楽しい時間はあっという間に過ぎて、その日の夜になりました。
馬車を止め、皆で夕食を摂る準備をしているところですね。
シチューの良い匂いが漂って来ます。
ああ、お腹が空いて来た……
けど、もう少しの間だけ我慢しなくちゃいけません。
私とお姉ちゃんは打ち合わせ通り、馬車の中に待機していました。
窓からコッソリと外の様子を窺いながら待っています。
アザミさんも一緒ですね。
「……で、後どれくらいで来るんだ?」
「二百十六秒後だな」
「そこまで細かく聞いてないが?」
アザミさんはイラついている様子で溜め息を吐きながら座り込みました。
ううん、最初に会った時の印象とはまるで違います。
物静かな人だと思ってたけど、本当はこんな人なんだね。
エルフの印象が、ちょっと……
いや、くすぐられたりしていた時点で割と……
「おい、今失礼な事考えなかったか?」
「そ、そんな事ないですよ……」
いけないいけない、勘が鋭い。
ここは無心になって作戦通りに事が進むのを待ちましょう。
…………
………………
……………………
……虫の鳴き声が聞こえる。
それ以外に聞こえるのは火が薪を焼くパチパチ音だけで、とても静かな夜です。
これから何か起こるとは思えない程に。
不気味な静けさ……いや、怖がっちゃ駄目。
私はお姉ちゃんの手を握りました。
暖かくて、世界一安心する手です。
私の中で、勇気が湧いて来ました。
お姉ちゃんの打ち合わせだと、たしか最初に……
「っ、誰だ!?」
外から風切音が聞こえました。
お姉ちゃんによると、外に居る四人の頭を狙って矢が撃たれるそうです。
……矢が自分目掛けて飛んで来るって、知ってても絶対怖いよね。
私なら腰を抜かす自信があります。
「始まったみたいだな」
「ああ。出るぞ」
「う、うん……」
き、緊張するなぁ……
相手は害意を持った盗賊団なんだよ?
なのにお姉ちゃんは普段と全く変わりない様子だし、アザミさんも平然としています。
私の場違い感が凄いです……なんでそんなに冷静でいられるの?
「へへ、そこの美女は上玉だな?」
「ヒャッハッハ! 女は殺せ! 男は犯せ!」
「ああ、そうす……ん?」
と、こんな感じで男の人の叫び声が聞こえて来ました。
何か違和感がある気がしますが、気にしたら負けだと私の中の本能が言っています。
ここまで来ると、大人数の気配も何となく感じられるようになりました。
暗くてよく分かりませんが、四十〜五十人くらいいると思います。
殺気だった沢山の人間が、私達を囲んでいます。
こ、怖いよぉ……
「おん? 馬車の中にまだ居たのか」
「へへ、女が三人もいるたぁツイてるぜ!」
「しかも全員ガキだぜ。げっへっへ……」
ひぃ、なんか怖気が走る視線で見られている感覚がっ!?
早くこの状況を何とかしてお姉ちゃん!
「む……あいつ見ろよ」
「何だよ? あっ」
「エルフ……なのか?」
アザミさんを見て、盗賊達が少し浮き足立ちました。
本来なら寧ろ喜ぶ反応をするのが正しいかもしれません。
昔は、エルフの肉を食べると不老を手に入れられるなんて与太話もありましたから。
でも、盗賊達はやや困ったかのような反応をしています。
その理由は……何となく分からなくもないですね。
「ううん、本当に来たな……」
「【異能】とやらは、本当らしいな」
「後は、作戦通りにすればいいわね」
「しかし……どいつもこいつも骨の無い相手だな」
外にいた四人の中で、スマイリーさんだけはかなり余裕そうに見えました。
つまらなさそうに盗賊達を眺めています。
そう言えば、作戦会議の時も飄々としてたね、この人。
過去にどんな事をしてたのかは詳しくは聞いてないけど……
ガーベラさん達の反応を見てたら、とんでもない人なんだって事は何となく分かります。
……よく見たら腕とか脚に古傷が沢山あったし。
そろそろ、盗賊のリーダーが来るとお姉ちゃんが言っていた時間の筈。
でも、それっぽい人影は見当たらない。
一体何処に……
「……まさか、同族に出会うとはな」
その声は、私達の頭上から届きました。
思わず上を見上げると、一人の男性が月を背後に宙を浮遊していました。
月明かりに照らされた顔は……酷く歪んでいました。
顔自体は整っているけど、その表情で台無しになっています。
何かが憎くて仕方がないような、嘆いているような、そんな顔。
気が狂ってしまいそうな憎悪に身を焦がしながら耐えている顔。
少しだけ、皇帝陛下に似ているかもしれません。
何より特徴的なのは、その耳。
長く尖ったその耳は、紛う事なくエルフのそれでした。
お姉ちゃんから聞かされて知ってはいました。
だけど……この目で見るまでは信じ難かったです。
エルフが盗賊をやっているなんて……
「……まさか、本当にエルフだとはな」
そう言いつつ、怒りと言う名の炎をその瞳の奥にメラメラと燃やしたアザミさんが歩み出ました。
自らも視線を盗賊団のリーダーに向けます。
エルフは誇り高き種族だと、アザミさんが言っていました。
同族がこんな事をしているのが、絶対に許せないのです。
「……んで、何故エルフが此処にいやがる?」
「それはこっちのセリフだな。貴様のような下賤なエルフなぞ、恥晒しにも程がある」
一転して嫌そうな表情になったリーダーのエルフ。
それに反して、アザミさんは怒りのボルテージが更に上がって行ってる気がします。
「……一発、ぶん殴ってやる!」
「はん、やれる物ならやってみるんだな! この木っ端エルフが!」
え、ちょっと!?
急にアザミさんがリーダーエルフに向かって突っ込んで行きます。
さも当然のように飛んでいるのはもういいとして、作戦にはそんな行動無かったよね!?
大丈夫なの!?
不安になってお姉ちゃんの方を見ても、お姉ちゃんは平然としています。
完全に無表情です。
……ああもう、滅茶苦茶だよっ!
「はぁぁぁぁぁ!」
「ふん!」
アザミさんはリーダーエルフの脳天目掛けて思い切り杖が振りかぶります。
杖にはバチバチと音を立てて小さな稲妻を纏っていました。
それを、彼は片手から何か障壁のような物を出現させて防ぎます。
瞬間、辺りに雷が落ちたかのような轟音が響き渡ります。
何事!?
「ほう……少しはやるじゃないか」
「貴様もな! 野郎共、こいつは俺が相手する。お前らは手を出すなよ!」
二人のエルフは何やら熱く語り合っているようにも見えます。
何ですかこの状況は。
私はもっと殺伐した光景を想像していたのに……
いや、スマイリーさんはある意味殺伐としてたけど!
……あれ、スマイリーさんがいない。
何処に行ったのかなって、あれ!?
「「何だ貴様は!?」」
「何……私も混ぜて貰おうかと思ってな」
笑顔を浮かべたまま、二人の近くまで跳躍したスマイリーさんがいました。
何故か二人の声がハモってますけど、アザミさんは仲間の顔でしょうに……
「だが、生憎私は飛べなくてな……だから、落ちろ」
「ぐわっ!?」
スマイリーさんはリーダーエルフの脚を掴み、強引に地面に向けて投げ落としました。
何ですかその動き……絶対人間業じゃないです。
リーダーエルフは受け身を取りましたが、辛そうにしています。
「さて、諸君らは私の顔に見覚えは無いかね?」
とても良い笑顔を浮かべながら、スマイリーさんが盗賊達を見渡します。
私は背中しか見えなかったスマイリーさんの顔を目撃してしまいました。
……怖っ!?
笑顔が凶悪で盗賊達なんかもは比較にならない程怖いよ!
敵よりも味方が怖いって、どう言う事なのっ!?
「あ、あいつ……スマイリーか!?」
「先の帝国の内乱で現皇帝に歯向かう者を一人残らず皆殺しにしたって噂の……」
「ハァ!? な、なんでそんな大物がこんな所に居るんだよ!」
……なんか、凄く物騒な事を言ってますけど!?
え、この人そんなヤバイ人だったんですか!?
怖い人だなぁとは思ってましたけど……うぅ。
「……そこまでだ」
今までずっと黙っていたお姉ちゃんが、ついに口を挟みました。
遅いと思うんですけど……
うー、やっぱりお姉ちゃんの考えてる事はサッパリ分かりません。
「……クロバ叔父上。私の話を聞いてくれませんか?」
「はぁ? てめぇ、何で俺の名前を知って……」
ここで初めてクロバさんがお姉ちゃんの顔を見ました。
……目が見る見るうちに開かれて行きます。
信じられない物を見たような感じに見えます。
「……馬鹿な。絶対死んだと思っていたのに」
そう呟くと同時に、その眼から大粒の涙が零れ落ちます。
ずっとずっと、耐えて来た堤防が崩壊するように。
口元はワナワナと震えて、
「お前は、妹の……セチアの忘形見」
「カタストロフィ・バレル・シェール。貴方の姪です」
「そうか……! 後、思い残す事は一つだけとなった……!」
歓喜の声を上げるクロバさん。
正直、私も状況に付いて行けていません。
私はクロバさんの事についてあまり教えられてないですし……
お姉ちゃんとクロバさん以外のこの場にいる全員が、置いてけぼりです。
……置いてけぼり仲間がいてちょっと嬉しいと思ってしまった私がいるなぁ。
そんな事を考えていた、その時でした。
「ヒャッハー! もう我慢出来ねぇ皆殺しだァァァァァァァァァ!!」
突然、空気を読まなかった盗賊の一人が私に目掛けて鉈を振り上げながら走って来ます。
こんな状況は、聞かされていませんでした。
「ヒィ!?」
私は恐怖のあまりに、思わずその場にへたり込んでしまいました。
だ、誰か助けて!
こう言う時、助けてくれるのはいつもお姉ちゃんです。
そう思っていました。
そして、それは当たっていました。
スマイリーさんだけは、辛うじて反応していましたが……
それよりも早く、まるで分かっていたかのようにお姉ちゃんが私の前に立ちました。
「二人とも、生首晒してやるぜぇぇぇ!!」
「っ、やめろよせ!」
クロバさんの怒声。
ピジョンさんやライノさん、ガーベラさんの慌てた声。
アザミさんの焦りが如実に現れた声。
それらが、妙にスローに私の耳に届く感覚がしました。
ほんの数秒間の出来事。
お姉ちゃんが、懐からナイフを取り出しました。
いつの間に持っていたのかとか、なんでそんな物を、とか。
そんな事を考える暇もなく。
そのナイフはまるで吸い込まれるかのように襲い来る盗賊の首に向かい……
その盗賊の首を、跳ね飛ばしました。
首から上を無くした盗賊が、その断面から間欠泉のように血を吐き出しながら、パタリと音を立てて倒れます。
その直後に、粘着質で重い物が落下する音が私の耳に届きました。
次に感じたのは、吐きたくなるような血の臭い。
前に一度、家畜の解体する所を見た事がありました。
だけど、それとは比較にならない程気持ち悪くさせる臭い。
吐き気を催す臭いでした。
恐怖でつい先程までは感じなかったけど、気付けば私の顔や身体に飛沫が着いていました。
生々しくて、赤い水滴。
間違いようがありません。
血だ。
「……」
ゆっくりと、私なんかよりも大量の返り血を被ったお姉ちゃんがゆっくりと振り返ります。
顎や指先から血を滴らせながら、お姉ちゃんは普段通りの無表情を浮かべています。
何の感傷も無い……まるで人形のような顔。
そして、お姉ちゃんは私に向けて手を差し出しました。
ナイフを持ったその手で。
暖かくて大好きだったその手で。
握ってくれるだけで勇気が湧いてきたその手で。
そして何よりも……今し方人間をアッサリと殺した、殺人鬼の手で。
「大丈夫、アルタ?」