零号ホロウ内部。
「くっ……!撤退だ!これ以上は進めない!」
部下の命を預かる隊長は、決断を下す。
損耗率四割強。これ以上の被害は全滅に繋がるだろう。
隊長はフェイスガード越しに、今回の同行者へと目を向けた。
「カルキ執行官!申し訳ありません、力及ばず……!」
「ああ。
隊長の言葉に応えたのは、白髪の青年だ。
幽鬼のように白い肌に、ラピスラズリの瞳。青緑色のジャケットに黒いネクタイを確りと締めた姿はホワイトカラーにも見える。
何よりその手に握られた得物が異常だ。
穂先だけでも五十センチを越える大身槍。所々に金の意匠が設けられ、逆輪の辺りに山吹色の布が巻かれその端が風に揺れていた。
カルキ。H.A.N.D“対ホロウ事務特別行動部第六課”に所属する執行官の一人。
相対するは、津波の様なエーテリアスの群れ。
絶望的な光景を前に、カルキは淡々と槍を右手に携えた。
「来い。ここを抜けようと思うのなら、俺を屍へと変えてからだ」
圧倒的な戦力差をものともせず、エーテリアスの群れへと躍りかかるカルキの背を尻目に一隊は引いていく。だが、不満が無い者が居ない訳ではない。
「隊長!彼一人で大丈夫なんですか!?」
「撤退は、決定事項だ。我々があの場に残っていても、カルキ執行官の邪魔をしてしまうだけだ。今目指すべきは、迅速な撤退と、ホロウ脱出後の速やかな応援要請。分かるだろう?」
「しかし!」
「何より、彼は強い。星見雅執行官は知っているな?」
「勿論です!現代の虚狩り。あの方こそ、新エリー都の希望なのですから!」
「カルキ執行官は、星見執行官と同等の実力者だ」
「!……彼が、ですか?」
「ああ」
「で、ですが、そんな話は一度も……!」
「お前は、最近配属されたばかりだったな?であるなら、知らなくて当然だ。カルキ執行官は、メディア露出が極端に少ない。基本的には、本部とここ零号ホロウの往復。或いは、他ホロウの鎮圧が主な任務になっている。報道されないのは、メディアが情報を得る前に彼が全てを終わらせているからだ」
尊敬の念すら感じる言葉を隊長が紡ぐと同時に、彼らの後方で大きな爆炎が巻き起こった。
その様子は、太陽が改めてこの場に現れたかのような熱気を巻き起こす。
*
新エリー都においても、もっとも有名といっても過言ではない対ホロウ六課。
現代の虚狩りと称される、星見雅を課長とした少数精鋭の人員で構成されており、市民からの支持も厚い。
ただ、その実態は割と色物集団だ。
彼らが淀みなく動けるのは、偏にありとあらゆる雑事と折衝とその他諸々を担っている副課長の存在が大きかった。
「……ふぅ。後はこの書類を整理して、こちらを課長に……蒼角へのおやつの補充と、浅羽隊員の病欠申請の処理。それから――――」
眼鏡の位置を正しながら、月城柳は息を吐く。
彼女こそ、この対ホロウ六課の副課長にして組織運営の要。もっとも、仕事の多さと彼女自身の生真面目さも相まってワーカホリックのような状態になっていたが。
現在、六課の詰め所に居るのは彼女だけ。他のメンバーは、
補足をすると、柳は仕事そのものを苦にはしていない。ため息が出たり、呆れる事もあるがそれ以上に彼女は六課のメンバーの為に役に立てることに喜びを覚える人間だったから。だからといって、仕事を押し付けて良い訳ではないが。
また一枚の書類を終わらせて、次の書類へと柳が手を伸ばすと同時に扉が開く。
「……カルキ隊員。お帰りなさい」
「ああ、今戻った」
入ってきたのは、カルキだった。ただ、そのいで立ちに、柳は眉を上げる。
「カルキ隊員。その、ネクタイはどうされたんですか?」
「ネクタイ?……ああ、そうだった。先が燃えてしまってな。見栄えが悪くなったものだから、外してしまった」
常のホワイトカラーのようにキッチリと着こなされた隊服は、よくよく見れば所々に砂埃が付着しており、僅かにその鉄面皮にも疲労のような色が見えた気がした。
柳はペンを置いて席を立つと、常と変わらない雰囲気ながら確かな疲労の蓄積した青年へと歩み寄る。
「カルキ隊員」
「なんだ」
「
「大した事じゃない。零号ホロウを調査する部隊の撤退を支援して、その後他部隊への補給物資を届ける護衛を行っただけだ」
「私は内容ではなく、時間を問うているんです」
「……活動時間は、十四時間ほどだ。だが、戦闘は精々八時間前後だろう。大した事じゃない」
「貴方の言う戦闘時間は、
「ほんの、エーテリアスの群れを2、3潰しただけだ」
「貴方の場合、桁が足りないのでは?」
淡々と詰めてくる柳に、カルキは視線を僅かに逸らした。因みに、彼が潰したエーテリアスの群れは百を超えている。文字通り、桁違いである。その中には、超級とまでは言わないが、上級や要警戒のエーテリアスが多数含まれてもいた。
その群れを全て撃滅した上で、更に護衛の為の斥候と経路確保。撤退戦の退路確保と後続処理。
連続戦闘時間は、本当は十時間を超えている。それも守る者を抱えた単騎戦。常人ならば精神が擦り切れて気絶してもおかしくない。
そして、これこそがカルキの強みでもある。
現代の虚狩りと伍する戦闘能力に目が行きがちだが、その本質は圧倒的な精神の強さ。鋼を通り越して謎超合金性のメンタルを有した超人。そして何より、常軌を逸したエーテル適性。
疲労も痛みも彼の足を止めるには、力不足。恐怖などの感情も、彼にとっては切り離せるものでしかない。
だからこそ、周りがその見えない傷を塞いでやらなければならない。
「カルキ隊員。今日はこのまま宿舎へと戻ってください」
「何故だ?お前の手伝いならば、俺でも可能だぞ」
「貴方は自分の疲労を自覚したまま踏みつけにしているからです。課長でもそれだけの時間戦いに没頭し続ければ疲弊します。無論、私にも浅羽隊員にも蒼角にも不可能です」
「出来る者が、出来る事をやっているだけだ。俺には俺の、柳には柳の。雅や、悠真、蒼角にも彼女らにしかできない事がある」
「では、書類仕事は私の出来る事、ですね」
「……」
カルキの目つきが僅かに厳しくなる。
「ならば、条件を付けよう」
「条件?」
「柳。お前も休め」
「……仕事があります」
「だが、その目の下にある隈は見過ごせない。化粧で隠しているが、お前も疲労がたまっている証拠だ。故に、俺は仮眠室で休む。お前も仮眠室に入り、互いが休むよう監視をするとしよう」
年頃の男女が、密室に二人きり。その状況の悪さというのは言わずもがなであるのだが、生憎とカルキには下心も無ければ、そういう意図もない。
超人のメンタルとフィジカルを有していても疲労はある。幾ら押し潰しても、消える訳ではない。
要するに、カルキは思考が鈍っていた。そしてそれは、柳も同じ。
「……ふぅ……そうですね。確かに、宿舎へと戻しても貴方が休むとは限りませんから」
仕方ありません。月城柳は眼鏡を取った。
この後、詰め所へとやって来た同僚三人に仮眠室のベッドで並んで座り壁に背を預けて寝こけた二人が発見されるのは余談である。