最果てのサーガ ~夢のポケモン世界に転移したんだが、転移先があまりにも過酷すぎる件~ 作:野傘
「はあ……」
パチパチ、と燃える焚火の前でカナタは重いため息を吐いた。
(師匠、戻ってこねえな……)
ルピナスがキャンプ地から走り去ってすでに数時間、未だ彼女は帰ってきていない。
(いい加減に遅すぎる……まさか、何かあったんじゃ……)
ルピナスは曲がりなりにもキャプテン代理の立場にあった人間。ユールの自然に通暁した熟練のトレーナーだ。
そんな彼女にもしものことがあったなど考えたくはない。だがしかし、キャンプ地から飛び出した際に彼女は自身の手持ちを全て置いて行ってしまっている。
自衛手段を持たない人間が、ユール地方の自然に入ればどうなるか。その結末をカナタは身に染みて知っている。
何せ自分自身が寸でのところで
ユールにおいて、人間は最弱の生き物。その事実を思えば……いかなルピナスとて、万が一が起きたとて不思議ではない。
(やっぱり探しに行った方が……)
経験に裏打ちされた考えたくない未来。
胸中に湧き上がった不安に、カナタが“探しにいくべきか”と腰を上げかけた──その時である。
『返せよ……返してよ!! わたしのたった一つの居場所、返してよ!!』
「……ッ」
脳裏に過る、ルピナスの血を吐くような叫び。
胸にズキリとした痛みが走り、カナタの浮きかけた腰が再び落ちた。
(クソっ……! どの面さげて会えばいいんだよ……)
あの時のルピナスは完全に我を忘れていた。
剥き出しの感情のまま放たれたあれは、間違いなく彼女の本音。
理解はしていた。
だがまさか、一線を越え掛けかけるほど追い詰めてしまっていたとは思わなかった。
今回は相棒とルピナスの手持ちたちのお陰で、取り返しのつかない事態には至らなかった。
しかし、何か一つでも狂っていれば彼女は本当に後戻りできなくなっていただろう。
ルピナスがああなってしまった原因は紛れもなく
ならば、そんな自分が再び彼女と顔を合わせてしまってもよいのか。
彼女のためを思うなら、もう二度と顔を合わせない方がよいのではないか。
そんな考えが罪悪感と共に胸中に渦を巻き、まるで鎖のようにカナタの体を縛り付けていた。
(……俺は、本当にキャプテンでいていいのか?)
胸中に渦を巻く重苦しい感情がカナタにさらなる疑念を呼び起こす。
自分のような異分子が、“キャプテン”という重要な地位に居座ってよいのだろうか、と。
カナタが“キャプテン”となったのは、寄る辺のないユール地方で生き延びるのに社会的な地位が必要だったことと……何よりも
カナタ自身には“キャプテン”という地位に対して何の思い入れも執着もない。ただただ成り行きに身を任せた結果、いつまにかその席に座っていた。それだけのものだ。
勿論、
何者でもなかった自分とパートナーとして認めてくれた、唯一無二の相棒。この過酷な世界でカナタを今の今まで生かし続けてくれた、最大の恩人。
その恩に報いたい。自らが、相棒に相応しい存在であると胸を張って誇りたい。その思いがあったからこそ、キャプテンとなることを受け入れたのだ。
そう。カナタにとって“キャプテン”とは畢竟、その程度のもの。
カナタの望みは相棒と共に在ることだ。キャプテンの地位は所詮、それに付随する“おまけ”に過ぎない。
相棒と一緒に居られるならば、別にキャプテンにならなくともよかったのだ。
カナタの“キャプテン”に対する思いは、どうしようもなく
そんな
そんな疑念が、まるで鉛のようにカナタの内を重く満たしていた。
(……相棒)
答えの見えない疑念から気を逸らすように、意識を
「なあ、相棒……お前はどうして」
そして、手の中に収まる赤い球体を見つめ──問うた。
「
何の取柄もない自分をどうして“相棒”として選んだのか。
どう考えてもキャプテンとして相応しくない
果たして、思わず零れたカナタの問いに
ただ、静かに彼の掌へ収まり続けるばかりであった。
何も答えない相棒。
自らの内にグルグルと渦巻く疑念。
出口も見えぬまま、カナタが更なる思考へ没頭しようとした……その時である。
「──こんにちは♪」
「わっひょい!?」
突如として横合いより掛けられる声。
基本無人のユール内陸での予想外の
慌てて声のする方を見遣れば、果たしてそこにいたのは悪戯に成功したと言わんばかりの笑みを浮かべる少女の姿であった。
「──アハ♪」
カナタの傍ら、椅子代わりの石にちょこんと腰かける小柄な少女。
日光を浴びたことのないような白い肌に、雪のように白い髪。身に纏う衣服さえ白い中、唯一その瞳だけが血のように赤い。
その可憐で儚げな容姿も相まって、さながら妖精のような、どこか人ならざる雰囲気を纏った少女であった。
常人離れした少女の姿を目の当たりに、すわ
しかし、眼前で少女から再び“こんにちは”と声をかけられ、恐る恐ると挨拶を返す。
「こ、こんにちは……? あの、えーと……どちらさまっスか?」
「ボク? ボクはシレネだよ。キミは?」
「え。あ、はい。俺はカナタっス」
「カナタ、カナタ。うん、覚えたよ。よろしくね、カナタ!」
「あー……よろしく?」
ニコニコと上機嫌な顔でカナタの手を取り、上下に振る少女──名をシレネ。
掌に感じるすべすべとした感触とほのかな体温から、“どうやら
次いでカナタの頭に過ったのは”なんでこんな辺鄙な場所に女の子が一人でいるのか”、という疑問。
だが今いる場所がガイドトレーナーの使うキャンプ地であることを思い出し、恐らく彼女もガイドなのだろうと納得する。
事実、彼女の着る防寒着にはモンスターボールが格納されているのが見えた。少なくともシレネがポケモントレーナーであることは間違いなさそうだ。
「……えっと、それでシレネさんは何の用事でこんなところに?」
「シレネでいいよ。──うーんとね、ボクはいまちょっと探し物をしてて。ここは偶々通りかかっただけなんだけど……カナタが何だか深刻そうな顔してたから気になって声をかけたんだ」
“いったい何の用事でここに来たのか”。そう問うカナタに対しシレネは“カナタが深刻そうな顔をしていたので気になって声を掛けたのだ”と返す。
「そう……っスか」
「うん。ねえねえカナタ? 何か悩んでることがあるの? だったらボクに話してみてよ。もしかしたら力になれるかもしれないよ?」
「え。いや……でも初対面の人に話すようなことじゃあ……」
「いいから、ね?」
“悩み事があるなら話して欲しい”、”力になれるかもしれない”とそうカナタに告げるシレネ。
とはいえ、カナタの悩みはかなり深刻な類のものである。流石に初対面の人間に相談するようなことではない相談してみてもいいかもしれない。
(──?)
その時、カナタは自らの思考に微かな違和感を覚える。
まるで脳内に僅かにノイズが走ったかのような、ほんの少しの違和感。
だがカナタがそれを捉えるよりも速く、抱いた違和感は消滅してしまう。
(……気のせいか)
一瞬で消えてしまった謎の感覚に頭を捻りつつ、気のせいかと流すカナタ。
今はそんなことよりも、
思えば、そもあまり頭のよくない
ならばいっそ、誰かに打ち明けてしまった方が却ってよい考えが聞ける可能性もあるだろう。
それにこの地におけるカナタの知り合いと言えば、そもそもルピナスとも面識がある者ばかりだ。
そんな彼らにこの悩みを打ち明けるのは、些か以上に気が引ける。一方でルピナスと関わりのない
「実は……」
かくてかような思考の末、カナタはこれまでの出来事をポツリとポツリと語り出す。
自分が遠いところからやってきたこと。
何の因果かキャプテンに選ばれてしまったこと。
その所為で
「……相棒とは、一緒にいたい。これは紛れもない俺の本心っス。でも、その所為であの人が苦しむ羽目になったのなら……俺みたいなヤツがこれからもキャプテンで居続けるべきなのかって」
“そう、思うんスよ“。そう言ってカナタは重いため息を吐いた。
「ふーん……」
一方、そんなカナタの告白に時おり相槌を打ちながら耳を傾けていたシレネ。
果たして一通りの話を聞き終えた後、彼女はこう言った。
「ねえ、それってカナタが悩むようなことなの?」
「……え?」
予想外の彼女の言葉にカナタは反射的にシレネの顔を見る。
その人形のように整った顔には、心底不思議そうな表情が浮かんでいた。
「だってカナタは何も悪くないよね? カナタのことを選んだのは相棒やキングの方で、カナタは相棒と一緒にいるためにその役割をこなしてただけでしょう? じゃあ何も悩む必要なんてないじゃない」
「いや、でも、その所為で
「それはそのルピナス?ってヤツが一方的に嫉妬して、勝手に傷ついているだけでしょう? カナタには何も落ち度はないのに。むしろ話を聞いてる限り、被害者なのはカナタの方だよ」
“カナタは何も悪くない。悪いのはルピナスであり、むしろカナタは被害者である”、とそう断言するシレネ。
その予想外の言葉に、カナタは思わずとして面食らってしまう。
「というか、ホントにひどいヤツだね。そのルピナスって女」
一方のシレネはカナタの沈黙を肯定と受け取ったか、その言動をますますとして強めていく。
「カナタは望んでもないのに選ばれて、それでも役目を果たそうと必死に頑張ってきたんだよ? なのにカナタにずっと冷たく当たって、挙げ句の果てには首まで絞めようとしたんでしょ? カナタはちょっと前までポケモン勝負も禄にしたことのなかった素人だったって言うのにさ……酷すぎるよ」
”カナタ、かわいそう”。心底同情したような声音で、シレネはそう呟く。
「──ボクだったら、絶対そんなことしないのになぁ」
「ぅぇ?」
気がつけば息がかかるほど近くに、シレネの顔があった。
「あっあっあっ……ちょ、顔……顔ちか……!」
「ね、カナタ。ボクと一緒に来てよ」
「はっひぇ?」
美少女にこれでもかと接近され、挙動不審となるカナタ。
さらに、続けて放たれたシレネの言葉に完全にフリーズしてしまう。
「あんな酷い女のところに居たって辛いだけだよ? ボクのところならカナタは柵から逃れられる。もっともっと幸せになれるんだ。だからさ、カナタ。ボクと一緒に来て? ボクと一緒に自由に生きようよ」
「いや……でも……俺たち初めて会ったばっかで……」
「関係ないよ、そんなこと。だってボク、カナタのこと好きだし。……それに、カナタもボクのこと好きだよね?」
「ぅえ」
シレネの宝石のような赤い瞳がカナタを真っ直ぐに射抜く。
「ボクはカナタが好きだよ。出会ってすぐに好きになっちゃった。それともカナタはボクのことが嫌い? 違うよね? じゃあ、カナタもボクのことが好きなんだ。──アハ♪ 両想いだね」
真紅の瞳に“オルタナの帳”が映り込み、極彩色に輝いて見える。
「さあ、カナタ。ボクの手を取って。何もかも捨てて、ボクと一緒に幸せになろ? 何にも縛られない場所で自由に生きようよ」
ああ、それは。とても。
「ね、いいでしょ? ね、カナタ」
トても──キレイな。
「ね え カ ナ タ ?」
キレイ、な。
(────)
──キレイな綺麗だ美しい愛しい好きだ愛してる一緒にいたい共に生きようキミが欲しいそれは宇宙それは輝きそれは世界それは星遍く空に煌煌にして皓皓たる高貴なる光源たる恒星の彼方より来る平行時空の境界を揺蕩うさざ波の天上を満たしたるクウィンタエッセンチアの神髄たる真理を内包する万物の根源の記憶たるアーカーシャの観測者にして万象の裁定者に遣わされた英雄にしてボクの運命キミは輝きキミは救いキミはボクの光これは光始めに光終わりに光全て光光光光ひかりひかりひかりひかりヒカリヒカリヒカリヒカリヒカリ──!!!
『たすけて』
(──ッ!?)
瞬間、カナタの意識が現実へと引き戻される。
目がチカチカする。前後の記憶がひどく曖昧だ。
まるで白昼夢でも見ていたかのような感覚。だが、今のカナタにはそんなことを気にしている余裕はなかった。
彼の胸中を満たすのはひたすらに強烈な焦燥感。
その原因は極彩色の
「──
──血だまりに倒れ伏す、ルピナスの姿。
全てが煌めきに塗りつぶされる中、唯一ハッキリと知覚できた
同時に聞こえた助けを求めるルピナスの声。
無論この場にルピナスがいない以上、映像も声も届くはずはない。ならば幻影や幻聴の類であると考えるのが道理である。
しかし、カナタはこれがどうしても幻影や幻聴の類とは思えなかった。
なぜならばあの景色と声に恐ろしい程の現実感が伴っていたのと──何よりこれが
脳裏をよぎるのはアッシュ翁との初邂逅にて垣間見た、ルピナスの辿るであろう最も可能性の高い未来の景色。
あの時、アッシュ翁は言っていた。ルピナスはかの翁が予知した全ての未来でその命を落とした、と。
”ぬし”ツンベアーを打倒したことで、あの
だが、もし。ルピナスの運命が未だ覆されていないとしたら──。
あの悲劇を引き起こす原因が“ぬし”ツンベアーではないとしたら──。
──ルピナスが、危ない。
その結論にたどり着いた瞬間、カナタは反射的に動き出していた。
「悪い、シレネ。あんたが俺のこと心配してくれたのは素直に嬉しい。けど、やっぱ俺
“だから一緒には行けない”。
茫洋とした瞳でこちらを見つめていたシレネに、そう告げるカナタ。
次の瞬間、カナタは荷物を引っ掴み脇目も振らず駆け出した。
(師匠……! 頼む、無事で居てくれ……!)
心を焦がす衝動のまま、走り去ったルピナスの跡を追う。その心に迷いはない。
かくて死すべき少女の
──パチパチ、と焚火の燃える音のみが響くキャンプ地。
「────た」
そこへふと、小さな呟きが紛れる。
「────けた」
初めは火の爆ぜる音にさえかき消されるような、小さな小さな声。
「──みつけた」
それは徐々にはっきりとした言葉へと変わり──。
「みつけたァ! 見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけたァ!!」
──いつしか、狂気さえ滲む歓喜の声となっていた。
白い肌を紅潮させ、恍惚とした笑みを浮かべる
無理もない。何せ彼女が垣間見たのは、まさしく彼女が心から求めていたもの──。
「
“
「カナタ。カナタカナタカナタカナタカナタ」
脳の奥の奥、自らの
「この薄暗い鳥籠からボクを解き放ってくれる──
彼方から来た人。
キラキラの貴方。
彼の
あそこにたどり着くことができたなら、きっと自分は真の“自由”を得ることができるのだろう。
残念なことに彼はどこかへ行ってしまったが──問題はない。
「ボクらはきっとまた巡り合う。だって、それがボクらの……運命だから♪」
根拠などない。しかし、そんな理屈を超えたところで彼女は確信していた。
カナタと自分は再び巡り合う──それこそが定められた運命である、と。
「だから、早く迎えに来て。ボクの
心を焦がす恋情のまま、白き少女は笑い続ける。
──自らの内に逃れられぬ