僕はひとつ屋根の下に、二度目の生を受けた。
母親は僕が生まれてすぐに亡くなって、父親との二人暮らし。辺鄙な場所にある村で、近所付き合いの他にこれと言った交流もない。偶の行商人と連れの魔法使いだけが唯一の娯楽だった。
父親は昔から魔法が嫌いだった。
正確には僕が生まれて、魔法の素養があるとわかったとき。元々魔法を理解出来ないものとして遠ざけていた父は、その時をきっかけにして決定的に変わってしまったのだという。普通人の母を殺して生まれ出た、魔法使いの子ども。その存在がどんなに疎ましかったのか僕にはわからないけれど、少なくとも表面上は『父親』をやっていた。
転機は僕が12歳になった時。
起き抜けに感じた違和感に何の気なしに体をまさぐって、それが女性のものに変わっていることに気がついた。あの時は気が動転して、まるで自分が自分でないようで――失敗をした。起き抜けの父親に体を見せて、思い切り殴りつけられて、もう限界なんだと悟った。
あの時違う道を辿っていれば。せめて、もう少し落ち着いていれば。
そんなことを悔いたからといって、時間は戻らないし、あの人との関係も壊れたままだ。あの後、僕はあの人に殺されかけて、牛乳を届けに来た近所のお兄さんに助けられた。あの人は村の端に隔離されて、僕はお兄さんの家に住まわせてもらえることになった。
あの人たちには本当にお世話になった。
性別が変わってしまうのだと言った時も、僕が魔法使いの学校に行きたいと言った時も、あの人たちは受け入れてくれた。最初の頃は頻繁に体調を崩していて、迷惑を掛けっぱなしだったというのに、まるで本当の家族のように世話をしてくれた。いや、ように、ではない。家族になるかと打診されたこともあった。けれど、名前を変えることにどうしても抵抗があって、それは断った。
三年足らずの間だったけれど、本当に幸せだった。
部屋の荷物を纏めて、小遣いをやり繰りして買った魔導書もどきを詰め込んで、ようやく旅支度が終わった。がらんどうになった部屋がこんなに寂しく感じるなんて思わなかった。すっかりこの家に馴染んだことを実感して、少しだけ安堵する。
そんな時、コツコツとノックが響いた。
「はい」
「入るぞ、ピート」
そう言って、入って来たのはこの家の一人息子。
馬乗りになって僕の首を絞めたあの人に牛乳の瓶をぶつけて、僕の手を引いてくれた人。つまるところ命の恩人なのだが、彼がそれを鼻にかけて何かを要求するようなことは一度も無かった。『弟と妹が一緒に出来たみたいだ』なんて言って、僕の体質も受け入れてくれた。
「こんな時間まで準備してたのか」
「兄さんこそ、どうして」
「ほれ」
ひょいと投げられたのは、木の飾りに紐を通した簡素な首飾りだった。
兄さんが夜な夜な何かをしているのは知っていた。朝方眠そうに起きてきては畑仕事に出て行くのを見ていたからだ。ただ、いつもは厳しいおじさんが何も言わなくて不思議に思っていた。けれど、まさかこれを作って――
「明日朝早いんだろ? 今のうちに渡しとくか、ら……」
手の中に、小さな熱が落ちる。
ポロポロと零れていくそれを止めることは出来なかった。ぎょっとする兄さんを尻目に震える手で首飾りを身に着ける。違和感だらけだった女の体にも、首飾りは良く馴染んだ。きっと男の体でも似合うように作ってくれたんだろう。
「ありがとう」
「お、おぉ……なんだ、向こうでもしっかりやれよ」
「うん。行ってきます」
◆◆◆
キンバリーに辿り着いて、ひと悶着あって。やっとの思いで寮部屋に辿り着いた時には、もうすっかり日が暮れていた。同室になったのは黒髪の、物静かな印象を受ける男。でもそれがあくまで見た目だけだというのは、数時間前に嫌と言うほど思い知った。
「ピート、君はどちらのベッドを使いたい?」
「別に、どっちでも」
「そうか。それじゃあ俺が右でもいいか?」
「あぁ」
左側のベッドの脇にトランクを置いて息をつく。あんなに運動するのもお腹いっぱい食べるのも久しぶりで、そのせいかほんの少し体が熱を持っている気がした。横を見ると、オリバーが自分の荷物を出し終えて寝間着に着替えていた。僕も着替えようとして、問題を思い出した。
「オリバー」
「ん、どうしたんだ?」
オリバーに向き直って、シャツのボタンを開ける。その瞬間オリバーが目を見開いた。真正面のオリバーの目には男にはあり得ない膨らみと、おばさんが用立ててくれた下着が映っていることだろう。下も見せようかと思ったが、ズボンを脱ぐのが面倒でやめた。なんだか体がだるい。
「見ての通り、僕はいま女だ。もう何週間かしたら男に変わると思うけど、僕と同部屋の間に迷惑をかけるかもしれない。その時は……悪い。自分じゃどうにもできないから」
オリバーはぽかんと口を開けていた。
魔法使いならこのおかしな体質のことも理解してくれる。何なら治療法もあるんじゃないか、なんて期待をしていたけれど、どうやらそうでもないらしい。やっぱり僕は田舎に引きこもっているのがお似合いか。キンバリーに入学するなんて、高望みも良い所だったのだろうか。
「君は……いや、待て。体調はどうだ?」
「何言って、ぇ」
不審気なオリバーに対して、薄い警戒心から誤魔化そうとしたその時、くらりと体が傾いだ。間違っておじさんのお酒を飲んでしまったときの、悪酔いに似た感覚が全身を包んで吐き気がこみあげる。いっそ全部吐き出してしまえたらいいのに。
ベッドに倒れ込んだ僕の体の上にオリバーが見えた。その姿がなぜかあの人と重なって、伸ばされた手を振り払ってしまう。
「はっ、はっ……わる、い」
「いや……そうだな。触れるぞ」
オリバーの手がむき出しになった腹の上に置かれる。その時には恐怖心よりも気分の悪さが勝っていて、少し体温の低い手が、熱に浮かされた体に心地よかった。そのまま何かが流れ込んでくるような感覚がして、少しずつ体の熱が引いていくのを感じた。
「ぁ……」
「魔力の流れを整えているんだ。キンバリーの魔力が悪い方向にはたらいたな」
オリバーの言っていることが良く分からない。ぼうっとしていると、気分の悪さは徐々になくなって眠気だけが残った。オリバーにもそれがわかったのかそっと手を放して自分のベッドに戻ろうとする。オリバーの服の端につまむようにして触れると、オリバーは敏感に反応した。振り返ったオリバーに霞む頭から言葉を絞り出す。
「ありが、とう」
それだけ言うと、眠気が限界になって目を閉じてしまった。もっとも少し前から半分寝たような状態だったから、オリバーがなんて言ったかは分からなかったけれど――
翌朝目覚めると、はだけた制服の上からタオルがかけられていた。体を起こしてみても昨日のだるさは微塵もない。オリバーにお礼を言わないと。そう思って音がする洗面所の方に歩いて行くと、中から扉が開いた。出てきたオリバーは僕を見てほっとしたように目尻を緩めて、そして視線を下にやって厳しい面持ちになった。
そういえば、前を閉めていなかったっけ……
「おはよう、ピート」
「あ、あぁ。おはよう、オリバー」
「昨日から言おうと思っていたんだが、」
オリバーの手が襟元に運ばれる。周りが明るいからか、それとも昨日一晩で心を許してしまったのか、オリバーがあの人に見えることはなかった。
「君はもう少し自分を大事にしてくれ。俺はいいが、他の男子生徒の前で肌を晒すと碌なことにならない」
「あぁ、悪い……ん?」
今、変なことを言わなかっただろうか。ボタンを閉める手を目で追っていて、話半分でしか聞いていなかった。まぁ、いい。オリバーなら変なことはしないだろう。
そう思って身を任せたままにしていると、オリバーがため息をついた。ついぞ何も言ってくれなかったから理由は分からないけれど、そうネガティブなことでもないだろう。何より体がすっきりしている。今なら何でもできそうだ。
「変化」 「追憶」 「同感」 「信じる恋」