___839年。
___エルヴィンとの遠出から数日後。
その日は雲一つない爽やかな快晴で、少し湿ったそよ風が草木を揺らしていた。
そんな穏やかな空気が流れる平地を、汗だくになりながら馬で駆け抜ける者が__
いつになく、
数時間前。
調査兵団の支部で報せを受け取ったハンジは、血相を変えてすぐさま馬に跨った。
そして、迷うことなく向かった先は__
**
ウォール・マリア南区訓練所。
その宿舎の一角にある小部屋に、騒々しい足音が近づいてくる。
ズンズンズンズン………バーン!
「カイル!無事かい!?」
暴力的に開かれた扉の音と共に部屋に飛び込んできたのは、険しい表情をしたハンジだった。
ベッドの上で体を起こし窓から外の景色を眺めていたカイルは、突然の来訪に肩をびくつかせる。
それから何事かと首を扉の方へぐるんと向ける__まるでフクロウのように。
そして、ハンジと目が合ったカイルが口を開こうとした時、
「ピィーーーー!」
別の“何か”が声をあげた。
「ぎゃあああああ!どうしよう!? カイルが言葉も話せなくなっちゃった!!そ、そんなに悪いのかい!?」
ハンジは何を勘違いしたのか、取り乱した様子でカイルの肩を掴む。
「まさか、頭を打ったんじゃ!!『ピィーー』って、それじゃまるで鳥みたいじゃないかぁぁ!確かにぃ? 君は時たま、翼でも生えたかのような軽やかさを披露するけどもぉ!? 本当に“鳥人間”になっちゃうとはぁぁ!……その喉、どうなってんの!? 人間の声帯から発せられる音じゃなかったよね!ねぇ!?……じ、実験していいかな? 人間としてそれはダメかなぁぁ!?」
「落ち着いてください、ハンジさん。俺は
「あ、あれ?……普通に喋った」
「当たり前です。さっき鳴いたのはその子です」
「…へ、どの子?」
きょとんとしながらカイルが指差す机の上に目をやるハンジ__するとそこには、布に包まれた状態の小さな雛鳥がいたのだ。
「おぉ!本当に鳥がいる!?……な、なんだ…私の思い込みか…」
そう言って胸を撫で下ろしたハンジはカイルを差し置いて机まで駆け寄ると、興味津々に雛鳥をジロジロと観察し始めた。
カイルは来るなりずっと騒々しいハンジに眉を下げながら息を漏らすも、どこか嬉しそうに雛鳥が部屋にいる理由を話したのだった。
………
…
「なるほど、そうか。君のその“怪我”は、訓練中にこの子の巣を避けようとして負ったんだね」
「はい。まさか着地点の
「それで立体機動訓練用の針葉樹林の中に放置したままでは危険だと思い、別の場所に移動させたはいいが、親鳥が姿を見せなかったと……動物の本能だね。一度人の手が触れたものには警戒して近づかなくなってしまうんだ」
「…迂闊でした。そのまま放置しておくわけにもいかず、ここへ連れてきた次第です。拾った時にはまだ体に卵の殻がついていたので、孵化して間もないと思われます」
「生まれたてほやほやかぁ~!……お~ぅ、よしよし!かわいいでちゅね~!」
ハンジはピーピーと元気よく唄う雛鳥に夢中になっている。
カイルはその姿にまたくすりと笑みをこぼしつつ、本題に入った。
「今日ハンジさんをお呼び立てしたのは他でもない、その子のことです。どうにも育て方がわからなくて……何か鳥の生態について知見などあれば、ご教示いただければと」
「うーん、そうだなぁ~…」
「…?」
探求心の塊のようなハンジなら当然鳥にも詳しく、二つ返事で承諾してくれると思っていたためか、予想外の反応にカイルは少し身構えた。
しかし、その心配は杞憂に終わる。
「お任せあれっ!私自身、
「あ、ありがとうございます!」
先ほどの間はなんだったのか__カイルは少し気になりながらも、時間を気にしてすぐさま次の話題に入る。
「それと、もう一つだけ聞きたいことが……まだ、お時間はありますか?」
「君のことが心配だったから、今日は一日休みをもらってるよ」
「わざわざすみません。あ、ちょっと待ってて下さい。今お茶を…」
「あぁあぁ!君は動いちゃダメだよ!」
「大した怪我ではないので歩けますが…」
「いいからいいから!怪我人を動かせるわけにはいかないだろぉ? お茶なら私が淹れてくるよ」
「わかりました。では、お言葉に甘えて」
「おうとも!」
そう言ってハンジは得意げにポンっと胸を叩いてみせると、鼻歌を歌いながら部屋を出て行ったのだった。
***
___15分後。
給湯室から戻ってきたハンジはお茶の他に、ふやかしたパン屑のようなものを手に持っていた。
どうやらついでに食堂にも寄ったらしい。
「はい、あーーん…」
ハンジはパン屑を少しずつ手に取ると、雛鳥の口元にそっと運んだ。
雛鳥は嬉しそうにハンジの指をつついている。
カイルはそのやり取りを微笑ましそうに眺めつつ、本題の質問を投げかけた。
するとハンジは腕を組みながら、唸るように質問の重点を復唱する。
「エルヴィンさんの“素性”について、か……実を言うと、私もよく知らないんだ。てっきり、君たちの方が長い付き合いなのかと思っていたよ」
「いえ、俺がエルヴィンさんと出会ったのは、訓練兵団に入る3ヶ月ほど前です」
「え、そうなの!? ちょうど私がエルヴィンさんの分隊に配属された頃だ。君が訓練兵団に入った経緯について、ある程度は聞いてるけど……君に入団を勧めた時、エルヴィンさん何かそれらしいこと言ってなかった?」
「『一兵士として当たり前のことをしてるだけ』だと。それにしても、これほどまでに支援していただける動機が気になります。それに、エルヴィンさんとは昔どこかでお会いしたことがある気がするのですが……それを尋ねたときには、否定されてしまいました」
「うーーん…」
顎に手を添え考え込むハンジ__出会った直後で手掛かりがないのであれば、知り得る情報から数珠つなぎで結び付けていくしかない。
「年齢なら知ってるよ? 確か私の6つ上のはずだから、今年25歳だ。あとは北のオイータ地方出身ってことを又聞きしたくらいかな。町の名前までは知らないけど……ほら、あの人って自分のことはほとんど話さないだろ? 秘密主義なのかな…」
「オイータ地方って確か、
「そうそう!工業が盛んなところだ!!……って、鉱山の名前なんてよく知ってるね!?」
「昔読んでいた歴史書に地図も載っていたので、壁の中の地理はおおまかに把握しています」
「…君、本当は私に負けないくらい、知欲の変態なんじゃないのぉ〜?」
「一緒にしないで下さい」
「うん、ゴメン。……それにしても、何故また急に気になったんだい? エルヴィンさんの君への肩入れは、今に始まったことじゃないだろ?」
「そ、それが…」
カイルは少し躊躇いながらも、数日前にアデルと喧嘩したことを打ち明けるのだった。
**
口論になった経緯を聞いたハンジは、先ほどまで固く組んでいた腕をほどく。
「ほぇ〜〜!あのアデル君がそこまで感情的になるとは!だけど、彼の云わんとすることにも一理あるね。人間関係の構築ってのには段階があるんだよ。しかし、君のエルヴィンさんへの羨望の眼差しは、それを何段階もすっ飛ばしている。『根拠のない自信』ほど他人を疑らせるものはないよ」
「えぇ、まぁ…」
カイルは初対面で距離感が異常だったハンジがそれを言うのかと少しシラけながらも、筋の通った道理には感心した。
しかし、次に放たれた言葉には、つい反応に困ってしまう。
「さらにはアデル君の
「アデルの……気持ち?」
「え!まさか君、気づいてないの!?」
「…何がですか?」
「カーーーッ、彼も苦労するわけだ!……話を元に戻すけど、君はエルヴィンさんが信用できる人だってことを『心で感じ取った』と言ったよね?」
「はい」
「実は、私もそうなんだ!正直なところ根拠なんてない。ただ、あの人の中に“何か”が見えた。きっと、エルヴィンさんはそういう星の元に生まれた人なんだろう。不思議と
ハンジはそこまで話すと、神妙な面持ちで眼鏡をくいと押し上げた。
「あの人の正義は常に日の目を浴びているわけではない。時には闇の中を先陣切って突き進むことだってある。仲間の命を切り捨ててまで、ね……だが!それこそ彼の才能と言える!非情な決断を渋る者には、仲間の命さえ背負うことはできない。しかし、あの人にはそれができる。人間性を失ってでも守るべき対象を決して見失わない。あの人には……それが、
やけに含みのある言い回しだ。
彼には類稀なる才能がある__故に、周囲からの過度な期待や理不尽な責任転嫁も、そこに伴ってくる。
それがどれほどの重圧か、よく理解していたのだろう。
「まったく、恐ろしいほどに残酷で勇敢なお人だよ…」
ハンジは溜め息交じりにそう言い放つと、カイルの顔をまじまじと見た。
エルヴィンの人となりを聞いた彼がどんな反応をするか気になったからだ。
しかし、カイルは失望するどころか、憧憬の眼差しに磨きがかかったように目を輝かせている。
「あ、あはは。こんな話を聞かせても君の眼差しは揺るがないね。まぁ、これに関しては言って聞かせるより実際に目で見た方が早い!『百聞は一見に如かず』ってね!いつか、アデル君も分かってくれる時がくるさ」
「はい……そうだといいですが」
素直に返事はしてくれるが、あまり期待はしていないのだろう__伏せ目がちなカイルの表情を見ずとも、その考えは声色だけで伝わった。
ハンジはゆっくり肩を下ろしながら、代わりとなる話題を探す。
「あ、そういえば聞いたよ!
「ちょ、ちょっと!声が大きいです!」
「そうだった!ごめんごめん!」
これ見よがしに顔の前で大きく手を合わせてみせるハンジ__少しは反省したのか、今度は前かがみになってカイルの耳元に近寄った上でさらに声を絞った。
「聞いたのはそれだけじゃない……君の『眼の能力』についても、だ!なんっって素晴らしい
「ははっ、大袈裟ですね。でも、この
「あぁ~~、そんなようなことも聞いたことあるな。いつからかは知らないけど、
「それから、『馬の世話役』も探していたとか。何でも、調査兵団は人手不足だからと…」
「馬の世話役? その話は知らないな。調査兵団の本部には馬医師も在籍しているし、民間の調教師にも管理を依頼しているんだ」
「?……そう、なんですね」
カイルは首を傾げた。
病室で初めてエルヴィンと会話したとき、確かに彼はそう話していたのだ。
とは言え、体調も優れない中だったため記憶違いの可能性もある。
そうやってカイルが過去の記憶に意識を向けていると、ハンジは「お手上げ」と言わんばかりに両手を顔の高さに上げた。
「はぁ…結局、エルヴィンさんについて多くはわからなかったね。だけど、それもあの人の“魅力”だ!ほら……『能ある鷹は爪を隠す』と言うだろ?」
「…鷹、か。勇敢で力強いエルヴィンさんのイメージに合致しますね」
「言えてる!あ、鳥と言えば…」
そう言いながら雛鳥に目向けるハンジ__雛鳥はお腹を満たせたのか、静かにうずくまっている。
「この子、名前はあるのかい?」
「はい。『フィン』と名付けました」
「フィンか!良かったでちゅね〜フィン、
それからしばらくの間、2人は雑談を楽しんだ。
そして、ハンジは去り際に「また様子を見に来る」とだけ言い残し、訓練所を後にしたのだった。
***
___数週間後。
雛鳥だったフィンは手のひらほどの大きさまで成長し、部屋の窓から外の世界へ飛び立った。
一度は野生に戻ったフィンだったが、時折カイルの元へ帰ってきては、腕の上で羽の手入れをしたり、肩の上でカイルの頬をつついたりもした。
そんな微笑ましい光景を目にした一部の訓練兵たちの間では、陰でカイルのことを『鳥遣いの精霊』と呼ぶようになっていたのだとか。
それからというもの。
カイルは再び訓練に励んだ__エルヴィンの命令通り、『眼の能力』を最大限に活用し、巨人を討伐するための技術を着々と磨き上げていったのだ。
そうして、2年の月日が過ぎ、
いよいよ、訓練兵団卒業の日を迎えるのであった。
―【 続く 】―
〜後書き〜
『年齢発表〜〜!!』
…どうも、著者です(´-ω-`)
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
今回の話では年齢に触れるシーンがあったので、本作における年齢設定を発表いたします。
【850年時点の年齢】
・エルヴィン 36歳
・リヴァイ 32歳
・ハンジ 30歳
・カイル 26歳
【補足説明】
まず、カイルの26歳を基準に考えて、エルヴィンを10歳上の36歳としました。
さらに、エルヴィンの年齢から4歳引いた年齢をリヴァイに設定しました。(ここは感覚ですが、4年後の天と地の戦いでリヴァイがエルヴィンと同じ歳になっていたら何となくアツいなぁ…と思っただけです)
ハンジはなんとなく30歳です!特に意味はありません(笑)
■おまけ
◎エルヴィンの出身地『オイータ地方』について
詳細をnoteにまとめていますので、よければそちらも是非ご覧ください。
https://note.com/singeki_satory/n/n6ac115f96919
・記事:オイータ地方ヒタッシ山脈
◎ハンジの意味深な反応について
本編を読んでいて少し不自然な点がいくつかあったかもしれません。
実は今回の話は、本作の関連作品であるハンジのスピンオフ【知に飢えた悪魔】の『#07 落とし穴』とリンクしているのです。
↓↓【知に飢えた悪魔】作品リンク
https://syosetu.org/novel/381453/