宝石箱の宝石よりも   作:田島

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 ネイア・バラハは一週間ほどゆっくりとナザリックで過ごした後に聖王国へと戻っていった。存分にネイアにナザリックを自慢して浴びるような賞賛を受け、二人で語る時間をたっぷりと持てたシズはすっかりご満悦だった。シズは自動人形(オートマタ)ゆえに表情の変化から満足したかどうかを推し量ることはできないが、何となくだが言葉遣いや所作の細かい部分で平静とは違う部分が出るのでアインズにも薄っすらとは伝わってくる。シズが甘いものが好きと言っていた通りナザリックで出されるデザートの数々がネイアは特に気に入ったようで、焼き菓子ならば作り方を真似すれば不出来でも似たものは作れるかもしれないと真剣に考えこんでいた。

 この世界の砂糖は魔法で生産されているが、そもそも魔法を使える人間は数が限られている。魔力を行使するためにはまず生まれつき魔力を備えていて、その上で適合する魔法を行使するために世界と契約する儀式を行う手順が必要となるが、その人が魔力を持っているかどうかはフールーダに代表される特殊な生まれながらの異能(タレント)を持っている人間でなければ判別はできないので、契約してみて使えるかどうかを試すしかないという極めて非効率な判別方法しかなかった。

 そういえば昔モモンに化けたアインズが共に冒険者の任務を行った漆黒の剣のニニャは、魔法の才能を師匠に見出されたという話をしていた。漆黒の剣はエ・ランテルで活動する冒険者だったから師匠も魔導国建国の際に逃げ出していなければエ・ランテルに残っているかもしれない。特殊なタレント持ちかは確定できないが、何らかの方法で魔法を使える者を見出して魔法詠唱者(マジックキャスター)の育成を行っているのであればニニャの師匠に関する話はある程度市中に出回っている筈なので探せば見つかる可能性は高いだろう、登用を考えてもいいかもしれない。魔法詠唱者(マジックキャスター)を育成して冒険者にしているなら魔術師ギルドにも関係者がいるかもしれないし、自身も優れた魔法詠唱者(マジックキャスター)でもあるリィジーやンフィーレアも何か知っているかもしれないので聞いてみる価値はある。アインズは検討事項を心の中にメモした。

 ネイア歓迎が完了したらエルフの国に物見遊山に行きたいという相談を以前デミウルゴスにしたことがあったが、そんな状況ではなくなってしまったので予定は延期とすることにした。アルベドと決定的な決裂を迎えるかもしれなかったこの状況でアインズがすべきことはまず足元を固めることだ。アルベドだけではなくナザリックの者たちをもっと深く理解し理解してもらってからでなければアインズが遊んでいる暇などないだろう。

 どうすればもっと深く理解できるだろう、できる限り威厳を保ったまま。威厳を保つという条件が事態を困難にしている自覚はあったが、即座に威厳を捨てるのはそれはそれで問題を生むかもしれないと思うと思い切る勇気はアインズにはなかった。転移直後からずっと考えている問題ではあるがアインズには妙案が浮かぶビジョンは全く見えないので、世間話の体でそれとなくキュクーに相談してみることにした。

「キュクーよ、一つ頼みがあるのだが」

「はっ、何なりとお申し付けくださいませ」

 政務が終わってから世間話に訪れたアインズがそう切り出すと、キュクーは重々しい口調で答えて畏まった。うん、これをやめてほしいというのが頼みなんだけどな……と思いつつアインズは続きを話すために気持ちを切り替えた。

「私とお前は学友、そうだな?」

「左様でございます」

「学友というのは、もっとこう……学問の前に対等な立場ではないのか? もう少し口調をこう、柔らかくはできないものかと思ってな」

「は……仰られることはごもっともでございますが、しかしながら学友である前に陛下は魔導国の絶対的な支配者であり、わたくしはその庇護下にある一リザードマン、立場に応じた言葉遣いはどのような場面であれ必要なものかと存じます」

「立場……立場か。ならば立場が違えばおまえはもっと別の話し方をする、ということか? まあ当然のことではあるが」

「言葉には相応しき時と場合と相手というものがございますゆえ、陛下には陛下に向けた、コキュートス様やデミウルゴス様にはコキュートス様やデミウルゴス様に向けた、仲間のリザードマン達には仲間に語るに相応しい適切な言葉遣いというものがそれぞれあるかと考えております」

 何の反論もできない正論だった。キュクーは何一つ間違ったことは言っていない、というかあまりにも正しすぎる。しかしここで負けてはアインズは目的を達成できない、頑張れ俺と心の中だけで喝を入れ直しアインズは再び口を開いた。

「ならば逆に聞こう、どのような条件が揃えばお前は仲間に語るように私と話すことができると考える?」

「はっ……大変に難しいご質問でございますが……そのような状況はありえない、というのが正しい答えでございますがそのような答えを陛下はお望みではないでしょう。例えば、という仮定の上での話ではございますが、例えば同じ仲間であっても、シャースーリューと話すのとゼンベルと話すのであればそれぞれに対するわたくしの言葉遣いはやはり変わってまいります。シャースーリューも豪放磊落な性格ではありますが長としての威厳と言葉遣いがありますのでわたくしもそれに応じた受け答えをいたしますし、ゼンベルは飾ることを嫌いますのでわたくしもそれに応じて単刀直入な言葉を選びます。陛下のお言葉に応じる者が陛下の威容と威厳に相応しい言葉を選ぶのは避けようがないことではないでしょうか。ただ、そんなことはありえないとは思いますがもし陛下が気楽な口調で話されても、立場に応じた最低限の礼儀というものはございますし、ナザリックの方々が万が一耳にされたならば絶対に許されないでしょうからわたくしが口調を崩すのは大変に難しいことですが……ど、どうしても陛下がお望みということであれば……わたくしは一命を賭し!」

「待て待て待て! すまなかったキュクー、お前に死ねと言いたいのではない! そうだな、万が一デミウルゴスが聞こうものならおまえが大変なことになっていたな……無茶な相談をして悪かった」

 決死の覚悟を固めたキュクーに謝り宥めすかしつつアインズは聖王国の報告会の時のことを思い出していた。ルプスレギナに普段の口調で話してもいいと許可を出したが断られ、壁を作られているようで寂しく思った。しかし、そもそもあの時は主要NPCが全て集まる作戦報告と論功行賞という公式の場だったのだから気軽な口調では話しづらい空気がそもそもある。あんな場所で友達口調を求められてもルプスレギナも対応のしようがなかっただろう。そしてキュクーが言うように、口調というのはある程度は相手によって変わる。NPCとアインズの間に壁があるのは確かだろうが、それを取り払う努力をアインズは多分していなかった。立場が上で威厳がある相手にはそれに応じた口調で話をする、礼儀を弁えている者ならばあまりにも当然の対応を壁などと考えていた己の浅はかさにアインズは身の置き所のないような恥ずかしさを覚えた。せっせと壁を高くしていたのは必死に威厳を保とうとしていたアインズだ。

 他の者に対してアインズの側が口調を崩すのは簡単なことではないが、例えばアウラとマーレへの対応であれば多少口調を柔らかく崩しても自然なのではないだろうか。以前アウラは威厳のあるアインズもかっこいいが優しい方が好きだ、と言っていたのだし、本人たちもそれを望んでいるのではないか。アインズ様がなさりたいようにできないのが一番よくないとアウラは言っていたが、アインズは口調を崩したいのだからこの修正はアウラの望みに完全に合致しているといえる。

 世間話という形式の効用にもアインズは気付き始めていた。言葉を用いる者は自分が思っている以上に形式に認識を規定される。アインズは気軽に話したいのならば、気軽な話をすればよかったのだ。勿論アインズの側が気楽な話をしているつもりでもNPCの側はそうは取らないという問題は存在しているが、ちょっと試してみたもののどうでもいい話が思った以上に重大に受け取られて雑談が有り難い説話のようになってしまう状況に耐えられずにアインズが早々にやめた、というのが真相だ。一度では伝わらないならばアインズは気楽な話を気楽に話すことを簡単に諦めるべきではなかったし、重大に受け取る必要のない中身のない雑談なのだという説明を諦めるべきでもなかった。

 鈴木悟の時代でも接待や会社の飲み会の文化は細々と続いていて、どれだけ本物の料理と酒を相手に提供できるかが企業の格を測る目安として扱われている部分もあった。だから無礼講という言葉も辛うじて残ってはいたのだが、その言葉の意味を鈴木悟は恐らく真剣には考えていなかった。無礼講とは目上の者が目下の者に対等な立場を特別な状況下で許す言葉だ。つまり普段は対等ではなく、当然言動や態度も立場に応じたものになる。鈴木悟も勿論上司と部下への対応は違っていた。特に上司の機嫌を損ねて会社にいられなくなるのは即座に命の危険に関わるので相当気を使っていた。言うべきではないこと、言ってはならないことを口に出すのはあの世界では自殺同然の行為だった。そのような状況で本音など口にされるはずもないので、アルコールが入って理性の箍が緩み本音が出やすい場で目下の者が実際には何を思っているのを知りたいからこそ目上の者から無礼講という言葉が出るのではないか。多少の無礼は許すから本当の気持ちを教えてほしい、という意味なのではないか。

 勿論無礼講と言われたからといってあまりに正直すぎる者はその後すぐに会社から姿を消すのはある種のお約束ではあったのだが、アインズがもし同じ言葉を使うとすれば問われるのはアインズの度量だろう。

 NPCたちと気軽な話をする機会をもっと多く持ちたい。鈴木悟には友達と呼べる人はアインズ・ウール・ゴウンの仲間たち以外はいなかったけれども、たっちさんに助けられて迎えられた前身クラン、ナインズ・オウン・ゴールの仲間たちはモモンガを温かく受け入れて様々な質問を投げ自分たちのこともよく話した。語るほどの面白い話題を持たないモモンガはあまり自分から話をすることはなかったが、それを自覚できる余地もないほどごく自然にモモンガは仲間たちの輪に溶け込むことができた。どうでもいい話を仲間たちが沢山してくれたからなのだ、と今になって思う。どうでもいい話でもしていいし皆が耳を傾ける、そういう空間だからこそ人との付き合い方をろくに知らなかったモモンガも自然にその場に馴染むことができた。ギルドメンバーを創造主として崇めるNPCたちに同じ前提を当てはめることは当然できないが、それでも気軽な話をしたいと望んでいるのはアインズなのだから気軽な話をしやすい状況を作るべきなのもアインズの方だろう。

 困難を極めることが予想されるが、とにかくやってみて試行錯誤を重ねる以外には方法が思いつかない。話すことでしか見えないこともきっとあるはずだった。他の場所で働く者を呼び出すと仰々しさが出てしまうので、エ・ランテルに詰めている者を誘うのがまずは妥当か、と考える。本来一番話さなければならない相手だろうが初っ端アルベドはアインズには難易度が高すぎるのでまずは除外。パンドラズ・アクターは話しやすくはあるだろうがだからこそ逆に後回しにしてもいい。真っ先に誘ってしまえばそのつもりは一切なくても贔屓に見えてしまう危険もある。となると残るは。

「セバスか……」

 思わず口に出して呟いてアインズは頭を抱えた。セバスの性格的には雑談をできるビジョンが一切浮かばない。だがアインズには妙案があった。セバスと雑談というのはほぼ不可能に思えるが、そうではない者を同席させればセバスも口を開くのではないか。エ・ランテルの館に帰るとアインズ番メイドを呼び早速セバスを部屋に呼び出す。

「お召しにより参上いたしましたアインズ様。どのようなご用件でしょうか、何なりとお申し付けくださいませ」

 完璧で美しすぎる姿勢のセバスの跪拝を前にアインズは少しだけたじろいだ。この規律と真面目を形にしたような雑談と無縁そうな牙城を本当に崩せるのか、そんな技量が己にあるだろうか。だが、一回で崩せなくてもいいのだしアインズが一人で戦うわけでもない。強力な援軍のあてがあるのだ。

「よく来てくれたセバス。用件、というほどのものでもないのだが、最近ツアレとは上手くいっているのか」

「気にかけていただき大変感謝いたします。ツアレもアインズ様にお仕えするメイドとして恥ずかしくない仕事ぶりになってまいりましたので、そろそろ人間のメイドの配下を手配するご相談をしようかと考えていたところでございます」

「そうかそうか。私が不在の際にはヌルヌル君の世話もしっかりとしてくれているしツアレには助けられている。だがセバス、私が聞きたいのはそこではないのだ」

「は、と仰いますと」

「この世界の適齢期の内に嫁に貰ってやらねばツアレが不憫ではないか? カルネ村のエンリ・エモットでも年齢的には嫁入りが少し遅い方だったという話を聞いたのでな、行き遅れなどと陰口を叩かれては可哀想であろう」

 アインズがそう告げると、セバスの動かない表情の中で眉根だけが僅かに寄った。触れられたくない部分だろうなという推測は付くが、将を射んと欲すればまず馬を射よとも言う、弱点を攻めるのは戦いの基本である。セバスという将を攻略する為にはツアレという馬をどうしても引きずり出してこなければならない。

「その件に関しましては、その、ツアレ本人の気持ちの問題もございますので、この場で即答はいたしかねます」

「ではツアレの意見も含めて聞く機会を設けたい。明日の夕食の時間、私とお前とツアレの三者で食事を行いその場で話そう。私は食べられないが遠慮することはない。プライベートな話ゆえお前たちが気を楽に過ごせる場の方が良かろう」

「……かしこまりました、ツアレにもそのように申し付けておきます」

 作戦成功、セッティング完了である。ガッツポーズを必死に心の中だけに留めてアインズは大きく頷くことで勝利の満足感に浸った。正確に言えば土俵に引きずり出しただけでありまだ勝ってはいないのだが、セバス攻略の第一の難関は攻略完了と言っていいだろう。

 そして翌日の政務終了後、アインズはセバスから指定された部屋へと向かった。

 アインズが部屋に入ると、セバスとツアレが跪いて出迎えた。ツアレの何かを決意したような硬い表情は以前にも見たことがある。セバスが報告を怠ったために詰問しその際初めて会った時と同様の緊張した顔だった。結婚したいのか聞きたいだけで死を覚悟されても、とは思うのだがツアレにとってはアインズはあの頃のまま、セバスに責任を取らせるためにその手でツアレを殺させようとした恐ろしい怪物であるのかもしれない。あれはパンドラズ・アクターが演じていたので正確にはアインズではないが、もしその場にいたのが本物のアインズでも恐らく同じようなことをしただろうからツアレの認識は誤解であるとも言えない。セバスに叛意がないと言い切れない以上忠誠を確かめる確認の手順が絶対に必要だったという理由はあるが、それはナザリック側の理屈でありツアレの受け止め方はまた違うだろう。

「出迎えご苦労、二人とも席に戻れ。今日は非公式の場、私がただ個人的にお前たちと話をしに来ただけなのだ。そう畏まることはない」

「はっ、お言葉に甘え失礼させていただきます」

 立ち上がったセバスが美しい礼をして着席し、ツアレもそれに倣う。アインズも空いている席に着座した。

 食卓に並んでいるのはロールパンと豆のスープ、ざっくりと大きめに切られた野菜がたっぷり入った炒め物だった。ナザリックの食堂では見かけないようなメニューだ。

「そういえばセバス、お前はツアレは料理ができるからナザリックでも役に立てるという話をしていたな。今日の料理もツアレが作ったものなのか?」

「左様でございます。ナザリックの料理は美食の極地でございますのでツアレの料理の質は元より比較にはなりませんが、ツアレの料理の温かみのある素朴な味わいもわたくしは好んでおりますので、ツアレにお願いして毎日作ってもらっております」

 真面目な顔でセバスはそう答えたがその答えを聞いてアインズは心から馬鹿馬鹿しくなってきてしまった。これがリア充爆発しろという心境かと思い知る。ただ形式として結婚していないだけで実質夫婦ではないだろうかこれは。どう考えてもただの惚気(のろけ)だがセバスには自覚が一切なさそうである。

「……本題は別にあるが、今日は食事をしてもらいながらお前たち二人について色々知りたいと思っている。そう例えば、何をしている時が楽しいのかについて知りたい。ツアレは料理を作るのは楽しいか?」

 リア充を爆発させるなら〈内部爆散(インプロージョン)〉しかないのか? などと考えていることはおくびにも出さずアインズはツアレに話を振った。セバスに真面目な顔で惚気られるよりはいいと思ったのだが。

「はい陛下、セバス様の為に料理を作るのは毎日とても楽しいです。美味しいと笑っていただくために味の工夫を考える時間が一番楽しいです」

 はいこっちも惚気ーっ! 頬を薄っすら染めて照れくさそうに答えるツアレはそれはそれで非リアには絶大な破壊力があった。どうやらアインズはとんでもない地雷原に自ら突っ込んできてしまったようだった。

「そ、そうか……なななるほどな。ええと、料理の他に何か楽しいと思っていることはあるか? このエ・ランテルを発展させる為に、何か民が楽しめるような娯楽を作りたいと思っているので参考に聞かせてくれるか?」

「他に、でございますか。セバス様と買い物に行くのもとても楽しいです。必要なものを探したり、面白い品物を見つけたり、セバス様と歩いているといつも新しい発見がございます」

「ええと……セバス前提?」

「勿論でございます陛下。セバス様がいらっしゃれば、私にとってはどのような場所でも天国でございます」

 そう答えてにっこりと極上の笑みをツアレは浮かべた。良かったなニニャ、お姉さんはとても幸せそうだぞ……と思わずアインズは現実逃避を始めて心の中で死者に語りかけていた。

「そうか……だがエ・ランテルの民全員にセバスを用意はできんな。各自にとってのセバス相当の者は自分で探してもらうとして、市場が賑わえば都市にとっての利も大きそうだな。エ・ランテルといえば軒を連ねる露天商も賑わっているが、そうだな、建国の祭を現在企画中なのだが、屋台の人気投票を行い優秀な者には報奨を与えたりしても面白いかもしれんな」

「それは良きお考えですアインズ様。参加者が様々な店を食べ比べ新しき味覚と出会う理由にもなりますし、店主も報奨を目指して奮起するでしょう。祭も一層賑わうのではないでしょうか」

 口をついて出た思いつきだったがセバスは全肯定してくれる。セバスとペストーニャは(自身の価値観に照らして)アインズが間違っていると思えば怒る貴重なNPCなので、肯定の言葉も自然と受け止めやすい。その代わり二人とも怒るととても怖いのであまり怒らせたくはないのだが。

「不正防止は万全にせねばならんが祭の企画はアルベドが行っているので任せれば完璧なものを出してくれそうだな。女性は食べ歩きが好きな者が多い、と耳にしたことがあるがツアレも興味はあるか?」

「はい陛下、セバス様と一緒に屋台を回るのが今からとても楽しみです」

 あっやっぱりセバス前提なのね……藪をつついて蛇を出しアインズのライフはマイナスを割り込みそうになった。

 その後も結局分かったのはこの二人は肉体関係と形式以外は実質夫婦であり、ツアレはセバスが大好きです、ということだった。結論が何もかもそれになる。

 非力な人間と侮ってはいけない、虫も殺せなさそうなこの細腕の少女でも、数値化されていないアインズの精神に多大なダメージを与えることはできる。

 二人の惚気に付き合い続けたアインズはややぐったりと疲労を覚えたが、そういえばまだ本題の話をしていなかったので最後にしなければならないだろう。

「さてセバス、最後に本日の本題の話をしよう。私から見ればお前たちは形式として夫婦ではないだけのように見えるが、これ以上形式を拒む理由はあるのか?」

「失礼ですがアインズ様、わたくしは形式を拒んでいるわけではございません。ただ今は機が熟していないと判断しているにすぎません」

「熟すれば果実はすぐに落ちるのだぞセバス、人の時間は有限だ。ツアレのことを本当に思うのであれば一秒を惜しむべきではないか?」

 そのアインズの言葉にセバスははっきりと苦しげに眉根を寄せ目線を伏せた。どうも他に理由があるような気がしてならない。

「陛下、僭越ながら申し上げます、セバス様をお責めにならないでくださいませ。セバス様はただお優しすぎるのです。わたくしが老いて死ぬまで、寿命のない皆様方から見ればきっと一瞬のような出来事でしょう。セバス様は別れを思ってしまっておられるのです、きっと、ですから」

 ツアレの訴えにもセバスは目線を上げなかった。図星、というところだろう恐らく。

 これはもうアインズが介入するような問題ではないのではないか。正しく二人の問題だ。誰よりも崇敬する創造主がある日を境に二度と戻らなかったという喪失を知っているセバスが別れを思ってしまうのも仕方のないことだ。誰よりも大切な人たちが二度と戻らない、それは未だに塞がらないアインズの傷でもある。

「分かった、もうこれ以上は言わん。二人で話し合うがよかろう。どういう結論を出すとしてもお前たちの問題だ。ただセバス、別れは喪失と空虚しかお前に残さなかったのか?」

「そのような……そのようなことはございません! わたくしの正義も、この存在も! 確かな証でございます!」

「そうだなセバス、私も全く同感だ。だからこそお前たちには幸せを感じてほしい。幸せを感じることなくただ働き続けろ、などと思ってたっちさんはお前を作ってはいないだろう。私は……あまり深くは考えていなかったが、それでもパンドラズ・アクターにも他の者にも、幸せを感じてほしいと思っている。それが今の私の望みだ」

 言い残してアインズは席を立ち部屋を出た。これ以上惚気を浴びせられるのは耐えられないし、ここから先は二人で話し合うべき領域だろう。

 ひどいブーメランを放り投げてしまったものだった。喪失と空虚しか残らないことが恐ろしくてアインズはほとんど存在しない再会の望みを捨てきれずにいるというのに、他人事ならすらすらと言葉が出てくる。セバスが言った通り、NPCの存在と設定の空白を埋める創造主の性質はどれも仲間たちがナザリックに共にいた日々の証明だ。だからこそアインズは何に換えても一人も失いたくないし、戻らない日々が胸を締め付け続ける。

 アインズ様のなさりたいようにできないのが一番良くない、とアウラは言った。それならばまずアインズは、自分がどうしたいのかを実現できる範囲で見つけなければならないのではないか。戻らない日々のために今いる者たちを悲しませたり虚しく働かせるのは、きっと違う。アインズがNPCたちに幸せになってほしいようにNPCたちはアインズの幸せを願っているのならば、アインズは実際に存在していて掴める幸せを探さなければならないのではないだろうか。

 正しい答えなど分からない、アインズは神ではないのだから。

 

***

 

 竜王国首都、居城のバルコニーから女王ドラウディロンは遥か東を睥睨していた。

 こうしている今も国土のどこかではビーストマンが人を喰らう酸鼻極まる宴が行われ国民たちが犠牲となっている。手を拱いていれば早晩この首都も包囲され強力なビーストマンに対抗する手段もなく殲滅されるだけだろう。国家の命運は最早風前の灯火だった。

 例年であれば派遣される恃みの陽光聖典は法国に派遣を断られた。アインズ・ウール・ゴウン魔導国というアンデッドが作った新興国が情勢を大きく動かしている現状、国是としてアンデッドに敵対する法国がそちらにより多くの対応力を割こうとするのは女王から見ても自然であったし、陽光聖典は公にされていない秘密部隊であるため女王は知る由もないことだが全員消息不明となっており派遣は物理的に不可能だった。第三位階以上を扱う一流の魔法詠唱者(マジックキャスター)を四十人から集めた精鋭部隊など一朝一夕で穴埋めができる規模ではなく、また後任を決めたとしても本来であれば継承されるべき技術や経験知識を後進へ伝達できる隊員がいなかった。既に引退していた元陽光聖典隊員たちが候補者たちを急ピッチで育成しているが、そもそも一流の魔法詠唱者(マジックキャスター)の育成には膨大な時間と資金が必要なものだ。前のような規模と実力の部隊をすぐに再編するのは現段階では不可能といえた。

 王国は帝国との戦争で一方的に大敗し二十万近くの兵を失い、他国へ援軍を送る余力は一切ない。聖王国も亜人と悪魔の連合軍に国土を荒らされ女王や神官長も殺され他国にかかずらっているような場合ではない。帝国は魔導国の属国となり独自で動く裁量は恐らくなく、またもし動けたとしても現実主義者の皇帝がビーストマンに蹂躙されぼろぼろの竜王国を自国の兵を損なってまで助けることに旨味を見出すとも思えなかった。カルサナス都市国家連合は隣接する帝国が魔導国の属国となった事態を受けアンデッド国家の侵略を防ぐために竜王国へ援軍を派遣することはできないと断ってきた。アーグランド評議国は人間が亜人に喰われることも弱肉強食という絶対的な自然の理の一部であるという立場で、これまた介入する気はないようだった。

 建国を支援しその後属国になった帝国以外は魔導国を国家として承認していなかったため、ビーストマンという外患に晒され滅亡寸前の竜王国は外患をこれ以上増やすリスクを嫌いこれまで魔導国と関わること自体を避けてきたが、アインズ・ウール・ゴウン魔導王が聖王国を蹂躙した亜人連合軍と強大な悪魔を退けたという話もこの地まで届いていた。最早民を救ってくれるのならば鬼だろうがアンデッドだろうが何でもいい。頭を下げろというなら下げるし素っ首を差し出せというならこの細首などいくら持って行ってもいい。

 ビーストマンへの対抗手段として真なる竜王の曽孫であり真にして偽りの竜王という二つ名を持つドラウディロンは始原の魔法(ワイルドマジック)を行使できるが、始原の魔法(ワイルドマジック)は魂を力の源として発動する魔法、竜の血を八分の一しか持たぬドラウディロン単体では行使できない。人の身で行使しようとするのならば代償として百万の民の魂をすり潰す必要があった。ビーストマンをそれで撃退できたとしても百万の民を失えば疲弊しきった竜王国が国としての形や機能を保てるのかは甚だ疑問だった。

 耕す者があるいは離散しあるいは喰われた農地は荒れ果て、家畜は逃げ出すか檻や柵の中で餓死したか。国の経済を支える商人や職人も逃れた者も喰われた者もいる。戦後にこそ復興の指揮を執らねばならない執政機関の者も地方にいた者の大多数は戦死している。老人や子供は逃げ遅れて喰われた者の方が多いだろう。国家の要請に応え政治には関わらないという不文律を無視してでも民を守る為に戦った冒険者たちの多くは既に亡く、クリスタル・ティアを始めとする残り僅かな者たちのみがビーストマンに辛うじて対抗できる戦力だった。ただ今回のビーストマン侵攻は稀に見る大規模なもので、一騎当千とはいえ少数の冒険者のみで押し返せる兵力では到底なかった。よしんばたとえビーストマンを撃退できたとしてもその後国を立て直すには膨大な時間と労力と資金が必要であり、実利主義者の鮮血帝などは絶対に介入しないだろう。当然だ、見返りとして払えるものを竜王国は持っていない。国土は蹂躙され尽くし民は喰われ糧食を得るために耕すことすらままならない。

 国とは全ての民を守る為にあり、民は国の(もとい)である。その民の魂をすり潰し素材にすることでしかドラウディロンはこの国を守ることができない。始原の魔法(ワイルドマジック)を行使し竜王国を守ったとして、その結果生き残った竜王国とは一体誰の為の国なのか。無論それで守れる者がいるのならば使うべきだろうが、国全体が疲弊した現状で国力の更なる減退に直結する百万の民を殺すという自殺行為ともいえる決断を要する。立て直す為の力となる民さえ潰して一体誰の為の国なのか。

 物思いに沈んでいたドラウディロンを現実に引き戻したのは背後から聞こえてきた靴音だった。振り返ると、宰相が苦い顔をして書状を手に屋内に立っていた。

「景気の悪い顔をしているではないか宰相。愛人を新しく作ったのが正妻にバレでもしたか?」

「わたくし三十年来妻一筋、とは申せませんが、さすがにこの危急存亡の(とき)真っ只中に新しく愛人を作るような余裕はございません。陛下、魔導国へ送った使節が先程返書を持ち帰参いたしました」

「返書の中身にもよるが無事帰参したのならばまずはめでたいではないか。そのような辛気臭い顔をしているのは解せぬな」

「エ・ランテルは強力なアンデッドや恐ろしい異形種どもが多数跋扈しているにも関わらず人間も安全に暮らし秩序と平和が保たれていた、との報告を使節から受けまして。どれほどの力があればそんなことが可能なのかを考えておりましたら眉根が寄ってしまいました」

「十数万の王国兵を一撃で殲滅できるような強大な魔法を使うという話だが、ことによっては魔導王はビーストマンすらも調伏できるのやもしれぬな。まずは返書に目を通さねばなるまい。執務室に戻ってから読もう」

 宰相にそう声をかけ女王はバルコニーから室内へ戻り廊下へと出た。数歩を置いて宰相が後に従い二人は執務室へと戻っていった。

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