「牧場の焼け跡は綺麗にしておいたよ。賠償金もそれなりに貰えたからね……それから、あの丘にはネフェルと動物たちのお墓を建てたんだ。母さんも元気になったら墓参りに行ってあげてほしい」
「…うるさい……あっちへ行け…」
「わかった。もう
「……」
メアリがカイルの言葉を理解していたのかは定かではないが、ほんの少しだけ頷いたようにも見えた。
その様子に、カイルは安心したように立ち上がる。
「そろそろ行くよ」
「…とっとと……出て行け…」
「うん、そうする。それじゃあ……元気で」
そう言って花瓶に一輪の花を生けると、病室の出口に向かって歩き出した。
その時…
「行か…ないで…」
「え?」
引き止められた気がして、振り向く。
しかし、メアリは窓の外を見つめたままで、カイルのことなど見向きもしていなかった。
「…気のせいか」
こうして、再び馬車に乗り込んだカイルは、とうとうガルド街を後にしたのだった。
***
___翌日。
ウォール・マリア南区の訓練所までは、馬車で2日ほどの距離がある。
カイルたちは途中で一泊挟んだのち、ウォール・ローゼの城壁都市トロスト区まで移動した。
訓練兵団の入団式は2週間後に控えている。
それまでは、トロスト区の民宿で過ごすことになったのだ。
「ここが食堂で、君の部屋は2階の角部屋だそうだ。何かあれば民宿の管理人を頼ってくれ。ここの管理人は俺の知り合いで、話せる範囲で事情は伝えてあるから」
「わかりました。お気遣いありがとうございます」
クライスから説明を受け終えると、カイルは荷物を置いて間取りを確認するように辺りを見渡し始めた。
食堂の脇に階段がある__部屋へはあそこを通ればいいらしい。
そして、玄関までの通路を目で追った時、思いも寄らぬ人物と目が合ってしまう。
「久しぶりだな、カイル」
「
カイルがあんぐりしていると、横にいたクライスがアデルに向かって手を振り始めた。
「あぁ、来たんだね!こっちこっち!……この子も同じ訓練兵団に入団することになっているんだ。エルヴィンさんからは、君の友人だと聞いている…け…ど…」
クライスは話の途中でカイルの表情の変化に気づき、へなへなと腕を下ろす。
様子を伺っていると、カイルはそっぽを向いてしまい、それを見ていたアデルはさらに顔を険しくさせた。
二人の只ならぬ様子に居たたまれなくなったのか、クライスは気まずそうに話を続ける。
「えっと、
「はい」
「…はい」
アデルは凛とした表情に戻り、カイルは不服そうに返事をした。
「よし。すまないが、俺はこの辺で失礼するよ。これから来週の『壁外調査』に向けてみっちり訓練だ!また入団式当日の朝にここへ迎えに来るから、しっかり心の準備をしておいてくれよ」
「わかりました」
そう答えたカイルは僅かに笑顔を取り戻しつつあった。
クライスは安心したようにその場を離れる。
「それじゃあ、カイル君。またね!」
「はい。クライスさん、ご武運を…!」
そう言ってカイルは肩幅に足を開くと、左手を腰の後ろに回し、
カイルのとったこの姿勢こそが、兵団における『敬礼』なのだ。
それを見たクライスは嬉しそうに敬礼を返すと、大きく手を振りながら馬車へ乗り込んで行った。
**
カイルは敬礼の姿勢のまま、馬車が見えなくなるまでクライスを見送り続けた。
それを後ろで見ていたアデルは、冷やかすように問いを投げる。
「気が早いな。もう兵士になったつもりか?」
「……」
返事はない__アデルはしばらく待ってから、もう一度問いかける。
「なぁ、今から少し話せるか?」
「…君と話すことはない」
今度はすぐに返事があった__だが、期待したものではなかったために、アデルの肩が下がる。
「お前な……ついさっき、あの兵士が『話し合え』と言っていただろ?」
「五月蝿い」
「!?」
カイルが振り返り、二人は目が合った。
突き放すような冷ややかな瞳に、アデルは言葉を失う。
「…いいから、一人にしてくれ」
そう一言だけ言い残したカイルは、駆け足で自分の部屋へと姿を消してしまったのだった。
………
…
その後、入団式に向けて、カイルは着々と準備を進めていった。
体力づくりのため街中を走り込んだり、兵団に関する書物に目を通して事前知識をつけたりと、できる限りのことをした。
その間、アデルは何度か対話を試みたが、カイルは断固としてそれを受け入れなかった。
そして、とうとう二人は一度も言葉を交わすことなく、入団式の日を迎えたのだった。
***
___入団式当日。
民宿の前で迎えを待つカイルたちの目の前に、一台の馬車が止まった。
馬車から降りてきたのは、エルヴィンだった。
「エルヴィンさん!お久しぶりです」
「久しぶりだな、カイル。元気だったか?」
「はい、おかげさまで!」
「よかった。二人とも、荷物を荷台へ……すぐ出発だ」
「はい!」
元気よく返事をしたカイルは、率先して馬車に乗り込んだ。
その後に続いてアデルも乗り込むと、いよいよ三人を乗せた馬車はウォール・マリア南区の訓練所に向けて出発したのだ。
**
訓練所までの道中では、カイルがひっきりなしにエルヴィンへ話題を振っていた。
久しぶりに恩人に会えたことが相当嬉しいのか、カイルはいつになく上機嫌な様子。
アデルは二人の会話には入らず、馬車の小窓から外を眺めている。
トロスト区の街並みはガルド街より少し華やかさに劣るが、所狭しと立ち並ぶ建物がまるで生き物のように脈打っているのが面白くもあった。
そんな街並みにさえ目もくれずひたすらエルヴィンとの会話を楽しむカイルだったが、トロスト区の壁をくぐった辺りでふと
「そういえば、クライスさんはお元気ですか? 今日はてっきり、クライスさんがお迎えに来るものかと…」
すると、エルヴィンは途端に顔を曇らせた。
「クライスは……死んだ」
「え…」
突然の訃報に、カイルは言葉を失った。
さすがのアデルもこれには驚き、視線を窓の外からエルヴィンへ戻した。
「クライスは、数日前の遠征で殉職した。10mを超える奇行種に襲われて……彼は最期までとても勇敢だった」
「そ、そんな……クライス…さんが…?」
受け入れがたい事実に絶句するカイル__体を前にかがめ口元を手で押さえる姿は、何とも痛ましい。
それを目にしたエルヴィンは、眉を顰めながらクライスの“最期”を語る。
「カイル、クライスは君のことをかなり気に入っていたようだ。出陣前も君の話ばかりしていた。息を引き取る直前も、君ら二人を迎えに行けないことを嘆いていたよ」
「!?……クライス…さん…!」
「彼の死は分隊長である私に責任がある。君の知人を死なせてしまった……入団直前に出鼻を挫くような話で、本当にすまないと思っている」
「そんなっ……エルヴィンさんが謝ることではありません。クライスさんはきっと、エルヴィンさんの隊で最期を迎えたことを誇りに思っていると思います」
カイルはそう言い放つと、膝の上で拳を強く握りしめた。
クライスとの最後の会話を思い出し、彼の助言に従わなかったことを悔いていたのだ。
(クライスさん、すみません……俺は、なんてことをっ…!)
己の稚拙さを恥じるように歯を食いしばったカイルは、いつになく真剣な眼差しをアデルへ向けた。
「アデル、民宿では君を無視してすまなかった…」
「…いいんだ。それより、クライスさんの“最期の言葉”を覚えてるか?」
「あぁ……後でちゃんと、
「わかった…」
………
…
それからしばらく、馬車の中は沈黙が続いた。
重い空気が立ち込める中、最初に口を開いたのはエルヴィンだった。
「そろそろ到着だ」
そう言われ、息を合わせたように外を覗くカイルとアデル__見ると、馬車は山間の道に差し掛かっていた。
「二人ともよく聞け。ここでの訓練は辛く厳しい。生半可な気持ちでは到底乗り越えられないだろう。競い合うことも大事だが、何より重要なのは支え合うことだ。
鋭い瞳が放つ言葉の重みは、
そして、意を決した顔と声で力強く返事をしたのだった。
「「 はい! 」」
***
___数十分後。
カイルたちを乗せた馬車が訓練所の前に到着した。
建物の背後には小規模な山脈が
荷物を持ったまま馬車の前で待っていると、話をつけに行っていたエルヴィンが戻って来た。
「待たせたな。すまないが、私はここまでだ。
「わかりました。本日は送っていただき、ありがとうございました」
そう言って深々とお辞儀をしたカイルは、頭を下げたままもう一言付け加える。
「エルヴィンさん、俺……クライスさんの分まで精一杯頑張ります」
「あぁ、彼もきっとそれを望んでいるだろう」
エルヴィンは柔らかい声色でそう答えると、視線をアデルに移した。
「…アデル、君の
「はい、もちろんです」
「……?」
カイルは二人の会話が気になって顔を上げたが、すでにエルヴィンの視線は自分に戻っていた。
「それと、カイル。君には後日、
「世話役…?」
「あぁ、正体を隠すためには色々と誤魔化しが必要だからな。ここでの生活で困ったことがあれば、その兵士を頼るといい」
「なるほど。何から何まで、ありがとうございます」
「では、近々また会おう」
そう言ってエルヴィンは再び馬車に乗り込むと、元来た道をなぞるようにその場を後にしたのだった。
その後。
教官に連れられたカイルとアデルの二人は、訓練所の門をくぐった。
それぞれの“決意”を胸に__
こうして、カイルの『訓練兵生活』が今、始まりを告げたのだ。
―【 続く 】―
〜後書き〜
『ベタな死亡フラグネタ、一度やってみたかったんですよね』
…どうも、著者です(´-ω-`)
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
クライスの死は巨人に支配された世界がいかに残酷で冷徹なのかを、訓練兵団入団前のカイルに再認識させるためでした。
次回、訓練兵生活スタート!
■おまけ
◎メアリの病室でカイルが花瓶に生けた花:『カモミール』
理由は、メアリの誕生花(2/14)ってだけです。
カモミールには『逆境に耐える』という花言葉があるそうで、メアリの今の境遇にも当てはまらなくもないなと感じています(笑)
◎メアリとの決別シーンについて
「行か…ないで…」
カイルが病室を出て行こうとした時、メアリが放った言葉。
原作では、845年のシガンシナ区襲撃事件で、エレンの母カルラが瓦礫の下敷きになったときにも我が子たちに向けて同じセリフを吐いていました。
…と言いつつ、今回の話はオマージュではありません。
カルラの名シーンはこの先の話でオマージュしていますので、どこで出てくるか楽しみにしていてください。